抄録
20年ほど前まで日本の地理教育では、中国の農業地域区分において東北地域は「大豆・こうりゃん地区」とされてきた。現在の地図帳では「おもにトウモロコシ」と表記されている。本報告の目的は、この農業における変化の過程と背景を考え、東北地域の構造的な変化の一端を明らかにすることである。加えて、単に農作物の転換としてだけでなく、そこに暮らす農民の意識レベルでの変化を、農民の語りを通して理解することをめざす。中国の穀倉地帯である東北地域における農業は、大豆・高粱からトウモロコシへと、20世紀の後半に大きな転換を経験した。この変化には農業技術の改良が関与しているが、農民の語りからは、東北農業のイメージでは後退しがちな自給的側面が、作物の選択に影響してきたことが見えてくる。このことは中国の農業が人口の関数としての側面を内包することを再確認させる。