抄録
1.はじめに
視覚障害者はビジュアルに表現された地図を使用できないため,地理空間情報の伝達には,触って読む触地図,音声による道案内といった視覚に依存しない媒体を利用することになる.そうしたオルタナティブな地図を,晴眼者と視覚障害者が協同で作成する活動が日本各地で取り組まれている.こうした参加型地図作りは,市民参加型GIS(PPGIS)やVGI(ボランタリーな地理情報)への取り組みとして位置づけることができ,視覚障害者の自立支援(empowerment)にも繋がると考えられる.しかし,視覚障害者向けの地図や道案内文に関する研究の多くは,それらの機能的側面に焦点を当てており,作成活動の過程や社会的効果について言及したものはほとんどない.本研究では,地理空間情報としての視覚障害者向け道案内文の作成活動をとりあげ,その作成過程と視覚障害者の自立支援の実態について検討する.
2.調査対象概要
本研究では,視覚障害者向け道案内文を作成しているNPO法人ことばの道案内(以下,「ことばの道案内」と呼ぶ)を対象とし,その団体構成員への聞き取り,道案内文作成活動の参与観察などを行った.当団体は視覚障害者であるF氏を代表とし,東京都北区を拠点に,視覚障害者と晴眼者が協同で日本各地の道案内文を作成している.2002年に任意団体として活動を開始した後,2004年にNPO法人となった.道案内文には,視覚障害者が単独で歩行できるよう,最寄りの駅やバス停から目的地までの道順,移動時の注意・参考情報が記載されている.道案内文はWeb上に掲載され,視覚障害者はそれを携帯電話やパソコンで音声化して利用する.「ことばの道案内」では道案内文のことを「ことばの地図」と呼び,既製の地図とは異なるオルタナティブな地図として位置付けている.
3.視覚障害者と晴眼者による道案内文の協同作成
団体構成員の半数近くが視覚障害者であり,弱視,全盲,先天性,後天性,白杖使用,盲導犬使用などさまざまな立場の人々が活動に参加している.視覚障害者自らが案を出し,現地で詳細な調査を行い,データを管理・整備するというボトムアップ的な手順で道案内文は作られている.とくに,単に利用しやすい道案内文を作るだけでなく,現地調査を通じて視覚障害者が外出時に遭遇する問題(点字ブロックの誤った敷設,放置自転車,道に張り出した木の枝など)が地域のどこに存在するかを探し出して,晴眼者のメンバーと共にそれについて議論し,行政等へ改善を要求している.その一方で,資金を得て,活動内容を社会に普及させていくためには行政機関との連携も重要であると考え,地方の役所だけでなく国土交通省,厚生労働省といった国の機関とも協働で事業を展開している.基本的には「ことばの道案内」側から事業の提案を行い,活動資金を提供してもらい,道案内文作りを行っている.
4.道案内文の作成を通じたエンパワーメント
「ことばの道案内」における当事者参加型の道案内文作りは,視覚障害者の外出を支援するだけでなく,彼らが外出時に抱える問題を顕在化させ,晴眼者と共にそれについて議論し合い,その解消を社会へと訴えるきっかけともなっている.活動に参加している晴眼者には,長年にわたって視覚障害者と道案内文を作る中で,自分たちが暮らす地域の点字ブロックの敷設の仕方に関して強い疑念を抱くようになり,行政へその改善を要求しているという人もいる.また,障害の程度が異なるさまざまな立場の人が活動に参加することで,外出時のバリアの多様性をメンバー全員で理解し合い,団体の結束力を高めている.しかし,多種多様な意見を一つにまとめることは難しく,合意形成の点に課題も抱えている.