日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S0606
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発表要旨
開道五十年記念北海道博覧会と地域文化
*荒山 正彦
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抄録

 「地域文化」の生産・流通・消費というそれぞれの局面において,近代の博覧会が果たした役割は大きい。そこで本発表では,1918(大正7)年に北海道開拓50周年を記念して開催された開道五十年記念北海道博覧会を事例としてとりあげたい。 近代以前の北海道は島の先住民(アイヌ)によってアイヌモシリと呼ばれ,和人(日本人)によって蝦夷地と記されてきたが,明治政府による開拓史設置(1869・明治2年)に伴い「北海道」と命名された。この命名は,伝統的な地域名称の五畿七道という考え方が踏襲されたものである。 したがって,北海道という地域名称のもとで「地域文化」が生産・流通・消費されるのは,この命名以降のことである。こうして近代日本の版図に加えられた北海道は,台湾や満洲のような「植民地」ではなかったが,日本内地とは異なる「外地」という地理的空間として表象されてきた。 一方で,およそ18世紀からはじまった博覧会は,19世紀から20世紀にかけてさまざまな社会状況の下で開催可能な「近代の文法」として世界各地へ広がった。グローバルな規模の博覧会としては,周知のように1851年のロンドン万国博覧会にはじまる系譜が存在する。 近代日本における博覧会は,1871(明治4)年の京都博覧会や翌1872(明治5)年の湯島聖堂博覧会を嚆矢とし,前述の万国博覧会に参加することを契機として,5回にわたる内国勧業博覧会(1877・明治10年~1903・明治36年),東京勧業博覧会(1907・明治40年),東京大正博覧会(1914・大正3年),平和記念東京博覧会(1922・大正11年)などの大規模な博覧会が開催された。入場者数が1000万人を超えた平和記念東京博覧会のような国家規模での博覧会があった一方で,全国各地でローカルな規模の博覧会も数多く開催され,たとえば明治期から1940年代はじめの昭和戦前期までに開催された日本での博覧会は200回を超える。開道五十年記念北海道博覧会はその一例となる。 他方で近代日本における博覧会の系譜には,京城博覧会(1907年),台北物産共進会(1908年),市制十周年記念大連勧業博覧会(1925年),施政二十年記念朝鮮博覧会(1929年),満洲大博覧会(1933年)のように,外地や植民地において開催された博覧会も少なくない。本発表でとりあげる北海道での博覧会は,いわゆる内地の博覧会の系譜に属しながらも,他方では外地/植民地での博覧会の系譜にも属している。 開道五十年記念北海道博覧会は,1918(大正7)年8月1日から9月11日までの50日間にわたり,札幌区と小樽区の三つの会場において開催された。期間中の観覧者数は140万人を超え,北海道内からばかりではなく,内地や北海道以外の外地/植民地からの観覧者もあった。これは同時期におけるローカルな博覧会としてはきわめて規模の大きなものであったといえる。 博覧会の開催にあわせて,あらたに『北海道史』の編纂がすすめられ,また北海道におけるツーリズム進展の契機ともなった。博覧会の開催は,限られた会場内ばかりではなく,開道から50年目を迎えた北海道全体の地理的空間へも大きなインパクトを有していた。本発表では,1980年代以降の博覧会研究の成果を踏まえながら,北海道全体を示すような「地域文化」や,さらにミクロなスケールでの「地域文化」が,博覧会を通してどのように生産され,流通し,消費されたかについて整理したいと考える。【文献】河西晃祐(2006)「南洋スマラン植民地博覧会と大正期南方進出の展開」日本植民地研究18,pp.18~34.國雄行(2005)『博覧会の時代:明治政府の博覧会政策』岩田書院,285p.パトリシア・モルトン[長谷川章訳](2000=2002)『パリ植民地博覧会:オリエンタリズムの欲望と表象』ブリュッケ,373p.山路勝彦(2008)『近代日本の植民地博覧会』風響社,314p.山本佐恵(2012)『戦時下の万博と「日本」の表象』森話社,325p.吉田光邦編著(1985)『図説万国博覧会史1851-1942』思文閣出版,196p.吉田光邦編著(1986)『万国博覧会の研究』思文閣出版,357p.

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