抄録
Ⅰ.はじめに
高齢化による医療需要の高まりと医師不足を背景として,効率的で公平な医療供給体制の構築が急務になっている。こうした課題への対応の一つとして,ICTを活用することによって,市町村,二次医療圏などといった地理的境界,医療,介護といった職種の境界を超えて診療情報を共有する地域医療連携があげられる。しかし,日本における地域医療連携システムは,システムごとにデータの共有方式や参加者の範囲などに相違がみられるとともに,一部の地域に偏在している。その原因として,①診療所の参加率の低さ,②診療情報を統合するために必要な標準規格の不在,③費用対効果などインセンティブの欠如の3点を指摘できる。結果として,基幹病院やNPO等による地域医療連携システムが自発的に構築され,加入率や利用頻度が地域によって異なるために医療アクセスに地域差が生じる可能性がある。本発表は,地域医療連携システムが先駆的に普及した事例として評価される長崎県を対象に,その成功要因を明らかにするとともに,ICTの普及に地域差が生じるメカニズムを考察する。
Ⅱ.長崎県の医療供給体制の概要
長崎県は,五島,上五島,壱岐,対馬の4つの離島の医療圏を抱える日本でもっとも離島数の多い県である。長崎県における医療供給体制の特徴は,①一般病床は全県を通じて多い一方,離島では療養・回復期病床が少ないこと,②長崎,佐世保県北,県央と,県南,離島地域の医療供給体制の格差である。
患者住所の圏域内の病院に入院している割合は,長崎,佐世保県北圏域では90%を超えるが,県南,上五島圏域は50~60%台と低くなっている。他圏域への入院割合は,県南圏域が県央圏域に35.0%,上五島圏域は長崎圏域に20.9%と高くなっている(図)。このように,長崎県では医療資源の相対的に少ない離島から,豊富な本土へと入院患者が流出している。居住地域内の圏域で医療を完結させるために離島における医療アクセスの改善が求められる。
Ⅲ.地域医療連携システムの普及メカニズム
「あじさいネットワーク」は2004年10月に運用を開始し,長崎県内の主要な医療関係機関への普及を実現した地域医療連携システムである。中核病院で必要な治療を終えた患者は,最寄りの医療機関や自宅で医療を継続して受けることができる。
地域医療連携システムが普及した要因として,①医師会単位で参加できる団体割引料金を設定したことによって,診療所の加入率を高めたこと,②マルチベンダー方式を採用することによって,他社の電子カルテシステムと互換性をもたせたこと,③医師への事前アンケート調査によって把握したニーズを踏まえて,費用対効果が認められるような工夫をしたことである。
地域医療連携システムが普及していくメカニズムを検討すると,参加率と地理的範囲によって3段階に分けることができる。第1に長崎医療センターと大村市民病院,大村市医師会との協働によって,大村市を地理的範囲とした構築段階である。第2に長崎市医師会との協働によって,大村市における取組みを長崎市に拡大した段階である。第3に,長崎県の全医療関係機関を対象にシステム加入率を高めた普及段階である。それぞれの段階において,目的を実現するうえでのボトルネックが存在した。長崎県は西洋医学教育が最初に展開されたこと,被ばく医療のために病院が多いこと,隔絶性の高い離島を多く抱えていることなどを背景として,医師会の会員医師と病院医師との人的関係が良好であった。あじさいネットワークでは,運営主体が人的ネットワークを利用した既存の連携の仕組みを生かすことでボトルネックを解消した。