日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 408
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発表要旨
日本植民地期の台北における私鉄経営–台北鉄道を事例に–
*廣野 聡子
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抄録
本論では植民地期において官線と同様の規格を持った唯一の私鉄である台北鉄道を事例に、その特徴と性格について明らかにする。台北鉄道は、台北と台北郊外の新店を結ぶ台車軌道をその前身とし、1921年に官設鉄道と同様の軌間1067mmで敷設された鉄道であり、相対的に旅客輸送のウェイトの大きい鉄道会社であった。鉄道の成立は、当時台湾総督府が民間資本の導入によって縦貫線と接続する地域鉄道網を整備する姿勢を持っており、そうした思惑のもと総督府が台湾の内地人企業家や資本家に働きかけた結果である。台北鉄道は10km程度と路線が短く鉄道収入の飛躍的な伸びは中々期待できない中で、世界的な恐慌や災害など不運も重なって経営は低迷する。1930年代初頭には総督府による買収が議論される厳しい局面を迎えたが1930年代半ばからの経済成長を追い風に鉄道の営業成績は向上し、1941年頃には借入金を完済、そして1945年の日本敗戦により国民政府に接収されて歴史を終えるのである。 ただし旅客数は開業初期から比較的堅調に伸び、その後1930年代後半の大きな成長をみることから、台北鉄道の性格を見るうえで台北の都市発展との関連性に着目する必要があろう。 蔡(1994)は、台北の都市内には台湾人と日本人の間で居住分化が見られたこと、また職業面でも公務員や商業で日本人が多く、台湾人は工業従事者の割合が高いことを指摘しているが、台北鉄道沿線の内地人比率を見ると竜口町87.3%、川端町80.0%、古亭町66.5%と極めて内地人比率の高い地域が存在する。沿線地域全体で見ても相対的に日本人が多く住む地域であった。これら日本人は公務員・商業などホワイトカラー職に就く者が多かった点を踏まえると、台北鉄道沿線は台北市内でも相対的に通勤通学人口を多く抱えていたことがわかる。その上で台北鉄道における旅客一人当たりの平均運賃を見ると、開業当初は15.2銭であったのが、1937年には7.7銭 と、輸送の実態が短距離輸送へと変わっていったことが確認できる。 植民地期の私設鉄道の特徴は貨物輸送の大きさであるが、台北鉄道は相対的に旅客の割合が高く、台北と郊外とを結ぶ鉄道として台北の都市拡大の影響を強く受け、通勤通学輸送が卓越した都市鉄道としての性格を強く持っていた。 ただし、その沿線は日本人が多く居住する地域であったため、地域社会に根ざした鉄道というよりも、日本人利用の多い支配階層のための鉄道という性格は免れなかったものと思われる。
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