日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 218
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発表要旨
2世紀末タウポ火山大噴火による冷夏凶作と倭国乱
*野上 道男
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抄録

 中国史書によれば2世紀末に倭国に「乱」があり、それを契機に卑弥呼が国王に共立された、という.日本の歴史における古代はここに始まると見て良いであろう.結論を先にすると「倭国乱」は冷夏による2年続きの飢饉で起きた社会不安と食を求める民衆の流浪が実態であり、戦乱ではない.冷夏の原因はタウポ火山(NZの北島)の大噴火である.
 以下の項目について、検証した(ここでは内容の詳細は省略).
1)氷床コアの記録: 2)中国史書の記録:3)古事記・日本書紀の記事:
 崇神7年は豊作だった.豊作で2年続きの「疾疫」が治ったのであるから、それが栄養失調症であったことをうかがわせる.さらに崇神12年の条には天皇が回顧して言う言葉の中に「寒さ暑さ序を失えり.疾病多に起こりて、百姓災を蒙る」とある.つまり疾疫が農と関係する栄養失調症であり、その原因は異常気象であったことがさらに明確に述べられている.
 伝染病の大流行によって土地を捨てる流民は発生しないだろう.食を求めて「百姓流離」と解釈する方が自然である.魏志韓伝の同時代にも、後漢が植民地支配していた楽浪郡の郡県から韓人の流民が起こったとの記事がある.中国の黄巾の乱(民衆蜂起)や流民の発生は凶作飢饉が原因である.民衆は課税の対象である水田を捨て、冷夏に強いドングリなどの果実が豊富でヒエ・アワなら稔る落葉広葉樹林帯に疎開したのであろう.
 非農業人口が多く稲作依存率が高い地方(弥生時代の先進地域、すなわち九州地方北部)ほど冷夏飢饉の影響は深刻だったはずである.クラカタウ火山大噴火による宣化元年(536年)の飢饉の際にも、各地の屯倉の米を那の津(博多港)の倉庫に集めるよう、勅令が出されている.

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