日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の353件中1~50を表示しています
発表要旨
  • 山下 潤
    セッションID: 413
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    都市への人口集積による外部効果が先端産業の集積に影響を与えていることが従来の研究で明らかにされている.このような外部効果は,知識スピルオーバー効果とも称されている.本稿では,OECDによる環境関連特許データを用い,スウェーデンを対象地域として,都市への人口集積によるMAR型・Jacobs型外部性の環境産業の集積への影響を明らかにすることを目的とした.結果として,MAR型・Jacobs型外部性とも環境産業の集積に正の影響を与えていた.しかしMAR型外部性のみ統計的に有意であることを明らかにした.
  • 南 春英
    セッションID: 715
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     社会全体のグローバル化に対応するためには、世界の国や地域の理解が不可欠である。国際理解、異文化理解教育の推進は、現代の教育におけるもっとも重大な課題のひとつである。地理教育においても、近年から国際理解、異文化理解などの教育中心になりつつあり、多くの研究で、教材開発の必要性は唱えられている。
     海外でのさまざまな活動を行う日本人の数も、海外からやってくる外国人の数の急速に増えており、国際結婚も増加している。人々の日常の暮らしの中で異文化と接することが必然となっているにもかかわらず、異なる文化的背景を持つ人に対しては、誤解と偏見に満ちた態度に陥りがちである。異質な文化への共感に立脚した相互理解の姿勢に欠けている状況が多く見受けられる。地理教育というのは、主に生徒に科学的な世界観に基づく具体的な世界像を形成させることを目的として、国際理解と異文化理解の教育であると言える。
     同じ東アジアに位置した日本と中国は過去2000年近くにわたって政治的、経済的、文化的関係に結ばれてきた。この関係は、世界の中できわめてユニークな関係である。アヘン戦争以来、100年以上にわたり侵略され、重大な被害を受けた。日中戦争後、27年の対立関係から1972年日中両国国交正常化以来約40年間をかけて、経済、政治、教育、文化などのあらいる面において、深い相互依存関係によって結ばれるようになった。しかし、両国の経済交流と民間交流がかつてないほど緊密に展開されている一方で、両国民が互いに対して多少の不信感を持っているのは不思議な現象である。こうした国際関係もあって、中国に関する記述は極めて難しかったであろう。その際の視点としては、主に国際理解、異文化理解としての地理教育という視点から、時代による日中関係の変化を追い、日本における地理教育の中での中国に関する記述の変遷を明らかにする。具体的には、日本における高校の地理教科書が中国という国をどのように位置付けてきたか、また、時代によって記述において何に中心が置かれてきたかなどを分析していく。
     本論文では、特に、1972年日中国交正常化とこれに伴う日台断交、さらに中国の「改革開放」政策と、「一人っ子」政策などに関する記述に重心を置く。具体的には以下の通りである。具体的には本論文で行われている作業は以下の通りである。
     1.1972年前後で地理教科書の中国に関する記述がどうように変ったかを検討し、記述の中心は何かを探る。なお、日台断交前後で台湾に関する記述はどうように変遷してきたかも分析したい。
     2.人口に関してはどの書かれているか。世界一の人口を持っている中国は、国の基本的国策として1980年代から「一人っ子政策」を実施しているが、この政策を実施する前後で、日本の地理教科書は中国の人口についてどうのように扱っているかを考察したい。
     本研究では、検定教科書制度が実施されてから現在までの高校地理科を観察の対象とする。分析すべき資料としては、第2次世界大戦後終了以降の「学習指導要領」と、株式会社東京書籍から出版された教科書を取り上げる。具体的な研究方法として、学習指導要領の変遷によって、教科書を年代別にいくつかのグループに分ける。各々グループの教科書のうちでで中国に関する記述のページ数について統計をとり、それぞれの時期に出版された教科書のなかで、中国に関する記述が占める割合を計算する。計算した割合で、中国という国の位置付け、また、時代によって記述において何に中心が置かれてきたかなどを分析していく。
  • 瀬戸 真之
    セッションID: S0504
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    本発表では,福島県御霊櫃峠(標高約900m)付近のSite AとSite Bの斜面を例に周氷河環境が発現している斜面の微地形について報告する.Site Aの標高は約1000mで植生を欠き,風衝砂礫地となっている.ここでの年平均気温は7.3℃で冬季には-10℃付近まで気温が低下する.また,地温観測の結果,地表面下数cmのごく浅い部分では凍結融解が生じており,年によっては季節的凍結も見られた.この砂礫地は表面を扁平な角礫がオープンワークに覆い(Ⅰ層),その下位には暗褐色砂壌土が堆積している(ⅡA層).最下位はにぶい黄橙色~暗褐色砂壌土(ⅡC)である.砂礫地縁辺の植生があるところではⅠ層を欠き,ⅡB層の直上に有機物に富む腐植質砂壌土が堆積している(ⅡA層).このSite Aで気温,地温,地表面温度およびペンキライン法による地表物質移動の観測を2006年冬から20012年冬までの7期間実施した.このうち,2007年冬の地表物質移動観測後に地表面の微地形を観察し,Ⅰ層が厚く凹凸に富むCタイプとⅠ層を欠き,ⅡB層が露出してCタイプと比較して平滑なFタイプとに区分した.ペンキラインはそれぞれのタイプの上を横断するように設置してあり,ここではタイプごとに分けてペンキラインの変位量を比較する.2007年における斜面物質の移動距離はCタイプとFタイプとで平均値に違いがあり,それぞれ0.35m,0.52mであり,0.2mの差が見られた.このようにCタイプよりもFタイプの方が冬季の物質移動距離が大きい傾向が見られた.この傾向と地温の観測結果から,季節的凍結や日周期の凍結融解サイクルが生じるⅡB層が地表に露出しているFタイプはCタイプと比較して物質移動が活発であると考えた.また,FタイプはCタイプと比較して凹凸が少なく,スムーズに地表物質が移動できる.以上から御霊櫃峠では地表面付近の凍結融解が冬季における物質移動の駆動源となっており,これにはⅠ層の厚さ,すなわち地表被覆状態の違いが強く影響していると考えた. Site Aは斜面の最上部に位置しており,砂礫地の礫は前述のように斜面下方へ移動し,砂礫地は拡大傾向にある.一方で斜面下方からは谷頭侵食が砂礫地の下端近くにまで迫っている.砂礫地下端よりも数m下方ではパイプ流の形跡が見られ,谷が形成され始めている.Site Aが位置する斜面においては斜面上方からの砂礫地の拡大と斜面下方からの谷頭侵食によって斜面全体の侵食が進みつつあると言える.Site Bには田村ほか(2004)が植被階状礫稿として報告した階段状の微地形が分布している.植被階状礫縞は,扁平な角礫が露出した幅数十cm~2mほどの「上面」(tread)と,ヤマツツジ(北~北東側斜面ではササ)に覆われた比高・幅とも30cm~1.5m程度の前面(scarp)で構成される.これらが作る列は,南~西~北側の斜面ではほぼ東西に伸び,しばしば分岐・合流する.上面は,南向き斜面においては南に2~10°傾き,急傾斜した前面とセットになって「階状土」の形態を示す.しかし,同一の上面を下方にたどると,その伸長方向(ほぼ西)に20~30°傾く「縞状土」の形態をとるようになる.「階状礫縞」という名称はこれに由来する.階状土的区間の全面の上端では,礫が植生に乗り上げていることが多い.また稿状土的な部分の下端は,ツツジ低木林にアカマツなど高木が点在する植生中に礫が入り込む形で止まっている.北東側斜面では,列が北西-南東方向をとるとともに,全面を覆うササが上面の縁にも進出し,礫の露出部が減少して,現在は礫の移動があまりないように見える.高さ1.5mでの気温の観測から植被階状礫縞上面を覆う砂礫地は冬季も積雪に覆われることなく,激しい温度変化にさらされていることが明らかになった.さらに断面の観察から階段状の形態を呈するのは地表面だけで堆積物直下の基岩は階段状を呈していないことが明らかになった.一方,植被階状礫縞の「前面」の部分にはツツジ群落が付き,根が堆積物の中にまで及んでいる.さらに,地表面の礫がツツジ群落へ入り込んでいる様子も認められる.以上から,植被階状礫縞の形成プロセスは,1.高木がなくなり,裸地となる 2.帯状植生が斜面最大傾斜方向と直行する向きに発達する 3.礫が最大傾斜方向へ向かって斜面上を移動し,帯状植生によって堰き止められる 4.礫が裸地と帯状植生の境界部分に堆積し,最終的には細粒物質も堰き止めるようになる 5.裸地と帯状植生の境界部分で堆積物の層厚が厚くなる このプロセスによって礫地は徐々に水平になり,帯状植生の部分は基岩とほぼ同じ傾斜を維持して,最終的には階段状の微地形を形成したと考えられる.
  • 瀬戸 真之, 高木 亨
    セッションID: 120
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    日本では地震・津波・火山・洪水・土砂災害など,さまざまな種類・規模の災害が頻発している.これらの災害は高齢化や人口の大幅減といった地方が抱える社会問題に大きな影響を与える.しかしながら,災害と社会問題との関連性については,これまで十分に検討されてこなかった.また,自然災害が多様性を見せる日本においては,個々の災害だけではなく,複数の災害を俯瞰して,そこから共通の社会現象を抽出し,モデル化することが今後の災害に対応していく上で極めて重要である.このことは複数の災害が複合した東日本大震災の例を見ても明らかである.本研究の目的は自然現象・規模の異なる複数種類の災害を比較して,復興プロセスや社会問題について共通項目を探し出し,さらにはモデル化して今後の災害復興や地域再生に役立てることである.本発表では火山災害の事例として2000年三宅島噴火(東京都三宅村),地震及び放射線災害の事例として東日本大震災(福島県川内村)を取り上げ,それぞれの被害と復興過程について,その共通点を見いだすことである.  三宅島では,2000年6月以来火山活動が継続し,大量のガスが噴出している.そのため,全村避難が長期間避難するという先例のない事態が続いた.2005年2月の避難指示解除で一般島民が帰島し,同年5月1日以降は観光客の受け入れも再開された.しかし、今後の復興にあたっては多くの課題が残されている.雄山では,中央の火口からSO2を含む火山ガスの噴出が続いている.そのため、三宅村は条例に基づき,火口周辺半径0.7~0.8kmの範囲を立ち入り禁止区域,それを取り巻く半径約2kmの範囲(中腹部の環状林道より上部)を危険区域に指定して,これら同心円状のゾーンには,観測・工事関係者以外の立ち入りを禁止している.観光業の復興が進められた結果,2005年5月から観光客の受け入れも再開された.受け入れ再開直後の観光客数は1日当たり約200人である.これは当初の予想を上回っており,民宿をはじめとする22軒の宿泊施設がこの時点で営業を再開した.観光客の主な目的は釣りとダイビングである.漁業の復興は,阿古地区にその漁港など関連機能を集中させており,2005年2月に復興後最初の水揚げがなされた.しかし,漁業は従事者の高齢化と労働力不足により噴火前の水準には戻っていない.  川内村は福島県双葉郡に位置し,東京電力福島第一原子力発電所から半径30km圏内に位置し,震災前の人口は約3000人であった.2011年3月11日の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故に放射線災害を受け,全村避難した.その後2012年2月に「帰村宣言」し,同年4月から役場機能を村内に復帰させた.川内村は過疎・高齢化・人口減少という多くの中山間地域が抱える社会問題を被災前から抱えていた.全村避難に加え,村の産業の柱ともなっていた農業や観光業が放射線災害のため,大きな被害を受けた.この結果,人口が大きく減少し問題はさらに深刻化した.一方で川内村は除染作業の進展が他の市町村と比べて早く,帰村のモデルともなっている.2013年10月の時点では完全帰村者は500m,避難生活と自宅との往来者を含めると1455名が帰村している.この段階に至るまで村では村営アパートの建設,ビジネスホテルの設置,村内への企業および再生可能エネルギーの誘致などを実施してきた.さらに村では2013年3月に「川内村復興計画」を策定し,「第四次川内村総合計画」と合わせて3~5年間の計画で村の暮らしと活力の基盤を確立するとしている.  復興プロセスをモデル化するにあたり,今回事例に挙げた三宅村と川内村との共通点を整理する.最も大きな被害は火山ガスと放射線で,物理的被害が少ない反面,広範囲で人が居住できなくなり,全村避難を余儀なくされている.復興過程をみると,両村共に第1の足がかりは行政機能の帰村であった.三宅村では大きく分けて,1.行政機能の帰村,2.産業の復活,3.観光の再開という段階を経る中で人口を回復させている.他方,川内村は2の段階が始まったばかりであり,今後時間をかけて産業を復活させていく中で帰村を促し,村の復興を実現していくものと思われる.ただし,放射線災害は火山ガスよりも長い時間軸で復興を考えなければならない.また,被災前から抱えていた過疎・高齢化・人口減少という社会問題が災害により深刻化したことは両村ともに同じであり,このことが復興の本質的な足かせになっていることは間違いないと考えられる.避難した村民が帰村に向けて抱える問題,不安等は三宅村と川内村とで類似点が多くある.三宅村の経験を川内村の復興に活かすことは十分に可能である.このためにも,今後はさらに事例を増やし,災害復興の一般モデルを構築することが重要である.
  • 黒木 貴一, 磯 望, 後藤 健介, 宗 建郎, 黒田 圭介
    セッションID: P044
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    2011年東北地方太平洋沖地震では東北地方の太平洋沿岸に巨大津波が襲来した。この津波は太平洋沿岸の広い範囲を水没させ,国土地理院の発表では,青森県から千葉県まで6 県62 市町村で合計561km<SUP>2</SUP>とされる。この地震により仙台・石巻平野では樹木高を越える津波が押し寄せ海岸部は広く浸水した。津波による被害は,家屋道路などの施設被害や耕作地の侵食や埋没被害も多かったが,時間経過後に影響が顕在化する耕作地の塩害も深刻である。土壌改良作業が見込めない宅地,樹林地,荒地などでは植物への影響が長びくと予想され,仙台平野の一部では樹木被害が調査された。また当該平野の伝統的景観の屋敷林「いぐね」は,樹勢低下し枯死するなどの被害も出ている。そこで本研究では,仙台・石巻平野を対象に実施した津波による植生被害のうち,景観を構成する生垣に関しその後数年間の経過を報告する。
  • 春山 成子
    セッションID: S0307
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    ナイル、メコン、アムールなどの巨大河川において地形学者としって共同研究にかかわった。これらの研究では隣接分野との連携、文理・工学・農学などとの共同研究によってはじめて分析が可能となったことが多い。今後、持続可能性に向け、地理学者が国際研究への参画、リーダーとして活動することが望まれている。
  • 身近な地域の水害リスクを事例として
    村中 亮夫, 谷端 郷, 飯塚 広志, 中谷 友樹
    セッションID: P069
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    I はじめに
     日本においては温暖湿潤な気候特性と同時に,沖積平野を中心に市街地が広がっていることから,程度の差はあれ身近な地域において水害に遭遇するリスクが存在する.この水害から自身の身を守るためには,水害リスクの地理的な条件や水害発生のメカニズムに対する理解を促す防災教育が欠かせない.そこで本研究では,水害発生の主要な素因である地形に着目し,地形図の読図やフィールドワークを通して身近な地域の水害リスクを防災マップとして地図化し水害リスクについて考える防災教育プログラムを実践する.本プログラムは,高校地理の学習内容である地形図の読図やフィールドワークの方法,氾濫原や自然堤防などの小地形に関する学習内容を活かすことで実現できる.
     本プログラムは,高校地理での学びを活用しながら身近な地域の水害リスクを防災マップの形で表現することで,これまで,抽象的ないしは方法論的な解説に終始しがちであった小地形ないしは地域調査の学習内容を,フィールドワークを通して具体的に理解させることも意図している.ただし,授業時間の制約から,本プログラムを高校地理の授業内で実施することが難しいことから,本研究では,まとまった探究活動の時間に活用できる総合的な学習の時間を活用する.また,本研究では,これまでの防災教育に関する研究において必ずしも十分ではなかった防災教育の効果を検証する分析的視点から,本防災教育プログラムによって高校生がどの程度,教科教育の学習内容と関連付けながら防災に対する理解を深められるかについても検証する.

    II 授業実践と分析資料の概要
     本研究で取り組んだ,高校地理の学習内容を活かした防災マップの作成による防災教育の実践とその効果の検証は,授業実践と生徒が取り組んだ課題やアンケート調査データの解析によって構成される.まず,本研究における授業実践は,2011年度に京都府立南丹高等学校(京都府亀岡市)の第2学年で開講された総合的な学習の時間「地域探究講座」において実施された.授業実践は,南丹高校の位置する亀岡盆地が桂川の氾濫による古くからの水害常襲地であることを考え,①「亀岡盆地における小地形と水害」に関する講義や学校周辺の洪水ハザードマップや地形図の読図に関する実習,②行政や自治会の防災担当の方への聞き取りを行ったりするフィールドワーク,③1グループ4~5名のグループ単位で講義やフィールドワークで得られた情報をもとにした防災マップの作成・プレゼンテーションを行った.
     高大連携に基づく地域探究講座は,同時に開講された経営学や民俗学,国際理解など全8つの講座のうちのひとつであり,本講座の受講生は第2学年の全生徒199名中22名(11.1%)である.本授業実践は,1年を通して実施される講座のうち2011年7月14・24日,9月15・22日,10月13・27日(計740分)に実施された.また,最終授業日に授業内容に対する理解や関心を問うアンケート調査を実施し,全22名の受講生から回答を得た.本研究では,アンケート調査のデータやプレゼンテーションの際に作成した発表用原稿を分析資料とし本授業実践の評価を行った.

    III 結果・考察
     授業実践では,日本における自然災害/水害の特徴とその発生要因を特に高校地理で学ぶ地形用語に焦点をあてて説明し,亀岡盆地における水害の歴史とその地形的特徴について解説した.そこでは,亀岡盆地の水害の特徴を理解させるために1/25,000地形図「亀岡」および『亀岡市洪水ハザードマップ』を活用し,高校地理で学ぶ地形図読図の方法についても講義・実習により修得させた.次に,フィールドワークでは,災害に対する備えや災害発生時に警戒活動や救助・救出活動などを行う警察官や消防団員,自治会防災担当の方からお話を伺ったり,防災備蓄倉庫の見学を行ったりした.さらに,防災マップの作成では,講義や実習,フィールドワークで得られた情報をもとに,地形と水害との関係に関する考察およびフィールドワークで得られた情報を盛り込んだ防災マップを作成するよう指示した.
     以上の防災マップ作成の取り組みについて,アンケート調査の結果からは,講義・実習で学んだ内容をフィールドワークで再確認することで,多くの生徒は地域の災害リスクに対して理解を深めていることが示された.また,防災マップ作成やフィールドワークが,地域の災害リスクに関する理解の手助けとなったとする回答が得られた.当日は,授業実践の詳細と同時に,その評価についても報告したい.
  • 小林 岳人
    セッションID: 720
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    現代社会のあらゆる諸活動が安全かつ効率的であるためには、確実なナヴィゲーションが根幹に存在している。諸活動において「移動」は必須である。ナヴィゲーションでの失敗、いわゆる「道迷い」は、多くの諸活動において深刻な問題を引き起こす。道迷いは災害時や遭難などでは、命にかかわる問題となる。先の東日本大震災など自然災害に見舞われることが多い日本においては人々にとってナヴィゲーションは不可欠な技術であり、人間にとって「生きる力」、つまりライフスキルそのものである。こうしたことから、ナヴィゲーション技術は、学校における教育活動の中に位置づけることが必要である。これは、地理の学習指導要領の中の地図の学習に盛り込まれているように、地理教育に位置付けることがふさわしい。しかし、地理教育においてナヴィゲーションの学習に関する蓄積は乏しい。新学習指導要領実施に伴い、ナヴィゲーションの学習についての授業実践、教材開発、教育研究は喫緊の課題である。ナヴィゲーションの学習を地理学習の中で効果を上げるための方策として、ナヴィゲーション技術を競い合うオリエンテーリング競技からの知見を活用した。学習者はナヴィゲーション技術における効果を実感した。しかし、実践が選択科目クラスであり20名程度の少人数であるようにこの授業実践は限定された状況下でのものであった。今回の授業実践は発表者が受け持っている千葉県立松戸国際高等学校第1年次地理A受講者男子58名女子107名計165名及び第3年次地理B受講者男子12名女子20名計32名の合計197名を対象として行った。より普遍性を伴った授業実践にするためには、クラス単位の必修科目を念頭に従前の実践のほぼ2倍の人数である40人程度の生徒を対象にしての実践が可能であるかを見極めることが必要である。男女別の2種類のコースとして2名が同時にスタートすることによって、人数が増加した分も授業時間内での実施が可能となる。これは、コントロールの設置数の増加や地図印刷等については事前に十二分に準備時間をとることによって対応する。よって、スタートの処理とフィニッシュ後の処理が速やか行えるかが見極め点となる。これらについては第1年次の地理の授業実践にて見極めることができた。オリエンテーリング競技では地図を読みながら具体的に移動を伴うため、読図能力(技術力…知力)と移動能力(走力…体力)が問われる。そこで、移動能力を長距離走の能力、読図能力を地理の考査得点とそれぞれ対応させ、これらとオリエンテーリングの競技結果の関係を求めた。まず、各回の完走者と失格者それぞれの地理の考査の平均得点を比較した。男子では有意な結果は出なかったが、女子では完走者の地理の考査の平均得点が失格者よりも明確に上回った。次に完走者についてオリエンテーリングの各回の所要タイムと持久走及び地理の考査得点との相関関係を算出した。男子では地理の考査得点との相関関係が有意になった。女子では初回は地理の考査得点との相関関係が有意であったら、2回目以降は持久走との相関関係が有意になった。地理考査得点がナヴィゲーションに大きく関与している。女子ではまず完走するには地図読図能力が影響する。そして、完走者の中では持久走の能力が所要タイムに影響し、回を重ねるにつれてその影響は大きくなる。男子では地理の考査得点が所要タイムに大きく影響する。校内敷地という生徒にとって、よく知っているような場所にも関わらずこのような結果が得られたことは、地図の学習がいかに重要かを重く受け止める必要があろう。ただ、ナヴィゲーション技術は地図読図能力と移動能力それぞれを鍛えればよいということではない。相関係数の値からもわかるように説明力はそれほど大きくはない。移動しながら情報処理をする能力がナヴィゲーション能力である。ナヴィゲーションという野外でのスキルの習得が、学校内で通常の授業時間内での活動によって可能であり、効果的であるということの意義は大きい。学習指導要領解説地理の「見知らぬ土地を地図をもって移動すること」の真の意味での実践は、校外での活動にある。例えば宿泊を伴う林間学校のような活動や日帰りの遠足のような活動での一つとしてオリエンテーリング実習をすることなどがあたる。今回の研究の成果として、こうした活動における事前学習が校内でも十分に可能であるという点もあげられる。実際に授業での実習を経験した生徒の多くが他のところで是非オリエンテーリングをやってみたいと思っている。また地理の授業でオリエンテーリングというスポーツ競技を行うことによって持久力向上をめざす学習において保健体育科とのクロスカリキュラム的な効果やコラボレーションの可能性も追求できた。地理学習の他、他教科、校外活動、日常的な行動等に及ぶ有益な学習となるだろう。
  • 野上 道男
    セッションID: 218
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     中国史書によれば2世紀末に倭国に「乱」があり、それを契機に卑弥呼が国王に共立された、という.日本の歴史における古代はここに始まると見て良いであろう.結論を先にすると「倭国乱」は冷夏による2年続きの飢饉で起きた社会不安と食を求める民衆の流浪が実態であり、戦乱ではない.冷夏の原因はタウポ火山(NZの北島)の大噴火である.
     以下の項目について、検証した(ここでは内容の詳細は省略).
    1)氷床コアの記録: 2)中国史書の記録:3)古事記・日本書紀の記事:
     崇神7年は豊作だった.豊作で2年続きの「疾疫」が治ったのであるから、それが栄養失調症であったことをうかがわせる.さらに崇神12年の条には天皇が回顧して言う言葉の中に「寒さ暑さ序を失えり.疾病多に起こりて、百姓災を蒙る」とある.つまり疾疫が農と関係する栄養失調症であり、その原因は異常気象であったことがさらに明確に述べられている.
     伝染病の大流行によって土地を捨てる流民は発生しないだろう.食を求めて「百姓流離」と解釈する方が自然である.魏志韓伝の同時代にも、後漢が植民地支配していた楽浪郡の郡県から韓人の流民が起こったとの記事がある.中国の黄巾の乱(民衆蜂起)や流民の発生は凶作飢饉が原因である.民衆は課税の対象である水田を捨て、冷夏に強いドングリなどの果実が豊富でヒエ・アワなら稔る落葉広葉樹林帯に疎開したのであろう.
     非農業人口が多く稲作依存率が高い地方(弥生時代の先進地域、すなわち九州地方北部)ほど冷夏飢饉の影響は深刻だったはずである.クラカタウ火山大噴火による宣化元年(536年)の飢饉の際にも、各地の屯倉の米を那の津(博多港)の倉庫に集めるよう、勅令が出されている.
  • ―(2) 子どもと大人では捉え方が違うのか?―
    松山 洋
    セッションID: 206
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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  • -「微地形と地理学」グループ発表①
    黒木 貴一
    セッションID: 625
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    定性的な微地形区分とその分布解釈により,湿潤温暖地域におけるわが国の丘陵地や氾濫原の自然災害に関わる地形形成過程の検討が進んだ。その区分や分布は主に空中写真の判読から示されるが,空中写真等の実体視による地形図への手作業での移写には常に不確実性が伴う。今日,衛星画像や地形標高モデル(DEM)から詳細に地形が読み取れ,より正確な微地形区分も可能になった。ただ氾濫原の微地形分布図から災害予測される一方で,DEMによる氾濫シミュレーションでの災害予測もあり,微地形区分とDEMの融合活用はまだ少ないと感じる。また氾濫原に対する微地形区分では社会経済活動が行われる堤内の自然堤防,旧河道などが注目され,堤内より地形単位が小さく居住地もない堤外に関しては,植生との関連検討以外は微地形にあまり関心が払われて来なかった。そこで本発表では,最近3年間に実施した堤外の微地形分析の結果を基に,微地形をDEMにより区分する方法,区分結果を定量化する方法,自然災害との関連を提示しやすい表現方法と適用例を紹介する。
  • 荒木 一視
    セッションID: S0308
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    日韓中地理学会議は昨年夏に福岡市の九州大学を会場として開催された会議で第8回を数えた。これまでの経緯と会議の特徴を紹介し,今後に向けた検討ができれば幸いである。この会議は上記の通り日韓中の3カ国が持ち回りで毎年開催されている。第1回と第2回の正式な会議名称は「Sino-Japan-Korean Symposium of Young Geographers」及び,「Second Japan-Korea-China Symposium of Young Geographers」(日中韓若手地理学者会議)であったように,若手を中心とした企画として始まった。第1回は中国地理学会の下部組織である青年地理工作者委員会の周年記念企画として開催され,単発の会議であった。その折の参加者の中から第2回の開催を望む声が上がり,荒木が北京会議の日本側参加者に声をかけ第2回の開催を企画した。第3回は第2回に参加した大韓地理学会の李会長(当時)が積極的に関与し,清州大学で開催され,以降3ヶ国での持ち回り体制が確立する。 第3回以降「若手・Young」の語は会議の正式名称から外れるが,基本的には大学院生や職について10年以内のいわゆる若手がこの会議の中心的な役割を果たしてきたことは紛れもない事実である。それはまた,欧米中心の枠組みに対してアジアの枠組みを提起したい,そのためにはアジア域内の次世代の若手地理学者が直接交流できる舞台を作る必要があるという当初の会議の意図をくむものであったともいえる。 また,回を重ねるごとに規模も拡大し,第2回熊本会議で50名程度であった登録者数は,第5回線大会議で100名を超え,第8回福岡会議では150名に達するまでになった。また,今後は日韓中3ヶ国の枠組みを,東南アジアをはじめとしたアジアの広い地域に拡大していくべきではないかという方向性の検討も始まっている。
    順調に規模を拡大してきた会議であるが,それにかかわってさまざまな課題もでてきている。1つには3ヶ国それぞれのお国事情の違いとその摺り合わせということである。2つには規模の拡大とそれへの対処についてである。 既に示したように,第1回の開催以降中国側では中国地理学会青年地理工作者委員会が中心になって本会議とかかわってきた。一方,韓国側では大韓地理学会会長及び同国際交流委員が少なからぬ役割を果たしてきた。これに対して日本側は,特定の組織を持たずに有志の集まりを造り,半ば勝手連的な集団を形成して会を運営してきた。規模の大きくない段階ではこうした違いはあまり顕在化しなかったが,この先さらに規模が拡大するのであれば,3ヶ国を跨ぐような,より統合された組織が必要になってくるのかも知れない。一方で巨大化しすぎることで当初の若手のインキュベーターとしての役割が失われることを危惧する声も少なくない。 いずれにしても,(東)アジアという枠組みの中で,地理学者が相互に交流できる枠組みはこれまで存在していなかった。2ヶ国間や特定の分野においてはこれまでにも交流が無かったわけでは無い。しかし,地理学という枠組みと3ヶ国という枠組み(多国間の枠組み)においての試みは本会議が最初ではなかろうか。逆に,なぜ今までこのような会議が実現しえなかったのかということも考えてみる必要があろう。あるいは,報告者の個人的な経験であるが,アメリカ地理学会の事情やIGUの委員会の事情などを(少なからず)自慢げに語る方がおられた。その一方で,隣国の地理学会事情を知る人は少なく,学会間の有効なパイプも存在していなかった。本会議の立ち上げにかかわって,こうした状況に対する報告者の疑問が根底にあったのは事実である。なぜ,隣国の関連学会との間に交流が乏しいままであったのか。 しかしながら,これまでの会議の運営を通じて,隣国の地理学者達と少なからぬ信頼関係を築くことができた。それはようやく舞台を作ることができたということでもある。願わくは次なる世代がこの舞台で軽やかなステップを踏んでくれることである。
  • 小田 匡保, 近藤 碧
    セッションID: 824
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     地理学においては、都市やその周辺部のいわゆる公園墓地の研究はほとんど未着手である。本発表は、墓地台帳を主な資料として、横浜市における平成期の民営墓地の立地や空間構成などについて考察する。明らかになったことを列挙すると、以下のとおりである。
     1. 2000年代には、宗教法人墓地の増加が個人墓地の減少を上回り、全体として墓地数が微増している。
     2. 2000~2003年は新設墓地数が多い。これは、要件の緩和や経営許可申請手続きの変更が関係していると考えられる。
     3. 小規模な墓地が、ある程度コンスタントに新設されている一方で、スケールの大きな墓地は、10,000㎡未満でより大規模なものの割合が増えている。
     4. 新設墓地は内陸中央部への立地が多く、海岸部に少ない傾向がある。
     5. 旧市域は小規模な墓地の新設が多いが、新市域では中規模、大規模な墓地の立地が多い。
     6. 墓地と経営主体との位置関係では、宗教法人が隣接地に墓地を新設する例が多いが、新市域区では、市内の離れた場所(別の区)にある宗教法人が墓地を開発する割合が相対的に高い。
     7. 墓地開発以前の土地利用は、樹林地、次いで田・畑であったケースが大部分であるが、旧市域では宅地の跡地が墓地に利用される場合も少なくない。
     8. 墓地内部の空間構成については、緑地率30%以上という条例等の基準が、緑地の割合維持に貢献している。
     9. 条例等の規定により、駐車場・管理事務所・便所・通路等を含む「その他」の面積の割合が増加し、その影響で逆に墳墓面積の割合が低下している。
     本発表全体として、新設墓地の立地や空間構成には、条例等の法的規制が強く影響していることが指摘できる。
  • 原 将也
    セッションID: 517
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1. はじめに
    ザンビアでは,独立以降の市場経済化にともなって人びとの流動性が高まり,農村から都市への移動が増加した.構造調整プログラムが本格化すると,失業率の上昇や物価高といった都市の生活環境は悪化し,農村へと移動する都市居住者がみられるようになった.ザンビアでは,従来から親族やクラン,民族といった系譜でたどれるつながりを基本として村が形成されてきた.しかし人びとの流動性の高まりは,農村における民族構成にも影響を及ぼし,異なる民族が暮らす農村も多くみられるようになってきた(島田2007).本発表ではザンビア北西部の多民族農村を対象に,そこに暮らす人びとの移住経験をたどることで,多民族が混住する農村が形成されてきた背景を検討する.移住者を含めた人びとが現在,どのように生活を維持しているのかを検討するなかで,明らかになってきた民族間における人びとのつながりに,日常生活の視点から注目していく.
    2. 調査地概要
    調査地は,ザンビア北西部州に位置するS地区である.S地区はカオンデという民族の領域であるが,現在ではカオンデ以外にもルンダやルバレ,チョークウェ,ルチャジという民族が居住している.ザンビア北西部に最初に居住しはじめたのはカオンデといわれ,19世紀末までに現在のコンゴ民主共和国南部から,クランごとに分かれて移住してきた(Jaeger 1981).カオンデの人びとは5世帯ほどの小さな自然村を形成し,村より上位の行政区分として約20か村がまとまった地区を形成している.
    3. S地区にみられる移住形態
    カオンデ以外の民族の人びとは1970年以降に,民族間の近接性や言語の類縁性の高さ,カオンデ社会が分節的であることから受け入れられ,ほかの農村や都市から移住してきたと考えられる.とくに都市から移住してきた人びとのなかには,親族や民族といった系譜でたどれるつながりではなく,都市における友人や隣人のような個人間のつながりをたよって移住してきた人も多い.
    4. 生業活動とキャッサバのやり取り
    S地区に暮らす人びとは,農耕を営んでいる.焼畑であるキャッサバ畑やモロコシ畑,化学肥料を用いた常畑のトウモロコシ畑を耕作している.人びとが栽培している主食作物の組み合わせは世帯によって異なり,モロコシを栽培する世帯はカオンデの世帯のみであった.一方でカオンデ以外のルンダやルバレ,チョークウェ,ルチャジの世帯は,キャッサバとトウモロコシを組み合わせて栽培していた.モロコシやトウモロコシを中心に栽培する世帯にとって,食料不足に陥る端境期に主食を確保することは課題である.キャッサバのイモは肥大すると畑に保存できるため,年間を通して収穫できる.そのためモロコシやトウモロコシの端境期には,キャッサバを利用することで主食を確保する.キャッサバを栽培していないカオンデの世帯では,カオンデ以外の世帯からキャッサバのイモの提供を受けることがある.このとき人びとは親族や民族のつながりだけではなく,友人や隣人のように居住地における個人間のつながりをたよってキャッサバを確保している.キャッサバが地域内でやり取りされることで,食料を確保しているのである.
    5. まとめ
    都市から農村への移住において利用されていた個人的なつながりは,農村生活を営むうえでも欠かせない.人びとは,みずからをとりまく環境の変化に柔軟に対応しながら生活する一方で,食料不足や病気といった困窮どきには,他者との紐帯によって対処する.S地区においては,系譜でたどることができる親族や民族のようなつながりだけではなく,友人や隣人といった個人的に築かれるつながりが,日常生活を維持していくうえで重要になっている.
    参考文献
    島田周平2007. 『アフリカ 可能性を生きる農民 環境―国家―村の比較生態研究』 京都大学学術出版会.Jaeger, D. 1981. Settlement Patterns and Rural Development: A Human Geographical Study of the Kaonde Kasempa District, Zambia. Royal Tropical Institute.
  • 清水 長正, 傘木 宏夫
    セッションID: P047
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    山地斜面の空隙から冷風を吐出する風穴の利用例として従来最も普及したのが,幕末ころに開発された蚕種を風穴へ冷蔵して孵化を抑制し養蚕の時期を延長させる手法である。明治期における蚕糸業の振興に伴い,そうした蚕種貯蔵のための風穴の利用が各地で実施され,大正期までに全国でおよそ300以上もの「風穴小屋」(蚕種貯蔵風穴)が造られ,天然冷蔵庫として管理・経営されていた。蚕糸業は当時の基幹産業であり,全国各地にあった蚕種貯蔵風穴は,農商務省によって所在地の村名字名・所有者・蚕種貯蔵枚数などが調査されている。調査結果のリストは,長野県蚕病予防事務所(1905)『長野県蚕病予防事務成績』,久保田松吉(1909)『日本風穴蚕種論』,柳澤 巌 (1910)『風穴新論』,農商務省農務局(1914~1919).『蚕業取締成績』,秋田営林局(1936)『風穴』 などに記載されている。蚕種貯蔵風穴は大正後期以降電気冷蔵庫の普及により漸次廃止され,昭和期に一時的に植林の種子・苗木の貯蔵に再利用されたが,現在ではごく一部で冷蔵の利用が継続されているもの復元されたものを除き,大半が放棄されたままとなっている。『蚕業取締成績』に記載されている蚕種貯蔵風穴の現状について,群馬県教育委員会が全国都府県教育委員会に依頼して各市町村が調査した結果でも,多くが現状不明で(群馬県教育委員会 2009.『全国の蚕種貯蔵風穴跡の現状』),所在が明らかなものも位置情報がない。風穴小屋跡が天然記念物や史跡に指定されている例は,国指定で11箇所,県や市町村の指定で8箇所であり,300ほどもあった蚕種貯蔵風穴に対して極めて少ない。地元でも文化財としての風穴の価値が認められていない証左であろう。国指定以外では文化財であっても地形図に注記がない場合があり,位置がとらえにくい。山中に放棄された風穴小屋跡は,位置も全く不明なものが多い。そこで,それらを記録すべく上記の明治期以降の蚕種貯蔵風穴の資料などをもとに,全国風穴小屋マップ(蚕種貯蔵風穴と種子貯蔵風穴など)を編集・作成した。方法は,上記の明治期以降の資料のほか一部市町村誌などに個別にリストアップされた風穴名と所在地(当時の村名字名)を全て書き出し,さらに以下の現地調査により確認された種子貯蔵風穴なども加え,全国風穴小屋一覧表を新たに作成した。それを基に,該当する町村字名を2万5千分の1地形図上で探し,全国地形図索引図へ概略位置をプロットし,全国風穴小屋マップを編集した。全国風穴小屋一覧表には,位置する地形図名と近傍の注記も付記した。より詳細な風穴の位置情報は欠くことができないが,それが記載された資料はきわめて少ない。そこで,現地で風穴の位置確認を継続中で,これまでに全国で125箇所以上の蚕種貯蔵風穴・種子貯蔵風穴の跡を確認した。 確認された個々の風穴では,2万5千分の1地形図上での位置・風穴小屋跡の大きさ・周辺の地形などを記録した風穴調査票を作成した。また,全国風穴小屋一覧表には,現地確認された風穴と信頼できる資料によって位置が特定された風穴は,経緯度・標高などのデータを加えた。
  • 地域資源としての位置づけに着目して
    中牧 崇
    セッションID: 311
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    本発表では、山形県真室川町と群馬県沼田市(旧利根郡利根村)における森林鉄道の保存機関車(かつて林野庁で使用)の活用についての相違を、地域資源としての位置づけに着目しながら明らかにするものである。
    真室川町の場合、当初ディーゼル機関車は歴史民俗資料館の展示物であったが、現在は観光資源としての価値が高まった。これは機関車の所有権が林野庁から町へ移ったこと、機関車の動態保存が可能になったことによるが、特に機関車の活用について、譲渡の申し入れの時点から関わってきた前町長のイニシアチブによるところが大きいといえる。
    沼田市の場合、一時期商工会が蒸気機関車の観光資源化のプランを探ったが実現しなかった。これは機関車が林野庁の研修資料であり、その所有権が一貫して林野庁にあったことによる。しかし、蒸気機関車をはじめとする機関車の産業遺産としての価値が高まった点で、修復作業の中心となったボランティアグループの役割は大きいといえる。
  • 小野 映介
    セッションID: S0506
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    Ⅰ はじめに:はたして氾濫原に流入したフロンティアたちは,どのように微地形を利用したのであろうか.弥生時代以降における氾濫原の地形環境と人々の居住地選択について考えてみたい.
    Ⅱ 弥生時代の地形環境と居住地選択:河川は氾濫原において,アバルジョン(avulsion)を繰り返しながら徐々に土砂を充填させる.河川が向かった先では洪水堆積が活発化し,メアンダー・ベルト(meander belt:以下,MB)を形成するが,そこから外れた地域は静穏な堆積環境となる.放棄されたMBは洪水による湛水のリスクが少ないために古くから居住地として利用されてきた.一般的に,氾濫原に立地する集落は弥生時代中期に急増するが,それらは弥生時代前期〜中期に生じたMB上を選んで立地する傾向が認められる.一方,後背湿地や旧河道は水田として利用されたが,相対的な低地は洪水の影響を受けやすかったようで,洪水による土砂の堆積を受けて埋没した水田が日本各地で発見されている.例えば,河内平野の池島・福万寺遺跡では,土砂の堆積を受けるたびに造成し直された水田の様子が明らかにされている.他方,岡山平野の百間川原尾島遺跡のように大規模な洪水を受けて,そのまま水田が復旧されなかった例もあり,洪水被害を受けた人々が生業の場である水田を「復旧して住み続ける」もしくは「放棄して移住する」という選択を迫られる場面があったことが示唆される.また,矢作川下流低地においても弥生時代中期に人々の活動の活発化が認められるが,その痕跡は後期に連続しない.その理由としては,河川氾濫の活発化が指摘されている.また,この様な地形環境の悪化の際には,氾濫原に接した段丘上に集落が増加したという報告もあり,環境要因を反映した「高低移動」が行われた可能性がある.
    Ⅲ 平安時代における微地形の変化:弥生時代に形成されたMBは,その後の洪水堆積物によって覆われ,現地表面下浅部に伏在している場合が多い.現地表面のMBはそれよりも新しく,とくに大河川沿いにみられる比較的規模の大きなものは,近世以降に発達したと考えられている.一方,派川沿いに断片的に分布するMBについても,発達の時期が明らかになっている.例えば越後平野の氾濫原におけるMBの形成は約1,000年前(平安時代半ば)以降であったと推定される.また,これとほぼ同時期に発達したものは濃尾平野においても認められる.氾濫原には木曽川の派川群のMBが認められるが,それらは1,200~1,000年前(平安時代前半から半ば)に河川の土砂供給様式が静穏な堆積型から洪水堆積型へ変化した際に発達したとされる.これら平安時代以降に発達したMB上からは,以後の様々な時代の遺物や遺構が出土しており,現在も居住地として利用されている場合が多い.こうした遺跡の分布は,氾濫原にあって洪水のリスクが低く,居住に適した地形は限られており,また,人々はその範囲内で居住してきたことを示す.弥生時代以降の微地形への適応的居住は,基本的には現在まで受け継がれるが,中世に入るとそうした居住形態からの脱却が試みられるようになる.
    Ⅳ 自然環境の人為的改変にともなう住環境の変化:自然条件に規制された土地利用からの脱却が一般化・大規模化したのは中世〜近世に入ってからのことである.中世〜近世における河川の付替えや築堤は,沖積低地の都市・農村における定着的な生活を可能とした.一方で,人々による地形発達への介入は新たなタイプの洪水を生んだ.「築堤→天井川化→外水氾濫(破堤洪水)の頻発」という図式は,近世初頭に治水工事が施された大河川に共通する.なかでも,上流部に風化した花崗岩地帯を有する地域における天井川の発達は顕著で,その代表例が矢作川である.矢作川の大規模改変は16世紀末から17世紀初頭に実施された.その結果,沖積低地では新田開発が進んだが,河床は徐々に上昇し,18世紀になると洪水が頻発するようになる.そうしたなかで,洪水の激化に耐えきれずに低地での居住を諦める人々も現れた.また,地形環境の悪化は沖積低地にとどまらず,矢作川沿いの低位段丘においてもエクメネの消失が生じた.低地北部の西縁の低位段丘には,水入遺跡と呼ばれる旧石器時代から江戸時代後半まで営まれた複合遺跡が立地していた.しかし,近世の築堤にともなう天井川化によって,段丘は堤外地へと組み込まれ,長らく続いた集落は廃絶した.段丘を覆う天井川堆積物はシルト〜極粗粒砂からなり,その層厚は4mを超える. 沖積低地の形成以来,人々はそこに住み,自然の恩恵を受けながらも洪水のリスクと隣り合わせに時を送ってきた.埋没した遺跡から,我々は土地の履歴を学び,それを生かして住まうべきであろう.
  • 海士町CAS事業の事例
    上村 博昭, 箸本 健二
    セッションID: 424
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに
     これまで,流通地理学,農業地理学,漁業地理学などの研究において,小売業・卸売業の流通・配送システム,製造業における部品の供給体制,第一次産業での農水産物の出荷・流通システム等が明らかとなってきた.このような大規模流通システムの一方で,小規模な事業体は直売所などローカルレベルでの流通・販売を行う傾向にある.しかし,ローカルな市場は相対的に小規模であるから,事業規模を拡大するには,近在の都市部,あるいは大都市圏への流通・販売の展開が模索される.この際,都市部へ進出する事業者には,大規模流通への対応,ないしは大都市圏で独自のマーケティング活動を行うことが必要となる.
     実際,近年では農商工連携など行政施策の展開もあって,離島や農山村など,経済活動に関して条件不利性を持つ地域の主体が,都市部への流通・販売を模索する動きがみられる.離島には本土と比べて流通面での不利性があるため,大規模流通システムへの対応,ないしは都市部でのマーケティング活動への障壁は大きいと考えられる.しかし,こうした事業活動のなかには,都市部に一定の販路を確保し,継続的な取引(流通・販売)に至った事例がみられる.そこで本報告では,こうした事例を採りあげて,条件不利地の中小事業者が,如何にして都市部への流通・販売を行い得たのかという点を,事業モデルをふまえながら議論する.本研究の分析にあたり,2013年6月と9月にヒアリング調査を実施したほか,事例事業の資料分析を行った.
    2.対象事例の概要
     本報告の事例は,島根県隠岐郡海士町のCAS事業である.海士町は,松江から約60km北方にある離島であり,島内に空港はなく,フェリーで3時間程度を要する.海士町では,2000年代初頭から地域振興政策が展開されてきた.本報告の事例であるCAS事業は,その一環として2005年度から開始された.海士町では,以前から鮮度の低下による魚価低迷を課題とし,食品冷凍技術であるCAS(Cell Alive System)を導入して流通圏を拡大することが試みられた.
     このCAS事業は,発行済株式の9割以上を海士町役場が保有する(株)ふるさと海士が担っている.CAS事業の事業内容は,海士町内の漁業者,養殖業者から仕入れた水産物(主にケンサキイカと岩ガキ)のCAS凍結加工,ならびにCAS加工品の販売である.行政施策とリンクした事業活動であるため,海士町外での委託製造や,海外産,島外産の安価な加工原料の仕入れなどはみられず,海士町産の原料,海士町内での加工が原則となっている.
     CAS事業の2012年度における年間販売額は,約1億2千万円である.このうち,レストランや直売所など,(株)ふるさと海士内の部門間移転を除く対外的な販売額は,約1億620万円(88.5%)で,CAS事業を開始した2005年度の約4倍にあたる.こうした事業拡大の背景にあるのが,都市部への流通・販売である.2012年度の販売金額(社内の部門間移転を含む)でみると,総販売額の6割強(約7,200万円)を関東で販売するなど,島根県外での販売額が全体の82.2%を占めている.
    3.本研究の知見
     CAS事業は,離島でCAS凍結加工を行っているため,大都市に向けて流通・販売する際,フェリーの欠航リスク,輸送コストが課題となる.前者の欠航リスクについては,鳥取県境港市に大口取引先へ供給する加工品を保管する倉庫を確保することで対応するとともに,後者の輸送費には,大手運送業者のY社を使うことで対応した.Y社は,離島料金を取っていないため,輸送コストは島根県内の本土と同一であるため,課題は克服できた.ただし,Y社も海士町からの輸送にフェリーを使うため,欠航リスクは避けられず,(株)ふるさと海士は本土側に倉庫を必要とした.
    都市部での流通・販売に向けたマーケティング戦略としては,大手のスーパーマーケット・チェーンなど低い仕入価格,大ロットかつ安定的な供給を求める小売主体はマーケティングの対象とせず,相対的に高い卸売価格を許容し,大量供給を求めない中小の飲食店や高級スーパーとの取引を戦略的に模索した点に特徴がある.さらに,(株)ふるさと海士の経営幹部が取引関係にある飲食店のイベントに参加するなど,人的関係の構築を含めたマーケティング活動を展開してきた.
     一方で,(株)ふるさと海士の経営は,海士町役場の支援を前提としている.加工施設・設備は町役場の所有で,指定管理者制度で委託されているほか,毎年の補助金投入によって,黒字経営が維持されている.そのため,民間資本による事業活動と本事例とを.同列で論じることはできない.しかし,公的資本による事業活動であっても,事業活動である以上,マーケティング,流通・販売への対応が必要となる.
  • 伊藤 悟, 鵜川 義弘, 福地 彩, 堤 純, 井田 仁康, 秋本 弘章
    セッションID: 705
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本報告では、石川県金沢市の卯辰山麓寺院地区を事例に構築したシステムを紹介する。同地区は、金沢市内に現在4カ所ある重要伝統的建造物群保存地区の1つに、種別を「寺町」として2010年選定された。尾根と谷の入り組む山麓で、藩政期は城下町縁辺にあたった場所のため、見通しのきかない複雑な道路網を今なおとどめ(図1)、また住宅等の土地利用も混在する。このため、「重伝建」らしい連続かつ一体の「寺町」景観を期待して、ここを訪問すると、戸惑いを感じる人も少なくない。そこで、このような場所でこそ、ARを利用して、どこに、どのような寺院があるかの情報を提供できれば有用と考え、対象地域とした。
    本システムでは、ドイツ metaio 社が提供し、iPhone や Andriod で動作する ARブラウザ junaio を利用する。各種ARブラウザのなかで junaio を利用する理由は、まず無料配信されていることが大きい。これは予算の限られた教育利用では考慮されるべき点であろう。次に、GPS等の位置情報を援用して、コンテンツが提供できるからである。地理教育には重要な機能である。さらに、Channel というフィルタにより、コンテンツの絞り込みができるからである。多種多様なコンテンツが混在して見えてしまう他のARブラウザでは、教育利用には不都合な場合もある。
    システム構成では教育用として、① スマートホンやタブレット端末により、野外でも情報を軽快に閲覧できること、② 他方で、様々な情報を、教師や生徒が容易に書き込めること、の2点を特に考慮した。このため、野外で閲覧する AR情報(図2~3)を選別する一方で、より詳しい情報は、誰でも操作しやすいブログとの連携により収集・提供することとした。本システムの実物は、今大会のポスター発表の場において、デモンストレーションしたい。
    本報告と共通タイトルを付けた直前報告はともに、科学研究費補助金『ユビキタスGISとAR技術に基づく地理・環境・防災教育の深化』(基盤研究B、代表:伊藤 悟)による成果の一部である。
  • 日豪関係を中心に
    松浦 直裕
    セッションID: 716
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 発表者の勤務校・石川県立金沢伏見高校には国際文化コースがあり、2年で語学研修としてオーストラリア・シドニーへ3週間行っている。更に2年の「国際交流」という科目の中で「Hello Australia」というテキストを使い、英語で「オーストラリア英語」、「シドニーなどの概要、観光地」、「アボリジニ」、「オーストラリア特有の動植物」、「豊かな自然環境と環境保護」、「歴史」、「多文化社会」、「日豪関係」などの内容を通して1年間オーストラリアについて学習している。しかし、英語のテキストを使い英語を学んでいるだけであった。発表者はこのように語学研修で現地理解が十分行われていない状況を明らかにした1)。 そこで、どのようにすればオーストラリア理解が進むか検討し、「日豪関係」を中心とする主題学習を行うことにした。学習を進めるに当たって「身近」であることが重要な要素になると考え実践した。「身近」であることで生徒自身の興味・関心も高まり主体的な学習が行える。 2.オーストラリア学習の取り組み オーストラリアを対象に「日豪関係」に絞って主題学習を行った。主題学習の内容は次のとおりである。テーマ①捕鯨問題      ②教育(日本語教育、日本人学校等)      ③オーストラリアに渡った日本人(高須賀穣2))      ④貿易      ⑤戦争 日本人捕虜脱走事件「カウラ事件3)」日 程 レポート作り2時間、発表1時間 また、主題学習以外にもオーストラリア概論(教科書等と使って4時間、内容:国旗、各州、自然(地形、気候)、多文化社会、白豪主義、アボリジニ、歴史と入植、鉱産資源、農業、アジアとの関係等)、DVD視聴(3時間)ドラマ「あの日、僕らの命はトイレットペーパーより軽かった」。(DVDは1944年にあった日本人捕虜脱走事件「カウラ事件(注2)」をドラマ化したもの)やオーストラリア出身ALTによる講義(1時間)も行った。 3.終わりに オーストラリアについて日豪関係を中心に学習したが日本との関係のあることを中心に学習することで「身近」に感じ、意欲的に学習することができた。生徒の感想をみると「オーストラリアについて全然知らなかったけど色々なことを知ることができ良かった」、「語学研修でシドニーに行ったけど、日豪関係についてあまり知らなかった。この学習を終え、日豪は貿易でも、戦争でも結構深い関係にあることが分かった」等オーストラリア理解が進んだことが明らかになった。
  • 中国と香港の比較
    吉田 剛
    セッションID: 714
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    我が国地理教育研究において中国/東アジア共通の地理カリキュラムの特徴が十分に明らかにされていない。そこで本稿では先行の吉田(2012, 2013a. b. c)を踏まえ,とくに中国と香港の比較から東アジア華人社会の地理カリキュラムの特徴について分析・考察する。対象は中学校段階とし,中国は地理課程標準(2年間)(2011年版)と香港は地理カリキュラムガイド(中学校1-3)(2010年版)とする。
     中国(2011年版)の主な特徴は次のとおりである。1)カリキュラム理念:①生活と地球地図・世界/中国/郷土地理,②生涯学習と価値態度(SD等),③教材開発・学習環境・学習方法の充実。2)目標:①知識技能:地球地図の基礎知識/自然と人間との関係/地域差,郷土中国世界の関係,環境・社会問題,地図・地理情報・調査等の技能,②過程・方法:思考過程,概念活用と分析判断,問題解決,表現・交流,③情意態度価値観:興味関心,郷土国家愛,世界の伝統文化民族の尊重と一体感,SD・防災・環境保護・行動等。3)内容:①地球と地図(地球と地球儀・地図),②世界地理(海洋と陸地・気候・居住・地域発展の差異・認識地域:1大州-4地域-5国の選択で全大州に及ぶ),③中国地理(国土と人口・自然環境と自然資源・経済と文化・地域的差異・認識地域:必修/北京・台湾・香港・マカオ,選択/5つの規模の異なる地域),④郷土地理。4)構造性:スキル学習→(系統地理的学習→選択式地誌的学習)×世界諸地域・国内→郷土調査学習。中国地誌では方法知としての地理的基本概念を潜在的に説明:位置と分布・関係と差異・環境と発展。
     香港(2010年版)の主な特徴は次のとおりである。1)カリキュラム理念:学問地理,学校地理,多重なシティズンシップ。2)目標:①基本(知識理解,探究,技能,価値態度),②知識理解(地理的基本概念の理解と活用,スケール,環境,環境可能論,地域的課題とSD),③技能(問い・探究・作業・一般技能),④価値態度(環境・SD,帰属,相互依存国際協力・文化多様性)。各目標内容の詳細は本質的な学習要素によって説明。3)構造性:①香港→②中国→③アジア太平洋→④地球,A部門①②③④→B部門②③④→C部門③④,各部門3つの単元を学習(2必/1選),社会問題による主題的事例学習,A部門「空間」「場所」,B部門「地域」「人間環境の相互作用」,C部門「地球的相互依存関係」「SD」の地理的基本概念が対応。各単元ユニット式で発問と探究の強調。単元全体に関わる地理的基本概念の他に,本質的学習要素にて地理的パースペクティブと共に方法知,あるいは内容知としての地理的基本概念(1~15)を潜在的に説明。
     以上を基に,東アジアの華人系地理カリキュラムの主な特徴は以下のように考えられる。
    1)価値態度目標の明示(愛郷/愛国/帰属意識の強調と共にグローバルシティズンへ多重化):東アジア型教育的価値の強調+台湾・シンガポールも→カリキュラム構成上スケール等から,収斂型(中国・日本)/拡大型(香港・台湾)/自国事例型(シンガポール)→概ね政府の規模事情によって帰属意識の強調のされ方が3つに分類。2)地理的知識の空間的保証:中国(選択域地誌)/日本(全域動態的地誌)/香港(主題拡大事例方式)/シンガポール(系統地理事例方式)→各政府の規模事情による差異。東/東南アジアを重視。3)教育方法活動/探究/ICT/GIS等の強調(中/香/日/新)。4)中国・香港共に,吉田(2013a)による地理的基本概念からみるBU(ボトムアップ)型地理カリキュラム特徴を持つ(日本も)。SD概念も強調。
    <文献> 吉田剛2012香港中学校地理カリキュラム2010年版の枠組み. 宮城教育大学紀要2011年46:45-60. 吉田剛2013a地理的基本概念からみる地理カリキュラムにおける2つの類型-香港・英国・米国・シンガポール・我が国の比較-. 宮城教育大学紀要2012年47:71-83. 吉田剛2013b香港中学校地理カリキュラムにおける地理的基本概念の機能. 地理教育研究13:17-26. 吉田剛2013c香港中学校地理カリキュラムにおける地理的技能の体系. 全国地理教育学会第7回大会発表資料:1-5. 本稿は科学研究費補助金基盤研究(C)(代表:吉田剛)「華人系アジア型地理カリキュラムに関する比較研究」(22530949)(2010~2013年度)の成果の一部。
  • 青山 一郎
    セッションID: 425
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    日本で初めての新聞販売契約が締結されたのは1872年である。以来、新聞発行部数の増加とともに新聞販売業界も発展してきたが、1998年に発行部数の減少が始まり、新聞販売店の立地も変化している。本発表では、新聞販売店の形態別立地に注目し、発行部数に与えた影響を考察する。拡大期と縮小期に分け、それぞれ事例を示すことによって明らかにしたい。
  • 山内 一彦, 白石 健一郎
    セッションID: 635
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    中国地方西部の山地は,中新世中期以降における北東-南西走向の断層の活動を伴う曲隆的隆起によって形成されてきたと考えられている(藤原,1996)。しかし,中国地方は第四紀における地殻変動が緩慢な地域であるとされ,段丘地形や第四紀層に乏しく,降下テフラが限られ保存されにくい(小畑,1991など)ため,地形研究は全般的に遅れている。最近演者らは,中国山地西部の錦川中・下流域およびその周辺部を研究対象とし,段丘地形,変動地形,河川争奪地形等の調査をおこなってきた。そのうち,有名な宇佐川-高津川間の河川争奪については,複数の争奪が後期更新世~完新世に順次発生したことを明らかにしたが,地殻変動の影響に関しては,段丘や堆積物に変位や変形が認められなかったため,その可能性を指摘するに留まっていた(山内・白石,2010a)。本発表では,この地形について,その後実施した調査によって得られた新知見を報告する。調査の結果,宇佐川-高津川間の河川争奪の過程・原因は次のように推定される。(1)少なくとも中期更新世以降,本地域では冠山断層と宇佐郷断層が長期的・継続的に活動しており,西中国山地はこれらの断層運動を伴って継続的に隆起していた。(2)そのため,西中国山地の南側まで流域を持つ古高津川は,冠山断層による北西隆起によって六日市付近より上流側で堆積傾向となり,結果的に氾濫原の高度が宇佐川よりもかなり高く,河床勾配がかなり緩い河川となった。(3)それとともに,宇佐川は,本流である錦川の大規模な河川争奪(山内・白石,2012a)によって基準面が低下したことに加え,下流側が相対的・継続的に沈降して急勾配化した。そして,宇佐郷断層の破砕帯に沿って宇佐川水系の谷頭は急速に侵食を進めていった。(4)宇佐川は後期更新世から完新世にかけて古高津川水系河川を次々に争奪していった。
  • 新潟県上越地方における社会科授業アンケート調査から
    志村 喬
    セッションID: 719
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.本報告の目的
     学校教育成果実現における臨床的側面での大きな鍵は,実践をつかさどる教員にあり,教科教育実践の場合は担当教員の教科に関する専門性が大きく影響する。そこで,地理教育研究では,担当教員の地理的専門性と授業実践に関する大規模なアンケート調査として最近,秋本ほか(2010)や岩本ほか(2010)がなされるとともに,村山(2012)がこれら分析結果から見出される課題について社会科教育の枠組みをふまえて論じている。社会科教育においても東京学芸大学社会科教育学研究室が東京都の小学校教師に対してアンケート調査を2009年に実施し,教員の職能開発の視座から分析している[1]。
     これらを参照しつつ発表者は2013年,新潟県上越地方における社会科授業実践実態と教員の専門性についてアンケート調査を実施した[2]。本調査は,現行学習指導要領下での調査である点,社会科教育実践全体を対象としている点で上記先行調査を補足する知見を有するため報告する。
    2.アンケート調査の概要
    ・調査対象校:新潟県上越地方(上越市・妙高市・糸魚川市の小学校79校,中学校:29校。
    ・各校での対象者:小学校は社会科主任1名と社会科担当者2名の合計3名。中学校は社会科主任1名と社会科担当者1~2名の合計2~3名。いずれも個人回答。
    ・アンケート形式・質問項目:A4版10頁の冊子体で2013年7~8月に郵返送。質問項目は学芸大学(2009)調査に準拠
    ・回収数:小学校:152名(1校当たり平均1.9名回答,回収率約64%),中学校:38名(1校当たり平均1.3名回答)
    3.調査結果の概要―地理教育関係項目を中心に―
    1)大学での専攻課程・分野小学校では75%が初等教員養成課程出身者であるが,専門は「社会科以外」,「社会科」,「全科目」の順となる。その他の課程等をあわせた場合,全回答者に占める社会科を専門とする者は約3割である。中学校では,養成課程以外が75%,中等教員養成課程が24%で,初等教員養成課程はごく僅かである。専攻分野では,公民系46%,歴史系33%に対し,地理系は8%と大きな差がある。なお,教育学系との回答は11%で,地理系を上回っている。
    2)現在の研究教科・領域:小学校では,算数(17%),国語(13%),体育(12%)の順で,社会科は総合とともに 4位(8%)である(6位の理科は7%)。中学校では,社会科(61%),道徳(16%)の順である。社会科の分野別にみると,半数以上が歴史を主研究分野とし,公民は16%,地理は13%である。
    3)教科・分野別の困難・不安度:小学校全教科・領域の中での社会科の困難・不安度は,はほぼ中位である。なお,不安・困難度が高いのは外国語・理科・総合,低いのは算数である。中学校社会科の分野別では,歴史,公民,地理の順に困難・不安度が高くなる傾向がある。
    4)単元別の困難・不安度:小学校では大きな差は認められないが,3・4学年の「身近な地域や市」「むかしのくらし・地域の先人の働き」,5学年の「工業生産と国民生活」「情報産業や情報化した社会の様子」で,やや困難・不安度が高くなる傾向がうかがえる。中学校では,地理的分野「世界の地域の調査」「身近な地域の調査」と,公民的分野「私たちと現代社会」で困難・不安度が高い傾向がある。なお,社会科全単元の中で最も低いのは,歴史的分野の近世・近代単元である。
    5)社会科授業実践に関する問題認識:小学校・中学校とも,児童・生徒の校外学習活動及び教師の教材研究のための時間不足,並びに児童・生徒の社会経験不足が問題とされている。 
    文献
    秋本弘章・滝沢由美子・石塚耕治・平澤香・揚村洋一郎・小宮正美 2010.小学校教員養成における地理教育の現状と課題―新採用教員へのアンケート調査による分析―.新地理 58(1):33-42.岩本廣美・河合保生・戸井田克己・西岡尚也・吉水裕也 2010. 社会科地理的分野における単元「身近な地域」の実践状況―全国の中学校社会科教員対象のアンケート調査を通して―.日本地理学会発表要旨集 78:172.村山朝子 2012 社会科教育における地理の役割.E-journal GEO 7(1):11-18.

    [1] アンケート分析の結果は,『学藝社会』27号(2011)と29号(2013)に掲載されている。[2] 本アンケートは,上越教育大学社会科教育学研究室が実施した2012-13年度上越教育大学研究プロジェクト研究「地域の社会科教育実践の臨床的課題と包括的改善方策」(代表:志村喬)の一環として実施された。
  • 苅谷 愛彦, 松四 雄騎, 原山 智, 松崎 浩之
    セッションID: 610
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     上高地の新村橋付近では,梓川左岸の弁天沢沖積錐上や,同右岸の奥又白谷の弁天沢沖積錐上には複数の岩屑丘や小リッジが存在する.これらの地形はモレーンではなく,前穂高岳北尾根東面の岩壁で発生した岩石なだれによって形成された.その年代は6.0-7.9 ka(岩屑丘)と0.8-1.1 ka(小リッジ)であった.
  • 山田 浩久
    セッションID: S0602
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     東京大都市圏の拡大は,一旦都心部に流入した人口がライフステージの変化に伴って,段階的に居住地を郊外に移動させていく過程で生じたとされる。一方,人口とともに集積した資本は都心部の商業機能を高め,増大した地代は地価を大きく引き上げた。その結果,都心部の人口が減少する空洞化が生じたが,1970年代以降はマンション建設による住居機能の高度化が進み,東京特別区の転出超過は縮小された。バブル期の地価急騰により,東京特別区の転出超過は再び拡大したが,バブル崩壊後の地価下落が都心部のマンション開発を再加速させ,2000年代以降,東京特別区の人口は増加傾向にある。2010年の国勢調査報告によれば,東京特別区の人口増加率は5.4%で,同地域の空間的構造が居住機能を中心に大きく変容していることが推測される。そこで,本研究では,地価分布の地域的特徴と住民属性との関連を時系列的に観察し,東京特別区に見られるジェントリフィケーションの発生過程とその特徴を明らかにする。 
     まず,2000年,2005年,2010年の国勢調査報告から,町丁別に各年次間の人口増加率を算出すると,2005年,2010年共に高い人口増加率を示すのはJR東京駅東側に位置する中央区の町丁であった。また,2005年にはマイナスの増加率を示したものの,2010年にはプラスに転じた町丁は北東部の足立区に多く見られ,その逆の傾向を示した町丁は南西部の港区に多く見られる。東京特別区内の土地利用は既に飽和状態にあり,人口増加は高層マンションの建設による居住機能の高度化によるところが大きい。このような町丁ではマンション建設地以外の土地に旧住民が残留し,新旧住民の混住が進んでいる。ただし,港区内の町丁については「5年前の居住地を現住所とする人口」の比率が低いわりに,人口が減少しており,新旧住民の入れ替わりが推測される。 従業上の地位については職業分類が改訂になったため3年次通じての比較は難しいが,大きな変更のなかった「管理的職業従事者」の比率を見ると,2000~2005年において港区,渋谷区内の町丁で顕著な上昇が見られた。
     次に,JR東京駅を中心とする半径60km圏を設定し,『地価公示』を用いて2000年,2005年,2010年における全標準地に対する1kmごとの距離帯とその平均地価との関係を表す近似式を求めた。両者の関係は原点に対して凸の累乗近似曲線となり,いずれの決定係数も0.95を超える高い説明力を有する。ただし,新宿副都心の存在から,5~8km圏において平均地価と予測値との間に大きな乖離が現れた。近似曲線の各年次間の変化を見ると,5~8km圏を変曲域とし,2000~2005年においては周辺に向かっての下落,2005~2010年においては都心に向かっての上昇が観察された。また,住宅地標準地に限定した近似式を導出すると,全標準地を対象にした結果とほぼ同じ内容になるが,5~8km圏において現れた平均地価と予測値との大きな乖離が無くなり,変曲域が若干外方に移動する。
     全標準地を対象に導出した近似式から得られる予測値と各標準地の地価との残差を求め,予測値を大きく上回る,あるいは下回る標準地を地図上にプロットしてみると,2000年においては予測値を上回る標準地が都心部を中心に分布していたが,2005年,2010年には一転して中央区の地価が予測値を大きく下回るようになる。東京大都市圏全体で見ると,2000年代の地価変動には従前とは異なる多様性が指摘できる。このような圏域全体の地価変動の中で,都心部の地価が相対的に低く見積もられるような状況が生じ,それが都心部のマンション開発に繋がったと考えられる。一方,港区を中心とする住民の入れ替わりや「管理的職業従事者」比の伸びは,住宅地標準地を対象に導出した近似式に基づく分析結果から説明される。同近似式から得られる予測値と地価との残差には2000年代を通じて大きな変化はなく,南西部においては予測値を上回り,北東部においては同値を下回るといった方向偏奇が見られる。これは南西部の町丁に高級住宅街としてのイメージが定着していることを意味する。同地域の人口動態は,イメージや景観によるステイタスを指向する階層が引き起こしたものとと考えられる。
     先行研究の言葉を借りれば,中央区で観察された変容は生産サイド,港区で観察された変容は消費サイドから説明されるジェントリフィケーションと言える。いずれも経済的最上位階層に限定された特異な人口動態であるが,前者は商業地区の変容で,土地評価を相対的に上昇させたのに対し,後者は住宅地区の変容で,土地評価に関しては,高評価の維持に作用した。これらは明白な衰退地区が少ない東京特別区で生じた特徴的な現象であり,それぞれに固有なメカニズムによって説明される。

  • 吉林油田を事例に
    小野寺 淳
    セッションID: 810
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.資源開発と都市形成の関係 中国の経済発展にともない、天然資源に対する需要が急増している。国外での活発な調達の動きがよく知られるが、当然のことながら国内での資源開発も盛んである。そして、そのような資源開発が、その拠点となる都市に影響を及ぼし、特殊な空間構造を形成する。一般的には、資源の開発が増産期、安定期、減産期のサイクルを経るにしたがって、都市は成長期、繁栄期、衰退期のサイクルをたどる。本研究では、中国における資源開発と都市形成の関係を検証することを目的とする。2.吉林油田の生産と組織 中国の2010年の石油消費量が1990年からの20年間で約3.8倍に増加したのに対し、国内の原油生産量は約1.5倍にとどまったため、1990年代前半には輸入超過となり、2010年の自給率は約47%となっている。それだけに、輸入量の確保と同時に、国内での増産が期待されている。国内の地区別の生産量を見ると、黒竜江省の大慶油田が減産をしながらも依然として最大であり、天津市の渤海油田や陝西省などの長慶油田が急速に増産している。そうした中で吉林油田の生産量は全国で第8位の規模であるが、近年は着実な増産傾向にある。 中国において天然資源は国家によって独占的に所有され、石油については三大国有企業グループの中国石油天然気、中国石油化工、中国海洋石油によってほぼ独占的に開発されている。吉林油田は、その前身が1961年に吉林省管理下の国有企業として発足したが、1998年に中国石油天然気総公司の傘下に入り、2007年には中国石油天然気グループの子会社として位置づけられた。3.松原市寧江区の人口と経済 吉林油田の本拠地である吉林省松原市の中心市街地である寧江区には、吉林油田の本部をはじめとした諸施設から数多くの従業員家族の住宅までが集中している。2000年から2010年の10年間に、寧江区の総人口は約54万から61万人へ増加したが、そのうち常住の戸籍人口は約42万から40万人へむしろ減少しており、総人口の増加は流動人口による。学歴構成は省内他都市との比較で低い水準にあり、業種別従業者構成からは採掘業に特化した産業構造にあることが分かる。しかし、国有企業などの従業者の平均賃金は年間36,223元(2010年)と、吉林省内において省都の長春に次ぐ高い水準になっている。4.吉林油田による都市形成 松原市の中心市街地は、(第二)松花江の両岸にまたがり、現在は寧江区という行政区画になっている。南岸おいては沼沢地・荒地だったところに住宅を含めた油田企業関連の建設が進められることにより、前ゴルロスモンゴル族自治県の中心市街地と連担していった。北岸においては、扶余県の歴史的な市街地の郊外に建設を進め、吉林油田関連の領域を拡張していった。 1960年代から従業員住宅の建設が開始され、1970年代には次第に土からレンガ、さらにコンクリートの住宅へ変化し、1980年代には多層住宅の建設が主流になった。1990年代になると住宅制度改革が行われ住宅の従業員への売却が進み、その回収資金を利用して住宅開発がさらに進展した。2000年代以降は大規模な住宅開発が行われ、居住環境が大幅に向上した。 吉林油田が建設した従業員向け住宅は、住宅制度改革後も所有が吉林油田の従業員家族に限定され、つまり企業関係者の間でのみ所有権の譲渡が認められるという規則になっており、閉鎖的な空間が現在も強固に維持されている。吉林油田は不動産管理会社を設立し、住宅の修繕、住宅団地内の衛生や緑化などを高い水準に保っている。従業員家族のための教育、医療、福祉などの社会サービスにも全面的に企業が関与している。吉林油田のマークと国家のために油田開発へ邁進するという文脈のスローガンが街のいたるところに掲げられ、吉林油田コミュニティの強い使命感と優越感が感じられる。5.資源型都市の特異な空間 中国では天然資源の所有権は国家に属し、資源開発が明確に国策として位置づけられ、しばしば特定の国有企業がその主体となる。そのため、その国有企業を通じて大規模な国家投資が行われ、資源開発の拠点となる都市の形成はもっぱらその国有企業が主導する。その結果、かつての計画経済システムが固守されたような特異な空間を形成することになった。吉林油田そして松原市は、資源開発と都市形成のサイクルの前半に相当し、現在は高い経済成長率を誇っているけれども、資源型都市の宿命である資源に依存することの脆弱性からは将来的には免れえず、この国有企業が主導する都市空間が今後どのように変化するのか注目される。
  • -バンコクの事例-
    由井 義通, 神谷 浩夫, 丹羽 孝仁, 中澤 高志, 鍬塚 賢太郎, 中川 聡史
    セッションID: 521
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.  研究の背景と目的
    1994~95年に日本人の海外就職ブームが起こったとされるが,近年では就職先として海外を選び,自らの意志で「海外で働く」ことを選択することが珍しくなくなっている.経済のグローバル化の進展に伴い,労働力の国際的な移動が活発化しており,企業活動は国際的に展開し,それに伴って駐在員などが派遣されて国際的な人口移動が生じるが,東南アジアや東アジアに進出している日系企業の場合は,企業から派遣される駐在員の業務支援スタッフとして,日本人を現地採用することが多い。日本における深刻な景気後退に伴う就職の困難さも海外での就職に目を向けさせたといえる.また,海外の日系企業においても,駐在員を減らし,現地採用者へ切り替えたりすることによってコスト削減を図るところが出てきた.日本人の海外就職者についてはThangほか( 2002, 2004)の先行研究があり,発表者たちの研究グループでは,これまでシンガポール,サンフランシスコ,シャンハイを事例として,海外で働く日本人について,現地調査を行ない,それらの研究成果を発表してきた(中澤ほか;2008,中澤ほか;2012)。海外就職者の大部分が人材紹介会社の求人情報を利用して求職活動をしていることから,本研究は,海外で働く日本人の若者の就労と生活を明らかにする調査の一環で,海外就職における人材紹介会社の役割を明らかにすることを目的とし,本発表はその研究成果の一部について報告する. 
    2.    研究方法
    人材紹介会社への調査は,2012年11月から2013年9月にかけてバンコク市内の各社のオフィスにて合計3回の現地調査を行ない,各社の経営実績や会社設立の経緯などについて聞き取りした.聞き取り対象の人材紹介会社は,バンコクの日本人の求人について掲載しているインターネットのサイト「アジアdeお仕事」(http://www.asiadeoshigoto.com/agent/index. html)で挙げられているすべての人材会社に電子メールで依頼して,承諾を得た会社で,バンコクでは最大手の人材会社と中小規模の日本人経営の人材紹介会社である. 
     3.    人材紹介会社の求人情報
    人材紹介会社の求人情報の大部分は,各社のweb上で公開されている.本研究では,A社のweb上に公開されている求人情報の使用を許可していただき,求人情報について国別に職種や給与,就業地,応募資格などについて集計した。求人情報は多数の人材会社に同時に同じ内容で企業から依頼されるため,人材会社による情報差が少ない。シンガポールでは職種では営業職,IT関連のカスタマーサービスやSE,事務職,サービス業など多様な業種の求人であったが,バンコクでは他国に比べて製造業の求人が多いことに特徴があった。また,近年は日本から流通業やサービス業が数多く進出したため,それらの業種の求人が多くなっている。
  • 菅 浩伸, 長尾 正之, 堀 信行, 渡久地 健, 浦田 健作, 横山 祐典, 中島 洋典, 長谷川 均, 片桐 千亜紀, 小野 林太郎
    セッションID: 638
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに
     浅海底地形に関する知見は,現在でもきわめて少ない。我々は最先端のマルチビーム測深技術を用いて精密海底地形図を作成し,浅海域で地形学研究を進めることを目指している。また,作成した海底地形図を利用した地理学研究や,考古学など関連科学の研究も進めつつあるので,その一部を本発表で紹介する。
    2.方法
     我々の研究グループでは,平成22年度に科研費(基盤研究(A) 22240084)を用いて,ワイドバンドマルチビーム測深機R2 Sonic 2022およびその周辺機器を導入した。その後,水深1~2 mの極浅海域から最大水深400mまでを連続的に測深し,1~2 mグリッドで可視化する世界最高レベルの技術を実用化してきた。これまでに,琉球列島の石垣島・久米島・沖縄島南部・喜界島で測深を行い,可視化作業を進めている。
    3.浅海底地形学へ向けての取り組み
     水深130 m以浅の浅海域では,氷期・間氷期で侵食・堆積作用を交互に受けながら地形がつくられる。しかし現在の地形学では研究対象となることは少なく,地形の教科書で解説されることもほとんどない。我々が測深し作成した海底地形図からは,旧河谷や海食崖・カルスト地形等の氷期の侵食地形や,サンゴ礁や砂堆等の間氷期の堆積地形のほか,変動地形と考えられる直線的な地形の配列等がみられる。まず地形の記載からはじめ,一部でその形成史を探る研究を進めている(石垣島・名蔵湾の沈水カルスト地形など)。ここでは測深結果と現地観察や採取試料,詳細に復元されつつある海面変化史などを合わせることによって,地形の成り立ちを議論することが可能である。
     また,海底に残された地形面は,最終融氷期の海面上昇期または更新世後期の低海水準期おける造礁面および侵食面が重複して形成された地形であり,海面変動や地殻変動を復元する重要な証拠となる。
    4.浅海域の地理学および関連諸科学への応用
     沿岸浅海域は人による海域利用が盛んな地域である。マルチビーム測深による精密海底地形図は,沿岸防災に役立つ海底地形情報(サンゴ礁海域では波浪の減衰に効果的な縁脚縁溝系の分布と形状など)を提供するとともに,沿岸海域の自然環境や人間活動およびそれらの相互作用について観察・考察するためのベースマップとなる。我々は考古遺物や伝統的海域利用名称のマッピングなど,得られた浅海底地形と関連諸科学と結びつける研究を進めている。
  • 秋本 弘章, 伊藤 悟, 鵜川 義弘, 井田 仁康, 堤 純, 福地 彩
    セッションID: 704
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    AR(Augmented Reality;拡張現実)とは、目の前に存在する事物について、そこに見えない情報をモバイル機器の活用によって付加・提供することであり、バーチャルリアリティ(仮想現実)と対を成す新しい技術・概念である。情報の付加は、その事物に付けられたマーカによる方法(マーカー型AR)や、その事物それ自体の形状等を認識して行う方法(マーカーレス型AR)、その事物の位置情報から行う方法(位置情報型AR)がある。位置情報型ARでは、GPS携帯電話内蔵のカメラで撮影中の景観画像に、位置情報から同定されたネットワーク上の情報を重ねあわせてみることなどができ、一種のGISともいえる。本研究は、この位置情報型ARに関心を寄せる。
    地理教育におけるARの意義 今日の地理教育においては、地理的知識の定着と地理的な見方・考え方の習得が2つの柱となっている。その前提として、地理的事象を的確に認識することが重要となる。しかしながら、地理的事象を的確に認識すること自体、実は大変難しい。特にフィールドワークなどの野外授業では、目に入ってくる事象の何に着目すべきなのか、なぜその事象を着目すべきかなど明示されているわけではない。そのため、「目に入っていても見ていない」ということが起こるのである。ARの利用は、実際のフィールドに出て、その場を見ながら、その地域的背景の探求や理解を助ける情報を提供するものであり、このようなAR機能をもつGISが教育現場に提供できれば、こうした事態を改善できる。  さらに、井田によれば、図1のような学習プロセスにおいて、GISは、③「情報の整理」や⑤「発表・表現」に用いられ、本来GISが力を発揮する④「分析・解釈」に十分に活用されていないという。ARとの組み合わせは、まさにこの④の活用を促すものである。また、ARはその本来的機能から②や⑥の強化支援としても効果的である。
    教育現場におけるAR利用の容易性 GISの教育利用では、ハード(パソコン)とソフトの整備が常に課題となっていた。それらの購入を要する状況は、大きな障害になった。これに対してARは、スマートフォンやタブレット端末での利用を前提に開発されてきた技術であり、これらの端末が広く普及すれば、ARは容易に利用できることになる。 ここ数年におけるスマートフォンの急速な普及は誰もが認識している通りである。それを教育現場で利用することについては賛否もあるものの、パソコンと比べれば、その普及度から、はるかに使用しやすいのも事実である。  また、文部科学省が2011年「教育の情報化ビジョン」で、小学校から高等学校までの児童・生徒1人1人に1台ずつのタブレット端末を2020年までに整備するとの目標を定めたことと関わって、佐賀県武雄市や東京都荒川区のように2016年度から全小中学生に同端末を配布する自治体もあらわれている。また、昨年来、論議を巻き起こしてはいるが、県立高校新入生に対し、タブレット購入を求める佐賀県のような動きさえある。このようなタブレット端末の普及は、AR利用を容易にするものである。  以上から、地理教育や環境・防災教育において、AR利用に意義や容易性があるといえ、その利用の具体化をはかることは、同教育分野の深化につながるといえよう。
    参考文献 井田仁康(2005)『社会科教育と地域』NSK出版
  • 堤 純, 鵜川 義弘, 福地 彩, 伊藤 悟, 秋本 弘章, 井田 仁康
    セッションID: P073
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    本ポスター発表は、今大会で同じ題目のもとにシリーズで行った2つの口頭発表と連動し、石川県金沢市の卯辰山麓寺院地区を対象に構築したARシステムについて、タブレット端末を用いた実物のデモンストレーションを行いながら、その機能と特長を紹介し、地理教育への応用の可能性を検討するものである(ポスター発表のコアタイムにデモンストレーションを実施予定)。
    口頭発表において取り上げなかったいくつかの機能のうち、実際に野外での活動時に有効な機能の1つとして、ブログとの連携を挙げることができる。ブログと連携することにより、スマートフォンやタブレット端末のみならず、パソコンを含めた多様なデバイスから、各自のIT環境に左右されずに情報にアクセスできるため、教師や生徒が野外か屋内かを問わずに情報を閲覧できる上、様々な情報を書き込むこともできる。 今回は、全体を1つのブログとして、1寺院に1ブログ記事を対応させ、記事本体(図1)は教師が作成し、そのコメント(図2)は生徒が寄せるものと想定した。いずれも、テキストの書き込みとともに、画像の投稿もできる。本システムによる作業のフローは以下の①~④のようになる。
    ①ARにより端末画面に表示されたエアタグに着目→②AR内での当該寺院の説明文を(野外で)閲覧→③ブログ記事へジャンプ→④上記記事へのコメントを入力、閲覧
    上記のフローのうち、④の行程として、教師が用意した情報を一方通行的に見せるだけでなく、ブログ上でコメントの投稿・返信を通じて情報を双方向にやりとりできる点も、地理教育上の効果が大きいと考えられる。 また、投稿されたコメントの掲載許可の権限を教員がもつことにより、ブログシステムへの投稿内容の管理が可能である。こうして掲載されたコメントはキーワードごとに、ブログの1つのタイムライン上に掲載されるため、閲覧や検索が容易である。これらのコメントが記載され、一般に公開されることは生徒の励みにもなり、地理教育上のメリットも期待できる。
  • 東京都立川市砂川地区を事例にして
    菊地 俊夫, 田林 明
    セッションID: 406
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    研究目的 東京都立川市砂川地区を事例にして、都市農業の再編とそれにともなう農村空間の商品化の地域的な様相を明らかにする。東京西郊に位置する立川市では、都市化の進展とともに農家数や農地面積は減少傾向にあるが、砂川地区では農家や農地が集中して残存し、植木や野菜、果樹、花卉、畜産物など多様な農産物が生産されている。このような、砂川地区の農業も都市農業としての再編を余儀なくされ、農村空間の新たな商品化が模索されている。
    研究フレームワーク 都市農業は農業生産だけでなく、緑地機能や住環境の向上、あるいは災害時の避難場など多様な機能をもつことで特徴づけられてきた。しかし、小規模な農地を基盤にして、多品目少量生産で安全・安心な農産物を都市住民に供給することが、都市農業の本質的な機能であることに変わりない。そのような小規模生産の農産物を、大量生産による廉価の農産物を対象とする大都市市場に出荷することができない。そのため、都市農業の農産物の多くは農産物直売所やローカルな市場に供給されている。本研究では農産物直売所に注目し、農産物直売所の存在形態が、都市農業の再編や農村空間の商品化の程度を反映するものと考えた。実際、農産物直売所は農家と都市住民の交流の場であり、農村空間と都市空間の結節点でもある。
    農産物直売所の存在形態 立川市における農産物直売所は91あり、それらを経営形態からみると、4つの共同直売所と、87の個人経営のものに分けることができる。さらに、個人経営の農産物直売所は、提供品目(少品目/多品目)や、他の事業との組み合わせの有無などによって4つに類型化することができる。つまり、伝統型直売所、多品目農産物型直売所、農商工連携型直売所、および体験・コラボレーション型直売所である。 伝統型は小規模農地で生産された農産物を単純に直売所で販売するもので、都市住民のニーズはあまり反映されていない。そのため、販売時間が短く、品目構成が少ない。そして、販売品目の端境期も比較的長くなっている。多品目農産物型は都市住民のニーズにできるだけ応えるため、品目構成が多くなり、販売の仕方にもさまざまな工夫がみられる。農商工連携型は農産物を販売するだけでなく、農産物を利用した加工品も生産・販売し、さらには農産物を調理して提供する農家カフェやレストランを併設している。他方、体験・コラボレーション型は都市住民の安全安心な農産物生産に対するニーズや余暇活動へのニーズに応えて、直売所だけではなく、農産物の生産を体験する農場を組み合わせたものになっている。都市化の進展と都市住民の需要の多様化に応じて、伝統型から多品目農産物型へ、そして農商工連携型や体験・コラボレーション型への発展・分化がおき、これが農村空間の商品化の進行を反映している。
  • 被災者名簿及び現地調査に基づく分析
    花岡 和聖, 杉安 和也, 村尾 修
    セッションID: 119
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    2013年11月8日にフィリピン・レイテ島に上陸した台風ハイエン(現地名ヨランダ)は、暴風雨による被害に加えて、過去にない規模での高潮が島嶼沿岸部を襲い、甚大な人的・物的被害をもたらした。ArcGIS Onlineを通じて公開された米国連邦緊急事態管理庁による建物被害判読地図からは、その被害がレイテ島北部ばかりでなく、セブ島北部やパナイ島北部の半島部にまで広範囲に及ぶことがわかる。 フィリピンのNational Disaster Risk Reduction and Management Council(2013)による報告に基づけば、2013年12月24日時点の死亡者数は6,109人、負傷者数は28,626人、行方不明者は1,779人に上る。依然として、約89万世帯が自宅とは異なる場所に避難する状況にある。この数は推定被災人口の約26%に相当する。 被災から約数ヶ月が経過し、復旧が徐々に進むと同時に、様々な情報収集も可能になりつつある。そこで、本発表では、NDRRMCのホームページ上で公開される被災者名簿の分析および2月中旬に実施するレイテ島とセブ島での現地調査を踏まえて、被害状況の把握と復旧・復興の課題点を整理したい。

    被災者名簿のデータベース化
    東日本大震災と同様に、フィリピンにおいても被災者名簿が作成されホームページ上で公開される。同名簿には、被災者の氏名や性別、年齢、地域、死因等が英語で掲載される。ただし、空欄や不明に該当するものも多く、断片的な情報でしかない。そのような資料上の問題はあるが、被災地で網羅的に収集された情報であり、著者らが現時点で入手できる被災者に関する最も詳細な情報である。そこで、この被災者名簿をエクセルを用いてデータベース化し分析に利用する。

    被災者名簿の地図化・テキスト分析
    まず、被災者データを地域別に集計し、死者数と負傷者数の地図化を行った(第1図)。死亡者の86%はレイテ地域に集中し、タクロバンで甚大な被害が生じた状況と一致する。負傷者は高潮の潮位が相対的に低いセブ島やパナイ島でも確認できる。 次に、被災者名簿には備考として、死亡や負傷の原因が自由記述の形式で部分的に記載されている。そこで、これらの記述内容に対してテキスト分析を適用し、前置詞を除く英単語の出現数及び共起頻度を求めた。それらのうち頻度の高い単語について死亡者別、負傷者別にマッピングした(第2図)。 死亡者の場合、大多数を占める「Previously reported unidentified」の3単語を除くと、死因に関連する3つの単語群が抽出された。それらは①drowned(drowningを含む、単独使用も合わせて計64件)やcardiac(13件)、arrest(20件)等の溺死を意味する単語群、②tree(26件)やdebris, hit, fallen, toppled等の倒木やがれきとの衝突を示唆する単語群、③図中に表示されないが低体温を意味するhypothermia(13件)である。3要因とも高潮や暴風雨による直接被害である。負傷者の場合、wound(woundedを含む、計1659件)とpunctured(976件)やlacerated(464件)との共起や回答者数が多く、手足に関連する単語が頻出することから、避難時に手足に切り傷や擦り傷を負った可能性が考えられる。また倒木や建物倒壊による負傷も示唆される。

    Ⅳ 復旧・復興への課題
    2014年2月中旬にセブ島及びレイテ島の被災地においてフィールドワークを実施し、復旧・復興の状況を確認する予定である。被災者名簿の分析と被害状況の対応関係、被災地の復旧状況、復興に向けての課題点を整理し、その成果を学会にて報告する。
  • 平塚 延幸
    セッションID: P011
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
     谷川岳一の倉沢中流域(一の沢出合周辺から旧道出合)には、堆積物の露頭が存在し、その岩相からⅠ・Ⅱ・Ⅲ期に大別出来る。Ⅱ期堆積物は蛇紋岩巨礫を含む陶太の悪い砂質基質の層で、これは小疇(2002)が指摘するモレーンに相当すると考えられる。Ⅰ期層はその下部に位置する。中流域のⅠ期層を調査した結果、ここから飯綱上樽テフラが見いだされた。
     Ⅰ期層E7礫層内のラミナ、C5のパミスと礫層内のラミナ数カ所の粘土砂質を採取洗浄し顕眼したところ、斜方輝石・角閃石・磁鉄鉱・チタン磁鉄鉱等の結晶が見いだされた。そこで4箇所(C5パミス・C5F1・E7B2・E7D下)のテフラ同定を、「株式会社 古澤地質」に依頼した結果、鉱物組成・斜方輝石と緑色角閃石の屈折率(C5・ハ゜ミスの斜方輝石1.710-1.714角閃石0.675-1.681、E7・B2の斜方輝石1.707-1.714角閃石1.677-1.683等)から、飯綱上樽テフラ(Iz-Kta)との鑑定を得た。ここれらから一の倉沢中流部C5・E7堆積物Ⅰ期層形成年代は約13万年頃以前、上部のⅡ期層はこれ以降に形成したこととなる。
     これらⅡ期層の堆積物を検討した結果、13万年前頃の地形形成環境は次の様にまとめられる。(1)Iz-Kta降灰前…①上越国境稜線では蛇紋岩礫岩屑生産はあったが寒冷によるコンクリート化により運搬が抑制されていた。山体中央部の花崗岩輝緑岩帯は凍結破壊作用が活発で、それら岩屑は谷筋を埋める雪渓を介して中流部に運搬された。②一の倉本谷中流域石英閃緑岩帯の多くは雪渓下にあった。③一の倉尾根南斜面の石英閃緑岩帯ではシーティング作用と凍結破壊作用により岩屑生産が活発であた。④本谷上部および一の倉尾根のアバランチシュートはこの時期に原型が作られた。アバランチシュート中心部では雪ブロック等による研磨作用が卓越した。⑤谷川岳東面一の倉沢では13万年前頃は現環境より寒冷な環境に置かれ、雪渓の様相も現在とは違ったものであった。(2)Iz-Kta降灰後…温暖化した。雪崩などの運搬作用や、岩屑が移動が弱まった。なおⅡ期堆積物はⅠ期堆積物と岩相が異なり、地形形成営力の解明には詳しい調査が必要である。 
  • 災害時の人間行動の時空間スケール
    岩船 昌起
    セッションID: S0507
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    【はじめに】地理学では、自然地理学と人文地理学が並存し、研究対象を系統的に区分しながらも、時空間スケールで共通する現象については地誌学的に統合的な把握を可能としてきた。これは、地理学のみならず、現実に地表に分布する現象を研究対象とする諸科学についても適用できる方法論の大枠であり、事実、「微地形スケール」および地形単位(地形種)に係る概念については、植物や建物の分布等を説明する場合には適用できることから、「景観単位」に象徴される空間構造の土台の構築との係りで、植物生態学、林学、園芸や造園等の農学、都市計画等の建築学等で応用的に活用されてきた(松井・田村・武内 1990;菊池 2001 等)。 一方、自然災害は、地球の様々な外的・内的営力が人間の生命や財産に負の影響を及ぼす現象を示すものであり、地理学的な「自然と人間との関係」の枠組みの中で捉えることができる。自然災害と「微地形」との関係については、表層崩壊等の外的営力(≒地形形成作用)が発現する場所か否か、あるいは地震動との係りで建築物の立地に適した安定性を有するか否か等の評価もあるだろうが、本発表では、自然の動的な変化との係りで「生命の危険」が迫った場所から逃れる「避難行動」や救急救命での根幹に位置付けられる「BLS(一次救命処置)での行動」などの「災害対応行動」に注目し、人間の体力との関係から「(微)地形」が基盤となる環境(空間)の「規模」や「形(≒傾斜)」を考察する。【避難行動】津波から避難する場合、渋滞との係りから車を用いない「歩走行」が推奨されていることが一般的である。堤防を越えて市街地に流入した津波の進度の一例が「50mを約10秒」であったこと(岩船 2012)、また東日本大震災の津波等で命を落とした方の約65%が60歳以上であったこと(内閣府 2011)等を考慮すると、特に津波に直面した状況では相対的に走力が低い高齢者が犠牲となったと考えられ、体力の優劣は災害から身を守る上で大事な要素の一つであることが分かる。高齢者を始めとする体力的弱者では、若者に代表される体力的強者に比べて「水平的避難」でも単位時間当たりの移動距離が少なくなるだけでなく、「坂」や「階段」を移動する「垂直的避難」では筋力的・持久力的な面や「痛み」と係る機能的な面から上れない場合もある。一般に、車いす利用者が登攀可能な傾斜は、家の内外をつなぐ比高75㎝程度のスロープなどでは約4.6°(1/12≒約5%)、屋外のスロープでは約2.9°(1/20≒約8%)が最大となっており、シルバーカー(手押し車)利用者に移動の障害となる階段は、約7°(≒12%)以上の傾斜で設けられる傾向がある。また、体力的強者の40代男性による階段上りの実験からの垂直高で約15~25mで心拍数が多くなり「しんどさ」を感じ始めることを考慮すると、高齢者等の体力的弱者ではこの値より低い垂直高で「しんどさ」を感じて上れなくなる人も現れることが推測できる。従って、避難路での渋滞を防ぐために、登り口から垂直高約30mまでの道の拡幅や体力的強者による「お年寄り背負い隊」の編成等、ハード・ソフト両面での対策を講じる必要がある。【BLS環境】心停止等の重篤な傷病者に5分以内でAED(自動体外式除細動器)による電気ショックを施せる「安全域」は、傷病者発生地点からAED設置場所への往復に体力的強者が走行した場合、最大の範囲は水平距離が道のり350m弱で垂直距離約45mとなる(岩船 2010)。この安全域は、経路の屈曲や階段の分布、移動者の体力に応じてアメーバ形に小さくなるものの、連絡方法や移動手段等を工夫すれば範囲を拡大できる。移動手段の選択では、前述の傾斜との係りが重要であり、移動者の体力レベルにもよるが平均傾斜約5°以上の場所では、平地での運動効率が優れた自転車利用だけでは効果的に範囲を広げ難い。 従って、これらの傾斜等に係る経路の状況や「移動の障害」となる柵や階段等のBLS環境を予め把握しておく必要があり、それらを整理して地図等を作成する上では、「微地形」やより小さい「地形単位」が基礎的な情報として有用になる。筆者は、霧島市消防局による救急救命講習会等で活用できるようにBLS環境の情報が盛り込まれた「BLSマップ」を作成中であり、AEDを中心とした1㎞弱の範囲の地域における「共助」中心としたBLS体制の強化を図ろうと考えている。そして、この強化に係る日常的な検討を通じて突発的に生じる災害への地域での対応力(≒防災力)の向上につなげたい。なお、本研究は、科学研究費助成事業「基盤研究(C)」「BLS環境の定量的把握とBLSマップの作成(研究課題番号:23500831、岩船昌起)」の成果の一部を含む。
  • 菊地 俊夫
    セッションID: S0201
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    シンポジウムの趣旨
    持続可能な地域社会の実現を目指すジオパークでは、ジオサイトである地形・地質の特徴や貴重性とともに、それらを基盤とした地域の歴史・文化や産業・経済をジオサイトと結びつけてジオストリーを構築することが重要になっている。また、ジオサイトの保全やそれらを活用したジオストリーによる地域の活動や振興も評価される。したがって、地形・地質を基盤とした多様な地域資源を保全し適正利用することがジオパークの大きな主眼の1つとなり、その意味で土地や地域の総合科学としての地理学の果たすべき役割は少なくない。むしろ、地域におけるジオサイトの組織化やジオストリーの構築には,地理学的な視点が重要であり、地理学の研究者や専門家の貢献が求められている.本シンポジウムでは、ジオパークの成立・発展や地域振興、およびそれらの評価において地理学が果たすべき役割を検討・議論する。加えて、今後、地理学界がどのようにジオパークの発展に貢献できるか、その方策についても考える。
    ジオパークに認定されるためには
    日本ジオパークや世界ジオパークの認定の第一歩として、地域においてジオパークに関する協議会を組織化し、日本ジオパークネットワークに準会員として登録しなければならない。行政や観光協会、観光のNPOなどの多様な組織を協議会としてどのようにまとめるか、そして地域資源をどのようなジオストリーやテーマでまとめるかががジオパークとしての評価のポイントとなる。当然のことながら、テーマの設定やジオストリーの構築には地理学の視点が有用であるが、それが十分に活用されていたとはいえない。昨年、地域におけるジオストリーの地理学からの提案として、大地の遺産100選が遅ればせながら検討されたが、地理学のジオパークへの貢献ははじまったばかりである。協議会は地域のジオサイトの保全活動や、ジオストリーに基づくジオツアーといった活動を積み重ね、日本ジオパーク認定のために日本ジオパーク委員会へ認定申請の手続きを行う。その申請に基づき、日本ジオパーク委員会は書類審査と現地審査、および認定の議論を行い、それらの結果に基づいて日本ジオパークネットワークの正会員としての認定が行われる。 その後、日本ジオパークネットワークの正会員のなかから、ジオパークにおける活動や運営実績を踏まえ、日本ジオパーク委員会は毎年1つのジオパークを世界ジオパーク加盟候補として選考し、世界ジオパークネットワークに推薦する。以後、日本ジオパーク正会員登録認定と同様に、書類審査と現地審査を経て、世界ジオパークとして登録認定が行われる。ただし、日本ジオパークと世界ジオパークは、世界遺産とは異なり、認定後においても4年に1度の再審査が行われる。その再審査の時点で、ジオサイトの保全状況や活動・運営の状況など要件を満たさない場合には、ジオパークの認定が取り消される。
  • 今野 絵奈, 山本 健太, 荒木 一視, 則藤 孝志, 寺床 幸雄
    セッションID: P074
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    <B>1. はじめに</B> <BR> 日韓中地理学会議はアジアで地理学を研究する大学院生や若手研究者(以下,若手地理学者)の交流を目的として2006年に始まり,2013年までに日本,韓国,中国で計8回開催されてきた。この会議への参加や主体的な運営を通じて,参加した若手地理学者は国内外の研究者との絆を深め,新たな研究テーマを得る機会としてきた。そこで本発表では,過去日本で開催された3回(第2回,第5回,第8回)の会議に若手研究者がどのように参画し,研究交流を図っていったか,会議テーマ,ロゴ,グッズの視点から紹介し,今後の会議のあり方を検討したい。<BR><B>2.日本開催の会議の特徴</B><BR><B>ⅰ)第2回熊本会議</B><BR> 2007年10月,熊本大学を主たる会場として,2007年日本地理学会秋季大会に合わせて,第2回会議が開催された。14名で実行委員会を立ち上げ,地理学の枠組みと展望を再考する機会と考え,「New perspectives from Asia」を大会テーマとした。口頭・ポスター発表ともに一部屋で行い,60名の参加者が互いの研究をわかり合えるというアットホームな雰囲気であった。巡検では,阿蘇山をはじめ,熊本の自然や産業を見学し,参加者同士の親睦を深めることができた。<BR><B>ⅱ)第5回東北会議</B><BR> 2010年11月,東北大学を主たる会場として,第5回会議が開催された。25名で実行委員会を立ち上げ,持続的発展に向けた環境調和型社会の実現に地理学からも貢献したいとの考えの下,「“Green Society” A Geographical Contribution」を大会テーマとした。参加人数は130名にのぼり,日韓中以外からの留学生も加わった。新たな取り組みとして,口頭発表の座長を参加している若手研究者,院生から選出し,また「若手地理学会賞」を設立した。東北大学地理学教室主催によるキャンパスツアーが実施されたほか,「岩手・宮城内陸地震の被災と復興の取組み」をテーマに巡検が実施された。<BR><B>ⅲ)第8回九州会議</B><BR> 2013年7・8月,九州大学を主たる会場として,第8回会議が開催された。38名で実行委員会を立ち上げ,グローバル化する経済・社会に対し,多様性と協調性が織りなすアジアの姿を提示できると考え,「One Asia / A Thousand Asias: Toward the Establishment of New Crossroads」を大会テーマとした。参加者は過去最高の150名に達し,インドやベトナム,オーストリアからの研究者や院生も加わった。第5回会議の運営を踏襲しつつ,交流を深める目的で,参加者の無記名投票で印象に残る興味深い発表を選出し,“Impressive Presentation Award”を授与した。巡検では,九州大学実行委員主催の福岡市内ショートトリップが複数設定されたほか,産業近代化と脱工業化社会の理解を通してアジアの持続可能な開発の類似性と多様性を考えることをテーマとして,福岡・北九州地域の理解を深めた。<BR><B>3. 会議ロゴとグッズ</B><BR> 若手研究者の交流を深めることを目的として実行委員会では,会議のテーマや開催地に即してロゴとグッズを毎回作成している。ロゴの基本要素は,“地球(Globe)”と会議参加者であり,研究成果が地理学界に大きく貢献することとこの会議の開催が研究交流をさらに発展させるよう願いを込めている。このロゴ基本コンセプトは第2回会議で提示され,第5回会議では,会議テーマに沿うよう“葉”をつけ加え,「緑の社会」や,会議に携わった者が成長し続けるという新芽を示している。また,第8回会議では,8回目の開催であること,人々をつなげるということ,そして会議参加者の無限の可能性を示していることをロゴに託した。<BR> 一方,オリジナルグッズは地場産業や「和」を基調とし,実行委員が選定,デザイン,発注をしている。グッズは,交流促進,参加満足度の向上,次回参加へのモチベーションを上げるためのツールとして大いに役立っている。<BR><B>4. 今後の展望</B><BR> これまで,同世代をはじめとした研究者が積極的に,また気負いせずに会議へ参加できること,研究発表において闊達な議論ができること,将来につながる研究者ネットワークが構築できることなど,若手研究者が国際会議を運営することで地理学界に貢献してきた。こうした取り組みにより,関連分野の研究者や,日韓中以外の参加者を増やしつつある。一方,日本では若手地理学者の参加減少がみられるなど,築きはじめた交流の接点をさらに発展させる上で困難に直面している。これまでの開催理念を踏まえつつ,若手地理学者が将来に活路を見いだせる会議となるようあり方を模索していく必要があろう。
  • 荒木 一視, 梅田 克樹, 大呂 興平, 古関 喜之, 辻村 英之, 則藤 孝志
    セッションID: 417
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    報告者らはフードレジーム論の枠組みを念頭に,アジア太平洋地域で新たに形成されつつある農産物貿易を実証的に把握することに取り組んだ。世界大の多国間のスケールで食料供給体制を描き出そうとするフードレジーム論においては,アメリカのIndustrial Agricultureに依拠した大量の食料の安価な供給体制(第2次レジーム)がほころびを見せ始めていると認識される。それに代わるとされるのが第3次レジームと呼ばれるもので,国家ではなく多国籍企業がそれを稼働させ,安価で大量の食料供給という従前の哲学ではなく,品質や社会的な価値などへの関心が高い。 フードレジーム論においてアジア太平洋地域が主要な対象となることはなかったが,今日突出した食料輸入国である日本,経済成長とともに巨大な食料消費国としての性格を急速に強めつつある中国及び東南アジア諸国,またこれらアジア市場への食料輸出基地としての性格を強めつつあるオーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア諸国などは急速な秩序変化の中にあるといってよい。こうした状況を理解する上で第3次レジームの枠組みが効果的ではないかと考えたのである。
    報告者らの取り上げたアジア太平洋地域の農産物貿易の事例は以下の通りである。東アジアのスケールでは中国・台湾・日本を結ぶ青果物や加工食品のチェーン,さらにオセアニアを含むスケールでは畜産品のチェーンに着目した。加工食品(梅干)の場合,①日本の加工業者が主導する台湾からの調達(日本の開発輸入),②台湾企業が主導する中国からの調達(台湾加工業の中国進出,消費市場は日本),③日本の加工業者による中国進出,④市場の変化に伴う縮小・撤退という動きが認められた。また,畜産品(牛肉)の場合には,①日本企業のオーストラリア進出と調達,②日本企業の撤退とオーストラリアでのWagyu生産,③東南アジア市場を目指したオーストラリアからのWagyu輸出,畜産品(乳製品)の場合には,ニュージーランド企業による中国市場向けの輸出とオーストラリアからの原料調達などの動きが認められた。このようにアジア太平洋地域の農産物貿易は単純な2国間の枠組みでは把握できないパターンを示しているとともに,それらの背景には従来のより廉価な食品供給という考え方だけではなく,安全性や安心感,さらには食品が持つ文化的・社会的なさまざまの価値の獲得を目指した動きが存在している。例えば,より高品質・高級とされる食材,より安全性を保証された食材,さらにはより環境に与える負荷の少ないとされる食材やよりエキゾチックな,あるいは「ブランド」化された食材への関心の高まりである。これらの動きは一方で経済成長による市場の拡大として理解することができるが,他方では市場そのものが従来の廉価で大量の食料供給をよしとする枠組み・基範から,より質的なものを重視するものへと市場の性格が変化してきたととらえることもできる。
    このようにアジア太平洋地域の農産物貿易は極めて興味深い動きの中にあるといってよい。次のステップとしてはこうした動きをどのように評価しうるのか,さらにいえばこれらのフードチェーンはどのようにあるべきかという議論が想定できる。品質や安全性などへの関心が高まること自体悪いことではない。また,新たな市場の形成や成長,より付加価値の高い農産物・食品の登場についても同じである。しかし,はたしてそうした動きが新たな食料供給体制(レジーム)を構築しうるのであろうか。廉価で大量の食料供給という1つのパラダイムが幕を下ろすといえるのであろうか。豊かな先進国と貧しい途上国という枠を超え,先進国途上国を問わず,一国の中での貧富の差が広がっている。そこにおいて彼ら(富めるものと貧しいもの)の食料供給を支えるのは,もはや国内の食料生産ではなく,いずれの国においても海外からの調達となりつつある。この文脈にいて,なお廉価で大量の食料供給というパラダイムは意味を持っていると考える。
  • 丹羽 孝仁, 中川 聡史, 神谷 浩夫, 鍬塚 賢太郎, 由井 義通, 中澤 高志
    セッションID: 520
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1. 研究目的
    タイにおいては1985年のプラザ合意を契機として多国籍企業を数多く受け入れ,それに伴い企業の駐在員も増えてきた.特に日本企業による投資は,タイに流入する海外直接投資(FDI)の3分の1以上を占めており,その分だけ日本人駐在員は他国の駐在員数に比べ多い.さらに,駐在員を支援する業務に日本人の現地採用者が用いられてきている.しかし,タイに滞在する日本人の規模は年々拡大しているにも関わらず,これまでタイの日本人社会の規模や集住度に関する研究例は少なく,未だその特徴は明らかでない.
    本発表では,タイにおける日本人居住者の特徴を明らかにすることを目的とする.他の外国人との比較から,①タイに居住する日本人の規模を推定し,②バンコク都内における日本人の居住分布の特徴を分析する.
    2. タイにおける外国人労働者
    タイに居住する外国人は,日本人よりもミャンマー人やカンボジア人などタイ周辺国の人の方が多い.しかし,日本人は就労ビザ取得者が2万9770人(労働省2012年)で,居住者4万3044人(入国管理局2012年)の63%を占める.この割合は日本人が最も高い.また日本人の場合,他国の労働者よりも就労ビザの認可率が高いため,一定の能力が求められるものの比較的容易に就労できる.これが日本人若年労働者をタイに引き付ける一因となっていると推察される.
    3. バンコクにおける日本人社会
    日本人労働者数は就労ビザ取得者数を正確な値と認識して良いと考えられるが,ではタイに日本人居住者総数はどの程度であろうか.外務省の2012年在留邦人数調査によれば,就労ビザ取得者(民間企業関係者(本人),報道関係者(本人),自由業者(本人))は2万7121人であった.労働省のデータを元に按分した結果,日本人居住者数はタイ全国で6万人,バンコク都で4万3000人と推定される.
    バンコク都における日本人居住者の集住度を測るため2000年センサスの20%個票データを用いる.ただし,使用できるデータに含まれる日本人回答者は567人に限られる点に留意する必要がある.バンコク都内160の地区を基準にして,国籍別居住者数の非類似度係数(The Index of Dissimilarity)を求め,多次元尺度構成法(Multi-dimensional Scaling)により国籍別居住者の集住度を求めた.国籍別の比較の結果,日本人や西洋諸国の人びとが特定の地区に集住する特徴が明らかになった.
    次に,タイ人居住者数に対する日本人居住者数の特化係数から集住地区を計測した.日本人はクローンダンヌア地区(スクムヴィット周辺)やスリヤウォン地区(シーロム周辺)など非常に限られた地区に偏って居住している.これらの地区には,日系不動産会社や日系スーパー,日本人学校(通学バスルート沿線)など対日本人特化型のサービス業が集中しているため,このことが日本人の集住と相互に関連していると考えられる.

     【付記】本研究は,平成24年・25年度基盤研究(B)「日本企業のグローバル化と若者の海外就職」研究代表者:神谷浩夫(金沢大)による研究成果の一部である.
  • 小堀 昇, 川野 浩平, 青山 雅史
    セッションID: 709
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1.はじめに
      空中写真は、地図作成において、地上の状態を把握する有効な資料である。今日では災害発生時にその威力を発揮している。しかし、第二次世界大戦時には、空中写真は偵察用に撮影されていた。日本では多くの都市で空襲を受けたが、空襲前に米軍は写真偵察機を飛ばして、高高度から空中写真を撮影し、爆撃目標の選定を行っていた。現在、これらの空中写真は、米国の公文書館別館において公開されており、閲覧が可能となっている。この空中写真は、第二次世界大戦中の都市状況を知る重要な資料であり、空襲で焼け野原となった都市の以前の状況を知る手掛かりにもなる。
      一方、当時の政府は昭和18年10月に防空法を改正し、重要都市において、延焼を防ぐことを目的とした空地帯を設けるための建物撤去を開始した。これを建物疎開というが、この研究事例は少ない。これは、戦時中のことで資料が散逸していることが大きいと見られる。また、各都市の市史にも数行の記載がある程度で、建物疎開が行われた具体的な範囲を示した事例はない。  そこで、米軍が第二次世界大戦中に撮影した空中写真と文献資料をもとに建物疎開が行われた地域を特定する作業を行った。今回は、特に函館を事例に調査した内容を発表する。
     2.函館における建物疎開の資料について
      函館は、明治から昭和にかけて3回の大火に見舞われた。そのため、都市計画によってグリーンベルトや大通りが建設された都市である。しかし、防空法によって、さらに建物疎開が行われた。
      この函館における建物疎開は、函館市(2007)に記載があり、北海道新聞からの引用で昭和20年5月20日に建物疎開を着手し、同年6月10日に完了したと記載されている。北海道新聞の4月27日の記事によれば、大きく5箇所で建物疎開が実施されたことが記載されている。一方、函館市(1959)では、18箇所で防空疎開地帯が設けられたと記載がある。こちらは聞き取りによると記載があり、着手半ばで中止になった箇所もあるとの注意書きがある。これら2点の文献でも建物疎開が行われた位置は異なっており、文献調査だけでの建物疎開地区の特定は難しい。
     3.空中写真による特定
      函館は、米軍が昭和20年6月27日に撮影を行っており、建物疎開後の状況が判読できる。写真1は、函館駅周辺の空中写真であるが、左下に函館駅がある。駅周辺の防火のため右下にかけて広く建物が撤去されていることがわかる。家屋の屋根は黒く、地面は白く写っており、中央部の建物疎開が行われた場所は礎石等によって不自然に白く写っている。また、都市計画によって設置された道路と異なり、家屋の境界線が不自然に形状になっていることからも確定できる。なお、このエリアは、北海道新聞に記載されていた地域であり、文献資料と空中写真判読により建物疎開地域の特定が可能である。 
    4.おわりに
      公文書館が保有する米軍撮影の空中写真のうち、現在、地図センターでは7千枚を入手し作業を進めている。今後、図1に示した地域で、建物疎開が行われた地域の特定を進めていく予定である。 
  • 苅谷愛彦 愛彦, 澤部 孝一郎, 清水 長正, 黒澤 兆
    セッションID: P006
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    近年,山体の重力変形とそれによる地形(線状凹地,重力性低崖等)が,大規模崩壊の先駆現象として改めて注目されている.重力変形の実態やその発達過程,関連した地形の特性を解明することは,山地地形学・山地防災学の双方に重要である.本発表では,多摩川上流地域(四万十帯)における事例を報告する.
  • 中山 大地, 土屋 ひろの
    セッションID: P046
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    I. はじめに
    地名はその場所の歴史的経緯の結果であり,地名が変化することは場所に対する認識が変化することを表していると考えられる.本研究では地名の時間的・空間的変化を定量的に求めることを目的とし,地名の類似性に着目して分析を行った.文字で表現された地名を考えた場合,漢字の異字・同音異字への置き換えや発音の転訛により,本来は同一である地名が揺らぎを持つことがある.このような揺らぎを持つ対象の類似性を求めるため,本研究では地名の発音に対してDPマッチングを用いて地名の類似性を求めた.DPマッチングとは,音声・画像認識やDNA解析等によく用いられ,揺らぎのある対象間の類似性を効率よく数値化できるアルゴリズムである.

    II. 研究手法
    1/50,000地形図「菊池(隈府)」(熊本県)の範囲を対象地域とし,旧版地形図を含む1902年,1929年,1946年,1957年,1967年,1980年の6枚を用いた.大判スキャナを用いてこれらの地形図をデジタルデータ化し,座標(日本測地系・公共測量座標系)を付与した.次に地形図上に表記されている全ての地名についてデジタイズし,6枚の地形図に表記されている居住地域名のみ(1858地名)を抽出した.これらの居住地域名の発音を日本式ローマ字に変換し,DPマッチングを用いて二つの地名間の類似性(不一致度)を求めた.このとき,文字不一致のペナルティを50,1文字ずれのペナルティを1とした.これにより求まった不一致度を計算に用いた地名のローマ字の総数で除し,2地名間の距離として定義し,全ての地名間の距離行列(1858×1858の正方行列)を作成した.
    この距離行列に対して,統計ソフトRを用いてWARD法によるクラスター分析を行った.得られたデンドログラムを距離150と300で切り,それぞれ73個と28個のクラスターを得た.これにより,同一クラスターには地名の発音(ローマ字表記)が似ている地名が分類されたことになる.
    次に6時期分の地形図上に居住地域名のクラスター番号を加え,それぞれの地名クラスターが表している範囲を求めるためにボロノイ分割を行った.6時期分のボロノイ図に対して空間的な論理和を取り,生成された全てのポリゴンについてクラスター番号の変化回数,すなわち地名の変化回数について求めた.最後に地名の変化回数に対して空間的自己相関(ローカル・モラン統計量)を計算し,地名の時間変化の空間的特徴を求めた.

    III. 結果
    クラスター数を73個に設定した場合の結果を述べる.地名の変化回数は最多で5であり,最少で0だった.対象範囲の北東部は阿蘇山の外輪山にあたるために居住地名の数自体が少なく,変化もほとんど見られなかった.これらの場所は,ローカル・モラン統計量でも地形の変化回数が有意に少ない場所として求められた.これに対して外輪山の西側では新たな地名が出現していた.これは森林が桑畑になり,それが住宅地として開発されたことに伴う現象と考えられる.このような場所はローカル・モラン統計量では有意に地名の変化回数が高い場所になっていた.鉄道や駅の建設により地名変化が生じると考えていたが,この地域は元々の集落や街道に沿って鉄道を建設する形であったため,これらの影響はほとんど見られなかった.
  • 宇都宮 陽二朗
    セッションID: 325
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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     本邦の地球儀製作史については、書名のみを含め、藤田、秋岡、鮎澤、Kawamura, et al., 海野らの研究があるが、構造と製作技術の視点から見た通史は少ない。昨春、墺太利の知人から日本の地球儀製作史における技術的側面を聞かれ、 精粗混在する既存文献を漁り、回答した。本報の内容はそれを増補改訂したものである..。
  • 渡辺 満久, 中田  高
    セッションID: 636
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    原子力施設を再稼働させるためには、2013年に制定された新規制基準に基づく安全審査をパスする必要がある。なお、東通・志賀・敦賀・もんじゅ・美浜・大飯の6つの原子力施設は、破砕帯調査をクリアした上で、さらに新基準に基づく安全審査を通過しなければならない。以下では、原子力施設の再稼働の前提となる新規制基準適合性に係わる審査への具体的提言を行う。
    具体的には、島根原子力発電所、大飯原子力発電所、敦賀原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所、浜岡原子力発電所、六ヶ所再処理施設、東通原子力発電所、大間原子力発電所(建設中)の安全審査に必要な視点を紹介する。
    新規制基準に基づく安全審査では、変動地形の可能性のある微妙な地形を見落とさずに確認のための調査をしっかりと行い、段丘堆積物などの新期の地層のずれを見落とさないことが望まれる。調査に関しては、ボーリング調査を重用するのではなく、トレンチ調査によって確認することが必須である。また、過去の形式的で杜撰な審査は見直し、事業者よりの専門家が関与した非科学的な審査結果を一掃しなければならない。

  • 戸田 真夏, 宮岡 邦任, 元木 理寿, 谷口 智雅, 山下 琢巳, 横山 俊一, 早川 裕弌, 長谷川 直子, 大八木 英夫
    セッションID: P065
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
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    1. はじめに 筆者らは2013年春から研究グループを立ち上げて(水と人の地誌研究グループ)、地誌学的な視点の一般への普及の手段として、地誌学の視点から地域を総合的に理解する旅行ガイドブックを作成、出版することを目標に活動している(長谷川ら2013)。旅行者がそのようなガイドブックを読むことで地理学的視点が身に付くようになるのではないかと考える。しかしそもそも旅行者は旅行に何を求め、旅行の際にはどのように情報を得ているのか。それらを地理学的視点から検討した上で、地誌学的視点を盛り込んだ旅行メディアの作成をする必要があると考えた。そこで、本報告では予備調査として、大学生を対象に行った国内旅行に関するアンケートの調査結果について報告する。   2. 研究方法 アンケートの質問項目は、属性(6問)、一般的な興味・関心(3問)、旅行へ行く頻度等(4問)、旅行先とその目的、情報入手先(11問)、旅行ガイドブックそのもの(12問)の計36問とした。なお、本研究での「旅行ガイドブック」とは、雑誌や書籍の状態になっている印刷物を指す。   アンケートは、2013 年度に関東地方の5つの大学で実施した。実施した大学は以下の通りである。  国士舘大学(回答数27:以下同じ) 、清泉女子大学(37)、東海大学(111)、立正大学(154)、早稲田大学(55)、合計回答数は384 である。  なお、一部の質問は「主なもの3 つ」などと複数回答を指示しているものもあるので、グラフ毎に合計回答数をn で示した。   4. 結果及び考察 学生たちが旅行先を決めるきっかけとなるのは、テレビ番組、雑誌や書籍、旅行ガイドブックといった旅行に関係するメディアが多く、その次に知り合いからの話が多い(図1)。興味深いのは趣味に関連するものも多いことである。これは例えば城めぐりや鉄道といった特定のテーマに基づくものが考えられる。  図2に示したように、旅行地を決めた後に旅行先の具体的な情報を得る手段としては、B)旅行ガイドブックが170に対して、インターネットコンテンツの種類であるE)、F)、H)のそれぞれは旅行ガイドブックより利用者数が少なかったものの、3種類をあわせると286であった(図2)。近年ではネットの記事で多くの情報が得られるため、旅行ガイドブックの購入量は減少傾向にあるようだが(旅行関係出版関係者私信)、1種類のメディアの利用者としては旅行ガイドブックを利用している人が多いことがわかった。演者らは書籍の形でのガイドブックの作成を目指しているがネット上のコンテンツも検討している。今後、旅行者がネット情報とガイドブックとをどのように使い分けているかについて詳細に分析できるかが課題である。    文献: 長谷川直子ほか 2013.地誌学的視点の一般への普及‐旅行ガイドブックを使った試み‐,日本地理学会秋季発表要旨集.p136.
  • 濱 侃, 小寺 浩二
    セッションID: P024
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    離島における水環境(特に火山島)は、標高、地形、透水性の違いから特殊である。伊豆諸島は、いずれも火山島であり、それぞれの島は特徴的な水環境を示し、島によって大きな差がある。なかでも八丈島・御蔵島は、淡水環境に恵まれており、そこでは主に雨水の影響を強く受けた水と、地下水の影響を強く受けた水が見られた。その他の淡水に恵まれていない島では、地下水の調査を中心に行い、海からの影響が大きい水と、地下水の影響が大きい水に区分された。未だに火山活動の盛んな伊豆大島・三宅島では、一部の水にSO₄²⁻が特に多く含まれるような特殊な水質を示し、火山噴出物からの影響が見られた。これらの淡水に恵まれていない島では、雨の時だけ現れると思われる枯れた沢を多数確認することができた。伊豆諸島の水環境に大きな影響を与えている要因は、人的影響よりも自然的影響(降雨・地質・地形・最終噴火活動からの経過年数)がはるかに大きく、その中でも全島共通して海塩が水質を大きく左右する。例外的に三宅島と伊豆大島の一部では、火山に関連すると思われるSO₄²⁻などが水質に大きく影響を及ぼしている。
  • 齊藤 由香
    セッションID: P068
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    近年,身近な生活空間を映し出す「日常的景観」への関心が高まるにつれ,景観政策における住民参加の必要性が強調されている。しかしながら,身近な景観で あるほど,住民の間ではその存在や価値が意識化されていることは少なく,それゆえに,いくら制度や施策の上で住民主体の景観づくりが唱えられようとも,実 際に一個人が自発的な行動を起こすことはきわめて限られている。まずは,住民自身が自らの土地の景観について学んだり,その価値を再認識したりする「気づ き」の機会を得ることが身近な景観を育むための第一歩といえよう。そこで本研究では,身近な景観を顕在化する手段の1つとしてフットパスに注目し,これを 活用した景観教育・啓蒙の取り組みが,景観保全に対する人々の意識の涵養にいかに貢献しうるのかを検討してみたい。
  • 大阪市中崎界隈を事例に
    キーナー ヨハネス
    セッションID: S0601
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに近年、長屋をカフェや雑貨屋等の店舗として再利用することが流行となっている。大阪市の場合、長屋は主に再開発がなかなか困難であり、大規模な投資が忌避されがちなインナーシティに残っている。店舗に転用された長屋は、比較的裕福な顧客層向けとして利用されているため、その現象はより裕福な階層の利用する消費空間のインナーシティへの拡大を意味し、ジェントリフィケーションの一種として捉えることができる。本研究では、大阪市北区に位置している中崎界隈(中崎1~3、中崎西1~4)をジェントリフィケーションが進んでいるインナーシティの一例として論じる。ジェントリフィケーションプロセスにおいて、長屋を店舗に転用する人が、どのように物件利用希望者との競争の中で、その利用権を取得するかを明らかにすることを目指している。ジェントリファイヤーの歴史的建造物への要求は、一般の人より強いとシャロン・ズーキンが指摘したことが立論の出発点になる。「ジェントリフィケーションは、空間に向けられた経済的な要求と、歴史的建造物保全主義者とアート生産者の要求に重きを置く文化的な要求をとり結ぶ」(Zukin 1991: 193)。この観点からすると、歴史的な建造物は建築史やアート史等の美的な文脈に限り、最大効果を発するので、改修のための資源や関連する知識やスキルを持っている人に、利用が促された(Zukin 1991)。 インナーシティとしての中崎界隈インナーシティとは、近代都市化の過程において、都心部をとりまく周辺の住商工混在地区である。それは人口の過密、住宅の老朽化、オーペンスペースの不足という住環境問題を抱える地区であり、1970年代後半からは、こうした地域では人口と企業の流出が進んでいた(岩間1982)。中崎界隈では、1923年(大正12年)に、大阪市の最初の都市計画法にもとづく土地区画整理が始まる以前に、開発が始まった。その結果として、街区や道路が不整形でオープンスペースが少なく、人口密度が高い地域として発展した。中崎界隈は第二次世界大戦期に空襲を受けず、経済成長時期にあまり再開発されなかったので、現在においても、古い町並みが残っている。人口と木造家屋密度が高いこと、建物の老朽化と公園の不足等がたえず問題として指摘されてきた(大阪市北区地域開発協議会1986)。1990年代では、中崎界隈における人口の減少と高齢化が進展しており、経済的な衰退も顕著になった。 歴史的建造物の再利用1990年代後半から、中崎界隈に外部からの参入者が運営する店舗(カフェ、雑貨屋、衣料店等)がたくさん開店されるようになり、現在その地域に約200軒が立地している。特に2002年から中崎界隈の店舗がよくメディアで取り上げるようになってから、店舗数が急増した。店舗は「小バコ雑貨店」等とも呼ばれた床面積が比較的狭く、運営者は長屋の改修を自分で行えるので、着手資金と経験をあまり持っていない人も店舗を開くことができる(前田・瀬田2012)。地域の振興町会が中心として行った中崎町キャンドルナイトというイベント等を通じて公の注目を呼び、旧住民も店舗をサポートしている。店舗の発生と同時に中崎界隈の人口は1995年から2000年にかけて、20歳代から30歳代を中心に3,786人から5,260人に増加した。中崎界隈の人口がその新住民は6階以上の中層マンションビルに居住するケースが多く、古い長屋は主に店舗として再利用されているのが実態である。 考察ズーキンの指摘のように中崎界隈の場合にも、店舗主は空間への経済的な要求と、文化的な要求によって利用権を得ている。その文化的な要求は、ズーキン(1991)が挙げたニューヨーク市のような歴史的建造物保全政策ではなく、中崎界隈の地域レベルで認められたものである。長屋の店舗転用は、地域への来客の増加と長屋の価値上昇を期待する家主や、振興町会等に支持されている活性化の戦略として認められてきた。これ故に、家主は長屋を店舗に転用する借主の利用を優先していると考えられる。 文献岩間啓次郎(1982)「大阪市」、大都市企画主管者会議編(1982)『大都市のインナーシティ』大都市企画主管者会議pp. 47-54前田陽子・瀬田史彦(2012)「中崎町における新しい店舗と既存コミュニティの関係に関する考察-長屋再生型店舗の集積形成プロセスと地元住民との関係性に着目して」『都市計画論文集』47(3)、pp. 559-564大阪市北区地域開発協議会編(1986)『北区の地域現況診断(地域カルテ)』大阪市北区地域開発協議会Zukin, Sharon (1991) “Gentrification, Cuisine, and the Critical Infrastructure: Power and Centrality Down- town”, Landscapes of power: from Detroit to Disney World. University of California Press, pp. 179-215
  • 澤柿 教伸, 駒澤 皓, 三浦 英樹
    セッションID: 608
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 近年の人工衛星による観測により,氷河や氷床の質量変化が,数年から数十年スケールで検出されるようになった.しかし,人工衛星技術によってさかのぼれるのはせいぜい20年程度であり,それより長期的な変動傾向はほとんど明らかになっていない.一方,空中写真撮影は衛星観測が開始されるよりも以前から行われており,これらを併用することで,より長期的な変動が検出できる可能性がある.日本は,1957年の国際地球観測年を契機に1956年から南極における科学観測を開始し,その当初から空中写真の撮影を断続的に行ってきており,過去半世紀にわたる蓄積がある.近年では,地球観測衛星「だいち」によるステレオ画像も昭和基地周辺で取得されている.そこで本研究では,空中写真と衛星画像という2種類のステレオペア画像からDEMを生成・比較することで,昭和基地周辺の南極氷床周縁部における過去32年間の氷床の表面高度変化・末端変動を検出することを試みた.2.データアーカイブ 本研究ではまず,国土地理院と極地研究所で保管されていた空中写真を発掘・整理した.その結果,撮影総数は10181枚であり,撮影年は1959年から始まり断続的に2004年まであった.撮影画像には斜め写真,垂直写真,ステレオペア画像があったが,これらのうち表面高度変化を解析するにはステレオペア画像が適しており,さらに多時期で比較できる地域は幾つかに限られる.それらのうち,本研究ではラングホブデ地域を解析対象に選定した.ラングホブデ地域で撮影された1975年の4枚と1991年の54枚の空中写真と,及び2007年の衛星画像2枚を用いて,ステレオ実体視モニターと写真測量用ソフトウェアからなるデジタル解析図化機によって,画像の実体視を行いながら3D地形データを取得・操作・編集を行った.そして,異なる時期のDEMを比較することによってラングホブデ氷河の変動を解析した.3.結果と考察 解析の結果,ラングホブデ氷河の末端位置は1975~2007年の35年間で406m後退し,表面高度は0.14±3.8m変化していることが明らかとなった.特に1991~2007年の変動についてみると,氷河の末端位置には変化はみられず,1.74±3.0m変化していた.したがって,氷河の末端位置は1975年から2007年にかけて大きく後退したものの,表面高度は定常状態もしくはわずかに増加傾向であったことになる.1930~1970年代のリュツォホルム湾の海氷は比較的安定で,1980年代以降に頻繁に流出したことが明らかになっており,これと氷河の後退とが関係している可能性がある.また,昭和基地での気温データからPDD値を算出すると,1970~1994年と比較して1995~2010年では大幅に減少しており,これが表面融解量の減少を引き起こしている可能性もある. 空中写真を用いて過去40年間に遡って多時期の氷床縁変動を解析する可能性が示されたが,未解析の空中写真も大量にあり,それら画像を用いて多時期かつ広範囲に比較することが今後の課題である.
  • ウェールズ・ガワー半島を事例として
    飯塚 遼, 菊地 俊夫, 山本 充
    セッションID: 408
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は、イギリスの一農村地域であるガワー半島を事例として、人口流入にともなう混住化とその地域コミュニティへの影響について議論するものである。
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