抄録
中国地方西部の山地は,中新世中期以降における北東-南西走向の断層の活動を伴う曲隆的隆起によって形成されてきたと考えられている(藤原,1996)。しかし,中国地方は第四紀における地殻変動が緩慢な地域であるとされ,段丘地形や第四紀層に乏しく,降下テフラが限られ保存されにくい(小畑,1991など)ため,地形研究は全般的に遅れている。最近演者らは,中国山地西部の錦川中・下流域およびその周辺部を研究対象とし,段丘地形,変動地形,河川争奪地形等の調査をおこなってきた。そのうち,有名な宇佐川-高津川間の河川争奪については,複数の争奪が後期更新世~完新世に順次発生したことを明らかにしたが,地殻変動の影響に関しては,段丘や堆積物に変位や変形が認められなかったため,その可能性を指摘するに留まっていた(山内・白石,2010a)。本発表では,この地形について,その後実施した調査によって得られた新知見を報告する。調査の結果,宇佐川-高津川間の河川争奪の過程・原因は次のように推定される。(1)少なくとも中期更新世以降,本地域では冠山断層と宇佐郷断層が長期的・継続的に活動しており,西中国山地はこれらの断層運動を伴って継続的に隆起していた。(2)そのため,西中国山地の南側まで流域を持つ古高津川は,冠山断層による北西隆起によって六日市付近より上流側で堆積傾向となり,結果的に氾濫原の高度が宇佐川よりもかなり高く,河床勾配がかなり緩い河川となった。(3)それとともに,宇佐川は,本流である錦川の大規模な河川争奪(山内・白石,2012a)によって基準面が低下したことに加え,下流側が相対的・継続的に沈降して急勾配化した。そして,宇佐郷断層の破砕帯に沿って宇佐川水系の谷頭は急速に侵食を進めていった。(4)宇佐川は後期更新世から完新世にかけて古高津川水系河川を次々に争奪していった。