抄録
1.問題の所在
経済のグローバル化が進展する中で,地理的環境に埋め込まれる度合いの強い食料供給体系(=ローカルフードシステム,LFS)の構築を通じて地域の活性化を図ろうとする動きが多くみられる.それらの中には,それまで地域に存在していなかった食料の供給体系を新たに生み出し,他地域との差別化を目指そうとするものもある.その場合,生産の初期段階では,ローカルアクターが当該食料の生産に関わる知識・技術を持ち合わせておらず,生産の経験値も低い可能性が高い.そのような状況において,新たな食料のLFSはいかに生み出され,再生産されていくのだろうか.LFSの構築を地域の活性化戦略へ敷衍していく上では,このような疑問に答えつつLFSの生成・存立の要件を洗い出していくことが肝要といえる.
2.研究の目的と方法
一般に食料の供給体系(とりわけ,生産部門)は,アクターが生産に関わる知識や技術を獲得し,それらをローカルレベルでの具体的な生産実践へと結びつけることで生み出されていく.そのような知識・技術の構築プロセスはさしあたり以下のような段階を経て展開していくものと考えられる.すなわち,知識・技術の「獲得」(=新たな知識や技術を生み出す,もしくは既存の知識・技術を習得する段階),「調整」(=獲得した知識・技術を生産空間の地理的環境に埋め込む段階),「改変」(=既存の知識・技術を修正し,技術的課題に対応する段階)である.これらの諸段階は,循環的で複雑な経路を辿りながら食料供給体系を生成・再構成していく. ここで注意したいのは,この知識・技術の構築プロセスは孤立的なアクターの頭の中で進行するのではなく,食料の生産に関わる諸アクター(人間や自然物,人工物など)間の相互作用を通じて展開するという点である.つまり知識・技術の構築プロセスを突き動かすのは,人間にあらかじめ内在する固定的な属性としての行為主体性ではなく,人間を囲繞する社会的・技術的要素の集合体によって定義づけられる人間のそれである. したがって,LFSの生成を理解していく上では,知識・技術の構築プロセスを要素還元的に解釈するのではなく,関係論的な視点(=人間の行為主体性を生み出す社会・技術ネットワークに着目)から捉えていく必要がある.具体的には,「知識・技術の構築に向け,どのようなアクターが動員され,いかなる組成のネットワークが構成されているのか」,「ネットワークにおいて諸アクターがいかに互いを定義づけ,知識・技術構築に係る人間の新たな思考やふるまいを導き出すのか」,「それらの人間アクターの思考・ふるまいの蓄積がいかにLFSの具現化へと結びついていくのか」といった諸点を問うことが重要となろう. ところで,LFSを生み出す際,アクターは地域内に不足する知識・技術を地域外から獲得する必要に迫られる可能性がある.同時に,それらは他アクターとのローカルな関係を強化しつつ知識や技術を調整・改変していく必要もある.したがって,LFSの生成を論じる上では,「アクターがいかに自らのネットワークを空間的に伸長ないし収縮させ,地域内外のアクターを動員していくのか」といった点にも着目する必要がある.そのような「知識・技術の構築をめぐる関係形成の空間性」を問うことは,LFSの生成をより動態的に理解する上で重要な作業となる. 以上を踏まえ本研究では,LFSが新たに生み出されるメカニズムを,知識・技術の構築の舞台であるネットワークに着目しながら明らかにする.その際,①「知識・技術の構築に向けたアクター間の関係形成」,②「ネットワーク内での知識・技術構築に関する新たな思考・ふるまいの導出」,③「知識・技術の構築を通じたLFSの具現化・再構成」といった三つの局面を,ネットワークの空間性と関連づけながら考察していく.
3.研究の対象
事例として取り上げるのは,石川県鳳珠郡穴水町で展開する能登産ワインの生産事業である.同事業は石川県内では初となるワイン専用種ブドウを用いたワイン生産の取り組みであり,知識・技術が不足する地域におけるLFSの生成を理解する上で適当な事例といえる.現在,穴水町のN社がワイン生産を,同町の農家(一部珠洲市)が原料ブドウの栽培をそれぞれ担っている.本研究が具体的に焦点を当てるのは,原料ブドウ生産に関する知識・技術の構築をめぐり形成されるアクターのネットワークである.