日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会秋季学術大会
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発表要旨
  • 荒木 一視, 岩間 信之, 楮原 京子, 田中 耕市, 中村 努, 松多 信尚
    セッションID: P924
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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     災害に対する地理学からの貢献は少なくない。災害発生のメカニズムの解明や被災後の復旧・復興支援にも多くの地理学者が関わっている。そうした中で報告者らが着目したのは被災後の救援物資の輸送に関わる地理学的な貢献の可能性である。 救援物資の迅速かつ効果的な輸送は被害の拡大を食い止めるとともに,速やかな復旧・復興の上でも重要な意味を持っている。逆に物資の遅滞は被害の拡大を招く。たとえば,食料や医薬品の不足は被災者の抵抗力をそぎ,冬期の被災地の燃料や毛布の欠乏は深刻な打撃となる。また,夏期には食料の腐敗が早いなど,様々な問題が想定される。 ただし,被災地が局地的なスケールにとどまる場合には大きな問題として取り上げられることはなかった。物資は常に潤沢に提供され,逆に被災地の迷惑になるほどの救援物資の集中が,「第2の災害」と呼ばれることさえある。しかしながら,今般の東日本大震災は広域災害と救援物資輸送に関わる大きな問題点をさらすことになった。各地で寸断された輸送網は広域流通に依存する現代社会の弱点を露わにしたといってもよい。被災地で物資の受け取りに並ぶ被災者の長い列は記憶に新しいし,被災地でなくともサプライチェーンが断たれることによって長期間に渡って減産を余儀なくされた企業も少なくない。先の震災時に整然と列に並ぶ被災者を称えることよりも,その列をいかに短くするのかという取り組みが重要ではないか。広域災害時における被災地への救援物資輸送は,現代社会の抱える課題である。それは同時に今日ほど物資が広域に流通する中で初めて経験する大規模災害でもある。  
     遠からぬ将来に予想される南海トラフ地震もまた広い範囲に被害をもたらす広域災害となることが懸念される。東海から紀伊半島,四国南部から九州東部に甚大な被害が想定されているが,これら地域への救援物資の輸送に関わっては東日本大震災以上の困難が存在している。第1には交通網であり,第2には高齢化である。 交通網に関してであるが,東北地方の主要幹線(東北自動車道や東北本線)は内陸部を通っており,太平洋岸を襲った津波被害をおおむね回避しえた。この輸送ルート,あるいは日本海側からの迂回路が物資輸送上で大きな役割を果たしたといえる。しかしながら,南海トラフ地震の被災想定地域では,高速道路や鉄道の整備は東北地方に比べて貧弱である。また,現下の主要国道や鉄道もほとんどが海岸沿いのルートをとっている。昭和南海地震でも紀勢本線が寸断されたように,これらのルートが大きな被害を受ける可能性がある。また,瀬戸内海で山陽の幹線と切り離され,西南日本外帯の険しい山々をぬうルートも土砂災害などに対して脆弱である。こうした中で紀伊半島や四国南部への救援物資輸送は問題が無いといえるだろうか。 同時に西日本の高齢化は東日本・東北のそれよりも高い水準にある。それは被災者の災害に対する抵抗力の問題だけでなく,救援物資輸送にも少なからぬ影響を与える。過去の災害史をひもとくと,救援物資輸送で肩力輸送が大きな役割を果たしたことが読み取れる。こうした物資輸送に携われる労働力の供給においてもこれらの地域は脆弱性を有している。    
     以上のような状況を想定した時,南海トラフ地震をはじめ将来発生が予想される広域災害に対して,準備しなければならない対応策はまだまだ多いと考える。耐震工事や防波堤,避難路などの災害そのものに対する対策だけではなく,被災直後から始まる救援活動をいかに迅速かつ効率よく実施できるかということについてである。その際,被災地における必要な救援物資の種類と量を想定すること,救援物資輸送ルートの災害に対する脆弱性を評価し,適切な迂回路を設定すること,それに応じて集積した物資を被災地へ送付する前線拠点や後方支援拠点を適切な場所に設置すること等々,自然地理学,人文地理学の枠組みを超えて,地理学がこれまでの成果を踏まえた貢献ができる余地は大きいのではないか。議論を喚起したい。
  • 荒木 一視
    セッションID: 417
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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     報告者は日本の近代化を担った工業労働者に対する食料供給はどのようにして担われたのかという観点から研究を進めてきた。その過程で,米の海外植民地依存が都市労働者の食料供給を支えたことが浮かび上がってきた。特に朝鮮からの米移入の重要性は際立っている。その反面,朝鮮の農民への食料供給はどのようにして担われてきたのかという関心は決して高くなかった。 戦間期の東アジアを巡る主要な食料貿易としては①朝鮮から日本(内地)への米,②台湾からの米,③同様に台湾からの砂糖,④満洲からの大豆等がよく知られており,それらに関する先行研究も多い。実際,1932年には①が約108万トン,②が約51万トン,③が約80万トン,④が46万トンなどとなっている。戦間期を通じて米需要全体の1~2割程度がこれら植民地から供給され,内地の食料需要を支えた。これに対して,朝鮮農民の食料需要がどのようにして支えられたのかに着目したとき,22万トン(1932年)もの輸入量がある満洲から朝鮮向けの粟貿易が重要な役割を果たしているのではないかと考えた。戦後,十分な議論がなされたとはいえない満洲から朝鮮に送られた粟に焦点を当てて,そのフードチェーンの解明に取り組んだ。(本報告は戦間期の統計に基づいた研究であり,朝鮮や台湾は当時の植民地の呼称として使用した。同様に満洲や奉天(瀋陽)などの標記についても,もととなる統計に従って,そのまま使用した。)  戦間期の朝鮮・満洲間の貿易は「満洲国」建国以前の1932年までのそれ以降に大きく分けることができる。それ以前の1920年代を中心とした時期は,満洲から朝鮮への輸入が卓越する時期,それ以後は逆に満洲向けの輸出が卓越する時期である。前者の時期には粟,柞蚕生糸,豆粕,木炭,石炭などの輸入品,後者の時期には,金属,薬剤,車両,木材,衣類などの輸出品が主力であったが,期間を通じて最大の貿易額を維持したのが粟で,輸入額1千万円を超える品目は移輸出入を通じて他にはない。 この時期の満洲の主要な貿易港は,大連,営口,安東(丹東)の3港であり,大連は最大の貿易量を誇り,営口は主として中国との貿易,安東は朝鮮との貿易を担った。安東と鴨緑江を挟んで向かい合うのが朝鮮側の新義州で,ここが朝鮮側の対満洲貿易の主要貿易港となった。なお,貿易港とはいうものの貿易量の大半は鴨緑江橋梁を利用した鉄道によるものである。1911年の同橋梁の完成により京義線(京城・新義州)と安奉線(安東・奉天)が連結され。貿易の中軸を担うようになった。 『新義州税関貿易概覧』による1926(昭和1)年と1939(昭和14)年の食料貿易状況は以下の通りである。1926年の輸出では魚類,果実,1939年では米,りんご,1926年の輸入では粟,1939年では粟,黍,コウリャン,蕎麦,大豆,小豆が主用品として取り上げられている。  まず輸出品であるが,1926年の魚類はシェア5割の釜山を最大の産地とし,仕向先は大連と奉天でほぼ5割を占め,それに安東や撫順が続く。果実では黄海道のリンゴ産地,和歌山県のミカン産地から安東向けが中心である。1939年の米は平安北道各地から安東,奉天,ハルピンさらに天津に仕向けられている。リンゴは黄海道や平安南道から安東,奉天,ハルピン,新京向けが中心となる。いずれも主要な農業産地や有力漁港から満洲の大都市向けに輸出されている。  次に輸入品であるが,両年を通じて粟は四平街や奉天など京奉(新京・奉天)線沿線各地を中心として,ハルピンや通遼,白城子など満洲各地から集荷され,朝鮮各地に仕向けられている。平安北道が4割近くのシェアを持つものの,仕向先は平安南道,黄海道,京畿道,忠清北道・南道,全羅北道・南道,慶尚北道・南道,江原道,咸鏡北道・南道と全道に及ぶ。その一方,当時大人口を擁した京城や,仁川,釜山,平壌などの入荷量は決して多くない。これは輸出品が主として大都市に仕向けられていたのとは対照的である。例えば,魚類の場合,連京線(大連・新京)沿線の9駅を含む合計15駅が仕向先となっているのに対し,粟の場合は京義線の27駅を始めとして,朝鮮全土に広がる幹線・支線を合わせて33の鉄道路線の合計154駅が仕向先としてリストアップされている。これは仕向先が新義州や平壌に集中する蕎麦などとも異なり,産地と都市の消費地を連結するチェーンというよりも,産地と農村の消費地を連結するチェーンと見なすことができる。当時の朝鮮からの米移出を支えた背景に,大量の満洲粟の輸入と朝鮮全土の農村部への供給があったことを指摘できる。
  • 一ノ瀬 俊明, リグワル ビクトリア
    セッションID: 701
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    昨今のモバイルテクノロジーの進歩は、携帯型電子媒体、省エネ型環境センサー、GPS内蔵型機器、モバイルインターネットなど、都市生活空間環境の研究にさまざまな新しい可能性を与えようとしている。本研究では、都市の街区スケールにおけるモバイルテクノロジーを応用したリアルタイムの体感気候データの収集・空間分布表示システムの提案を行っている。このような情報がリアルタイムで収集され、集中処理されて発信されることは、都市における暑熱的危険空間についての情報を市民が共有でき、そのフィードバ
    ックとして利用者個人が必要な対策をとれることを担保するものである。また、屋外快適性を高めるための街区や建築のデザインを属地的に実現するための基礎データとして、このような高空間解像度の環境情報データベースを、高時間解像度で構築する必要がある。演者らは、AndroidにCO2濃度等のセンサーを組み込み、リアルタイムに計測データを位置情報、時刻情報とともにサーバーに集約する、ポータブル型環境モニタリングシステムを開発し、ラグランジュ的環境モニタリングの実施をつくばと東京で行った結果、大気汚染現象の局地性がきわめて高いことが具体的な時空間情報として示された。また、送信された被験者の暴露情報と健康情報を組み合わせることにより、リアルタイムのリスク診断が可能となった。
  • 一 広志
    セッションID: 706
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1.はじめに

    高知県地方における冬期の降水の地域的な特性を把握し、降水の形態による地域区分を行なうことを目的として、1月の月間降水量と月平均気温ならびに月間日照時間との関係に着目してAMeDASのデータの解析を実施した。統計期間はAMeDASのネットワークが整備された1978年から2015年までの38年間である。

     

    2.1月の月間降水量と月平均気温との関係

    降水量、気温、風向・風速、日照時間の4要素を観測しているAMeDAS地点において、標記の38年間の月間降水量を目的変数y、同じく月平均気温を説明変数xとして、これらの関係が一次式y = ax + b で近似されると仮定して係数 a と切片 b の値を求めた。

    すべての観測点において、これら2変数の間には正の相関関係が認められ、気温が高くなるにつれて降水量が増す傾向が認められる。この回帰式の係数aの値は、気温の変動が降水量に及ぼす影響度であると考えることが可能である。佐賀、窪川、大栃で20を上回る値を示している。内陸山間部では、本川では17台の値であるが西部の梼原、江川崎では7台にとどまっている。県西部の内陸山間部は、気温の変動が降水量に及ぼす影響は他地域に比べると小さいと考えられる。

    切片 bの値は、内陸山間部の本山、本川、梼原、江川崎で正、その他の地点で負となっている。この値と考察対象期間中の月平均気温との間には1%水準のt検定で有意な負の相関関係が認められ、低温である地点ほど切片 b の値が大きくなる傾向がある。

     

    3.解析結果より導き出された降水地域区分

     

    a 太平洋側気候区

    ①  
    東部地域

    魚梁瀬、室戸岬、佐喜浜の各観測点を含む領域である。標記期間において県内で最大の降水量が観測される地域である。

    ②  
    高知中央地域

    沿岸部は須崎から田野にかけての地域で、内陸部は繁藤、大栃の各観測点が含まれる。沿岸部における標記期間の降水量は県内で最小であり、日照時間は最多である。

    ③  
    窪川・佐賀地域

    月間降水量と月平均気温との正の相関関係が高い地域である。先述の一次式の係数aの値が大きく、気温の変動が降水の生成に及ぼす影響が大きい地域であると考えられる。

    ④  
    中村・清水地域

    東部地域に次ぐ多降水域である。岬端部の清水は県内の観測点の中で月平均気温と月間降水量の変動係数とが最大であり、月平均日照時間も180h以上の極大を示す。

    ⑤  
    宿毛地域

    月間降水量は東側に位置する中村・清水地域よりも少ない。一次式の係数aの値が太平洋側気候区では最も小さく、気温の変動が降水に及ぼす影響の小さい地域であると考えられる。

     

    b 準日本海側気候区および山岳地域

    一次式の切片bの値が0から20の区間が先述の太平洋側気候区との境界に相当しているものと考えられる。月間降水量の変動係数は小さく、月間日照時間のそれは大きい特徴がある。

    ⑥  
    中部内陸・山岳部地域

    本山と本川とが含まれる。本川は月平均気温が県内観測点の中で最も低く、月間日照時間の変動係数が最大である。高知県地方の天気予報の発表区域である「高吾北・嶺北」に旧本川村の地域を加えた領域にほぼ一致するものと見られるが、気温や日照時間を目的変数とした地域区分を行なうと複数の地域に細分化されると考えられる。

    ⑦  
    西部内陸・山岳部地域

    梼原と江川崎とが含まれる。月間降水量の変動係数および気温の変動が降水に及ぼす影響は県内で最小である。「準日本海側気候区」の特徴が県内で最も強く現れている地域であると考えられる
  • 中村 努
    セッションID: 411
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    Ⅰ.はじめに
    日本では,ベビーブーム世代が後期高齢者(75歳以上)に到達する2025年を念頭に置いて,医療供給体制の改革が議論されている。具体的には,地域の医療需要を推計したうえで,病床の機能分化と在宅医療への移行を進めると同時に,病床数の削減を通じて医療費を抑制しようとするものである。その実現のため,厚生労働省は,各都道府県に対して,二次医療圏単位で地域医療構想の策定を求めている。しかしながら,高知県のように,高齢者の入院患者が多い場合,大幅な療養病床の削減は,在宅医療や介護サービスの供給体制の整備を前提としなければ,高齢者の医療需要を満たせなくなる恐れがある。今後の地域医療構想の策定にあたって,現在の医療供給体制がいかにして維持されてきたかを明らかにするとともに,今後の課題を抽出する必要がある。
    そこで本発表は,高知県内の基幹病院を中心として,現在の医療システムがいかにして維持されているのか検討する。特に,高知県の僻地医療政策において,医療従事者の確保と在宅医療の推進に向けた多職種間の連携強化の2点に焦点を当てて検討する。

     Ⅱ.高知県における僻地医療対策と病院の役割
    高知県における人口の約45%が高知市に集中し,医療機関や病床も同市に一極集中している。実際には,療養病床および慢性期医療に従事する医師が多く分布し,一般病床数および急性期医療に従事する医師数は全国平均と同様である。また,高知市以外の急性期病院の常勤医師数は大幅な減少を続けており,医師を確保しながら僻地医療を提供する地域中核病院の役割が大きい。
    高知県の過疎地域では,無医地区が多く,高齢化率が50%を超える自治体もある。県内では,出張診療所を含めた僻地診療所が29カ所設置され,僻地医療拠点病院が8カ所指定されており,僻地診療所への医師派遣や巡回診療といった医療活動が継続的に実施されている。僻地医療の支援態勢として,高知県へき地医療支援機構による代診医師の派遣や情報ネットワークの整備,高知県へき地医療協議会による医師の確保があるが,診療機能の継続および医師確保がきわめて困難な状況にある。

     Ⅲ.地域医療構想の策定過程に内在する問題点
    地域医療構想の策定のための根拠となるデータとして,2015年6月,医療機能別病床数が推計された。これによると,2025年の必要病床数の合計は,地域ごとに推計した値を積み上げると,115~119万床とされた。現在の一般病床および療養病床の合計が134.7万床であることから,今後10年間で15~20万床程度の病床数の削減が必要であることを示唆している。この目標値をみると,大都市では病床数が不足する地域が多く,それ以外の地域では過剰となる地域が多くなるなど相当の地域差が生じている。
    高知県の2015年度における病床数目標値は1万1,200床となっている。現在の病床数1万6,200床であるため,目標に必要な削減数は5,000床であり,そのうち半数が療養病床となっている。
    推計結果自体の問題点として,限定されたデータや推計結果の妥当性が挙げられる。入院病床数のみが推計結果として示されており,既存の設備や人員といった他の医療資源や医療機能間の連携,アクセシビリティに関する交通条件への配慮がない。また,療養病床については現在,報酬が包括算定であるため,一般病床のように医療行為について医療資源投入量に基づいた分析がなされていない。このような精緻化の余地のある推計結果を目標として,病床機能の転換や病床数の削減を進めた場合,受け皿として想定される介護施設が整備されるかどうかも含め,需給ミスマッチが生じる可能性が高い。
    さらに,推計単位が都道府県のスケールにとどまっており,よりミクロなスケールの需要分布と,それに基づく資源配分のあり方について言及がない。したがって,今後の地域医療構想の策定において,二次医療圏別の詳細な医療資源配分をめぐる調整には曲折が予想される。都道府県別に地域医療構想が策定されることから,都道府県を超えた患者の受療行動を考慮した圏域設定や計画は困難である。一方,地域医療構想自体には強制権限はなく,なかでも民間病院は自由裁量によって,自らの医療機能を決めることができ,医師も自由に自らの職場を選択することができる。そのため,仮に今後の医療需要予測に基づいた適切な医療構想が策定されたとしても,それが実効性をともなうかどうかは不透明である。今後,介護との連携をはじめ,実態を踏まえた現実的な計画の策定と,実効性のある計画の遂行の成否は,地域によって異なる関係主体間の利害調整プロセスに大きく影響されるものと考えられる。
  • 山田 周二
    セッションID: P920
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    平野の周縁部において,その背後に急峻な山地がある場合は,沖積錐とも呼ばれる小規模な扇状地が発達している場合がある.このような地域では,背後の急峻な山地からの土石流災害の危険がある.土石流災害の危険性を,土地利用から判別できれば,防災教育に有効であると考えられるため,小規模な扇状地とその周辺地域とで,土地利用を比較した.
      大阪平野の北縁部および東縁部に位置する,北摂山地南麓と生駒山地西麓とを調査対象とした.それぞれの地域において,まず,等高線形状を基に,扇状地の範囲を抽出した.そして,その下方に位置する扇状地ではない地域について,扇状地と同程度の面積の範囲を抽出した.扇状地下方の地域の地形は,北摂山地南麓においては,平野と丘陵地とがあり,生駒山地西麓では,平野であった. いずれの地域も,扇状地の上流域は,土石流危険渓流に指定されており,扇頂付近は土石流危険区域に指定されている.
      対象地域において,国土地理院によって1920年代および2000年前後に発行された2万5千分の1地形図を用いて,土地利用を分類した.各年次の土地利用分類結果から,地形別の土地利用の面積を集計した.扇状地については,土石流危険区域とそれ以外についても集計した.
      1920年の土地利用は,生駒山地西麓と北摂山地南麓とでは,やや異なる(図1).生駒山地西麓では,いずれの地形においても,水田が57~85%を占めており,扇状地の方が,扇状地下方の平野よりも,その割合は低く,扇状地の中でも土石流危険区域で低かった.扇状地では,水田に代わって,集落・市街地および林地の割合が,やや高かった.ため池は,扇状地の2%を占めるに過ぎないが,ほとんどすべてが扇状地にあり,3分の2が土石流危険区域にあった.果樹園は2%に達しなかった.一方,北摂山地南麓では,水田が22~68%とやや低く,特に,扇状地下方の丘陵地では,その割合が低かった.扇状地では,生駒山地西麓とは異なり,果樹園が23%を占めた.ため池は,扇状地の2%を占めるに過ぎず,生駒山地西麓と同程度であるが,扇状地に集中するということはなく,扇状地下方の平野にも丘陵地にもみられた.
      2000年の土地利用は,生駒山地西麓と北摂山地南麓とで同様の傾向を示す(図1).集落・市街地が多くを占め,いずれも70~95%に達する.その残りの多くを水田が占めており,あわせて79~98%を占める.樹木畑は,扇状地の2~3%を占めるに過ぎないが,いずれの地域においても,その多くが扇状地に立地している.
      以上のように,小規模な扇状地の土地利用は,他の地形と明瞭に異なるわけではないが,果樹園,ため池,樹木畑のように,地域や時代によっては,小規模な扇状地に特徴的に分布するものもある.
  • 山田 浩久
    セッションID: S0204
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    _2013年度に山形大学の「自立分散型(地域)社会システムを構築し,運営する人材の育成」事業が大学COC事業に採択されて以来,同学においても研究,教育の成果を地域に還元する方法に関する議論が盛んに行われるようになった。地域科学を学ぶ者にとって,研究は地域のために行うものであり,大学教員であればそれを授業に組み込むことは珍しいことではない。そのため,研究,教育,地域貢献に関わる昨今の議論に困惑する地域研究者は少ないように思われる。
    _しかしながら,そうであるがゆえに,地域の直接的な要請に応えなければならない機会が多くなり,研究活動との乖離を受け入れざるを得ない状況が生まれつつある。一方で,人口の少子・高齢化が進行する中にあって,地方の衰退は決定的な事象として認識されており,地方大学が地方創生の中核として機能していくことは社会的にも大いに期待されるところである。地域貢献活動を大学の学生教育に反映させ,地方創生に関わる政策提言にまで発展させていくためには,その過程を意識した地域貢献活動への参画と中期的な研究計画の立案が必要であると考える。
    _本報告は,COC事業の分野別研究として実施された山形県上山市に対する学生参加型の現地調査が,観光行動モデルの実証研究としての成果を上げつつ,学生による観光まちづくり提案に発展し,商品化に至った経緯を報告するものである。
    _大学COC事業の採択以前から報告者は上山市の観光に関する研究を行っていたが,2013年度からは同事業の分野別研究に認められた。それに伴い,研究活動を学生教育に反映させることと研究結果の地域還元を明確な形で示すことが要求された。
    _2013年度の研究は,前年度までの調査結果に基づき,若年観光者の行動モデルを実証することを目的に学生達を1泊2日で現地に派遣した。参加学生は報告者が担当する『地誌学』の受講生であり,観光の産業化を考える単元として現地での体験学習をあてた。事後のレポートを見ると,宿泊観光を自由に体験させることで,学生達は同地の観光資源の乏しさや観光提案の不備を感じ取ったようである。また,それらの課題を補うために,自らが観光資源を発掘し,観光行動に組み込む過程が分かり,若年観光者の行動モデルが実証された。ただし,山形市に隣接するにも関わらず上山市への訪問が初めて学生が多数いたことや,時間的な問題から学生同士のディスカッションを行えなかったことなどから,学生からの提案までには至らず,教員による中間報告を現地で行うにとどまった。
    _2014年度は,2013年度の反省から年度通しての活動を念頭に置き,前期開講の少人数型の演習で上山市を対象にしたモデルコースを提案させ,後期開講の『地誌学』でそれらを検証することにした。いずれの授業も報告者が担当しているため,前期演習の受講者の大半が後期『地誌学』を受講し,連続性が確保された。また,同講義で取り上げる地域を再度上山市としたことで重複履修者は2度目の訪問となった。前期演習では日帰り,宿泊を合わせ12のモデルコースが提案され,その検証には後期『地誌学』の「風土に基づく地域の見方」(全4単元)をあてた。同講義受講学生は,希望するコースに対応した現地調査を行い,その内容を事後のグループ・ディスカッションでまとめた。ディスカッションでは,コースを実際にまわってみて分かった修正点のほかに,現地住民との対話から得られた地域の活動が挙げられ,市民協働の必要性や他産業との連携などが話し合われた。修正された観光コースは,学生達によって現地で報告され,上山市及び同市の観光関連業者から高い評価を受けた。その現れとして,宿泊業者から商品化の申し入れがあり,4つの観光コースがホテル提案の観光商品として公開されるに至った。
    _2015年度は,インバウンド観光に向けた現地調査を留学生の参加を含めて行う予定である。3年度に渡る調査は,COC事業として認可されなければ,資金的な面はもとより学内認知の面からも実施できない。また,その教育効果は予想以上のものであり,学生は座学では得られない多くの知見を得ることになる。しかし,今後,連携自治体に対象地域が限定されることや教員間で対象地域が重複すること等に起因する問題の発生が予測され,教員の意識向上や地域へのケアが課題になると考えられる。
  • 日野 正輝
    セッションID: S1107
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    ポスト成長都市の地理学的研究の課題
    Agenda of geographical study on post-growth city
     

    日野正輝(東北大)
    Masateru HINOTohoku University
     

    キーワード:ポスト成長都市、持続可能性、縮退都市、生活の質、行為者中心のネットワーク

    Keywordspost-growth city, sustainability, shrinking city, quality of life, actor-centered networks


    1.   はじめに

    「持続可能な都市空間の形成に向けた都市地理学の再構築」を研究課題とする科研グループ(2012~15年度)では、すでに、大都市圏の空間変容、中心市街地の活性化の問題、大都市都心部でのジェントリフィケーション、平成の市町村合併の総括、都市システムの変化等について検討してきた。それらの検討結果は、E-Journalのシンポジウム記事、日野・香川(2015)およびHino & Tsutsumi (2015)などにおいて報告してきた。

    そのなかで、時代認識として、ポスト成長社会の到来を提起した。しかし、ポスト成長社会、ポスト成長都市の定義を提示していない。成熟社会、人口減少(縮小)社会などの用語が使用されていることからすれば、ポスト成長の用語を使用する意図を説明することが求められる。そこで、これまでのグループの研究成果を踏まえて、当該概念を使用した意図および必要性について説明し、ポスト成長都市に関する地理学的研究の課題について提示したい。
     

    2.   ポスト成長社会に係る認識・論点

    1)  人口減少を前提とした社会の構想:「第二の人口転換」と、その背後に国民の生活様式および価値観の変化があることは広く認識されている。この認識からすると、人口減少を前提にした社会の在り方を考えることが必要になる。

    2)  持続可能性の確保:人口減少が進む中で、社会や都市の活力を維持し、豊かさを求める方向を表現する適当な概念として持続可能性がある。

    3)  持続可能性の概念の広がり:当該概念の普及は1992年の国連主催の地球サミットにおいて、「持続可能な開発」の概念を基礎にした種々の地球環境問題への具体的な取り組みが開始されたことを契機とする(大来監修、1987)。それ以降、持続可能性の概念は地球環境問題の文脈に限らず、ヨーロッパでは都市政策の分野において「持続可能な都市」の概念が提起されてきた(岡部、2003)。

    4)  ポスト成長と成長の関係:両者は二律背反の関係にあるのではない。ポスト成長社会においても、社会や都市の活力を市場競争のなかで維持するためには経済の活性化は求められる。ただし、活性化の内容が社会や都市の持続性と調整されたものになることがポスト成長社会の特徴である。
     

    3.  ポスト成長都市の地理学的研究課題

    1)  生活の質に関する研究

    Pacione(2015)は、ポスト成長都市の研究課題として、①都市の縮退現象(Shrinkage)に関する研究と、②生活の質(Quality of Life)に関する研究を挙げている。後者の課題については、生活環境の質を計測し、その空間的差異の問題点を検討することに主眼が置かれている。安心・安全なまちづくりといった場合、安心や安全の程度を都市の各地区について計測し、空間的格差の問題の改善につなげて行く。都市圏の社会地図の作成なども、当該研究に位置づけられる。

    2)  行為者中心のネットワーク形成に関する研究

    Hino(2015)は、都市の持続的な活性化の方途として、都市の様々な主体が自己を中心にして都市内外で形成するネットワークの育成を掲げ、その実態把握とその育成のための環境整備の必要性を提起している。日本企業の海外進出が一般化した段階では、域外の大手資本の進出を期待した都市経済の振興を期待することは難しくなっていること、したがって、従来型の方策とは別に都市の様々なステークホルダーが有する潜在的能力の発現を促し、それを拡大させるネットワーク形成に都市の持続可能性を期待している。
     

    参考文献

    大来左武郎監修(1987):『地球の未来のために―環境と開発に関する世界委員会編』福武書店

    岡部明子(2003):『サステイナブルシティ』学芸出版社

    日野正輝・香川貴志編(2015):『変わりゆく日本の大都市圏』ナカニシヤ出版

    Masateru Hino and Jun Tsutsumi eds. (2015): Urban Geography of Post-Growth Society, Tohoku University Press.
  • 桒田 但馬
    セッションID: S0202
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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     本報告の目的は岩手県立大学総合政策学部の一員として実践してきた、岩手県の農山漁村における地域・自治体と研究室の協働のまちづくりについて、大学教員の研究上、教育上、地域貢献上の意義、大学の役割を明らかにすることである。
     ゼミ生が参加する意義は、(1)地域への関わりを考える機会が得られ、生涯学習・社会教育への第一歩となる。(2)人的ネットワークの形成と新しい価値観の創出。(3)地域における諸成果が自己の精神的成長にフィードバックされる。(4)地域の活動を客観的にみることができ、地域の過去と未来をつなぎ、他の地域のことを教えることができる。(5)地域住民と教員の距離を縮めてくれる。(6)若い感性に期待してもらえる。
     研究室の地域住民との出会いは社会的な信用性に裏付けられたものであり、研究室からアプローチする場合や自治体、商工会などの仲介による場合などがある。地域にやらされ感や不信感が生じないことが多い。現場での活動は研究室の活動の幅を広げ、報告者にとって地域貢献では地域のアドバイザーや自治体の外部委員、教育では1・2年ゼミや実習のフィールドとなり、研究では基礎研究の共有・蓄積、発展的研究の対象として活きてくる。
  • 西原 純
    セッションID: S1102
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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  • −カンボジアの事例−
    羽田 麻美, 藁谷 哲也
    セッションID: P905
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    Ⅰ 研究目的
     熱帯気候下における岩石の風化プロセスについては研究事例が少なく,詳細な風化プロセスや物理的風化速度については未解明な点が多い。岩石の風化量あるいは風化速度を知るための方法としては,岩石タブレットを用いた野外風化実験が知られている(たとえば松倉,2008)。この手法は長期にわたる実験期間が必要なものの,特定の風化環境下における岩石の風化特性を明らかにできる。本研究では,未風化の新鮮な岩石試料をカンボジアに設置し,約2年半にわたり野外風化実験を実施した。そして,異なる7種類の岩石供試体を用いた実験から岩種別の劣化状況を把握し,熱帯環境下での岩石の風化特性を明らかにすることを試みた。

    Ⅱ 地域概要および実験方法
    試験地であるカンボジアのアンコール・ワット遺跡内において,2011年8月24日~2014年3月15日の計934日間にわたり供試体を設置し,野外風化実験を実施した。供試体は,1辺50mmの立方体のブロック型供試体(砂岩,ラテライト,斑レイ岩,花崗岩,石灰岩,大理石,凝灰角礫岩の7種)と,直径40mm,厚さ4mmの円盤状タブレット型供試体(石灰岩,大理石の2種)である。これら供試体の風化程度を把握するため,約半年に一度,重量,色彩値,超音波伝播速度,エコーチップ反発強度を現地で測定し,マイクロスコープによる表面観察をおこなった。また,石灰岩と大理石については重量損失量に基づいて溶食率(%/yr)を算出した。なお,試験地の気候は年平均気温約27℃,年降水量1,856mmで,少雨期を伴う雨季と乾季の交替する熱帯モンスーン気候下にある。

    Ⅲ 実験結果
    1.ブロック型供試体を用いた風化実験
    実験の結果,供試体の損失重量はラテライト>凝灰角礫岩>砂岩>石灰岩・大理石≧花崗岩・斑レイ岩の順で減少した。超音波伝播速度,反発強度,帯磁率については,試験期間中,顕著な変化は認められなかった。また,間隙率の大きい凝灰角礫岩と砂岩では,供試体天面を中心に,微生物侵入による黒色化が生じた。マイクロスコープと電子顕微鏡による観察によって,アンコール・ワット遺跡を構成する砂岩表面に付着する微生物と同種であることがわかった。凝灰角礫岩試料では微生物が微細岩片を伴って厚さ100μm程のマットを形成していること,砂岩試料では表層40μm程度の凹みに,微生物がポケット状に侵入していることなどがわかった。

    2.タブレット型供試体を用いた風化実験
    石灰岩と大理石からなる供試体の溶食量は約0.1~0.5%/yrであり,漆原ほか(1999)により日本の7地点で示された溶食率(約0.2~0.8%/yr)に比べると小さい傾向がある。また,石灰岩と大理石では,石灰岩の方が溶食率は大きく,ブロック型供試体における凝灰角礫岩・砂岩でみられたような微生物の侵入は観察されない。

    Ⅳ まとめ
    熱帯域における岩石の野外風化実験により,間隙率の大きい岩種において微生物活動による風化初期段階の様子が観察された。設置後2年半の実験では,物理的に岩石が破砕されるほどの風化は生じず,微生物が岩石表面に付着し,それらが鉱物間に侵入していく。本試験において黒色の微生物が付着した岩石試料は,間隙率の大きい凝灰角礫岩と砂岩であった。すなわち,微生物の侵入には,岩石のもつ間隙の大きさ(生育に適する空間の有無)や鉱物組成(栄養元素の豊富さ)が関与している。また,これら微生物が岩石内部へ侵入していくことにより,鉱物を剥離・破壊していくという物理的風化過程が推察された。一方で,方解石を主な鉱物とする石灰岩と大理石については,本研究で測定した熱帯モンスーン地域の溶食率と漆原ほか(1995)による湿潤温帯地域での溶食率の比較した結果,熱帯モンスーン地域の方が溶食率は小さいことがわかった。本研究で求めた溶食率は,最初の半年間がもっとも大きい値を示した。すなわち,熱帯モンスーン気候下における乾季の存在が,炭酸カルシウムの再結晶を促し,溶食を鈍化させている可能性があると考える。

    謝辞:本研究は,2010~2013年度文科省科研費(基盤研究B,課題番号22401005,研究代表者:藁谷哲也)により実施した。
  • 北田 晃司
    セッションID: 501
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    本研究においては、首都圏および関西圏以外では、今後、国際観光が最も成長する可能性が高い広島県における国際観光について、外国人観光客の訪問数の推移や国籍構成、さらに中国地方の他の4県や四国地方の諸県を含め周遊観光の可能性などの観点から検討する。広島県を訪問する外国人観光客数は近年、着実に増加している。その中では広島市および宮島への訪問数が特に多い。また外国人観光客の国籍ではアメリカ合衆国、オーストラリア、フランスなどの欧米からの観光客が7割と、全国の都道府県でも特に高い値を示している。これらの欧米からの外国人観光客の増加率は特に1990年代後半から2000年代後半にかけての宮島で高いが、これは同地がミシュランガイドに3つ星観光地として掲載された影響が大きいと考えられる。しかしその一方でアジアからの観光客の誘致は今後の大きな課題である。特に韓国人観光客の広島県訪問数は、同国から広島空港への直行便が存在するにも関わらず、フランス人またはドイツ人 観光客よりも少なく、わが国の中国・四国地方を訪問する団体旅行のコースにおいても広島県内の観光地はほとんど含まれていない。その背景としてはいくつかの要因が考えられるが、特に 日本の植民地支配を受けたゆえに原爆関連の史跡を被害者としての立場から見ることへの精神的葛藤の存在が大きいと考えられる。しかしその一方では、広島県東部の備後地区を中心に台湾人観光客が急増していることも注目される。彼らの多くはしまなみ海道を訪問しており、また広島市についても韓国以外の国からの観光客は増加傾向にあり、県全体ではアジアからの観光客の割合が少しずつ増加していることは否定できない。またこの他の広島県の国際観光の発展に向けた課題としては、広島市ー宮島間を除くと中国地方あるいは四国地方を含めた広域の国際観光が九州地方、北海道地方、北陸地方などの他地方に比べてかなり立ち遅れていること、外国人観光客の間で、瀬戸内海に代表される、いわゆる「海の文化」への関心が低いことなどが挙げられる。さらにこれらの要因とともに、山陽新幹線において外国人観光客がジャパンレイルパスで利用できる速達列車が少ないことや、今後中国地方において増加が予想される台湾などからの観光客が日常的に使用している中国語の繁体字の観光案内冊子が不足していることも無視できない課題である。
  • 吉田 国光, 形田 夏実
    セッションID: 517
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1.研究課題
    本研究では,石川県金沢市において「伝統野菜」として生産される15品目の「加賀野菜」を事例に,それらの作物の生産および出荷の動態を分析することで,小規模な都市近郊産地の存続に向けて農産物のブランド化が果たす経済的・非経済役割を明らかにすることを目的とする.
    2.研究手順と対象地域

    研究手順としては,まず統計資料などをもとに対象地域の農業的特徴とその変遷を検討し,「加賀野菜」としてブランド化される品目の概況を示す.次に,金沢市農産物ブランド協会への聞き取り調査で得たデータをもとに,農産物のブランド化をめぐる組織体制や制度について整理する.さらに,対象地域における各品目の生産部会への聞き取り調査をもとに,15品目の生産と流通の動態を,慣行栽培と「加賀野菜」栽培との差異に着目して分析することから,各品目のブランド化が産地の存続に果たしてきた役割を明らかにする.  研究対象地域に選定した石川県金沢市は近世より城下町として発展してきた.市街地周辺部では自然条件の微細な差異に応じて様々な農業生産が展開している.気候条件として,夏期は高温で降雨が少なく,冬期には降雨・雪が多く日照時間は少ない.地形条件としては金沢市中心部の東西部を犀川と浅野川が流れ,南東部は山地となっている.中心部から周辺部へと広がる金沢平野では金沢市の水田が卓越している.海沿いには砂丘地が広がり,サツマイモやダイコン,スイカ,ブドウなどの畑作・果樹作が盛んである,2010年国勢調査によると,産業別就業者の割合は第1次産業で1.5%,第2次産業で22.0%,第3次産業で76.5%となっている.このうち農業就業者は減少傾向にある.
    3.「加賀野菜」をめぐるブランド化の諸相
    F1種の登場以降,「加賀野菜」を含む在来品種の生産農家は減少傾向にあった.こうしたなかで種の保存・継承の気運が高まり,1990年に金沢市地場農産物生産安定懇話会が組織され,在来品種の保存に向けた取り組みが開始された.1992年には加賀野菜保存懇話会が新たに組織され,保存対象となる在来品種を「加賀野菜」と命名した.1997年には,金沢市特産農産物の生産振興と消費拡大の推進を目的とする金沢市農産物ブランド協会が設立され,「加賀野菜」を通じた農業振興が取り組まれるようになった.「加賀野菜」は「昭和20年以前から栽培され,現在も主として金沢で栽培されている野菜」と定義され,「金時草」,「ヘタ紫なす」,「加賀太きゅうり」,「せり」,「加賀れんこん」,「さつまいも」,「たけのこ」,「源助だいこん」,「打木赤皮甘栗かぼちゃ」,「金沢一本太ねぎ」,「加賀つるまめ」,「二塚からしな」,「くわい」,「赤ずいき」,「金沢春菊」の15品目が認定されている.  これら15品目の生産・流通の動態を分析した結果,15品目は3つに類型化できた.まず1つ目として,「さつまいも」,「れんこん」,「加賀太きゅうり」,「源助だいこん」では生産量が多く,県外流通の割合も高かったことから,ブランド化が生産者へ経済的メリットを与えているといえる.これらの生産者の多くは専業農家であり,これらの品目から得られる農業収入の割合も高かった.これらの品目の生産者は金沢市という小規模産地の中核的存在といえ,ブランド化が産地の存続に一定の経済的役割を果たしていると考えられる.2つ目の「ヘタ紫なす」,「加賀つるまめ」,「金沢一本太ねぎ」,「くわい」,「赤ずいき」,「金沢春菊」,「せり」,「二塚からしな」では生産量が少なく,流通も県内を中心としていた.ブランド化が生産者へ与える経済的メリットは小さいといえる.しかし,これらの品目の生産農家数は僅かとなっており,ブランド化が在来品種の保存に一定の役割を果たしていると考えられる.在来品種の保存自体に経済的メリットは見出しにくいものの,「加賀野菜」に必須の要素となる「歴史性」を担保する非経済的役割を果たしていると考えられる.3つ目の「たけのこ」,「金時草」,「打木赤皮甘栗かぼちゃ」については,先の2類型の中間的な性格を有していた.以上のことから,「加賀野菜」として統一されたブランドが構築される一方で,作物の特徴によってブランド化の意義は異なる様相を呈し,金沢市という都市近郊の小規模な農業産地の存続に様々な役割を果たしていた.
  • 安倉 良二
    セッションID: 406
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    都市における小売活動を捉える上で大型店の立地が指標となるのは論を待たない。大型店の立地が都市の小売活動に及ぼす影響を取り上げた研究は,国および地方自治体が独自に制定した大型店の立地規制と関連づけたものが多い。しかし,大型店の立地変化を主導するのは,大手小売業者やショッピングセンターの開発業者である。2000年代後半以降,大手小売業者の中には,経営破綻や統合に伴って店舗網を再編成する過程で採算の悪い店舗を閉鎖させることも珍しくない。こうした動きは,大手小売業者を核店舗とするショッピングセンターにおいてもテナントの交替という形で集客力の維持を図る必要に迫られており,都市における小売活動の方向性を述べる上で見逃せない。<BR>
    そこで本報告では,2000年代後半以降の大都市内部における大型店の立地再編成について,発表者が研究を続けている(安倉2002,2007)京都市を事例に,都心部と郊外地域における新規出店と閉店の動向ならびにショッピングセンターのテナント交替に着目しながら明らかにする。<BR>
     2012年経済センサスの京都市独自集計から,国勢統計区別の小売業年間商品販売額をみると,都心部(四条烏丸・四条河原町,JR京都駅周辺),郊外地域の双方で大型店が立地している国勢統計区で上位を占めている。しかし,両地域における大型店の立地状況は2000年代後半以降,大きな変化がみられる。まず,都心部では百貨店の閉鎖と専門店の新規出店が顕著である。まず,前者では四条河原町において阪急百貨店が閉鎖し,その跡地に丸井が出店したのをはじめ,JR京都駅前では近鉄百貨店が閉鎖した跡地に建物を立て替えた上でヨドバシカメラが出店した。また,四条河原町周辺では,ユニクロを核店舗とするショッピングセンター「ミーナ京都」が新規出店したのとは対照的に,マイカル(現在はイオン)の「河原町ビブレ」が閉鎖した。<BR>
     郊外地域における大きな動きのひとつは,南区と向日市との境界に位置するキリンビール京都工場の跡地再開発の一環として行われた「イオンモール桂川」の新規出店(2014年10月)である。同店の立地はJR京都線の新駅設置を伴う新たな商業中心地の形成につながった反面,近接する向日市の中心市街地である阪急京都線東向日駅前ではイオンの既存店舗が今年5月に閉鎖したため小売活動の衰退が懸念される。もうひとつの動きは,ショッピングセンターにおける開発業者と核店舗の交替である。伏見区と宇治市の境界にある六地蔵地区に1996年に開業したショッピングセンター「MOMO」は,2014年9月に核店舗である近鉄百貨店の閉鎖と共に,その運営も近鉄百貨店から住友商事に移った。「MOMO」は改装を経て「MOMOテラス」に名称が変更されると共に,核店舗も食料品スーパーのほか家電製品やスポーツ用品を扱う専門店など多岐にわたった。また,2010年にはJR山科駅前にある再開発ビルの核店舗であった大丸が衣料品売場を閉鎖し,その跡地には家具専門店の「ニトリ」が出店した。<BR>
     このように2000年代後半以降の京都市では,従来の代表的な業態である百貨店や総合スーパーを展開する大手小売業者が都心部および郊外地域で店舗閉鎖や売場の縮小に取り組む一方,都心部では家電製品や衣料品の専門店業態の新規出店が相次いだ。以上の店舗網の再編成は,大手小売業者による経営ならびに店舗周辺の環境変化が厳しくなる中で取らざるを得ない企業行動の一端をあらわす。<BR>
  • 丹羽 雄一, 須貝 俊彦, 松島 義章, 松崎 浩之
    セッションID: P902
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1. はじめに
    東北地方太平洋岸に位置する三陸海岸のうち,宮古以南は海岸線が著しい屈曲をなす,いわゆるリアス海岸である.岬と岬に挟まれた各湾入部には小規模ながら沖積平野が発達している(千田ほか,1984).三陸海岸における沖積層研究は,最近まで久慈,宮古,陸前高田において既存土質柱状図の解析と数点の14C年代のみに基づいて沖積層層序が論じられただけであった(千田ほか,1983;千田・小原,1988).このため,日本の主要な沖積平野(例えば濃尾平野,大上ほか,2009など)に比べると沖積層の発達過程や,最終氷期終焉期以降の相対海面変動と河川作用に対応した地形形成に関する高い時間分解能での検討がなされてこなかった。近年,オールコア堆積物の解析と多数の14C年代測定値に基づいた沖積層の発達過程に関する研究が陸前高田で行われている(丹羽ほか,2014)が,いまだに三陸海岸における沖積層研究の事例が少ない.  本発表では,三陸海岸南部に位置する気仙沼大川平野で掘削されたオールコア堆積物(丹羽ほか,2015)の解析データおよび,東北地方太平洋沖地震後の震災復興工事で得られた既存土質柱状図および土質試料を用いて,沖積層層序や年代,平野の発達過程について議論する.

    2. 調査地域概要
    気仙沼大川平野は気仙沼湾の西側に位置し,南北約2 km,東西4 kmの三角州性平野である.気仙沼大川と神山川が平野下流部で合流して気仙沼湾に注ぐ.

    3. 試料と方法
    本発表では気仙沼大川沿いで実施された震災復興工事の既存土質柱状図を用いた.これらの土質柱状図に対応した土質試料も入手することができたため,土質試料に含まれる貝化石で可能なものは種の同定を行った.また,土質試料中の合計39試料の貝化石,木片,有機質堆積物に対し,加速器質量分析法による14C年代測定を行った.

    4. 結果
    4.1 沖積層層序
    研究対象地域の沖積層は,柱状図の記載,貝化石の種の特徴,および既存層序(丹羽ほか,2015)との類似性に基づき,下位から網状河川堆積物,干潟堆積物,内湾堆積物,デルタフロント堆積物,および,干潟~分流路堆積物に区分される.

    4.2  堆積曲線
    年代試料の産出層準と年代値との関係をプロットし,堆積曲線を作成した.堆積速度は,下部で速く(3 ~ 20 mm/yr),中部で遅く(0.4 ~ 3 mm/yr),上部で再び速く(3.5  ~20 mm/yr)なる.

    5. 考察
    本研究で得られた堆積曲線は,増田(2000)の三角州システムの特徴と合致する.完新世初期の速い堆積速度は,後氷期の海水準上昇に伴い上方に付加された堆積空間に河川からの多量の土砂が供給されることに起因する.その後の遅い堆積速度は,さらなる海水準上昇によって低地が水没して内湾になり,河口からの距離が遠くなることによって堆積物供給が減少したことを反映すると考えられる.その後の堆積速度の急増は,デルタの前進に伴い,河口が接近してきたことに起因すると解釈される.リアスの湾奥に位置する三陸海岸南部の小規模な沖積平野においても,比較的大規模な沖積平野(例えば濃尾平野;大上ほか,2009)で見られるのと同様なデルタシステムに対応した堆積速度変化を明示できた. 調査地域の地形地質断面図に14C年代測定値に基づいて推定した1,000年ごとの等時間線を挿入したところ,少なくとも5,000 cal BP以降は等時間線がダウンラップすることから,典型的なデルタタイプの沖積平野(例えば,濃尾平野;大上ほか,2009など)と同様にデルタの前進を見て取ることができる.5,000 cal BP以降の等時間線はユニット3(内湾堆積物),4(デルタフロント堆積物),5(干潟~分流路堆積物)の各ユニット境界と交差する.すなわち,これらのユニットは同時異相の関係にあり,デルタの前進と整合的である.また,5,000 cal BP以降の等時間線は現在の気仙沼大川平野の縦断面形と調和的な形状を示す.  気仙沼大川が注ぐ気仙沼湾の前方(東側)には大島や唐桑半島が位置し,湾奥部へ波浪が侵入するのを防ぐ役割を果たしていると考えられる.そのため,気仙沼湾の湾奥は波浪による堆積物の侵食,再堆積が生じにくい環境であると推定される.また,平野は丘陵に縁取られ,ほとんどの地点で河川と横断方向の平野の幅が1 km 未満である.これらの丘陵分布の特徴から,気仙沼大川平野は,基底地形となる開析谷の幅が狭く,堆積物の側方への移動が制限されやすい河川環境であったと想定される.流入河川が小規模な本研究対象地域において完新世デルタの地形形成が認められる理由として,狭い開析谷と波浪の影響の生じにくい閉塞的な内湾環境によって,河川作用が卓越したことが挙げられる.


  • 中口 毅博
    セッションID: 208
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    本研究では、持続可能性指標の項目を検討しその妥当性を検証することを目的とし、愛媛県内子町における持続可能性指標を算出し、算出した指標と内子町の具体的取り組みを照らし合わせ、指標の妥当性の検証を行った。その結果、本研究で検討した指標項目については、おおむね活用可能であると結論付けられる。その一方でいくつかの指標項目についての課題点も浮き彫りになった。
  • 日本農業の存続・成長戦略に関する地理学的研究(その2)
    菊地 俊夫
    セッションID: 102
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    研究の目的と対象 首都圏外縁部において、高冷地農業が存続するメカニズムや技術革新はいくつか実践されてきた。それらのなかで、新たな成長戦略としての野菜生産の水平的分業システムが考えられており、それを群馬県昭和村のS農場を事例にして検討することを本研究の目的とした。S農場は赤城山北西麓の高冷地に位置し、白菜やレタスなどの夏野菜を大規模に生産し、東京などの大都市市場に出荷していた。昭和村における夏野菜の従来のフードシステムは、収穫した夏野菜を農業協同組合(JA)の集荷場に出荷し、農業協同組合の差配によって大都市市場に輸送され、市場で仲買人のセリによって価格が決められて小売店で販売された。 

    高冷地農業の伝統的な地域戦略 S農場を含めた昭和村の野菜栽培農家は1980年代後半から生産者が市場関係者に代わって農産物に価格をつける方法を模索しつづけた。その結果、「朝取り」野菜の契約栽培が発達するようになった。昭和村の野菜栽培農家は大都市圏に立地展開する大型スパーマーケットチェーンと契約を結び、早朝に収穫した野菜を午前8時までに出荷し、それらを午前10時開店の店頭で販売できるようにした。つまり、昭和村の農家は収穫した野菜を「朝取り」という新鮮さを付加価値としながら、自分たちで価格をつけて小売業者に直接契約販売できるようになった。これは、昭和村と大都市市場との近接性が関越自動車道路の開通によって向上したことを反映しており、立地条件を活かした農業の地域戦略でもあった。

    高冷地農業の新たな戦略 昭和村の立地条件の1つは高冷地であるため、夏野菜の収穫出荷に最適であったが、それ以外の時期の収穫出荷には不向きであった。消費者のニーズの1つは夏季以外にも新鮮でおいしい野菜が食べたいというものであった。S農場は消費者のニーズに応えるため、栽培する農産物の品目を増やすとともに、野菜類を周年で収穫出荷できる体系を構築した。1つは、ビニールハウスなどの施設栽培を大規模に導入し、野菜類が年間を通じて安定して収穫出荷できる体系をつくりあげた。しかし、施設栽培の場合、農産物は加温などによってコスト高になる。そのため、施設栽培を大規模に展開することは常にリスクがともなうものであった。そのようなリスクを回避するため、もう1つの生産体系が併用されるようになった。それは、S農場の分場を群馬県の前橋市(関東地方の低暖地)、青森県黒石市、および静岡県浜松市などに立地させ、それらの分場から収穫された農産物を含めて周年的に安定して市場に出荷する農業の水平的分業システムであった。

    水平的分業システムの問題点とさらなる戦略 S農場は日本各地で野菜類を水平的分業システムで栽培し、それらを周年的に安定して市場に出荷するようになった。しかし、野菜類を日本各地で契約栽培し、計画的に市場に出荷していても、野菜類には規格外のものや残部が生じてしまう。そのような野菜類は従来廃棄されていた。廃棄される野菜の無駄を省くため、S農場は規格外や余った野菜を用いて漬物を生産するようになった。当初は農産物のロスを最小限にするための漬物加工であったが、「農家の漬物」や「新鮮野菜の浅漬け」などの商品化が功を奏して、スーパーマーケットなどの人気商品になってしまった。結果として、S農場は野菜類を大規模に栽培し、それらを周年で小分け流通させるだけでなく、野菜類の漬物加工も行うことになった。つまり、S農場では野菜栽培の水平的分業システムが発展し、それに小分け流通の3次産業と漬物加工の2次産業を組み合わせることで農業の6次産業化が達成されている。
  • 野澤 一博
    セッションID: 210
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに地方創生のために地域でのイノベーション活動が求められている。そのためには地域の科学技術の特徴やポテンシャルを十分に把握する必要がある。文部科学省科学技術・学術政策研究所では地域の科学技術に関連する統計データを継続的に集計している(文部科学省科学技術政策研究所2005)。しかし、2005年以来データは集計されておらず、その後の状況については不明であった。そこで、今回科学技術資源として人材に着目し、地域的偏在を明らかにして、地域における科学技術の強み弱みを分析し、地域科学技術政策への含意を検討する。本調査研究の方法論としては、総務省「科学技術研究調査」の、知的クラスター創成事業等が開始された2002年と直近(2014年)の個票データを都道府県別に集計し、分析を行った。2.都道府県別研究開発人材の分析(1)都道府県別研究開発人材数の現況 2014年データの研究開発人材数を都道府県別にみると、東京都が最も多く306470人であった。次いで、大阪府、愛知県、神奈川県、京都府、埼玉県と続き大都市圏での人数が多かった。最も少なかったのは高知県の1610人であり、東京都との格差は190倍であった。 研究開発人材を企業、非営利機関、大学の3組織別にみると、企業では静岡県、長野県、愛知県、神奈川県、埼玉県で比較的比率が高かった。非営利機関については、国の研究機関が集中している茨城県での比率が高かった。大学に関しては、長崎県、沖縄県、北海道、高知県等での比率が高かった。 (2)都道府県別研究開発人材の経年変化 2002年を起点として、直近の2014年までの変化を見てみると、愛知県、埼玉県、東京都、神奈川県等の大都市圏での増加が目立つが、増加率では長野県、熊本県での上昇が目立った。両県の上昇要因としては、実際の研究者の増加というより、大手電機メーカーの分社化によるカウント地の変更によるものであった。一方、減少について見てみると、14県で減少していた。特に栃木県での減少が目立った。 組織別に増減数・率を見てみると、企業では100%以上の増加率の件が5県ある一方、50%以上の減少率の県も5県と変化が大きかった。非営利機関では東京都が最も減少しているが、減少率では30%弱であった。大学では大学は集積している東京都、京都府、大阪府、福岡県での増加数が多かったが、愛知県での増加数は特に多いとは言えない状況であった。 3.考察と今後の取組(1)地域格差の検証研究開発人材数の地域格差を見ていくと、2002年には最大値と最小値の格差が213倍、変動係数が2.708であったのに対し、2014年では最大値と最小値の格差が190倍、変動係数が2.555と格差が縮小している。組織別に見ると、企業や非営利機関では格差は縮小傾向にあるが、大学ではわずかであるが格差は拡大していた。これは、知的クラスター創成事業等で大学を通し地域への科学技術研究開発投資は行われたが、その他の競争的資金の流れが人的格差を拡大している可能性が指摘できる。(2)調査研究の課題と今後の展望本調査研究の限界として、データソースの性格上、企業数値がサンプル調査のため推定値であると言える。しかし、いままで具体的でなかった都道府県別の科学技術の特徴は把握できたと言える。また、今回の分析はあくまで量的状況の把握である。今後、質についての検証を行う必要がある。今回は研究開発人材の分析が中心であったが、今後、研究開発費の分析を行うことにより、より詳細に地域における科学技術の特徴とポテンシャルが把握できるようになる。また、それらだけではなく、各種統計データとの相関を検討し、地域科学技術政策へ反映されることが望まれる。
  • 栃木県益子町「土祭」における住民との風土研究を例として
    廣瀬 俊介, 簑田 理香, 萩原 潤, 増田 興二, 今井 知弘, 加藤 優子
    セッションID: 508
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    本発表では、地域文化振興を図る基礎に、地域の成り立ちの総合的理解を目的とした地域研究がすえられた事例とその効果について報告する。また、もってわが国の各地で行われる「地域振興」を名目とした事業における地域研究不在の問題を照射したい。  
    栃木県益子町では、2009年より3年に1度、「風土を引き継ぎ、この土地なりの豊かさを増して次代に受け渡す」目的で、社会実験的催事「土祭(ひじさい)」が開催されてきた。その内容は、当地の基幹産業と目せる農業と窯業を軸に、農家や陶芸家や種々の分野の作家、その他の表現者、研究者、技術者、大工や料理人などの職人、地区の伝統行事を受け継ぐ人々や市民活動に携わる人々らが町民を中心に町外からも集い、さまざまに実験的催しや展示、セミナー等を行うものである。  
    そして、第3回となる2015年の前年、2014年に土祭事務局が、専門研究者を招き地区住民と共同で土祭が依って立つ益子の風土研究を行う「益子の風土と風景を読み解くプロジェクト」を企画した。発表者は土祭風土形成ディレクターに着任し、景観生態学を基底に置きつつ分析項目に歴史学、考古学、民俗学、社会学等の観点を加えて、当局とこの研究に当たってきた。 
    研究は、まず町域全体の予備調査を行い、その成果を町内全戸に配布された『土祭読本』に寄稿することから始めた。同書には発表者が作成した景観観察スケッチを多数掲載するなど、風景を通して風土を読み解く楽しみを住民に訴求すべく努めた。その後、過去の小学校区を基本に町域を13地区に分けてそれぞれに調査を行い、その成果をもとに住民と地区の風土性について検討する「風土と風景を読み解くつどい」を各地区公民館で1度ずつ催した。13回の「つどい」にはのべ538人の参加があり、つどい開催後に地区ごとの文化振興策を企画する動きも生まれ、住民こそが風土形成の主体であるとの認識をうながすことまでができたと評価する。  
    風土研究成果は、当局が「土祭基礎資料」として整理し、土祭2015各企画や作家表現はこれをもとに構想された。上記のように、地域研究なしに他地区の経済振興策の成功例を単に引き写すような事例とは異なる効果が、益子町では生まれていると考えられる。なお、土祭2015を終えた後は、同成果を町の地域経営構想に生かすことと、地域経営の基礎として地域研究を継続することを、当局と検討していている。
  • 日本農業の存続・成長戦略に関する地理学的研究(その1)
    田林 明
    セッションID: 101
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    研究の課題 発表者は農村における生産機能が低下する反面、消費機能が相対的に強くなる状況を「農村空間の商品化」として捉えてこれまで研究を進めてきた。しかし、農産物直売所経営や観光農業のように、農村空間の商品化によって、農業と農村が存続・発展する例も多いが、過度な商品化によって農村本来の機能である食料生産が軽視されたり、農業生産そのものが後退する場合がある。農村がもし食料生産機能をこれ以上低下させたり、失ったりすれば、もはや農地も農村社会も崩壊し、また、多面的機能も喪失することは明確である。このような状況で、日本農業のもつ本来の食料生産機能をいかに存続させ、拡大・成長させるかの方策と、それを実現するための地域的条件を検討することが重要である。この報告は、その準備作業として、日本の縮図ともいえる首都圏およびその周辺の甲信越・南東北の15の都県を対象として、農業の動向と農業振興政策を整理し、今後の農業存続・成長の可能性を探ろうとする。
    農業構造変化の兆候 2011年の農業総生産の国内総生産に占める割合は1.0%にすぎず、熱量ベースの食料自給率は39%にすぎない。販売農家が激減し、農家人口や農業就業人口、そして基幹的農業従事者が減少し続けている。これと対照的に自給的農家と土地持ち非農家が増加している。耕地面積は年々減り続けており、2013年には453.7万haと1970年の78.3%になってしまった。そして、全耕地面積の9%に当たる40万ha耕作放棄地面積となっている。しかし、組織経営体に含まれる農家以外の事業体の躍進、借地による農地流動化の加速、大規模経営体による水田集積の進展など、構造変化の兆候もみられるようになった。これらの変化は日本の主要な水田地帯である東北、北陸、北九州で顕著であった。これは、経営所得安定対策に対応するために設立された集落営農組織が、水田農業構造をこれまでになく大きく変化させたためである。農業脆弱化が進む中山間地域でも、高齢化・過疎化・兼業化による農地の荒廃と農村社会の弱体化に対して、農家・住民が地域ぐるみで組織的実践する集落営農に取り組む動きが活発化している。他方では都市化がますます進む大都市周辺の農村でも、さまざまな形で存続・発展する農業経営をみいだすことができる。例えば東京では、大消費地東京の優位性を活かした収益性の高い農業経営を実現するために、新技術の導入や施設栽培などによる生産性の向上、農業と加工・サービスの組み合わせによる経営の多角に取り組まれている。また、質の高いサービスの提供を目指す農業体験農園やファーマーズレストランの開設、料理実習など食育活動が可能な施設を備えた農園など、新しいスタイルの経営モデルの確立が目指されている。
    農業振興政策の方向性と存続・発展戦略 各の都県の農業振興政策にみる存続・成長が今後みこめる農業経営を整理すると、(1)農業を中心に大規模化・施設化・集団化するものと、(2)観光などの他産業を組みあわせながら個別に持続していくものの2つに分類することができる。前者は既存の産地としてのまとまりのなかで形成されるものと、新しい企業的経営のように、個別に発展していくものがある。後者については都市近郊の農産物直売所や市民農園、観光農園などを取り込んだものと、中山間地の農業・農村体験や農産物直売所、特産物の販売などと結びついたものがある。農業経営が存続・成長する方向性としては、1つは法人化や大規模化、施設化などの農業経営そのものの強化、もう1つはアグリビジネス、6次産業化、観光化など他部門との連携がある。いずれにしろ、日本農業の力強い展開のためには、優れた技術や経営力を備え、地域社会をリードできる担い手の育成が不可欠である。
  • 山陰海岸ジオパークを事例として
    淺野 敏久
    セッションID: 715
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    広島大学総合科学部・総合科学研究科での一実習(地域調査演習)の一環として,山陰海岸ジオパークで調査を行った。本報告では,その結果に基づき,ジオパークに対する住民および観光客の認識について考察する。行ったことは,観光客へのアンケート調査,いくつかの地区でのジオガイドへのヒアリング,一般住民へのヒアリング,それと住民へのWEBアンケート調査である。なお,山陰海岸ジオパークは東西にかなり長いエリアとなっているため,今回の調査ではジオパークの西部地域を対象とした。観光客へのアンケート調査からは,山陰海岸ジオパークエリアは一度には限られた範囲しか周遊対象にならないものの観光者は広範囲にエリア内を訪問した経験をもっていること,回答者の半分以上が「ジオパーク」の名称を知っていること,ただし,知っているのは名前まででジオパークの内容についてはよく知られていないこと,ジオパークエリアでの活動として「学び」への関心はあまり高くなく,ジオパークのアピールポイントについても温泉や食への関心が高い一方で,いわゆるジオストーリーや自然環境への関心が相対的に低いこと等が確認された。ジオガイドへのヒアリングでは,ガイドの地域への思い入れやまちづくりへの関心の高さは,調査対象地すべてで強いものの,ガイドにとってジオパークであることは現時点ではまだ二次的なこととして認識されている。山陰海岸ジオパークは東西120kmもの広がりがあり,そこをまとめる困難さを抱えている。そのようなこともあって,地域への浸透度は,まだ名称レベルにとどまっているのかもしれない。本発表では,これら一連の調査結果の概略を報告する。あわせて,今後のジオパーク活動を進める上での課題についても言及したい。
  • 馬渕 泰, 古田 春菜
    セッションID: 509
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    古くから神楽は、神々と地域の人々と交流する場として、地域の神事や娯楽として位置づけられてきた。このような地域の伝統芸能は、地域の存在意義を再確認する場であるとともに、地元に対する愛着を深める1つのアイテムである。しかし近年、中山間地域では、少子高齢化に起因して若年層の減少が急速に進行しており、後継者不足のため舞手が存在せず消滅の危機に瀕している事例のほか、舞手を地域外に求め存続を図っている事例も見受けられる。その中で、高知県の梼原町の津野山神楽は、神楽保存会を軸に普及活動に取り組み、地域の中に深く浸透している結果、現在も存続している。津野山神楽の事例を調査することは、同様に存続の危機に瀕している伝統芸能の伝承方法の参考事例として期待できる。
    そこで、本研究の目的は、津野山神楽の伝承における現状と課題を明らかにし、次世代への文化伝承の方向性を提案することである。
    その結果、 津野山神楽は、保存会が中心になって、町内の学校等の教育機関で後継者育成のために、津野山神楽の歴史や舞そのものについて積極的に指導しているなど、神楽伝承に大きく貢献している。
    今後、津野山神楽の文化伝承にあたっては、保存会による取り組みのほか、親から子への文化伝承の流れが重要である。この流れを通して、伝承者の深層の中で津野山神楽が生き続けることが必要であり、1人でも多くこのような伝承者を作ることが求められる。
  • 岩動 志乃夫
    セッションID: S0203
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    秋田県大仙市内小友余目地区は市の中心部から西へ約7㎞の横手盆地と出羽丘陵との境に位置し、5つの集落から構成される。高度経済成長期以降の過疎化、近年の少子高齢化の急速な進展により、人口減少や耕作放棄が進んだ。このような課題を解決するために、地区住民は1977年に「余目地区各種団体連絡協議会」を設立、2004年には「余目地域活性化対策いきいき会議協議会」と改称して地域づくりに積極的に取り組んでいる。本学学生たちは地域創世討論会や地域資源を活用した各種行事、モニターツアー等を通して地元住民とふれあい、交流を深めている。同時に学生が同地区の現状に触れることにより東北に共通する課題解決のきっかけをつかむ貴重な学習の場となっている。
  • 渡辺 満久
    セッションID: 606
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    積丹半島の北岸~南西岸では、数段の海成段丘面が分布しており、中期更新世以降、ほぼ等速で隆起してきたと考えられる。MIS 5eの海成段丘面の旧汀線高度には約10 mの高度差があり、北西の方が高い。また、旧汀線高度が急激に変化する地域もある。この地域には、幅100~200 m、高度約1 mのベンチが連続的に分布している。2~2.5 mの高度には隆起(離水)ベンチが見られ、低いベンチは波蝕作用によって高度が低下している可能性がある。隆起ベンチは、縄文前期の海水準高度より低い位置にある。一方、北東岸には海成段丘面は確認できず、第四紀後期における隆起運動を確認できない。また、ここでは隆起ベンチもあまり分布しておらず、沈水地形の様相を呈する地域もある。このような地形的特徴は、積丹半島西方断層の活動の結果として統一的に解釈できると考えられる。
  • 原 将也
    セッションID: 312
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1. はじめに
    アフリカの農耕民は生態環境の特性を認識し、その生態環境にあわせた農耕を営んでいる。アフリカでは微地形や標高、土壌の肥沃度などの生態環境のちがいを生かした農耕形態がみられる。たとえばザンビアのロジの人びとは、ザンベジ川の氾濫原の地形を高低差や土性のちがいによって区分し、それぞれの土地利用を変えている(岡本2002)。
    ザンビアには、マメ科ジャケツイバラ亜科が優占する疎開林であるミオンボ林がひろがっている。そこでは、バントゥー系の農耕民が移動性の高い生活を営んできた。
    本発表で取りあげるザンビア北西部のS地区には、もともとカオンデの人びとが居住していた。カオンデの人びとは焼畑農耕を営み、その生活は自給指向性の強いものであった(大山2011)。1970年代以降、周辺の農村や都市からルンダやルバレ、チョークウェ、ルチャジという異なる民族がS地区に流入し、現在では5民族が混住している。
    本発表では、S地区に暮らす先住者のカオンデと移住者の人びとが選択する栽培作物を比較したうえで、人びとがもつ地域の生態環境に対する認識を示しながら、それぞれの土地利用のちがいについて明らかにする。

    2. 研究の方法
    現地調査は2011年9月から2015年3月にかけて計6回、約18ヶ月にわたって実施した。S地区の住民に対して、農耕形態と生態環境の認識について聞き取り調査を実施した。2012年8月には、人びとが認識している生態環境ごとに土壌を採取し、日本においてpH(H2O)、電気伝導度、全窒素含量、全炭素含量、有効態リン酸含量を調べた。2014年1月から2月には、S地区に居住する89人が耕作する耕作地の位置を、GPSを用いて測定した。

    3. 先住者と移住者が栽培する主食作物のちがい
    S地区の人びとは焼畑において、モロコシとキャッサバを主食作物として栽培していた。各世帯が栽培する主食作物をみると、モロコシはカオンデの世帯のみ、キャッサバはカオンデ以外の移住者の世帯で栽培される傾向にあった。この傾向は居住者のあいだでも強く認識されており、カオンデはモロコシ、移住者であるルンダやルバレはキャッサバというように、それぞれが嗜好する「伝統的な作物」を選択し、栽培しつづけているといわれている。

    4. 生態環境の区分と土壌の理化学性
    S地区の人びとは民族にかかわらず、生態環境を季節湿地と季節湿地の周縁部、アップランドの3つに分けて認識していた。季節湿地は雨季に湛水するため、耕作地としては利用されない一方で、ミオンボ林がひろがるアップランドは、季節湿地よりも標高が数メートル高く、耕作地として利用されている。季節湿地の周縁部とは、季節湿地からアップランドにかけてなだらかな斜面になっているミオンボ林のことであり、耕作地に適していると認識されている。
    人びとは季節湿地の周縁部の土壌は柔らかく養分が多いため、アップランドの土壌よりも農地に優れていると説明する。土壌の理化学性を検討すると、季節湿地の周縁部の土壌のほうが有効態リン酸の含量が多く、電気伝導度も高いことから、相対的に土壌養分が多い可能性が示唆された。

    5. 考察:農耕形態のちがいと人びとが利用する生態環境
    耕作地の分布をみると、先住者のカオンデの人びとは季節湿地の周縁部、移住者の人びとはアップランドを耕作していた。カオンデの人びとは相対的に作物の生産性が高く、耕作しやすい季節湿地の周縁部を耕作していた。
    移住者の人びとが栽培するキャッサバは、水分や土壌条件などで土地を選ばず、乾燥地や貧栄養の土地にも作付けできる作物である。そのためキャッサバは、相対的に貧栄養であるアップランドでも栽培することができる。先住者のカオンデと移住者の人びとのあいだでは農耕形態にちがいがあり、栽培作物と利用する土地が異なっていた。現在に至るまで両者のあいだで、耕作地の競合が生じることなく、それぞれが選択した作物を栽培していた。

    参考文献
    大山修一 2011. アフリカ農村の自給生活は貧しいのか?. E-journal GEO 5(2): 87-124.
    岡本雅博 2002. ザンベジ川氾濫原におけるロジ社会の生業構造. アジア・アフリカ地域研究2: 193-242.
  • 劉 雲剛
    セッションID: S0101
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    Ⅰ はじめに

    中国地理学の百年歴史の中で、都市地理学が経済地理学とともに発達してせいぜい三十年。改革開放以来急速な都市化の進展にともない、都市計画への経済地理学者の参与が大きなきっかけとなった。それ以来、「実用主義」や「実践志向」が次第に中国都市地理学者のアイデンティティとなったが、2000年以降、「科学化」及び理論志向へのシフトに伴い、中国における都市地理学研究の多様化が進み、一方で、学問としての共有知識およびアンデンティティも見えなくなりつつある。本研究では、中国における都市地理学の歩みを歴史的そして構造的な視点から総合的に分析し、それを踏まえた上で中国における都市地理学の変容の実態と問題点、そして今後の動向について検討しようとする。

    分析対象とするのは20世紀以来、とりわけここまで30年における中国都市地理学の動向である。なお、今回の発表は主に筆者のいくつかの中国語論文に基づいたものであり、図表と参考文献は省略する。

    Ⅱ 中国都市地理学の歩み

    中国における都市地理学の研究は、20世紀の前半は主に中国内陸部に関する地誌的な考察が発達した。1949年からは経済地理学的アプローチにシフトしていた。まともな研究が減少し、研究の関心や問題意識が地域開発・経済発展に集中する一方で、歴史的アプローチが次第に重視するようになった。

    1978年以来は人文的研究の許可・解禁および都市計画実務的需要の高まりに伴い、経済地理学者の一部が都市研究および都市計画シンクへの参与が多くなり、例えば地域分析、都市システム分析、都市ビジョン、都市規模の予測、都市機能の空間計画、土地利用の適応性分析などの研究において、地理学者が次第に発言権を握るようになった。


    それを背景として、各大学において都市計画ないし経済地理専攻が設立し、研究活動の活発化および実用化が進んだ。この時期における中国都市地理学の性格として、まず応用・実践的・政策志向が強い。欧米の研究成果を絶えずに取り入れて応用する。その上で自らの研究を押し進める。一方で、経済開発志向が強く、理論的研究が弱いと指摘される。


    Ⅲ 近年における動向と問題

    まずは都市計画・政策指向の研究が減少する傾向にある。現実問題よりも、欧米文献と理論に沿った「科学的研究」が流行し、欧米の理論的話題に急接近・関心が傾く。

    そして計量方法の導入、流行がみられる。1980年代より主成分分析、クラスタ分析などの方法が応用し、1990年代よりフラクタル分析、エコロジカル・フットプリント分析、ニューラルネットワーク、およびGIS/RSなどの方法を取り入れつつある。

    第三は理工学的な色付きが濃くなる。人文的研究よりも最新技術を駆使して「科学的」研究に取り組む。


    Ⅳ 討論

    欧米からの諸理論を急速に取り入れることによって、中国における都市地理学の研究方法や問題意識に多様化がみられ、その一方、都市地理学のアイデンティティとはなにかが問われる。実務指向と理論指向、理工指向と人文指向など、複数の研究スタイルが併存し、中国都市地理学がますます戦国時代に入ったようにみられる。誰が、どのように、都市地理学の研究成果を評価するのかが常に議論される。そこで、既存の欧米理論の応用を重視する外生派と理論よりも調査ないし事実発見が重視される内生派という二つの学派の分割が次第に見えてくる。
  • 都市イノベーションの視点から
    王 承云
    セッションID: S0102
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    Ⅰ はじめに

    2008年9月のリーマンショック以降、世界経済が急速な減速を余儀なくされる中で、いち早く景気回復を遂げた中国に対する多国籍企業の関心は従来にも増して高まっており、新たな投資ブームが到来しつつある。

    そして、2010年における中国のGDP総額が日本を抜いて世界第2位となる中、多国籍企業の中国における事業展開も、従来の「製造拠点」と「輸出拠点」としての展開から、「中国市場販売」と「研究開発拠点」としての展開へと加速に移行しつつある。本稿では中国における多国籍企業の研究開発(R&D)に関する先行研究レビューを行い、まだ明らかになっていない課題について検討するものである。

    Ⅱ 中国における多国籍企業進出の推移

    中国における多国籍企業の直接投資の歴史を振り返ると、四つの段階に分けられると言えよう。1980年代に始まりの最初の段階では、多国籍企業が対中直接投資を本格化させる契機となった。第2段階、1991~1999年頃までで、鄧小平氏の南巡講話に代表される外資導入の本格化や市場経済化の加速を受けてきた。第3段階、中国のWTO加盟が視野に入ってきた2000年から2008年頃までの期間である。第4段階、2008年9月のリーマンショック以降、世界経済が急速な減速を余儀なくされる中で、新たな投資ブームが到来しつつある。

    中国は2001年12月にWTO加盟、以来中国への直接投資流入は世界的な規模で起こっているといえる。構造多様化、進出先は三大地域に集中同時に内陸へ移動傾向がある。

     

    Ⅲ 中国における多国籍企業R&D機構の進出と特徴

    多国籍企業の対中投資R&D機構の前に、すでに先一歩中国では生産性投資が進んである。一般的中国における製造業の投資が多ければ多いほど、R&D機構の投資も多くなるという規律がある。中国に対するR&D関連投資の多い国・地域は、米国、日本、欧州及び香港・韓国・台湾・シンガポールなどのNEIS地域である。

    中国市場で「売れる」製品の展開に向けては、多国籍企業の母国での研究・開発のみに依存していると、市場のスピード・変化に対応できないとの問題意識も強まりつつある。そのため、多国籍企業の中には中国に研究・開発拠点を設置し、当該拠点にて中国市場のニーズに合致した製品・サービスを開発し、売り上げ拡大を図る動きが加速しつつある。中国でもっとも注目されたのは、多国籍企業によるR&D機構の設立である。研究機構は沿海型、都会型立地である。

    Ⅳ 上海における多国籍企業R&D機構立地の要因

      中国での研究開発拠点を機能させるためには、当然のことながら、中国人の消費習慣・嗜好を理解する中国人技術者の採用・育成・活用が欠かせないが、研究開発コストの面からも、安価な中国人技術者や地価などを活用して研究開発を行うことが競争力向上の一つの手段という見方もある。

     
  • 徐 培瑋
    セッションID: S0103
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    Ⅰ はじめに

    「小産権住宅」(中国語で「小产权房」)は、中国における独特な社会現象とも言えよう。急速な都市化プロセスに伴い、この問題はますます敏感で拡大化され、中国における公共政策の分野で回避できない難問題となりつつ、社会の注目が集まっている。

      研究サーベイ

    まず、「小産権住宅」の定義や問題の由来を探り、その影響の広さと深刻さを明らかにし、さらに社会制度の角度から原因を分析する。その次、従来の研究を紹介し、その脈絡を把握する上に今後の研究方向を示そうとする。

    全体から見ると、既存の研究は主に二点に集中されている。一つ目は法学の視点から、現在の法律の枠組に「違法」とされた既存の「小産権住宅」を「合法化」する道を探る。二つ目は、経済学の角度から、とくにゲーム理論などを用いて、市場化解決のルートを摸索する。いずれも居住者に焦点を当てる実証研究は少なく、特に通常の分譲住宅に住む住民との比較研究は見当たらない。

    Ⅲ 北京における研究事例の紹介

    1、研究区及び研究方法

    2014年10月~2015年4月に、北京市昌平区のアーバン・フリンジ(urban fringe)に立地する典型的な「小産権住宅」団地及びその付近にある分譲住宅団地に行ったアンケート調査に基づき、住民の実情を把握したい。

    2、分析結果

    「小産権住宅」の住民は、以前の居住地、家族構成や社会経済的な地位、さらに居住に対する満足度などに関して、分譲住宅団地の住民との間に、共通点があるにも拘らず、相違点も明らかであると判明された。

    3、討論

    (1)「小産権住宅」の住民に関する基本的な特徴

    住宅の所有区分と世帯の戸籍状況、家計支持者の就職先や、勤務地などについて、「小産権住宅」と分譲住宅は類似している。特に注目したいのは、約三分の一の住宅は借家に転じている。家計支持者の学歴や負担できる住宅の値段など世帯の社会经济状况には、顕在的な相違が認められたが、その一方、「小産権住宅」に住む家庭の全ては社会的な弱者に集中するわけではない。以前の居住地において、「小産権住宅」は、分譲住宅と同様に、4割弱は五環以内の中心市街地に集中した。それを除き、分譲住宅には北京市以外の地方から来たのが多いと違い、「小産権住宅」は北京市内の郊外地域から来たのが多い。また、家族構成をみると、「小産権住宅」は約三分の一が夫婦二人っきりの家族であり、分譲住宅には三分の二が子供のある世帯から構成される。両者には顕在的な相違がある。





    (2)検証待ちの推測

    現地のフィールド・ワークおよびアンケート調査の経験より、以下のような推測ができる:

    親子近居も「小産権住宅」を購入する一つ可能な理由;「小産権住宅」の持ち主はリスク意識が比較的に低い可能性がある。



    Ⅳ 結論

    北京における郊外住宅地で行ったアンケート調査を用いて、「小産権住宅」と分譲住宅の比較研究は以下のように初歩的な結論をつけたい:

    ①地理的に隣接する「小産権住宅」と普通の分譲住宅は共通点が多く、外観で簡単に区別できない;②相違性から注目して、普通の分譲住宅の所有者との間に社会経済の面で格差の存在が認めらたが、「小産権住宅」の持ち主は、決して全ては低所得者ではない;③以前の居住地や、家族の構成などについて、両者の相違は意味深く、今後の研究方向を示唆したと考えられる。



  • 柴 彦威
    セッションID: S0104
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
     時間地理学の思想や概念が提出されてから早くも半世紀が過ぎっていた。その間、時間地理学は欧米から日本、そして中国などの地域へ拡散してきた。また、こうした地域における時間地理学の受容は、単にその概念などを受けとることだけでなく、現地の特殊な状況を結びついたさまざまな革新を作り出してきた。今は、時間地理学の世界における拡散と革新の過程を見とめる時期が来ている。たとえば、ロンド学派のキーパーソンとしてのKajsa Ellegårdは、このようなプロジェクトを担当しているところである。

     時間地理学は、1960年代ごろから発足し、1970年代及び1980年代には欧米に急速に普及してから、1990年代にはやや沈滞期を過ぎた後、1990年代後期からとくにアメリカではGISやLBS及びGPSなどと結びついて、新しい発展を迎えていた。現在、行動主義地理学アプローチと比べたら、時間地理学的な研究は依然熱い人気を呼んでいる。例えば、アメリカ地理学者協会における年会には、必ずしも時間地理学の会場は設けられていた。

     中国における時間地理学的研究は1990年代中期に入ってから本格的に始まって、日本のそれに比較して、ほぼ10年ぐらい遅れていた。しかし、中国における急速な都市化に伴って、行動論的な都市研究は大きな発展を過ぎてきた。時間地理学は、人間の日常行動をパスなどで表し、また空間行動パターンを制約でもって解釈して、行動空間を図り住民の生活の質を改善しようとする。中国は、改革開放以来の三十年間及ぶ発展によって経済的な目標を達してから、社会的な発展に転回してきており、個々人の需要を重視した都市空間が求められている。したがって、時間地理学的な都市研究や計画は、ますます重要視される。

     中国都市における時間地理学的研究は、北京や広州などの特大都市から蒙自などの県庁所在都市へ、都市人口を対象とした調査から流動人口へ、漢民族の研究から少数民族へと広がってきた。データの収集も、二日間から一週間へ、紙アンケート調査からGPS設備やWEBを利用した調査へと発展してきた。また、研究の内容は、時空間利用や交通行動パターンから、活動空間の計測及び地域間、社会集団間における差異、さらには施設の時空間利用策や個人と家族の活動調整計画と情報提供サービスなどへ、理論的な検討から実践的な活用まで広がっていた。

     このような時間地理学的な研究は、転換期にある中国都市の特質を、行動論的なアプローチから解明し、急速に変化する都市空間と住民生活を理解する。さらには、都市化における長距離通勤や住民生活空間の乖離、共働き家庭の生活問題と高齢者問題、自家用車使用の依頼と大気汚染による交通問題と健康問題などに対して、時空間行動分析から解決策を検討している。いまや、中国都市における行動論的学派は形成されている。

     将来に向かって、理論的には、社会―空間行動論や時間地理学に基づいた行動―空間相互作用の理論モデルと解釈モデルが必要でありながら、実践的には、都市生活空間や生活時間の計画と政策などは求められている。本発表は、中国都市における時間地理学的な研究成果を解説した上で、この理論的枠組みを模索する。
  • 土居 晴洋, 柴 彦威
    セッションID: S0105
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1.はじめに
    改革開放政策導入以後,中国の都市地域では,住宅の市場化が進展し,民間企業による商品住宅の供給が増加した。その一方で,福祉政策の一環として安価に提供されてきた地方政府や労働単位が提供する公共住宅は,個人への払い下げが進んだ(房改)。1998年には,このような労働単位が新たな住宅の提供を行うことが停止された。一方で,福祉的性格を持つ住宅として,経済適用住宅が建設され,さらに近年の住宅価格の高騰と低所得層を中心とする深刻な住宅難を背景として,中央政府は2009年以降,大規模な公共住宅の建設を実施している。
    新たに建設された商品住宅の居住世帯が増加してはいるものの,かつて労働単位が建設した公共住宅は,依然として大きな住宅ストックを形成している。さらに,労働単位は不動産企業から住宅を市場価格で購入し,それを被雇用者に割引価格で販売するなど,住宅を巡る労働単位と被雇用者の新たな協業関係が生まれており,都市住民の住宅供給において,労働単位が依然として大きな意味を有しているといわれる。
    報告者は2011年から2013年に,蘭州市において複数の国有企業に対して聞き取り調査を実施した。本報告では,これら国有企業の事例をもとにして,市場経済化が進む都市地域の住宅市場の中で,あるいは地域社会の中で,労働単位がどのような役割を果たしているのかを考察する。
    2.蘭州市の概観と住宅開発の動向
    蘭州市は甘粛省の省都であり,建国後は三線建設,近年は西部大開発などの国家的地域発展戦略における内陸地域の拠点として,その発展が著しい。蘭州市の人口は300万人を越え,経済的には,工業機能を中心とする国有経済の占める割合が高く,固定資産投資額の43.8%(2011年)を占める。蘭州市の市街地は,黄土高原を貫いて流れる黄河の河谷低地に形成されており,市街地の空間的拡大には制約がある。そのため,都心から約50キロ離れた高原上に,計画面積800km2という,広大な「蘭州新区」の建設が進められている。
    一人あたり居住面積は改革開放以前の1970年代までは,4m2を下回っていたが,1980年代以降は急速にその値を増加させ,2011年には18.4m2に達しており,特に2000年以降の伸びが著しい。このような居住環境の向上に寄与しているのが,住宅開発である。
    3.国有単位による住宅開発
    (1)A電機公司の事例
    A電機公司(以下,A社)は、従業員約6800名を抱える電動機や発電設備の生産における中国西北地域有数の企業である。甘粛省で「房改」が開始された1993年にA社においても住宅の払い下げが開始された。その後,2000年から,近隣の土地を取得して,700戸の住宅を建設した。さらに居住区改造計画に従って,2006年に自社の土地に262戸の住宅を建設し,市場より安価に構成員に販売した。また,高層住宅を建設することで,さらなる住宅の供給を計画中であり,この計画が実現することによって,全ての関係者の世帯を収用することが可能となる。現在,先述した「蘭州新区」に生産の主力の移転を計画中である。その際は,新区内に新たに住宅を建設することになる予定である。
    (2)B大学の事例
    B大学はおよそ2,500名の教職員と3.7万人の学生を擁する甘粛省内有数の大学である。一般的な中国の大学と同様に,キャンパス内には教育・研究棟のほかに,教職員用住宅と学生用宿舎や生活関連施設を整備している。B大学における「房改」は1997年に開始され,多くの住戸が個人に払い下げられた。
    現在およそ8割の教職員がキャンパス内の住宅に居住し,2割はキャンパス西側に他大学との協同で整備された住宅地区に居住している。2012年当時にキャンパス内に建設中の住宅は約600戸あり,一般的な商品住宅よりも安価に大学教職員に販売される。このように大学が新たに整備して,関係者が購入した住宅は,賃貸に出すことはできるが,個人が転売することはできないこととされている。
    4.まとめ
    本報告で紹介する事例は,構成員の住宅環境に関して,依然として労働単位が大きな役割を果たしていることを示している。つまり,敷地外に新たに土地を取得するなどして,構成員が提供する資金と協同することで,新たな住宅を整備し,市場価格より安価に構成員に住宅の提供を行っている。これにより構成員は,一般市民よりも有利な条件で住宅ニーズが満たすことが可能となっている。一方で,労働単位は,一般的な市場経済とは異なる枠組みで住宅を提供することにより,単位コミュニティの維持と再生産を図ることで,伝統的に持つ労働単位の社会的役割を果たしているといえる。

  • -労働市場を通じた変化を中心として-
    陳 林
    セッションID: S0106
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1978年以降,中国の改革開放政策の実施に伴い,都市地域は大きな経済成長を遂げてきた。その一方で,農村地域の経済発展は多様であり,地域の賦存条件により分化している。中国の東部地域は近年急激な都市化,工業化が進行している。その中で,東部地域の農村は都市化,工業化に大きく影響されながらも,経済発展の地域間格差が明瞭に現れている。  農村から都市への労働力流出は近年の中国東部地域の都市化に大きく寄与した。そのため,東部地域の都市化を検討するには労働力を多数供給してきた農村地域の再編をも併せて考察する必要がある。特に,急速な都市化のもとで,東部地域の内陸農村がどのように地域内外の労働市場に影響されながら変化しているのかを検討することは重要な意味をもつ。  そのため,本研究は経済発展が多様に展開している中国東部地域にある福建省を取り上げ,2000年以降当省の経済発展によりもたらされた都市化がどのように展開し,また,内陸農村にいかなる変化をもたらしたかを,主に労働市場の分析を通じて解明する。
  • 任 海
    セッションID: S0107
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1.はじめに

    中華人民共和国(以下,中国と略す)では,1990年代から上海市をはじめとしたいくつかの大都市で,都市更新の計画が制定され始めた.大都市の中心市街地では,伝統的な建築形式である里弄住宅や四合院など1階~3階建ての低層住宅が,タワーマンション,オフィスビル,ホテルなどの高層建物に建て替えられ,都市景観が一変した.その大規模なスクラップ・アンド・ビルドは,1950年代の先進国の都市部における都市更新を連想させる.本研究では,上海市における都市更新が引き起こした都心内部での土地利用の変化を調査し,その実態を詳細に地図化するとともに,人口分布の変化と対比させ,市・区レベルより詳細な小地域レベルで人口分布の変化と土地利用の関係を明らかにすることを目的とする.

     

    2.対象地域の選定

    本研究の対象地域として,現在中国で最も都市更新が進んでいる上海市を選定した.上海市の都心部である静安区では,19世紀後半~20世紀前半にかけてイギリス,アメリカ,フランスなどの欧米諸国が租界を設け,早い段階において都市化が展開した.また,1992年には,上海市は静安区を含む中心市街地にある老朽住宅のクリアランスにおいて中国で初めて土地使用権の譲渡制度を導入し,都市更新の最先端に位置している.静安区で実施された都市更新は,上海市における20年間の中心市街地の都市更新の縮図と考えられる.

     

    3. 小地域からみた静安区の土地利用とその類型化

    都市更新前の静安区は,租界地などの特殊な歴史経験をもつため,年代と用途が異なる建物が混在し,土地利用の多様化がみられた.1990年代になると,土地から効率的に利益を生み出すために,上海市都心部の静安区において大規模な都市更新が行われた.大規模な都市更新に伴い,静安区の土地利用は大きく変化した.本研究では,都市更新以後の土地利用図を作成し,静安区における現在の土地利用の特徴を考察する.また,各居民委員会の管理区域を小地域と見なし,その小地域の土地利用をクラスター分析で類型化し,静安区の小地域における都市更新の状況を分析する.

     

    4. 静安区における都市更新と人口変化との関係

    都市更新は中国の大都市の中心市街地における人口過密問題の解決策として公式に取り上げられた.上海市政府が制定した上海市マスタープラン(1999年~2020年)では,都市更新を手段として2020年までに中心市街地の人口規模を800万人以下に抑え,過剰人口を郊外に分散させることを明記した.その結果,都市更新の手法である「再開発」によって,市・区レベルでの人口分布の変化からみると,中心市街地の人口密度は低下した.一方,中心市街地における都市更新では,都心部における土地利用の変化に伴い,都心内部の人口分布の変化も引き起こしている.従来の研究で指摘されたように,静安区の人口変化は,区単位レベルでは減少したが,小地域レベルでみると一部の地域においては増加していることを,本研究では明らかにしている.

    また,伝統的な住宅が大規模に取り壊された一方,優れた建物が歴史文化財として大量に保存され,都市更新の「保全」の手法を利用して静安区の地域的性格の維持に貢献した.
  • 王 天天, 荒井 良雄
    セッションID: S0108
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    Ⅰ   はじめに
        1990年代初頭から,改革開放の一環として,市場経済の導入が経済特区や開放都市から全国範囲へと広がり,中国都市でも,経済・社会の諸面において大きな変容を伴う転換期を迎えている.このような制度・政策の変革や,都市経済・社会の転換は,都市空間に影響を与えており,その結果,中国都市の空間構造は大きく再編されてきている.一方,制度変革,経済転換,都市空間構造の再編とともに,都市住民のライフスタイルにも変化が起こってきている.このような急速な変化を経験しつつある今日の中国都市は,資本主義諸国の都市に近づいてきているのか, それとも,依然として独特であり,他の地域と比肩できないものなのか,という問題が,地理学者の関心を集めている. そこで,本発表では,中国国内外の先行研究を参照して,国際比較を行いながら,制度・政策変革下での中国都市空間構造の再編と都市住民のライフスタイルの変化を整理する.さらに,それを踏まえて,現在進行している都市転換に関わる問題点を指摘したい.  

    Ⅱ   制度変革の下で都市空間構造の再編
        1949年の中華人民共和国成立後,社会主義計画経済体制が確立され,国家が社会構成員を統合管理し,個人にまで生活物資・福祉サービス等を分配するために,国営企業や,学校,病院などのサービス機関を中心とする「単位」というシステムが確立された.「単位」によって,オフィスや工場等の職場と従業員の家族が居住する住宅の双方が,空間的に一体のものとして建設・管理されていた.そのため,当時の中国都市では,「職住近接」が基本であり,明確な「郊外住宅地」は存在しておらず,欧米で考えられてきた都市モデルと一致しない特徴的な空間構造が形成された.ところが,改革開放以降,特に1990年代後半から,住宅の商品化が推進され,都市外縁部で単一機能の住宅地が大量に開発された.このプロセスの中で,「単位」が解体され,「職住分離」が進行して,中国都市における「郊外」が成立した.中国の都市空間構造には劇的な変化が起こり,独特な特徴を持ちながらも欧米都市に近づいている傾向が見られる.

      Ⅲ   都市住民ライフスタイルの変化
        「単位制」の下で,中国都市家族は,仕事,家事労働,買物,余暇等の生活の各面において,独特なライフスタイルを形成してきた.荒井(2003)によれば,女性の高度の社会進出,すなわち,夫婦のフルタイム就業を前提としたライフスタイルが,その根本にあり,それを成立させる前提条件として,「単位」制度の下での職住近接や,保育サービスの完備や低賃金での家政婦の雇用による育児や家事労働の社会化等が挙げられる.しかしながら,市場化・郊外化が進む中で,それらの前提条件は崩れつつあり,それまでの共働きを基本とした核家族のライフスタイルの継続が難しくなっている.特に「郊外」へ転入してきた住民には,長距離通勤が発生する一方,それまで「単位」によって提供されてきた医療,育児等の福祉サービスを利用することが困難になった.それらの変化は,中国都市家族にとって重大であり,それに適応するために,彼らは就業形態や家族構成等の面において調整を行ってきている.例えば,郊外に住む女性は,自宅から近い範囲で就業する傾向が見られ(柴・張2014),また,育児を支援してくれる親世代との同居が大幅に増加している.その結果,生活活動の時空間的パターンや家族の役割分担などの実態において急速な変化が起こり,新たなライフスタイルに移行しつつあることが指摘できる.

      Ⅳ 今後の展望
       このようなライフスタイルの変化には,育児,ジェンダー,高齢化等の問題が関わっており,中国都市社会における家族形態,社会階層,男女役割等の様々な面においての構造的変化が反映される.それ故,都市住民ライフスタイル変化の実態とメカニズムについての十分な理解は,中国都市空間・都市社会を理解するためにも,新たに発生してきた膨大な生活ニーズに対応できるような新しいサービスの提供をめざす政策立案のためにも重要であり,本格的な現地調査に基づいた新たな研究が望ましい.

    <文献>
    荒井良雄2003:外出活動の日中都市比較.東京大学人文地理学研究,16:1-39.
    柴彦威, 張雪2014. 北京郊区女性居民一周時空間行為的日間差異研究. 地理科学34(6):724-732.
  • 山内 昌和, 小池 司朗
    セッションID: 213
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    <B>はじめに</B> 公的機関が作成する地域別の将来人口推計は、将来計画の作成をはじめとする様々な実務に活用されている。では、その精度はどのような水準にあるのだろうか。 <BR>
    公的機関が作成する将来推計人口は、通常、過去に起きた人口変化の趨勢を将来に投影(projection)したものである。投影である以上、推計人口と事後的に判明した実績人口との差は、人口変化の趨勢が推計期間中に変わったことで生じたのであるから、厳密には誤りではない。しかし、公的機関の将来推計人口が予測値として利用されている現状を鑑みれば、事後的に判明した実績人口との差を誤差とみなし、それに基づいて精度を論じることは可能であるし、有用であろう。 <BR>
    公的機関の将来推計人口の精度については、こうした立場から議論が重ねられ、推計手法や仮定設定の妥当性の検証や、一定の幅(prediction interval)を考慮した将来推計人口の作成等に活用され、結果として将来推計人口の利便性向上に貢献してきた。 <BR>
    地域別の将来人口推計の精度は、国別のものに比べて検討されることは少なかったが、2000年代に入ると、EU(Rees et al. 2001)、アメリカ(Wang 2002)、ニュージーランド(Statistics New Zealand 2008)、イングランド(Office for National Statistics Center for Demography 2008)、オーストラリア(Wilson 2012)の公的機関が作成した地域別将来人口推計の精度の検討結果が公表された。いずれも豊富な情報を含む成果であるが、相互の精度の水準にどのような差があるのかは検討されていない。また、日本では国立社会保障・人口問題研究所(旧厚生省人口問題研究所を含めて以下では社人研とする)が都道府県別と市区町村別の将来人口推計を公表しているが、精度に関しては十分な検討がなされていない。 <BR>
    以上を踏まえ、本報告では、社人研推計を含めて、英語圏諸国やEUが作成した地域別将来推計人口の精度比較を通じて、公式推計の精度の水準を検討する。  <BR>
    <B>方法</B> 本報告では上述の諸研究の結果を利用する。また、社人研推計については、推計された人口と事後的に明らかになった国勢調査の人口とを比較することで精度を明らかにした。 <BR> 
    精度の指標として用いたのは、RMSE(root mean square error)、ALPE(Algebraic Percent Error)の中央値、APE(Absolute Percent Error)の中央値と90パーセンタイル値、およびAPE別の地域割合である。これらの指標は、推計の対象となった個々の地域の誤差率が全体としてどのように分布するかを表したものであり、推計精度に関する研究で一般に用いられるものである。  <BR>
    比較に際しては、推計期間や推計対象となった地域の人口規模を考慮し、総人口と年齢別人口の精度を検討した。<BR>
    <B>結果</B> 各国の推計精度に大きな違いはみられず、共通する傾向として、対象となる人口規模が小さくなるほど、推計期間が延びるほど、年齢別には若年層で精度は低下した。日本の都道府県別、市区町村別の将来推計の精度は、諸外国に比べ、総人口は良好な水準であり、年齢別にみてもおおむね良好な水準にあることがわかった。日本の推計精度が相対的に良好であった背景には、社人研の推計法の特徴にあるというよりも、日本の人口の特徴、すなわち英語圏諸国やEU諸国に比べて高齢化した年齢構造や移民の少なさに起因する人口変化の相対的な安定性によるものと考えられる。
  • 吉田 英嗣, 大上 隆史, 高場 智博
    セッションID: P904
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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     函館平野東部には,これまで確認されていなかった左横ずれ成分の卓越する断層が存在する可能性がある.これは,現時点では推定活断層の域を脱していないものの,その地形学的根拠となる,中期更新世の海成段丘面を刻む複数の河谷の系統的横ずれに代表される,幾つかの変位地形の詳細は既に報告した(吉田ほか 2015;Yoshida et al. 2015).本報告では,この一連の調査の過程で発見された断層露頭の観察結果を示す.  
     露頭はN41 50 17,E140 46 48に位置する.推定活断層は,変位地形の線的分布によると20 kmの長さを持つ可能性があり,露頭位置はその北西端に近い.MIS9の高海水準期に形成されたとみられる海成段丘面を刻む谷の南東側段丘崖基部が露出し,谷底と段丘面との比高は30 mほどであるが、おそらくは氷期中の周氷河作用による段丘崖の従順化のため,急崖となっているのは下半部の約20 mである.調査地点周辺の地質は中新世の(硬質)頁岩,凝灰岩,砂岩からなる汐泊川層である.露頭ではこの凝灰質砂岩が一面に露出する.なお,段丘堆積物は確認されない.主断層面はほぼ垂直(走向N33−35W,傾斜>80S)であり,地下水の湧出が著しい.幅10 cm程度の断層ガウジ(A)が形成されており,その内部には数mm~1.5 cm厚の青灰色粘土が断層面に沿って発達している.観察範囲の上部では,A部は上流側に分岐している.露頭は全体として断層破砕帯としての特徴を持つと解されるが,詳細には主断層面の両側では岩相が次のように異なる.  
     主断層(A)を挟んで下流側には,岩相にほとんど変化のない部分(D)が露出する.D部では、後述のB,Cの各部と比較して,節理間隔が10~20 cmと大きく,節理のマトリクスによる充填はみられない.また,D部内で粘土化が進んでいる箇所も認められない.これに対して,主断層の上流側にも汐泊川層(凝灰質砂岩)が露出するものの,ここでは岩相の変化が激しく,変質が著しい部分もみられる.B部とC部(サブユニットに分かれる)との境界には層厚1~1.5 cmの細礫混じりの粘土が発達し,B部は破砕の程度が著しい径1~3 cmの断層角礫である。C部のうち,主断層により近いC1部において,恒常的な地下水流の影響と思われる鱗状の節理模様が露出面に発達し,変色,軟化が進んでいる.このように,上流側各部はD部と比べて節理間隔が明らかに小さく,破砕がより進行していることをうかがわせる.なお,この断層露頭の両側ではともに,段丘崖上部に滑落崖をもつ小規模な斜面崩壊による崖錐が形成されており,破砕帯の幅がどれほどなのかは特定できなかった.  
     変位地形が示唆する断層運動のセンスは左横ずれであり,主断層面の傾斜がほぼ垂直であることはこれと矛盾しない.また,主断層面の走向も変位地形の配列が示す推定断層位置と調和的である.さらに,上下(C部)との境界にいずれも粘土を生成させるB部は,主断層(A)から上流側に派生した,シート状に発達した剪断面の一部ともみなされ,破砕帯の主部が断層面よりも上流側であることを示す.
     
    〔文献〕吉田ほか(2015)日本地理学会講演要旨集,87,122.;Yoshida et al.(2015) INQUA Congress 2015, T19-P05.

     〔謝辞〕大縮尺図の入手・利用に際し,函館市役所都市建設部の助力を得た.明大人文科学研究所個人研究費(2014−2015年度)を使用した.
  • 根元 裕樹
    セッションID: 414
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1590(天正18)年旧暦6月、現在の埼玉県行田市にて忍城水攻めが行われた。この時、石田三成は、延長14kmもの水攻め堤を築き、利根川と荒川を引き込んで、忍城を水攻めした。しかし、忍城水攻めは、備中高松城水攻めと紀伊太田城水攻めと並んで日本三大水攻めに数えられているが、失敗した唯一の例となっている。そこで本研究では、水攻めを洪水と考え、洪水氾濫シミュレーションを行い、忍城水攻めをシミュレーションした。その結果から水攻めは可能だったのか考察した。その結果、忍城周辺において、水攻め堤を築き、利根川と荒川から水を引き込んだ場合、水攻めを起こすことができることがわかった。
  • 古賀 慎二
    セッションID: S1105
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    本報告は、日本の都市地理学における第二次大戦後の都市内部構造研究の足跡を振り返り、その研究が果たしてきた役割を考察し、21世紀に果たすべき役割について課題と展望を報告する。

    報告者は、経済的中枢管理機能の具体的な発現主体であり、都市成長を促す本源的な機能として業務機能(オフィス)を位置づけ、それを指標として業種別の立地分化やオフィスが入居するオフィスビルの立地動向について分析してきた。すなわち、業務機能の分布を用いて内部構造の変化をとらえようと考えてきた。近年では東京へのオフィスの一極集中と関係し、関西地域の大都市(京都・神戸)では都心業務地区(CBD)の縮小が起っていることも報告した。
     
    経済のグローバル化、人口減少社会・ポスト成長時代を迎えた地方における県庁所在クラスの中規模以下の都市においては、上述したCBDの縮小傾向がいっそう顕著となり、オフィスビルの空ビル化やテナント未充足のオフィスビルが増加してきていることがうかがえる。地方都市の中心商店街におけるシャッター通りと類似の状況が、そうした都市のCBDにおいてまさに顕在化してきていることを示唆するものである。

    21世紀の日本における都市内部構造研究の課題は、新陳代謝を続ける都市において、また都市域が全体的に縮小する方向性を持つなかで、求心的あるいは離心的な動きをみせる都市機能や具体的な都市施設は何であるのか、いかなる職種のどのような業務に従事する従業者がそうした行動を示すのかを的確に把握することにあると思われる。そうした研究が、現代都市の諸問題を解決し、未来をみすえた持続可能都市を創造することに貢献する都市地理学に求められていると考える。
  • 熱収支の観点から
    井岡 聖一郎, 村岡 洋文, 鈴木 陽大, 松田 雅司
    セッションID: 620
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    近年,浴用に利用できずこれまで廃棄されてきた高温温泉の熱エネルギーの利用が,温泉発電と いう形で進展しようとしている。しかしながら,温泉の浴用,発電への利用に関わらず温泉資源量の把握のあいまいさという課題が温泉利用において存在している。したがって,温泉資源量評価技術の研究開発が切望されている。本発表では,特に熱収支の観点から温泉資源評価技術の一般化に向けて実施した解析結果について報告する。
  • 山田 晴通
    セッションID: P826
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    水岡不二雄一橋大学名誉教授は、一橋大学教授であった2011年夏に、Third Global Conference on Economic Geography 2011(韓国ソウル)において「The resignation obliterated: The Japan Association of Economic Geographers and Toshio Nohara, a prominent critical economic geographer」 と題した報告をされた。発表者=山田はこの集会に参加しておらず、この発表があったという事実も2015年春に初めて知った。この報告は、要旨がインターネット上で公開されている(Mizuoka, 2011)。  しかし、少なくともこの要旨を見る限りでは、水岡報告は、Wikipediaにおけるルールなど、事実関係についての誤解に基づいた、不適切な憶測を含むものであり、読み手に、山田個人についての社会的評価を含め、諸々の誤解を生じさせる虞れが大きいものである。  また、英文で綴られたこの要旨の内容は、Wikipedia日本語版において、2010年にごく短期間だけ編集を行なった「経済地学会」(強調は引用者)という利用者が、日本語で書き込んだ内容と酷似した箇所を含んでいる。この利用者は、当時、記事「経済地理学」のノートページに山田の編集を批判する、やはり誤った認識に基づくコメントを書き込んだ後、それに応答して問題点を指摘した山田の、問いかけを含むコメントには答えないまま、その後はいっさい活動していない。(2015年7月13日現在)  もし、水岡教授が「経済地学会」を名乗った利用者と同一人物であるなら、なぜ、Wikipediaの中で起こった問題について、Wikipedia内での対話を拒み、適切なコミュニケーションを通した解決を図らず、山田からの指摘に応答もしないまま、Wikipedia外の、また、山田が参加するはずがない海外の集会において、山田が既にWikipediaにおいて指摘した問題点について何らの自己批判も反省もないまま、英語で発表をされたのか、真意をご説明いただきたい。このような発表の仕方は、山田との建設的な議論を求める真摯な姿勢を示すものではないように思われる。  逆に、もし、水岡教授が「経済地学会」を名乗った利用者と同一人物ではないのなら、水岡教授は、2011年のご自身の報告と、2010年時点の「経済地学会」の書き込みの類似性について、具体的な説明、あるいは、釈明をすべきである。著作権者である「経済地学会」が水岡教授を著作権侵害で訴える可能性が限りなくゼロに近いとしても、ネット上で別人の名義で公開されている記述と酷似した内容のコメントを、自らの名義で発表したことは、研究者としての倫理性に疑念を生じさせる遺憾な事態である。    山田が、日本地理学会の場において公開状という形で水岡教授への質問を公にするのは、本学会が水岡教授と山田が共に所属する数少ない学会のひとつだからである。水岡教授は、従来から論争においては正々堂々と、婉曲な表現などは用いず、論難すべき対象に対しては厳しい直接的な言葉を用いられてきた方である。この公開状にも、真摯に対応され、建設的な議論が展開することを期待する。
  • 川島 あゆみ, 赤坂 郁美
    セッションID: P916
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー


    近年、都市部におけるヒートアイランド現象が、大気汚染物質や熱中症患者の増加を引き起こす要因として問題視されている。ヒートアイランドの緩和策として、緑地のクールアイランドに関する研究が多くなされているが(例えば菅原ほか,2006)、農業用の畑地におけるクールアイランド効果の研究例は少ない。小規模な畑を複数点在させることによって、大規模緑地より広範囲に冷却効果が広がっていく可能性がある。畑地の研究例として榊原(1994)が、水田が郊外に広がる場合のクールアイランド効果を研究しているが、水田は季節によって条件が変化し、年間でのクールアイランド効果の変化が大きい。そこで本研究では、季節による変化が少ない常緑照葉樹である茶畑に着目し、茶畑によるクールアイランド効果とその影響範囲を明らかにすることを目的とする。

    調査方法は、土地利用による気温の違いを把握するために徒歩または自転車による移動観測を行い、更に時間変化による気温の移り変わりを把握するために茶畑と周辺市街地にて定点観測を行う。

    茶畑によるクールアイランド効果を明らかにするために、狭山茶の主要産地である埼玉県入間市を調査地域とする。入間市の茶畑が広がる周辺は、北側に標高203.6メートルの加治丘陵があり、麓は住宅地となっている。住宅地と茶畑の間には霞川が流れている。また、茶畑の南側には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が通っており、圏央道の南側は倉庫や工場が立ち並ぶ武蔵工業団地となっている。

    夏季に集中観測を行う前に、2015年6月2日に予備観測調査を行った。観測は自転車による気温の移動観測を行い、ほぼ一直線に引いた観測ルートを往復し、片道30分以内で観測が行える様に北側の住宅地2地点、茶畑のある場所4地点、圏央道の南側の工業団地4地点の計10地点を選定した。観測にはデータロガー付温度計(T&D社製、おんどとりJr.TR-52i)を使用し、牛乳パックで作成したシェルターの内部に温度センサーを挿入した状態で棒に付け、自転車の前かごに取り付けた。観測時間は13時30分~14時30分、20時30分~21時30分であり、観測終了後に14時と21時に時刻補正を行った。観測対象地域周辺では昼前頃から風が1.5m/s以上吹き、日中の観測時間帯には南風が顕著であった。一方夜間の観測時間帯には風が0.5m/s以下となり、静穏な時間帯が多かった。また、日中の日照時間について、午前中はよく晴れていたが、観測開始の13時30分頃に雲が厚くなり始め、それ以降は日照時間0分と曇りの天気となった。

    観測結果について、図1に示した。いずれの時間帯も畑地で気温が低めに出る傾向がみられ、一般風が強い時間帯と、夜間の風が静穏な時間帯の異なる条件下で観測を行ったが、畑地内ではいずれの状況でもクールアイランド現象が発生しているといえることが分かった。

    夏季の集中観測による本調査の結果は、発表にて述べる。
  • 伊藤 悟, 鵜川 義弘, 福地 彩, 秋本 弘章, 堤 純, 井田 仁康, 大西 宏冶
    セッションID: P820
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    本発表は、昨年と今年の日本地理学会春季学術大会において同じ題目のもとにシリーズで行った4件の発表に続くもので、その後のシステム整備の進展や、未発表の利用実践を話題にする。具体的には、システム整備の新たな進展としてパノラマ写真との連動機能を、利用実践としては小学生らのオリエンテーリングを報告する。
  • 髙井 寿文
    セッションID: 309
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    1.研究の目的
    2006年の総務省『地域における多文化共生推進プラン』により,外国籍住民に対する防災情報の提供が推奨されている.多くの自治体で外国籍住民向けのハザードマップが作成されてきたものの,地名を多言語で表記しただけの地図で彼らが読図できるのか疑問である.そこで本研究では,外国籍住民の事例として日系ブラジル人を対象とした読図実験を行った.そして,彼らにとって分かりやすいハザードマップの地図表現について考える.
    2.研究の方法
    1)調査対象者
    名古屋市港区の九番団地に居住する日系ブラジル人10名(男性5名,女性5名)を対象とした.調査を実施した2006年2月~2007年1月時点での年齢は20~60歳代,在日年数は1~8年間であり,多くは自動車関連工場で働く労働者である.
    2)使用した地図
    ハザードマップの基図の1つに用いられる都市計画基本図(平成12年度版)を用いた.個々の建物の家形枠が表示されているため,地図上で自宅を定位できる.都市計画基本図をベースに要素を追加し,表現の異なる3種類の地図を作成した.いずれも大きさはA2版で,縮尺は2万6千818分の1である.3種類の地図に表記した要素の内容は,それぞれ以下の通りである. 地図A:区の境界線. 地図B:地図Aの要素に加えて,学区の境界線,学区名,鉄道線路,鉄道駅,路線名,駅名. 地図C:地図Aと地図Bの要素に加えて,コンビニエンスストア,ガソリンスタンド,スーパーマーケットのロゴマーク.信号機,国道番号. 地図Bは,現行のハザードマップに合わせた地図表現である.地図Cで追加した要素は,髙井(2004)で明らかにされた,日系ブラジル人がナヴィゲーションの際に用いるランドマークの特徴に基づいている.
    3)実験の手続き
    調査対象者の自宅である九番団地と,彼らにとって身近な施設である港区役所および協立総合病院の位置をたずねた.地図A,地図B,地図Cの順番で提示し,九番団地に続けて港区役所と協立総合病院の位置を探し出してもらった.このとき読図しながら頭の中で考えたり思ったりしたことを,意識的に発話してもらった. 地図の紙面全体が収まる画角で8mmビデオカメラを設定し,調査対象者10名の読図の過程を録画した.読図中の発話プロトコルでは,彼らが手がかりとして用いた地図の要素に着目し,地名やサインの時系列での出現のしかたを検討した.また,録画した映像には調査対象者の地図上での手の動きが記録されている.この動作は定量的に把握できないものの,指示した場所は読図中の手がかりとして扱った.
    3.分析結果
    1)定位した位置の正誤
    地図Aでは,全ての調査対象者が九番団地を定位できなかった.団地を示す家形枠に類似している工場や倉庫を間違えて定位した者が多かった.地図Bでは,大きく離れて定位した者は減少した.それに対して,地図Cでは10名中8名が正確に定位できた.定位した九番団地の位置と本来の位置との距離のずれは,地図Aで最も大きく,次いで地図B,Cの順に小さくなった.地図Bでは大体の位置に定位できたものの,地図Cの方が,より正しく定位しやすくなることが分かった.一方,地図Cで港区役所または協立総合病院を定位する課題では,いずれも正しく定位できた者は少なかった.
    2)発話プロトコルの内容と読図中に指示した場所
    地図Aでは,名古屋港や幹線道路を発話しながら探し出そうとしたが,地図上で指示した場所は,そのほとんどが間違っていた.地図Bでは,最初に名古屋港駅を見つけた後に,地下鉄の線路をたどりながら,次々に駅名の注記や幹線道路を指示した.地図Cでは,全員が九番団地の向かい側にある『サークルK』を発話しながら指示した.この『サークルK』が,九番団地の定位を容易にするサインであることがわかった. しかし,同じコンビニエンスストアのロゴマークがたくさん表記されているために,かえって定位するのに混同した者もいた.このことは,ランドマークを機械的に表記すれば良い訳ではないことを示唆している. 以上の分析から,日系ブラジル人にとって自宅を定位しやすいハザードマップの地図表現が明らかとなった.適切なランドマークを現行のハザードマップに加えると,読図の精度が飛躍的に向上する.たとえばコンビニエンスストアのロゴマークのような絵記号を表記した地図表現が効果的である.
    参考文献
    髙井寿文2004.日本の都市空間における日系ブラジル人の空間認知.地理学評論77(8):523-543.
  • 加藤 央之, 永野 良紀
    セッションID: 708
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    地形的な影響による強風(ギャップ風)が顕著にみられる北海道寿都を例にとって風の変動現象を抽出し,統計的な分類を通じてその原因を明らかにし,将来的なランプ現象の予測に資する。
  • 吉村 健司
    セッションID: 513
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    沖縄県のカツオ一本釣漁は1901年に座間味島で開始され、その後、全県的に普及していった。しかし、現在ではカツオ一本釣漁を保持しているのは、沖縄本島の本部町、宮古列島の伊良部島、八重山列島の石垣島の3地域のみとなった。その他、曳縄漁が数地域で行われている。  現在、カツオ漁の漁場は「パヤオである」と一般的には説明される。パヤオとは、海面、海中に敷設した浮魚礁のことであり、沖縄県では1981年に八重山方面にて東レ株式会社が設置したのを契機に、1982年には伊良部漁協が設置し、全県的に普及した。ただし、実際には県内全域のカツオ漁を見渡してみると、必ずしもパヤオだけに依存していない。そこで、本発表では、本部町、伊良部島、与那国島を事例にカツオ漁の漁場の差異について報告を行う。
    本部町は沖縄本島北西部に位置している自治体で、カツオ漁は1904年に開始された。沖縄本島で唯一カツオ一本釣漁が残る地域である。2015年現在、カツオ一本釣漁は6名から構成される船団が一隻と、1~2名により操業される経営体が4隻ある。本部町のカツオ漁の特徴は餌料採捕からカツオ釣獲までを自ら一貫して行う点にある。
    伊良部島は宮古列島に位置する島で、1907年にカツオ一本釣漁が開始された。現在は6名~8名で構成される船団が4隻操業している。餌料は船団ごとに契約する餌料採捕集団によって供給される。
    与那国島は八重山列島の最西端に位置し、また日本最西端に位置しており「国境の島」である。かつてはカツオ一本釣漁も行われ、日本で最もカツオ節を生産していた時代もあったが、現在では曳縄漁が中心である。また、カツオ漁はカジキ漁の餌漁としての側面もある。
    本部町ではパヤオ導入以前はソネや特定の島の周辺を利用し、季節性による漁場の使い分けが見られた。また、本部町のカツオ漁場の特徴は薩南から続くソネ域の南端を利用することにあったが、現在ではパヤオのみの利用となっている。また、パヤオまでは根拠地から3時間から5時間程度と県内では最も遠い部類に入る。  伊良部島ではかつて沖縄本島より南西に位置するソネから、八重山列島のソネを利用していたが、現在は鳥付群やパヤオを中心とした漁場利用である。伊良部島のカツオ船4隻のうち3隻は海鳥レーダーを利用し、魚群探索をしている。漁場までは概ね2時間程度である。  与那国島は他2地域と異なり、漁場が最短で30分程度で、地形的に島そのものが魚礁の役割をしていると考えられる。漁獲は多くて200㎏/日程度で、他の2地域よりは少ない。  2015年現在、伊良部島と与那国島ではパヤオでの漁獲は少なく、ソネや鳥付群での操業を中心に行っている。大型のカツオの漁獲が好調である。この2地域は漁場までは近く、漁場としての優位性は高いものといえる。一方、本部町ではパヤオからの漁獲は少なく、また遠いことから漁場としての優位性は低いものといえる。
  • 梶原 宏之, 藤井 可
    セッションID: 717
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    ジオパークのユネスコ正式プログラム化が話題にのぼるなか,日本でもこれを地域おこしとして期待したり,地域資源の再編成や保全方法を模索する動きが活発化している.活動が進むにつれて,活動の方向性を今後どちらへ向けていけばよいかは深刻な議論になるものと思われる.なぜならジオパークは単なる蒐集保存で終わるものではなく,持続的に地域振興を模索してゆくプロセスであり,その際に保全と開発が互いに衝突するからである.
    衝突するのは保全と開発だけではない.災害をめぐるリスク管理をはじめ,ジオパークが扱う自然は誰のものかという地元民と観光客をめぐる衝突,ジオパークが鉱石を販売することの是非,あるいは人工的な保全そのものの功罪を問う議論も生まれている.いずれのジオパークにおいても,遅かれ早かれ,今後こうした議論に巻き込まれてゆくものと思われる.
    本発表では,個別のジオパークで発生するこれら倫理的な課題を具体的に取り上げ,検討してゆく.これはいま世界のジオ研究者がジオエシックス(地球倫理学)として注目する領域とも重なるものである.地球に対する活動を進めるにあたり,それが果たして「正しい」(Peppoloniらのいうcorrect)ものかどうか,倫理的な基準を確立する必要がある.これまで科学者はこうした具体的社会活動に対し,少し離れた場所から「客観的に」記録研究し,価値判断は避けてきた.しかしジオパークは研究者も共によきパートナーとして行動するため,倫理的責任も負う.
    また,同じジオパーク活動であっても,同じ自然へのふるまいが,あるジオパークでは善となり,あるジオパークでは悪となる事例がみられる.文化人類学では文化相対主義としてこれも価値判断を忌避してきたが,相対主義を突き詰めると人類普遍の「公共善」などは存在しないことになる.同じユネスコの世界遺産ではOUV(顕著な普遍的価値)が必要とされるが,この「普遍的」が何かという問題である.個別ジオパークの事例を越えて,普遍的な価値観(公共善や公共悪)を見出すことができるかどうかというコンテクストにおいて,これは公共地理学の一課題でもある.
  • 学校・社会教育におけるESDの調査から
    小出 美由紀, 阪上 弘彬
    セッションID: P819
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     本発表は、2014年10月~2015年7月にかけて実施したドイツにおける持続可能な社会の形成にむけた学校・社会教育の取り組みに関する現地調査の結果を報告するものである。調査は、ESD(持続可能な開発のための教育)を共通テーマに掲げ、各々の専門分野に関する個別調査とともに、隔月で共同調査を実施し、学校・社会教育間におけるESDの取り組みについて報告、検討を行った。

    2.学校教育(地理教育)の視点から
     地理カリキュラム上では、持続可能な開発の視点から問題を分析、判断、行動する能力の育成が盛り込まれるとともに、ESDの実践に対して地理学習がもつ内容等から貢献できるという点が明確に示されている。この点は授業レベルにおいても浸透しており、授業見学では「持続可能な土壌利用」や「持続可能な開発のための国際協力」等をテーマにした授業を見ることができた。大学入学資格「アビトゥア」においても、「持続可能な開発」の視点から論述する問題が課されるなど、ESDが今日の地理教育に大きく影響を与えているといえる。また地理教員もESDが地理授業における重要なテーマであると認識していることが、授業前後での簡単な聞き取りからわかった。

    3.社会教育の視点から
     本報告では、学校生物センター(ハノーファー市)、環境センター(ハンブルク市)を事例に、社会教育施設が提供する環境教育の実践例を紹介したい。
     施設は「持続可能な社会」を目指す(学校外)教育の場として市のアクションプランに位置付けられている。見学した小学校向けの教育プログラムは「気候変動」「持続可能なエネルギー利用」がテーマになっており、施設内の森林や池、熱帯温室を学習の場として、本物の自然に触れること、五感で体験することを重視した内容であった。また、学習補助教材の開発や貸出、実施指導を通じて、学校教育/教員をサポートしている。
     施設運営において注目すべきは、ドイツ政府支援の環境ボランティア制度を利用して活動する長期ボランティアの存在である。彼らの多くはアビトゥア修了後20歳前後の若者で、環境教育プログラムの実施補助、教材作成補助、動植物の世話等に従事する。施設での1年間の活動は、環境分野の知識・技術の習得、将来の進路選択、継続的な環境分野への社会参加意欲を醸成する機会となる。環境教育施設は「持続可能な社会」を担う人材育成の拠点としての役割を果たしているといえる。

    4.まとめ
     学校・社会教育双方においてESDの視点を取り入れた教育プログラムが積極的に展開されていた。また実践的、体験的な授業支援の場として社会教育施設が活用されていることが認められた。

    付記:本調査に際して、施設見学、授業見学にご協力いただいた方に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。また本研究は、広島大学総合科学研究科平成26年度学生独自プロジェクト(研究着手支援)「ドイツの環境教育施設に関する現地調査」の助成を受けて実施した。
  • 西城 潔, 福田 はる香
    セッションID: 607
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    宮城県名取市の海岸平野における、東日本大震災後の屋敷林の消滅プロセスについて検討した。空中写真やGoogle Earthの画像の判読から、2003年以降、当地域の屋敷林は微減傾向にあったとみられる。震災直後の2011年3月14日に撮影された空中写真をみると、海岸線から内陸側へ約1kmの範囲内では屋敷林の消滅が目立つが、それよりも内陸側では、津波浸水域であっても多くの屋敷林は残存している。しかし、それから約1年後の2012年4月には、津波浸水域のほぼ全域および非浸水域の一部で、屋敷林の消滅が顕著である。つまり、海岸線付近の一部地域を除き、屋敷林は津波による倒壊や流失ではなく、震災後約1年間に取られた撤去・伐採といった人為的措置により消滅したとみられる。住民への聞き取り調査の結果も考え合わせると、震災に伴う屋敷林の消滅プロセスは次のようなものであったと推測される。震災前から、本地域では屋敷林の伐採が徐々に進行していた。その主な要因は、樹木管理上の理由であった。東日本大震災に伴う津波では多くの屋敷林が浸水し、海岸線から約1kmの範囲内では、倒壊・流失に伴う屋敷林の消滅がみられた。それより内陸側では、津波の直接的影響で屋敷林が完全に破壊されることはほとんどなかったものの、倒木や塩害による枯れがみられた。そのため、震災からの復旧過程で、倒れた樹木を撤去したり、枯れた樹木を伐採するなどの措置が取られ、結果的に屋敷林が消滅した。また非津波浸水域でも、震災被害を受けた家屋の建て替え・補修上の都合から、屋敷林を伐採したケースが確認された。以上のことから、東日本大震災によって、それ以前から徐々に起こっていた屋敷林の減少が一気に加速したこと、被災の種類や程度に応じていくつかの異なる屋敷林の消滅プロセスが出現したことがわかった。


  • 王 震霆, 鹿嶋 洋
    セッションID: 211
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    熊本県はかつて大手企業の分工場を中心とする分工場経済と考えられてきたが、半導体産業や自動車産業の立地とともに地元企業群が発展し、地方新興集積と位置づけられるようになった。しかし、近年は大手企業による事業集約や撤退が相次ぐなど、機械系中小企業を取り巻く外部環境は大きく変化している。このような背景の下、活発なイノベーション活動に取り組む機械系中小企業が増加している。このことは産業集積のさらなる充実にとって重要と考えられることから、行政による政策的な支援も推進されている。
    本研究は熊本県内の機械系中小企業におけるイノベーション活動の空間的特性を明らかにする。第1に、これら中小企業の特徴を明確する。第2に、イノベーション活動がいかなる存立基盤に基づいているかを検討する。第3に、中小企業がイノベーション活動を遂行するためにどのような空間的な対応を行うかを論じる。
    調査対象は、「熊本県リーディング企業育成支援事業」に認定されている企業から機械金属系の10社を選定し、2014年8月から11月にかけてインタビューを実施した。同事業は県内中小企業の成長のために産学官連携による総合的な支援を図るものであるため、これに認定された企業はイノベーション活動を活発に行っているとみなした。  
    2.調査対象企業の特徴
    まず、調査対象企業の地域的な特徴を明らかにした。熊本県では半導体や自動車産業の進出を契機として機械系中小企業が成長した。調査対象企業の多くは大手企業からのスピンオフであり、大手企業からの受注に依存する傾向にあった。近年ではようやく脱下請を目指して活発なイノベーション活動に取り組むようになった。その技術的特性と発展過程に着目すると、(1)基盤的技術型企業(2)部品組立型企業(3)生産装置製造型企業の3類型に分類され、(3)が最も多い。イノベーションを創出する際、(1)は基礎研究型、(2)は混合型、(3)は応用研究型のイノベーション活動が多いという傾向があった。  
    3
    .イノベーション活動における存立基盤
    イノベーションの創出プロセスに注目すると、コンセプトの構築段階では調査対象各企業は大手企業と密接に連携していた。これらの大手企業は主に県内だけでなく主に九州各地に存在しており、空間的には県域を越えて九州スケールで展開していた。次に、実際の研究開発の段階になると、行政の総合的な産業支援も受けつつ、従来より濃密な産学官連携ネットワークが構築されたことで、産業集積度が高くはない熊本県における各調査対象でも、資金、開発人材や研究設備の不足などの問題が改善し、最終にイノベーションの創出が実現された。この研究開発の段階では、熊本県内での完結性が高くなる。このように、大手企業からの一定の支援、および濃密な産学官連携ネットワークの存在が、熊本県における機械系中小企業のイノベーションを支える地域的な基盤である。各社にとってイノベーションの取り組みは脱下請け化のための重要な戦略と位置づけられている。  
    4
    .イノベーション活動に伴う空間的な対応
    研究対象中小企業はイノベーションの創出に伴って、空間的な対応も行っている。イノベーション活動を支える主な産業支援機関が熊本都市圏に集中立地していることに加え、イノベーションを担う人材が熊本都市圏において確保しやすいことから、県内縁辺地域に立地する中小企業は、熊本都市圏内に拠点を設置するなどの空間的対応を図っている。つまり、熊本県におけるイノベーションに取り組む中小企業の空間的な動向をみると、熊本都市圏を結節点として一極集中的構造が形成されており、さらにこの空間構造は強化される方向に推移していることも見出された。
  • 澤田 康徳
    セッションID: 704
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
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    目的 東京都心部における降水量増大時の降水量分布は,藤部ほか(2003)の関東地方における降水量分布型のうち都心部に極大域を示す型として提示されている。このような降水量分布は多数の降水事例により明確となり,都心部における強雨発現に関する事例解析で示される個々の降水事例(藤部ほか 2002,中西・原 2003,佐藤ほか 2006など)の降水量分布の積算として考えられる。従前の強雨に関する研究では,降水量分布の空間スケールや分布は事例によりさまざまで,強雨発現時における降水量分布の空間的特徴を気候学的に捉える必要がある。本研究では,東京都心部の夏期強雨発現時における降水量分布の空間的特徴を明らかにする。その上で,都心部における強雨発現時の降水量分布を,藤部(1998)などが指摘する都心部における強雨発現の増大傾向など経年変化の中で議論する。

    資料 毎時のアメダスの降水および気温,風向風速,日照時間資料について,1980~2014年の夏期7,8月(2170日)において欠測が1%未満の地点を対象とした。なお,2008年以降の0.5mm単位の降水量は,2007年以前の1mm単位の資料に合わせた。気温,風向風速については都心部(アメダス:練馬,東京,世田谷,江戸川臨界,羽田)における強雨(20mm/h≦)発現前3時間の平均,日照時間については強雨発現前までの平均を用いた。

    結果 強雨発現時における降水量分布に対してクラスター解析を施し,降水量分布を5つに類型化した。降水量分布は,空間スケールと分布の方向に差異が認められる。すなわち,降水域が都心部に孤立して認められる型(Ⅰ,Ⅱ,Ⅴ),降水域が広域で認められる型(Ⅲ,Ⅳ)およびⅡでは北部山岳にも降水域が認められ,Ⅲでは 都心部~西部山岳,ⅣとⅤは都心部~北東に降水域が認められる(図1)。降水量分布型の累年変化は,ⅠおよびⅤで増大傾向を示す(図なし)。気温分布は,ⅡやⅤよりⅠで南北差が明瞭で(図2),強雨発現時までの時間当たりの平均日照時間は,ⅠおよびⅤでは北部山岳(南関東)で少ない(多い)。一方,Ⅱでは北部山岳でも平均日照時間は一定程度(0.2≦)あり,気温と日照時間とに有意な相関は認められない。(図3)。なお,孤立型(Ⅰ,Ⅱ,Ⅴ)の風系は,都心部で南および東寄りの風の合流による収束域が形成されていた。増大傾向が認められたⅠ,Ⅴでは,気温と日照時間の南北差に対応関係が認められ,さらにⅠでは強雨発現域と都心部の不安定化が想定される高温領域が対応している。したがって,南関東の相対的な高温領域の出現に関わる擾乱の経年変化を踏まえた強雨発現の議論が必要である。
  • -日本農業の存続・成長戦略に関する地理学的研究(その3)-
    西野 寿章
    セッションID: 103
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/10/05
    会議録・要旨集 フリー
    新鮮かつ安全安心な農産物を求める消費者のニーズに応えて,多くの農産物直売所が開設され,小規模生産農家が農産物を自由に販売できる場所としても機能している。農産物直売所に関する研究の多くは,経営分析を行った結果に基づいて,消費者の視点からの経営のあり方を問う研究が多い。農産物直売の持続的経営の研究は,地域農業の存続に直結することから重要であることは言うまでもないが,農産物直売所の開設が地域農業の存続,成長にどのように寄与しているのかについて分析した研究は多くない。そこで本研究では,農産物直売所の開設によって,どのような農地利用変化が発生したのかを集落レベルで分析し,地域農業存続の条件を探る。
     本研究の対象地域は,2009年に高崎市に編入した旧吉井町である。旧吉井町は,群馬・長野県境に源を発する利根川支流鏑川沿いに位置し,鏑川に沿った中央部には平坦部が広がるものの,南部は中央構造線の北縁にあたり急峻な地形がみられ,旧高崎市との境となっていた北部は丘陵地が広がっている。農地は,鏑川沿いの中央部に集中しているが,丘陵地小さな谷単位に農地が広がっており,中山間地域的農業の色彩が強くなっている。中央部には水田が広がり,稲作か中心となってきたが,かつては養蚕のための桑畑が広がり,丘陵地でも養蚕が盛んに行われた。きゅうりを中心とした野菜作も盛んである一方,コンニャクイモ栽培も行われてきた。しかし,農業後継者の育成が難しく,農業就業者の高齢化が進んで,山間部を中心に耕作放棄地が増加している。 
      研究の対象とする農産物直売所は,1996年に開設された吉井物産センターふれあいの里である。開設の契機は,1962年の生糸輸入自由化以降の安価な中国やブラジル産の生糸輸入の急増から養蚕農家を保護するために1972年から実施された生糸一元輸入制度が,WTO協定の実施に伴って1994年に廃止され,旧吉井町内で続けられていた養蚕にピリオドが打たれたことによる。当初は,生活改善グループの農家が集落近傍で朝市を展開し,これが後に群馬県でも有数の農産物直売所の基礎となった。1996年9月には「吉井物産センターふれあいの里生産者協議会」が設立され,町行政の支援を得て,農家自身が生産から販売までを行う直売事業が開始された。1997年11月1日から1998年10月31日までの売上高は約3億円に達し,好調な滑り出しとなり,施設も整えられた。1998年度の協議会会員は個人272人と5団体であった。販売品は,葉菜類,根菜類,果菜類,果実類で約50%,加工品約30%,菌茸類約10%,花類約9.9%となっている(2013年)。年間売上は3億円前後を推移したが,農産物直売所ブームに乗って周辺地域で農産物直売所の増加したことや,旧吉井町内へのスーパーマーケットの進出などの影響を受けて減少し,2014年度の売上は最盛期の1/2まで減少している。  
     2005年には農事組合法人となった。売上の減少,生産者の高齢化が進んでいるものの,農産物直売所の開設は,遊休農地の復活を促すなど,地域農業に好影響をもたらした。集落カードによると,例えば旧吉井町のある農業集落では1995年から2010年までの15年間で稲の販売用経営面積は43%減少したのに対して,野菜は41%増加している。その一方で集落によっては野菜の栽培面積が減少し,データが秘匿化されている集落もある。集落レベルでの農地利用変化を分析して,農産物直売所の開設が地域農業の存続,持続にどのような寄与したのか,しているのかを明らかにする一方,衰退の要因も分析することによって,持続可能な地域農業の成立条件が明らかになるように考えられる。
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