日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 825
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発表要旨
静岡県および三重県における報徳社の活動実態にみる地域的差異
*笹本 裕大
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抄録

Ⅰ はじめに
近世以降の日本では,「むら」が生活や産業の単位とされてきた.そこでは,地縁的社会集団のもとで,生活や産業に関わる各種活動が包括的に行われていた.しかしながら,それらの集団は,今日までのむら内外の変化によって消失する傾向にあるとされる.一方で,存続している地縁的社会集団も少なからずあり,集団の意義を指摘するものもある.
わが国の典型的な地縁的社会集団に報徳社がある. すなわち,報徳社の活動の経緯・その現状を広く検証することで,地縁的社会集団の存続要因を探ることが可能だと考える.2010年において存続していた報徳社は,全国に91社あり,そのうち,最多の62社は静岡県内にあって,その大半が同県西部に集中していた.また,三重県内には静岡県に次ぐ16社が存在した.このうち13社は大台町荻原地区にあった.つまり,2010年に存続していた報徳社は,静岡県西部および三重県大台町荻原地区に集中していた.そこで,本報告では,静岡県西部および三重県大台町荻原地区における報徳社の活動実態を明らかにする.

Ⅱ 静岡県西部の事例
 静岡県西部における報徳社の活動実態を明らかにするため,農村的景観が維持されている掛川市の嶺向集落と,都市化の進行が著しい袋井市の祢宜弥集落の事例を取り上げる.
 嶺向集落では,1903年に嶺向報徳社を設立・法人化した.当初の報徳社は,嶺向集落内の全120戸あまりをもって構成されており,自治に関する話し合いおよび各種活動への資金提供,集落の主要産業である農業を支えるための活動,社員からの預け入れ金の管理を実施していた.
嶺向集落では,農業の衰退に伴って,農業を支える活動を消失した.また,農業の衰退に加え,高齢であること,常会が曜日に関係なく実施され参加しにくいことなどを理由として退社する社員が相次いだ.このため,報徳社は嶺向集落の自治を主体的担う立場にはない.しかしながら,今なお自治に関する話し合いを実施しており,社員の家族を通じて集落の自治に少なからず影響を与えているほか,集落内の各種活動に対する資金提供も継続している.また,社員から預け入れ金の管理も,経済動向に対応しながら,継続している.
祢宜弥集落では,1893年に推譲報徳社を設立・法人化した.当初の報徳社は,祢宜弥集落内の全22戸をもって構成されており,自治に関する話し合いおよび各種活動への資金提供,集落の主要産業である農業を支えるための活動,社員からの預け入れ金の管理を実施していた.
祢宜弥集落では,1990年代以降,急激に都市化が進行した.その過程で集落内の農地が失われ,報徳社による農業を支える活動は消失した.また,祢宜弥集落では,都市化による新住民の流入も進行した.推譲報徳社では,新住民の入社を勧奨した.そして,自治に関する話し合いを今なお継続しているほか,地区の祭典に資金提供している.社員からの預け入れ金の管理も,経済動向に対応しながら,継続している.

Ⅲ 三重県大台町荻原地区の事例
荻原地区では,1930年代に報徳社が設立された.当初の報徳社は,自治に関する話し合いおよび各種活動への資金提供,集落の主要産業である農業を支えるための活動,社員からの預け入れ金の管理を実施していた.しかしながら,1940年代に入り,太平洋戦争が激化した頃には,それらの活動は失われた.
1950年代に入り,報徳社が土地を所有するために法人化が行われた.そして,土地所有に関する活動に加え,旧来からの活動を実施してきた報徳社や,郵便事業を実施してきた報徳社は存続している.一方で,土地所有に関する活動のみに重きを置いてきた報徳社も2010年までは存続していた.しかしながら,そうした報徳社のあった集落では,2010年以降,土地所有において報徳社と同様の役割を有することのできる地縁団体を立ち上げて報徳社を解散した.

Ⅳ おわりに
本報告では,静岡県西部および三重県大台町荻原地区における報徳社の活動実態をみた.各報徳社は,もともと同様の活動を行っていた.その後,各報徳社の活動実態は,農業の衰退,都市化,経済動向,政策の転換の影響を受けた.このため,各報徳社の活動実態には地域的差異が生じている.

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