日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の343件中1~50を表示しています
発表要旨
  • 吉村 健司
    セッションID: 814
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    沖縄県本部町は、県内でも有数のカツオの水揚げの地として名を馳せてきた。しかし、近年は衰退傾向にある。燃料価格の高騰や後継者不足の問題などの社会問題に加え、南西諸島域のカツオ漁の独特の問題として餌料確保の点が挙げられる。カツオ漁では、キビナゴなどのイワシ系の小魚を撒きながら漁を行う。そのため、餌料の入手は、カツオ漁の操業の可否決定要因の一つである。  本報告で対象とする沖縄県本部町のカツオ漁では、2010年にカツオ一本釣漁船団の「第十一徳用丸」(徳用丸)が解散した。徳用丸は餌料採捕班とカツオ釣獲班による船団内分業を採用する、沖縄に古くから存在した形式を保持した船団であった。ところが、徳用丸も餌料採捕の問題を含む冒頭に挙げた諸点を理由に解散した。現在では5名体制から「第二黒潮丸」が操業しているものの、規模は徳用丸と比べ、小さく漁獲量も少ない。餌料は自ら採捕しているものの、安定的に採捕できていないのが現状である。本部町のカツオ漁において餌料採捕の状況がカツオ漁の盛衰とは無関係ではない。そこで、本報告では本部町のカツオ漁の衰退要因として挙げられる餌料採捕の状況について、その変化について報告を行う。  現在、本部町におけるカツオ漁は、水産業に占める生産額、水揚量のうち約3割を占める主力漁業となっている。カツオ漁に用いる餌料採捕では、古くから「四艘張網」と呼ばれる集魚灯と敷網を用いた漁法が用いられてきた。集魚灯により魚を集魚し、4艘の船を四方に配置し、網を張り、そこに魚を誘導する漁法である。この漁法は1970年以降、沖縄県では本部町のみで行われてきた漁法である。現在も集魚灯によって魚を網に誘導する漁法であるが、かつてのような四艘張網ではなくなっている。この漁法は集魚灯の明かりによって魚をおびき寄せるため、沖縄で多く流出する赤土は、集魚効果を減少させるため操業の疎外要因となる。また、同様の理由で月夜には操業ができない 1970年台には本部町のカツオ漁における餌料採捕漁場は、運天港(今帰仁村)、瀬底島(本部町)、名護湾(名護市)というように、本部半島一帯を利用してきた。特に運天港は最大の漁場で、本部町のカツオ漁の歴史において欠かすことのできない漁場といえる。その後、本部町周辺では、埋め立てや橋梁建設などが相次ぎ、本部町沿岸域、特に瀬底島周辺の利用が減少し、利用の中心は運天港に集中することとなった。名護湾は、旧暦の9月過ぎに吹き始める季節風であるミーニシ(新北風)が吹き始める頃に利用する、補完的な漁場であった。これは本部半島の山々が風を遮るため、操業が行いやすいためである。逆に、運天港では風の影響を受けるため操業が困難となる。現在は、母港である渡久地港の地先のみを利用しているのが現状である。渡久地港地先では運天港と違い、カツオ漁の出漁に耐えうるほどの餌料を採捕できないことも多々あり、餌料採捕漁場としては、決して十分とはいえない。  本部町のカツオ漁の餌料採捕漁場は、カツオ漁の衰退とともに、利用してきた漁場が縮小していった。カツオ漁の出漁可否の決定要因は餌料にあることから、大規模漁場の運天港の利用こそが、カツオ漁の安定操業に重大な貢献を果たしてきたことがわかる。 
  • 荒木 一視
    セッションID: S1505
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    離島の持続可能性を生活基盤,とくに食料供給という観点から検討する。人間が生きていく上で必要十分な食料を入手するということは,不可欠の要素であり,特定の地域でそれが困難な状況になればその地域での生活,生存は不可能である。極めて当然の命題ともいえるが,ここに検討の土台を置きたい。その際,離島を含めた農山漁村部の食料供給をめぐる枠組みが今日大きく変化したことを指摘しておきたい。 すなわち,伝統的に農山漁村は,都市への食料供給を担う地域として位置づけられてきた。農山漁村は食料余剰を生み出し,それが自ら食料を生産しない都市の胃袋を満たしたという解釈である。むろん,漁村で山の幸が,山村で海の幸が手に入るわけではないが,おおむねこれらの地域では必要な食料の相当の部分を自地域でまかなうことができたと考えられる。しかし,このような農山漁村像は既に過去のものとなっている。過疎化や高齢化の進展の中で,従来これらの地域が持っていた食料の生産能力,自給機能は大きく後退しているからである。むしろ,今日の農山漁村は都市からの食料供給に大きく依存しているといってもよい。こうした状況下で農山漁村部において必要十分な食料供給は問題なく機能しているのであろうか。産業基盤が失われた,あるいは後退したので人口減少が進んだというのはよく聞かれる議論であるが,果たして今日の状況を捉えるのに十分であろうか。むしろ,食べるものが手に入らなく立ったので離村せざるを得ないという状況が存在しているのではないだろうか。 離島はその隔絶性の高さから,都市からの食料供給の最縁辺ということができ,こうした問題をよく顕在化させると考えられる。本発表ではこうした観点から,(厳密には離島ではないものの)山口県の周防大島を取り上げて,離島の食品供給について検討する。  
     周防大島における伝統的な食料供給(江戸後期)からうかがえるのは,(1)人口密度の顕著な高さ,(2)米の生産量の少なさ,(3)イモの生産量の多さである。長州藩他地域と比較しても,米の生産量が少ないながらも人口の多いことが顕著で,生産量の多さが人口を支えたという枠組みでは把握しきれない側面がある。こうした人口を支えたのが,海運業などによる現金収入ではなかったかと考えられている。いわば当時の周防大島は食料供給を外部に依存するという都市的な性格を有していたとみることもできる。  
      これに対して,今日の周防大島の食料供給状況を考える際には,異なる枠組みが必要である。かつての海運業のような島の経済を支える期間となる産業が脆弱であること,高齢化が最も進行しているといわれるように,高度成長期以来の過疎化,高齢化に伴い,域内での食料生産能力も低下していることが容易に想定される。また,食生活の変化もあり,今日の日常的な食品,食材が全国各地,さらに海外に大きく依存している。これら食品の入手はスーパーや食料品店を利用するわけであるが,離島での大型スーパーの展開には限界があり,交通の利便性が良好ではない離島では近隣の大型スーパーまでの購買行動にも制約が多い。特に高齢者の利用可能な交通手段の制約(自動車の有無,バス路線と本数の充実度など)は小さくない。こうした状況で必要十分な食料の供給をになうのは,島内各地にある小規模な食料品店である。しかし,こうした食料品店においても経営上,あるいは生鮮食品の供給などにおいては様々な限界がある。無論,すべての食料供給を小規模食料品店が担っているわけではないが,その一翼を担っているといえる。こうした点について検討したい。
  • 荒木 一視
    セッションID: 816
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    戦前の台湾が日本向けに米や砂糖を中心とした食料資源の供給をおこなったことは論を俟たない。その一方,日本から台湾に向けても少なからぬ食料が移出されていたことも事実である。戦前の日台貿易において対日移出の主力は砂糖と米であるが,対日移入の首位品目も「飲食物及び煙草」となっている(荒木,2013)。これは当時のわが国の経済を支えたとされる原料・工業製品貿易(名和1937,1948)という枠組みとは異なるものである。無論「飲食物及び煙草」を工業製品と見なすことも可能であるが,むしろアジア域内での食料貿易が重要な役割を果たしたと考えるのが妥当ではないだろうか(杉原1985,1996)。本発表はこのような観点から,当時の日本と植民地間の食料・食料貿易に着目し,台湾向けにどの程度の日本食の食材が移出され,それがどの程度台湾社会において広がりを見せたのかを検討する。  日本食の食材として調味料(醤油,味噌,味の素),清酒,水産品(鰹節,寒天)に着目した。当時の貿易状況と食品受給を把握するための資料として台湾総督府財務局編「台湾貿易四十年表 自明治29年至昭和10年」(1936),「工業統計表(1938年までは「工場統計表」)」を用い,これを経済安定本部民政局編「戦前戦後の食糧事情」(1952),東洋経済新報社編「昭和産業史」(1950)などによって補った。
    (調味料)  日本の伝統的な調味料である醤油と味噌,さらにうまみ調味料の「味の素」を取り上げた。1920~30年代にかけて,醤油,味噌ともに国内生産量は堅調な増加が確認でき(工業統計表),「味の素」の生産量も第二次世界大戦の開戦までは順調に推移する(昭和産業史)。これに応じて台湾への移出量も醤油や「味の素」では増加傾向が見られ,特に「味の素」の移出量の伸びは特筆される。これに基づき,内地人口一人当たり生産量,及び台湾の人口一人当たり移入量,台湾における内地人口一人当たり移入量を計算した。生産量と消費量の差や,貿易量,次年度繰越量などを勘案する必要があるが,内地と台湾におけるこれら食品の需要量の一端を把握することができると考えたためである。1930(昭和5)年における醤油の内地人口一人当たり生産量は7.35l,1932年は7.10l,1934年は6.82lが得られ,概ね7l程度であると推計できる。対して,台湾の人口一人当たり移入量では0.39升(1930年),台湾における内地人口一人当たり移入量では7.80升(1930年)が得られ,台湾における内地人口一人当たりの醤油消費が内地の一人当たり消費量と同程度と考えると,移入された醤油は台湾の内地人口だけではなく,台湾社会にも一定量が受容されていたとみることができる。 同様にして「味の素」を見た場合,内地の一人当たり需要量を上回る需要が台湾において認められた。内地以上に台湾で「味の素」伸しようが広がっていたことがうかがえる。一方,味噌の移入量は1905年を境に急減している。これは台湾における内地人口が味噌を消費しなくなったのではなく,台湾において味噌製造が広がったためと考えられる。醤油に比べて比較的製造が容易な味噌の特徴が反映されたともいえる。
    (清酒)  清酒(日本酒)も極めて日本の食文化との関連性が強く,その需要の拡大は日本食の受容の広がりと重ねてみることができると考える。1920~30年代を通じて清酒の生産量は堅調に推移し,移入量も漸増している。調味料同様に「工業統計表」の数値に基づき推計した1930年の清酒の内地人口一人当たり生産量は10.8l,「戦前戦後の食糧事情」に基づいた推計では同13.7kgであった。同様に「台湾貿易四十年表」にもとづく,台湾における内地人口一人当たり移入量は11.5升(約20l)となり,国内の一人当たり生産量よりもやや多めの値を示す。清酒の需要が台湾における内地人意外にも広がっていることが類推される。ちなみに1930年のビールの場合は内地の一人当たり生産量が約1升,台湾における内地人口一人当たり移入量は35.1壜となる。ワインも同様に前者が0.2合,後者が約1lとなり,双方とも大きく後者が前者を上回り,ビールやワインが広く台湾社会で受け入れられていたことがうかがえる。
    (水産物)   最後に日本の伝統的な水産食品として鰹節と寒天を取り上げた。調味料や清酒同様に内地一人当たり生産量を上回る台湾における内地人口一人当たり移入量が確認されたと同時に,これら水産食品の原料や加工品の少なからぬ量が台湾から日本へ向けて移出されていることが確認できた。例えば大量の鰹節や石花菜の対日移出であり,それらが加工されて台湾に送られていたという側面を見ることができる。
  • 和田 崇, 山本 健太
    セッションID: 608
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    神楽は本来,農村地域の集落・神社にねざした神事である。中世以降,各地の集落で発生または伝播し,継承されてきた広島の神楽(里神楽)は,近年,地元の商工業者や,広島市内の出郷団体や集客をねらう事業者,さらには行政によって神社・集落の外に引き出され,都市住民や観光者によって宗教・場所から切り離されたコンテンツ,いわば“街神楽”として消費されるようになった。神楽が演じられる場所は,神座(=結界)から農村,都市へと広がり,さらにDVDなどの映像コンテンツとして流通するようになったことで,神楽が消費される場所はメディア上にも広がった。それに伴い,神座・農村で演じられることに意味のあった神楽は,神座や農村から切り離されてどこでも演じられ,見ることができるものへと変質した。すなわち,宗教空間・村落空間に埋め込まれるかたちで存在してきた神楽は,埋め込みの状態から引き出され(脱・埋め込み化),あらゆる場所でさまざまなかたちで消費されるようになった。神楽団の多くはその流れに対応せざるを得ない状況にあるが,中にはそれに対応できない神楽団や,伝統継承と観光対応のはざまでジレンマを感じる神楽団も少なくない。
    こうした状況下,報告者が今後の神楽振興のあり方として提案するのが,神楽の「再・埋め込み化」である。具体的には,宗教空間・村落空間から引き出され,都市空間・メディア空間で消費されてきた神楽を宗教空間・村落空間に取り戻し,都市住民や観光者もそこで演じられる奉納神楽を体験し,理解する取組みを展開することを提案する。この取組みは,広島神楽の真正性と多様性を体験し,理解するという,オルタナティブな観光・交流活動に位置づけられるものであり,農村文化を断片的・選択的に消費するのでなく,地域の文脈に沿って体験・理解することが可能となり,そのことが農村文化あるいは農村社会を持続的なものにすることが期待できる。 報告者らはこの取組みの成立可能性を検証するため,広島都市圏の若者・女性らが広島県西部の農村地域を訪ね,秋祭りで奉納される神楽を鑑賞するとともに,神楽団員等住民との交流,周辺観光施設の探訪等をプログラムとする奉納神楽ツアーを企画し,2014年10~11月に4回試行した。
    奉納神楽ツアーの参加者からは,多様な神楽を鑑賞できたことに加え,祭り準備の手伝いや直会への参加を通じて神楽団員等住民と交流できたこと,各集落や農村地域への関心が高まったことが評価された。一方,長時間にわたる神楽の鑑賞,地域コミュニティへのとけ込みにくさ,宿泊施設やトイレのアメニティ等について改善が要望された。
    試行結果を受けて,報告者は広島県西部の農村地域を訪ね,奉納神楽と当該地域を体験,理解するツアーの企画の方向性について,以下のとおり提案する。 想定されるツアー参加者は,(a)見学型ツアーに物足りなさを感じている者,(b)共同・協働作業に喜びを感じる者,(c)ローカルな祭り(神楽)を好きな者,(d)日本の農村に関心をもち交流や体験を望む外国人,である。ツアー形態については,①短時間の神楽鑑賞と周辺施設観光を楽しむイベントⅠ型(主に中高齢者層向け),②神楽鑑賞に加え,祭り準備の手伝いや直会への参加,周辺施設観光を楽しむイベントⅡ型(主に若年層向け),③秋祭りでの神楽鑑賞,準備手伝い,直会参加に加え,通年で農漁業等を通じた交流を行う集落応援型(主に若年・ファミリー層向け),の3つを提案する。なお,これらのツアーを実施するに当たっては,ア)各集落における観光客受入に対する住民合意の形成,イ)祭り準備の手伝い等における訪問者の役割の明確化,ウ)訪問者が神楽を理解し,地域コミュニティにとけ込むのをサポートするアテンド(ガイド)の配置,が必要になると考えられる。 ただし,今回の試行ツアーについては,参加者が示した支払容認額と実際に支払った経費を考慮すると,旅行代理店等が独自に造成・催行する旅行商品(ビジネス)として成立させることは困難だと考えられる。そのため,具体化に当たっては,経済性を勘案した旅行商品を造成するよりも,取組みの社会性を重視し,訪問者受入に関する住民合意を形成した集落と自治体,農村地域に関心をもつ者が“神楽”を通して継続的に交流し,相互理解と集落支援を図ることが現実的だといえる。
  • 永田 玲奈
    セッションID: P038
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本研究では,1901~2000年における東アジア地上気圧の長期変動について主成分分析を用いて明らかにした.第1主成分の因子負荷量は10º-25ºNの西部太平洋に負の中心が見られ,これは北太平洋高気圧の変動を示していると考えられる.主成分スコアは1950年以降に負となる年が多く見られ,NPSHが1950年以降に南西にシフトするとしている永田・三上(2012)と一致する.また,東部熱帯太平洋と熱帯インド洋の海面水温(sea surface temperature;SST)は第1主成分の主成分スコアと有意な負相関があり,同領域のSSTの上昇がNPSHの強化に関係していることがわかる.また,第2主成分はAll-India Monsoon Rainfall indexと,第3主成分はダイポールモードインデックスと関係があることがわかった.また,第4主成分はPJ(Pacific-Japan)パターンを示しており,Kawamura et al.(1998)がPJパターンの励起と関係が深いとしているフィリピンを境としたSSTの東西差や熱帯インド洋のSSTと相関が高かった.
  • 根田 克彦
    セッションID: 619
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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     アメリカで行われているセント・パトリックス・ディ・パレードは,アイルランド本国とは異なる新しいエスニック景観といえる.パレードは,アイリッシュのプロテスタントにより開催されたが,19世紀中期以降カトリックが主体となった.その後,パレードは本国アイルランドと政治的に結びつき,非アイリッシュを含む観光資源となった.
  • 谷 謙二
    セッションID: P061
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに  任意の標高の等高線をPC上で表示するには,DEM(Digital Elevation Model)データをもとにGIS等を用いる方法が多いと思われるが,データの取得からGISの操作まで,専門的知識が必要で一般には難しかった。広く普及している杉本智彦氏による「カシミール3D」や,筆者作成の「MANDARA」においても等高線表示機能が含まれているが,単に等高線を見たいだけの場合には過剰性能である。そこで,Webブラウザを用いて簡便に日本の任意の地域の等値線を任意の標高間隔で取得し,Googleマップ上に表示したり,KMLに出力したりすることができるWebサイト「Web等高線メーカー」を開発し,2014年4月に公開した(http://ktgis.net/lab/etc/webcontour/)。 2.システム構成  図1はシステムの構成を示している。地図表示システムとしてGoogle Maps APIを使用し,データとして国土地理院の「標高タイル」を使用する。一般的なタイルマップが地図や段彩図等の画像ファイルを配信するのに対し,この標高タイルではズームレベルに応じた256×256個のカンマ区切りの標高値が入ったテキストファイルが配信される点に特徴がある。これにより,日本国内についてスケールに応じた任意の場所の標高データ(元データは基盤地図情報10mメッシュ標高)をインターネット経由で動的に取得できるようになった。自サーバにはWebサイトのデザインを示すHtmlファイル,地図や等高線データを取得・表示のためのJavaScriptプログラムが置かれており,ユーザPCのWebブラウザでHtmlファイルを指定し,地図と等高線を表示する。 3.プログラムと機能  作成したJavaScriptプログラムでのデータ処理は次のようになる。まず,Google Maps APIを用いて取得したい範囲の地図を表示し,等高線取得間隔を指定する。次に,表示されているGoogleマップの領域について,国土地理院の標高タイルを取得して必要な範囲の標高メッシュデータを抽出し,そこから等高線をベクトルデータとして取得する。等高線の取得に際しては,筆者開発の「MANDARA」の等高線アルゴリズムを用いている。作成した等高線は,Googleマップ上に表示されるほか,HTML5を用いた表示,さらにKML形式で出力できる。  図2は操作画面を示しており,等高線を取得してGoogleマップ上に表示した状態である。等高線には通常の等高線と強調する等高線で別々に設定でき,それぞれ取得間隔と線種を指定できる。「等高線のみ表示」ボタンでは,HTML5のCanvas機能を用いて等高線のみを別のブラウザ画面に表示する。 4.活用方法  本システムは,ほとんどのWebブラウザに対応しているが,データ処理量が多いため,スマートフォンなどでは表示されないことがある。作成した等高線の活用方法については,地理教育での等高線学習や地形模型作成などでの活用,KML形式で出力後,Google Earth等での活用などが考えられる。
  • 中村 努
    セッションID: 918
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    Ⅰ.はじめに
    受給接合機能は流通業の担う主要な役割の一つである。具体的には,①生産と消費における人的隔たり,②生産地と消費地との地理的・時間的隔たり,③それに起因する情報の隔たり(非対称性)を埋めることである。生産地と消費地が国境を越えて広域化している流通システムにおいて,流通業への役割期待はますます高まっている。特に,食品の安全性への関心に対する高まりを背景として,生産者と消費者相互のコミュニケーションのニーズが生じている。  一方,地方都市のなかには,短距離輸送で実現可能な狭域流通システムが残存している。たとえば,高知県高知市で展開している街路市の出店者は,自家生産した農産物などを低価格で対面販売している農家が多い。それは効率性や量,品質の安定性において,広域流通システムに比べて劣る部分が大きい。しかし,生産者は自身の生産にまつわるストーリーや生産哲学(出所の確かさ,生産履歴の開示,調理法などの伝達)を直接消費者に伝えたり,消費者から要望や感想を聞いたりすることで,さらなる生産意欲につなげることができる。
    そこで本発表は,高知県高知市における街路市出店者へのアンケート調査をもとに,狭域の流通システムの展開とその空間的特性を明らかにする。そして,街路市への出店者が,自家生産物の低価格販売に関与する理由について,その経営行動から明らかにする。
     
    Ⅱ.高知県高知市における街路市の出店者の特徴
    街路市出店登録者数は,460人で,そのうち高知市内出身者は329人(71.5%)である。業種別の出店登録数は野菜が約4割を占め,農産物加工,植木・花,果実と続く。出店者数の減少と高齢化(60代が中心)が進行しており,夫婦2人で運営している出店者が多い。自家生産のみによる農産物の販路を,街路市以外に求める出店者の割合が高い(表)。日商が大きいほど常連客数は多い傾向にあるが,最近の売上高は低下傾向にある。生活のために出店継続の意思はあるものの,後継者がいない出店者が56%にのぼる。一方,出店のメリットとして,顧客とコミュニケーションがとれること,生きがいであることなどが挙げられた。

      Ⅲ.低価格で生産販売に関与する出店者の要因
    市場・流通業者との取引においては,定期的に一定の品質・形態・量を確保するため,少品種大量生産による規模拡大や設備投資による安定調達が求められた。しかし,街路市への出店であれば,上記の制約はないため,多品種少量生産を基本として,地元でのみ消費される商品を販売する以外に,規格外品や欠品が生じた場合,価格を下げたり,出店を取りやめたりするといった柔軟な対応が可能である。
    その反面,収穫量や客数は天候に大きく左右されるが,欠品時の代替品や余剰生産物の販路が少ないため,大きな欠品や余剰のリスクを抱える。加えて,高齢夫婦のみで農産物生産から販売に至る全工程を担っている出店者が多く,その労働にかかる負担はきわめて大きい。それでも街路市への出店を継続している理由は,出店コストの低さとともに,出店によって「顧客とコミュニケーションがとれる」「生きがいとなる」という彼らの言説に象徴される。街路市は農家にとって同業者同士のコミュニケーションの場(生産哲学の共有,仲間づくり)であると同時に,消費者とのコミュニケーションの場(消費者ニーズの収集および消費者への生産哲学の伝達)でもあるととらえられる。
    上記の情緒的価値は,セルフサービス方式で展開されるスーパーなど近代的小売業者では実現しにくい。たしかに近年,農産物直売所や顔の見える野菜,地産地消型マルシェ,生産者と消費者が直接顔を合わせる農業祭といった取組みもみられ,より高い安全性を追求する消費者の支持を得ている。しかしながら,コミュニケーションの形態や規模,実施頻度からみて,生産者と消費者が直接交流する機会が担保されているものばかりではない。
    一方,街路市は定期市として,高知県内という狭域のスケールで完結する流通システムである。そして,生産者同士や,生産者と消費者とを結び付けるコミュニティ機能を有しているといえる。現在,生産販売の継続に向けた公的支援が展開されているが,公正性の観点から,そのあり方をめぐるさらなる議論が必要であると考えられる。
  • わが国における系統地理的学習論の研究
    山口 幸男
    セッションID: 804
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本研究は、戦後初期の高校社会科(学習指導要領昭和22年度版、26年度版)の科目「人文地理」を対象に、その教科書を分析することによって、戦後の出発時期における系統地理的学習の特徴について考察する。 
     
  • 河本 大地
    セッションID: S0106
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    Ⅰ.はじめに
    本発表では、ESD(持続可能な開発のための教育、持続発展教育)とジオパークの両者がそれぞれ持つ考え方や活動を掛け合わせることが、社会の未来づくりにどのように寄与するのかを検討する。 ESDとジオパークの両方の言葉を用いている少数の先駆的事例(本要旨では割愛)をみたうえで、筆者の参加した2014年11月の「ESDに関するユネスコ世界会議」フォローアップ会合(名古屋市)でなされた議論等を参考にし、今後の可能性を述べる。  

    Ⅱ.ESDとは
    日本ユネスコ国内委員会によると、ESDは「現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動」で、「持続可能な社会づくりの担い手を育む教育」と言える。ESDの実施には、「人格の発達や、自律心、判断力、責任感などの人間性を育むこと」、「他人との関係性、社会との関係性、自然環境との関係性を認識し、『関わり』、『つながり』を尊重できる個人を育むこと」が必要とされる。 日本の小・中・高校では、「持続可能な社会」という用語で新学習指導要領にESDの学習が盛り込まれている。また、2014年には岡山市および名古屋市で「ESDに関するユネスコ世界会議」および関連イベントが開催された。  

    Ⅲ.ESD×ジオパークで拓く社会の未来
    ESDとジオパークのかけ算をすることは、大きく分けて3つの点で社会の未来づくりに寄与すると考えられる。 ①   社会的実践力の向上  ジオパークでは、つながりが重視される。これには、大地と生態系と人々の暮らしのつながり、域内の人と人のつながり、保全・教育・地域振興のつながり、異なる学問分野のつながり、異なるジオパークどうしのつながりなど、多数のパタンが存在する。ESDの実践には、つながりの理解や、つなぐ力を育むことを目的とするものが多いため、この点の親和性は高い。  また、つなぐ力を育むには、社会的実践の中で関係者の利害を深く知り、関係者間の折り合いをつける必要がある。そこには、何かの実践に関してアクティブな人とアクティブでない人がつながる場を創出することも含まれる。その中では、忍耐力、打たれ強さ、相手を理解しようとする心などが重要となる。ジオパーク活動は、これらを含むことの多い、未来志向の社会的実践である。 ②   ジオ教育(地理・地学・地域に関する教育)の充実 日本のジオパークにおけるESDと銘打った学習活動には、防災・減災に関わる内容が多い。そこでは、地球科学の基礎的知識、特に地震災害や水害等の発生メカニズムをもとに、身近な地域での学習が行われている。 災害関連以外に関しても、地球科学と地域づくりに面白さを感じる人が増えることには大きな意義がある。地学的遺産の保全や、大地に根ざした暮らしについて、ESD教材の開発を進めたい。それには、教育関係者がまずは個々にジオパーク活動に参加し、わくわくできるようにする必要があろう。ESDとジオパークがつながれば、その可能性は増す。このほか、地域の観光をどう持続可能にしていくかをESDのテーマとして扱う際などにも、ジオパークは扱う枠組みや視点を提供できる。 ③   活動の場や分野の拡大 ESD活動もジオパーク関連活動も、さまざまなステークホルダー(理解関係者)が関わっているのが大きな特徴のひとつである。しかし、両者は得意とする場や分野や異なっている。 ジオパーク側としては、ジオパークにおけるユネスコスクールがいずれも積極的にジオパークに関わる学習内容を扱うようになれば、メリットは大きいであろう。また、ESDでは公民館の役割が強調されており、ジオパーク関連活動がそこに加わることができれば生涯学習への広がりも増すことができる。 他方、ESDでは「地域の取組」が強調されるが、そこで言われている「地域」の意味やスケールはほとんど整理されていない。ジオパークが強みとしている部分がそこに生きてくる可能性もある。地域のとらえ方、地域の変え方・つくり方に関してジオパークの特定の地域を基盤に学び、ジオパークのネットワークを活かして日本や世界の各地で比較・応用することも視野に入れたい。
  • 鈴木 比奈子
    セッションID: S0202
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    . はじめに 過去の自然災害の事例を知り、その状態を復元することは地域における災害の特徴と傾向を捉えるうえで欠くことのできない基本の情報である。 筆者は文部科学省所管の独立行政法人防災科学技術研究所に所属する契約研究員である。地域に散在する災害の記憶である災害資料を用いて、過去の災害事例の収集と自然災害事例のデータベースを構築し、ハザード・リスク評価や地域の防災対策の立案に資するための情報を提供している。
    . 災害資料の収集と過去の自然災害発生状況の整理 地域の自然災害を知るうえで、自然災害の記録、災害資料は欠かせない。ところが自然災害の記録は災害発生直後より収集を開始しないと加速度的に失われる。そのため発生直後から現地調査を実施して、災害資料の収集を行っている。収集した災害資料は長期保存に資するほか、資料から過去の自然災害による被害の発生状況を明らかにすることにより、当時の災害の規模や、地域が潜在的に抱える災害に対する脆弱な環境を示す情報となる。たとえば、災害写真から被災箇所を同定し現在の様子と比較することで、地域のもつ過去の災害経験を明らかにし、今後発生の可能性がある自然災害を示す情報となる。
    最近は、複数の写真から3次元モデルを構築するSfM(Structure from motion)を用いた資料の収集と解析を試行中である。SfMの活用例として、災害記念碑の判読が挙げられる。災害記念碑は地域の自然災害による被害を伝承する貴重な災害資料である。記念碑の大半は屋外に設置され、風化が進行し碑文の目視が難しい場合がある。SfMを用いて三次元モデルを構築することにより、文字の判読が可能となる。判読が容易なため、過去の被害状況を的確に把握することが可能である(図1)。
    3. 災害事例データベースの構築と整備 このように過去の災害資料は、欠くことのできない情報であるが、日本全国の過去の災害事例は膨大であり、資料の形態も様々である。そこで防災科研では、日本全国で発生した過去の自然災害事例を網羅的に収集し、統一した形式で災害事例を共有する「災害事例データベース」を構築している(図2)。データベースは、「いつ」、「どこで」、「どのように」、「いかなる被害」が発生したのか、という自然災害の基礎的な情報を、約270項目に分類し、入力している。災害事例の出典は、全国地方自治体の地域防災計画や市町村誌である。 構築した災害事例データベースは、災害の概要をとらえやすいよう帳票で表現するほか、Web-GISなどを用いて、地理情報としての提供を行う。
    4. 自然災害から地域特性をとらえる
    地図によって情報を共有する地理学は、他分野と連携を取ることが容易である。災害発生時には専門分野の枠にとらわれず、発生地域の特徴を空間的に把握し、それによって明らかになった災害特性を地理情報として提供することが可能である。地理学出身者は、より人々の生活に身近な方法や情報で、防災対策の提案ができるのではないだろうか。
  • 野上 道男
    セッションID: 821
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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     対馬海峡の流速は0.5m/sec程度であり(九州大応用力学研WEB公開データ)、速さがその4倍以下の人力船は大きく流される.海図も羅針盤もなく航路距離は測定不可能な値である.そこで倭人伝に記述されている里数は測量による直線距離であると判断される.つまり天文測量である1寸千里法(周髀算経)で得られた短里による数値である.

    帯方郡(沙里院)から狗邪韓国(巨済島)まで七千余里、女王国(邪馬台国)まで万二千余里、倭地(狗邪韓国と邪馬台国の間)は(周旋)五千里と記述されている.これらの3点はほぼN143E線上にある.この方位線は子午線と、辺長比3:4:5のピタゴラス三角形を作る(周髀算経と九章算術で頻繁に使われている) .帯方郡での内角は36.78度であり(N143.22E)、東南(N135E)あるいは夏至の日出方向を東とする方位系での南(N150E)の近似である可能性が高い.

    1.2万里は斜め距離であり、南北成分距離は、1.2万里x4/5=9600里である.1寸千里によると日影長の差は9.6寸となる.帯方郡は中国の行政内であるので、日影長による定位が行われていたはずである.現在の知識では郡(沙里院)の緯度は38.5Nであり、日影長は21.53寸と計算できる.それより9.6寸短い11.93寸という値が得られる緯度は31.92Nである.方位N143E線と合わせると郡から1.2万里の点は宮崎平野南部となる.

    測定誤差に配慮すれば、倭人伝では邪馬台国は九州南部にあったと認識されていたといえる.それより詳しい比定は考古学の問題である.漢文法に時制はなく、「邪馬台国女王之所都」は文意を補って、邪馬台国はかって(倭)女王(卑弥呼)が都して(治めて)いたところである、と読むべきであろう.邪馬台国が倭国の首都であるとするのは明らかに誤読である.
  • 友澤 和夫
    セッションID: S1703
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.本発表の目的
    本発表は、インド工業化の象徴事例である自動車産業を取り上げ、それによる産業集積の形成を論じる。具体的には、同産業の発展過程や全国的な立地体系を提示した後に、インド最大の自動車産業集積であるデリー首都圏を対象に、集積発展のダイナミズムとして面的拡大と重層化を明らかにする。以上を通じて、現代インドに出現しつつある工業空間の特徴を提示することができると考える。
    2.自動車産業の空間構造
    自動車産業の発展過程は、大きくは第一期(1979年以前)、第二期(1980年代)、第三期(1990年代)、そして第四期(2000年以降)に分けられる。以上の四期を経て、インドの自動車産業には三つの核心的集積(デリー首都圏、マハーラーシュトラ州西部、チェンナイ=バンガロール)と、それらを結んだ「オート・クレセント」と呼ぶべき生産地帯が形成された。当初(第一期)の自動車工場はボンベイ、マドラス、カルカッタという港湾都市に立地しており、デリーには所在していなかった。この時点では、オート・クレセントは明瞭ではない。第二期の1980年代前半にデリー近郊のグルガオンにマルチ・ウドヨグが設立され、同社が事業的な成功をおさめると、自動車産業集積としてのデリー首都圏の地位が急速に高まった。第三期以降に、三つの核心的集積やそれらを結ぶ地帯に内外からの投資が集まったこと、それに対しカルカッタ(コルカタ)には新規投資が向かわず、その地位が大きく後退したことによりオート・クレセントが明瞭化した。
    3.自動車産業集積発展のダイナミズム
    デリー首都圏はインド最大の自動車産業集積といっても過言ではない。2011年度のインド乗用車生産312万台のうち37.9%、二輪車生産1,545万台のうち45.1%が当地に由来するからである。当地の自動車産業集積の範囲を自動車メーカーの立地で示せば、ハリヤーナー州のグルガオン県を核として、東はウッタル・プラデーシュ州のゴータマ・ブッダ・ナガル県から、西はラージャスターン州のアルワル県にまで広がる(図)。著者はこの範囲を「オート・コリドー」として捉え、1990年代からその成長ダイナミズムや内部構造を研究してきた。この集積形成は、1991年の新経済政策への転換以降、企業は自らの戦略によって工場の適地を探査し立地場所を決定できるようになったことを与件とする。その下で、当地における優れた立地条件が累積的な投資を呼び込み、産業集積の発達を促進しているが、それには面的拡大と重層化という2つの動向が見いだせる。前者は、国道8号に沿った立地の外延化であり、その高速道路としての整備と沿線での工業団地開発を前提とし、デリーからの距離逓減的な地価分布が立地因子として作用している。重層化については、従来は数が限られていた二次サプライヤーや、資材・部材・金型メーカー(これらを一纏めにしてサポーティング企業とする)の設立が相次いでいることによりもたらされている。その立地は外延部で顕著であるほか、グルガオン県の工業団地内のレンタル工場が活用されている点が注目される。そして当地に進出した外資自動車メーカーの中には、当初の生産機能に加えて研究・開発機能を充実させているものがある。これらがエンジンとなって、オート・コリドーの成長が続いている。
  • 黒木 貴一, 磯 望, 後藤 健介, 宗 建郎, 黒田 圭介, 池見 洋明
    セッションID: P001
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    平成26 年8月豪雨では,広島市を中心に猛烈な雨となった。このため安佐南区と安佐北区両区では166箇所以上で土砂災害が発生し,合計74名の死者が出た。また両区で全壊173棟,半壊187棟,一部損壊132棟であり,床上浸水1164棟,床下浸水3062棟だった。この際,被災地では斜面崩壊や土石流による侵食や堆積で地形が大きく変わった。現地調査から斜面崩壊と土石流の地形・地質的な特徴を整理したが,さらに地形変化場所の地形分布特性を確認し災害実態をより的確に把握する必要がある。そこでDEMで作成した画像で被災地の地形特性を観察し現地状況と対照した。
  • 黒木 貴一, 磯 望, 後藤 健介, 宗 建郎, 黒田 圭介, 池見 洋明, 宇根 寛, 佐藤 浩, 山後 公二, 中埜 貴元
    セッションID: 409
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    平成26 年8月豪雨では,広島市安佐北区三入で1 時間降水量(101.0mm),3 時間降水量(217.5mm),24 時間降水量(257.0mm)が観測史上1位となった。この時,広島市安佐南区と安佐北区両区で166箇所以上での土砂災害により安佐南区で計68名,安佐北区で計6名の死者が出た。また安佐南区と安佐北区両区で全壊173棟,半壊187棟,一部損壊132棟であり,床上浸水1164棟,床下浸水3062棟だった。被災地は広島市近郊の山麓斜面上の住宅地が多かった。本発表は,地理学会の災害対応グループで呼びかけた緊急調査団として行った広島の現地調査報告であり,災害対応委員会で報告した地形・地質の観点から見た斜面崩壊と土石流の特徴を中心に調査概要を紹介する。
  • 小宮山 翔子, 苅谷 愛彦, 岩田 修二
    セッションID: P018
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    ◆はじめに 長野県東信地域の青木村(標高550~1600 m)では,村域の各所に地すべり地が発達する(図1)。同村の地質は新第三紀堆積岩類からなり,全般に急峻な地形が優占する。このため今後も地すべりが新たに発生したり,既存の地すべり地が再滑動したりすることが想定される。同村の地すべり地について,分布の概略は防災科研(地すべり地形分布図)により示されているが,形成年代や地質との関係に言及した研究はほとんどなく,自治体の地すべり対策も十分ではない。演者らは,同村における地すべり地の分布や地すべり地内外の微・小地形を詳細に把握し,地すべり地の地形・地質特性や地すべりの素因を明らかにした。地域・方法 青木村の新第三紀堆積岩類は,古い順に別所層,青木層及び小川層からなる。別所層は頁岩,青木層と小川層は泥岩や砂岩,礫岩の互層である。これらの地層は村域の南半では北北西-南南東方向の緩やかな背斜・向斜構造を示し,北半では北-北西方向に20度前後で傾く。堆積岩類を貫く安山岩質の貫入岩もみられる。本研究では,空中写真判読や踏査,テフラ分析を行った。結果(1)各所に地すべり地が分布する(図1)。村域面積57.2 km2に対し,地すべり地の総面積は12.3 km2である(分布面積率=約21.5 %)。(2)各地質における地すべり地の分布面積率は,別所層(40 %),貫入岩(24%),青木層(15 %),第四系未固結堆積物(11 %),小川層(2%)である。貫入岩は塊状砂岩とともに下位の地層を覆い,キャップロックを成すことがある。(3)複数の地すべり地が集合し,1つの大きな地すべり地を成すものが6地点確認される:①子檀嶺岳北西麓地すべり地(KNW-1~4),②子檀嶺岳北東麓地すべり地(KNE-1~2),③原池地すべり地(HIK-1~4),④夫神岳北西麓地すべり地(OKM-1~9),⑤深山地すべり地(HKY-1~3)及び⑥入奈良本地すべり地(INM-1~4)。(4)これらの地すべり集合体では,地すべり移動体の面積が大きいほど地すべり移動体の斜面傾斜角が小さくなる傾向がある(例,INM-1:移動体1.2 km2,傾斜11°,KNE-1:移動体0.2 km2,傾斜24°)。ここでの傾斜角とは移動体の下端と上端とを結んだ見とおし角である。(5)地すべり集合体のうち,総面積が最大(3.8 km2)かつ最も典型的な地すべり地形を呈するINMにおいて,移動体を覆うテフラ層を発見した(Loc.1,図1)。このテフラ層は黒雲母や石英,角閃石を含み,断層変位や褶曲変形を受けている。考察(1)地質ごとに地すべり地の分布頻度が異なり,古い地層ほど地すべりを多く発生させている。すなわち,青木村の地すべりは明らかな岩石制約を受けている。特に,別所層(頁岩)は劈開性が強く,岩盤の滑動をもたらしやすいと考えられる。(2)これとは別に,貫入岩や塊状砂岩がキャップロックをなす地点では地すべりの滑落崖がおおむねキャップロックとその下位の軟弱な堆積岩との境界に位置する(KNE,KNW,INM)。このような地点ではキャップロック型地すべりが発生したと考えられる.(3)多くの地すべり地では,地層と斜面の傾斜角及び傾斜方向が揃う。このため流れ盤地すべりも発生していると考えられる。(4)地すべり移動体の面積や傾斜角との間に一定の関係がみられる要因として,二次地すべりの発生による移動体の細分化や,流水侵食による移動体の開析に伴う減傾斜化があげられる。他地域の事例で指摘されているように,青木村の地すべり集合体でも初生地すべり発生後の経過時間が長いほど移動体の面積が増し,傾斜角が減少している可能性がある。(5)Loc. 1のテフラ層は,その層序や層相,組成鉱物から大町APmテフラ群に同定できる。同テフラ群は青木村の北東約30kmに位置する大町市大町スキー場を模式地とする300~350 ka の広域テフラである。Loc. 1でAPmテフラ群に生じた断層変位や褶曲変形が地すべりによるとすると,INMでは更新世中期以降に初生地すべりまたは二次地すべりが発生したことになる。なお,OKMでは地すべり移動体を覆う立山D(99 ka)以降のテフラが確認されているが,地すべりの活動時期は不明である。
  • 福岡都市圏における学生の相乗りに着目して
    林 凌
    セッションID: 610
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    Ⅰ はじめに
     現代の日本において,スマートフォンやPCを用いたコミュニケーション(=サイバーコミュニケーション)が活発に行われていることは,あらためて指摘するまでもない.このようなコミュニケーション行為の局面は多岐にわたるものと考えられるが,代表的な利用シーンの一つとして,学生同士のSNSや地図サービスの使用が想起される.これらサイバーコミュニケーションは,一般にその内部だけで完結していると見なされがちであるが,一方で物理空間でのコミュニケーションや行動と分かちがたく結びついている面もある.特に,学生同士によるコミュニケーションの場合,学校という空間を共有していることが前提となるため,彼らのサイバーコミュニケーションは,物理空間での行動と結びついた形で存在していると考えられるだろう.
     この点で,サイバーコミュニケーションと空間行動がどのような関係性にあるのかを検討することは,重要であると思われる.本研究では,学生を対象としたアンケート調査の結果を用いることによって,この二者間の関係性を探りたい.また,その連関が表れる事例として,学生による自動車の共同利用(=相乗り)と,それが生み出されるプロセスに着目する.
    Ⅱ 研究手法
     本研究では,福岡都市圏に立地する久留米工業高等専門学校の学生3~5年生652人を対象として,1)対象者の基礎的属性,2)サイバーコミュニケーションをどのように用いているのか,3)相乗りなどの空間行動をどのようなコミュニケーションプロセスのもと行っているのか,を問うアンケート調査を実施した.また対象集団への参与観察を行い,回答を解釈する参考とした.
    Ⅲ 学生の自動車利用とサイバーコミュニケーション
     まず,彼らが置かれた地理的コンテクストを見ておきたい.同校では久留米市から通学する学生は二割程度であり.多くの学生が福岡市周辺や筑後一円など広範な地域から通学しているが,その中でも約半数の学生が,車やバイクを通学手段として用いている.通学に利用していない場合でも,買い物や用事などで自家用車を利用することは多いことから,自家用車は彼らにとって都市空間を移動するために必須のツールであると言ってよいだろう. また,多種多様な場所から通学する彼らにとって,友人との連絡や会話はサイバーコミュニケーションを通じて行われることが必然的に多くなる.つまり,学校という物理的空間を共有することで形成された関係の維持に,地理的因子に左右されないサイバーコミュニケーションが活用されているのである.
     こうした文脈から見ると,相乗りはサイバーコミュニケーションと空間行動の関係性を表象する行動の一つであることがわかる.彼らは飲食や交遊などに向かうとき,相乗りという手段を用いることがあるが,その空間行動を実施するプロセスにおいて,特定の時間や空間に依存しないサイバーコミュニケーションが,頻繁に用いられている.つまり,サイバーコミュニケーションは高度な時空間の同期を要する相乗りという行為の一部を成しており,彼らが都市空間を消費するための資源となっているのである.
    Ⅳ おわりに
     以上のことから,サイバーコミュニケーションは独立した事象ではなく,人々の空間行動の中で用いられていると見ることができるだろう.サイバーコミュニケーションは人々の物理的交流を一部代替することで,人々の空間行動を改変する役割を有しているのである.このような関係性は様々な状況で見出されると思われるが,今後はその相互作用の中で生み出される行動が,どのような性質を持っているのか,そしてどのような都市空間を指向するのかについて,より詳細に検討していく必要がある.
  • 杉浦 直
    セッションID: 423
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    本発表は、カリフォルニアの日本人街、リトルトーキョーにおけるパブリックアート創出等、表象的過程の進展及びその性質と意義を検討・考察したものである。同地区では表象媒体(シンボル群)が数街区の狭い空間に多数存在し、リトルトーキョーは一大表象空間と化している。
  • 伝統とイスラームの復興が語る過去、現在、未来
    相馬 拓也, バトトルガ スヘー
    セッションID: 904
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    はじめに
    モンゴル西部バヤン・ウルギー県(Баян-Өлгий)アルタイ山脈一帯では、19世紀半ばから新疆一帯のカザフ人(Қазақ)の流入が断続的に続いた。そのため同地域には、いわゆる「ハルハ・モンゴル人(以下、モンゴル人)」社会とは異なる文化的・宗教的背景に根ざした、アルタイ系カザフ人(以下、カザフ人)による独自のコミュニティが形成されてきた。県内人口およそ9万人の内、カザフ人はその88.7%を占め、モンゴル国内最大のマイノリティ集団となっている。同地域のカザフ人は1990年代の民主化移行により、カザフスタンへの「本国帰還」や、自民族のアイデンティティ確立などをへて、モンゴル人社会とは異なる人的流動と自己定義の重層により形成された。しかし、ポスト社会主義時代を通じて加速した、カザフの伝統文化・習慣の振興、イスラーム教への回帰、都市部へのカザフ人口の流入・拡大等により、モンゴル国内では近年、カザフ人そのものを異質視する否定的感情も急速に広まりつつある。さらに近年モンゴル西部地域は、トルグート(Торгууд)、ウリャンハイ(Урианхай)などの氏族集団も、モンゴル人との差異を意識的に文化表象へと連結しはじめ、民族表象の揺籃となったローカルな社会構造は複雑化している。 上記の現状を踏まえ本発表では、①遊牧民の実生活・牧畜生産性の現状、②イヌワシを用いた伝統文化「鷹狩」の文化変容、③近年のイスラーム教の復興と宗教意識の変化、の領域を横断した3つの調査結果を統合し、カザフ人社会が国内で調和的に存続するための、持続可能な社会体制の在り方、伝統文化振興、宗教活動、地域開発の方向性などを考察した。

    II  対象と方法
    各テーマの調査は2011年7月から2014年10月までの期間、各調査地(ソム)でテーマ別に行った。調査方法は上記①は構成的インタビューと統計学的手法(サグサイ、ボルガン)、②の民族誌的記録は半構成的インタビューと参与観察(サグサイほか)、③は集中的な定性調査と宗教指導者へのインタビュー調査(ウルギー市内)など、質的・量的双方の方法により実施した。

    III 
    結果と考察
    (1)夏営地での集中的な基礎調査により、カザフ人と他氏族集団との経済格差(家畜所有数、消費数、幼獣再生産率など)が確認された。当該調査地では牧畜生活世帯の約60%が、家畜所有数100頭以下の貧窮した現状にある。経済活動の根幹をなす牧畜生産性の停滞および、生活水準の低迷など、カザフ人社会を経済的・心理的に圧迫する社会背景が明らかとなった。 (2)民族伝統の鷹狩文化を中心にすえた民族表象が、マイノリティであるカザフ人の文化的地位を劇的に飛躍させている現状が見られた。全県には現在も100名程度の鷲使いがいる。しかし、2000年度にはじまった「イヌワシ祭(Бүргэдийн наадам/ Бүркіт той)」の開催による急速な観光化がもたらす文化変容により、鷹匠は「文化継承者」として偶像化されると同時に、実猟としての鷹狩は消えつつある。さらに、伝統知の喪失、技術継承の停滞など、文化の持続性に多くの課題が確認された。 (3)現在のイスラーム復興は、1992年の「モンゴル・イスラーム協会」の設立により再始動された。カザフ人社会は、生活・経済的困窮から宗教への依存心が生じやすく、復興の原動力を後押しすることとなった。とくに宗教的リーダーであるイマーム個人の布教活動とリーダーシップが、重要な影響力をもつことが明らかとなった。そのため人々の宗教意識は多様化し、(i)トルコ、サウジアラビアを模範としたイスラームの厳格化、(ii)生活・文化の一環としての柔軟な復興、の2つの傾向が見いだされた。

    IV  おわりに
    以上、3領域の調査結果から、カザフ人社会の持続的開発には、(I)世帯ごとの牧畜技術と習熟度を向上させ、地域の牧畜生産性を高めること。(II)鷹狩や伝統工芸などの自文化の継承と持続性を確立すること。(III)イスラームと国内の他宗教との調和的拡散と深化、が学術的知見として示唆された。また、カザフ社会で停滞するモンゴル語識字率を向上させ、モンゴル人社会での就業機会と相互のコミュニケーションを安定させる必要も指摘される。本研究は国内最大のマイノリティ集団「アルタイ系カザフ人社会」の現状と文化・宗教復興の現状を把握し、過去の歴史・変容体験と未来への持続可能な社会を予見するための基礎研究と位置づけられる。  
  • 丹羽 雄一, 須貝 俊彦, 松島 義章
    セッションID: 322
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに
    三陸海岸は東北地方太平洋岸に位置する.このうち,宮古以北では,更新世の海成段丘と解釈されている平坦面が分布し,長期的隆起が示唆される.一方,宮古以南では,海成段丘と解釈されている平坦面があるが,編年可能なテフラが見られない.これらの平坦面は,分布が断片的であり連続性が追えないこと(小池・町田編,2001)も踏まえると,海成段丘であるか否かも定かではない.すなわち,三陸海岸南部の長期地殻変動は現時点で不明である. 三陸海岸南部には,小規模な沖積平野が分布する(千田ほか,1984).これらの沖積平野でコア試料を採取し,堆積物の年代値が得られれば,平野を構成する堆積物の特徴に加え,リアス海岸の形成とその後の埋積,平坦化の過程を検討できる可能性が高い.リアスの埋積・平坦化過程の復元は,長期地殻変動の解明につながると期待される.本研究では,気仙沼大川平野において掘削された堆積物コアに対して堆積相解析および14C年代測定を行い,完新統の堆積過程,および完新世全体として見た地殻変動の特徴について論ずる.

    2. 調査地域概要
    気仙沼大川平野は気仙沼湾の西側に位置し,南北約2 km,東西4 kmの三角州性平野である.気仙沼大川と神山川が平野下流部で合流して気仙沼湾に注ぐ.

    3. 試料と方法
    コア試料(KO1とする)は,気仙沼大川平野河口近くの埋立地で掘削された.KO1コアに対し,岩相記載,粒度分析,14C年代測定を行った.岩相記載の際,含まれる貝化石の中で可能なものは種の同定を行った.粒度分析はレーザー回折・散乱式粒度分析装置(SALD – 3000S; SHIMADZU)を用いた. 14C年代は13試料の木片に対し,株式会社加速器分析研究所に依頼した.

    4. 結果
    4.1 堆積相と年代
    コア試料は堆積物の特徴に基づき,下位から貝化石を含まない砂礫層を主体とする河川堆積物(ユニット1),細粒砂からシルト層へと上方細粒化し,河口などの感潮域に生息するヤマトシジミや干潟に生息するウミニナやホソウミニナが産出する干潟堆積物(ユニット2),塊状のシルト~粘土層を主体とし,内湾潮下帯に生息するアカガイ,ヤカドツノガイ,トリガイが産出する内湾堆積物(ユニット3),砂質シルトから中粒砂層へ上方粗粒化を示すデルタフロント堆積物(ユニット4),デルタフロント堆積物を覆いシルト~細礫層から構成される干潟~河口分流路堆積物(ユニット5)にそれぞれ区分される.また,ユニット2からは10,520 ~ 9,400 cal BP cal BP,ユニット3からは8,180 ~ 500 cal BP,ユニット4からは280 cal BP以新,ユニット5からは480 cal BP以新の較正年代がそれぞれ得られている.
    4.2 堆積曲線
    年代試料の産出層準と年代値との関係をプロットし,堆積曲線を作成した.堆積速度は,10,000 cal BPから9,700 cal BPで約10 mm/yr,9,700 cal BPから500 cal BPで1 – 2 mm/yr,500 cal BP以降で10 mm/yr以上となり,増田(2000)の三角州システムの堆積速度の変化パターンに対応する.

    5.考察
    コア下部(深度38.08 – 35.38 m;標高−36.78 – −34.08 m) は潮間帯で生息する貝化石が多産する層準である.また,この層準の速い堆積速度は,コア地点が内湾環境に移行する前の河口付近の環境で,海水準上昇に伴い堆積物が累重する空間が上方に付加され,その空間に気仙沼大川からの多量の土砂が供給されることで説明がつく.すなわち,この区間(10,170 – 9,600 cal BP)における堆積曲線で示される堆積面標高は,当時の相対的海水準を近似すると考えられる.
    一方,地球物理モデルに基づいた同時期の理論的な相対的海水準は標高−27 ~−18 mに推定される(Nakada et al., 1991; Okuno et al., 2014).コアデータから推定される約10,200 ~ 9,600 cal BPの相対的海水準は,ユースタシーとハイドロアイソスタシーのみで計算される同時期の相対的海水準よりも低く,本地域の地殻変動を完新世全体としてみると,陸前高田平野で得られた結果(丹羽ほか,2014)と同様に沈降が卓越していたことが示唆される.コア深度36.13 m(標高-34.83 m)で得られた較正年代(9,910 – 9,620 cal BP)を基準にすると,当時の相対的海水準の推定値(堆積面標高)と理論値の差から,完新世全体として見た平均的な沈降速度は0.9 ~ 1.8 mm/yr程度と見積もられる.
  • 中牧 崇
    セッションID: 121
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    本発表では、山形県最上郡真室川町の町営の温泉・宿泊施設「まむろがわ温泉梅里苑」(以下、「梅里苑」)における「森林トロッコ列車」(以下、「トロッコ列車」)の利用形態の特色について明らかにする。真室川町の重要な観光資源になっているトロッコ列車は、かつて森林鉄道で使用された動態保存のディーゼル機関車(2009年に経済産業省の近代化産業遺産に認定)が客車と運材台車を1両ずつ牽引して、梅里苑がある町有地で、5~10月の土日と祝日に約1kmのレールを1周している。2014年4月には消費税率が8%になったが、トロッコ列車の乗車賃は1周(1回)100円に据え置かれている。真室川町役場と梅里苑では、トロッコ列車の利用者の確保が観光による町の活性化につながると考えているが、その利用形態の特色について必ずしも十分把握していない。

    今回の調査は、2014年5月4~6日と2014年9月13~15日に実施した(9月13日は山形DCの最終日)。アンケート調査では、利用者に調査票を配布し、利用者自身が記入する方式で回答を求めた。質問項目は、利用の属性(年齢・性別・居住地)、同行者の有無、梅里苑に来た目的、トロッコ列車の存在をはじめて知った理由と乗車回数、機関車が近代化産業遺産に認定されていることへの既知、トロッコ列車の乗車以外ですでに利用したorこれから利用する(予定の)梅里苑内の施設の有無、トロッコ列車の乗車以外ですでに訪れたorこれから訪れる(予定の)観光地の有無などである。なお、項目の内容により、記入者のみを対象とした回答(全6日間で221人)、記入者と同行者を対象とした回答(全6日間で700人)が得られた。また、アンケート調査の内容を補充する形で、梅里苑での観察と聞き取り調査も行った。

    トロッコ列車の利用者(記入者と同行者)の年齢層は、家族連れを中心に幅広いが、そのなかでも中学生以下の子どもは46.0%である。利用者の居住地は、山形県内を中心とする東北地方、群馬県・神奈川県を除いた関東地方にほぼ限定される。山形県内ではおおむね各地に及び、特に真室川町内と近隣の新庄市(ともに最上地域)が多い。しかし、日によってばらつきがあり、5月4日と5日は町内からの利用者が少ない。これは、真室川公園での梅まつり(4日には梅の里マラソン大会が開催)に足を運ぶケースや、観光などで町外へ足を運ぶケースが多いためと考えられる。さらに、9月13日は新庄市からの利用者が皆無である。これは、前日の午後の最上地域は大雨であったうえ、当日の「山形DCクロージング企画 “山形DC”ありがとう!!スマイルプロジェクト」に参加したためと考えられる。
    記入者がトロッコ列車の存在をはじめて知ったのは、「家族・友人からの話を聞いて」が最も多い。なお、同行者のなかには、回答の「家族・友人」が少なからず含まれていると考えられる。以下、「梅里苑のホームページを見て」、「真室川町のお知らせを見て」と続く。なお、5月4~6日に限り、「新聞を見て」の回答が多い。これは、主に5月4日付「山形新聞」のトロッコ列車の記事(写真付)を見た真室川町外在住者の回答であり、掲載日と同じ4日に日帰りで梅里苑に来たケースが中心である。
    過去にトロッコ列車に乗車したことがある記入者は約32%であった(真室川町民に限定すると約68%)。また、機関車が近代化産業遺産に認定されていることを知っているのは約17%にすぎなかった(真室川町民に限定すると約27%)。記入者だけでなく同行者の多くが、ただの「かわいい機関車」として受け止めていることは、近代化産業遺産としての価値を認識してもらううえでの課題である。
    トロッコ列車の利用者の約90%は、梅里苑内の公園をはじめ、温泉・買物・食事などの利用でしばらく滞在する。これは、梅里苑に来ることを主な目的としているためと考えられる。しかし、利用者の約69%は日帰りであるうえ、帰省や旅行など(2~6日間)では帰省先や真室川町外で宿泊するケースが多い。また、梅里苑の宿泊客がチェックアウト後、トロッコ列車を利用しないで直ちに去ってしまうケースもみられる。トロッコ列車の乗車と梅里苑での宿泊をリンクさせるための取り組みも必要である。
    トロッコ列車の利用者の約14%は、梅里苑以外の観光地にも足を運ぶ。例えば、5月4日と5日には真室川公園での梅まつり(4日はマラソン大会)、新庄市にある最上公園でのカド焼きまつりに足を運ぶケースが、9月13日と14日には近隣の鮭川村(最上地域)にある羽根沢温泉、鮭川村エコパーク、トトロの木(14日にはトトロの里マラソン大会が開催)に足を運ぶケースが目立つように、真室川町内や近隣市村での観光イベントの開催もトロッコ列車の利用者の動向に少なからず影響を及ぼしているといえる。

  • 松四 雄騎, 苅谷 愛彦, 松崎 浩之
    セッションID: S1202
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに
      隆起量が大きく侵食の活発な山地では,一般に急傾斜の長大な直線斜面が発達し,いわゆる谷の切り合いが発生して,稜線の尖った,大起伏な山岳地形が出現する.このような地形は,河川の下刻とそれに対する斜面の応答としての岩盤崩壊の繰り返しによって形成され,隆起と侵食が釣り合った動的平衡状態にあるものと考えられているが,その検証は十分でない.山岳の発達過程を理解する上で,また,山間地集落の斜面防災を考える上で,岩盤崩壊が斜面地形の形成にどのような役割を果たしているのかを明らかにすることが重要である.そのためには,斜面地形の空間的分布とそれを作り上げてきた地形形成プロセスの実態,そしてその時間的な履歴を解明する必要がある.本研究では,日本の中部山岳地帯を対象に,地理情報システム(GIS: Geographic Information Systems)上での地形解析,単純化した力学モデルによる斜面発達過程の検討,造岩鉱物中の宇宙線生成核種(TCN: Terrestrial Cosmogenic Nuclides)を用いた岩盤崩壊の発生年代の復元を行う.これにより,山岳地形の形成における岩盤崩壊の役割を議論する.
    2
    .調査地域および方法
      日本の中部山岳全域を対象とし,GISによる崩壊地形の解析,代表的な地点の現地地形・地質踏査,TCNによる崩壊発生年代決定のための崩壊堆積物の採集を行った.GIS上での解析にあたっては,防災科学技術研究所の発行する地すべり地形分布図を援用して規模や頻度を解析するとともに,個別崩壊地に対して詳細な地形構造の分析を行った.崩壊の力学的モデリングでは,河川の下刻による斜面の下部切断とそれに伴う不安定化をカップリングさせ,谷密度や岩盤強度などのパラメータに規定されて岩盤崩壊が発生するモデルを構築し,GISから得られる実際の地形データに照らして妥当性の検証を行った.TCN年代測定では,崩壊によって露出した岩盤面や,その際に生産された岩屑を分析対象とすることで,その崩壊の発生年代を推定した.崩壊堆積物上の巨礫の頂部あるいは給源である露岩斜面の表面から試料を採取し,化学処理を行って石英を抽出し,その中に含まれる宇宙線由来の10Beを加速器質量分析によって定量した.試料採取地点の緯度,高度,周囲の地形および積雪による遮蔽を考慮して10Beの年間生成率を推定し,試料となった岩石の露出年代を算出した.
    3.結果および考察
      中部山岳地域には全域にわたって岩盤崩壊の痕跡地形が分布し,その規模–頻度分布曲線はべき関数で近似できる.ただし,崩壊の規模が大きくなるほど頻度の減少が顕著になり,崩壊の規模が斜面長の制約を受けていることを示す.また崩壊によって更新された斜面は,傾斜が30–40°で,少なくとも中腹が一様勾配となることが多い.この勾配は斜面を構成する岩盤の強度を反映しているものと考えられる.河川の下刻と斜面の岩盤崩壊をカップリングさせたモデルでは,実際の崩壊地形を説明するためには,小さな岩盤強度を想定する必要があることが明らかとなり,岩盤中に存在する不連続面が岩盤強度を規定していることが示唆された.中部山岳に遍在する崩壊堆積物のTCN露出年代からは,多くの岩盤崩壊が完新世に発生していることが明らかとなった.このことは,岩盤崩壊の引き金として,内陸地震やプレート間巨大地震のほかに,降水量の増加や山岳永久凍土の消失などの気候変動の影響が強く働いていることを示唆している.以上のことから,大起伏山地での岩盤崩壊は,河川の下刻の進行に伴って不安定となった部位を除去し,一様急勾配の動的平衡斜面を維持する役割を担っており,その作用の強弱は,氷期–間氷期サイクルとともに周期変動しているものと考えられる.
    謝辞
      本研究は,科研費(B)24300321,(A)25247082,(S)23221009の助成を受けて行われた.
  • 新聞記事の研究利用を通じて考える
    成瀬 厚
    セッションID: 510
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    日本の地理学においても表象概念は定着しているといえる.しかし,その意味内容はかなり形骸化し,その使用も安易になってきているとの感が否めない.本報告ではまず,いくつかある表象概念のうち,現代思想的含意に関して,それが人文・社会科学全般において行われた議論を整理する.地理学における議論は人類学での「表象の危機」に関する議論の影響が大きいが,歴史学での「表象の限界」の議論を参照することで,それを相対化する。また,社会学に動向はより近年の議論として参考になる.
    後半では,具体的な表象研究の事例として,地理学における新聞研究を取り上げる.日本の地理学における新聞研究は独自の展開をしているが,それは英語圏地理学における分析手法とも呼応している.英語圏においては地理学のみならず,メディア研究などでも地理学的視点を持った研究がいくつかあり,それらについても検討した.
    新聞記事は一種の地理的表象として,地理学研究でも広く使用されるようになったが,新聞におけるニュース報道自体の地理学的含意を改めて認識し,また新聞の流通や受容を含めた地理的要素についても考慮する必要があると思われる.
  • 春山 成子
    セッションID: P043
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    ナイルデルタ北部のラグーン地域にあるイドク湖周辺地域にはへレニズム期の遺跡が多く存在する。コマルデバー遺跡周辺地域に広がる旧ラグーン低地で3本のオールコアボーリングを行った。イドックIII地点の表層190cmの深度、表層下290cmの深度の2地点の堆積物について分析を行ったところ、コマルデバー遺跡の人間活動期の年代にかかわる環境変化が分かった。
  • 山口 勝
    セッションID: S0208
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1.メディアの仕事は地理屋にぴったり!?
     私は大学で地理(変動地形学)を学びました。卒論は「伊那谷の活断層」、修論は「台湾東海岸の地震性地殻変動と気候変動」です(それぞれ1988年度春季日本地理学会と1990年度秋季日本地理学会で口頭発表)。1990年NHKにアナウンサーとして入り、新潟、東京、名古屋、東京を経て、去年から放送文化研究所で災害情報やメディア動向の調査研究をしています。阪神淡路大震災、鳥取県西部地震、新潟県中越地震、ハリケーンカトリーナなどを取材。1999年台湾地震の取材で「自分の修論のデータを世に出さなければ」と思い研究を再開。2004年に博士(環境学)をいただきました。「メディアの仕事は地理屋にぴったり」の根拠は、1988年巡検参加者名簿にあります(会場で)。2年後、数少ない変動地形学徒が入社式で再会します。三脚に乗っていたEDMはカメラに、フィールドワークとデスクワークは、ロケと編集に変わりましたが、企画を提案して取材し番組にする営みは、研究テーマを決めて調査し論文を作る地理研究のプロセスと同じです。そしてメディアの仕事には人や社会への興味関心が必要です。人と社会や自然のかかわりを地域の視点でみる地理学に通じます。去年、初めて災害情報の社会調査を実施。人文地理で学んだ統計処理や分析法までもが鮮明に・・・。 
    2.GISICTで変わるNHK災害報道
     現在の地理履修者はGISをはじめとするICTのスキルを習得できるようです。今まさにGISやG空間情報が、NHKの災害報道に革命を起こしています。ヘリコプターに搭載した8Kカメラの画像から20分で、立体モデルを作るシステムができました。2014年7月南木曽の土石流報道で導入され、8月広島土砂災害、9月御嶽噴火でも活用されました。撮影しながら伝送し、地上で画像処理(SfM)を行うため短時間で高精度な立体モデルを作ることができます。おそらく世界初のシステムです。広島土砂災害ではドローンも投入しました。2011年東日本大震災から導入された「スカイマップ」は、ヘリコプターの空撮映像に地名などの地理情報をマッシュアップして表示するシステムで、災害の把握や中継コメントに生かすことができます。さらにビックデータの携帯の位置情報などをリアルタイムでマッシュアップして、人がいる場所を優先的に取材し、災害軽減につなげる試みや、報道量の地域的な偏りがないように報道量を地図上に示す「カバレージマップ」の開発などGISやICTによって災害報道ツールが劇的に進化しています。 
    3.広域と地域  命を守る災害報道
     
    後輩の卒論の手伝いで伊豆半島を回っているとき、伊東沖の噴火がありました。「東京でTVを見ている人と、ここ伊東の人では、知りたい情報が違うのでは」。採用時の面接で話しました。災害が起きていることを広く伝えることは必要です。しかし地元の人は、もっと詳細な「命や生活にかかわる情報」を知りたいはず。広域災害である津波警報などは、まず全国放送で対応します。しかし災害発生後は、自分の知りたい地域の情報が得られなければ視聴者から見放されます。緊急時どのエリアに、どんな放送を行うのか。地域放送にいつ切り替えるか。時間という制約の中で、地域やエリアを考える地理の視点は、編成・編集という災害報道の生命線にかかわります。台風や地震の際、TV画面を囲うL字が現れます。きめ細かい地域の災害・生活情報を文字で伝える工夫です。さらに「必要な(地域の)人に、必要な災害情報を確実に伝えるために」、ジオフェンスを使ったNHK防災アプリ(仮)の開発も検討しています。国民の生命と財産を守るための放送は、公共放送の“仕事”です。
  • 齋藤 健一
    セッションID: S0204
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    . はじめに
     地理学は、地域を取り扱う空間科学であり、地域の多様性を扱うに特徴がある。一方、消防や防災も、各地域の現場で活かす分野である。こうしたことから、地理学と消防防災分野には共通点や類似点もあると考えられる。本稿では、著者の経験から地理学の効果や課題について考察してみたい。 
    . 消防庁の任務と役割
     消防庁は、総務省の外局として位置付けられ、多様化する火災等を未然に防ぐことや、消防活動により命を救うといった平常時に各市町村が行う消防活動を支える消防行政の礎としての役割を担っている。また、東日本大震災といった地域の消防力では対処できない災害において、地方自治体と連携し、被害の全容を把握するとともに、全国的な見地から緊急消防援助隊の派遣などを行い、被害の抑制にあたっている。こうした対応のため、平常時から、これら大規模災害対応に対する制度等に関する企画立案の役割も担っている。
    3. 消防庁の仕事に対する地理学の役割
     このように、消防庁は地方自治体が実施する消防防災行政のさまざまな制度の企画立案を主として行っているが、各自治体はそれぞれの地域性があることから、地域にあった形で制度を運用していく必要がある。例えば、住民への災害情報の伝達手段の多様化といった施策に対し、各自治体へアドバイスを行うためには、伝達手段についての知識のみならず、地図や各種統計からの地域特性を理解することが有効であり、地理学で扱う知識・技術を必要とする。また、大規模災害時に、現地の地形図等の読図を行い災害の危険性を自分なりに把握することは、今後の必要とされる活動を考えるうえで重要である。
    4. 自治体における防災業務の特性と地理学
     一方、消防や防災を各地域で担う市町村では、地域防災計画の改訂などで、地域特性を見据えた災害対策が求められる。災害対応を時間軸で考えれば、災害直後から住民の命を守る、命を永らえる、通常生活に戻るといったステップがあり、市町村内のそれぞれ地域単位(例えば、学校区、町内会、集落等)に合わせた対応が望まれる。そのため、津波からの避難のあり方や避難所運営など平常時から実施すべき対応など、特に住民に密接に係るものは、自然地理学、人文地理学・地誌学の各研究手法をフル活用することが求められる。 また、災害対応時には、防災担当者は主に災害対策本部で業務を行い、現場からの断片的な情報をもとに、判断を迫られることもある。このため、平常時から市町村内の状況を把握し、理解をすることが求められる。地域を自分なりに整理し理解する作業は、フィールドワークを始めとした地理学の研究手法そのものであり、これまで、さまざまな仕事に活かせていると実感してきた。
    5.防災分野における地理学への期待
     このように、空間科学としての地理学は、防災を担当する公務員として重要な技術であるが、防災の現場においては、地理学からの提言が必ずしも活かされていないと感じている。これは、地理学による提言の範囲が、ハザードマップの作成といった面に特化し、どのように活用すべきかを住民生活や行動に訴えきれていないからだと認識している。 防災・災害対策は、住民に実践されることではじめて効果を発揮する分野であるため、地理学から得られる知見を、行政はもちろんのこと、住民レベルでも理解されるような工夫が期待されていると考える。
    6.おわりに
     地理学を履修後、消防庁に入庁し、防災・災害対策に携わってきた経験から、地理学の手法は極めて重要なものと認識し活用してきた。防災が空間科学としての地理学に求めている役割は大きいものと考えており、今後、防災施策や実践に対して、地理学からの提言が積極的に行われることを願っている。
  • 竹島 彰子
    セッションID: S0203
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    . はじめに
     平成7年1月17日 阪神・淡路大震災発生。兵庫県出身の私にとって、あの時の激しい揺れは、20年が経過した今でも思い出せる程インパクトのある出来事でした。揺れている間はそれが地震だと分からず、テレビの報道番組を見て初めて状況を把握できました。街中が瓦礫の山となり、見覚えのある高速道路は崩落していました。阪神・淡路大震災の経験は、今の私を形成する基盤になっています。大学で卒業論文のテーマとしたのも阪神・淡路大震災でした。資料収集の途中で災害直後に撮影された空中写真と解説集を手に取り、初めて建設コンサルタント業界を知りました。建設コンサルタントのうち、卒業後に入社した国際航業(株)は、航空写真測量をはじめとした空間情報を基礎技術としており、私が所属している部署では、それらの技術を活用しながら災害対応も含めた防災分野のコンサルティングを行っています。 
    . 災害対応における地理学(事例紹介)
     大学を卒業して8年目に差し掛かっていますが、その間、戦後最大の被害となった東日本大震災をはじめ、大規模な自然災害が多数発生しました。それらの災害のいくつかについて、空間情報コンサルタントの立場で関わってきました。我々の業界における災害対応業務では、災害の実態把握、原因究明、今後の被害をどう防ぐかを考える、といったことを行います。このような作業に必要となる「多角的な視野」・「現地状況を図上に表現する技術」・「広範囲に及ぶ被災状況を素早く把握する技術」は、地理学で学び得たものです。以下に、災害対応における地理学の活用事例をご紹介します。 
    ① 平成21年7月 山口県豪雨災害
     入社後初めて災害対応に参加したのは、平成21年7月21日に山口県防府市・山口市で発生した豪雨災害です。この豪雨により、山口県内では合計200箇所の土砂災害が発生しました。災害後、県からの業務委託を受け“土石流災害対策検討委員会”の運営補助を実施しました。同委員会の中で、土石流の発生や被害の原因を究明するため、災害箇所の地質、地形、植生等を調査し、さらに複数時期の空中写真を用いて土地利用の変遷を確認しました。自然科学だけでなく、社会的側面からもアプローチする方法は、大学時代の巡検等でも重要視されたものです。なぜ大規模な災害が発生したのか、を考えるためには、あらゆる側面から考える必要があり、地理学で得た「多角的な視野」は災害検討に活かせると実感することができました。
    ② 平成23年3月 東日本大震災
     東日本大震災では、国土交通省からの業務委託を受け、宮城県の3市2町において被災現況調査を実施しました。私はそのうちの津波痕跡調査に関わり、以下のような作業を行いました。・津波高・浸水区域の写真判読、現地確認(GPS計測)・GISを利用した津波等浸水深線の発生・津波等浸水深線より三次元数値地形モデルの作成・100mメッシュ代表点における津波浸水深の抽出特に現地調査では、地理学で培った「現地状況を図上に表現する」技術を活かすことができたと思います。計測結果をGIS上に展開することで、現地に行っていない人でも視覚的に理解可能な資料となりました。 
    ③ 平成23年9月 台風12号による紀伊半島大水害
     紀伊半島大水害では、奈良県、和歌山県を中心に紀伊半島全体で3,077箇所の崩壊が発生しました。災害が広範囲に及んだこと、道路被災で通行止めが発生し迅速な現地調査が困難であったことから、災害後に撮影した空中写真や衛星画像を用いて崩壊箇所を確認しました。空中写真判読は、私自身卒業論文で実施したこともあり、地理学の基礎技術のひとつだと認識しています。災害直後の判読は平成26年の広島市豪雨災害等でも実施しており、「広範囲に及ぶ被災状況を素早く把握する」技術だと思います。 
    3. おわりに
     地理学は空間情報コンサルタント業界において基礎的に活かせる要素がたくさんあります。さらに、GISの高度化、航空レーザー測量やUAV等の登場によって、ますますの詳細・高度・迅速な解析が可能になりつつあるため、地理センスのある学生の方々は即戦力として活躍できると思います。しかしながら、防災分野には様々な要素技術が必要なため、地理学だけでなく気象学や土木工学の知識も重要です。私自身、核となる技術は地理学に置きつつ、他領域の技術も身につけ、災害対応のプロフェッショナルを目指していきたいと考えています。
  • 小野 映介, 矢田 俊文, 海津 颯, 河角 龍典
    セッションID: 328
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1596年慶長伏見地震の際に,現在の徳島県鳴門市の撫養(むや)地区が隆起し,入浜塩田を営むことが可能になったとする史料が存在する.本研究では,史料に書かれた内容の信ぴょう性について,地形・地質学的な側面から検討を行った.入浜塩田では潮の満ち引きを利用して製塩を行う.したがって,その立地は地形条件によって制限される.撫養地区の塩田が鳴門南断層の上盤に広がっている点,塩田の開発域の南限が鳴門南断層とほぼ一致している点,16世紀に鳴門南断層が活動し,0.5~1.0 mの上下変位を生じたと考えられることなどを勘案すると,地震性隆起が塩田開発の契機となったとする文書の内容は事実である可能性が極めて高いと判断できる.
  • 平山 弘
    セッションID: 701
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    2011年3月11日の東日本大震災を始めとした自然災害などの非常事態は日本国がさまざまな複雑なリスクを抱えているということを改めて浮き彫りにしたということであり、本研究テーマである「非常事態によるブランド価値基盤の転換に関わる研究」においても、ブランド価値を資産的なものと、負債的なものを含んだ複眼的思考や複眼的志向で捉える研究の重要性が求められるということである。

    本研究における貢献としては、これまでブランドを資産の観点から捉え評価する研究の指向性から、その対極にある負債の観点からもアプローチすることで見出される、ブランド価値を複合的に考えることでもたらされる「ブランド価値研究の深まり」がその成果として強調できると考えられる。

    いわゆる簿記会計でいうところの、貸借対照表に代表される、資産・負債・資本(正味資産)の関係をベースに、自然災害などの非常事態によってもたらされる危機的状況、新たに資産にも「正の資産」に加えて「負の資産」が、同様に負債においても、これまでの「正の負債」に加えて、「負の負債」が顕現しそれらが相互にむすびつくことで増殖し、循環構造化していくということであり、資産から負債を減じた残る正味資産であるところの資本にも影響し、資本の持つ意味にも新たな解釈を呼び起こすということである。
  • 全国規模の観光資源・観光流動データを事例に
    杉本 興運, 池田 拓生
    セッションID: P071
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    観光庁設立を契機とした国あるいは地域の観光行政の様々な取り組みの成果として,観光統計データの整備が進展した.現在では,観光庁や各自治体のHPで観光統計に関する多様なデータがオープンデータとして公開されるようになり,これらを観光に関する研究や教育および業務にいかにして活用するか,という新たな課題に取り組むことが必要な段階にきたと言える.しかし,多くの場合,提供される統計データというのは膨大な数の数字の羅列であり,この状態のまま目的達成に役立つ有用な情報を発掘し,伝えることは困難である.近年ではWeb上でのデータビジュアリゼーションの技術が発展し,様々な種類のデータを効果的・効率的に表示し,また広く発信することのできる環境が整っている.著者らはこれらの技術を使い,観光に関する研究や教育および業務を支援するためのツールとして,オープンな観光統計データを誰もが手軽にみることのできるWebGISを開発した.本報告では,これまでに開発した2つのWebGISベースの観光統計地図について,その特徴を紹介する.
       観光という現象をとらえるためには,観光主体である「人」と観光対象となる「地域」に着目する必要がある.これら2つは相互関係にあるため,双方を理解することによって,観光現象を深く理解することにつながる.そうした点をふまえて,今回は観光者側の情報である観光流動とその時系列変化や,観光地側の情報となる観光資源の分布を,日本の都道府県ベースで可視化することのできるWebGISを開発した.今回開発したWebGISのシステムでは,ベクトルデータの地図を表示させる方法をとった.ベクトルデータを利用することで,個々の視覚要素に様々な「仕掛け」を組み込むことができ,統計地図上でのユーザの対話的な操作を実現できる.
    1つ目に開発した「日本の観光資源」(2015年1月17日現在ver1.1を公開中)では,日本全国にある観光資源の分布や景観,都道府県別の観光資源保有数を調べることができる.具体的には,全国あるいは選択した都道府県が保有する個々の観光資源の名称,座標と幾何情報,資源タイプ,評価ランク(降順にSA,A,B),景観画像の他,各都道府県における自然観光資源15タイプと人文観光資源11タイプそれぞれの保有数(棒グラフ化したもの)を表示できる.
    2つ目に開発した「日本の観光流動」(2015年1月17日現在ver1.2を公開中)では,都道府県間での宿泊観光客の流動を時系列で調べることができる(図1).具体的には,各都道府県における宿泊観光客の流入・流出総量(地図上での円グラフ)とその時系列グラフ,および都道府県間の宿泊観光客の流動量(棒グラフと地図上でのフロー表現の併用)を表示できる.
    開発したツールは,対話的な操作によって任意の都道府県の観光統計データを統計地図やグラフとして即座に表示することができるため,研究や業務の初期段階における図やグラフの大量作成を省くことに寄与する.また,地図を表現媒体としているため,マクロな観光に関する調査や教育の現場において,一定の需要を見込むことができる.
  • 日野 正輝, 宇根 義己
    セッションID: S1702
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー

    インドにおける都市化と都市システムの再編

    Recent Urbanization and Transformation of Urban System in India

    日野正輝(東北大)・宇根義己(金沢大)     
    M. HINO(Tohoku Univ.) and Y. UNE(Kanazawa Univ.)



    1.検討課題

    インドは1991年の新経済政策(本格的自由化政策)以降長期にわたって相対的に安定して経済成長を遂げてきた。その過程で,デリー,ムンバイーをはじめとする大都市は,驚くような郊外開発を進め,そこに外資系企業の集積を導くなどグローバリゼーションとの関係を強めてきた。その点では1980年代後半以降の東南アジアのメガシティの形成に関して小長谷(1997)が提唱したFDI型新中間層都市との類似性が認められる。しかし,東南アジアの大都市と違った側面も有する。そこで,1990年代以降のインドの都市化を概観し,その特質について検討したい。

    加えて,都市化の特質とも関係するインドにおける都市システムの階層体系の特徴についても概観する。ここではとくに1990年代以降顕著になった大手企業の全国規模の販売網の形成と都市の階層分化の関係を検討したい。

    2. インドの都市化の特徴

    1)低位の都市化水準

    発展途上国に都市化の特徴として,都市化水準(都市人口の対総人口比率)が低い段階での大都市への人口集中が指摘されてきたが,インドもこの点は当てはまる。しかし,中国,タイなどと比較すると,経済発展にもかかわらず都市化水準が低位にある点が指摘できる。2010年現在の中国,タイ,インドの都市化水準は49%,44%,31%である。人口統計調査における都市の定義の問題も考慮する必要があるが,上記の数値から,インドの都市化水準が低いことは明らかである。その理由として,出生率が依然として高い水準にあること,および国内人口移動率が低い点が指摘できる。

    2)大都市の急成長

    都市人口に占める大都市の比率が高い。卓越都市バンコクに一極集中するタイとは違って,インドは複数の大都市が国土に分散立地する。その結果,都市の順位・規模分布はランクサイズルール型に類似したパターンを示す。しかし,都市人口の上位都市への集中が進行している。例えば,インドにおける人口1千万以上のメガシティの総都市人口に占める比率(15%,2010年)は中国(8%)に比べてはるかに高い。また,他の大都市の成長も著しい。

    3FDI型新中間層都市と過剰都市化

    上記した急成長する大都市圏の様相はFDIに牽引された郊外開発に特徴づけられる。そして,そこにFDI型新中間層都市の特徴を見いだすことができる。しかし,インドの大都市郊外には,工業団地に加えて情報通信産業などが集積するオフィスパークが開発されている。また,郊外のインフラ整備が大企業の本社立地を導く傾向がある。一方で,インフォーマルセクターの増大が続き,住宅供給においても,Informal settlementと呼ばれる住宅地が多数を占める。その点では,FDI型新中間層都市の特徴とともに過剰都市の側面を依然として併せ持った都市化と理解できる。

    3. 都市システムの再編

    インドの都市の経済力は必ずしも人口規模に対応しない。コルカタの都市圏人口は1千400万人を超え,現在もムンバイー,デリーに次ぐインド第3の都市である。しかし,コルカタは大企業本社の立地数ではチェンナイに劣る。また,FDIの件数では,ベンガルールなどにも後れを取っている。そのため,都市システムの骨格をとらえづらいところがある。しかし,全体像を理解する上では,インドを東西南北に4区分する地域区分と州区分に対応させて理解することが有効である。東西南北の4地域の中心都市(広域中心都市)をコルカタ,ムンバイー,デリー,チェンナイとし,そのもとにそれぞれの地域内の各州都を位置づけ,他方,4広域中心都市の上に全国中心都市としてデリーとムンバイーを配置する形である。これを概略図にして,指標および地域ごとに修正・加筆する形で詳細図を描く。大手企業の全国規模の販売網も,上記した階層的な地域区分に従った形で組織されている。その点では,大企業の成長に伴って都市の階層分化が進むとみられる。しかし,経済力のムンバイーへの集中の程度は相対的に低い。また,南インドのチェンナイ,ハイダラバード,ベンガルールの3都市は競合関係にあって,地域における都市の拠点性も流動的である。      

     
    参考文献

    小長谷一之(1997):アジア都市経済と都市構造. 季刊経済研究,20(1),61-89.
  • 伊藤  智章
    セッションID: 201
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー

       本報告では、公開と利用促進が進む「オープンデータ」を、地理教育においてどのように活用していくべきか、いくつかの実践事例を基に提言を行う。

       日本学術会議(2014)は、学校教育においてオープンデータを活用した教育と、オープンデータを使いこなす人材育成の重要性を提言した。しかし、現実には、パソコン実習すら浸透していない初中等教育の現場において、オープンデータを利用した主題図の作成や、アプリの製作を進める事は現実的ではない。
      一方で、情報教育、とりわけ商業高校の情報系の学科において授業の一環として、オープンデータを活用したアプリの開発や、地域と連携した課題解決のための実践が見受けられる。情報教育では、問題解決(ソリューション)のための技術の習得に主眼が置かれているが、地理教育の立ち位置をその対極に位置付ける ことで、相互補完関係が成り立つ。オープンデータの利用の実情に合わせて地理教育を変えていくのではなく、「読図」指導や「情報の可視化」など、地理学が得意として来た分野を学校教育に取り入れていく必要がある。そのためには、必ずしも生徒がICTを使う事を前提とせず、紙媒体によるアナログな手法を取ることも必要である。

    報告では、具体的な実践事例として、静岡県裾野市で行われた高校生が参加する地域の防災訓練において、オープンデータを用いた大判地図を使った情報集約および意思決定支援の取り組みを紹介する。県や市が公開しているオープンデータに、自治会から提供された各種情報をGIS上で統合し、大判地図で出力した上で、住民に供することで、オープンデータの地理教育教材としての有用性を確認できた。

      オープンデータを活用する上で、「作図」や「読図」、「可視化」を前面に出すことは、地理教育の有用性を社会にわかりやすく発信する上でも有効である。活用の方法と、実践の普及を更に進めて行きたい。
  • 統計分析による農業地域区分
    仁平 尊明
    セッションID: 505
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本研究はカナダ・ブリティッシュコロンビア州における農村空間の商品化を把握するために、統計と多変量解析により、同州の農地業地域区分を解明する。本研究で使用する統計は2011年の農業センサスであり、地図は29の統計区である。39の指標に基づいたクラスター分析の結果、次の8つの農業地域を設定する。(1)バンクーバー島および(2)太平洋沿岸には、高い所有地率を示すクラスターAと、低い農業生産性を示すクラスターCが混在する。(3)太平洋沿岸北部には、野菜と温室を示すクラスターBが分布する。(4)フレーザー川下流域に位置し、最大都市のバンクーバーを有するローアーメインランドは、小規模経営と果樹を示すクラスターEと、乳牛・養豚と高い資本装備を示すクラスターDである。(5)ワイン生産で知られるオカナガンはクラスターEである。(6)フレーザー川中流域に位置するトンプソンからカリブーにかけては、肉牛を示すクラスターFが広範囲を占める。(7)ロッキー山麓を含むクートニーは、クラスターCとFである。(8)大平原の北端であるピースリバー地域は、大規模土地利用を示すクラスターG、および飼料作物と馬を示すクラスターHである。
  • 小野 映介, 佐藤 善輝, 山田 耀, 水瀬 正大, 川又 大輝
    セッションID: P019
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    完新世後半における越後平野南西部の詳細な地形発達を明らかにするために,地形・地質調査を行った.注目したのは平野の西縁部を南北に走る角田・弥彦断層の活動履歴,その東側(下盤)に広がるテクトニックな沈降域(蒲原平野)における河道変遷および堆積物の充填様式である.詳細な時間軸(102年程度)で地形発達を編む目的は「人間活動の場」としての越後平野の変化を描くことにある.研究の最終的な目的は,テクトニックな沈降域において人々はどのように居住を行ってきたのかという点にある.この問題を解明するには幾つかの段階を踏まなければならないが,その第一段階として,空間的に密な地質調査を行って,堆積物の層相と堆積年代を解明する必要がある.また,それは自然科学的な地形発達史研究の進展にも寄与すると考えられる.本発表では,越後平野南西部における113地点での地質調査の結果および30点の炭素14年代測定結果を6本の断面に整理して提示するとともに,それらから読み取れる事柄について言及する.
    詳細な地質調査によって,越後平野北西部の大半が完新世後期においてもテクトニックな沈降域であったことが確認されたが,沈降を補うかたちで常に河川堆積物の供給があったことは興味深い事実である.以上に述べた以外にも,過去2,000年間の河道変遷を解明することができたので,発表時に整理して提示する.
  • 商品化する農村空間の多様性とその特徴
    田林 明, 矢ヶ崎 典隆, 菊地 俊夫, 仁平 尊明, 兼子 純, ワルデチュック トム
    セッションID: 506
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    先進国では1980年代から、これまで基本的には農産物の生産の場としてみなされていた農村が、余暇や癒し、文化的・教育的価値、環境保全など、その他の機能を持つ場として捉えられることが多くなった。このように、農村空間の生産機能が相対的に弱まり、消費活動が盛んになることを「農村空間の商品化」として捉えることができる。この報告では、魅力的な自然景観が展開し、多様な農業が営まれ、都市住民のレクリエーションや農村居住をはじめとして様々な形の農村空間の商品化が進んでいるカナダのブリティッシュコロンビア州において、農村空間の商品化がいかなる形態で、どのように進み、それによっていかに農業・農村が維持されているかを明らかにする。 ブリティッシュコロンビア州において農村空間の商品化が進展しているのは、(1)バンクーバー島と(2)ローアー・メインランド、(2)オカナガン、(4)トンプソン・カリブーの各地域であることが、フィールドワークによって明らかになった。バンクーバーに近接するローアー・メインランドでは、ホビー農業や農産物直売所、農場ツアー、摘み取り、ワインツーリズム、乗馬、農村居住など多様な商品化がみられた。バンクーバー島南東部でも商品化は多様であったが、スローフード運動とそれによるローカルフードの消費が地域を特徴づけるものであった。また、カナダを代表する果樹生産地として知られるオカナガン地域を象徴するものは、ワインツーリズムであり、ワイナリーとレストランとホテルが結びついて多くの観光客を引きつけている。大規模な牧場地域であったトンプソン・カリブー地域では観光牧場への転換、酪製品のブランド化といった農村空間の商品化が重要である。全体としてブリティッシュコロンビア州では、農村空間の商品化が日本よりも、それぞれの地域の条件を反映して多様に展開しており、それが地域の産業や社会を維持するために重要な役割を果たしていることがわかった
  • 清水 昌人
    セッションID: 601
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本報告では累積コーホート変化比(累積変化比)という指標を用い、非大都市圏のコーホート別人口変動の特徴を都道府県別に把握し、その特徴を分析する。累積コーホート変化比は、10-14歳以降の人口のコーホート変化量を累積し、その値を10-14歳時の人口で割ったもので、ある地域のコーホート規模の変化を時系列で把握する指標である。Inoue(2014)の累積社会増加比と異なり、死亡による変化を含むが、本報告で対象とする10-14歳から35-39歳までは死亡の影響が相対的に小さいので、Inoueの指標と似た値を示す。Inoueの指標を簡略化した指標と位置づけることができる。
    近年の累積変化比のコーホート別、県別の分布を、20-24歳時、25-29歳時の値により観察した。累積比の水準は、一部の例外をのぞき大都市圏からの距離とおおむね対応しており、大都市圏に近い県で高い。他方、同一コーホートの20-24歳から25-29歳への変化は、東日本では大都市圏からの距離減衰の兆候がある程度見られるが、西日本でははっきりしない。
    近年の非大都市圏全体では、20-24歳から25-29歳にかけての累積変化比の変化は、回復→変化なし→減少の順に推移し、若いコーホートほど減少局面にある県が多い。1971-75年生まれから1981-85年生まれの値で各県を分類すると、東日本では大都市圏から遠いほど若いコーホートで減少局面に入る傾向が一定程度見られる(図1)。ただし西日本を中心に、大都市圏から遠い県でも依然、回復局面にある地域が散見される。
  • 南 春英
    セッションID: 803
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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     日本と韓国は海を挟んでいる、互いに望見できるほど近い隣国であり、古くから密接な歴史的関係を結んできた。しかしながら、韓国人の日本認識は決して十分とは言えない。それは、日本に対する知識の不足にもよるが、自国中心的教育から得た偏った日本観による面も大きいと言われている。日本では、このような日本観を「反日」と決めつける人もいる。

      本研究では、地理教育の窓口である地理教科書の分析を通して、韓国における日本の地域像の成り立ちを分析する。本稿では主に国際理解、異文化理解としての地理教育という視点から、時代による日韓関係の変化を追い、韓国における地理教育の中での日本に関する記述の変遷を明らかにする。具体的には、韓国における地理教科書が日本という国をどのように位置付けてきたか、また、時代によって記述において何に中心が置かれてきたかなどを分析していく。
     
     歴史教科書は韓国人の日本観を規定するもっとも重要な情報源である。鄭在眞の1991年に実施したアンケート調査によると、韓国の学生たちは日本に対する知識は主に教科書を通じて手に入れ、日本に対するイメージはマスメディアによって形成するという事実が明らかになった(山内・古田1997)。『国史』の構成からみると、先史・古代・中世・近世・近代・現代と区分されている。『国史』の教科書で<日本>は決して少なくない。総計300ページの分量の中で日本と関連する内容を述べているページは、古代4ページ、中世1ページ、近世9ページ、現代ゼロ、などである(アジア史では、概ね1945年9月2日の大日本帝国の降伏(第二次世界大戦終結)を境にして、「近代」と「現代」に分けられている)。ここに明らかなように、分量上の特徴が前近代に比べて近代に圧倒的多く、現代ではほとんど日本を扱っていない。はなはだしくが、1965年の日韓国交正常化条約さえ無視している。それで、学校の科目で現代日本に関する知識は『地理』科目で得られている。韓国学生の日本現代に対するイメージは『地理』という科目を通じて形成されていると言っても過言ではないだろう。

     古今東西という言い方がある。古今は歴史で、東西が地理である。この対比のように、地理教育はしばしば歴史教育と対で考えられる。いいかえれば、歴史教育が時系列に沿って整理して国や世界を考えさせるのに対し、地理教育は、空間的系列に沿って整理し、地域的違いを考えさせる。つまり地理的な観点から国土や社会、世界を考えさせるものである(西脇、1993)。社会全体のグローバル化の現実の中、歴史より国を正しく理解し、付き合っていくのには地理教育のほうの役割が大きい。国際理解・異文化理解では、地理教育が重視されるべきである。

     こうしたことから韓国の地理教科書の中の日本に関する記述の研究は意義があると思われる。

      韓国の1948年~現在使用している地理教科書の日本に関する記述の変遷を四つの段階に分けられる。

    (1) 1946年~1963年

    (2)1964年~1986年

    (3)1987年~2000年

    (4)2001年~現在       
  • 尾方 隆幸
    セッションID: S1104
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1. 普天間飛行場代替施設建設事業
     日本政府の「普天間飛行場代替施設建設事業」に関するさまざまな準備作業が,名護市の辺野古湾および大浦湾周辺で進められている.これまで,日本生態学会による「沖縄県名護市辺野古・大浦湾の米軍基地飛行場建設に伴う埋め立て中止を求める要望書」(2013年3月),沖縄生物学会による「米軍普天間飛行場代替施設建設のための辺野古埋め立て計画に関する意見書」(2014年2月)など,生物科学関係の学会からは反対意見が提出されている.本発表では「普天間飛行場代替施設建設事業」について,ジオコンサベーションの観点から検討する. 

    2. 沖縄のサンゴ礁と辺野古の生物多様性
     日本の地理学的特徴のひとつに,南北方向に長い国土による気候の多様性がある.その中で,南西諸島をはじめとする広い地域にサンゴ礁の生態系を有することは,国内の自然資源を考える上で大きな意義を持つ.しかしながら,これまでに進められた開発行為により,特に沖縄島周辺のサンゴ礁は破壊が著しく,ごく一部の海域を除いて健全な造礁サンゴは残されていない.
     一方,辺野古周辺には,環境省の「日本の重要湿地500」(No.449沖縄本島東沿岸)に指定された自然度の高い海域がある.辺野古~漢那の選定理由には「ボウバアマモ,リュウキュウアマモ,ベニアマモなどの大きな群落.アマモ類を餌にする特別天然記念物のジュゴンは,この海域で発見例が多い.沖縄島北東部の沖には藻場が存在し,そこにアオウミガメの大規模な餌場があるらしいことがこれまでの調査から推定される」とある.また,沖縄県による「自然環境の保全に関する指針」においても,最も評価の高い「ランクI」(自然環境の厳正な保護を図る区域)に指定されている.すなわち,生物科学の専門家のみではなく,国および県もこの海域の極めて高い自然的価値を認めている.
     辺野古の周辺は,良好な状態でサンゴ礁の生態系が守られてきた数少ない海域である.あえてそのような海域で大きな環境破壊を伴う事業を行うことは,日本の自然資源の多様性を自ら損ねる行為でもあり,持続的な国土の発展と整合する事業かどうかを慎重に検討する必要がある. 

    3. 辺野古における地質調査
     生物資源そのものだけではなく,その生息・生育環境を同時に考えることをジオコンサベーションでは重視する.たとえば新基地の建設が予定されている辺野古を例にすると,藻場や造礁サンゴのみならず,生物活動を支えるサンゴ礁地形・堆積物の保護・保全を問題にする.サンゴ礁の地形や堆積物は,地球の歴史の中で形成された自然史的な資源であり,いったん破壊されると,その回復には極めて長い時間を要する(短期的には不可逆的なものとなる).また,一連の事業はサンゴ礁の表面物質を破砕・拡散させ,破砕物による海水の混濁を引き起こす可能性がある.さらに,調査や建設工事に付随する騒音と海中の攪乱は,ジュゴンの行動に直接的な影響を与える可能性もある. 

    4. ジオコンサベーションからみた米軍基地移設問題
     ジオコンサベーションにおいては,地球科学的資源ごとに,破壊からの回復に要する時間スケールを検討することが重要である.米軍基地移設問題の場合は,既存の米軍基地エリアと,新基地の建設が予定されているエリアの地質・地形を整理し,それぞれの地質・地形について破壊から回復に要する時間スケールを明らかにすることが,地球科学者の課題ではないだろうか.こうした基礎的な研究に立脚する形で問題解決への道を探っていくことを,地球科学者としては提言すべきであろう.さらに,地理学者には,ジオコンサベーションを踏まえた持続的な地域振興について,人文社会科学的な検討も求められよう.
  • 長谷川 直子, 横山 俊一
    セッションID: 202
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに サイエンス・コミュニケーションとは一般的に、一般市民にわかりやすく科学の知識を伝えることとして認識されている。日本においては特に理科離れが叫ばれるようになって以降、理科教育の分野でサイエンス・コミュニケーターの重要性が叫ばれ,育成が活発化して来ている(例えばJSTによる科学コミュニケーションの推進など)。 ところで、最近日本史の必修化の検討の動きがあったり、社会の中で地理学の面白さや重要性が充分に認識されていないようにも思える。一方で一般市民に地理的な素養や視点が充分に備わっていないという問題が度々指摘される。それに対して、具体的な市民への啓蒙アプローチは充分に検討し尽くされているとは言いがたい。特に学校教育のみならず、社会人を含む一般人にも地理学者がアウトリーチ活動を積極的に行っていかないと、社会の地理に対する認識は変わっていかないと考える。 2. サブカルチャーの地理への地理学者のコミット 一般社会の中でヒットしている地理的視点を含んだコンテンツは多くある。テレビ番組で言えばブラタモリ、秘密のケンミンSHOW、世界の果てまでイッテQ、路線バスの旅等の旅番組など、挙げればきりがない。また、書籍においても坂道をテーマにした本は1万部、青春出版社の「世界で一番○○な地図帳」シリーズは1シリーズで15万部や40万部売り上げている*1。これら以外にもご当地もののブームも地理に関係する。これらは少なくとも何らかの地理的エッセンスを含んでいるが、地理以外の人たちが仕掛けている。専門家から見ると物足りないと感じる部分があるかもしれないが、これだけ多くのものが世で展開されているということは,一般の人がそれらの中にある「地域に関する発見」に面白さを感じているという証といえる。 一方で地理に限ったことではないが、アカデミックな分野においては、活動が専門的な研究中心となり、アウトリーチも学会誌への公表や専門的な書籍の執筆等が多く、一般への直接的な活動が余り行われない。コンビニペーパーバックを出している出版社の編集者の話では、歴史では専門家がこの手の普及本を書くことはあるが地理では聞いたことがないそうである。そのような活動を地理でも積極的に行う余地がありそうだ。 以上のことから,サブカルチャーの中で、「地理」との認識なく「地理っぽいもの」を盛り上げている地理でない人たちと、地理をある程度わかっている地理学者とがうまくコラボして行くことで、ご当地グルメの迷走*2を改善したり、一般への地理の普及を効果的に行えるのではないかと考える。演者らはこのような活動を行う地理学者を、サイエンス・コミュニケーターをもじってジオグラフィー・コミュニケーターと呼ぶ。サブカルチャーの中で一般人にウケている地理ネタのデータ集積と、地理を学ぶ大学生のジオコミュ育成を併せてジオコミュセンターを設立してはどうだろうか。 3. 様々なレベルに応じたアウトリーチの形 ジオパークや博物館、カルチャースクールに来る人、勉強する気のある人たちにアウトリーチするだけではパイが限られる。勉強する気はなく、娯楽として前出のようなサブカルチャーと接している人たちに対し、これら娯楽の中で少しでも地理の素養を身につけてもらう点が裾野を広げるには重要かつ未開であり、検討の余地がある。 ブラタモリの演出家林さんによると、ブラタモリの番組構成の際には「歴史」や「地理」といった単語は出さない。勉強的にしない。下世話な話から入る。色々説明したくなっちゃうけどぐっとこらえて、「説明は3分以内で」というルールを決めてそれを守った。とのことである(Gexpo2014日本地図学会シンポ「都市冒険と地図的好奇心」での講演より抜粋)。専門家がコミットすると専門色が強くなりお勉強的になってしまい娯楽志向の一般人から避けられる。一般ウケする娯楽感性は学者には乏しいので学者外とのコラボが重要となる。 演者らは“一般の人への地理的な素養の普及”を研究グループの第一目的として活動を行っている。本話題のコンセプトに近いものとしてはご当地グルメを用いた地域理解促進を考えている。ご当地グルメのご当地度を星付けした娯楽本(おもしろおかしくちょっとだけ地理:地理度10%)、前出地図帳シリーズのように小学校の先生がネタ本として使えるようなご当地グルメ本(地理度30%)、自ら学ぶ気のある人向けには雑学的な文庫(地理度70%)を出す等、様々な読者層に対応した普及手段を検討中である。これを図に示すと右のようになる。
  • メガシティ・デリーの郊外開発
    由井 義通
    セッションID: S1706
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1991年の経済自由化以降、インドの都市は急速な拡大・発展をとげた。本研究は、インドの都市変化を象徴する郊外空間の実態に都市開発と住宅供給の側面からアプローチする。インドの大都市郊外では、経済成長の中で登場してきた新中間層をターゲットした住宅開発と商業開発が進められている。それらとともに、自動車や二輪車などの製造業の他、金融機関やソフトウェア会社のオフィスビルなどの郊外型ビジネスパークを兼ね備えた複合機能型の都市開発が進められており、本研究では、空間と社会が同期して変動する郊外開発の実像を明らかにする。
     1.デリー大都市圏の郊外開発
    インド政府は国家プロジェクトとしてデリーの過大化防止と機能分散を目的として、デリー開発公社(Delhi Development Authority: DDA)を1955年に設立した。1957年にデリー開発法が出され、DDAは1962年に「Master Plan for Delhi, 1962 (MP-62)」を策定し、厳しい土地利用コントロールによってデリー市内の都市開発を抑制した。しかし、急速な都市成長に対してデリーだけでは対処できなくなったために、1985年に首都地域開発局(National Capital Region Planning Board, NCRPB)が設置され、広域的に都市計画を進めることになった。NCRPBはデリー隣接地域にグルガオンなどの6つのDMAタウンを指定し、流入人口の受け皿として都市開発を行った。
    2.
    グルガオン-マネサールの都市開発
    デリー南郊に隣接するグルガオンの都市開発は1966年にハリヤーナー州都市土地開発局(Urban Estates Department Haryana, UEDH)によって始まり、1977年にHaryana Urban Development Authority(HUDA)が設立されると、州による都市開発は急速化した(由井、2005)。ハリヤーナー州の都市農村開発局(Department of Town & Country Planning, Haryana)は州の民間開発業者に開発を請け負うライセンスを与えており、1977年以来,HUDAと民間開発業者の両方が州の都市開発を請け負ってきた。この方法は「ハリヤーナー方式」といわれ、州政府がコントロールするメカニズムを実施する一方で、民間ライセンス業者の専門的な経験から学ぶという、二つのメカニズムがある。1996年に出されたグルガオンの『マスタープラン2011』では、HUDAは農民から大規模に土地を取得し、大規模な都市開発を行った。しかし、開発計画と実際の開発のプロセスに大きなずれが生じたり、隣接するマネサールも急激な都市化が進行したため、HUDAは2006年に新たなマスタープランとしてマネサールを含んだ”Gurgaon-Manesar Urban Complex”として, 21733haの計画区域に計画人口370万人の都市計画を策定した(Puri,  2007)。これはデリー東郊のノイダで、さらに遠方のグレーターノイダへと展開して開発が進行しているのと同様で、超郊外の開発がみられる(由井、2014)。
    3.
    郊外空間の変容
    急速な都市化によりデリーの郊外空間は激変しつつある。農村地域に近代的で西洋風のライフスタイルをもった都市住民が流入し、高い塀と強固な門で囲まれたゲーテッド・コミュニティを形成している。その一方で、インドの都市計画では、計画地域内にある農村の改良や整備は対象外となっている。そのため、大都市圏内の農村では無秩序な都市開発が行われ、超過密のスラムのようになっている。これらの集落はアーバン・ビレッジと呼ばれ、住民の大部分は農地を手放しており、賃貸アパートの経営による不動産収入を得るなど、農業以外に就業している。しかしながら、一部の農民は集落内で水牛の飼育をしており、伝統的農村の生活様式と近代的な都市の生活様式が混在している。
     【文献】 由井義通 2005, デリー南郊・グルガオンにおける都市開発.『季刊地理学』57-2,79-95. 由井義通 2014, デリー大都市圏のマスタープランの変遷と開発実態.『日本都市学会年報』47号, Puri, V.K. 2007. Master Plan 2021 for Gurgaon-Manesar with complete map.. Jain Book Agency Publishers, Delhi.
     【付記】本研究は,平成26年度基盤研究(A)「現代インドにおけるメガ・リージョンの形成・発展と経済社会変動に関する研究」研究代表者:岡橋秀典(広島大)による研究成果の一部である。
  • 今井 修
    セッションID: 616
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本研究では、地域連携を促すために、岩手県西和賀町に設置された「にしわが郷づくり協議会」を対象に、旧町村をまたがる6集落それぞれ訪れ、地域資源を自然、文化、人、暮らしの4カテゴリーに分けてヒアリングし、その結果を地図上に落とすとともに、地域の文化的土台を明らかにし、それに基づく地域の特徴を示すことを目指した。このため、集落ごとに高齢者に集まってもらい、航空写真を見ながら50年前の暮らしを聞くこととした。
    その結果、集落内の事は当然集落の人が良く知るものの、集落外の事は、意外に知られていないことがある事を知った。この地域には、いくつかの鉱山があり、鉱山の有無による集落の特徴の違いがあると同時に、全体として電気などのインフラ整備が早くから進んでいた。豪雪は暮らしに深く影響を及ぼし、茅葺の家の中で家畜(馬)とともに自給自足を行う暮らしを知ることができた。集落の萱場などは現在も残っており、薪ストーブを利用している家も見られる。 さらに、ヒアリングした内容に基づき現地写真を撮影しGIS化を行った。
    地域連携の第1歩として、作成した地域資源マップを6集落の共通認識として頂き、次に、この中から使える資源を見出し、新たな連携活動を試みることとなる。 既にわらびを代表として山菜が地域資源として栽培、商品化されているが、今回の調査で集落をまたがる水路の新たな活用が注目され、水路脇を通る道をフットパスとして整備し、住民の連携に活用する動きが始まった。
    GISは、地域の人に向けて将来に向けた地域づくりの道具として活用できる事を示すことができたが、更に現在の暮らしや仕事づくりにも役立つことを示すために、福祉カルテ、農地1筆マップの整備を準備しているところである。 
  • 久保 純子, 南雲 直子
    セッションID: 301
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    プレアヴィヒア寺院はカンボジア北部に位置するアンコール時代(11~12世紀頃)の寺院である。標高約650 mのダンレク山脈山頂部から北方へ、ケスタのバックスロープ上に展開する。カンボジア平原を見下ろすようにゴープラ(塔門)I~Vがほぼ南北軸に沿って配列し、長さ850 m以上の長大な伽藍をもつ。 寺院周辺では露岩した砂岩の走向は、寺院南端部(山頂)から北端部まで概ねN50°~N70°Eと一様の傾向を示し、全体として単斜する。ただし、南北方向の地表面平均勾配(ケスタのバックスロープ)は約7°であり、地層の傾斜は10°前後である。このため、地表面には南から北へむかってより上位の地層が露出し、岩層の侵食に対する抵抗性の差により表面に起伏が見られる。 ゴープラIII、IV、Vは地形の傾斜変換点にあることが確認できたほか、西部の露岩地帯では岩石を切り出した痕跡がみられる。その一方、もともとその場所にあった岩石を削りだして施設の一部としたりするなど、自然地形を切り盛りしながら理想の伽藍配置を追及してきた様子が伺える。
  • 奈良と京都の瀬戸内気候度
    福岡 義隆, 丸本 美紀
    セッションID: 115
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    日本では福井(1933),関口(1959)の区分をはじめ,鈴木(1962)や吉野(1980)らによる種々の気候区分図が考案されているが,各種の気候図にみる瀬戸内気候の範囲は微妙に異なっている。瀬戸内沿岸はGISによる環境容量図などでも特異な位置づけにある。しかし,瀬戸内気候についての定量的な評価はいまだされてない。本研究では福井英一郎(1966)による地中海気候発達度の計算法に倣って瀬戸内気候の発達度を算出することを試みた。一方,ローマやギリシャなどの高度な文明を生んだ地中海気候のように,奈良や京都の古代文明が瀬戸内気候のたまものかどうかを再認識するために,奈良と京都の瀬戸内気候度を求めることを試みた。局地気候災害的には旱魃の奈良の方が洪水の京都よりも瀬戸内気候度が高いと予想される(丸本,2014)が,そのことを確証付けてみたい。本研究の真の目的は福井気候学の哲学を再考・再興することにもある。
    2.  研究方法
    福井英一郎編著『日本・世界の気候図』(1985)のうち,年平均散乱比図,年降水量図,年合計流出高図,郡別干害率図の4図における瀬戸内気候区の範囲(瀬戸内海沿岸線に平行に走る等値線など)を重ね合わせてみた。次に,『The Climate of Japan』(Ed.E. Fukui, 1977)に掲載されている気候区分図(関口武による図,1959,ソーンスウエイト法による気候区分図,1957)と対照させ,瀬戸内気候区の範囲を特定してみた。それらの定性的な分布をより定量的に評価するための福井(1966)の地中海発達度における三角関数を適応させてみた。瀬戸内沿岸では夏季の降水量に対して8月降水量がかなり少ないという特性から考えて,本研究では地中海気候発達度のtanθを6-8月降水量Rsに対する8月降水量R8の比で表わした。対象地域については,福井,岐阜,名古屋,津,和歌山,奈良,大阪,彦根,京都,神戸,岡山,広島,米子,松江,下関,高松,松山,徳島,高知,福岡,大分の21地点を選び,各地方気象台における各月降水量の1954~2014年平均値を使用した。m=瀬戸内気候度, 
    3. 研究結果
    関口の気候区分図では奈良盆地が瀬戸内気候区内,京都盆地は区外となっている。4つの気候要素の等値線は第2図のとおり瀬戸内気候区分内に収まっている。
     瀬戸内海沿岸の主要都市の瀬戸内気候度mについては,値が大きい順に松山92.3,広島91.6,大阪・岡山・神戸・下関で90.0であった。奈良のmは87.3,京都は86.4であり,瀬戸内気候度は,奈良盆地が京都盆地よりも大きく,すなわち奈良の方がやや夏乾燥であることが示された。
  • 仁科 淳司
    セッションID: 114
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    2014年2月の発達した低気圧通過後,中部日本では太平洋側まで広く積雪に覆われた。本研究ではこの広く積雪に覆われた期間における中部日本の地上気圧の日変化を検討し,積雪が太平洋側でほとんどない期間のそれと比較した。その結果,以下のことがわかった:(1)2月の月平均地上気圧を比較すると,積雪量の多かった甲府では2014年は日中の地上気圧低下量が小さい。(2)降雪量の多かった2月中旬以降,甲府では積雪量が少なくなるにつれ日中の気圧低下量が大きくなる傾向がある。(3)総観場の変化が小さい期間の中部日本の局地天気図から判断すると,積雪面積の狭い2008年の2月15日では午前中の局地低気圧の発生や午後の局地低気圧の発達が明瞭であるのに対し,広い2014年2月20日ではそれらは不明瞭であり,積雪により日中の地表面加熱が弱まったためと考えられる。
  • 広島市の事例から
    山本 健太, 市原 真優, 和田 崇
    セッションID: 607
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    【背景】演劇の消費は,劇場などの空間でなされる.そのため,演劇活動は,劇場が多く立地する大都市を中心に展開してきた.他方で,近年になり,一部の中堅,若手演劇人の中から,地方還流の動きも出てきている. 
    【調査概要】このような状況に鑑み,本発表では,地方における小劇場演劇の実態を担い手と観客の双方から示し,地方における演劇文化の発展可能性について検討する.調査対象は,広島市で活動する劇団と,協力の得られた劇団Aの2014年8月公演の観客(144人[回収率66.7%])である.調査方法は劇団主宰者へのインタビュー,観客へのアンケートである.東京などの大都市と異なり,地方都市では活動している劇団は必ずしも多くない.広島市の場合,活動が確認できた劇団は31団体である.このうち11団体の関係者からインタビューの協力を得られた.調査協力を得られた劇団Aは,広島市南区民文化センターの「演劇マネジメント活性化事業」による演劇若手人材育成ワークショップであり,当該センターの公設劇団と位置付けられている.
    【劇団員】劇団員はいずれも広島県内に定住し,本職を有しており,演劇活動は趣味である.演劇で生計を立てておらず,団員の上京意思は高くない.広島市内で活動を続けること,主宰者と演劇することに意義を見出している.主宰者も,団員選考にあたっては,長期にわたって共に作品を作り上げていける人物であることを重視している. 
    【活動場所】演劇活動の場は,稽古場所と公演場所に区分できる.広島においては,それらの大半が公共施設である.市内には,公演場所となるホールを有する施設は18ある.これらのうち,一部の施設では,客席数が500を超えており規模が大きく,あまり利用されていない.稽古場は,青少年センター,公民館,男女共同参画社会推進センターなどに限定される.これらはいずれも低料金であることから選択されている.しかし,夜間の利用時間に制限があり,劇団の需要を十分に満たしているとは言えない.
    【情報の発信】公演情報の発信手段として,チラシ,フリーペーパー,SNSなどが挙げられた.また,新聞やラジオなどを通じた広報もしている.ただし,これらの広報手段は,後述するように観客の情報源とは必ずしも一致しない. チケット販売経路では,手売りが一般的である.手売りの購入者は劇団関係者の親族や友人,知人などの「身内的な客」であることが推察される.そのほか,インターネットやプレイガイドでの販売も挙げられた.ただし,対象となった劇団の客層は「顔なじみ客」が多く,手売りで購入する場合が多い.インタビュー調査でも,手売り以外の窓口は,劇団の主要客層とのミスマッチから,十分に機能していないと指摘された.
    【観劇者の特徴】女性の比率が高い.対象劇団の特性から,学生の比率が高い.大半が市内在住である.東京や大阪での調査結果と比較すると,演劇経験者の比率が高い.
    【情報の受信】観客の96%が公演の情報源として劇団関係者との会話やメールを挙げている.他方で,インターネット経由の情報を指摘したものは16%にとどまった.チケット購入経路でも,65%が役者,スタッフからと回答しており,彼らが「身内的な観客」であることを示唆している. 
    【まとめ】地方における演劇活動は場所,時間ともに非常に限定される.公演は,「身内的な観客」によって支えられている.それら以外の客層をいかに育て,取り込んでいくかが重要である.担い手と観客の仲介役としての劇場の役割が期待される.
  • 井上 公夫
    セッションID: S1204
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    ◆はじめに  本州中央部には,フォッサマグナ(大地溝帯)に沿って日本アルプスが南北に走り,地質構造が非常に複雑なため,大規模土砂移動(地すべり・大規模崩壊・土石流)が地震や豪雨、噴火を誘因として数多く発生している。演者は歴史時代に発生した土砂災害事例を収集整理している。特に,日本各地で山地河川が河道閉塞され,天然ダムが形成・決壊した61災害168事例1),2)を収集・整理した。発生密度の高い日本アルプス周辺の事例を紹介する。◆五畿七道地震(887)による事例  仁和三年七月三十日(887.8.22)に五畿七道地震(南海トラフ沿いの巨大地震)が発生し,多くの地区で津波災害や土砂災害が発生した。この地震によって,山梨県の釜無川上流小武川のドンドコ沢で大規模岩屑なだれ(推定土砂量1700万m3)が発生した3),4)。また,北八ヶ岳の火山体が強く揺すられ,大規模な山体崩壊(移動土砂量3.5億m3)が発生し5),6),大月川岩屑なだれとなって流下し,千曲川を河道閉塞し,日本で最大規模(湛水高130m,湛水量5.8億m)の天然ダムを形成した7)。303日後に決壊し,仁和洪水砂が千曲川を95kmも流下し,条里制遺構を埋没させた8)。◆越後南西部地震(1502?)による事例 姫川右岸の真那板山が大規模崩壊(堆積土砂量5000万m39),10)し,姫川は河道閉塞(現在も葛葉峠として残る)され,大規模な天然ダム(湛水高140m,湛水量1.2億m3)が形成され,数年後に数回に分かれて決壊した11),1)。湛水域の下寺地区には常誓寺があったが,現在は糸魚川の市街地に移転した。松本砂防事務所では,姫川の侵食防止のため,対策工事が行われ,現在は元の崩壊堆積物の状況は見えなくなった12)。1)田畑ほか(2002)天然ダムと災害。2)水山ほか(2011)日本の天然ダムと対応策。3)苅谷(2012)地形など。4)苅谷ほか(2014)合同学会。5)河内(1983)地学雑誌など。6)石橋(1999)地学雑誌など。7)井上ほか(2010)地理など。8)川崎(2010)佐久など。9)古谷(1997)地すべり学会シンポ。10)小疇・石井(1998)地理学会予稿集。11)井上(1998)北陸の建設技術。12)松本砂防事務所(2003)土砂災害冊子。13)井上ほか(2014)歴史地震。14)市川大門町教育委員会(2000)市川大門一宮浅間帳。15)都司(1993)地震学会予稿集。16)鈴木ほか(2009)地すべり学会。17)松本市安曇野資料館(2006)。18) 森ほか(2007)砂防学会誌。19)白馬村(1959)白馬村誌。20) 横山(1912)地学雑誌。21)町田(1964)地理学評論など。22)稗田山崩れ100年事業実行委員会(2011)シンポジウム冊子。◆宝永地震(1707)による事例 宝永四年十月四日(1707.10.28)に発生した宝永・南海地震(M8.4が2回)は,津波被害だけでなく,多くの土砂災害(現時点で17か所)が発生した2),13)。日本アルプス南部でも,安倍川上流の大谷崩れ,富士川流域の八潮崩れ,白鳥山等の大規模崩壊・天然ダムが知られている1),2)。富士川左支・下部川上流の湯之奥では,天然ダム(湛水高70m,湛水量370万m3)が形成され,下流の下部温泉などの住民が決壊を恐れて避難した14),2)。川筋の人夫2800人が出て開削工事をし始めたが,崩壊岩塊が固く湛水を排除できなかった(徐々に湛水域に土砂が溜まり,海河原と呼ばれる)。湯之奥上流部は武田の金山として採掘が行われていたが,宝永地震時には衰退しており,詳しい史料は残っていない。航空写真やLP図で崩壊地形は良く分り,2011年の台風15号の襲来で,林道付近にかなり大きな変状が現れた。◆信州小谷地震(1714)による事例 正徳四年三月十五日(1714.4.28)の地震で小谷村から白馬村で大きな被害がでた15)。鈴木ほか16),2)は史料分析により,姫川右岸の岩戸山で大規模地すべりが発生し,姫川本川を河道閉塞し,湛水高80m,湛水量3800万m3の天然ダムが形成されたことを明らかにした。3日後の18日夜に天然ダムは決壊し,下流域に大きな被害をもたらした。岩戸山周辺にはさらに大規模な地すべり地形が存在し,この地すべり全体が大きく変動すれば,白馬村の北城盆地全体を水没させる可能性がある。昨年の12月の神城断層地震によって,岩戸山周辺でも小規模な崩壊が発生した。雪解け後に大規模地すべり地形に地形変化がないか,確認調査をすべきである。
  • 田代 雅彦
    セッションID: S1404
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに

    福岡は、札幌、仙台、広島とともに地方圏での広域中心都市(地方中枢都市)に位置づけられている。バブル経済崩壊後、日本経済が長期の低迷にあえぐ中で、福岡は国内でも相対的に“元気な”都市と言われ、発展を続けた結果、最近ではいわゆる「札仙広福」から一歩抜けだし、一部の事象では東京、大阪、名古屋という三大都市に迫る勢いを見せている。

    本研究では、福岡の1990年以降の動向について、人口のみならず産業、交通、アジアとの関係、コンベンション、イベントなど多方面のデータより分析し、広域中心都市・福岡の発展要因について分析する。

     

    2.九州の中枢都市として発展する福岡

    福岡の発展要因の1つは、九州という背後圏の存在である。九州は、北海道や東北、中四国など他の地方圏と比較して、人口規模の大きな県都クラスの都市が、域内に分散的に位置している。九州では1990年代に、7つの県都が高速道路で結ばれ「九州クロスハイウェイ」が完成、2000年代には九州新幹線が完成した。福岡に本社を置く西鉄バスやJR九州は福岡を中心とするネットワークを整備、両者が競合することで利便性が高まった。結果、地方圏では規模の大きな九州が、1つのマーケットとして機能するようになり、その中心都市として福岡が発展することとなった。

    福岡は、大都市圏に流出する若者を九州域内にとどめる「ダム効果」を果たし、学生や若い女性が多く若者へのサービス集積がさらに若者を呼び込む好循環を形成している。

     

    3.アジアとともに発展する福岡

    2つにはアジアとの近さと連動した発展である。福岡市は1989年にアジア太平洋博覧会「よかトピア」を開催し、アジアとともに発展する方向性を打ち出した。当時アジアとの連動は希薄だったが、東アジアが急速な経済成長を遂げる中で、福岡空港の国際線ネットワークは充実、博多港の国際港湾化も進み、交通結節点や各種都市機能がコンパクトに整備された福岡はアジアの玄関となっていった。

    また、アジアなど国際市場をターゲットにした自動車産業をはじめとする大企業の主力工場が、九州各地に相次いで立地・拡大し、九州経済はアジアとの連動性を高めていった。同時に豊かになったアジアからの入込も増加した。九州がアジアと連動して発展した結果、九州の中枢都市である福岡も国際都市として発展した。

     

    4.福岡は“日本の第4の大都市圏”へ

    福岡は、東京や大阪、京都などとともに各種の世界都市ランキングに登場することが増え、世界的にも国際都市として認知されるようになった。このランキングには札幌、仙台、広島はもちろん名古屋でさえ登場は稀である。

    この福岡の発展は、交流人口に支えられている。国際コンベンション開催件数は東京に次いで2位。2003年には日本医学会総会が三大都市圏以外では初めて福岡で開催された。著名アーティストの公演(ライブ)でも、札幌、仙台、広島を大きく引き離し、名古屋に迫る勢いである。

    福岡は、三大都市圏とは異なるコンパクトさが特色であり、人口減少社会に向かう日本において、新しい大都市のモデルとなることが期待されている。
  • 戸所 隆
    セッションID: S1406
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.前橋・高崎の都市特性

    前橋・高崎は東京都心の北西100kmに位置する首都圏外縁部に隣接する拠点都市である。両市の都市機能には数量的な差はないものの、性格的に前橋は県庁所在地で文化に特化し、高崎は交通・商業に特徴を持つ。また、前橋34.0万・高崎37.1万の人口(2010年国調)をもち、両市役所間は9kmに過ぎず、連坦市街地で結ばれる人口70万強の一体化した都市地域を構成する。

    江戸期には親藩・譜代の有力大名領や天領が入り組み、歴史的に複雑な地域性が形成されてきた。また、幕末から明治期には蚕糸業によって日本経済を牽引する地域であった。そのため、近代的な交通体系や都市システムは相対的に早期に整備され、全国的に著名な有力企業を多く生み出してきた。また、この地域は日本列島のほぼ中央部に位置し、太平洋岸と日本海岸を結ぶ横断軸と日本列島縦断軸が交差する地理的条件をもつ地域である。

     

    2.前橋・高崎における1990年代以降の構造変化

    1990年代以降の主な構造変化は、以下である。

    ①市街地面積の急激な拡大による郊外の発達、

    ②中心商業地の衰退 

    ③大規模工場の撤退

    ④中心機能の一翼を担う事業所の減少

    ⑤日常的生活圏・経済圏の拡大と地域間交流の活発化 ⑥東京の影響拡大と自立性の低下

    ⑦地域発祥企業の本社機能の東京流失

    ⑧人口減少と高齢化

    ⑨新築戸建て住宅・アパートの増加と空き家の急増

     

    3.都市構造変化の要因

    前項の構造変化①②には、自家用車の普及と郊外への大型SC建設の影響が大きい。それを可能に要因として、畑作社会でありながら都市計画規制が緩く、首都圏の県庁所在都市にしては安価な地価にある。

    ③は高度経済成長期に立地した企業の撤退である。要因として日本経済の構造変化と地域政策の失敗がある。

    ④は、新幹線や高速道路などの高速交通整備による、首都圏都市システムの構造的変化結果である。すなわち、高崎・前橋が新幹線で東京1時間圏となることで、従前の自立性が喪失してきた。他方で、さいたま市が首都圏における北関東の業務核都市として都市力を向上させた。⑤⑥⑦もこれと陰に陽に関係する。その結果、高崎駅周辺には高層マンションが増加し事務所撤退を補完する出張者用ビジネスホテル・全国チェーン型店舗の増加がみられる。これらは東京一極集中の影響でもある。

    ⑧人口減少の要因として、少子化と工場・事務所の撤退の影響がある。また、隣接自治体の地価の安さと緩い都市計画規制がそこへの人口流失をもたらしている。他方で、空洞化した中心市街地の地価低下がそこでの新築住宅建設を可能とし、相続税対策のアパート建設の増加も相まって空き家・空室を急増させている。

     

    4. 大都市化分都市化による構造変革

    高速交通網・交通体系の充実、郊外の発達と自立化、経済圏・生活圏の広域化により、都市システムは都市間・都市内共に、階層ネットワークから水平ネットワークの大都市化分都市化型に転換してきた。この動きを平成の大合併は広域化した経済圏・生活圏を行政的に一体化・推進した。しかし、地域間連携の重要性は理解しても歴史的経緯などから意識面での一体化は簡単には進まない。たとえば、自動車のご当地ナンバーで「前橋」と「高崎」がつくられ、電話の市外局番は同じ027であっても同一通話エリアにならないなどの問題がある。時代に対応したハード・ソフト両面で調和した都市システムへの再構築が求められる。



    5.立体化および公私の止揚による構造変革

    地方都市にあっても1990年代以降は都市空間の立体化の進展を見た。その結果、所有権では公私の区別があっても利用形態で公共的空間が増加した都市システム・構造に転換している。しかし、それに対応できない市民が多く、都市生活面に新たな問題を惹起しつつある。

    また大規模高層マンションの都市中心部での増加は、高齢化と相まって郊外から中心部へ人口移動させ、郊外の衰退を招く。これが都市中心と郊外の対立を惹起し、新たな都市システムの転換をもたらすと考えられる。

     

    6. あるべき都市構造と国土構造の在り方

    日本が中進国の罠にはまらず先進国になれたのは、公共事業をうまくコントロールし、農村の貧困を避けたことにある。豊かになった日本を持続的に発展させるためには、深刻化する地域間格差を是正する地方再生・国土構造の再構築が不可欠となる。それには首都機能移転を実現し、北関東信越メガロポリスの創生など、国土を水平ネットワーク型都市システムに転換する必要がある。
  • 戸所 隆
    セッションID: S0201
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1. 地理学の学修で獲得すべき基本的な能力

    日本学術会議の地理学参照基準は、職業上・市民生活における地理学修の意義を、地域社会に関する問題発見能力と問題解決能力とする。その修得には、①地域の比較や形成・変容過程の把握能力、②様々な空間スケールに対応した思考・判断能力、③文理統合・総合科学を活かした地球環境問題解決能力が求められる。

    そのためには、①地域を客観的に総覧する能力、②地域診断能力、③五官を総動員して地域・現場で考える能力、④新たな地域現象や地域変容の法則や原理を見いだす能力、⑤論理的な思考力を持つリーダーとしての能力、⑥地域情報を収集・加工・整理して論文等適切な形での発信能力の獲得が重要となる。

     

    2. 実務地理関係者への実態調査と地域調査士制度創設

    2009年度日本地理学会企画専門委員会(戸所隆委員長)は、地理学の素養を持つ人材の活躍機会を拡大強化するため地域調査士制度の創設を目指した。その基礎資料に実務地理関係者の活動状況と地理学的知識・手法の活用実態が必要となり、地理学関係学会に所属する実務地理関係者アンケート調査を(財)国土地理協会の研究助成で実施した。本発表ではその成果を基に、地理学履修者の実社会における活動実態と課題を考える。

     

    3. 地理学教室卒業生の進路と実務地理関係者への実態

    地理学教室卒業生の就業実態は1984年時点であるが、教職が36.0%、官公庁9.5%、民間企業27.9%、退職者・家事などその他が26.6%である(『立命館大学地理学教室50年史』消息把握可能な旧制大学以来の卒業生1880名対象)。1960年代までは卒業生のほとんどが、教職と官庁に就職していた。しかし、団塊の世代が卒業する1970年頃から交通・観光、出版・報道、金融、流通を中心に民間企業への就業が急増している。この動きは卒論のテーマにも現れ、1960年までは農業や資源を中心に第一次産業の研究が多かった。しかし、1971年以降は都市や商業・交通・観光が急増し、自然環境・災害研究の漸増も見られる。

    実務地理関係者アンケート回答者の職業は、専門的・技術的職業が55.0%と最も多く、管理的職業13.7%、事務的職業16.2%、サービス・販売職5.2%となる。年齢と職業の関係は、専門的・技術的職業、事務的職業は20・30代での割合が高く、管理的職業は年齢の上昇に伴い高くなる。

     

    4. 地理学的手法等の活用状況と社会的評価

    地理学を活かせる就職先を考えた実務地理関係者は86.4%である。面接時に70.5%が地理学的手法等をアピールしているが、人文地理より自然地理関係者に多い。

    地理学的手法等の活用状況は、「報告書を作成する能力」や「地図の読み取り、地図表現に関するスキル」で高く、「GISに関するスキル」や「測量に関するスキル」、「多変量解析など計量手法に関するスキル」、「人文・社会に関するフィールドワーク」などの活用度が低い。



    5.地理学徒の活躍が期待される産業分野・職業

    実務地理関係者の期待する産業分野は、コンサルタントと地方行政が共に80.5%で、教育・研究78.7%、地図・測量77.9%、観光旅行74.6%、中央行政61.4%も高い(複数回答)。他方、製造業と金融業はそれぞれ11.8%、11.4%と低い選択率である。

    職業分野では、地方経済に関する調査・分析79.2%、地域づくり78.1%、地域マーケティング67.7%、防災67.3%、教育65.8%、政策立案59.5%などが多く選択されている。 他方、税理士・会計士などの専門的職業8.2%、営業職19.0%などは低い選択率である。

     

    6. 地理学振興への課題と学会活動改革の方向性

    地理学振興課題で最も多い回答は「地理学者・地理学徒が地理学の有用性を企業や社会に対して明確に情報発信していない」69.0%である。他方で、「地理学は基礎学問で十分であり、社会との接点を模索することは不要」は2.2%にすぎない。また、「カリキュラムが実務地理関係者のニーズや社会の要請に合致していない」55.4%や社会の「地理=暗記」という誤解や理解不足や地理学界の社会貢献の低さが共に39%と問題視されている。

    実務地理関係者の活動環境向上への学会改革としては、地理的技能・スキルを証明する資格制度の創設54.3%やカリキュラムの標準化・共通化31.5%が多い。その後、前者は地域調査士制度、後者は地理学参照基準が制定された。また、実務地理関係者は学会との関係強化69.5%、一般社会向け情報発信52.8%、地理教育活性化へのロビー活動39.4%、他分野を凌駕する研究発信37.9%を要望している。 

     

  • 今野 明咲香
    セッションID: 314
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに 東北地方の亜高山帯では、一般にオオシラビソ(Abies mariesii)を主とする亜高山帯針葉樹林が成立すると言われている。しかし、秋田駒ヶ岳の亜高山帯にはササや灌木が生育し、亜高山帯針葉樹であるオオシラビソ林は小林分で存在する。この理由について花粉分析の研究から、秋田駒ヶ岳では約600年前以前はオオシラビソ林の花粉が全く検出されずそれ以降に増加することから、現在オオシラビソ林が分布拡大途上であることが原因と考えられている( 守田,1985)。一方で、秋田駒ヶ岳南部の笹森山に分布するオオシラビソ小林分は地すべり地内に分布しており、地すべり地形の形成によって成立した可能性がある。したがって、オオシラビソ林の成立条件や成立時期を考えるためには、花粉分析のみならず成立基盤となる地形についての理解も必要である。そこで本研究は、地形分類図と植生分類図を作成し、オオシラビソ林の立地条件を検討した上で、地すべり地形の形成時期を明らかにし、オオシラビソ林の成立過程について考察を行った。 2.研究方法 航空レーザ測量データより得られた1 mDEMからArcGISを用いて斜度図と段彩図を作成した。これらを重ね合わせた地形表現図(土志田, 2007)より地すべり地内の微地形を分類した。植生分類には、オルソ化空中写真を用いた。現地では、地すべり地形とオオシラビソ小林分を縦断する測線において、地形断面図の作成と植生および土壌水分調査を行った。土壌水分調査には、(株)中村理科工業のTDR土壌水分測定器を使用した。さらに地すべり地形の形成時期を明らかにするためにシンフォールサンプラーを用いてボーリング調査と試坑掘削を行い、断面の記載を行った。ボーリングコアから得られた土壌と木片試料については、株式会社加速器分析研究所に依頼し放射性炭素年代測定を行った(現在測定中)。 3.結果 地すべり地形は秋田駒ヶ岳、笹森山北部の標高1400 mに滑落崖の最高点をもつ。移動体は標高1240~1160 mに位置し亜高山帯(本調査地域では標高1100 m以上)に含まれる。地すべり地形は明瞭な滑落崖と移動体、さらに滑落崖からの岩屑によって形成される崖錐で構成される。移動体には複数のガリーと副次的な滑落崖、移動方向に直行した小崖地形が認められる。判読上では地すべり凹地は認められない。 オオシラビソ林は移動体の特に平滑な斜面部分に分布する。移動体に成立するオオシラビソ林は高標高域でササと混交し低標高域でブナと混交するが混交域は狭く、明瞭な植生変化が認められる。オオシラビソ林とブナ林の境界に地形的な変化は見られないが、オオシラビソ林とササは崖錐と移動体の間が植生境界となっている。 現地での植生調査では、オオシラビソ小林分の内部において胸高以下のオオシラビソの稚樹が多数見られたが、林分に隣接するササやブナ林では全く見られない。土壌の体積含水率は、ササやブナ林に比べてオオシラビソ小林分内の方が相対的に高い値を示す。 崖錐での土壌断面は、最下位に暗灰褐色の粘土をマトリクスにもつ凝灰質の角礫層、その直上に青黒色スコリア、黄褐色細粒火山灰、黒色砂質火山灰の特徴的なフォールユニットを持つAk-3テフラ(2.5-2.8 ka)が成層して累積する。Ak-3の上位にはローム質土層と砂質粘土層が載り、粘土層の間にTo-aが認められる。移動体で採取したSS1とSS2のボーリングコア試料でも崖錐で観察した土壌断面と同様の層序が認められ、現在この移動体は安定しているものと考えられる。一方、地すべり地形と近接する崩壊を受けていない斜面にはAk-3の下位にAk-6テフラ(7.1-7.2 ka)が厚く被覆していることから、この地すべり地形は約7000~3000年前の間に形成されたと考えられる。また、SS2コア試料の角礫層とAk-3テフラの間の腐植層に狭在していた木片は、樹皮の特徴からオオシラビソであると考えられる。 4.考察 以上の結果から考えられる秋田駒ヶ岳笹森山におけるオオシラビソ林の成立過程について以下に述べる。(1)地すべり発生以前はササや灌木を主とする植生が成立していたが、(2)約7000~3000年の間にすべりが発生したことによって水文条件が変化し、移動体上に湿性な環境が形成された。(3)その後湿性な環境にオオシラビソが侵入し、現在見られるような林分を形成した。このことから、地すべり地形の形成により従来のササや灌木を主とする植生ではなく、オオシラビソ林が成立するようになったと考えられる。
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