日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 318
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発表要旨
ベトナムにおけるコーヒー栽培地域の拡大と土地所有慣行の制度化
中部高原地域のDak Lak省を事例に
*金 木斗哲ツオン クァンホアン曺 永國
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抄録

ベトナムにおけるコーヒー栽培の歴史は19世紀のフランス統治期まで遡る。しかし、20世紀以降の続く戦争と社会主義革命を経ながらベトナムのコーヒーは一部内需用に栽培されるのみで、最近まで商品作物としての役割を果たしてこなかった。しかし、1986年のドイモイ政策により市場経済へ転換した以降、ベトナムのコーヒー栽培は急速に拡大し、現在世界第2位のコーヒー輸出国にまで成長している。ベトナムにおける主なコーヒー生産地域は、全体コーヒー栽培地の約7割を占める中部高原地域であり、その中でもコーヒー栽培に適した土壌気候条件を備えているダクラク(Dak Lak)省のコーヒー栽培面積は全体の約32%に至っている。ベトナム統一当時のタクラク省は国家の行政力がほとんど及ばない辺境で国家体制の周辺部であった。統一ベトナム政府はこの地域を国家体制に編入させるべく、低地の主流民族の大規模な計画移住(新経済区域政策)、国営農場や国営林業公社の設置、地方行政組織の整備など様々な試みを持続的に行ってきた。こうした一連の試みは結局国家の管理体制の外に置かれていたこの地域の土地資源を管理しようとする目的をもってなされたものと言っても過言ではない。タクラク省の統治機構と土地資源管理もコーヒー栽培地域の拡大と相まって変化してきたが、主に地域内統治機構の中心である省都バンメトートからの距離とコーヒー栽培への適合などの土地資源の価値といった地理的要素によって多様な様態で現れてきた。特に、この地域の原住民である少数民族が享受してきた土地に対する慣習的な権利をめぐる対立が大きな問題として現れた。そこで本研究では、ベトナム・タクラク省におけるコーヒー栽培地域の拡大に伴う、統治機構の周辺地域への拡大過程とコーヒー生産の物的基盤となる土地資源の国家機構への編入過程-土地所有慣行の制度化-を解明することを目的とする。ただし、土地所有慣行の制度化を国家機構による一方的な強制編入として捉えるのではなく、少数民族の日常的抵抗everyday resistance(Scott, 1985)による妥協の産物であり、その結果地域ごとの多様性が表れるものと考える。他方、ここで言う「土地所有慣行の制度化」とは、長い間コミュニティの中で構成員間の相互認知とコミュニティの規範によって保証されてきた慣習的な土地所有権が国家機構による法的措置で私的な資産として保証される過程として定義する。 1990年代半ばまでバンメトートと道路沿いの中心地域を除くタクラク省の統治機構は国営農場あるいは国営林業公社であって、これらは生産組織であると同時に統治機構として機能していた。ベトナム統一以降全国的に合作社を組織し、社会主義的な生産体制を確立しようとした時期でさえ、資源価値の高いタクラク地域では主に移住民キンゾクを労働力とする国営農場あるいは国営林業公社を通じて資源開発と辺境の統治を同時に達成しようとした。しかし、当時の労働力と国営農場等の財政では管轄地域の一部のみを開発でき、その周辺は依然として少数民族の慣習的な土地利用が続いていた。 ところが、ドイモイ政策以降ベトナム経済が急速に世界経済に包摂されるにつれて、タクラク地域はグローバルフードシステムに商品作物を供給する生産基地として再編されていった。1990年代半ばの国際コーヒー価格の高騰に相まって、タクラク地域には第2の移住ブームが引き起こったのである。低地の相対的に資金力のあるキン族がフロンティアでの機会を追って自発的に移住し始めたのである。彼らは’ブラック・ゴールド’と呼ばれたコーヒー栽培に参画し、土地を少数民族から’購入’したが、’購入’の代価は開墾に対する若干の補償に過ぎず、当事者間の口頭でなされるのが普通であった。 この時期は初期の国営農場や国営林業公社による統治から行政機関による統治へと移行していた時期で、慣習的な自治空間に残されていた少数民族を本格的に国家統治体制の中へ包摂させる時期でもあった。こうした過程でタクラク省政府は土地資源を巡る競争と摩擦を調整する必要を感じ、1990年代半ばから土地所有の制度化に着手することになった。しかし、当時は正確な地図と測量機器が不足していたため、当事者間の契約を事後で追認し土地台帳へ登記する程度であった。ところが、1975年以降の1次移住と1990年以降の第2次移住ブームによりタクラク地域の土地資源とりわけコーヒー栽培に適した土地のほとんどは少数民族からキン族所有へ移転され、土地所有関係と慣習的な土地利用から近代的な土地所有へと制度化された。不平等な土地の取引による移住民キン族への所有権移転が辺境まで拡大された統治機構により制度化され、土地資源は排他的な指摘財産として近代法により保証されるようになったのである。

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