抄録
Ⅰ.はじめに〈BR〉 断酒会とは,明治期に生じたセツルメント運動の流れを汲む日本禁酒同盟の活動を母体として,アメリカのAA(Alcoholics Anonymous)の手法を取り入れ,そこに「組織化」「実名」「会費制」という三つの要素を導入し, 日本的な組織として1963年に設立されたセルフヘルプ・グループである。セルフヘルプ・グループは医療からも福祉からも独立したヴォランタリーな組織であり,断酒会は,アルコール依存症である当事者同士の自助によって断酒を継続することを目的として活動している。断酒会の最も重要な活動は,例会に集い,自らの酒害体験を語ることである。〈BR〉 断酒会は治療のための組織であるが,他方で,「アルコール依存症」を構築する装置として機能していると考えられる。つまり,断酒会員は断酒会の活動を通して自身が「アルコール依存症」であることを内面化し,それを積極的に自身の主位的地位(ベッカー1993)とすることで,「アルコール依存症」となるのである。そして,断酒会活動を主軸とする生活こそが,支配的な社会規範のなかで生き抜くための戦略となっている。1990年代の文化論的転回以後,地理学においても,「障害」という概念が,社会的,空間的に構築されてきたものであることを解明し,健常者中心主義の社会に対して異議申し立てを行う,ディスアビリティ研究が蓄積されてきた。本発表の目的は,障害者が,いかにして自身固有の経験からアイデンティティや場所を再構築していくのか,というディスアビリティの地理学的研究を踏まえ,断酒会において,社会―空間の弁証法的関係を通じて,「アルコール依存症」が構築されるプロセスを明らかにすることである。はじめに,どこで,どのような理由から断酒会が形成されるのかを考察するために,断酒会の空間的展開過程を,活動の地域的差異や活性化の要因から明らかにする。次に,どのように,断酒会員が主体的に断酒会という「場所」を形成しているのかについて,明らかにする。〈BR〉Ⅱ.断酒会の空間的展開過程〈BR〉 断酒会発足の一次的な要因として,専門病院や保健センターからの働きかけが挙げられる。その理由は,まずは医療者から当事者に対し,当事者のみで断酒会を運営していく意義や手法を教示される必要があったためであると考えられる。現在も,ほとんどの会員が専門病院を経由して入会しており,断酒会の設立には専門病院の立地が大きく関係している。また,都市の大きさや人口規模に比例して会員数が多くなるわけではなく,断酒会の活動には地域的差異がある。例えば,近畿地方の人口は関東地方のおよそ半分であるが,断酒会の会員数は約1.3倍であり,地方別に見ると最も高い割合となっている。中でも,特に早い段階で設立されたのが大阪府の断酒会であり,現在でも,全国最多となる約900名の会員が所属し,盛んに活動が展開されている(図1)。豊山(2013)はその理由として,「大阪方式といわれる医療・行政・断酒会の連携体制」の強さを挙げている。断酒会活動の活性化の背後には,病院などの物的な立地,そして行政や医療の関与など,複数の重要な要因がある。また,人間関係といった,断酒会内部における,会員の個人的な要因から展開する場合もある。〈BR〉Ⅲ.断酒会という「場所」の形成〈BR〉 断酒会の活動を継続していこうとする会員は,断酒例会の時間までには終わる仕事に就く,職場の人間との付き合いを少なくし,会員との交流を深める,余暇時間も断酒会に関連した活動に充てるなど,断酒会を主軸とした生活を送るようになり,それに伴ってアルコール依存症であることを肯定的にアイデンティファイしていく。会員は断酒することを生活の第一義として,断酒会という集団を自己組織し,それによって,断酒会は会員にとって欠かせない「場所」となる。しかし,断酒会に抱く思いは各々の会員により様々である。本発表では,参与観察や聞き取りから,会員がどのように断酒会の活動を行っているか,そして,断酒会をどのような「場所」とみなし,形成しているのかについて,考察する。そこには,Young(1990:167)が提唱する「差異の政治」における,自身の特別な経験の肯定性を発見し,それを強化する目的を持つ独立した組織,という性格が認められる。〈BR〉文献〈BR〉豊山宗洋 2013.大阪方式による断酒会活動の社会運動論的分析.経済社会学年報35:218-220.〈BR〉ベッカー,H.S.著,村上直之訳1993.『アウトサイダーズ―ラベリング理論とは何か―』新泉社.〈BR〉Young,I.M.1990.Justice and the Politics of Difference.Princeton University Press.