日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の335件中1~50を表示しています
要旨
  • 中村 努
    セッションID: 513
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ.はじめに
    日本では,ベビーブーム世代が後期高齢者(75歳以上)に到達する2025年を念頭に置いて,療養病床の削減と在宅医療への移行を軸とした医療供給体制の改革が議論されている。その実現のため,住まい,医療,介護,予防,生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築により,慢性期,回復期の患者や要介護高齢者の療養の場を確保することが急務となっている。
    新上五島町に属する中通島は,医療再編が先行した離島である(中村,2014)。病床を有していた4つの医療施設が無床の診療所となり,入院機能をもつ医療施設は,中心集落(上五島地区)に立地する上五島病院に集約された。上記の医療再編は,島内遠隔地における在宅医療や介護サービスの供給体制に少なからぬ影響をもたらしていると考えられる。そこで本発表は,長崎県新上五島町を事例に,医療供給体制の再編が在宅医療や介護サービスの供給に与えた影響を検討する。

    Ⅱ.長崎県新上五島町における介護需給の実態
    長崎県新上五島町においては,高齢者人口はしばらく横ばいの後,減少していくことが推計されているが,高齢化率は35.8%(2014年度)と長崎県内で2番目に高く,長崎県(28.7%),全国平均(26.0%)を大きく上回っている(新上五島町,2015)。65歳以上人口の増加に伴って,高齢単身世帯の割合や認定者出現率は増加傾向にある。
    介護保険制度改正に伴って,高齢者が住み慣れた自宅,地域で生活し続けられる環境づくりを図るため,日常生活圏域の設定が義務付けられている。新上五島町では,合併前の旧五町を日常生活圏域に相当するとして,整備計画等が推進されている。
    新上五島町が実施した日常生活圏域ニーズ調査によると,日常生活における自立度について,有川地区が最も自立度が高く,次いで上五島,新魚目,奈良尾,若松の順となっている。社会参加については,奈良尾が最も低く,次いで若松,有川,新魚目,上五島の順となっている。また,家族構成や生活状況について,一人暮らしの割合は奈良尾で最も高く,日中一人になることがある人の割合は,若松で相対的に高い値(79.3%)を示す。要介護や介助の割合は,若松で最も高く,配偶者(夫・妻)が介護や介助をしている割合が他地区に比べて高い。現在の暮らしの状況が苦しいと回答した人の割合についても,若松(63.2%)が他地区を上回る。
    看取りについては,居宅サービスの利用者が増加しているが,軽度の要介護者は施設サービス利用が中心となっているという。しかしながら,新上五島町における介護サービスの待機者は2015年4月1日現在,218人となっている。介護従事者の不足に加えて,施設の新規立地の見込みもないことから,待機者のなかには,やむを得ず,短期入所生活介護サービスを更新しながら利用する場合が多いという。

    Ⅲ.医療再編による通院・介護サービス供給への影響
    病床削減によって,遠隔地に居住する人工透析患者の交通手段の確保が課題となっている。奈良尾地区では,人工透析が受けられる医療機関がなくなったため,週3日30分以上かけて上五島病院に通院する患者が生じた。そこで,2014年以降,新上五島町が道路運送法第78条に基づく市町村運営有償運送(福祉輸送)の登録を行った車両により,社会福祉協議会への委託のもと,奈良尾地区の人工透析患者に限定した送迎サービスが開始された。サービス実施日は日曜日以外であるが,すべての利用日時において利用者がいる状態であるという。
    加えて,医療再編後,訪問看護サービスの供給に変化がみられた。上五島病院では訪問看護ステーションに専属する6人の看護師が,50人の利用者に対して訪問看護を実施している。しかし,公的機関がステーションを運営するには,人件費が高いために事業単体では赤字になるという。一方,奈良尾地区に立地する奈良尾医療センターは,再編当初,訪問看護ステーションを設置し,訪問看護のみを行う看護師を配置していた。しかし,採算が取れないことから,訪問看護ステーションを廃止する代わりに,外来を担当する看護師が,外来診療後に訪問看護を行う,みなし訪問看護が実施されることになった。
    これに対して,上五島病院の元看護師が2011年,有川地区にNPOのヘルパーステーションを併設したホームホスピスを開設し,2015年5月以降,3人の看護師が13人の利用者に対して,訪問看護を実施している。このようにして,上五島や有川といった中心部では,介護サービスの充実が図られる一方,奈良尾や若松などの周辺部において,サービスの縮小がみられ,人材確保と事業採算性の点から,介護アクセスの格差が拡大する傾向にある。
  • 苅谷 愛彦, 佐藤 剛
    セッションID: P025
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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      飛騨山地最北部の朝日岳北面には,形成期不明の圏谷が存在する。圏谷底には小湖沼(朝日池)が分布する。本発表では,この圏谷を「朝日池圏谷」と仮称する。朝日池南岸には泥炭や河成礫から成る小リッジが存在する。先行研究は,これらの地層が完新世初頭のもので,顕著な変形を受けていることを報じた。そして,この変形は完新世の氷河前進で生じ,リッジはプッシュ・モレーンと解釈された。この知見は代表的な地形学の教科書でも引用されている。 筆者らの再検討によれば,地層の変形は完新世後半に岩盤の重力変形や地すべりで生じたと想定することも可能である。筆者らの成果の一部はすでに報じたが,本発表では新知見を加えて議論をさらに進める。 朝日岳周辺における地形発達は,氷河地形学,周氷河地形学及び地すべり地形学の観点から広く検討する必要がある。
  • 山下 潤
    セッションID: 1016
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    資源の有効利用や地球温暖化の影響軽減に関する社会的な関心の高まりにつれ,過去20年間で環境関連技術も大幅に増加している。このような環境関連技術の増加は環境産業の成長を促している。本研究では,これらの環境産業を対象として,その地域的な競争力を解明することを目的とした。OECDの特許統計データとSWOT分析を用いた結果,大都市圏に位置する地方自治体が環境産業に関して高い地域的な競争力を有することを明らかにした。
  • 野上 通男
    セッションID: 908
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    倭国は海を渡って、大陸の国々と外交を行ってきた.後漢・魏から5世紀の劉宋代までの遣使の史料記録から、それが行われた季節についての考察を扱う.

    月の記述がある場合、その年の月の月朔干支を後漢四分暦あるいは景初暦・元嘉暦で計算し、太陽暦の「中」の干支から、その月が太陽暦のいつに当たるか明らかにして、季節との対応を考察した.

    対象としたのは次の時代の遣使である     

    1)倭による後漢代の遣使:

    2)魏・倭王卑弥呼時代の遣使:

    3)倭および百済・高句麗の遣使:
  • -北海道十勝管内の事例から-
    鷹取 泰子, 佐々木 リディア
    セッションID: 507
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    ■研究の目的
    我々は農村を志向して移動する人々が、革新的で協働的な起業活動を実現している状況に着目し、その実態調査および検討を進めてきた。本報告は北海道十勝管内を事例に、移住してきた若者らによって構築された協働のシステムとその共有のネットワークの実情を把握しながら、彼らを支えるさまざまな仕組みを明らかにする。

    ■事例地域概観
    北海道十勝管内は畑作・畜産を中心とする農業が盛んであり、広大な十勝平野は日本の食料供給の重要拠点として機能してきた。明治時代以降始まった開拓により、内陸の平原は田畑へ変わっていったが、山脈には豊かな生態系が維持され、アウトドア活動の場を提供してきた。一方、マスツーリズムの対象となる観光施設は少ないが近年は大規模畑作農業地域という特徴をそのまま活用したガイドツアーが登場するなど、農家らと協働で実現させたツーリズム分野の発展が期待される地域でもある。

    ■若手移住者等による起業活動の状況
    <事例1:30代のA夫妻の場合> 主にネイチャーガイドの仕事で生計を立てているA夫妻は、十勝出身のA子さんの祖父母が入植した敷地でペンション経営も手がける起業家である。共に道内の大学で学び、学生時代の実習や余暇活動、外国のファームステイ体験、会社員生活等を経て、2010年に独立、現在に至る。当時は地域内で独立起業・活動するガイドは皆無で、その将来を不安に感じたというが、2010年夏以降、アウトドアの繁忙期(GW-11月上旬)は常に予約で埋まっている。こうした状況の成立要素としては(1)地域の自然環境、野外活動に関する豊富な知識・経験、(2)会社員時代に取得した様々な資格、(3)広報手段としてのウェブサイト充実化、(4)アウトドア愛好家時代に発信し始めたウェブの読者の顧客化等を指摘できる。公的助成制度の助けを借りた宿泊施設の開設・経営は、過去の予約状況等をみる限り、ガイド収入を補助する活動であると推測された。
    <事例2:50代のB氏の場合> 帯広市出身のB氏は2000年代後半に東京より帰郷し、近年はまちおこしやオーガニック志向の活動を多数仕掛けている。現在の主な活動の1つが中心市街地におけるシェアハウス兼ゲストハウスの運営で、木造家屋(土地付)を購入、リフォームの後、任意団体を組織しながら会員制にて運営している。その運営はB氏が手がけるWWOOF(ウーフ)の活動ともリンクさせている。WWOOFは有機農業に関わる労働力を提供する"ウーファー"と彼らの力を必要とするホストが協力・活動するNGOである。B氏は国内外から来るウーファーのための滞在拠点としてもシェアハウスを活用し、ウーファーは有機農業やカフェの担い手として働く。彼らは有機や環境保全といった価値観を共有しながら交流し、地元にフィードバックできるように試行錯誤している。

    ■移住者等の協働のシステムと共有のネットワーク
    十勝管内における移住者も短期的な滞在者も、ある共通した価値観を持つ人々と必要に応じて情報交換し、日常的に共有しながら、地域に根ざした活動を広げている。彼らがとくに共通して重要視する価値観はライフスタイルの充実である。かつて重要視された経済的な価値は相対的に低くなり、家族と過ごす人生、ライフスタイルの実現と充実の手段に過ぎなくなっている。彼らの活動は現代の様々な社会経済的システムにも支えられ、近年はSNSを通じた地域内外、時に国境を越えるネットワーク構築の意義とその可能性がもはや無視できないほど大きくなっている。日々の活動をSNSを通じて発信、世界中の仲間と瞬時に共有するネットワークづくりの意義は今後ますます重要になってくるだろう。

    ■ポスト生産主義の枠組みから見た状況と今後の展望
    日本とルーマニアで実施してきた複数回の調査の結果を通じ、両国を取り巻く社会経済的状況は相違しているものの、いくつかの点で共通する価値観・要素が見いだされることがわかってきた。ライフスタイルを重要視する生き方はポスト生産主義的な枠組みから生まれてきたと推測された。ルーマニアの状況と比較した場合、例えばグローバルな宿泊予約サイトへの登録数や外国語対応の点で日本は発展途上であり、若手移住者たちの活動の活発化と地域貢献の拡大に期待したいところである。

    ■謝辞: 本研究を進めるにあたり,JSPS科研費 26580144の一部を使用した。
  • 鷹取 泰子, 佐々木 リディア
    セッションID: 724
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究はルーマニア・トランシルバニア地方において近年農村地域でおこなわれてきた、移住起業家による革新的な取り組みと、彼らのルーラルツーリズムにおける多様化への寄与に焦点をあてたものである。今回は3つの事例を取り上げて論じる。
  • 谷 謙二
    セッションID: 522
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    日本の大都市圏の発展過程に関しては,すでに多くの研究がなされてきたが,戦前から戦後への継続性については十分に検討されていない。戦時期をはさむこの間には,軍需産業を中心として重化学工業化が進展したが,その立地についても大きな変化が起こったと考えられる。そこで本研究では,1930年から40年にかけての東京市を対象として,工業立地の変化,人口郊外化さらに通勤流動の変化の関係を明らかにする。区間通勤データとして1930年は「東京市昼間移動調査(昭和五年国勢調査)」を用い,1940年は「東京市昼間移動人口(昭和十五年市民調査)」を国勢調査で補って用いた。工業に関しては,「東京市統計年表」の区別工業統計を用いた。

    2.東京市の人口増加と工業立地
    東京市内での人口増加の推移をみると,1930年,35年,40年の人口は,それぞれ499万人,591万人,678万人と,10年間で189万人もの急激な増加を示した。旧市域は,1930年時点で既に大部分市街化していた。1930年には旧市域・新市域の人口はそれぞれ207万人,292万人だったが,1940年にはそれぞれ223万人,455万人と,新市域の人口が圧倒的に多くなった。1930年代には人口の郊外化が進展したことがわかる。次に工業の立地について1932年,36年,40年の工場従業者数の変化を検討したところ,この間の東京市の工場従業者数は,23万人,39万人,67万人と増加し,特に36年以降の増加が著しいのは日中戦争の進展により軍需産業が急拡大したためである。人口と同様,旧市域での増加は小さく,蒲田区など城南地域を中心とした新市域での増加が顕著である。
    3.通勤流動の変化
    従業地ベースでの就業者数の変化を検討すると,1930年時点では,旧市域での就業者が多かった。特に流入超過数が多い区は,現在の都心三区に含まれる麹町区,神田区,日本橋区,京橋区,芝区である。特にビジネス街の丸の内や官庁街の霞ヶ関を抱える麹町区は,11万5千人の就業者のうち区外からの流入者が9万3千人を占め,流入超過数は8万9千人を数える。一方新市域では流入超過を示す区は見られない。1940年になると,周辺部での就業者の増加が著しく(図6),中でも蒲田区の増加率は300%を超えている。その結果,就業者数をみると旧市域で133万人,新市域で143万人と,新市域と旧市域の就業者数が逆転し,人口に続いて雇用の郊外化が進展した。新市域においては,工場の増加した城東区,品川区,蒲田区で流入超過に転じた。1930年代は都心へ向かう通勤者も増加したが,それ以上に新市域での工場の立地が進んでそこへの通勤者も増加し,通勤流動は複雑化した。  これを男女別にみると,男性就業者が新市域で増加した工場に向かったのに対し,女性就業者は都心方向に向かっており,男女間で異なる傾向を示している(図1)。
    4.おわりに
    1920年代は,郊外住宅地の開発が工業の郊外化よりも早く進んだ時期だったが,1930年代で,特に日中戦争が始まって以降は,工業の立地の郊外化が住宅地の郊外化よりも進んだことが明らかとなった。そのため,通勤流動では都心に向かう通勤者だけでなく,郊外間の通勤者や郊外に向かう通勤者も増加して複雑化した。また,男性では新市域に向かう通勤者が顕著に増加したのに対し,女性は都心へ向かう通勤者が増加した点が特徴的である。

  • 菅 浩伸, 長谷川 均, 藤田 和彦, 長尾 正之, 中島 洋典, 堀 信行
    セッションID: 807
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    サンゴ礁地形は非サンゴ礁域の海岸地形より複雑であり,地形用語も多い。サンゴ礁地形の全体像を記載することは,サンゴ礁環境のより精密な理解を進める。しかし,堡礁の深い礁湖や礁斜面については,記載されることがほとんどなかった。本研究ではマルチビーム測深技術を用いて,琉球列島久米島東岸に広がる堡礁の精密海底地形図を作成するとともに,SCUBA潜水やVTR撮影による観察とあわせて,従来にない精度で礁地形の記載を行った。

     2.調査地域と方法
    琉球列島でみられる3カ所の堡礁の1つ,久米島東岸に発達する堡礁(東西12 km,南北3~5 km)中にはハテノハマなどの洲島列が成立する。本研究では洲島南部の礁湖~島棚(幅1.8km, 岸沖方向6.5km, 水深0.4~161.3m)と,北部の礁縁~島棚斜面(幅2.2 km,岸沖方向0.5~0.6 km,水深0.6~282.4 m)で測深を行い,1~2mグリッドの精密海底地形図を作成した。その後,作成した海底地形図を基に41地点で潜水調査を行うとともに,水深50m以深の13地点にてVTRによる観察を実施した。

    3.久米島東部の礁地形
    南部の堡礁は,測深域西側でパッチリーフ群による二重のリーフエッジが形成される。ここでは比高の高い縁脚と深く切れ込んだ縁溝が礁縁を構成する。これらの縁脚縁溝系は幅10~20 mのものが多くNNW-SSW方向に配列する。礁縁部には塊状の離礁の地形を呈するものも多いが,離礁下部を縁溝がリーフトンネルとして貫く。縁溝上部がサンゴの成長によって閉じ,隣接する縁脚が連結して塊状の離礁が形成されたことが分かる。台風後にサンゴ礫が移動した痕跡は最も外洋側の離礁群で顕著であった。
    一方,東側海域では頂部水深15~20 mの潜堤列状の縁脚縁溝系が礁縁を構成する。このため,礁湖への波浪の侵入が西側海域より大きく,礁湖内で以下の地形が特徴的にみられる。礁湖内の 水深20~25mに形成された縁脚縁溝系,環状砂礫州やすり鉢状凹地が背後に形成された離礁,巨礫サイズのサンゴ礫が移動した痕跡などである。
    礁斜面下部の縁脚は西側海域で発達が良いが,水深を増すにつれて幅と比高が小さいものが多くなる。水深50 m以深では規則的配列を示す縁脚縁溝はみられず,小規模なマウンド群が水深73 mを下限として分布する。水深50 m以深の地形には東西海域での違いは認められない。
    水深73 m以深は,およそ3 kmにわたって平坦な島棚が広がる。島棚には水深80 m,85~86 m,90~95 mの平坦面が認められ,それらは比高4~5 mの小崖で境される。また,島棚斜面上に頂部水深135 mの高まりが複数存在する。VTR観察の結果,これらの頂部に礁構造とみられる地形および岩石が認められた。
    北部の礁斜面は南部と対照的に急峻である。礁縁部の縁脚縁溝は,比高を減じながらfurrowed platformの形状を呈する水深5~10mの上位平坦面へつづく。平坦面端部は水深10 m~40 mの急崖で,その前面に水深60 mの段化地形が分布する。一部では水深95~110 mを端部とする小規模な段化地形も複数認められる。このうち,VTR撮影による観察を行った-95 m 面端部には縁脚を伴う地形がみられた。
     
    4.本研究の海底地形学に対する貢献
    久米島東岸の堡礁測深域のうち,水深の深い礁縁をもつ東側海域では,礁縁が閉じた西側海域とくらべて,礁湖内の地形や堆積物に大きな違いがある。これは礁嶺が未発達であった完新世中期の状態(完新世高エネルギーウィンドウ)で形成された地形や堆積物についての理解につながる。また,島棚~島棚斜面で発見された地形群は,将来,最終氷期における琉球列島の海水準・古環境を復元する重要な場となることが期待できる。
  • 宇都宮 陽二朗, 三村 敏征, ヴォーシュレーガー ハイデ
    セッションID: 609
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに  本稿は報告者の一人が舶来地球儀を調査中に福山誠之館同窓会蔵の地球儀類を知り、同会事務局長の三村敏征氏に写真や情報を頂き、吟味した処、製作者に疑義が生じた。コロネリ学会に画像と2,3の吟味資料を送った。同学会事務局のWohlschläger女史よりの情報/意見をもとに再吟味した結果を報告する。 2.福山誠之館同窓会蔵の地球儀類 本地球儀を含む書籍や測量器機、科学教材は阿部家より寄付されたとされる。阿部正弘が嘉永6(1853)年)に発案し、翌年にかけて江戸と福山に藩校「誠之館」が開かれたが、学制発布(明治5(1872)年)で廃校となり、小田県師範などを経て、現県立福山誠之館高校となった。その誼で同家旧蔵品等が寄付されたという。 3.MAX KOHLの地球儀 3.1地球儀の直径及びコ゛ア: 地球儀のスケールはcm単位で42Wx42Dx71H。球の直径は30.9cmで、英文表記のFloor stand型の地球儀である。ほぼ80°以北のpolar capには海岸線などはなく、20°毎の子午線のみが描かれ、82,3°より高緯度では、真鍮(?) の保護+地軸で隠される。赤道に接合が無く、南北緯度80°、東西で経度30°毎に貼られたコ゛アは12枚からなる。地平環及び支柱と3脚は木製で、前者の上面の真鍮(?) 板の表面に英表記の季節、月と羅・英併記の12星座の各名称がある。 3.2 経緯線について: 球面のコ゛アには10°間隔の経緯線及び赤道と同様の梯記号による黄道が描かれている。10°毎の子午線の一つはニューカッスルから、London西方を通過し、現緯度より2,3°西にあり、黄道最北点はAzores諸島及びCape Verde西方を通過する子午線(現在の西経32,3°付近)と交会とする。一方、赤道との交会点はオマーンのHadd岬の西及び、サンフランシスコ付近を、各々通過する子午線と一致する。従って、原初子午線は、Cape Verde西方を通過する子午線と推定される。 3.3 海陸分布: 北半球ではN80°の高緯度まで、海岸線と国名など、地理情報が描かれている。 3.4 山脈の表示: Raiszの言を借りれば、小縮尺図の世界図の毛羽表示による山脈は、毛むくじゃらの毛虫をなす。 3.5 水系 黄河の分流: 黄河(Hoang-ho or Yellow R).は、本地球儀では、開封東方の黄海と渤海に注ぐ2分流に命名されているが、18世紀後半~19世紀にかけては、開封付近から山東半島の南麓をかすめ黄海に注ぐ黄河を認める。 3.6 国境線と国名: 国境線は、印刷された破線、それに重合する着色線及び着色線のみの3種類からなる。石版印刷による改訂容易さはあるが、これには、コ゛ア印刷時とその直後、着色線には年数を経た後日の改描もあろう。 中南米は現在の名称とほぼ同じであるが、ハ゛ルカン半島、アフリカ、東亜は著しく異なり、Balkansでは、オスマン帝国が広域を占める。 3.7 製作年代: 球面上のコ゛アで、製作年代を示す地名や国境線は、各々1) 東欧ハ゛ルカン半島、2)アフリカ, 1891-1908, 3)日本周辺、日ソ国境,1905, 山東半島の都邑港湾名の独製地球儀への表記年代, 1898以降,4)後年のユーザによる1935年等の加筆を除くと、中・南米では1904の国境などの各地域の情報から、1898-1908年の間に、この地球儀は、製作されたらしい。 3.8花枠飾り(cartouch): 花枠飾りには「TERRESTRIAL GLOBE/ Carefully compiled from the best Authorities/ Berlin/  MAX KOHL A.G. CHEMNITZ」とあり、下線部が別書体で、黒色に塗りつぶした枠内の白抜き文字(逆版印刷)であること、図案上の統一性のないこと、この科学器機販売会社がCHEMNITZ以外の製造地(?) のBerlinを記すなど疑問が多い。従って花枠飾り上半分のフォントと異なる逆版印刷の「MAX KOHL A.G. KEMNITZ」は印刷済の会社名の消去後の上重ね印刷/押印を示唆する。 Max KohlはM&Aで地球儀製造会社を取得したのか、Berlinで地球儀製造を開始したのか、元の製作社名を同社名に誰が何処で何故に替えたか?独国内か日本か,邦人にその才覚があったのかの疑問が残る。 3.9 誤植について: 三村氏指摘の“SOUHT” は独語の綴りで”ht“に慣れた独人の誤植で、英語圏では販売数は限られ、同社の本格的な地球儀の取扱い部門は短命であったと推定される。 4. まとめ この福山誠之館同窓会蔵の[Max Kohl]の地球儀は誠之館廃校後の1898-1908年の製作であり、師範学校、中学等の学校教材として購入されたと考えざるを得ない。 また、花枠飾りからこの地球儀は他社の製造した地球儀に“MAX KOHL”社名を上書きした事は明らかであるが、誰がどこで何時、何故に改竄したかは不明である。これは黒枠内の黒染料の化学分析で解明できよう。 なお、オリシ゛ナルの地球儀製作社の名称等については、Ms. Wohlschlägerが調査中で近い将来、明らかにされよう。
  • 関 晃伸, 安納 住子
    セッションID: 604
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    研究背景及び目的
    高校の授業においてGISを使う有効な点は,社会的ニーズの高い空間情報を扱う技術を早い段階から養う事ができ,生徒自身の空間的な認識及び地理的なものの見方を育むのに効果的である.しかし,高校におけるGISを活用した授業は地理学・情報学・測量学の授業に限られており,大学及び大学院のカリキュラムと比較してもGISを利用する頻度は少なく,また,高校の地理歴史科教育においては,世界史が必修であり,地理を履修せずに卒業する生徒が多い.そのため,土木技術者に必要な空間把握能力や地理的技能が低下する恐れがあり,それを防ぐためにも高校で実施する意義がある.
    高校におけるGIS教育に関する既往研究は,国土交通省国土政策局がGISを活用した授業を紹介している.しかし,新学習指導要領の狙いを達成するために,開発教育及び参加型学習をGIS教育に取り入れている研究は少ない.また,生徒の性格や学習上のつまずきに着目したGIS教育の研究はあまりない.
    そこで本研究では,既存のGIS教育に情報端末を活用したクラウドGISに加えて開発教育及び参加型学習を取り入れたワークショップを実施し,開発・参加型GIS教育における性格別による学習上のつまずきの特徴を明らかにした.

    研究方法
    学習者の性格調査及び分類
    東大式エゴグラム(TEGⅡ)を用いて,エゴグラムの最高値・最低値より性格を10パターンに分類した.分類パターンは,良心的な性格(CP-HI),いい加減な性格(CP-Low),世話好きな性格(NP-HI),淡白な性格(NP-Low),合理的な性格(A-HI),素朴な性格(A-Low)活発的な性格(FC-HI),おとなしい性格(FC-Low),素直な性格(AC-HI),わがままな性格(AC-Low)とした.

    解析方法
    授業の理解度に関するアンケートの集計結果を用いて,生徒の学習上のつまずきの抽出を行うため,因子分析とテキストマイニングを行った.また,Kit-Build概念マップより得られた学習者マップとこちらで事前に作成したゴールマップ(教授者マップ)を比較し,生徒の学習上のつまずきの抽出を試みた.

    研究結果
    因子分析の結果より,素直な性格(AC-HI)は,クラウドGISの操作につまずいている事が明らかとなり,また,アイスブレイクやイメージマップといった開発教育及び参加型学習の学習方法にはつまずいていないことが明らかとなった.素朴な性格(A-Low)は,調査時における問題点のピックアップにつまずいている事が明らかとなり,また,イメージマップといった開発教育の学習方法にはつまずいていないことが明らかとなった.
    テキストマイニングの結果より,活発的な性格(FC-HI)は,開発教育及び参加型学習に出てくる言葉及びクラウドGISの理解につまずいている事が明らかとなった.またいい加減な性格(CP-Low)は,大衆の前での発表につまずいている事が明らかとなった.
    Kit-Build概念マップの結果より,つまずきが抽出された箇所をゴールマップに図解化した.その結果,最もつまずいた箇所は,「イメージマップ」と「ブレインストーミング」の間で,次に多かった場所は,「アイスブレイク」と「イメージマップ」の結び付きが明らかとなり,導入部の始めであるアイスブレイクから展開部であるブレインストーミングにかけてつまずいている事が明らかとなった.

     考察
    t検定の結果より,生徒のGISの印象がワークショップ前後で好転したが,被験者数が少ない分類では解析を実施する事ができなかった.また,学習上のつまずきの特徴に関しても明らかにできていない性格があった事から,さらに被験者数を増やして検定及び解析する事が今後の課題である.
    東大式エゴグラム(TEGⅡ)のエゴグラムの高低より性格別に学習上のつまずきを明らかにしたが,学習者の学力や空間的イメージの捉え方から分類を行い,様々な角度から学習上のつまずきの特徴を明らかにしていく事も必要である.
    テキストマイニングの共起ネットワーク分析を実施する際,今回は共起関係の絞り込みを行う際のJac-card係数を0.2と設定し解析を行った.その結果,学習のつまずきとは関係ない言葉も多く出現してしまったため,今後解析を行う際は,Jac-card係数を0.3~0.5と調整する事で学習上のつまずきとより結び付きの強い言葉を明らかにできると考えられる.
    Kit-Build概念マップでは,学習上のつまずきの発生時点について明らかにしたが,Kit-Build概念マップを実施する際に作業に遅れが出てしまったため,もう少し簡易に実施できるように改良する事が今後の課題である.
  • 健康地理学的視点からのパーソナルスケールでの「震災記録」
    岩船 昌起, 瀬戸 真之, 田村 俊和
    セッションID: S0503
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    【はじめに】本稿では,高台への津波からの「立ち退き避難」に係る実歩走行実験と,被災者からの実際の避難行動の聞き取り調査を報告し,避難路の移動環境と避難者の体力との関係等を総合的に考察する。
    【避難行動にかかわる実走行実験】山田町各地区での「避難のしやすさ」を検証するために,海や川に近い「逃げ難い場所」を避難開始地点,実際に避難した場所等を避難完了地点として歩走行での移動実験を2015年12月30・31日に実施した。被験者は,年齢48歳,身長170㎝,体重66㎏の健常な男性である。ランニング中心の中高強度トレーニングを週5日以上1日約1.5時間実施しており,自転車エルゴメーターでの運動負荷検査で心拍数から推定した最大酸素摂取量が60ml/kg/min程度である。「健常な高齢者の体力」を再現するために,スポーツ心拍計(Polar S710i)で心拍数を1分間約100拍に抑えて歩走行し,「避難場所等」と「浸水域の境界の高さ(浸水高)」までの所要時間等を計測した。
      その結果,⑯小谷鳥「ミッサギ」を除いて他の16区間全てで10分より短い時間で「浸水高」に達し,かつ「避難場所等」に到着可能なことが確認できた(表)。2011年3月11日には14:46の地震発生から約30分後の15:15以降で山田町各地区に津波の押し波が到達した事実にも基づくと,発災時に海沿いの「避難し難い場所」に居ても,地震が収まってから直ちに出発して適切な避難場所等に向かえば,「歩ける」高齢者を主体として考えれば,時間的体力的に余裕を持って「津波浸水域」外に脱出できる「避難環境」であることが分かった。
    【避難行動の聞き取り調査】発災当日の避難行動について,2014年10月~2015年11月に地区ごと数名に1人当たり1~2時間の聞き取り調査を行い,山田町全体で39事例54人(40~80歳代)の結果を得た。行動空間については「住宅地図レベル」で訪問場所や移動経路を逐一確認して,その場での時刻に係る情報をできる限り収集した。
    1つの事例の「一部」を紹介する。
     …(前略)…一方,妻IKさん(当時73歳)は,FI宅前(地点⑤)で地震を感じた。自宅(①)を自転車で出てしばらく走行した直後であり,地震の揺れで転んだのか,自転車を降りたか分からないが,「ひっくり返った」状態で我に返ったという。そこから立ち上がり,自転車を引いて約220mの道のりを経て自宅に戻った。その間「ずっと揺れていた」という。自宅(①)に戻ると,休日に車で出かける直前だった娘IM(当時46歳)が居た。そして「津波が来っから逃げびす!」と言われ,「1週間前に起ぎた地震で準備していだリュックサック」と毛布を車に積んで,「家に戻ってから5分くらい」で出て,「大沢林道」の駐車場(⑥)に車でたどり着いた。…(後略)…
    年齢や性別等から話者の体力を推定し,このような聞き取り結果で分かった避難経路の道のりや傾斜も考慮して歩走行速度等を区間ごとに算出し,経過時間ごとの「滞在・移動」場所を検証した。また,避難行動は,本稿執筆時点で取りまとめ中であるが, A「浸水の恐れがある自宅等からできる限り早く立ち退く」,B「自宅等に長く残り,浸水の直前に避難行動に移る」,C「『津波がここまで来ない』と考えて自宅等に残る」,D「『津波で浸水する恐れがない場所』で地震に遭っても『浸水する恐れがある場所』にわざわざ降りる」,E「『津波で浸水する恐れがない場所』で地震に遭ってそのまま安全な場所に滞在または移動する」等に類型化できる。特に浸水域に残る/向かう理由として,「人間的な事情」に起因して (1)高齢者や乳幼児等の肉親の安否確認・救出,(2)貴重品等の確保,(3)店や自宅の戸締り,(4)船の沖出し,(5)海を見に行く等が挙げられる。
    【総合考察の一例】表の⑫船越「家族旅行村」は,「健常な高齢者」が避難する際には,「浸水高/秒」0.090で,時間的に効率よく「高さ」を得られる避難路であるが,道のり約500m高低差約40mの傾斜路(平均傾斜約4.57°)で,車イス移動では屋外基準1/15(傾斜約3.81°)を超える「移動できない道」と判断できる。この避難路の途中には,震災当日に約9mの津波で利用者74人と職員14人が死者・行方不明となった介護老人保健施設SKがあった。震災以前の想定ではSKは「予想される津波浸水域のギリギリ範囲外」にあり,有事にはスロープを通過して標高約7mの避難場所に移動する避難マニュアルが準備されていた。
    シンポジウムでは,このような避難路の移動環境と避難者の体力との関係や「人間的な事情」も加えて避難行動を総合的に考察したい。
  • バングラデシュ沿岸地域を事例として
    坂本 壮, パルビン グルサン アラ, ショウ ラジブ
    セッションID: P054
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    バングラデシュは国土のほとんどが標高10m以下のデルタ地帯である.ベンガル湾に面していることから,過去多くのサイクロン災害に見舞われてきた.1970年のサイクロンでは300,000名を超える死者を記録している.このサイクロンを契機にバングラデシュでは,避難所となるサイクロンシェルターの建設や適切にサイクロン警報を伝達するCyclone Preparedness Program(CPP)といった対策を施している.  これらの防災対策の実施により死者の数は減少傾向にある.しかしながら,近年大きな被害を出した2009年のサイクロン Ailaでは,カテゴリー1の比較的小さなサイクロンであったにも関わらず,上陸が満潮時と重なったこともあり,高潮の高さは最大6mを超え,190名の死者を出した.

    2.研究概要
    本研究では,サイクロンAila時の住民の避難行動を明らかにし,適切な避難行動を促すサイクロン警報システムに関する議論を行う.2015年9月にバングラデシュ南西部のシャッキラ県ガブラユニオンにて,サイクロンAila時の避難行動とサイクロン警報の取得に関するアンケート調査を行った.回答数は200(男性149名,女性51名)である.

    3.結果と考察
    2009年サイクロンAila襲来時,上陸の26時間前には避難指示がテレビやラジオ,CPPなどを通じて沿岸地域住民に対し発令された.しかしながら,アンケート結果によると,住民の避難指示の取得率は45%にとどまっており,適切な避難指示が十分になされたとは言い難い.避難指示の取得時期に関しては,女性の取得時期に遅れがみられ,90%以上の女性が大雨・浸水がすでに始まっている時点での取得であったことが分かった.  避難行動に関するアンケート結果から,避難準備にはおおよそ1-3時間,自宅からサイクロンシェルターへの避難には近くに住む人でおよそ1時間,遠くに住む人では1-3時間程度の時間がかかることが分かった.すなわち,避難準備から避難完了までには多くて6時間程度要することが明らかとなった.  図1は住民の避難指示の情報源に対する信頼度である.モスクやマスメディアの信頼度が高いのに対して,CPPボランティアに対する信頼度があまり高くないことが判明した.以上より,平常時におけるモスクを拠点とした防災対策の実施,信頼度の上昇を目的としたCPPの積極的な防災対策の参加が住民の適切な避難行動を促進する効果的な方策であると考えられた.
  • 青野 靖之, 下江 隼人
    セッションID: 907
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    温度変換日数法による満開日モデルを構築し,咲き始めと満開の生態応答評価を試みた。

    研究対象期間は1961~2005年の45年間とし,2009年まで気象庁によるサクラの開花予想にも使用されていた温度変換日数法を用いて解析した。気温に対する生育応答が開花日の場合と同じかを検討する予備解析を行ったところ,満開日計算で適切な温度特性値(温度に対する生育応答の変化を代表する変数)は開花日に関する値(70 kJ mol-1)と同じと決定した。

    続いて,全国55地点のデータを用いた本解析を行った。まず,最小の誤差を与えた起算日D1を用いたモデルIにおいて,各地の満開までに要した積算値をまとめ,これに基づき全国一律の値を決めた。その結果(26.4日分)は,開花日に関する同様の値(23.8日分)より大きかった。

    満開までの一律の積算値に対応する起算日(D2)は,開花日の場合の起算日より晩かった。これらを用いた満開日の推定モデルIIによる推定誤差は,ほぼ全地点でRMSEが1~3日と比較的小さく,またモデルIと比較しても推定精度の低下はほとんど見られなかった。

    解析結果を概観すると,満開日に咲く花芽の生育は,最初に咲く花芽より休眠覚醒が少し晩く,その影響で満開までに必要な積算値がより多くなったと考えられる。咲き始めと満開を起こす花芽は別なので,開花初日からの延長で満開を捉えるのでなく,独立した方法によって各々を計算する方が,推定精度も良くなり,生態反応の流れの実情により沿ったものになることがわかった。
  • 朝日 克彦, 白岩 孝行, 渡辺 悌二, 梶山 貴弘
    セッションID: 816
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに ヒマラヤでは地球温暖化の指標として,氷河変動の研究が盛んに行われている.一方,氷河とともに雪氷圏の両輪をなす永久凍土の研究はきわめて乏しい.また,ヒマラヤ高所では気象観測点が僅少で,なおかつ欠測も多いため,実際に気温上昇が生じているか不明な点も多い.そこで,永久凍土によって形成されている岩石氷河について,その表面流動を計測するとともに,流動量の変化から気温変化を推定する.   2.ヌプツェ岩石氷河と計測方法 研究対象のヌプツェ岩石氷河は,エベレスト南隣のポカルデ山塊に位置する(27°56’30”N, 86°51’10”E).岩石氷河の末端は約5240m,面積は0.31km2である.前縁斜面の比高は約50mある.小氷期のモレーンを溢流して氷舌部が形成されていることから,小氷期以降に発達したと考えられる. 流動を計測するため,前縁斜面直上に7つの測点からなる測線A,中流部に6つの測点からなる測線Bを設定した.岩石氷河表面の巨礫中にアンカーボルトを埋め込み,これを測点としている.それぞれの測線を計測するため,測量基点を2ヶ所設置している(図1).測量基点からそれぞれの測点座標を計測し,測量期間における差分をもってその地点の流動とする.測量はセオドライトと光波測距儀またはトータルステーション(1秒読み)を利用し,1989年,1997年,2000年,2004年,2015年に行った.4期,26年の流動を求めることができた.   3.結果 アンカーボルトを埋設した測点の巨礫にはケルンを積んでおいた.いずれの測点,計測期間においてもケルンは崩壊することなく残置していたことから,測点の転石はなく,流動は純粋に永久凍土クリープによるものといえる. 前縁斜面直上の測線Aにおいて,7測点の平均は1989-’97年では0.48ma-1の流動であった.以降1997-’00年では0.78 ma-1,2000-’04年では0.74 ma-1,2004-’15年では0.82 ma-1であった.同様に中流部の測線Bにおいて,6測点の平均は1989-‘97年では0.30ma-1の流動であった.以降1997-‘00年では0.71 ma-1,2000-’04年では0.49 ma-1,2004-’15年では0.60 ma-1であった(図2).1989-1997年と2004-2015年を比較すると,測線A,Bそれぞれ71%,100%流動速度が速くなっている. 垂直方向の変位は,各測点が各期間で傾斜した表面を前進していることから,流動による表面位低下の効果を差し引くと,13ヶ所すべての測点で表面位の変化はほとんどないことがわかった.このことから,岩石氷河の表面レベルに変化がないにも関わらず,表面流動速度は加速している.   4.考察 岩石氷河の流動速度は,地温,傾斜,変形層の厚さ,凍土の密度,含水率などで決まる.これらを踏まえ,岩石氷河の表面流動速度と年平均気温に高い相関があることが指摘されている(Kääb et al., 2007).ヌプツェ岩石氷河の近傍,西方2kmの地点の気象観測では,2002-‘08年の年平均気温は-2.4ªCであった.岩石氷河流動速度の急速な加速は平均気温の上昇を示唆する.
  • ―曲がり松商店街と大貫商店街を事例に―
    石坂 愛
    セッションID: 613
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1980年代~1990年代の商業空間の変容により,地方都市における中心市街地のシャッター通り化は我が国の深刻な問題となった.この傾向は地方都市においてまちおこしという意識を喚起させ,日本の観光形態にも影響を与えた.各々の地域における観光協会や自治体は商品価値を生む地域資源の探索に尽力し,その中で注目されるのがテレビアニメ(以下,アニメ)作品の舞台や映画のロケ地を新たな資源とし,アニメファン(以下,ファン)による「聖地巡礼」を促す動きである(山村,2009).聖地巡礼とは,アニメ作品のロケ地,またはその作品や作者に関連する場所,かつファンによってその価値が認められている場所を「聖地」とし,そのような場所を訪ねることと山村(2008)は定義する.聖地巡礼に関する研究の多くは商工会や自治体によって展開されるイベントに着目し,その開催経緯や参加するファンの目的という点に言及している.しかし,まちおこしの背景にある課題に中心市街地の衰退があると考えれば,アニメを題材としたイベント等の展開やアニメファンによる聖地巡礼が,中心市街地において商業を営む地域住民に対していかに影響をもたらすかを考察する必要がある.本研究は,茨城県大洗町を作品の舞台とするテレビアニメ「ガールズ&パンツァー」(以下,ガルパン)が,大洗町の中心市街地に立地する小売店にもたらす社会・経済的変化を明らかにすることを目的とし,中心市街地の小売店経営者における地域住民やファンとの人間関係およびガルパンへの意識の変化と,ファン来店後の売り上げの変化を震災以前とアニメ放送以降に区分して分析した.その際,店舗の業種や立地特性を考慮するために2つの商店街における小売店について検討した.アニメ劇中に多くの店舗が登場した曲がり松商店街は,早期から聖地巡礼目的のファンの通行する様子がみられた.対する大貫商店街は劇中での登場も乏しく,店舗は分散して立地している.
    調査の結果,飲食店および酒類,海産物,軽食を販売する食料品店はほぼ全店来店者数および売り上げが増加している.また,買回り品販売店や理美容室等のサービス業においても一部増加がみられた.各小売店はリピーターを獲得し,アニメ放送終了2年後も震災以前の2割以上の来店者数を維持している.なお,店舗におけるファン誘致の成功と来店者数・売り上げ増加率において,小売店の業種や店舗の立地はほとんど関係なく,ファン誘致を成功させた小売店は共通して「ガルパンらしさ」の創出などにより,ファンを受け入れる姿勢を見せている.「ガルパンらしさ」は,各小売店が所有する店舗においてガルパンに関連するイラストやフィギュアなどの装飾品を展示することで,店内および店頭におけるガルパンの景観的要素を強化している様子を意味する.ファンは商店会主催のクイズラリーや店舗に展示されるガルパンに関連グッズの見学など,消費行動以外を目的として来店した店舗においても消費行動をとる傾向にあるため,来店者数増加を経験した小売店は売り上げも増加している.
    経営者のアニメやファンに対する理解は,店舗における来店者数の増加や「ガルパンらしさ」の有無に関わらず好転する傾向にある.一方で,「ガルパンらしさ」の創出やファン誘致に積極的な経営者はガルパンを通じて地域住民との交流が活発になっているのに対し,コマーシャルツールとしてのガルパンに一線を画す経営者に関しては地域住民間の交流が活発になったケースが少ない.後者にあたる経営者は地域住民という立場でガルパンを受け入れているものの,既存の客層や販売商品を考慮して,店舗においてファンの誘致を控えている傾向が強い.まちおこしという課題を振り返るならば,このような小売店の経営者の意向を汲み取り,地域コミュニティの紐帯を強めていく必要がある.
    山村高淑(2008):アニメ聖地の成立とその展開に関する研究―アニメ作品「らき☆すた」による埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察―.北海道大学国際広報メディアジャーナル7,145-164.
    山村高淑(2009):観光情報革命が変える日本のまちづくり インターネット時代の若者の旅文化と新たなコミュニティの可能性.季刊まちづくり22,46-51.
  • 福井 幸太郎, 飯田 肇, カクネ里雪渓学術調査団
    セッションID: 818
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    日本では、立山剱岳に氷河が現存していることが学術的に認められている(福井・飯田 2012)。カクネ里雪渓では、秋になると氷河の特徴を備えた氷体が表面に出てくることが昭和30年代に明らかにされていた(五百沢 1979)。しかし、その後約60年間観測が行われていなかった。
    2011年6月にアイスレーダー観測を行ったところカクネ里雪渓の氷体は厚さ40 m以上、長さ700 mと立山剱岳の氷河に匹敵する規模であることが分かった。氷河か否か明らかにするために2015年秋に測量用GPSを使用して氷体の流動観測を行ったのでその結果について報告する。
    調査方法
     ①ポールの移動量の観測(全5地点):9月24日にアイスドリルで表層部の積雪を貫通し氷体に達するまで穴を開け、長さ4.6 mのポールを挿入してその位置を高精度GPSで測量した。10月18日にポールの位置を再度GPSで測量し、ポールの動いた量から氷体の流動を観測した。水平方向の誤差は約1 cmである。
    ②クレバス断面での氷体の観測:9月24日と10月19日に雪渓上流部の深さ6 mのクレバスに潜り、数カ所から氷をサンプリングし、現地にて密度観測や薄片の作成・観察を行った。
    結果
     ①ポールの移動量観測の結果、雪渓の中流部では24日間で15~17 cm、上流部と下流部では12~13 cmと誤差以上の有意な流動が観測された(図1)。流動方向は、東北東で雪渓の最大傾斜方向と一致した。
    ②クレバス断面での氷体観測の結果、雪渓表面~深さ1 mでは、密度が700-780 kg/m3で積雪中の気泡がつながっているためフィルンであった(図2)。深さ16 mでは、密度が820 kg/m3を超え気泡が独立していて氷河氷であった。
    考察
    今回の流動観測では、24日間で最大17 cmに達する比較的大きな流動が観測された。観測を行った秋の時期は、融雪末期にあたり、雪氷体が最もうすく、流動速度が1年でもっとも遅い時期にあたる。このため、カクネ里雪渓は、1年を通じて連続して流動する「氷河」である可能性が非常に高いと言える。 年間の流動速度は、2.5 m前後と推定され、剱岳の三ノ窓・小窓氷河(3~4 m/年)よりは小さいものの立山の御前沢(ごぜんざわ)氷河(0.2~0.5 m/年)よりは大きかった。
  • 黒木 貴一, 宗 建郎, 出口 将夫
    セッションID: P016
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    2011年新燃岳の噴火では,景観を激変させた降下テフラ,火山礫などによる直接被害に加え,景観が定常状態へ回帰する斜面崩壊,土石流など土砂の二次移動による被害が注目された。ところで噴火停止後の二次移動の終息判断では,空中写真による判読や現地測量から地形変化の過程,範囲,程度等を評価する。そこで新燃岳噴火の2011年以降,既に高千穂峰山麓の開析谷を中心に,土砂移動が掃流によることを観察し,簡易レーザー距離計により地形変化を多頻度で計測し,二次移動は次第に終息に近づいてきたことを示した。また安定した降下テフラの土壌化に関する層相変化も継続観察している。本研究では,山麓の対極となる高千穂峰(1574m)山頂部を対象に,現地観察と画像データ解析による地形変化情報を分析した結果を報告する。
  • カザフ騎馬鷹狩文化のイヌワシ捕獲術と産地返還の現状評価
    相馬 拓也
    セッションID: 915
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.  はじめに
    モンゴル国西部アルタイ地域で受け継がれる騎馬鷹狩文化では、メスのイヌワシ (Aquila chrysaetos daphanea)のみが鷹狩用に馴致される。鷹匠(以下、鷲使い)たちは巣から幼鳥ヒナワシを捕獲するか、成鳥を罠や網で捕獲し、狩猟伴侶のイヌワシを訓育する。しかし近年、イヌワシ交換や取引が、ワシを求める鷹匠や地域の遊牧民にとっての「現金収入」「生活資金源」となりつつある。また、イヌワシ馴化や飼養に未熟な鷲使いやデモンストレーターたちが増え、イヌワシの病死事故も増加傾向にある。本発表では、野生動物保護と、騎馬鷹狩文化の存続を表裏一体の現象ととらえ、(R1) 鷲使いたちによるイヌワシの捕獲頻度、飼養期間、離別の実数とその理由、(R2) イヌワシの入手経路と地域間取引・交換、の知見をあきらかとした。また予備的に地域の鷹匠たちによる伝統的なイヌワシ捕獲術と、65地点の鷹取場のローカルな名称を記録した。 本調査では、2014年9月20日~10月5日までの期間、バヤン・ウルギー県各地に在住の42名の鷹匠から構成的インタビューにより集中して情報を収集した。  

    2.  結果と考察
    R1. イヌワシの入手/離別履歴とその理由: 鷲使いによるイヌワシ入手履歴222例/離別履歴167例を調べ、1960年代から現代までの入手/離別方法の割合と特性を詳説した。もっとも古い入手事例1963年から2014年まで、51年間の履歴(合計n=222例)が特定された。イヌワシの年齢別で見てみると、全体の48.6% (n=108)が1歳齢(バラパン)の入手となり、年齢が1歳増すごとに、入手件数は半減する傾向にある。とくに1~3歳齢での入手が全体の86.0%を占め、4歳齢以降のワシの馴致は全体の14.0%以下となった。7歳齢以降の老齢のワシはほぼ馴化段階では選択されない。 イヌワシとの離別では、自然へと放つ「産地返還」の習慣が全体個体数の43.7%にとどまり、廃れつつある現状が見うけられる。また「死別」(16.2%)と「逃避」(19.8%)が全離別個体の36.0%を占めており、馴化と飼養の技術継承や伝統知の喪失が危ぶまれる結果が提示された。ただし、「産地返還」と「逃避」を合わせると全離別個体の63.5%を占め、くしくも技術不足での高い逃避率がイヌワシ全体の自然回帰率を押し上げている。 R2. イヌワシの地域間取引の現状: 産地の特定できているイヌワシ222例のうち、地元での捕獲個体が61.7% (n=137)、他地域からの引取個体が38.3% (n=85)の結果となった。他地域産の受入個体は、アルタンツォグツ(48.0%)、サグサイ(46.8%)、ツェンゲル(42.9%)で多く、ウランフス(30.8%)、アルタイ(29.0%)でも受入が行われている。一方、トルボ(18.8%)、ノゴンノール(5.6%)、デルーン(0.0%)となり、地元産の捕獲個体を飼養する割合が高い。このことから、バヤン・ウルギー県ではとくに県北の各村で、イヌワシの活発なやりとりが行われている。それらイヌワシ個体の多くは、県南から県北への移動や委譲の傾向がうかがわれる。 イヌワシ入手/離別履歴からカザフ騎馬鷹狩文化を鳥瞰すると、鷲使いの人口と新規参与者が減少傾向にあるにもかかわらず、イヌワシの入手件数は増加傾向にある。とくに1990年頃を境に増加傾向にあり、2003年には入手件数が激増した。これは1990年以降の民主化により、伝統文化への規制がなくなったことが背景にある。また2000年および2002年に相次いで開始された、カザフ民族文化の祭典「イヌワシ祭」の顕著な影響と考えられる。  

    3.  今後の展望
    本論は、カザフ騎馬鷹狩文化のイヌワシの入手/離別に特化したエスノグラフィを、構成的インタビューの結果から描きだした。カザフ鷲使いたちのこうしたイヌワシの取引が、イヌワシの繁殖や個体数にどの程度の影響を与えているかは、現時点では把握できていないため、今後の課題として環境アセスメントの必要性を強く提示する。イヌワシの捕獲や取引にかんする実効力のある法規制や制度は、モンゴル国内では現時点では存在しない。しかし、自然資源の保護と鷹狩文化の保護は表裏一体であり、今後行政レベルでも踏み込んだ対応が求められるといえる。
  • 神奈川県地域保健医療計画を事例として
    小林 優一
    セッションID: 602
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    我が国の地域医療計画の現状として、制度に明記された文言の背景には、医療圏の定量的な評価が必要だとされているが、GISによる分析技術の普及前は行政区域による圏域設定が一般的であった。本稿では、GISによる診療圏分析を行うことで、神奈川県次期「地域医療計画」へ医療圏域内外のアクセシビリティの分析手法のひとつとして、GISがどの程度、実証的に分析出来得るのかを示した。  
    地域医療計画の最新の政策動向としては、厚生労働省(2012)次期医療計画の作成指針に「自然的社会的条件を無視した医療圏設定になる可能性が有ること。」が指摘された。だた、先行研究より、医療圏再設定の条件として示されている①人口規模や②流出入率の具体的な数字に関し、根拠と成り得る資料等は無いことが分かった。本稿では、医療圏域の設定の評価を行う前段階として、先ず神奈川県内の医療圏域(全11医療圏)の構造を分析する為に、日常生活圏を設定し、GISを用いて医療施設から到達圏分析を行った。
    高齢者の日常生活圏は、石原(1984)、登張ら(2003)(2004)を参考に、大都市部・地方部問わず、時速3km/h(徒歩速度)で500m圏内に設定した。これらの結果から研究対象地域の病院・診療所からの時間距離の10分を日常生活圏として設定し、到達圏分析を行った。次に、田中(2001)を参考に、如何なる移動手段を用いても、日常生活圏に関しては、医療機関から30分圏域を移動に伴う最長時間と設定し、医療機関からの道路ネットワークを用いて到達圏を分析した。
    また、神奈川県全域の医療機関、病院(全343施設)・クリニック(全6544施設)を対象に、標榜出来る診療科33科ごとに到達圏分析を行った。その結果、神奈川県では、「人工透析施設」が横須賀三浦地区で不足している点が分かった。神奈川県次期「地域保健計画」中に、人工透析が可能な施設数が相対的に不足していることから、その事実を加筆し、今後の対策を同時に考えていく必要性があることを指摘したい。
    最後に、今後の人口構造の変化に伴い、病院間の統合や新設に関する議論が活発に進んでくることが予想される。この時流に従い、本稿では、計画予定の交通インフラ拡張及び病院新設の神奈川県藤沢市の事例を参考に、当該地区のアクセス構造の変化について、GISを用いて分析した。その結果、湘南藤沢記念病院(仮称)から距離にして30分圏域に藤沢市全域で高齢者人口数が相対的に多い沿岸部、つまり片瀬江ノ島周辺地区まで、到達圏域が拡張されたことが分かった。
     
  • 白坂  蕃
    セッションID: S1203
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    イタリア北部、南チロル州にあるフェアナークト村(標高1,676m;全21戸, 2001年)人びとは正移牧を営む。毎年、6月から9月の3ヶ月は3,000mの国境の峠を越えてオーストリア側のアルプに2,000頭のヒツジを移牧する。彼らは、この放牧地(コモンズ)を紐帯として強固な村落共同体を形成し、移牧を維持している。近年、この移牧に観光客が集まるようになった。本稿では移牧と、その観光化、村民の紐帯としてのコモンズの役割を考える。
  • シアトル・パイオニアスクエアの事例
    杉浦 直
    セッションID: 1024
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    シアトルのパイオニアスクエア(Pioneer Square、以下PS)地区は、ボストンの港湾地区、ニューオーリンズのフレンチクォーターなどとともに、保存と再活性化を大規模に実施してきた修復型都市更新地区の代表的な事例の一つである。本発表では、同地区の都市更新事業の過程とその性質を確認し、その成果と地区の意義・役割及び地区のかかえる問題点と今後の課題を考察する。
     PS地区は、1889年シアトル大火の後再建されたシアトルの旧都心地区であるが、第二次大戦後1950年代、60年代には、多くのビルで空きユニットが目立ち、不動産価格もCBDの10パーセント以下に下落
    、市のビル・コードや防火規制に違反する建物が多数となってスラム化したインナーシティの典型的な状況を呈していた。しかし、PS域はシアトルの行政地区や金融地区に近接した地区であり、また域内の建物は凝った造りの「アメリカン・ロマネスク」様式が多く、位置的にまた歴史的・建築的に潜在的な価値は高かった。そのため、都市計画を志向するいくつかの組織は同地区の保存や再活性化を目指す地区計画調査書を作成・発表し、それらを議論する過程で保存修復型の都市更新への方向性がコンセンサスを得ることになる。
     PS域の都市更新事業促進のきっかけの一つは、1961年、当時の代表的なホテルの一つであったシアトルホテルの廃棄が歴史的な価値を重視する保存主義者に危機感を与えたことである。また、1966年のNational Historic Preservation Actの制定と National Register of Historic Placesの制度創設 は、PS域の保存・修復に大きな刺激を与えた。これらを背景に1967年ごろからPS域全体の集合体としての建物群を修復・保存する(歴史地区を創設する)ための条例制定の運動が進められ、歴史地区案支持の署名や調査書(提案)が市長・市計画員会に提出 、1970年4月6日、歴史地区案(条例)がシアトル 市議会を通過し、“Pioneer Square Preservation District”(一般には “Pioneer Square Historic District”;PSHDと呼ばれる)が発足、保存・修復事業を管理するPSHD Preservation Boardが組織された(後にPioneer Square
    Preservation Boardに改称)。さらに1973年、同地区を包含する「特別調査地区(Special Review District; SRD)」が設けられ 、実際的な規定・基準が定められている。以上のような制度的背景の下に、1970年代には初期の修復・保存事業が集中し、その後のPS地区の方向性が定まることになる。その後、“1991 Pioneer Square Plan Update”、“1998 Pioneer Square Neighborhood Plan”を経て、2009年11月にはPS再活性化委員会が結成、2010年より毎年ネイバーフッド戦略プランが策定・発表され、きめの細かい保存・再活性化策が継続されている。
      PS地区は、シアトルの都市地域構造のなかで固有な意義を有し役割を担っている。まず、PSは1889年大火の後再建されたシアトル旧都心部の景観を留める地区として歴史的・象徴的意義を有している。言わば、シアトルのアイデンティティを確認する特別な「場所」なのである。また、現実的・機能的な役割としては、以下のことが特に重要であろう。1)現ダウンタウンに隣接する地区としてダウンタウンの機能の補完、2)アート地区、 3)歩行者志向の娯楽空間、観光空間 、4)低所得者用住宅の供給、5)イベント時のバッファ空間 。しかし、これらの役割を十全に果たすためには以下のように課題も多い。1)歴史的景観のさらなる維持・強化、 2)経済的活性化のさらなる促進 3)大規模イベント時の駐車スペース不足と終了後の通過交通の混乱の解決 4)一部にある荒廃した雰囲気の除去 。保存と再活性化を両立させつつ、インナーシティ問題解決のモデルとなり得るのか、今後の歩みが注目される。

    文献
    Andrews, M.T. (ed.): Pioneer Square: Seattle’s Oldest
    Neighborhood.
    Univ. of Washington Press, 2005. 
  • 杜 国慶, 澁谷 和樹, 野津 直樹
    セッションID: 401
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は,株式会社ナビタイムジャパンの日本観光APPにより利用者の同意のもと取得したGPSデータを利用し,国籍・地域の差異に着目してインバウンド観光者行動の空間構造を解明することを試みる.
  • 瀧本 家康
    セッションID: 309
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    阪神大震災を経験した神戸に位置する神戸大学附属中等教育学校と東日本大震災を経験した仙台に位置する仙台青陵中等教育学校の両校による交流活動を2015年8月に実施した。識者による講演会,仙台・石巻の被災地視察,両校によるディスカッションを通して,今後両校の行動指針となる「神戸仙台共同宣言」5項目を採択することができた。また,交流活動を通して生徒が復興震災に対して前向きに関わっていこうとする気持ちを醸成することができた。
  • 春山 成子
    セッションID: P041
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    コマルデバー周辺地域の地形分類図をコロナ画像をもとにして作成したところ、沿岸地域に4列の異なる時代に形成された砂丘を検出した。これらの砂丘は植生被覆のないもの、草地、灌木林の被覆するものがある。最大比高の砂丘は集落が建設されており、湖の周辺地域では砂丘砂が建設材料となるために大きな人工改変が進んでいることが分かった。また、イドック湖南部地域では低平な湖岸平野が発達しているが、旧ラグーン地域に内陸砂丘が点在していること、また、これらの砂丘の下部には河成堆積物が見出され、環境変化の一面をみることが可能である。
  • -イギリスの国立公園を例に-
    松尾 容孝
    セッションID: S0406
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    本報告の目的は、イギリスの国立公園での取り組みを参考に、地域制公園の管理のあり方・方向性を提示することである。イングランドとウェールズを例に、次の3点を検討する:1.制度と運営組織、事業群が、環境の保全と向上にいかに結びついているのか。2.1999-2004年土地管理事業LMIにおける「地域社会との、地域社会のための保全活動」の内容と意義。3.ステークホルダーやナショナルトラスト等の関連機関の活動の内容とパートナーシップの役割・機能。
    1.
    <制度:所管機関と権限>イングランドとウェールズでは、1949年国立公園・田園アクセス法の制定により国立公園が誕生した。中央所管機関は、国立公園委員会→1968年カントリーサードコミッションCC→イングランド1999年カントリーサードエージェンシーCA→2006年ナチュラルイングランドNE、→ウェールズ1991年カントリーサイドカウンシルCCW。地方所管機関は、カウンティ議会公園管理委員会の権限が、1995年環境法第三部により全国立公園において独立した国立公園局に移管された。1990年都市農村計画法により、ストラクチャープランとローカルプランを国立公園にも適用し、1995年環境法(第三部)により、カウンティとディストリクトの議会権限が移管された国立公園局が管理計画(マネジメントプラン)と土地利用計画(ローカルプラン)の策定機関となった。
    <運営組織>政策・管理計画は各公園で委員(メンバー)18~30人が策定し、実務は職員(スタッフ)70~280人が行うほか数百人のボランティアがいる。部門長が職員を組織し、委員とも定期的に協議。部門は、レンジャー(監視員)、訪問客サービス、開発規制・相談、生物多様性・生態系・建造物・考古遺跡の保全、通行権のある道やインフラ整備、外部機関とのパートナーシップ、農林業・ビジネス・コミュニティ支援、教育啓発、GIS、コーポレートサービスなど。
     <目的の整備・拡充>
    「自然美を保存しその価値を高める」→「自然美、野生生物、文化遺産を保全し、その価値を高める」
    「人々の享受を促進する」→「国立公園特有の性質に対する人々の理解と享受の機会を促進する」
    環境法第62節により、1974年Sandford原則(保護と享受が衝突した時は保護を優先)を、国立公園に関連をもつ全機関に適用し、国立公園の目的を尊重している事実の証明を義務づける。
    回状12/96により、自然及び人間による産物である国立公園の特性の保全のため、国立公園局は公園内のコミュニティとともに、コミュニティのために活動しなければならない。・・公園域内において経済的・社会的発展を国立公園局が引き受けてはいけない。それを追求する諸機関や公的団体と協働して実現を目指す。
    2.
    イングランドの国立公園では、1990年代前半~2000年に海岸・流域・森林・ムーア等の環境保全事業、1999~2004年に土地管理事業、2000~2000年代半ばに農業・食糧事業や農村ビジネスとサービス提供事業が順番に実施された。
    CAによるLMIは、土地所有者の農民・農業事業体と非所有者の地域社会のまとまりを再構築して、環境・社会・経済の広範な便益の形成を目指すパイロット事業である。農業・農民の衰退、景観と野生生物の多様性の喪失に対して、農業-環境政策に転換し、農業経済の多角化、農家と地域社会の一体化再構築を環境保全と併進させる事業として実施された。
    ノースヨークムーア高地では、LMI以前の事業群で培われたパートナーシップにより、目標は同一でない国立公園局と農民・地域社会と関係機関が、環境・社会・経済・文化を分担して優先目的群推進の活動ダイアグラム群を立案し、助成資金の獲得による目的達成をきめ細かく検討して活動を前進させ、資金獲得が困難な事業ではボトムアップによる農家と地域社会の一体化活動(コミュニティ管理人、直売所)の側面支援を提案した。ノースヨークムーアLMIの成果は2006年イギリスのCAP改訂案に反映(CSS→ELS, HLS。地産地消の拡大)された。
    3.
    ナショナルトラストNTは、1895年誕生以来、撤退農家の農園を購入して、民間開発の阻止、環境保全型農業を模索してきた。NTはスノードニア国立公園の8.9%の土地を所有し、多数の専門職員を雇用して事業を営む。事業収入を再投入して、農園経営、生物多様性の回復・土地の管理保全とともに、教育啓発活動等での近隣の農家・地域社会からの雇用やパートナーシップ事業での協働、新規営農支援等を行う。地域振興や事業運営において、国立公園局の側面支援とは異なり、事業主体として環境保全と地域振興を推進し、起業家精神の醸成に努めている。
    4.
     公園目的の整備、多様な現地組織の活動、ソーシャルキャピタル育成が特筆できる。 
  • 長谷川 直子, 横山 俊一
    セッションID: P073
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 演者らはガイドマップをベースに雑誌の増刊号を作ることになったのだが、その道は試行錯誤と紆余曲折の連続であった。その経過は今後アウトリーチを行う人たちにとってなんらかの参考情報になる可能性があると考え、今回の報告を行う。 2. 発刊決定までの経緯 雑誌のベースとなった授業自体は2015年6月第1週に終了した。学生の作品が力作であったため、横山がこれらを出版できないかと考えた。地理学の一般普及を目指すならば旅行ガイドブックを数多く出版するJTBパブリッシングや地理理学関係のペーパーバックを多数出している青春出版社などへの持ち込みも検討したが、まずは地理学界の中での一般普及の認識向上への布石を打つことを考えて古今書院での出版を考えた。6月下旬に月刊「地理」編集長に学生の作品を提示し意見を聞いたが、学生の作品のターゲットやデザインがバラバラであり難しいとのことで終了した。 7月中旬:お茶の水女子大学の学内予算でリーダーシップに関わる教育・研究プロジェクトの募集があり、広義のリーダーシップとして異文化理解やアクティブラーニングも含まれていた。学生作品をメインとして一般向けの書籍として販売し、一般の人の意見を収集することでアウトリーチの効果的な検証につなげるための教育プロジェクトとして申請。 8月初め:採択通知がきたものの、複数いる大学会計担当の中から「アマゾンでの書籍の販売のどこがリーダーシップなのか。予算は認められない」と通告。紆余曲折の末、最終的には予算の大半を出版費用として使用できることになった(基本的使用ルールは科研費の出版助成と同じ)。 8月下旬:再度月刊「地理」編集長に相談。教育成果の出版物という扱いであれば出版を検討するという反応。編集長が地理学のアウトリーチに対する理解があったことも大きかったと考える。その後、編集長から、より多くの人に読んでもらえるよう「地理」増刊号として出版してはどうかとの提案をうける。出版時期は予算を使用できる年度内であることと、春の日本地理学会大会での販売を考えて、2月末発刊と決まった(9月上旬)。 3. 出版決定後、内容の構成について 古今書院からは、「地理」増刊号としては、学生のガイドマップだけでは読み応えがないこと、ページ数も足りないことから、専門家に今回の対象地域である表参道・原宿エリアや町歩きマップに関するわかりやすいコラムを書いてもらう提案を受けた。そこでアウトリーチに理解のある研究者とお茶の水女子大学にかかわりのある方々を中心にコラムの執筆を依頼した(10月初旬)。  10月初め:学生への出版説明会。学生の遊び感覚を取り入れたかったので、出版形態や構成上の最低限の取り決めのみを演者らが示し、それ以外の中身については基本的に学生が全て作る形にした。雑誌タイトル・レイアウト・構成などを決める編集委員会を有志で結成するため、希望者を募った。関係学生18名(内2名は海外留学中)のうち8名が名乗り出た。  入稿締め切りの12月15日まで、編集委員会は週1回開催した。タイトルは当初、お茶の水女子大学(お茶大)を前面に打ち出した形、表紙写真は大学講堂前の階段で学生が並んだ写真を考え撮影も実施したが、出版社から大学の宣伝のようなものは避けたい、できれば写真は現地写真でとの提案を受けて練り直し、最終的に落ち着いたのが11月末である。  また、10月の学生向け説明会で、ガイドマップを出版する上での最低限の修正(作品の授業当時のテイストをそのまま生かしたいため)として誤字脱字の修正と出典の明記を指示した。それ以外にも学生のコメントを掲載したページ(作品提出学生全員)や地理女子コラム(編集委員会有志)などを作成した。  12月上旬:出版社から定価、製作部数等についての連絡をもらった。出版契約にあたっては大学の財務、知財、広報と出版社、演者らの6者で12月中旬に会合を持ち契約内容について決定し、その後、1月上旬に契約書を交わした。 4.まとめ 今回のような形で成果を公刊できた1番の理由として学生の熱心な授業への取り組みがあった。第2にこれまでとは異なる方法で地理学の一般普及を目指している演者側と編集者側の思惑の一致があった。もっとも大きかったのが大学からの教育プロジェクト資金の獲得がある。これまでは研究者の書籍出版といえば研究成果の公表のためという側面が大きく、それを一般読者向けとした新書へのダウンサイジングが中心であった。しかし地理学のすそ野を広げるためには専門的な研究内容の新書などよりもさらに手に取りやすい内容や形態での研究成果情報の発信が必要ではないかと考える。 
  • 大和三山を例として
    木庭 元晴
    セッションID: 608
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    2015年本会秋季大会(愛媛大学)では,歴史地理分野で,『飛鳥時代の中軸古道と藤原宮の位置選定に係わる新たな視点』というテーマで発表した。飛鳥時代の藤原宮や中軸古道が,推古紀に選定された大和三山の垂心に基づくものであることを御井の歌などから明らかにした。 垂心を決めるには大和三山の正確な平面図を作成する必要があるが,推古紀にその手法が獲得されていたのか,確認する必要があった。中国では三国時代三世紀の数学者劉徽(りゅうき)による算術書『九章算術』(きゅうしょうさんじゅつ)の注釈本と,その付録として氏によって著された『海島算経』(かいとうさんけい)があった。これは中国からまたは朝鮮半島を経由して古代日本にもたらされた。周代に成立し漢代には現在残る形でまとめられた天文書『周髀算経』(しゅうひさんけい)の北極璿璣(せんき)などの天文観測技術とともに,土木測量に最も多用されたと思われる前2者の句股定理(こうこていり,中国で独立に発見かつ多用されたピタゴラスの定理)は,古代日本の土木測量に大いに貢献したものと思われる。 『海島算経』には句股定理を使った九つの例題があり,うち,最も基本的な例題は水平方向については問一,垂直方向については問四である。過去,『海島算経』の個々の例題についての解説があるが,ただこの手法の幾何学的な説明にとどまっている。 問一(川原, 1980: 265)を次に紹介する。┣——————————— いま海島を望む。高さ三丈の二個の表(目印の棒)を,前後千歩隔て,前表と後表を海島の三者が一直線になるように立てる。ここで前表から百二十三歩退いて,目を地につけ海島の峰を望むと,前表の末に重なる。また後表から百二十七歩退いて,目を地につけ海島の峰を望むと,後表の末に重なる。問う,島の高さおよび(前)表からの距離は,それぞれいくらか。—————————————————————————————┫ この問一では,水平面上に設置した二本の測量棒(表,gnomon)を使って,いわば句股定理に基づいて,スタジア測量を実施し,間接的に島の頂までの高さと距離を求めている。 問一では水平面を前提とするが,実際の地表には凹凸があるので,実際の測量ではこれに対する対策がとられた筈である。そのヒントを問四にみることができる(川原, 1980: 266)。┣—————— いま深い谷を望む。矩(さしがね)を谷岸に偃(ふ)せ,「句」の高さを六尺にする。ここで「句」端から谷底に望むと,下の「股」に九尺一寸入る。また二番目の矩を上に三丈隔てて設け,さらに「句」端から谷底を望むと,上の「股」に八尺五寸入る。問う,谷の深さはいくらか。—————————┫ 次に図は,両問を使って三山の内部から畝傍山を測量する手法を報告者が復元したものである。  当日,この図などを使って測量手法を復元する。以 上
  • 関口 辰夫
    セッションID: 819
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    日本海側の山地に特有の雪崩によって形成された地形的特徴を詳細に分類することで、日本における積雪と雪崩地形の関係の解明、今後の雪崩防災に役立てる。
  • 岐阜県飛驒古川における盆地霧発生を環境指標とした農村環境デザイン政策を例として
    廣瀬 俊介, 野村 久徳
    セッションID: 509
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    地理学を生かしたランドスケイプデザインの応用事例として、旧古川町(現飛騨市)農村環境デザイン政策を報告する。
      同町農林課は、1999年制定の食料・農業・農村基本法に基づく諸農業施策を実行しながら、町域全体が農村といえる中で食料等を生産し、相互扶助のある地縁関係を保ち、地域の経済循環を図りつつ水源涵養や治山治水、生物多様性保全などの環境保全に寄与させるそれ自体が、地域の総合的経営政策にほぼ相当するとの認識を明確にする。そして、地域の資本資産の把握の上にその適正な管理と充実をめざし、ひいては土地・資源の持続利用を可能にしようと、2000年より風土性調査に着手し、風土の形成主体である町民の生活知を経験科学により評価するなどもしながら、当地の風土像を「朝霧たつ都」と表現するに至る。これは、雅びな家並みその他を擁する固有の文化が自然に依拠して成立する関係をあらわすと共に、「朝霧」すなわち盆地霧の発生を環境指標として地域経営を行うことで当地の資本資産の適正な管理と充実が成ることを示しているが、同年に古川町第五次総合計画の目標に採択され、以降はその達成に向けて環境保全的な農林業への所得保障その他の施策群が起案・実行できてゆくことになる。
      同町は、この一連の事業を「農村環境デザイン政策(飛騨古川朝霧プロジェクト)」と称し、現飛騨市に継承されている。その中では、良質の農林業による農業景観管理が、旅館業や飲食業等を含む観光業などその他の産業の振興につながり得ることを明示し、アーティスト・イン・レジデンスやグリーン・ツーリズム等の社会実験・実証事業を重ねることもしてきている。
      地域経営は、当地に存する資本資産の持続利用、つまりは適正な管理と充実があって安定的に継続できる。その基礎となるのが地域の資本資産の把握であり、それは地理学に基づく地域研究があって可能となり、地理学を生かしたランドスケイプデザイン、ランドスケイププランニングの応用から具体的な土地・資源の持続利用計画が立案・実行可能となる。このことの必要性と有効性を、実践を通して周知してゆくべきと筆者らは考えている。
  • 山口 幸男
    セッションID: 926
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    わが国の社会科教育、地理教育はアメリカ、イギリス等の外国の影響を強く受けて展開してきた。そこには日本の社会科教育、日本の地理教育としての主体性が希薄であった。 筆者は、地理教育論のあり方として、「社会科地理教育論」の重要性を主張してきたが、本発表は、その社会科地理教育論を発展させた「日本の主体的社会科地理教育論」を提起するものである。
  • 瀬戸 寿一
    セッションID: S1103
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 2000年代後半より,欧米諸国において「オープンガバメント」と称する政治思想が注目され,政府機関の意思決定への市民の関与やICTを介した市民参加といった参加型民主主義の新しい運動が広がっている.米国や英国では2009年より,政府の透明性や市民参加,官民連携の促進(行政効率化)を3原則に位置づけ,公共データの二次利用を含めた開放(オープンデータ)に向けた様々な取り組みを政府レベルで推進してきた.特に米国ではこれを支えるために,ICTを活用した地域課題の解決を目指す「シビックテック」を活動内容の中心に掲げた,非営利組織「Code for America (CfA)」が2009年に設立され,州政府や地方自治体との協働によるアプリケーション開発が推進されている.  日本でも以上の状況を背景に,2012年以降に政府や地方自治体単位で徐々にオープンデータに関する取り組みが始まりつつある.またCfAと同様に2013年には非営利組織としてCode for Japan(CfJ)が有志によって設立され,各地でシビックテックに向けた活動を展開しつつある.  以上を背景に,本研究は日本におけるオープンデータの状況を概観し,市民主体によるデータ活用の整理を通じて,参加型GISの新たな可能性と課題の検討を目的とする.

    2.日本におけるオープンデータの公開状況
    日本におけるオープンデータは2010年末に福井県鯖江市が「データシティ鯖江」として活動を開始したことを契機に,2012年7月に内閣府による「電子行政オープンデータ戦略」が策定され,国レベルでの取り組みとして計画されることとなった.また,2013年6月のG8ロックアーンサミットで「オープンデータ憲章」が採択され,地理空間情報の重要性も明記された.これにより,政府機関や地方自治体における行政情報のオープンデータ化が急速に整備された.特に,都市計画図や航空写真など大規模な地理空間情報を公開する先進的な地方自治体が幾つか現れた.  オープンデータを公開している地方自治体を,各Webページ上で調査した結果,2015年8月末時点で141自治体が該当し,うち県単位で21(44.7%),市町村単位で94(5.4%),政令指定都市の区単位で26区確認された.多くの自治体は2014年以降整備され,データ数も総計10,000以上である.オープンデータは統計や施設一覧といった表形式が多く,約4割のデータはCSVやXLS形式で公開されている.同様に緯度経度や詳細な住所,地図データなど何らかの位置情報が付与されている地理空間情報のオープンデータは,様々な形式で全体の約4割これに該当する.

    3.地域課題に向けたオープンデータの活用 地方自治体によるオープンデータの公開と共に,日本でもIT技術に長けた市民が中心となり,CfAの活動を参考に,各地域でオープンデータの積極的な活用とアプリケーション開発を進めるシビックテックが進められている.特にCfJの支援プログラムに認定され活動しているブリゲイドと称する団体(Code for X)は33存在し,認定準備中など活動の途上にあるブリゲイドも33以外に20団体ある.  活動の成果として開発されるアプリケーションはいずれも地域課題に沿ったものが多く,地方自治体の予算決算データを用いた税金の使用状況を可視化する「税金はどこへ行った」(対象自治体数:140)を始め,Code for Kanazawaによるゴミ収集に特化したアプリケーション「5374.jp」(対象自治体数:50)や,Code for Sapporoによる「さっぽろ保育園マップ」(対象自治体数:7)などが代表例として挙げられる.これらのアプリケーションの最大の特徴は,生成されたソースコードがCfAと同様にオープンソース化され,Githubを通して公開されることにある.したがって,各地のCode forコミュニティが,これらのソースコードを用いて地方自治体のオープンデータを再利用可能になる.

    4.おわりに 日本では公共データのオープンデータ化が近年高まり,市民側も,地域課題を解決することを目的とするアプリケーション開発が進められている.他方,オープンデータとWeb地図を用いた開発事例は多いが,簡易な空間分析(距離バッファや空間集計など),あるいは時々刻々と変化するような空間データを取り入れた事例は少なく,地域住民の行動変容や予測といった意思決定に寄与できるツールと共にリアルタイムなオープンデータ公開が喫緊の課題である.
  • ―長野県菅平高原を事例に―
    渡邊 瑛季
    セッションID: 409
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ 序論
    マスツーリズムの縮小は1990年代以降,宿泊施設の廃業やスキー場閉鎖などの日本の観光地域の停滞をもたらしており,観光の持続性が課題となっている.一方で,先進国では1990年代以降,スポーツの観光資源としての認識が広まり,スポーツツーリズムと呼ばれる新しい観光形態による観光振興が進められている.
    その中でもスポーツ合宿は,スキー,海水浴などと並んで日本の農村の観光地域化に寄与した.これらの目的地に関する研究蓄積は観光地理学でみられ,観光地化の過程や宿泊施設の経営形態などホストが分析された.スポーツ産業論や観光学では,観光者の行動特性や目的地決定過程などゲストが分析された.しかし,観光地域の持続性を考察するためには,ホストやゲストの分析のみでは不十分であり,それらを結びつけていると考えられる媒介機能を分析する必要がある.押見ら(2012)はスポーツ合宿地の決定過程での旅行会社などの媒介機能の深い関与を示唆しているが,その実態には踏み込めていない.欧米では2000年代以降,ツーリズムにおける媒介機能を対象とした研究が蓄積されつつある(Song, 2012など).しかし,ゲストと媒介機能の関係を示した研究が多く,ホストとの関係やツーリズムの持続性の観点からの検討が不十分である.また概念的研究が多く,実証的研究に乏しい.
    本研究ではスポーツ合宿地の存続形態を媒介機能に着目して明らかにする.事例地域の菅平高原は長野県上田市北部に位置し,828(2015年時点)のラグビーチームの来訪や109面のグラウンドに特徴づけられるスポーツ合宿地である.
    Ⅱ 宿泊施設における媒介機能の利用パターン
    菅平高原には116軒の宿泊施設が立地し,ほとんどが家族経営である.このうちスポーツ合宿の受入は110軒でみられる.おもな媒介機能は,宿泊施設への直接予約と合宿の取扱を得意とする旅行会社である.これらの利用パターンには2点の特徴がみられる.1点目は,利用する媒介機能がゲストの競技種目によって大きく異なっている点である.菅平高原におけるスポーツ合宿の種目はおもにラグビー,サッカー,陸上競技である.ラグビー,陸上競技は直接予約,サッカーは旅行会社からの予約が多い.この要因についてはⅢで述べる.2点目は,旅行会社からの受入割合が,宿泊施設の収容人数と私有するスポーツ施設の数によって変動する点である.これらの数が多い宿泊施設では,客室稼働率を上昇させるために,旅行会社からの受入がみられる.しかし,仲介手数料が発生するため,旅行会社からの受入には消極的な経営者が多い.このため,菅平高原の宿泊施設は直接予約によるゲストの受入を重要視し,旅行会社の利用は補完的な位置づけである.
    Ⅲ ゲストにみられる予約方法の差異の背景
    ゲストが直接予約を選択する背景には,指導者の人脈による強豪校の来訪と練習試合の実施がある.ラグビーの場合,菅平高原での合宿目的は,練習試合の実施である.高校や大学のラグビー部の強豪校が日常生活圏にはいない遠方のチームと練習試合を行い,これが菅平高原での合宿の魅力である.試合を組むには,高校の場合,おもに指導者の出身校,全国大会での対戦経験が重要な契機になる.練習試合の実施には滞在日程の調整が必要であるため,ゲスト同士で空室がある宿泊施設を紹介することがあり,直接予約に結びつく.試合で利用するグラウンドはホスト同士で協力して調整している.陸上競技の場合は,競合する合宿地が比較的多いため,指導者が合宿地を吟味し直接予約する.その際に知人である別の指導者から宿泊施設が紹介されることもある.サッカーの場合は,指導者の人脈が合宿地選定に利用されにくく,旅行会社が菅平高原での練習試合のマッチングを行っている.
    Ⅳ 結論
    菅平高原は強豪校の練習試合実施やトレーニングの場として利用されており,そのためにホストまたゲスト内部で完結する媒介機能が卓越するスポーツ合宿地として存続している.この基盤には多数の宿泊施設とグラウンドの集積がある.
    文 献
    押見大地・原田宗彦・佐藤晋太郎・石井十郎 2012. スポーツチームの合宿地選考における意思決定プロセスの検討: 高校・大学スポーツチームに着目して. スポーツ産業学研究22(1): 9-27.
    Song, H. 2012. Tourism Supply Chain Management. London:  Routledge.
  • 淺野 修
    セッションID: 727
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本発表においては,スペイン縁辺地域における生産活動を支える移牧活動において,家畜管理の技術を
    中心とした移牧の実態把握に焦点を合わせる.具体的には聞き取り調査をした牧夫と仲間の牧夫は3,000頭のヒツジを所有しているが,その管理技術の詳細を明らかにした結果,スペイン縁辺地域における移牧の持続性があることがわかった.
  • 阿部 康久, 閻 陽, 林 旭佳, 張 寧
    セッションID: 913
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    中国で大卒者の就職にともなう人口移動について扱った研究としては,岳(2011)や葛ほか(2011)、馬と潘(2013) 等の研究がある.これらの研究によると,大学生の就業地選択に影響を与える主要な要因として,地域間での所得水準や就職機会の獲得確率の格差がある点が挙げられている.また,就職移動に影響を与えるその他の要因として,学生自体の人的資本の有無や家庭の経済状況,心理的コスト等も指摘されている.その一方で,半分以上の卒業生が出身地で進学・就職していることや大都市への移住に対する心理的コストの高さも指摘されており,移動しない人々の存在も重要であるといえる.とりわけ,東部(沿海部)地域の学生には移動しない人の比率が高く,省外への移動は,主に中西部(内陸部)の地域から東部(沿海部)への移動に限られる. 大都市に移住する場合でも、移住後の満足度に地域差がみられる。李(2011)の調査によると、北京、上海、広州という3つの大都市の中で、移住者らの移住後の満足度が一番高いのは広州であり、次は北京、最後は上海の順であった。このような満足度に影響を及ぼす要素としては、地域の生活施設への満足度、地域コミュニティへの帰属意識などが重要な因子となっていたという。 中国において大都市の中でも広東省に移動する他省出身者が多い点は、国勢調査等からも明らかになっている。例えば、2010年の国勢調査によると、国内主要都市である北京、上海、広東省(深圳・広州等)の3地域に同じくらいの距離に位置している湖北省から国内大都市への移動者数をみると、広東省へ移動した人の数が233万5227人と多いのに対して、北京へ移動した人の数は33万4,516人、上海へ移動した人の数は29万3,862人であった。また2010年国勢調査により、広東省に移動する人々の出身地をみると、湖南省4,602,147人、広西壮族自治区3,555,330人、四川省2,602,276人、湖北省2,335,227人、江西省1,871,182人、河南省1,762,133人、貴州省957,774人、重慶市933,918人等が、多くの移動者を送り出していることが分かる。本研究では、以上のように省外からの移動者が多い華南地域(香港を含む)を対象として、先行研究で示されていた点以外の要因として,どのようなものがあるのかを他省出身者58名に対するインタビュー調査に基づいて検討し、彼(女)らの華南地域への定住意志の有無について検討した。   調査手法としては、友人・知人を通して回答者を紹介してもらうスノーボール方式を採用したため、調査対象者の出身地や社会階層等には偏りがある可能性はあるものの,調査対象者の華南地域での定住への意識について,踏み込んだ分析を行うことを目指した。 調査結果として、回答者の月額収入は、7,000元未満の人が27人と多くみられる一方で、10,000元以上の人も18人おり二極化する傾向がみられる。また、華南地域では出身地に比べれば高い収入が得られるものの、地価などの物価の高さから生活費も高くなる傾向がある。全体的には支出額が収入と同じくらいかかっている人も多く、月額収入より支出の方が多い人も6人いた。また、結婚に際して、住宅や自家用車の購入等で、高い費用がかかるという点を指摘した人もいた。  ただし、収入が相対的に低い人でも、今後も広東での就業を続けたいと考えている人も多く、収入の水準が必ずしも華南地域での就業への満足度に大きな影響を与えているとはいえないと考えられる。具体的には華南地域で定住することを希望する人の場合、その理由として、配偶者や交際相手との関係から、広東で就業を続けたいと考える人もみられた(少なくとも6人)が、最も多く挙げられた点は「広東省では就業機会が多く、将来キャリアアップしていける見通しが持てること」(少なくとも14人)であった。 本調査の対象者では、短期的な賃金だけでなく、自身の専門に近い仕事に就く機会がある点や、将来のキャリアアップの可能性に期待して華南の都市で就業を続けたいと考える人が多かった点が指摘できる。
  • 岩手県山田町の津波被災地での地理学的「震災記録」
    岩船 昌起, 田村 俊和, 松井 圭介
    セッションID: S0501
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    【はじめに】2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で発生した巨大津波やこれにともなう津波火災等によって,岩手県山田町では,800人を超える死者行方不明者が発生し,町内の家屋のほぼ半数に及ぶ約3400棟が流失や焼失等で全壊する等,甚大な被害が生じた。この東日本大震災の発災以降,応急対応期や復旧期を経て,「復興」期を迎えているものの,震災関連死認定者や非認定者を含めてさらに多くの方々が亡くなりになり,また仮設住宅に居住し続ける方々がまだまだ多く存在し,本来の復興までにはさらに長い歳月がかかると考えられている。発災から5年を経た現在,当時の避難行動等を語ることができる精神的な状態に落ち着いた被災者も増え,当時の記憶や体験を後世に伝えるための情報を収集することが比較的容易になった。
    一方,南海トラフ地震による甚大な被害が想定される西日本の太平洋沿岸等,日本の諸地域では,東日本大震災を顧みての防災体制や防災教育等の強化が求められている。しかしながら,発災から避難所までの応急対応期の混乱した実態は十分に把握されているとは言い難く,今後も資料の収集等を継続する必要がある。
    現在,東日本大震災の被災地各地で「震災・復興記録の収集・整理・保存」が進められている。これは,東日本大震災復興交付金制度による事業として基礎自治体が主体的に実施していること以外にも,前述した「発災から5年を経て被災者が『話せる状態』になった」ところが大きい。「津波常襲地域」である三陸沿岸のほぼ中央に位置し,この地域の地形的特徴である「湾-半島」の組み合わせが存在する岩手県山田町でも「東日本大震災記録伝承事業」が進められ,「避難」の部分を地理学関係者が中心に担当して,地域性との関連も含め,避難行動と避難生活を詳細に解明し,より客観的な記録として伝承しようとしている。
    従来の地元自治体による災害記録の大半は,地区別の被害統計,消防の出動記録等の表をならべ,断片的な被災者談話等を付したようなものが多く,「被災に至った経緯」をきちんと辿れるものは少なかった。また,ごく最近の『災害アーカイブ』では,電子的情報格納容量の増大という技術的な進歩にも支えられているものの,精粗さまざまな一次情報が未整理のまま羅列される例も出てきた。いわゆる「網羅的収集」がそのまま反映されたものであろうが,災害記録の有効な「利活用」を考える場合,一定の視点からの記録の「整理」が必要になるであろう。
     【山田町の「震災記録誌」】山田町では,三陸沿岸の他の市町村と同様に,明治以降4回の大津波に襲われた。明治29(1896)年の明治三陸大津波,昭和8(1933)年の昭和三陸大津波,昭和35(1960)年のチリ地震津波,平成23(2011)年の東日本大震災大津波である。一方,明治以降の町の津波被害を扱った主な記録として,『山田の津波-明治二九年の体験を中心として』(1973年,山田町ユネスコ協会刊),『山田町津波誌』(1982年,山田町教育委員会刊)があり,今回の震災では,写真集『あの日から明日に向かって-東日本大震災山田の記録』(2013年,伝津館・山田町大震災記念誌編集委員会刊)と『3.11百九人の手記-岩手県山田町東日本大震災の記録』(2015年,岩手県山田町/山田町東日本大震災を記録する会)が出版されている。
    今回の『震災記録誌』(2016年,「山田町東日本大震災記録誌編纂事業」)では,震災から今日までの客観的な記録・データを収集し,体験者の証言や生の声をできる限り生かして真に「血の通った」記録誌の制作を目指してきた。また「ジャーナリスティックな視点とアカデミックな知見」を柱とし,後者を補強するために,筆者らは,総合的な調査を鋭意進め,「地理学的な視点」から時空間スケールを意識して避難行動や避難生活を検証しつつ,「被災に至った経緯」の解析を行ってきた。そして,我々が担当した「避難」に係る章では,①山田町における震災時の死亡者数や避難者数の推移,②津波による海岸構造物の破壊と地形・地質との関係,③個人の避難行動と体力や微地形との関係,④避難所での食や心理と生活環境等について,人口学,地形学,健康地理学,食物栄養学,社会心理学等の多角的な視点から総合的に考察し,発災から応急復旧期までの震災初期の一連の諸現象を,地理学の学問的な複合性を駆使して「震災記録」の一例としてまとめてきた。
    【シンポジウムでは】 本シンポジウムでは,「震災記録誌」の「避難」の章の全体像を把握してもらうために,上記①~④の各論的な発表があり,整理された「震災記録」としての特性が明示され,かつそれぞれに有識者からコメントを頂く。総合討論では,被災地各地で進められている「震災・復興記録の収集・整理・保存」と「利活用」のあり方を考えたい.
  • 由井 義通, 神谷 浩夫
    セッションID: 524
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.  研究の背景と目的

    経済活動のグローバル化は,同時に多様な人材のグローバル化をもたらす。企業の海外進出は,本国から派遣する駐在員とともに,駐在員を支援するスタッフや彼らの生活を支援する飲食店などの各種サービスが必要となるため,企業の国際展開は,進出先に必要とされる人材を紹介する人材ビジネスの国際的展開も必然的に伴うのである(由井,2015)。日本人の海外就職者の大部分は,人材会社の就職情報をweb上で得ており,中澤(2012)によるシンガポールでの海外就職者へのインタビュー調査結果によると,日本人女性の海外就職者の大部分は,人材会社が提供するwebサイト上の就職情報を得て就職活動を行っていた。また,諸外国でもwebサイト上の人材情報が海外就職において重要な情報源の1つとなっている(Niles and Hanson 2003)。

    日本人女性の海外就職についてシンガポールとバンコクで調査した際に,人材会社について調査した結果,人材会社の求人情報では,いずれの都市においても男性の営業職やサービス職に求人が多かった。しかし,海外就職のために人材会社のwebサイトに登録するのは女性が多かった(Yui,2009, 由井,2015)。そこで,海外就職に重要な役割を果たしている人材会社について,人材を募集する企業が求める人材の特徴を明らかにし,また海外就職者の特徴を把握することを目的として,人材紹介会社への聞き取り調査を行った。

    2.    ドイツにおける在留邦人数と日系企業数

    本研究は調査対象地域をドイツのデュッセルドルフとフランクフルトとした。ドイツを研究対象とした理由は,外務省の「海外進出日系企業実態調査」(2015)の結果,平成26年10月1日時点で海外に進出している日系企業の総数(拠点数)は,国別でみると中国3万2,667拠点(約48%),アメリカ合衆国(約11%),インド(約5.7%),インドネシア(約2.6%),ドイツ1,684拠点(約2.5%),タイ(約2.4%)となっており,ドイツはヨーロッパで最多の日系企業の進出先で,それに伴って日本人の就職者が多い国となっていたからである。ドイツ国内で日系企業の拠点は,ミュンヘン総領事館に677拠点,デュッセルドルフ総領事館に570拠点,フランクフルト総領事館に242拠点だが,日本に本社を置く日系企業162社のうち,デュッセルドルフには63社,フランクフルト35社,ミュンヘン31社で,日本から派遣される駐在員はデュッセルドルフに多い。

    3.    ドイツにおける日本人向け人材会社の概要

    ドイツにおいて日本人を対象とした人材紹介を行っている人材会社は5社の独占状態にあり,そのうち1社は管理職クラスのヘッドハンティングを中心業務とし,4社は日系企業や日本との取引を行う現地企業に現地採用者を紹介する業務を行っている。5社はいずれもデュッセルドルフもしくはフランクフルトに本社を置き,創業は2002~2009年で比較的新しい会社である。それぞれの人材会社の顧客に占める日系企業の割合は95~100%で,紹介実績では日系企業に日本人を紹介するのを主とする人材会社が2社,日系企業に日本人とドイツ人を紹介するのが半々となっている人材会社が2社,日系企業にドイツ人を紹介するのを主としている人材会社が1社であった。
  • 出口 将夫, 黒木 貴一, 磯 望
    セッションID: P020
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    自然災害への関心が高まった今日,ハザードマップに関する研究は多く,そこではその基礎情報,記載項目,表現方法などが議論されている。また,最近ハザードマップのあり方を総じた書籍も出版された。ハザードマップは,各市町村が作成できるように,国土交通省から記載項目や表現方法が説明された手引きや指針が示されている。記載項目に関しては,必ず記載すべき共通項目と必ずしも記載しなくてよい地域項目がある。しかし,実際に福岡県内で作成されたハザードマップを参照すると,記載項目の差が大きく,さらに共通項目をも記載されなかったり様々なものがある。本研究では,福岡県内各市町村のハザードマップ記載項目に着目し,記載有無の地域分布の特徴を整理し,その地理条件を検討した。
  • 瀬戸 真之, 田村 俊和, 岩船 昌起
    セッションID: S0502
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    こでは,山田町での発災から避難行動,避難生活までの実態を記録する際に基礎となる,津波の強度や各被災地の土地の特徴について,日常気づかれ難い点も含め,まとめて記す。   1.来襲した津波の概要  山田町一帯の湾外には, 地震の二十数分後から高い津波が到達し始めたとみられる。到達した津波の最大高は,湾口部の幅や深さ,それが開く向き,および湾の広がり等に大きく左右され,さらに湾岸の地形や構造物によって狭い範囲でも異なった。山田湾岸では,南部でやや高いがほとんど10m以下であったのに対して,船越湾岸では16~18mと高かった。このため船越地峡を南から北に向かう越流が生じた。また,山田・船越湾外の東ないし南東に直面した海岸では津波高が高く,船越半島南岸の小谷鳥では30mに達した。   2. 海岸付近の地形と地質  山田町を含む三陸の海岸には,礫浜や砂浜と海食崖とが繰り返している。浜の地下には,最終氷期の低海水準時に形成された埋没谷と,海水面が現在に近い高さになった数千年前以降に形成された埋没波食台とが認められる。埋没谷には,現海面下約30~20mより深いところに礫を主体とするI層(1万数千年以上前の河成堆積物)があり,その上位に,砂や泥を主とするII層(その後海面が急上昇した時代に河川下流の低湿地や浅い海底などに堆積)が,現海面下10~5mあたりまで続いている。さらに上位に厚さ数m~十数mの砂礫層(III層:最近数千年間に波打ち際付近や河川沿いに堆積)がある。埋没波食台では,厚さ数mのIII層が基岩(一部を除き花崗岩類)の風化層を直接覆っていることが多い。埋没谷でも埋没波食台でも,III層の上位を厚さ1~数mの人工的な盛土層が覆っている(図1)。 I層はN値が50を越えるが,II層の一部には,N値10以下の軟弱な部分が多いので,それが厚い埋没谷の上では,埋没波食台の上より地震動が増幅される傾向にある。また,地下水位は,海岸にごく近い範囲では海水面とほぼ同じ高さにあり,地表下1~数mより下はいずれも常に飽和しているとみてよい。この条件下で強震時に液状化する可能性のある地盤は,II層,III層及び盛土層の一部にある。浜の背後には,最近数千年間に海岸や河川沿いに小さな平野や湿地が形成されている。浜と平野とをあわせた低地の幅は,大きな河川沿い除き,ほとんど300m以下である。平野の周囲や海食崖上の一部には,花崗岩風化層の上に角礫まじり粘土層が載った山麓緩斜面が発達している。   3.地形の人工改変 海岸線のうちには,おそらく明治時代から,小規模な接岸施設が作られていたところも多い。山田湾南東部の大浦等では,海食崖基部を削り,波食棚上に小規模の盛土を行って,人家や船着場を設けていた。山田湾北岸の大沢地区の一部では,第二次大戦末期に海軍施設設置にともない海岸が多少改変された。漁港の岸壁・防波堤や防潮堤等が整備されたのは,多くの場合,チリ地震津波(1960年)の後である。浜と背後の小平野にあった集落は大津波のたびに大きな被害を受け,周囲の山麓緩斜面上や低い尾根の先端,小開析谷の出口等に移転しながらも,船越湾北西岸を除き,やがて海岸付近に戻ってきて,再三にわたり被災した。大沢地区北西部や船越半島西部の田ノ浜の山麓部には,1933年の津波の後に移転先として造成された人工平坦面(数ha)がある。斜面の花崗岩風化層が,人力による切土・盛土を容易にしたとみられる。山田中心市街地は,主として1960年代以降,平野部の盛土により,次いで周辺の低い尾根を削り小さな谷を埋めて,拡大した。防潮堤は,ほぼすべての浜でチリ地震津波の後に順次整備され,その高さは,山田湾岸の大半で4m,船越湾岸では8.4m,小谷鳥では8mであった。今回の津波で,これらの防潮堤はほとんど越流され,転倒・流失した箇所も多い。防潮堤破壊が,その前面での構造物の有無や,基礎が置かれた地盤等と関係しているとみられる例がある。なお,関口川河口付近には,堤防が途切れる区間があった。
  • 筒井 一伸
    セッションID: S0103
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    「田園回帰」が『平成26年度食料・農業・農村白書』(2015年5月公表)や『国土形成計画(全国計画)』(同年8月公表)で取り上げられ,都市から農山村への移住が政策的に注目されている。この傾向は農山村などの地方への移住を支援するNPO法人ふるさと回帰支援センター(以下,回帰センター)への問い合わせ件数が2008年から2014年の間に4.4倍に急増したことからうかがえる。  農山村への移住は確実に広まりつつあるが,一方で2014年5月の自治体消滅論,いわゆる増田レポートをきっかけにはじまった「地方創生」の動きのなかで行政の人口減少対策としてこの移住の動きを捉え,移住の意義として“数”的な意味での「人口」増加を過度に期待する傾向が広がりつつある。しかしながら全国の人口推計の結果などから考えると,移住によって必ずしも「人口」増加に結びついているわけではない。その一方で,人口は増えてはいないが新たな人材の流入が進んでいる農山村も散見されはじめており,農山村への移住は少子高齢化が進んだ農山村にとって,既存の住民とは異なる年齢層の,異なる考え方や技術をもつ人材の獲得に結びつき,新たな地域づくりにつながる実態がそこにはある。  「田園回帰」は多面的に捉える必要があり,単なる人口移動現象に着目する「人口移動論的田園回帰」の捉え方では不十分である。報告者は農山村における移住者のなりわいづくりに焦点を当てて,その実態となりわいの形成に至るサポートのあり方を提示してきた)。そこで重視してきたのは,農山村における地域づくりの視座から捉える移住者のなりわいづくりの“質”的な意義である。このなりわいづくりも含めて,農山村への移住者と地域住民の相互関係を通じて生じる様々な地域での動きに着目する「地域づくり論的田園回帰」の捉え方が重要となっている。  地域づくり論的田園回帰の実態は「多様性」という言葉で表現できるが,その多様性は農山村への移住の歴史から理解することができる。Uターン現象と「脱都市」の動きが見られた1970年代,アウトドアブームと「田舎暮らし」思想が広まった1980年代から90年代,スローライフや二地域居住が広まった1990年代後半から2000年代と移り変わり,近年の特徴としてはリーマンショックや東日本大震災などを契機とした若者への田園回帰の浸透が見られる。回帰センターへの移住希望者の問い合わせも30歳代を中心とする現役世代が増加しており,農山村での地域に密着した暮らしへの「ライフスタイルの転換」を希望する傾向を反映したものと回帰センターでは分析をする。このような中で注目されるのが「孫ターン」である。現役世代が,農山村にうまれ故郷を持つ団塊の世代から,農山村にうまれ故郷を持たない団塊ジュニア世代以降にうつりかわるなかで,これまでのUターンに加えて,祖父母など親族の住む地域へのIターン(孫ターン)が散見されはじめており,これまでのUターンに加えて孫ターンの動きへの注視が必要となっている。  ところで田園回帰には3つのハードルが存在し,その対応が求められている。一つ目はコミュニティとの関係づくり,二つ目はなりわいづくり,そして三つ目はすまいの問題である。特に二つ目のなりわいづくりは現役世代が増える中で特に克服が求められるハードルとなっている。回帰センターを訪れた移住希望者へのアンケート調査結果では,就農の希望が減少する一方,就業や起業などが増加しており,農山村でのなりわいが農林業だけではなく,就業や起業,そして継業などより多様化している実態がそこにはある。  田園回帰の捉え方が「人口移動論的田園回帰」から「地域づくり論的田園回帰」へその軸足を移すことが求められ,それが昨今の田園回帰の実態への正しい理解をもたらすものである。しかしながら,農山村移住の増大は,人口移動が従来の農山村から都市へという一方向への流れではなく、双方向への流動化が進む新たな都市農村関係に向かいつつあるともいえる。このことを「都市農村関係論的田園回帰」と位置付けることができる。地理学において固定的に「周辺地域」として位置づけられてきた農山村の地域論的位置づけにも変化をもたらす動きとして「田園回帰」は捉えることができる。
  • 大熊 夏子, 澤田 康徳
    セッションID: P005
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    目的:都市ヒートアイランドに対する人工建築物の寄与は,観測やシミュレーションによって示され,観測では集住している建築物を対象とし,人間活動を含んで都市ヒートアイランドに対する建築物の寄与が議論されてきた。人間活動を除いた建築物の寄与は,Sugawara
    et al.(2006)が,建替え前の集合団地において都市キャニオンの熱輸送の鉛直構造で指摘している。本研究では,非居住の集合団地とその周辺における気温の水平分布を多数の観測から捉え,都市キャニオンの気温分布に対する建築物の寄与を定量的に評価する。




    方法群馬県伊勢崎市に位置し,人の出入りが周囲においてもほとんどない非居住のフラット型集合団地(写真1)で,並列する2棟とその周辺を観測領域とした。建築物東・西端を含む東-西7列,南-北9列(全63地点)において気温,湿度,地表面放射温度の移動観測を2015年3~9月の無降水日に行った(計66回)(図1)。建築物壁面放射温度,風速についても観測開始時に記録している。なお,地表面は裸地で多少の植被が認められたため植被率も記録した。そして,移動観測(66回)で得られた気温分布に基づいて主成分分析を施した。その際,都市ヒートアイランドやキャニオンの気温特性は,周辺との差から抽出されることを考慮し,気温を空間的に相対化した。すなわち,各地点の気温(Ti,j ) に対する各観測の領域平均気温(MTj )の偏差(RT )の地点ごとの平均(Ti , jMT j  )を算出し,それと各観測の地点の気温差

    RTA=(Ti,jMT j )-(Ti,jMT j )に対して相関行列による主成分分析を施した(ij は地点番号と観測回( i = 1~63,j = 1~66)である)。

    結果:第1主成分(寄与率:27.9%)は,N・S棟の南側において負で大きい因子負荷量が分布している。第2主成分(13.8%)の因子負荷量は,キャニオンで正,S棟南側で負,第3主成分(12.8%)はS棟北側では負で,セミキャニオン~非キャニオンでは正で因子負荷量が大きい。第4主成分(9.0%)の因子負荷量は,非キャニオン中央で正および南端で負を示す(図2)。第1主成分得点が負(-0.50≧)のRTAの分布は,N・S棟の南側において高く,キャニオンで差が大きい(図3a)。RTAと同様の方法で算出した地表面放射温度の分布(図3b)は,N・S棟南側において正で,RTAの分布と高い相関(r=0.71)を示す。建築物壁面放射温度と地点気温の差については,キャニオンで差が小さくセミキャニオン,非キャニオンの順で差が増大する(図3c)。さらに,観測事例すべての南-北方向の平均RTは,キャニオンにおいて変化が明瞭で(図4),これらは建築物からの距離および日陰日向に対応している。このように,RTAと地表面および建築物壁面放射温度との関係は,寄与率が最大で建築物周辺で負の因子負荷量を示す第1主成分において対応がよく,キャニオンの気温分布はセミキャニオンに比べ建築物および地表面の放射温度の寄与が大きいことがわかった。なお,第2主成分は雲量と風向風速,第3主成分は観測領域における気温分布,第4主成分は植被率に対応していると考えられる(図なし)。
  • 佐々木 夏来, 須貝 俊彦
    セッションID: 1015
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
     湿潤変動帯に属する日本においては,山岳地域にも広く湿地が分布している.山岳湿地の形成要因については,これまで第四紀の気候変動と関連づけて論じられることが多かった.地形条件としては,古くから氷河地形や火山地形が着目され,近年では地すべり地形が山岳湿地の形成に非常に重要な役割を果たしていることが指摘されるようになってきた(Takaoka 2015; Sasaki and Sugai 2015).また,大丸・安田(2009)は,湿原を「地下水涵養型」と「雪田草原型」に類別し,雪田草原型湿原が気候変動に伴う降雪量減少の影響を受けるであろうことを指摘するとともに,地下水涵養型湿原が温暖化の影響を受けにくいだろうと予想している.つまり,湿地の成立条件と遷移過程を明らかにするには,気候変動のみならず,水文環境,地形条件を考慮した総合的な理解が必要である.
     本研究では,様々な成因の湿地が混在する八幡平火山群を研究対象地として,湿地の分布と特徴を地形と水文環境の観点から検討する.「湿地」は水分が豊富な様々な地表状態を指す言葉である.本研究では,湿地の中でも特に,湿性の草原を指す場合には「湿原」を用いる.

     2.研究方法
      国土地理院が1976年に撮影したカラー空中写真を用いて,八幡平火山群内の面積100 m2以上の湿地を対象に判読し,湿地を「池沼」・「湿原(湿性草原)」・「湿原を伴う池沼」の3つのタイプに分類した.地形については,空中写真および数値標高モデル(10 m-DEM)を用いて火山原面,地すべり地形,開析斜面,谷底平野に地形面区分するとともに,ArcGISを用いて,10m-DEMから逆距離加重法により100mメッシュの標高ラスタを発生させ,斜面方位角,斜面傾斜角を計算した.尚,対象地域内の湿地の90.2 %が面積10000 m2以下である.

    3.八幡平火山群の地形と湿地
    八幡平火山群は,複数の第四紀成層火山で構成され,奥羽山脈の一部をなす.域内最高峰の八幡平火山(1614 m)から南へ標高1400 m程度の稜線が続き,北部では東西方向に火山が連なる.火山体は多様なサイズの地すべりによって侵食が進んでいる.八幡平火山群内の526の湿地のうち,火山原面上に存在するものは262,地すべり地(土塊)に存在するものは185であった.火山原面上に存在する湿地は,主に,奥羽山脈の主稜線沿いの雪田や八幡平火山山頂付近の火口湖である.
    Fig.1に火山原面および地すべり土塊上の湿地の標高別分布を示す.標高によって地形面の面積が大きく異なるので,各標高帯ごとに湿地数を地形面面積で除して正規化した.火山原面上の湿地は,高標高域に極度に集中しているのに対して,地すべり土塊上の湿地は,低標高域にも見られる.火山原面上では,雪の吹き溜まりとなりうる稜線沿いの鞍部や,多数の噴火口が存在する八幡平火山山頂付近に湿地が集中していることが反映されている.地すべり地内では土塊表面の凹地形内に湿地が形成され,気候だけでなく微地形の影響を大きく受けているため,低標高域にも湿地が分布すると言える. Fig.2は湿地の斜面方位別頻度分布を示す.Fig.1と同様に各斜面方位の地形面面積で正規化した.地すべり地内の湿地は湿地群(黒谷地湿原)の存在を受けて西向き斜面で例外的に多くなっている点を除けば,特定の向きに集中する傾向は見られない.一方,火山原面上では南から西向き斜面上に湿地が多く分布している.一般的には,冬季に北西季節風の卓越する山地においては,風背側となる東向き斜面の積雪が多くなり,雪田草原が形成されると考えられている.しかし,八幡平の場合は,火山原面の斜面傾斜角が平均で9.4°と非常に緩やかで,稜線沿いも森林限界には達していないことから,オオシラビソの疎林が堆雪効果を発揮して,西向き斜面でも鞍部では湿地形成に十分な積雪が得られると推測できる.

    引用文献
     大丸裕武・安田正次 (2009) 地球環境 14: 175-182.; Sasaki, N. and Sugai, T. (2015) Geographical review of Japan series B 87: 103-114.; Takaoka, S. (2015) Limnology 16: 103-112.
  • 財城 真寿美, 水野 一晴, 塚原 東吾
    セッションID: P010
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.  はじめに
     地球温暖化にともない,南アメリカ大陸においては,熱帯林の減少や山岳氷河の後退など,さまざまな環境変化が報告されている.ラパスを含む熱帯アンデス地域では,0.10-0.11℃/10年(統計期間:1939-1998年)の割合で気温が上昇していることが報告されており,特に最近は0.32-0.34℃/10年(統計期間:1973-1998年)と温暖化が加速している.ラパス市は20世紀を通じて,人口増加や工業の近代化などを経験してきた.本研究では,20世紀初頭からラパス市の市街地において行われてきた気象観測記録をもとに,ラパスにおける20世紀の気候変化にどのような特徴があるかを明らかにしたい.
     2.  ラパスにおける20世紀の気象観測記録
     20世紀における長期間のボリビアの気象記録は, NOAA図書館のウェブサイト(http://docs.lib.noaa.gov/rescue/data_rescue_home _old.html)で,ラパスをはじめ,シュクレやコチャバンバなどでの気象月報や年報の画像が公開されている.本報告では,20世紀に長期間かつ継続して気象データが得られるラパス市街での気象観測記録を扱う. ラパスでの気象観測は,1890年,現在も中心市街地に位置しているイエズス会のColegio San Calixtoの構内(16º29'43"S,68º7'57"W, 海抜3658m)において,Ricardo Manzanedo牧師によって始められた(Udias,2003).その後,観測所はイエズス会によって,非営利民間団体Observatorio San Calixtoとして運営された.NOAAのウェブサイトでは,このObservatorio San Calixtoにおいて行われた気象観測の記録 ”Resúmenes generales anuales de las observaciones meteorológicas” の一部が公開されている.この記録には,1918-1948年, 1962-1979年(1973年は欠損)における,気温・気圧・湿度・水蒸気張力の最高・最低・平均値と総降水量などの月統計値が掲載されている.また,月降水量については,1891年1月-1930年12月と1898年6月-1948年3月の一覧表とグラフが付随しており,より過去にさかのぼったデータが得られる. 
     3.  ラパスの気候変化
     年平均気温,日最高気温と日最低気温の年平均値は,データ前半(1918-1948年)の時系列には顕著な変化が見られない.一方,後半(1962-1979年)は平均気温がやや上昇傾向となっているのに対して,日最高気温が下降傾向に転じている.また,全データ期間における変化の割合は,日平均気温は0.29℃/10年,日最高気温は-0.23℃/10年,日最低気温は0.05℃/10年となる.また,年降水量の長期的な変化傾向は見られないが,周期的な変動を繰り返している.1920年代中頃と1930年代後半,1960年代後半から1970年代にかけて,総降水量と降水日数ともに少ない時期があった.  ラパスの季節変化のパターンを20世紀の前半と後半でハイサーグラフにより比較すると,両者は大きく変位している.乾季(5, 6, 7, 8月)については,明瞭な上方への変化とやや左方向への変位が認められる.これは,顕著な気温上昇と降水量のわずかな減少を表している.乾季の乾燥化については,1976-2013年のエル・アルトの気象データにもとづく解析結果でも指摘されており,この地域では長期的に乾燥化の傾向が長期間継続していると考えられる.一方で,雨季(1, 2, 3, 12月)には,右上方向への変位があるので,気温の上昇と降水量の増加傾向があるといえる.降水量の日データがないので,推測の域を出ないが,特に雨季の終盤にあたる3月の降水量の増加傾向が顕著であることから,雨季の期間が長期的に変化している可能性も考えられる.
  • 朝日 克彦
    セッションID: S1202
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに コモンズとしての氷河の利用は多方面に及ぶ.氷河そのものがツーリズムのデスティネーションであり,アルプスや南米では氷河が世界自然遺産に登録されている.アルプスではスキーのフィールドでもある.氷河の融け水は急峻な山地の源流の水として,規模の大小を問わず水力発電に利用されている.一方ヒマラヤの氷河はとりわけ急峻な山地を起源とし,氷河の下半分は大量の岩屑(デブリ)に覆われており,アルプスなどの典型的な氷河景観とは異なる様相にある.ツーリズムの対象たり得ているとはいい難い.また水力発電も開発の余地が大いに残されている.   2.氷河融解水の灌漑利用 氷河の利用にあっては,氷河融解水の農業利用という側面もある.カラコルム(パキスタン)やチベット,ネパール中北部のムスタン地方では,氷河融解水を灌漑設備を通して農地に引水している.これらは年降水量が250mmを切る非常に乾燥した地域であり,農業には灌漑が必須である.とりわけカラコルムでは雨季は冬季であり,乾燥した夏季には氷河の融解水が農業に不可欠な存在である(例えば,Kreutzmann, 2000; Mayer et al., 2010).氷河の融解水は「グレーシャーミルク」と呼ばれるほど濃く白濁している.これは氷河が破砕した岩石を融解水が大量に含んでいるからである.したがって単純に氷河融解水を農地に散水すると,有機物を含まない大量の粘土で畑表面を覆うことになり,農業利用ができなくなる.またそもそも水温が低く,利水するに相応しくない.そこで,数キロに及ぶ長い灌漑水路で加温し,さらに多数のピット(水溜)を設置して,氷河融解水の懸濁物質を沈殿させる特殊な設備を備えている(図1).   3.ネパール東部での氷河融解水の利用 上述の地域とは対照的に,エベレスト山を源流とするネパール東部,クンブ地方では氷河融解水を利用した灌漑設備は皆無である.そもそもネパール東部は夏季モンスーンにより降水量が多く,農業高距限界(4300m)付近でも500mm以上の年降水量があり,じゃがいもやオオムギの栽培は天水で十分にまかなえるからである.また乾季は気温が十分に低く,氷河が融解しないので氷河からの融解水の供給はない.Fürer‐Haimendorf (1964)では当該域のオオムギ畑で灌漑を利用した農業が行われているとの報告があるが,氷河融解水ではなく湧水起源であろう.「乾期こそ氷河融解水に依存する」という言説は乾燥地にこそあてはまる事象である. 灌漑が高度に発達したヒマラヤ山麓ではどうか.河川は氷河起源とされる.しかし流域面積に占める氷河の割合は5%程度しかない.ガンジス水系で氷河融解水の占める割合は3%程度との水文モデル計算もある(Miller, 2012).河川の最源流域が氷河であったとしても,それをもって河系全体が「氷河起源」にはあたらない. このように,降水量の多寡(図2)を背景として,ヒマラヤの東西で氷河融解水の利水状況は大きく異なる.したがって,ヒマラヤを大観して「氷河融解水に依存している」とするのは誤りといえよう.

  • 南箱根ダイヤランド別荘地の事例
    橋詰 直道, 稲田 康明
    セッションID: 715
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究は,東京大都市圏の超郊外地域に位置する静岡県田方郡函南町の別荘地南箱根ダイヤランドを事例に,定住化に伴う高齢化の実態と居住環境に関わる諸問題について,これまでの調査結果と比較しながら明らかにしようとしたものである。調査では,この別荘地の管理会社から,開発の経緯と現状を聞き取り調査し,ダイヤランド区民の会の協力を得て,2014年9月に戸建て定住世帯と別荘に対してアンケート調査を実施した。その結果は,以下のように要約できる。 アンケート回答定住世帯(202世帯)の世帯主は,8割近くがリタイアした「無職」の世帯で(平均年齢72歳),いわゆる退職移動に伴うリタイアメント・コミュニティを形成している。この別荘地を購入し,転入を決めた理由に「富士山の眺望」と「温泉付き」を魅力としてあげた世帯が多いことがこの別荘地の特徴である。この高齢定住者の多くは,主に首都圏から定年退職を機に,富士山の見える自然の中で,ガーデニングや家庭菜園,ゴルフなどの趣味を楽しみながら第二の人生を満喫することを目的に「アメニティ移動」をした富裕層を中心とする住民達である。彼らの多くは,趣味をとおして「リゾート型リタイアメント・コミュニティ」を構築しているが,別荘地であるが故の不満や将来の生活に対する不安も抱えている。例えば,住宅地内では雑草や樹木の管理,空き地管理などに,環境面では,バスの便や,食料品・日用品の購入などに対して不満を持ち,近い将来「車が運転できなくなった時への不安」が常に付きまとっている。それでも約6割の住民が,この別荘地に「永住する」と回答しているのは,彼らにとってこの場所が不満や不安を忘れさせてくれる豊かな自然と眺望,趣味が楽しめる「楽園」であるからであろう。しかし,既に定住者の高齢化率が53%を超えていることを考え合わせると,老人保健施設が未整備の別荘地では,加齢とともに生活の不安や不満が増すことになり,転居して第三の人生を送る場所を探し始める居住者も少なくない。このことは,千葉県や栃木県の事例(橋詰,2013;2014)と同様,超郊外地域の別荘地ならではの共通の課題を抱えていると言える。
  • 吉次 翼
    セッションID: 713
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    地方創生の推進にあたっては,平成27年度末までに全ての市町村において「市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」(以下、地方版総合戦略)を策定することが努力義務とされている。このうち,地方都市等における「まち」の創生方策としては,政府より「コンパクトシティの形成」がその筆頭格として提示されており,各市町村の地方版総合戦略にも多数採用されることが見込まれる。
    他方,わが国のこれまでのコンパクトシティ政策は,その言葉のみが独り歩きし,具体的な実現手法や評価指標の不備・不足を指摘する声も根強い。地方創生の気運が高まる中で,いかにコンパクトシティを実現するのかが改めて問われている。 そこで本研究は,地方版総合戦略が掲げるコンパクトシティ政策の実態と課題について,その記載内容をもとに分析・考察する。これにより,より実効性ある地方創生やコンパクトシティ政策を推進していくための基礎的知見を得ることを目的とする。
  • 岩崎 憲郎
    セッションID: S0105
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.山村の現実
    大豊町は四国の中央部に位置し,面積315㎢の急峻な地形に約4,000人が暮らし,ほとんどが山腹にある85の集落からなる.平地が全くなく町域の約90%を山林が占めていることから,町民は少ない農地を耕し,森林の恵みを生かす生産の営みにより,生活を支えてきた.しかし,人口の高齢化は更なる過疎化を加速させ,2015年の国勢調査では5年間で約16%の減少を示した.急激な過疎の進行と同時に進む高齢化率は55%を超え,山村の現実は更に厳しさを増している.

    2.山村の暮らし
    山村における日々の「生活の営み」や「生産の営み」は,自然環境とともにあり,人々の生活は自然の営みの一部でもある.その営みにより守られ,維持されている公益的な機能は,山村住民の生活を支えているだけでなく,下流域に位置する都市住民の生活をも支えており,山村住民の営みなくして守れるものではない.山村住民が安全で安心して暮らし,日々の穏やかな生活や力強い生産の営みを続けるためには,山村の問題を山村だけの問題とするのではなく都市部を含めすべての人々が,それぞれの立場から考え行動していく必要がある.こうしたことから,山村の営みを次の世代につないでいく必要がある.
    環境の世紀といわれる時代を迎え,地球温暖化に代表される深刻な課題をかかえ,国民的な取り組みが求められている.それは,緩和策,適応策において,山村の営みを守ることの重要性,緊急性を国民的な課題として共有し,それぞれの地域においてそれぞれの立場からの積極的な行動が必要であるということである.

    3.森林を活かす
    大豊町の地域資源は,林野率90%,民有林の人工林率70%の「森林」以外にない.この「森林」を資源として地域の力に変えることができるかどうかが,町の将来を決めることとなる. 杉や桧の苗木を背負い,急峻な山を登り,土の少ないところには人力で土を運び植えた木が約50年生になっているが,今日の大豊町では木材代金よりも,伐採や搬出費用が多額を要する現実に直面している.それでも,地域の将来を決定づける貴重なそして唯一の資源である「宝の森林」の輝きを取り戻すことが,山村の営みを守り伝えていく上で最も重要な課題となっている.

    1)木材加工
    伐期を迎えている森林資源を活かすためには,本来の目的である用材としての活用が基本となる.大豊町では,膨大な蓄積量を誇る森林資源と大量消費を直結するパイプとして大型製材工場を誘致し,年間10万立方メートルの木材を製材し,出荷する計画をスタートさせた.また,低質材の効率的な利用を推進するため,木質チップ工場を誘致し,年間6万立方メートルの木材加工に向けた取り組みを開始させた.これらの取り組みを通して,大豊町では木材のすべてを使い切ることから林業を再生させ,植える,育てる,伐る,使う森林の営みを通じて環境財,経済財として機能の高い森林を再生させることを目指している.

    2)木造ビルディング
    木材需要の増大に向けた新しい木材の利用方法として,CLT(クロスラミネーティッドティンバー)工法による木造ビルディングへの取り組みを始めた.この技術を導入することで,都市部の鉄筋コンクリートビルを木造ビルディングに変えることにより,「コンクリートの林」を「森林」へと変えることで,木材需要を飛躍的に伸ばす可能性が生まれてきている.高知おおとよ製材の社員寮は,日本初となるCLT工法による3階建て木造ビルディングとして建造した.大豊町では,この工法の普及による産業化を推進するため,国の木造建築基準の見直しや東京オリンピックの選手村への建築を要請するなど,新たな木材需要の開拓を目指している.

    3)木質バイオマス
    再生可能エネルギー分野への取り組みとしての木質バイオマス発電について検討を進めている.この発電は,他の再生可能エネルギーと異なり,植林,伐採,搬出,運搬,燃料加工など,多くの雇用が生まれる可能性があり,国民による電気料負担によって森林の整備が進み,結果として環境機能の高い森林づくりが進むとともに,広く国民に公益的機能を還元できることにつながる.

    4.まとめ
    人工林率70%の民有林のほとんどが伐採適期を迎えており,原木増産に向けすべての木を集荷,選別し,安定的な供給を目指す基地として,原木ストックヤードの建設を計画している.団地化による効率的な施業の推進,自伐型の林業に対する支援制度の拡充が企図されており,環境世紀にふさわしい,森林資源を活かした元気な山村の再生を目指して,様々な取り組みを進めている.
  • 馬袋 真紀
    セッションID: S0106
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.地域おこし協力隊
    地域おこし協力隊とは,都市地域から過疎地域等の条件不利地域に生活の拠点を一定期間移し,地域協力活動を行うもので,平成21年度に総務省が創設した制度である.活用している自治体に対して隊員の報償費や活動に要する経費が特別交付税により財政措置(上限400万円/人)される.平成26年度には,全国各地の437自治体で1,511人の地域おこし協力隊が活躍しており,平成27年度には2,000人を超すと言われている.この地域おこし協力隊は,地方で自身の力を活かしたいと思っている人と,斬新な視点で新たな風を期待したい地域と,そういった柔軟な地域活動を応援したい行政の三者の思いが合致することで成立する取り組みである.
    2.地域おこし協力隊の活用
    地域おこし協力隊をどのように生かしていくのかは,自治体に委ねられている.その活動は,地域ブランドの開発・販売や地域情報の発信などの地域おこし支援活動や,起業,農林水産業への従事,生活支援など幅広く,その活動の成果とされるところも異なる.どんな場合であっても,隊員と地域と行政の三者の思い(目的,将来目標など)を一致させておくことが大切である.
    3.兵庫県朝来市の事例
    平成17年4月に朝来郡4町が合併して誕生した朝来市(平成27年12月末現在人口31,854人,高齢化率32.37%.旧山東町が過疎地域指定)は,人口減少・少子化・高齢化を抱える中山間地域であり,従来の集落単位の地域自治の仕組みでは限界を感じ,平成19年度から小学校区単位の新たな地域自治組織である地域自治協議会を設立し地域づくりを展開している.この地域自治協議会を地域協働のまちづくりの基盤として位置づけており,それぞれの地域自治協議会では,「地域まちづくり計画」を策定し,地域住民で地域の将来像を共有し,その将来像に向かって,市民の自律と共助(絆力)により,主体的に地域課題の解決に向けた活動を展開している.この地域自治協議会が,地域おこし協力隊の活動のベースとなり,地域課題の解決に向けた取り組みの一部を,地域住民と地域おこし協力隊とが一体となって取り組んでいる.そうすることで,地域おこし協力隊の目標や活動そのものが,地域の目標となり,地域と地域おこし協力隊が一緒に取り組むことで,協力隊の自立だけでなく地域力の向上につなげている.そのためには,活動のベースとなる地域自治協議会は,一緒に取り組む活動を明確にするだけでなく,住み慣れない地に住まいを移し活動をしようとする隊員の人生の選択に対して応援し,隊員の自立に向けて一緒に取り組む覚悟を持つことが必要である.また,行政は,隊員にとっても地域にとっても活動しやすいように,隊員自身の思いを引き出し,それを地域の思いにつなげ,お互いの将来目標に向かって体制を整える役割がある.こうして,隊員と地域と行政の3者の思いの共有により,それぞれの力が引き出され,地域力の向上につなげ,隊員の活動により様々な地域の歯車が回っていくようになると考えられる.
    4.地域の誇りを取り戻す
    地域おこし協力隊の地域での活動は,地域住民にとって自分たちが「あたりまえ」だと思っていることが「価値があること」だとわかり,その感覚が新鮮に感じ,地域への「感謝」の気持ちに変わっていった.それは,自分たちのまちの価値を再確認し,地域への誇りを取り戻し,さらに活動へつなげる原動力につながっている.また,隊員は活動を一緒にする仲間たちや,伝統的な技を惜しみもなく教えてくれる年配の方がなど地域の「人」に魅力を感じ,それを情報発信したり,隊員が持つ人脈とつなげたりすることで,地域住民は客観的に自分たちを見ることができ,自分たちが普段何気ない暮らしや,創り出しているモノの価値を知り,自尊心を取り戻すきっかけにもなっている.活動を通してお互いを尊重しあえる関係は,互いの思いを引き出し,力を引き出しあえている結果であり,地域おこし協力隊の制度を活用している全ての地域で共通していえることではない.
    5.先駆者となる地域おこし協力隊
    自分らしさが発揮できるいきいきとした地方での暮らしは魅力的であり,地域おこし協力隊がその生き方のイノベーターとなっており,隊員が農村の価値を発信することで追随者を呼び寄せている.その一方で,隊員は移住者として歓迎されながらも集落をかき混ぜられないかと不安を抱える住民も少なくはない.それゆえ,移住者の先駆者として隊員の集落の入り方,暮らし方,活動などは重要である.したがって,地域おこし協力隊の制度の一部だけを切り取り活用するのではなく,地域の将来像をみつめ制度を活用することが重要である.
  • 山本 健兒
    セッションID: 1020
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
     

    日本では「地方」における経済的疲弊の克服が課題となっているが,欧州にはグローバリゼーションの進展下でも経済活力ある農村地域が国内の経済的・地理的周辺部であっても存在している.その典型例は,ドイツ北西部に位置するエムスラントである.本報告は,この地域の経済状況に関する統計でそのことを確認し,かつドイツの地理学者によるこの地域に関する議論の検討を踏まえて,周辺的農村地域の経済発展の条件に関する考察を目的とする. 

    かつてこの地域はドイツの「貧民収容所」と呼ばれるほどに貧しい地域であった.この地域の本格的な開発が始まったのは1951年である.同年に設立されたEmsland GmbHが,連邦及び州政府,そして地元の諸郡による公共投資を受けて農地整備を進展させ,1970年代後半には混合農業地域としてドイツ内の他の農業地域に比べて遜色ない経済水準に達したとされている.

    しかし,地域南部は既に1950年代においてドイツ全国平均に近い1人当りGDPを示していた.他方,北部のそれは全国平均の60%に達していなかった.つまりエムスラントの全てが貧しかったわけではなく,郡内での地区間格差が大きかった.

    他方,1990年代初め時点で1人当たりGDPが依然として全国平均(20,453€)に比べて低かった(18,935€)ものの,その後の成長は目覚ましく,2012年には36,734€と,全国平均(32,550€)を10%強上回っている.このような経済発展の要因を,Danielzyk und Wiegandt (1999)は,低い人口密度と低平な土地を利用して他地域では歓迎されない原発などの大規模施設を有力郡長のもとで積極的に誘致したことや,1980年代以降の中小製造企業の発展などに求めている.ハードな立地条件と並んで,住民の経済に関するメンタリティと,郡自治体の経済に関する効率的なマネジメントとが奏効したというのが彼らの見解である.

    しかし,中小製造企業の実態に関する彼らの議論は具体性に欠けており,不十分である.実際には郡内に立地する大企業の役割が大きいのではないかと推測される.特に郡内最北部に立地する造船企業が豪華クルーズ船の建造で目覚しい成長を遂げたことや,郡内南部に立地する農業機械等に関する地場企業の成長と,これの分工場が郡内北部に立地したことも注目される.もちろん,これらの企業への中小規模のサプライヤーが地域内に立地し,成長してきたことも重要と考えられる.

    さらに人口30万人台という規模にも拘らず,郡の産業構成が多様性に富んでいるという事実に注目すべきである.21世紀初めに,地元自治体,住民,企業等の寄付金等を原資にして,南北を貫くアウトバーンの未完成部分が整備され,交通条件が大幅に改善されたことも,ここ10年強での地域経済成長に好影響を与えたと考えられる.

    エムスラントの経験から得られる示唆は,外来型開発を拒否する必要がない一方で,内発的な力こそ重要であり,この力が域外市場とどう結びつくかということの重要性である.その際に住民や企業の地域帰属意識が果たす役割もまた重要である.
  • 川村 志満子
    セッションID: 102
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究は,長野盆地南部の犀川扇状地を中心として,微地形と家屋形態,施設から過去の千曲川と犀川の洪水の特徴を示し,地形と家屋や集落の形態と洪水との関連を考察するものである。長野盆地の沖積低地には,千曲川とその支流(犀川をはじめとする諸河川)が形成した扇状地,自然堤防,後背湿地などの河成堆積地形が分布している。また,この地域は古代から大洪水による被害を受け,戌の満水(1742年),善光寺地震後の犀川の大洪水(1847年)など多くの大洪水が史料に残されている。この地域には過去の洪水の様相を推測するような地形と,いくつかの家屋形態や水防施設が残されている。本研究では地形分類を用いて微地形を観察し,一般的な史料と絵図や発掘資料により過去の千曲川と犀川の洪水を表す表層堆積物や痕跡を調べて現地での確認を行った。その結果,洪水範囲には千曲川の旧河道や広大な後背湿地など特徴的な微地形の形成が認められ,洪水時の湛水が推測された。家屋形態,水防施設では,例えば長野市東の千曲川と犀川の合流部地点右岸の集落に形成された輪中堤から洪水への対応が示唆された。その他にも洪水に対応した施設があり,微地形と家屋形態,施設から千曲川と犀川の地域的な洪水特性が示唆された。また,現存するこれらの記録から,過去の経験という情報を将来へ引継ぐ可能性が推測された。
  • ―埼玉県さいたま市を事例として―
    本多 広樹
    セッションID: 714
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    これまで経済成長が優先されていた社会において、新たな方向性として登場した持続可能な成長の流れを受け、都市も従来とは異なる方向へと変化し始めた。その中で、様々なアクターの先端技術活用により、都市の持続可能な成長を目指すスマートコミュニティが現れた。そこで本研究では、スマートコミュニティに対する各アクターの関与やその相互関係について、環境に配慮した先端技術、特に次世代自動車の活用に着目して分析することで、スマートコミュニティの形成要因を明らかにすることを目的として調査を行った。研究対象地域としては、次世代自動車を用いた取り組みを行う先進事例である埼玉県さいたま市を選定した。
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