抄録
1.河岸としての日本橋地区の景観
本研究では日本橋地区の視覚史料として,江戸後期に刊行された広重の錦絵〔14点〕と『江戸名所図会』の挿絵〔10点〕に描写された対象の内容をリスト化し,分析・考察を行った。日本橋地区の視覚史料から描写対象を分析すると,日本橋,河川,川船,白漆喰の蔵,町屋敷であり,これらは,河岸を特徴づける要素であった。河岸は江戸初期に幕府の為政者により都市計画の過程で建設された人工事象であり,すなわち都市景観である。そして,多様な商業活動が行われた日本橋地区の河岸は,商業地としての典型的な景観であった。
江戸初期の幕府の都市計画により構築された河岸は,江戸に70か所立地し,そのうち,日本橋・京橋・銀座地区に40か所立地していたと『御府内備考』に記録されている。特に,日本橋地区に河岸は,17か所と江戸初期の埋め立て工事後に新しく建設された4か所に立地していた(図1)。
2.描写対象の川船と観光行動
日本橋地区には多くの河岸が設けられ,物的・人的要素が集積するようになった。視覚史料でみられた多様な人物は日本橋地区の人的要素として重要であり,商業地や観光地の識別材料となる。したがって,日本橋地区の人的な要素の関わりで,視覚史料に登場した高瀬舟,茶船,猪牙船,屋形船,屋根船などさまざまな川船に注目した。人の移動と娯楽手段として考えられる屋型船,根型船,猪牙船などの川船は,江戸後期の人々の観光行動を示すものとして重要であると考えられる。また,人を輸送していた川船を観光行動の指標として,物資を輸送していた川船を商業活動として類推することができる。安永4(1775)年から慶応3(1867)年にかけて下総国の境河岸から,1日1便1隻約25人乗船する川船が,江戸の小網町と新川に向けて出航したという記録がある。このことは,川船の利用が江戸後期の遠距離の移動に適していたことを示しており,乗客運送の機能をもつ川船は,江戸後期の行楽行動の足として意味づけることができる。視覚史料を補足する客観的な根拠になるため,文献資料による詳細な検討が必要である。
参考文献
石井謙治1995.『ものと人間の文化史 76-Ⅱ・和船Ⅱ』.財団法人法政大学出版局.
川名 登2007.『ものと人間の文化史139・河岸(かし)』:財団法人法政大学出版局.
小嶋良一2012.近世期における日本の船の地域的特徴.関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS):103~121.
鈴木理生2003.『図説 江戸・東京の川と水辺の事典』:柏書房.