日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 1021
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要旨
社会主義後のプラハにおけるジェントリフィケーション
*藤塚 吉浩
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抄録

プラハの中心部には、中世以降に形成された市街地が残っている。社会主義体制移行後には、住宅が接収されて再配分されるとともに、政府によりその配分は管理された。社会主義都市には不動産市場が存在せず、住居の変更は制限され、割り当てられた住宅にそのまま居住せざるを得ないことが通常であった(山本 2000)。社会主義体制下では、不足する住宅を補うために、周辺市街地に高層住宅が建設された(Sýkora 1999)。 <BR>  チェコでは経済体制変更後、旧社会主義政府が没収した資産を、所有者およびその後継者に返還した。所有者のなかには、その地を離れて外国へ移住した者もあり、資産を転売したり、修復してより高い賃料収入を得ようとする者も多かった。<BR>   社会主義体制では商業・サービス業に重点が置かれていなかったので、経済体制変更後には都心で商業化が進んだ。1区の旧市街では商業化が進展し、4分の3が非居住機能となった(Sýkora 1999)。居住機能を非居住機能が置き換えたため、人口が大きく減少することとなった。<BR>   プラハにおける2011年の不動産,専門・科学・技術,管理・補助サービス部門の就業者率についてみると、プラハ全市の比率は15.5%である。歴史的な市街地の1区や2区では、この比率が高い。一方、東部の周辺市街地ではこの比率が低く、社会的不均等になっていることが明らかである。<BR>   1区にある旧市街は景観保護地区で、新規のビル建設には制限が設けられており、1990年代末にはヴァーツラフ広場周辺に事務所が多かった(山本 2000)。西欧から進出した外国企業のオフィス需要を満たすためには、旧市街の建物の再利用だけでは不十分であり、旧市街の外側に大規模なオフィスビル開発が行われてきた。<BR>   ジェントリフィケーションは、社会主義への移行前の最も良好な住宅地、2区のヴィノハラディで起こった。西欧からの外国人を対象とした高級なアパートへの再生が主であり、住宅資産の3分の1に西欧の外国人が居住するようになった。1990年代後半から共同住宅は分譲に出されたが、民間の賃貸住宅は建てられなかった。1990年代後半以降の家賃の高騰により、再活性化された地域に住めなくなる人々もあり、その多くは市内他地区のよりアフォーダブルな住宅へと移った(Sýkora 2005)。<BR>   8区のカーリンはヴルタヴァ川沿いの工業地区であったが、1990年代初めより地区の西側からオフィス開発が進められてきた。川沿いの地域では、外国資本によりオフィスビルが開発されるともに、高級住宅開発が行われてきた(Cook 2010)。<BR>   本研究では、資本主義都市とは異なる都市構造の旧社会主義都市において、経済体制変更後の商業・業務地区の再編とともに、ジェントリフィケーションの進行がどのように都市の内部構造を変容してきたのか、その地理的位置と社会的影響について検討する。

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