日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 1011
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要旨
鎌倉市西部における戦後の緑地の減少と植生変化の過程
*鈴木 重雄
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抄録
はじめに
東京大都市圏では,人口の増加により近郊の市街地化が生じ,外縁部では緑地の減少が進んでいる.また,緑地として保全が図られている場所であっても,林野利用の変化によって,その植生の形態に変化が生じていると考えられる.本研究では,東京50 km圏に位置する神奈川県鎌倉市西部において戦後の植生・土地利用の変化を明らかにすることにより,緑地の面積の変化と,植生構成の変化の双方を明らかにし,検討を行った.

調査地域と方法
調査地域は,東京都心から約50 km離れた鎌倉市西部のおよそ2 km四方の範囲(約445 ha)である.鮮新世に形成された三浦層群からなる丘陵と柏尾川沿いの沖積低地からなる地域で,標高は7 m~119 mである.昭和初期に南部の丘陵で別荘住宅地の開発が行われ,戦時中には沖積低地に海軍工廠が設けられた.1960年代以降はさらなる工場の開設や住宅地開発が進められた.鎌倉市の人口は1947年に81,277人だったものが,1985年には175,495人となっている(国勢調査結果より).
本研究では,1946年,1963年,1988年,2000年の空中写真の実体視により,土地利用・植生図を作成し,GIS(Esri社製Arc GIS 9.2)上でオーバーレイ解析を行った.また,増加が顕著に認められた竹林について,所有者からの聞き取り調査も行った.

結果および考察
1)緑地面積の変化
1946年には,樹林地と草地が240.7 haと54%を占めていたものの,2000年には127.1 haとおよそ半分に減少した.耕作地の水田と畑も1946年には149.2 haあったものが,2000年には13.4 haと1割以下に減少した.一方,建物等は54.0 haが308.8 haと5倍に増加していた.1946~63年では沖積低地や谷戸の斜面に沿った場所の宅地化が中心であったが,丘陵地で地形改変を伴う大規模な宅地造成も始められていた.1963~88年では,丘陵地での大規模宅地造成がさらに進行し樹林地・草地の41%が市街地化した.沖積低地の市街地化も進行し,耕作地の69%が市街地化し,水田もこの字期間でほぼ消滅した.1988~2000年は,特に樹林地・草地の減少が鈍化し,15%が市街地化しただけであったが,耕作地は42%が市街地となり,更に減少が進んだ.これは,開発余地が限られたことや,住民の反対運動の活性化,古都保存法,都市緑地法,都市計画法,市風致地区条例などの法規制で,特に樹林地の開発が難しくなったためであると考えられる.

2)相観植生の変化
樹林地・草地の相観植生毎の面積の変化をみると,竹林が2.8 ha(1946年)から11.8 ha(2000年)へと拡大をしていた.広葉樹林は1946~63年に150.4 haから89.5 haへと急減したが,その後は変化が少なく2000年でも87.8 haであった.針葉樹林と低木林は1946~63年に増加したものの,その後は減少し,草地は1988年まで減少をしたのちに,横ばいとなった.
1946~63年は宅地造成が進められる中でも広葉樹林から針葉樹林への樹種転換や伐採が認められたが,その後は,低木林や針葉樹林への変化が顕著で,この結果,広葉樹林の面積が維持されることになった.これは,耕作地の市街地化や化石燃料の普及により,林野資源の利用が中止されたことで遷移が進行したためであると考えられる.加えて,1)で触れた法規制は,木竹の伐採にも行政の許可を必要とするものも多く,人為攪乱が減少し,植生構成の変化を生じさせたと考えられる.

3)竹林の拡大要因
2)で述べたように,1946~63年に竹林は4.2倍に拡大していた.たけのこ等の竹林資源の利用が盛んでない当地域では,タケの植栽は造園目的での植栽が多いことが分かった.これらの竹林の中でも,特に個人所有地,土地所有者が近在していない箇所で拡大が進行しやすい傾向が確認できた.

まとめ
鎌倉市西部においても,1960年代から1970年代の急激な市街地化によって緑地面積が減少していることが,明らかになった.加えて,林野の利用体制の変化や緑地の保全施策,庭園からの逸出種などが,緑地の植生構成に影響していることが示唆された.
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© 2016 公益社団法人 日本地理学会
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