日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 101
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要旨
出雲平野の形成と屋敷林(築地松)の形成
*小竹原 宣子
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抄録

出雲空港に着陸する時、眼下には水田に点在する屋敷林の築地松の美しい景観が見える。出雲平野は島根半島と中国山地に挟まれた堆積平野、中央を流れる斐伊川は天井川であり、流の中国山地は風化した花崗岩層であり、鉄分の多い砂礫である。 紀元前0年頃、素戔男尊は鉄器文化と植林法を日本に持ち帰ったと韓窯神社に由来がある。鎌倉時代には鉄器文化は生産性を求めた「たたら製鉄」となり、植林法はたたら製鉄の炭の原料としてクロマツが使い、山林はクロマツ比率が急上昇した。鉄分の多い砂礫の砂鉄はたたら製鉄の原料となり、掘削により山林の荒廃は著しく、余剰の砂礫は斐伊川へ流され(鉄穴流し)、河口の出雲平野は洪水の繰り返しとなった。 江戸時代、松江藩主は水学者を招き「川違え(かわたがえ)」という土木工事により斐伊川を日本海側(西流)から宍道湖(東流)へと河口を変更させ、宍道湖の干拓を行い、現在の出雲平野の3分の2を造成した。築地松の始まりは土を積み(じょぎょう)その上に自然林ができ、更なる土地の安定にタケを植えた。斐伊川跡となった出雲平野西部の開拓地にクロマツを植え始めたと同時に「じょぎょう」にもクロマツを植えるようになった。現在の築地松の始まりである。美しい四角の反りは、出雲大社の鳥居の形状に由来する。 築地松の存在意義は「①冬期日本海から吹き付ける季節風を防ぐため②斐伊川の氾濫の時に土地ごと流されるのを防ぐため③枝おろししたものは燃料として備蓄し、落ち葉は堆肥として活用するため④屋敷の広さと築地松の高さなど家の格式を表すため」とある。 築地松は原型・中間型・新しい型の3種に分類できる。原型は「じょぎょう」に自然林がある形状である。中間型は原型にクロマツが植林された形状である。 新しい型は川違えによって干拓をされた新しい土地にクロマツのみを植林された形状である。  築地松の構成であるクロマツは、S50年代からは天敵のマツクイムシとの戦いとなった。H23年にはヘリコプターによる薬剤散布を中止によるマツクイムシの大繁殖が起こった。築地松の戸数はH6年度4,117戸、H11年度3,380戸、H24年度1,516戸と減少にある。地元では、築地松景観保全推進協議会を設立し、冊子の発行、築地松ウォーク等の取組みを、また補助金の交付や築地松に関する調査研究、陰手刈りの技術研修会等を行っている。

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