日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: P051
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発表要旨
関東地方における米軍基地跡地の記憶と景観
*大平 晃久
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キーワード: 記憶, 記念碑, 米軍基地, 関東
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抄録
本報告は,大平(2011)の続編として,関東地方の米軍基地跡地がどのように記念されているか考察するものである.負の記憶と景観については,Foote(1997,2010),上杉(2010),平松(2012)など数多くの研究がある.一方,米軍基地については,基地文化としての言及は少なくないものの(新井 2005,難波編 2014,矢部 2015など),基地跡地の記憶の景観を論じた研究は見当たらない.  米軍に関する記念碑(石・金属彫刻),各種の表示(耐久性の低い解説板など),遺構の明示を,関東地方(静岡県,山梨県を含み,島嶼部を除く)の1968年時点で10,000㎡以上の規模であった基地の跡地45か所について調査し,その他に記念碑がある基地跡地等5か所もそれに加えた.結果は次の通りである. (1)全50か所のうち,記念碑設置16か所,記念碑がなく何らかの表示のみ6か所,遺構明示あり4か所で(表1),米軍の記憶はあまり景観化されていない. 記念碑がある場合も,表1に示したように,米軍の建てた記念碑の解説であったり,町の歴史や他の事項の説明のついでに米軍に言及したりするにすぎない.特に日本陸海軍の重視との差が大きく,より近い過去である米軍関係の記念碑・解説板等何もない一方で日本陸海軍の記念碑がある例に,水戸射爆撃場,王子,横須賀,追浜がある.遺構もほとんど明示されず,ワシントンハイツの宿舎遺構はオリンピック選手村の遺構としてのみ紹介されている. (2)これは,米軍基地が,負の遺産とはいっても,慰霊の対象ではなく,不名誉かつ迷惑な施設であることによる.一方で,基地は地域の,あるいはナショナルな記憶にとって重大であり,その葛藤が米軍基地の記憶の特異な景観化をもたらしていると考えられる. (3)そうした特異な景観化として,何も記念しない,あるいはごく些細な記念碑・解説板しかないことが,米軍基地跡地に対する強い否定を示す可能性を指摘したい(所沢,朝霞,立川,横須賀市内各基地など).同様に,「平和」という文言を碑に刻んだり,基地跡地の公園名に用いたりする例にも注目できる(表1以外に府中,横須賀,陸軍出版センター=川崎市中原区など).米軍基地以前に日本陸海軍基地であった例が多いため,すべてが米軍の強い否定ではないが,あいまいに米軍を否定するものとは言えよう.  また,区画整理や基地闘争勝利を記念する碑は,米軍そのものは記念できないが,復興や勝利としては記念できることを示し,米軍を積極的に否定するものである. (4)現在,進行している基地跡地4か所(朝霞,淵野辺,小柴,根岸住宅地区=未返還)の開発計画ではいずれも遺構の保存がうたわれている.これは他の文化遺産とも共通する動きであり,基地跡地の記憶の景観化におきつつある変化として注目される.
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