日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 401
会議情報

発表要旨
タイ・チョンブリ県シラチャ郡における日本人の生活空間の形成
*菅原 考史
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

Ⅰ.はじめに グローバル化はモノやカネの国際取引だけではなく,ヒトの国際移動も引き起こしてきた。日本国外で生活を送る海外在留邦人は,日本企業の海外進出を理由に年々その数を増加させている。中でもタイは,自動車産業の一大拠点として日系自動車メーカーの進出が進み,2017年現在,米国,中国,豪州に次ぐ在留邦人数を有する(70,337人,外務省調べ)。在タイ日本人は,主にバンコク都市圏に集中しているが,近年では東部チョンブリ県シラチャ郡においても企業駐在員を中心に日本人の集住傾向がみられ,現代版「日本人街」の様相を呈する。そこで本研究では,シラチャ郡における日本人の生活空間について,空間的側面と社会的側面から分析し,その形成基盤の解明を目的とする。   Ⅱ.生活空間の形成過程 チョンブリ県を含む東部臨海工業地域の開発は,1980年代より推進され,1991年にバンコク港の代替として建設されたレムチャバン港を中心に,チョンブリ県・ラヨーン県に複数の工業団地が建設された。シラチャ郡の中心市街地では,地元資本が主体となって企業駐在員向けの宿泊施設や歓楽施設の開発が進められた。  アジア通貨危機を経て,2002年には日本人関連組織としてチョンブリ・ラヨーン日本人会が設立し,日系企業駐在員の情報交換の場として機能したほか,2009年の泰日協会学校シラチャ校の創設には大きな役割を果たした。日本人学校の開校により,単身赴任の駐在員だけでなく,世帯赴任の駐在員の参入も進んだ。 2011年のチャオプラヤ川の洪水により,アユタヤ県郊外の工業団地では甚大な浸水被害が発生したため,一時的な避難先としてシラチャ郡が選択され,地価や物価の高騰を引き起こした。2013年頃からは,飲食業や広告業を独立開業する日本人現地起業者が参入し始め,また日本人向けの大型商業施設の開業も相次いだ。 Ⅲ.生活空間の空間的特性と社会的特性 シラチャ郡における生活空間は,シラチャ区内ではパシフィックパークを中心とするシラチャナコン地区とイオンシラチャを中心とするスクンビット通り東側地区,そしてJ-PARKを中心とするスラサック区という3つの地域に区分できる。シラチャナコン地区は,地元資本の開発が早期から進められてきたため,生活空間の中心商業地や盛り場としての機能を有する。スクンビット通り東側地区は,2015年のイオンシラチャの開業と併せて開発が進められ,駐在員向けのコンドミニアム開発が盛んに行われており,現地起業者の新規参入も多くみられる。スラサック区では,サハグループが一帯の開発を行っており,日本企業との合弁による新興住宅地の開発やJ-PARKの運営に深く関係している。  生活空間内での生活行動としては,企業駐在員は早朝に近隣の工業団地に向けて出勤し,退勤後は中心市街地の飲食店や歓楽店に来訪し,休日は近郊のゴルフ場や釣り場で余暇を過ごすライフサイクルが特徴である。一方で駐在員妻は,子どもを日本人学校や幼稚園に送り出した後は,習い事や趣味活動をして過ごす事例が多くみられた。習い事の教室や趣味活動のサークルは,現地起業者や現地滞在経験が長い駐在員妻によって運営され,日本人会に代わり,日本人コミュニティの核としての役割を担う。   Ⅳ.生活空間の形成基盤 シラチャ郡における日本人の生活空間の形成は,1990年代の萌芽期,2000年代の成長期,2010年代の拡大期という各時期に参入した日本人の属性に対応する日本人関連施設の設立によって支えられており,また並存する日本人コミュニティの活動は,多層的な日本人社会の維持を可能としていることが明らかとなった。今後は,生活空間の郊外化と日本人コミュニティの一体化の検討が課題になると考えられる。

著者関連情報
© 2017 公益社団法人 日本地理学会
前の記事
feedback
Top