主催: 公益社団法人 日本地理学会
1.はじめに
日本の森林の中には、トチノキの巨木がまとまって生育するトチノキ巨木林が存在することが知られている。トチノキは、種子であるトチノミが縄文時代から食料として利用され、主に中山間地域における人々の生活と密接な関わりを有してきた。そのため、トチノキ巨木林の成立背景には、地域の社会環境や住民のトチノキの利用などの要因が深く関わっていると考えられる。他方、高度経済成長期における産業構造の変化や過疎高齢化の進行の中で、トチノキ巨木林を含む山林利用も大きな移り変わりが生じている。本発表では、朽木地域におけるトチノキ巨木林の成立に人々の樹木利用や社会環境がいかに作用し、変遷を遂げてきたのかを明らかにする。
2.方法
滋賀県高島市朽木地域において、トチノキ巨木林の成立する谷が位置する雲洞谷(うとたに)集落および上針旗地域を中心に、2011年から2015年にかけて複数回の聞き取り調査および現地踏査を実施した。
3.結果と考察
トチノキ巨木の樹齢は300~700年ほどと見積もられており、巨木林の成立には過去数百年の山林利用が関係していると考えられる。そのため、朽木地域における山林利用の変遷を文献から概観した。本地域は鎌倉時代に朽木氏が朽木荘の地頭職を与えられ、その後明治維新まで朽木氏による統治が長期間継続した珍しい地域である.そのため、朽木氏による山林利用の政策がこの地域の森林動態に強く影響を及ぼしたとみられる。例えば、トチノキの利用については,朽木地域内の桑原村における「惣中割山切付覚帳」(1732年)などにおいて,朽木藩でトチノキが御用木であり、伐採に制限があったことが示されている.また,トチノミは,入会によって採取されていたという記録も残されている。すなわち、トチノキは有用資源として選択的に保護されてきたとみられる。本地域の生業は稲作と共に山林関係のものが多く,材木の販売や炭焼き,轆轤を使った木地生産が古くから行われてきた。これらの生業の場とトチノキ巨木林との関係性について、聞き取り調査の結果と合わせて検討した結果、本地域のトチノキ巨木の多くは地域の人々が昔から炭焼きや刈敷採集などに利用してきた里山の中に成立していることが明らかになった。
明治期以降、山林の所有制度が変わり、山林の大部分は小分割されて私有林となった。トチノキ巨木の生育している山林の多くも私有地となり、所有者が定められたが、一部で集落の共有林も残り、そのなかにトチノキ巨木林が成立している場合も認められた。トチノキの巨木を含む山林の資源は、産業構造の変化とともに大きく移り変わり、パルプ材のための広葉樹の伐採やスギ植林が活発化するなかで、所有者がトチノキの伐採を決める場合も多かった。他方、その際にも意図的にトチノキを残す世帯も見られ、各世帯の判断が山林の景観を決める重要な要因となってきた。1980年代になると、地域振興の流れのなかでトチモチを販売する組合(栃餅保存会)が設立され、トチノキに対しては現金稼得源という新たな価値が認められるようになった。しかし、その後、高齢化などによって人と野生動物や森との関わりが変化し、トチノミ採集が困難になる状況が生じている。