日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S1403
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発表要旨
黒潮流域における沿岸集落の地域学的比較研究
南房総と土佐の岡(郷)・浜(浦)集落に注目して
*中西 僚太郎
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抄録

1.問題の所在
房総半島の特徴ある沿岸集落として、地理学では九十九里平野の事例がよく知られている。地名の語尾に「納屋」ないしは「浜」という名称をもつ集落が沿岸部に分布し、その親村である集落が内陸部に分布する。内陸部の集落は「岡集落」、沿岸部の集落は「納屋集落」と命名され、「納屋集落」は漁業集落であり、近世期に、イワシ地曳網漁の発達によって、「岡集落」から派生したものとされる。
ところで、房総半島南部(南房総)には、九十九里平野と類似しながらも、異なったタイプの地名をもつ集落が分布する。浜勝浦、浜行川、浜波太など、地名の語頭に「浜」地名をもつ集落である。これらの集落は如何なる性格を有する集落であるのか、また、南房総は黒潮流域の東端に位置するが、類似のタイプの地名と性格を有する集落は、他の黒潮沿岸にも分布するのであろうか、という点が本研究の基本的な問題意識である。そこで本研究では、南房総の沿岸集落の特性を、語頭に「浜」地名をもつ集落の事例を手掛かりに考察し、黒潮沿岸の比較研究の対象として、高知県(土佐)の西南部に位置する幡多郡の沿岸集落をとりあげて検討を行った。
2.南房総における「岡」集落と「浜」集落
房総半島全体に共通することであるが、南房総では近世期に、紀州などからの関西漁民の出漁により漁業が盛んになった。その結果、単純化してとらえるならば、農業主業・漁業副業的であった沿岸集落(藩政村レベルの村)の中に、漁業に特化した地域集団が生成したと想定される。そして、農業を主とする地域集団(岡)と漁業を主とする地域集団(浜)との間で利害関係の対立が生じる(いわゆる「岡・浜争論」)とともに、「浜」の「岡」からの分村運動が発生する場合があった。このような経緯で、分村が実現した(あるいは「浜」が主たる集落となった)事例が、地名の語頭に「浜」の名称をもつ集落であったと考えることができる。また、分村は実現しなくとも、近世期に集落内が「岡」と「浜」に分かれていた事例は、南房総では内房地域に比較的多くみられる。
3.土佐における「郷」集落と「浦」集落
高知県(土佐)の幡多郡では、一つの大字(藩政村)の中に、農業集落である「郷」と、商業機能や港の機能も兼ね備えた漁業集落である「浦」の両方の集落を内包する事例がいくつか認められる。貝ノ川(貝ノ川郷、貝ノ川浦)、下川口(下川口郷、下川口浦)などがその好例である。土佐の幡多郡では、南房総と同様に、近世期に紀州からの漁民の出漁によって漁業(主にカツオ漁)が盛んになっていった。これらのことから、同一大字内の「浦」集落は、近世期に漁業が発展していった結果、「郷」集落から分離したものと想定することができる。
4.紀州における沿岸集落の特性
以上のような、南房総と土佐の事例をふまえて、紀州の沿岸集落を検討すると、近世期に全国各地へ漁民の出漁がみられた海草郡、有田郡、日高郡では、南房総や土佐の幡多郡における、「岡」と「浜」、「郷」と「浦」のような関係性をもった沿岸集落は、初島町(椒村)の「里」と「浜」などの事例がみられるものの、その例は比較的少ない。このことは、紀州のこれらの地域は漁業の先進地域であり、近世以前から漁業が盛んな集落が多く、近世期に新たに漁業集落が生成・発展するケースが少なかったためと考えられる。
参考文献
後藤雅知 2001.『近世漁業社会構造の研究』山川出版社.
荻 慎一郎 2003. 近世後期における小浦の生業・生活と浦庄屋―土佐国幡多郡尾浦を中心に―.人文科学研究(高知大学)10: 1-30.
荻 慎一郎 2006. 近世後期における土佐藩領の浦―東灘と西灘の比較を中心に―.人文科学研究(高知大学)13: 1-25.

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