抄録
1.はじめに
淀川水系の安曇川上流域,滋賀県高島市朽木地域における山林には,数個体以上のトチノキ巨木がまとまって生育する「巨木林」が存在することが報告されてきた.しかし,これらの分布の特徴と巨木林の成立要因については十分に明らかになっていない.本報告では,朽木地域におけるトチノキ巨木の分布状況とその傾向を示すとともに,一集水域を事例として巨木林の成立要因を検討する.
2.方法
広域調査は2011年から2015年にかけて実施され,安曇川上流域の約60ヶ所の集水域データを用いた.これらの谷に出現した,胸高周囲長300cm以上の木本の位置情報,胸高周囲長等を記録した.この情報をもとに,トチノキを含めた巨木の分布をGIS上で表示した.次に,国土地理院提供の基盤地図情報・10mメッシュDEMを用いて,標高・傾斜角・斜面方位・谷の次数などと巨木の対応関係を明らかにした.また,環境省自然環境保全基礎調査・植生調査情報提供の1/25,000植生図「古屋」「饗庭野」「北小松」「久多」GISデータ(環境省生物多様性センター)を巨木の位置情報と結びつけ,トチノキ巨木が生育する場所の植生の特徴を把握した.
さらに,巨木林の成立要因について一集水域を対象とした植生調査・地形調査・聞取り調査を実施した(手代木他, 2015).
3.結果と考察
朽木地域における約60の集水域には,トチノキの巨木は399個体出現した.また,トチノキ以外のカツラやブナ等の巨木も66個体が確認された.最大のトチノキ巨木は,単木では胸高周囲長が807cmの個体が存在した(複幹の個体では3本の周囲長合計が1053cmの個体が最大).トチノキの巨木は,斜面傾斜が平均32°の斜面に分布しており,40°以上の急斜面に分布する個体も多く存在した.また,トチノキ巨木と近接する谷の次数を算出すると,69%が一次谷,21%が二次谷であり,約90%の個体が谷の最上流部に生育しており,複数箇所に巨木がまとまって生育する巨木林がみられた.
次に,GIS上で植生との関係を検討すると,トチノキ巨木が生育している場所は,34%が落葉広葉樹林二次林,33%が渓畔林,25%が植林地,8%が自然林(日本海型落葉広葉樹林)だった.すなわち,二次林や植林地といった人為の影響を受けた環境には約60%のトチノキ巨木が生育しており,これらの植生に囲まれる渓畔林も含めるとほとんどの個体が人為の影響を受けた地域に生育していると考えられる.以上の結果より,朽木地域におけるトチノキの巨木林は,人の手が入らない奥山ではなく,歴史的に利用されてきた里山地域に存在しているといえる.
一集水域の調査からは,より詳細な自然環境条件との関係性が明らかになった.すなわち,トチノキの巨木は,下部谷壁斜面と上部谷壁斜面の境界をなす遷急線の直上,及び谷頭凹地の上部斜面に多く分布し,小・中径木と比べて谷の上流側に分布が偏って樹林を形成していた.また,トチノキは伐採が制限され選択的に保全されてきたが,炭焼き等の山林利用の違いに依拠する形で谷によって巨木林の有無に違いがみられた.したがって朽木地域のトチノキ巨木林が成立する背景として,地形面の安定性と選択的な保全,他樹種に対する定期的撹乱が維持される環境が重要であることが示唆された.