抄録
ラムサール条約湿地に登録されることは,当該湿地の保全を世界に約束することであると同時に,国際的に重要な湿地であるという「お墨付き」を得ることでもある。この点では,世界遺産,ジオパーク,ユネスコエコパークなども同じような制度とみることができ,近年,数を増やしているという共通点もある。しかし,これらユネスコ関連の制度と違って,日本国内では,ラムサール条約湿地は登録後に観光客が急増するようなことはあまりなく,地域に「静かに」受け入れられている印象がある。登録を受け入れる地域の側は、条約やその理念をあまり意識していないし、制度の運用は各地の事情に応じた不統一なものになっている。日本の場合、ラムサール条約に登録されても、保護・利用の状況はあまり変わらない。では、ラムサール条約湿地として登録されることは、地域にとってどういう意味があるのだろうか。
ラムサール条約(特に水鳥の生息地として重要な湿地に関する条約)は,1971年に制定され,日本は1980年に加盟した。条約では,各国は動植物の生息地などとして重要な湿地を選定し,それをラムサール条約事務局の登録簿に登録することになっている。日本では2016年末現在,50の湿地が登録されている。
各国は登録湿地の適正な保全と利用に計画的に取り組むことが求められる。登録湿地をどのように保全・利用するかは,各国の国内法や計画によるものとされ,日本では湿地を国指定鳥獣保護区の特別保護地区や国立公園・国定公園の特別地域,種の保存法の生息地等保護区などとして管理することになっている。また,ラムサール条約では,湿地をただ保全するのではなく,湿地を「賢く」利用すること(ワイズユース)も重視しており,保全とワイズユースは条約の二大ミッションとされる。
ワイズユースについては,伝統的に受け継がれてきた漁業や流域での環境保全型農業など一次産業が重視されるとともに,エコツーリズムの実践という観点から,湿地の観光利用にも注目が集まっている。
当日の報告では,報告者等がこれまで行ってきた調査の成果(淺野ほか,2012,2013,2015など)に触れつつ,ラムサール条約登録を受け入れた地域の視点からみたラムサール条約の意味とワイズユースの現状と課題を述べる。もともとグローバルな文脈では,住民等の自然保護に配慮しない資源利用が進むことや,地域開発圧が強く湿地が大規模に失われる危機的な状況を抑えることが前提になっており,日本のような国でのラムサール条約登録は,その効果が曖昧である。日本の場合,保護する対象になっている湿地を登録している(開発可能性のある場所を外している)ので,なおのこと条約の役割がよく見えなくなっている。それでも自然利用をめぐるコンフリクトは発生するし,あるいはそれを活かした地域づくりが議論のネタになりもする。しかし,多くのところは無風で無関心だという現実がある。そのような中で,消極的な位置づけにすぎるかもしれないけれども,環境教育や普及啓発を通じた「自然の意味」の創出にこそ,ラムサール条約の日本における本質があると考えられる。長期的なガバナンスを考える上で,住民参加やボトムアップの環境ガバナンスを方向づける「思想としてラムサール条約」ととらえるのが現実的な理解ではないだろうか。