日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P006
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発表要旨
紀伊半島大水害時の実際の避難場所からみた熊野川流域における伝統的水防施設「上がり家」の意義について
*渡邊 三津子古澤 文遠藤 仁村上 由佳
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抄録

1.はじめに
全国の水害常襲地域には、出水から命や大事な家財を守るための水防施設―たとえば、水屋(木曽三川)、段倉(淀川)、水倉(荒川、利根川)など―が存在する。これらの水防施設は、水害常襲地域に生きる人々が、水害と共存するために生み出した知恵というべきものであるが、その数は減少傾向にあると言われている。国内有数の水害常襲地域である紀伊半島熊野川流域にも、同様の水防施設として、かつて下流部の新宮市街地の熊野速玉大社周辺に見られた「川原家(かわらや)」、川丈集落(※奈良県十津川村、和歌山県新宮市熊野川町、同田辺市本宮町周辺を指す地元での呼び名)に見られる「上がり家(あがりや)」などが知られている。本研究では、熊野川流域の「上がり家」の立地と、2011(平成23)年台風12号水害をはじめとする過去の出水時の住民の避難場所・避難行動を地図化する作業を通して、社会変容にともなって失われつつある「上がり家」が、現在の水防対策に対してもつ意味を再考することを目的としている。
2. 対象地域と方法
和歌山県新宮市熊野川西敷屋地区を対象とした。同地区は、熊野川本流と、支流の篠尾川の合流点に位置する。2011(平成23)年台風12号水害時に浸水被害を受けているほか、1953(昭和28)年台風13号時にも浸水経験があり、当時のことを記憶している古老も多い。本研究では、地域住民へのインタビューを中心として、2011年水害時の避難場所を地図上にプロットした。また、地域住民のインタビューや建物に残された痕跡などをもとに、当時の最大浸水範囲を復元し、実際の避難場所と「上がり家」の立地条件との比較を行った。 3.結果
(1) 対象地域の「上がり家」

発表者らの聞き取りにより同地区にも「上がり家」があったことが確認された。落合(2014)らの報告と同様に、西敷屋地区の「上がり家」も、賃貸しや売却、空き家化などによって、本来の「母屋-上がり家」の関係性はみられなくなっているケースが多い。
(2) 2011年台風12号水害時の避難場所と「上がり家」
西敷屋の指定避難所である「山手集会所」は、集落の中心から1kmほど山の手に入ったところにあるが、雨の中を高齢者が歩いて避難するのが困難だったこと、途中の道路でがけ崩れが発生するなどして避難に危険を感じたこと、また夜半に水位が急上昇したため避難する間がなかったことなどから、地域住民たちは、自宅の2階や、地形的に一段高いところに立地する隣家に身を寄せたりして難を逃れたという。  この「地形的に一段高いところに立地する隣家」はかつて「上がり家」として機能していた家や、「上がり家」と同様の立地条件をもつ住宅であった。  似たような事例は、熊野川町内の日足地区などでも聞き取ることができており、実際には、避難した先は「かつての上がり家」という事例が多数あるものと推測される。
4. まとめ
本研究では、2011年台風12号水害時に、地域住民が実際に利用した避難場所が、かつての「上がり家」または、「上がり家」と同様の立地条件の場所であることが確認された。高齢化が進んだ本地域では、現実問題として、指定避難場所に避難しない高齢者も多い。このような中で、高齢者が実際の避難場所として利用した「上がり家」が、当該地域の現在の水防対策に対して持つ意味は大きいといえる。

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