日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 534
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発表要旨
「沸騰地域」へと遷移するエスニックインナーシティの実態
ロンドン・ブリクストン地区を事例として
*松尾 卓磨
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抄録

1.はじめに
仮に、人・もの・カネの集中化の程度と空間的・社会的な変化の度合いとが著しく大きく、そうした集中化や変化によって生み出された活気ゆえに広く地域外から話題性を獲得している地域を「沸騰地域」と定義するならば、本発表でとり上げるブリクストン(Brixton)地区はまさにこの「沸騰地域」に相当しうる存在であろう。本発表ではかつてエスニックインナーシティであった同地区が「沸騰地域」へと遷移してゆく空間的・社会的過程を辿り、そうした過程と同地区において近年急速に進行しつつあるジェントリフィケーションの関連性について検討する。

2 .「沸騰地域」としてのブリクストン地区

イギリス・ロンドンのブリクストン地区は、第二次大戦以降に西インド諸島出身者を中心とする移民が数多く流入したことで知られており、現在も「White British」以外の様々なエスニック集団が全人口(約79,000人)の約65%を占めている(2011年現在)。また同地区は近年人口流入が著しい地域でもあり、2004年からの10年間で総人口は約8,200人増加し、特に20代を中心とする若い世代の流入が多く20代の人口が全体の約4分の1を占めるようになった。こうした人口流入を促す要因として考えられるのはアクセス性の良い地下鉄駅の存在と同地区の多様な空間的構成である。同地区の中心部にある地下鉄ブリクストン駅は、ロンドン都心部のターミナル駅までの所要時間が15分程度ということもあり、平日1日あたりの乗降客数は2010年以降年次平均5,400人ずつ増加している。ブリクストン地区の空間的構成は中心地域の鉄道駅と幹線道路、その周囲300mの範囲に広がる商業空間、更にその外側に広がる住宅地により成立している。中心地域の商業空間には多種多様な小売店・露店、国際飲食チェーンの店舗、映画館、コンサート会場が集積しており、近年ではブリクストン以外から訪れる若い世代向けのカフェやバー、レストランなども相次いで開業されている。そうした所謂“おしゃれ”な店舗が集約化された「ブリクストン・ヴィレッジ」や「ポップ・ブリクストン」はロンドンの若者を惹きつけるスポットとなっており、こうした多様な空間的構成が人口流入と話題性の獲得に寄与していると言える。

3.インナーシティからジェントリフィケーションの典型地へ
同地区のこうした現状の歴史的背景となっているのは、1948年に始まるカリブ海系を中心とする移民の流入、1970年代頃から深刻化するインナーシティ問題、そして1980年代に発生する大規模な暴動である。第二次大戦以前より同地区には一般事務員や熟練労働者向けの住宅や低廉な下宿屋、公営住宅の建設が進められてきたが、そうした住宅環境が1948年に流入し始めたカリブ海系移民の同地区での定着を促してきた。その後1950年代前後からイギリス社会では特に就職や居住の機会における移民や有色人種に対する差別が社会問題化し、さらに1970年代の経済不況はそうした社会的・経済的地位の最底辺へと追いやられた人々へと大きな影響を及ぼした。人種差別、高い失業率、経済的衰退、そして犯罪多発化といった社会問題に苦しむ典型的なインナーシティとなったブリクストン地区であったが、1980年代には人種差別的な捜査を続けていたロンドン警視庁に対する不満が爆発し、中心地区において大規模な暴動が発生する。こうした暴動の前後期すなわち1970~80年代に発行された政策文書を分析したMavrommatis(2010)は、当時のオフィシャルな言説は人種を犯罪に結びつけ、エスニック集団とブリクストン地区をスティグマ化(社会的烙印を付与)していた、と述べている。かつて移民や低い社会階層の人々の流入を促してきた住宅環境は大きく変化し、1990年代後半頃からはジェントリフィケーションが急速に進行する地域として捉えられるようになる。2000年代に入ってからの10年間で同地区の民間借家の戸数は約2倍増加し、また1930年代に建設されたある住宅団地では建替え事業に際し住民の一部が立退きを強いられている。建替え後の団地の賃料が支払い困難な水準に引き上げられたため、他地域への転居を余儀なくされ、そこで賃料を支払うために住宅給付金を受け取らざるをえない状況に陥った例も報告されている。

4.結果
世界を代表するグローバル都市ロンドンにおいて、戦後以降ブリクストン地区では様々な歴史的契機を経て空間的・社会的な多様性が育まれてきた。その多様性を源泉とする魅力ある空間的構成や話題性は若者世代の流入、商業空間の改良、スティグマ化の部分的解消を促したが、一方でジェントリフィケーションの誘因ともなり、低廉な住宅や店舗を一度手放すと再入居が困難になる程度まで社会的状況は改変されつつある。

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