日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P204
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発表要旨
第四紀後期の烏川上・中流域の段丘発達と地殻変動
*岡 岳宏高橋 尚志須貝 俊彦
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抄録
烏川は,群馬・長野県境の鼻曲山に端を発し,おおむね南東方向に流れる全長約62 kmの河川である.平野部で碓氷川・鏑川・神流川の3河川と合流し,利根川へと合流する.本発表では,湯殿山地すべり付近から碓氷川合流点までを中流域とし,それより上(下)流を上(下)流域と定義する.関東山地北縁部では,南から順に鏑川,碓氷川,九十九川,烏川の諸河川が東流し,これらの河川流路に沿って数段の段丘面が発達している.新井(1962)はテフロクロノロジーに基づく段丘面区分の結果から,烏川では,他の河川段丘に比べ段丘礫層の堆積及び段丘面の発達が悪いことを述べており,第四紀後期に地域的な性質をもつ地盤運動が顕著であることが要因であることを指摘したものの,烏川における詳細な段丘発達についての議論はほとんど行われていない.
湯殿山地すべり内またはその周辺では,過去約3万年間にすくなくとも6回の液状化履歴が確認されており,深谷断層系北部セグメントとの密接に関連している可能性が指摘されている(高浜ほか,2001).また岡・須貝(2017)では,烏川中流域の段丘面の発達が悪いことについて,深谷断層の下盤側に位置している環境が要因の一つである可能性を指摘した.筆者らは,深谷断層の活動や湯殿山地すべりなどの地域的地殻変動が,烏川上・中流域の段丘発達史に与える影響について検討を行った.

対象地域において空中写真判読と現地調査による地形面区分を行い,上流域・中流域において,それぞれ地形面が高い順にU1,U2,U3,U’面・M1,M2,M3,Spf面に区分した(図1).U1面は,河床からの比高が約60 mであり,分布は上流側の一部に限られる.U2面は,河床からの比高が約15 mであり,U3面との境界は,比高5-10 mの段丘崖で隔てられる.U’面は,空中写真判読では段丘と認定できるものの,本流方向に向かって大きな傾斜を持つ地形面である.M1面は,烏川の右岸側に存在し,湯殿山地すべり付近に存在する面(M1a),秋間丘陵の北東側に接して北西-南東方向に伸び,烏川に向かって傾斜している面(M1b),秋間丘陵東部に存在する面(M1c)とさらに3つに区分できる.Spf面は,45 ka(下司ほか,2011)に榛名山から噴出した白川火砕流が堆積し形成されたものであり,烏川中流域の右岸側に発達しているものの,上流域ではSpf面に対比される面は確認できない.M2面は,現河床との比高が約10 mであり,M3面とは比高3-5 mの段丘崖で隔てられる.M3面は,現河床との比高が小さく大規模洪水時にはフラッドロームが堆積しうる環境である可能性がある.
現地調査の結果,U2面はAs-YP降下前に段丘化した可能性が高いことが明らかになった.M2面は岡・須貝(2017)により,As-BP降下以前に段丘化した可能性が高いことが示唆されており、U2面・M2面はともに最終氷期後半に形成されたことが明らかになったが,その形成年代は異なっている.これは以下の理由が考えられる.M2面は柳田(1991)が示す下流部での下刻の波及によって段丘化したと考えられる.しかしこの下刻の波及は湯殿山地すべり付近で止まった可能性が推測される.烏川は,湯殿山地すべり末端部の押し出し・圧縮によりせまい流路を屈曲して流下しており,この特異的な地形が下刻の波及が止まった要因になっていると考えられる.そしてAs-YP降下期以降に上流域において,流量が増えたことで上流域においても下刻が進み,段丘化が進んだ可能性が考えられる.すなわち,M2面形成時期には,現河床で確認できるような湯殿山地すべり付近での河川縦断面系の遷急点(図2)はすでに存在していたと推測される.これは,AT降下前に湯殿山地すべりが最初に活動したとされていることと調和的である.また上流域においてSpfによるダム湖形成の痕跡は見つかっておらず、上流域での段丘地形発達にSpfは大きな影響は与えなかった可能性が高いと考えられる.

参考文献:新井房夫 1962. 群馬大学紀要, 自然科学編 10(4),1-79.下司・大石 2011. 地質調査報告書,62,177-183.岡・須貝 2017. 日本地理学会要旨集(92),p152.高浜・大塚 2001. 地球科学,55,217-226.柳田 誠 1991. 駒沢地理,27,1-75.
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