抄録
1. はじめに
武蔵野台地は西部の青梅を扇頂とした多摩川の扇状地として認識できるが、数万年スケールの氷期間氷期サイクルに応答するような河成段丘面が複数発達していることが知られている(貝塚ほか 2000)ことから、武蔵野台地は時間の経過とともに段階的に地形面が形成されてきたと考えられる。また、これらの段丘面の構成礫層である武蔵野礫層や立川礫層は層厚が数 mと薄く、武蔵野台地は薄層扇状地と考えられている(斉藤 1998)。そのため、武蔵野台地の形成史を考えるには気候変動とそれに応答する多摩川の振る舞いを考察することが重要である。しかし、武蔵野台地は古くから研究が進んでいるが、ボーリング柱状図を利用した狭い範囲での研究が多く、後期更新世の礫が堆積している台地全域を俯瞰するような研究は少ない(羽鳥 2004)。そこで、後期更新世を通した多摩川の振る舞いを考えるために、当時の河川条件(流量、勾配、土砂供給量など)や気候条件(気温、降水量)、海水準、ならびに、河道が位置した相対的な時期の長さを反映していると想定される、台地全域の礫層の厚さの分布に着目した。
本発表では、武蔵野台地全域における後期更新世に堆積した礫層(主に武蔵野礫層、立川礫層)の厚さを明らかにし、その意味を考察する。
2. 方法
解析には7004本のボーリング柱状図のXMLおよびテキストデータ(東京都土木技術支援・人材育成センター、埼玉県環境科学国際センター)を使用した。
プログラミングコードで柱状図データに記載されている最上位礫層の上限値と下限値を抽出し、その差を礫層の層厚とした。
その後、ArcGIS(ESRI社)にてクリギングによる内挿(1セル100)を行い、礫層の層厚分布図(Fig. 1)を得た。
3. 結果および考察
今回の手法では礫層を過小評価している可能性があるが、武蔵野台地全域におよそ2-6 mほどの礫層が堆積しており、これは武蔵野礫層および立川礫層に相当すると考えられる。
また、狭山丘陵南部から台地中央部にかけて15 m近くもの礫層が堆積している。従来、武蔵野礫層や立川礫層の層厚は数 mと考えられていることや、国分寺崖線を挟んで連続的に厚い礫層が存在することから、武蔵野礫層および立川礫層の下位に礫間不整合で青梅礫層が伏在している可能性が高い。青梅礫層は寿円(1966)の提唱する青梅砂礫層のことで、台地西部では間氷期の谷を埋めるように厚い礫層が堆積していることが知られている。青梅礫層は東青梅から羽村まで(寿円 1966)や、昭島市と立川市の境界の武蔵野面(植木ほか 2007)、立川市/武蔵村山市の榎トレンチ(林崎ほか 2015)でも存在が示唆されている。以上のことを踏まえると、従来の研究では台地西部にしか存在が確認されていなかった青梅礫層が、狭山丘陵南部から台地中央部にかけて東西に渡り存在している可能性が考えられるとともに、MIS 7ないし6から5eにかけて、この位置を多摩川が東流していたことが示唆される。
