1.はじめに
東日本大震災(以降,震災と記述)発災から8年半が過ぎ,現在の高校生は,発災時小学校低学年であったこともあり,すでに震災の記憶があいまいとなっている。その一方で震災を教材にすることは,未だに非常に配慮が必要で難しい。とはいえ,沿岸部に位置しながら内陸部からも生徒を受け入れる現勤務校にとっては,生徒の命を守るためにも地震と津波,それを引き起こす背景としての地殻変動と地形の特色の理解は必須である。また,新課程必修「地理総合」においては,そのような地域に暮らすことについても,根拠をもって何らかの意見を述べられるように育てたい。そこで,その2単位という限られた時数の中で,地域を包括的に捉えられるような教材として,イギリス発祥の“ミステリー”と呼ばれる手法を用いて『黒い津波とリアス海岸』を開発し,実践を試みた。
2.ミステリー教材『黒い津波とリアス海岸』の開発
“ミステリー”とは,地域の課題についての複数の,一見内容のかみ合わないストーリーをばらばらにカード化したものを再構築する中で,ストーリーに描かれる地域の事象間の複雑な関係を複雑なままとらえるとともに,その中に含まれる課題を見いだし,解決策や地域の将来像を考えるというものである。
対象地域は主に気仙沼市を想定した。教材には大きな問い1つ、ストーリーを3つと対応する小さな問い1つずつの3つを設定した。
ストーリーは次の① リアス海岸のような入り組んだ湾状の地形に押し寄せた津波は「黒い津波」となり,海底地形を変化させて津波を加速させ,被害を増幅させること,② 震災によって地域の生活・文化や産業が被災し,その復興にさまざまな課題が山積していること,③ 地域の自然環境と社会環境の成り立ちと震災前からの課題という3つを設定し,カードを作成した。さらに,ストーリーに対応した小さな問い① リアス海岸における津波の被害を軽減するにはどうしたらよいか,② 震災の被害から復興するにはどうしたらよいか,③ 気仙沼の地域性を生かしてどのようにまちづくりを進めたらよいかの3つを設定した。そして最終的に大きな問い『黒い津波とリアス海岸』の関係性を理解した上で,持続可能な気仙沼という地域を考えてみよう」について考えるということにした。
また,空間的認識を強化するために,カードの中に現れる地域の位置や地域特有の事象,地形等を地図化するためのワークシートも作成した。
3.実践にあたって
対象となるクラスは,勤務校の3年選択地理A(2単位)2クラスと3年選択地理B(増単4単位)2クラスである。
教材を作成するにあたって,生徒の実態を把握するために,中学社会既習事項である「リアス海岸」について,地理Aの初期の授業で生徒に説明させた。そうすると,形状が「ギザギザしている」とだけ述べたり,その形状の成因を「波によって削られた」などの誤解をしている生徒がかなり多かった。また「津波」についても同様に既習事項であるが,例えば「地震の揺れによって(海が揺れて)津波が起こる」や「地震が強くなるほど津波も高くなる」といった誤解をしている生徒が多かった。
この教材開発のきっかけは,そのような実態を持つ生徒たちが,地震と津波およびリアス海岸との関係性を理解し対応するために必要最低限の自然環境に対する知識を獲得する,あるいはその意欲をもてるようにと考えたことであった。もう一つのきっかけは,たくさんの事象に対する知識を「習得」しているように見える生徒が,その習得した事象の「つながり」や「関係性」を見いだすことが困難である様子を日常的に目にすることであった。
このミステリー教材を通して,潜在的にあるいは顕在的に辛い体験である震災についても,楽しんで,いつの間にか事象間のつながりを見つけ,複雑な地域の状況を複雑なままとらえて空間的に構築し,それぞれの生徒なりの地域像を形成できるようになれば,持続可能な地域社会について考える力をつけられるのではないかと考えている。
実践の成果と新たにみえた課題については,当日述べることとする。
4.参考文献
Leat,D. and Nichols,A.2001.Mysteries Make You Think.Theory into Practice:The Geographical Association.
高橋敬子 2019.『気候変動教育能力開発プログラムガイドブック』本編 立教大学ESD研究所