日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の160件中1~50を表示しています
発表要旨
  • 坂田 寧代
    セッションID: S204
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    既発表論文をもとに,小千谷市東山地区と旧山古志村を対象とした養鯉池の水源獲得の歴史的経緯,および,長岡市山古志地区M集落を対象とした養鯉池の復旧事業の実施状況と未復旧地の立地特性を報告する.水源獲得は8段階に区分できた.養鯉池が1960年代以降に急速に増加した背景には,新たな用水源の獲得と大規模ため池の造成技術開発があった.2004年の新潟県中越地震からの復旧において,経営規模で養鯉業者を分類した階層すべてに対して,新潟県創設の田直し事業は貢献した.しかし,小規模養鯉業者では未復旧地が多く発生した.また,区画面積が小さい,道路からの距離が離れた,地形勾配が大きい,標高が高い区画で,復旧されない傾向があった.

  • 山田 周二
    セッションID: P009
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    山頂を定義するスケールによって,抽出される山頂の地形とその分布がどのように異なるか,をあきらかにするために,高解像度のDEM(数値標高モデル)を用いて,異なるスケールで山頂を抽出して,その周辺の起伏と傾斜を計測した.約30 mメッシュのDEMである SRTM1を用いて,北緯60°〜南緯60°のすべての陸地にある山頂を抽出した.ある一定の半径の円内の中心点が,その円内で最も標高が高い場合に,その中心点を山頂と定義した.円の半径として,1 kmと10 kmの2つのスケールを用いた.そして,その円内の最高点(中心点)と最低点との標高差を起伏とした.また,その円内の傾斜を30 mメッシュで算出して,その平均値を平均傾斜とした.DEMは,UTM座標に投影して,UTMゾーンごとに演算を行った.

    半径10 kmおよび1 kmのいずれのスケールにおいても,平均傾斜および起伏のいずれの指標についても,著しく大きな値の山頂は,主にヒマラヤ山脈に分布し,それに引き続いて大きな値の山頂は,環太平洋地域とアルプスーヒマラヤ地域,天山山脈に分布する,という傾向がみられる. これは,変動帯に位置する山脈あるいは高標高の山脈には,起伏から見ても平均傾斜から見ても,また,スケールを変えてみても,険しい山頂が分布することを示す.ただし,スケールによって,起伏も平均傾斜も値は異なり,起伏はスケールとともに増大するのに対して,平均傾斜は低下する.その程度は地域によって異なり,平均傾斜の低下は,急峻な氷河地域では大きく,深いV字谷が発達する地域では小さい,という傾向がみられた.これは,緩傾斜な谷底が氷河地域では広いのに対して,V字谷では狭いため,と考えられる.

  • 田中 耕市
    セッションID: P028
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    I. 研究目的と背景

    本研究は,南海トラフ巨大地震が発生した際における,本州から四国地方の広範囲へのプッシュ型救援物資輸送について,道路輸送面におけるアクセス困難性を定量的に明らかにする.地震による土砂災害と津波浸水による道路閉塞のリスクを反映した道路ネットワークを用いて,本州から広域物資拠点への輸送シミュレーションを行った.具体的には,地震・津波に伴う道路閉塞が確率的に発生することを前提に,物資輸送のアクセシビリティの変化をモンテカルロ・シミュレーションにて測定した.そして,道路による輸送自体が困難になる地域や,輸送時間の上昇幅とそのリスクについて明らかにした.

    Ⅱ. プッシュ型救援物資輸送と広域物資輸送拠点

    国による南海トラフ巨大地震における物資救援の計画では,発災後3日までは家庭および自治体の備蓄によって必要な物資を賄い,発災後4~7日までを本州側からのプッシュ型支援にて対応するとされている.

    本州側からのトラックによる輸送は,3本の本州四国連絡橋を経由して,四国各県によって県内に数か所ずつ設置される広域物資輸送拠点へと行われる.そこで物資の積み替えと分配がされて,各市町村レベルの地域内輸送拠点へと輸送される.そして,地域内輸送拠点から避難所へと物資が引き渡され,避難者へと渡ることになる.本州側からのプッシュ型救援物資の輸送は,以上のような階層構造をなしている.

    Ⅲ.道路閉塞リスクの評価

     被災による道路閉塞は,津波浸水と土砂災害の二通りを想定する.津波浸水については,中央防災会議防災対策推進検討会議南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループによって公表された浸水域および浸水高(「『紀伊半島沖~四国沖』に『大すべり域+超大すべり域』を設定」のケース)をもとに,一定の浸水高以上が予想される範囲の道路は,深刻な損傷が生じるとみなして通行不可とする.ただし,一定条件下の道路については,啓開作業により通行可能状態に復旧できると仮定する.一方,土砂災害については,各都道府県が指定する土砂災害危険箇所のデータをもとに,土砂災害危険地域に該当する道路において道路閉塞が確率的に発生するとみなす.

    Ⅳ.分析結果

    輸送拠点によって,救援物資輸送困難になるリスクや遅延度が大きく異なった.迂回路の選択性の高低によって,途中経路の道路閉塞の確率が高くてもアクセシビリティがあまり低下しないケースがある一方,確率は低いものの道路閉塞が発生した際にはアクセシビリティが著しく低下するケースもみられた.特に,南部の輸送拠点においては,救援物資輸送が長期にわたって不可能になる可能性もあり,地域における備蓄容量を増大させておく必要もあるだろう.

  • 杉戸 信彦, 後藤 秀昭, 細矢 卓志
    セッションID: P001
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    (1)はじめに

    熱田台地北方,矢田川左岸の沖積低地には,幅約2 km・比高約1 mの微高地が南北帯状に分布しており,堀川断層および尼ケ坂断層の活動に起因する背斜状変形の可能性が指摘されている(後藤・杉戸,2012;杉戸・後藤,2012).この微高地を東西方向に横断する矢田川の旧河道も,これらの活断層による変位を受けている(同).

    この旧河道の形成時期を解明するため,愛知県名古屋市北区黒川本通二丁目においてボーリング調査を行った.

    (2)結果と考察

    2017年6月22日,エコプローブEP-26を用いて4本のコア(直径86 mm)を得た(各7・5・5・5 m長).孔口標高は1:2500名古屋都市計画基本図VII-MD 94-3(2010年測量・現地調査)の標高点を基準とした.掘削地点は1946年米軍撮影の航空写真(M148-A-7)では耕作地として利用されており,その後駐車場となり,調査当時は空き地となっていた.

    観察された地層は,上位より順に10〜170層に区分される.10層は盛土,20層は耕作土である.30層は主に砂層・砂礫層,40層は極細砂層,50層は黒色シルト層,60層は極細砂層・細砂層である.70層は主にシルト層・細砂層であり黒色や暗い灰色を呈する.80層は主に細〜中砂層や粗砂〜細礫層であり一部は上方細粒化を示す.旧河道構成層は80層以浅と推定される.

    90〜140層はシルト層であり,主に黒色や黒灰色,暗灰色を呈する.150層は主として黒色〜暗灰色を示すシルト層であり砂を含む.160層は黒色シルト層である.これらの地層は後背湿地堆積物と推定される.170層は砂層・砂礫層である.

    以上の地層から得られた試料のうち,7試料について放射性炭素年代測定を実施した.

    先述のように,この旧河道は堀川断層および尼ケ坂断層による変位を受けている.変位を受けた時期は,80層堆積後のいずれかの層準に対応すると考えられる.90層最上部から得られた植物片が1680 ± 30 yr BPの放射性炭素年代値を示したことから,変位を受けた時期は少なくともこれより後と推定される.

    本地域には条里地割の存在が知られている(金田,1980,2016).活断層分布と条里地割を重ね合わせたところ,合致が見いだされた.すなわち,条里地割は,堀川断層・尼ケ坂断層間の微高地においては,周囲より低い旧河道付近の一部に認められるのみであるのに対し,その東西には広く認められる.活断層に起因する微高地が水利条件を拘束し,条里地割の分布を支配する要因となった可能性が高い.したがって,これらの活断層は条里地割の成立時期より前に活動した可能性が高い.

    今後,宮本・上中(2015)などの矢田川左岸沖積低地の地形発達に関する資料の確認や,条里地割の認定手法の確認を含め,さらに検討をすすめる予定である.

    <謝辞>ボーリング調査の際には,関係者の皆様にお世話になった.記して感謝の意を表する.掘削は中央開発株式会社に実施して頂いた.本研究には科学研究費補助金若手研究(B)15K16285「弥生時代以降・都市圏直下の大地震と地形環境変化に関する変動地形学的研究」および同基盤研究(C)18K01127「活断層による微地形の形成が居住と土地利用に与えた影響の地理学的解明」を使用した.

    <文献>後藤・杉戸,2012,E-journal GEO;金田,1980,「古代(2)−律令時代−」,『愛知県開拓史通史編』;金田,2016,「条里と尾張・三河の条里遺構」,『愛知県史通史編1原始・古代』;宮本・上中,2015,半田山地理考古;杉戸・後藤,2012,日本活断層学会.

  • 深見 聡
    セッションID: 525
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     地域にとってプラスにもマイナスにも作用する可能性のある観光は、もはや21世紀における主要産業として欠かすことのできない存在となっている。そのため、「持続可能」という言葉が意味する、「本物」を保全・利用しながら次世代へと承継していく視点は、より高まっていくと考えられる。そこで登場してきたのが、エコツーリズムや世界遺産観光といった、地域への経済的効果ばかりではなく、保全意識の高まりや地域への共感といった、社会的効果が期待される「持続可能な観光」という考え方である。

     そこで、本報告は、2020年に世界自然遺産への登録審査を控える「奄美・沖縄」の事例に焦点をあて、持続可能な観光につながる世界遺産登録の役割について考察を加えていくことを目的とする。

    2.「奄美・沖縄」の世界自然遺産登録再推薦までの動向

     2018年の第42回ユネスコ世界遺産委員会が終了した時点で、日本には22件(自然4、文化18)の世界遺産が存在する。ここで取り上げる南西諸島では、屋久島(1993年登録)のほか、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(2000年登録)がある。首里城跡や斎場御嶽、今帰仁城跡など、観光客の増加は、地域経済に恩恵をもたらすと同時に、「観光公害」や「オーバーユース」といった、いわゆる観光客のマナーが原因となるさまざまな課題も生じている。

     登録件数の増加にともない、世界遺産の登録審査もより狭き門となりつつある。原則として年1回開催の世界遺産委員会における本審査に臨める候補は、従来の1か国につき「自然遺産・文化遺産で各1件まで」から、2020年より「自然遺産・文化遺産のいずれか1件」へと変更される。すなわち、国内での推薦を獲得するハードルが高くなることは確実と指摘されている。2019年1月、「奄美・沖縄」は、ふたたび世界遺産の審査に臨むことが決定した。当該地域の持つ自然や独特の文化の魅力は言わずもがなのものがある。そこに附言するならば、アマミノクロウサギやヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコなどの希少生物に代表される、豊かな自然環境とそれらに育まれる文化を承継してきた当事者(主体者)に位置する島民にとって、今回の再推薦の決定に至る合意形成のプロセスが、どの程度ていねいに踏まれたのか、我われ研究者は十分に注視する必要がある。専門家が認める学術的価値や、それらを説明するストーリーは、専門家のなかで完結してしまうものではない。それらの価値が、地域で浸透していく過程が尊重されねばならない。このことを疎かにし、地域が置き去りにされるという感覚に陥った瞬間、保全とその背後にある観光との均衡は、余りにも脆弱なものになってしまうおそれがある。

     2018年5月、世界自然遺産の現地調査を担うIUCN(国際自然保護連合)は、「登録延期」という中間報告を発表し、政府はいったん申請を取り下げた。そのわずか半年後に、政府が再推薦の方針を示したことになる。この短期間に、学術的価値に限れば、ストーリーの再構築は可能だったかもしれない。しかし、保全の当事者である地域住民に対して、再推薦に向けた意識醸成や一体感といった動向は想定以上に伝わってこない。筆者が対象地の非居住者であり接する情報が少なくなってしまうことだけとは言えないと考えられる。

    3.考 察

     たとえば、それぞれの道に秀でた専門家の理解と、その理解を求め深めていく対象としての地域住民が価値の共有に至るまでの道のりには、どうしてもタイムラグが生じる。したがって、この時間差を半年の間で埋められたのか大いに疑問が残る。

     2018年に沖縄県が「奄美・沖縄」に含まれる西表島の島民を対象に実施したアンケート調査結果によれば、世界遺産登録を望まない割合が高く、その理由が「自然遺産に登録されると観光客が増えることで保全への不安が高まる」という、世界遺産制度のジレンマを地域住民が抱えていることがわかった。また、著名な観光サイト「トリップアドバイザー」でも、「奄美・沖縄」を、「世界遺産に登録される前に行っておきたい」と紹介しており、世界遺産観光の本来の役割はどこにあるのかを逆説的ではあるが観光者や研究者への問題提起ととらえられる。

    4.おわりに

     世界遺産は、その根拠条約において保全を目的に掲げる一方、観光振興との両立には触れられていない。しかし実際には、魅力ある地域の宝が登録の対象となり、その価値共有の側面からも世界遺産観光が二次的現象として活発化し現在に至る。しかし、これまで繰り返されてきたように、登録決定時の首長コメント等に多い、観光振興(とくに経済的効果)への期待が声高に表明され、本来の保全への決意がかすんでしまうかのような「世界遺産への挑戦」は、再考すべき時機にあると考えられる。

  • 大竹 あすか
    セッションID: 502
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.先行研究の展望と研究目的

     書店を事例として扱った研究は,土屋ほか(2002)と秦(2015)があげられる.土屋ほか(2002)はGISを利用して愛知県を事例として,大型書店が持つ商圏の時空間変化を営業時間に着目して分析した.秦(2015)は,福岡県を事例として書店チェーンの立地展開を取次会社との垂直的企業間関係に着目して分析した.

     地理学において小売店の流通や店舗の立地を扱った研究は数多く行われてきたが,書店を題材とし店舗構造や書籍のジャンルなどを含む経営方針に焦点を当てた研究は管見の限りほとんどない.さらに上記の研究は2000年代後半から著しく増加したインターネット通信販売との競合が考慮できておらず,現代社会における書店経営に関して改めて分析する必要があると考えられる.

     今回の研究では,小売業でも特殊な流通制度を持つ出版制度を踏まえた上で,盛岡市の都市構造と都市システムが経営方針にどのように影響を与えているかを分析する.

    2.研究方法

     調査対象地は岩手県盛岡市に設定した.盛岡市は新幹線や道路網整備により北東北の拠点として機能していること,盛岡市は総務省家計調査で世帯当たりの書籍購入額が全国の県庁所在地の中でも有数であることから,個人書店から全国チェーン展開を行う書店まで多様な経営形態が見られる.

     調査対象店舗は立地している地域や経営規模を基準に市内の書店を分類した上で抽出し,各店舗の経営者と関係者に対して,客層や経営方針,経営状況などの情報などについて聞取り調査を行なった.調査は2018年8月〜11月に行った.また,2019年5月〜9月に追加で調査を実施予定である.

    3.調査結果と考察

    1)都市構造が規定する経営方針

     以下2点により,盛岡市の都市構造が盛岡市内における経営方針を規定していることが示された.

    ①書店の郊外展開と店舗面積の拡大

     松原(2015)で指摘されている通り,モータリゼーションによる郊外化と中心商店街の衰退が,郊外への大型書店を中心とした店舗展開と中心商店街における廃業店舗数の増加に影響を与えている.盛岡市では2000年代以降郊外にショッピングモールが進出し,家族連れを含む若年層の購買活動の中心が移ったことが聞取り調査から明らかになった.

    ②客層に合わせた書籍ジャンルの選定と店舗構造の方針

     各書店は立地する地域の利用客に合わせ,販売する書籍のジャンルや,棚の配置などの店舗構造を決定していることが示された.聞取り調査からは次のことが明らかになった.観光客が多く訪れる駅前の書店では,郷土誌を店外から見やすい位置に設置している.また高齢者利用客の割合が高い中心商店街内に立地する書店では,時代小説を中心とした書籍ジャンルが選定されている.一方郊外のショッピングモールでは,児童書を充実させて家族層の集客を図るとともに,開放的な雰囲気を持つ店舗構造に設計することでモール内の回遊客を集めていることが明らかになった.

    2)都市システムが規定する経営方針

     書店の経営戦略に関する聞取りから,日野(1996)同様,現在も盛岡市が北東北の中核市としての役割を持っていることが示された.盛岡市は道路網と鉄道網の観点から北東北全体の拠点としての機能を持っており,東北地方全体の中心地である仙台市,東京都内への利便性があるからである.同時に岩手県内においても,盛岡市が中心地として役割を強めている.そのため,盛岡市には同県内の他都市と比較しても大規模書店や専門書を取り扱った書店が集中している.

     以上より,都市構造と都市システム両方が,盛岡市に立地する書店の経営方針の多様性をもたらしていることが明らかになった.

    <参考文献>

    土屋純・伊藤健司・海野由理 2002.愛知県における書籍チェーンの発展と商圏の時空間変化.地理学評論 75: 595-616

    秦洋二 2015.日本の出版物流通システム—取次と書店の関係から読み解く—.九州大学出版会

    日野正輝 1996.『都市発展と商業立地—都市の拠点性—』古今書院

    松原宏編 2015.『現代の立地論』古今書院

  • 野上 道男
    セッションID: 407
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    大谷亮吉が伊能家に残る記録の断片であるとして、その著書に採録している表を解読した。伊能はこの表で、星測点間の東西距離と南北距離を記述している。距離は大図の縮尺(1/36000)すなわち、緯度差1度=28.2里を101.52寸とする値で示されている。東西距離についても同様である。基点からこの区間距離を累算すれば、次々に星測点の座標が定まる。 さらに南北座標については、江戸深川黒江町(伊能自宅)を原点とする座標値も示されている。

     これらのことから、全国で1220余点ある星測点はすべて座標値を持っていた可能性がある。このことは伊能図の作図法および投影法を考察する上で大きな意味を持っている。

  • 谷 謙二
    セッションID: 408
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     旧版地形図をWebサイト上で配信・閲覧する「今昔マップ旧版地形図配信・閲覧サービス」は,2005年にWindowsソフトとして開発を開始し,2009年にインターネットダウンロード,2013年にWebサイトとして開発を継続している(谷 2005,2009,2017)。2022年から実施の高校の必履修科目「地理総合」においては,防災などの単元で新旧地形図の読み取りが地理的技能として位置づけられており,これまで以上に旧版地形図が活用されることが想定される。そこで,今昔マップでは,従来の大都市地域だけでなく,収録範囲を47都道府県の県庁所在地まで広げるとともに,機能面でも改良を行っている。

    2.データセットの追加と利用状況

     今昔マップは当初は首都圏のみだったが,3大都市圏,政令指定都市と範囲を拡大し,2019年6月の津と山口の公開により,全県庁所在地を網羅し,現在37地域の地形図3,759枚が収録されている。収録範囲の拡大にともない,2014年には1000件/日程度だった「今昔マップ on the web」のアクセス数は,2018年以降は6000件/日を超えるようになっている。

    3.システム面での改良

     「今昔マップ 旧版地形図配信・閲覧システム」は,地図タイルを配信するタイルマップサービス,WindowsPCにインストールして使用するデスクトップソフト「今昔マップ3」,Web上で閲覧する「今昔マップ on the web」から構成される。このうち「今昔マップ3」は大きく変化していない。

     タイルマップサービスについては,限られたサーバ容量の中でデータセットを追加するため,ファイル容量の削減に努めた。まず,従来256色(8ビット)で保存していたカラー地形図画像を,16色(4ビット)に減色した。これにより,カラー画像の場合はファイルサイズが半分近くまで減少した。また,海域が広い図面は,細かな青色ドットのためファイルサイズが大きくなっていたため,海部を白抜きにして加工し,ファイルサイズを縮小した。さらに,当初は独自に色別標高地図タイル画像を作成しており,重ねられるようになっていたが,地理院地図の色別標高図を使用することにして独自の標高タイル画像は削除した。サーバのデータ容量の削減により,データセットの追加が可能となった。

     「今昔マップ on the web」については,状況の変化に伴いシステムを大きく変更した。まず2016年には,スマートフォン等で位置情報を使用するためSSLで呼び出せるようにした。さらに,公開開始時にはGoogle Maps APIを利用したシステムだったが,2018年に無償使用の範囲が縮小したため,オープンソースWeb地図ライブラリ「Leaflet」を使用することにし,JavaScriptのプログラムを全面的に書き換えた。それまではデフォルトでGoogleマップが右側に並べて表示されていたが,Leafletになってからは地理院地図がデフォルトとなった。しかし,Googleマップで利用できるストリートビューは古い街道の現状を見る際などで有用なため,右クリックで当該地点のGoogleマップにリンクするメニューを作成した。Googleマップだけでなく,YAHOO!地図やMapion等の地図サービスにもリンクしている。また,Leafletに変更した際に,それまでの1画面または2画面表示に加え,4画面に分割して表示できるようにした。

     昭和戦前期の一部地形図では,軍関係施設などが消されるなどのいわゆる戦時改描が行われている。戦時改描図は,図郭外の定価欄が( )で括られているとされており,今昔マップ収録地図においてもそうした図面が51枚含まれる。戦時改描図は,知らない人が見ると改描を信じてしまう可能性がある。そこで今昔マップでは,定価欄が( )で括られている図面の上にカーソルがある場合は,図幅情報として地図上に注記することとした。具体的に地図上で改描されている箇所はわからないものの,改描の可能性を注意喚起することはできめるだろう。

    文 献

    谷 謙二 2005. 時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ』(首都圏編)の開発.埼玉大学教育学部地理学研究報:25,31-43.

    谷 謙二 2009.時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ2』(首都圏編・中京圏編・京阪神圏編)の開発 .GIS-理論と応用:17(2),1-10.

    谷 謙二 2017.「今昔マップ旧版地形図タイル画像配信・閲覧サービス」の開発.GIS-理論と応用:25(1),1-10.

  • 澤田 康徳
    セッションID: 109
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    電子付録

    目的:これまでの気候認識研究は,自国や世界に対するものがほとんどで,他の国・地域に対する認識の系統的な差異は明確ではない.本研究では,中国における大学生の日本・中国の気候に対する関心と情報取得の関係を捉える.

    方法対象者は,日本への留学生数が最大(2017年度:107260人)の中国(首都北京)における大学生(CS:228人),日本人留学生(JFS:29人)である.専門は,日本への留学経験者が多い日本語学科および人文社会・自然科学と日本語以外の言語の大学生とした.アンケートは,2018年10月上旬~11月下旬に実施した.内容は,日本・中国に対する①社会や気候に関する関心,②情報取得媒体,③気候について関心のある場所などについて問うた.質問①・②は5段階評価,③については自由記述による回答方法を設定した.①で得られた日本・中国に対する関心の変量に対してクラスター分析を施し類型化した.

    結果:日本および中国に対する関心程度は,4つに類型化された.すなわち,両国の人文社会要素(1~3,11~13)で最上位得点(5点)割合が大きく,日本の気候など気候自然要素(4~10)は中位得点(3点)割合が大きいⅠ型,中国の人文社会要素および気候自然要素(11~20)に対して最上位得点割合が全類型中最大で,日本に対してもそれら(1~10)の最上位得点割合が大きいⅡ型,中国に対しては人文社会要素および気候自然要素とも最上位得点割合は大きいが,日本に対してはいずれも下位および最下位得点(2点および1点)割合が大きいⅢ型,両国の全体(2・12)に対して最上位得点割合が大きく両国の気候自然要素(4~10・14~20)に対しては下位および最下位得点割合が大きいⅣ型である.日本人留学生は言語(1・11)に対する最上位得点割合が大きく,両国の気候関連(5~10・15~20)に対してはⅠ型と同様で中位得点割合が大きい(図1).両国の人文社会と気候自然要素で最上位得点割合が大きいⅡ型は,日本への渡航経験割合が最大で(43.2%),情報源は両要素でテレビおよびインターネット,ほかの手段も多用している.一方,Ⅰ,Ⅲ,Ⅳ型では,両要素でインターネットが情報源の主体である.日本の気候に対して関心がある場所は,中国人大学生全体では北海道や沖縄,大都市で(図2),Ⅱ型および日本人留学生では大都市の割合は小さい.関心理由は,Ⅰ・Ⅲ・Ⅳ型で,大都市である割合が,Ⅱ型や日本人留学生は,自然の魅力である割合が大きい.関心がある地域やその理由は,日本および中国に対して共通しており,したがって社会要因のみに規定されない自然の魅力判断,多様な情報取得は,自国以外についても関心をもつ要素や地域の多様性に関わっている.

  • 諸橋 和行
    セッションID: S209
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

    新潟県では,新潟県中越大震災復興基金事業(以下,基金事業)として,平成23年度より3年間をかけて「新潟県防災教育プログラム制作事業」を実施し,平成26年2月に最終成果品をとりまとめて,新潟県内の市町村防災担当部課,全小中学校及び高校等に配布した(図1).

    平成26年度からは,同じく基金事業として「ふるさと新潟防災教育推進事業」がスタートしており,新潟県防災教育プログラムを活用した実践的な防災教育が展開されている.当機構はこれら一連の事業において当事者として関わっており,新潟県防災教育の背景,特徴,実施内容等を報告する.

    2.新潟県防災教育プログラムの概要

    新潟県防災教育プログラムは,いわば教職員向けの防災教育用学習指導案集である(6つの災害別に学年に応じた授業案と教材を一緒に収納).各学校において防災教育を実践するための総合的な手引きとして活用するものであり,図2に示す構成となっている.

    3.ふるさと新潟防災教育推進事業の概要

    ふるさと新潟防災教育推進事業は,新潟県内の小中学校において,児童生徒の災害から生き抜く力を育むために,新潟県防災教育プログラムを活用した実践的な防災教育を推進することを目的としており,「学校実践」と「学校サポート」の2つの事業で構成されている.学校実践は,防災教育に取り組む学校において,実践に係る経費(実費)を補助するものであり,学校サポートは,各学校の実践を専門的見地から総合的にサポートするものである.なお,後者の事業は当機構が担当している.事業期間は平成26年度から平成31年度(令和元年度)までの6年間であり,事業フレームは図3のとおりである.

    4.新潟県防災教育の現状と課題

    新潟県内の小中学校においては,基金事業に基づく防災教育事業の実施によって,防災教育の実施が飛躍的に進んだ.それまではおそらく5%にも満たない実施状況であったと推察されるが,本事業によって平成26年度の時点で県内小学校の83%,中学校の69%で,新潟県防災教育プログラムを活用した防災教育が行われる状況となった.その流れは概ね継承されている.

    当機構では,平成30年度において年間で延べ160件,防災教育に関する各学校等からの相談や依頼に応じている.ゲスト講師として児童生徒に授業を行う機会も少なくない.地域の特性を踏まえて毎年継続的に防災教育に取り組む仕組み(カリキュラム)ができている学校も増えてきている.いわば防災教育の自校化であり、当機構においてもこれを目標に学校サポート事業を展開している.

    ふるさと新潟防災教育推進事業は令和元年度で終了となる.今後の新潟県としての防災教育の方向性をどのように定めるかが喫緊の課題である.

    【参考】防災教育スイッチ http://furusato-bousai.net/

  • 有馬 貴之, 河本 大地, 目代 邦康
    セッションID: S101
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    Ⅰ ジオツーリズムと人文・社会科学

    日本のジオパークに対する、人文・社会科学的な研究の多くは、教育やジオガイド、商品開発等に関する実践報告である。ジオツーリズムにおいても主にツアーやガイドの現状、地域活性化について議論はされてきたが、多くは実践報告を越えての理論構築には至っていない。

    ジオパークの活動においては、地質遺産の保護と、教育と、持続可能なジオツーリズムが、3つの柱とされている。ジオツーリズムでは、地形・地質を主な対象とし、それによる経済的収入が地域の自然環境の保全活動に役立てられ、地域の持続可能な開発を可能とすることが目指されている。ジオツーリズムは、単に地形や石を観光対象としたものではない。そこには社会的なコンテクストが存在しており、エコツーリズムと同様の思想をもっている。

    近年、国内外でエコツーリズムについての観光学的研究は、盛んに行われているが、上述の通り、日本においてはジオツーリズムの研究の蓄積や議論はまだ不十分である。これは人文地理学者や観光研究者をはじめとする人文・社会科学の研究者に、ジオパークが研究対象として魅力的に映っていないためであると考えられる。

    今後、ジオパークの活動を深化させていくためには、その活動の客観的な評価が必要となる。そのためにも、ジオパークおよびジオツーリズムが、観光研究の対象としてどのように位置づけられるのか、現在のジオパーク活動の状況を整理した上で、議論しておくことは必要であろう。また、観光研究においても、日本国内で44もの地域が日本ジオパークに、うち9地域がユネスコ世界ジオパークになり、ジオツーリズムを推進させると標榜し活動している実態を、無視することはできない。

    Ⅱ 観光地理学研究者と実務を担う研究者

    前章で述べた問題意識から、本シンポジウムは、日本地理学会ジオパーク対応委員会と、観光地域研究グループの共同企画として立案された。シンポジウムにおいては、特に、ジオツーリズムを研究対象としやすい観光研究、特に観光地理学の視点からジオパークを捉えることと、ジオパークで実際に活動に携わっている人が観光地理学、観光研究に何を期待するのかという点の双方に主眼を置いた。

    磯野氏は、これまでの自身の研究から、ジオパークと観光地理学の関係性を報告する。次に平井氏が、大学や研究と地域のつながりについて実践例等から報告する。そして、フンク氏が欧米の観光地理学の動向を報告する。

    あわせて、ジオパークの活動を実際に担う研究者が、自らの地域の実態と、観光研究、および観光地理学に対する期待とを報告する。

    Ⅲ ジオパークと観光地理学の今後

    ジオパークにおいて、外部の研究者と活動を担う実践者とが、互いに良好な関係を築き、それぞれがジオパーク活動の発展に貢献していくことは可能だろうか。外部からの研究が地域に、地域が外部の研究に、「役に立つ」ことは可能だろうか。現代の地域活動と地域をその対象として扱う研究活動の間を、観光地理学は取り持つことができるのだろうか。それらの可能性を、ジオパークという舞台を使って議論したい。

  • 谷本 涼
    セッションID: 410
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    Ⅰ はじめに

    近年の地理学的研究におけるアクセシビリティの概念は,事物の間の空間的関係の説明にとどまらない拡張を見せており,その分析の技法・対象も急速に多様化している。その背景には,(a)現代社会におけるアクセシビリティに対する価値観の変化,(b)それに対応する分析手法の改良,(c)応用分野の拡大,の3点が考えられる.これらを踏まえて本発表では,人々の生活や行動にかかわるアクセシビリティ研究の,近年の成果と課題を展望する.

    Ⅱ アクセシビリティ概念の拡張 ((a)について)

     近年では,社会問題の複雑性に鑑み,アクセシビリティを,生活の質の重要な一要素に位置づけ,人間生活の多様な諸側面を包括的にとらえる概念と定義する傾向にある.その萌芽的な提案として注目されるのが,資源・活動機会の供給側のシステムに対する,需要側(利用者)の適合度を示す概念「アクセス」とその構成要素を提起したPenchansky and Thomas(1981)である.その構成要素とは,可用性Availability,アクセシビリティAccessibility,適応性Accommodation,費用負担力Affordability,容認性Acceptabilityである.最近の英語圏のアクセシビリティ研究では,GISによる分析技術の高度化もあり,こうした空間的要素・非空間的要素の双方に注目した成果が際立つ.

    Ⅲ 分析手法の多様化・精緻化 ((b)について)

    多くの実証研究では,①人々の生活が依拠する空間の構造,②資源・活動機会とその需要の空間的分布や量・種類などの性質,③個人・人口集団の属性・認知などの性質,のいずれかに注目して,議論が展開されている.①の方面では,都市・交通研究の貢献が大きい.引き続き空間的側面に着目しつつも,”5Ds”(Ewing and Cervero, 2010)と呼ばれる観点から,地域・交通システム全体のアクセシビリティ関連の特性を多面的に評価するのが主流になっている.②の方面では,医療地理学が台頭した。利用可能な移動手段や需給バランスなどを含む複雑な分析が可能な手法が開発され,Penchansky and Thomasがいう可用性・適応性まで,議論が拡張されている.③の方面では,GISを活用し,多様な個人属性や認知,およびミクロな建造環境を精緻に反映した測度が提案された.それらは,Penchansky and Thomasがいう適応性や費用負担力,容認性の方向に議論を拡張しているといえる.

    Ⅳ 応用分野の拡大 ((c)について)

    上記のような分析手法の応用が広まったほか,情報空間や将来推計など,主流の研究動向にとらわれない意欲的な成果も登場しつつある。

    日本国内では,個人の時空間的制約を精緻に再現した成果が注目されるほか,喫緊の社会問題への対応策や将来志向の政策提言を志向する議論が出現している.英語圏で成熟した技法を活用した,さらなる研究の蓄積が望まれる.

  • 黒木 貴一, 品川 俊介, 松多 信尚
    セッションID: 204
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    2018年7月豪雨では,西日本各地で斜面崩壊や氾濫による災害が頻発した.これより死者237名,行方不明者8名があり,全壊6767棟,半壊11243棟を数えた.岡山県の高梁川水系の小田川流域では決壊や越流による氾濫で12km2もの浸水被害が生じた.筆者らはこれまで地形縦断曲線や河川縦断曲線を通じて那珂川,御笠川,鬼怒川などの河川被害(内水氾濫,漏水,溢流,破堤など)の箇所・範囲の微地形を議論した.本研究では,2018年7月豪雨で災害の生じた小田川の微地形を対象に,フリーソフトウェアのQGISと既存の地理情報を活用することで地形量と被害との空間関係について分析した.

  • 高橋 環太郎
    セッションID: 522
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    はじめに

     島嶼地域は様々なとらえ方がある。嘉数(2014)は島嶼地域の定義を国連海洋法条約や離島振興法といった法律的な観点を中心に紹介している。島嶼地域は国境の策定や地域政策において重要な地点として扱われることが多く、上記の条約や法律は島嶼地域の定義を明文化しているため、定義として多く用いられる傾向がある。一方、我が国の島嶼地域の研究は主に本州、北海道、九州、四国、沖縄本島を本土とし、それらと比べて小さな地域を島嶼地域とする傾向が強いとされている(宮内 2006)。

     一般的な島嶼地域は狭小性、隔絶性、環海性といった地理的な特徴を有している。島嶼地域を特徴づけている地理的特徴は国内外に限らず、大規模産業が立地しにくく、経済的な活動が抑制される傾向にある。また、多くの島嶼地域において、主要な産業となるのは農業や漁業などであるが、一次産業は生産性が低い側面があり、市場規模の小さな島嶼地域は先進国に比べ、さらに低い収益となりやすい。このような背景により、一次産業を含め、多様な産業と関わりを持つ観光産業は国内外に限らず、多くの島嶼地域において主要産業となりやすい傾向がある。

     また、多くの島嶼地域では地域特有の自然や文化を活用した観光を地域振興の手段として行っている。一方で、過度な観光振興は自然資源や文化への様々な影響が懸念されている。実際、世界遺産である小笠原諸島や屋久島といった自然資源を有する地域では入島制限が行われるなど、観光利用と自然資源の保護を行い、持続可能な観光の実現を目指している。

    目的

     本稿は長崎県の島嶼地域における観光特性と立地特性の分析を行い、島の文化資源の保全と観光の持続可能性について議論することを目的とした。本稿が取り上げる長崎県は多くの島を有する県で、いくつかの島々ではキリシタン文化をはじめとした独自の観光資源を有している。本研究の意義は以下のとおりである。観光の分野において、生活文化の保全は持続可能性な開発といった題材において重要な課題の一つである。また、島嶼地域の立地特性が文化面に及ぼす影響を観光的な視点から論じた試みは少ない。これらの視点は経済的な地域振興に結び付きやすい観光振興において、新たな側面となりうる重要な視点だといえる。

    結果・考察

     分析の結果、キリシタン関連の観光資源を有する島では全体的な観光需要が高い一方、宿泊施設や宿泊を伴った観光需要が希薄なことが示唆された。また、長崎県の島嶼地域は交通面での不利性を有している傾向がみられた。これらの結果は、過度な観光需要の抑制につながり、観光資源の保全の面で持続可能な観光へ寄与していることを示した。

    参考文献

    嘉数啓. (2014). 島嶼学ことはじめ (一): 島の定義・アプローチ・分類. 島嶼研究 = The journal of Island studies no.15 p.95 -114

    宮内久光. (2006). 日本の人文地理学における離島研究の系譜 (1). 人間科学, (18), 57-92.

  • 荒井 良雄
    セッションID: 328
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに 日本でブロードバンドが普及し始めたのは2000年頃であり,その歴史はまだ20年にも満たないが,その間にも新技術の開発・普及は急速であり,現在では,固定通信では光ファイバー(FTTH)網,移動体通信では第4世代(4G)携帯電話網を利用することが普通になっている.しかし,ブロードバンド普及の初期段階にあった2000年代中頃にもっともよく利用されていたのはADSL (asymmetric digital subscriber line)サービスであった.既存の電話線を利用するADSLは,ブロードバンド網構築のために,巨額の投資を必要とせず,短期間にサービスを立ち上げることができたのである. 2000年代初めに全国でADSLサービスが急速に普及していった段階で,主たるサービス提供者となったのは,日本の電気通信事業の中核を担うNTTグループ各社であった.しかし,日本で最初にADSLの実証実験を行い,その後,最初の商用ADSLサービスを開始したのは,外国では類例を見ない地域通信サービスである有線放送電話の事業者であった.有線放送電話は,第2次世界大戦後の日本で誕生し,全国の農村地域で利用されるようになった地域メディアであるが,ADSL普及の初期には,この有線放送電話事業者がサービス供給の中核を担った. 本発表では,旧式な通信技術に立脚するこのオルタナティブな地域メディアが,どのようにしてインターネットの普及という情報化社会の大きな変化に対応してきたのかを,既存の公表資料と有線放送電話事業者やインターネット・サービス・プロバイダー等からの聞き取りをもとに報告したい.

    2.有線放送電話の概要 有線放送電話では,自社の通信ケーブル(メタル線)を使って,自主ラジオ放送と電話サービスを提供する.加入者の主体は農村住民であり,有線放送電話のために専用の電話機を保有している.有線放送電話用の電話機はNTT回線用のものとほぼ同形だが,受話器の他に,放送受信用のスピーカーが付いている.それぞれの有線放送局は制作スタッフとスタジオを抱えており,自主制作した地域ニュース,気象情報,農業情報,音楽等の番組を放送している.

    3.ADSLのフィールド実験 第2次大戦直後に誕生した有線放送電話は,1980年代までは,単に古くなってきた地域メディアに過ぎなかった.しかし,インターネットが出現すると,有線放送電話事業者はそれに対応することに自らの存在意義を見出そうとした.1990年代中頃には,まず,有線放送電話網をインターネット・バックボーンに接続して,ダイアルアップ・サービスが提供されるようになったが,低速であるという限界があった. 当時の日本では,まだ商用のADSLサービスは提供されていなかったが,長野県の伊那市有線放送電話農業協同組合は,自社網を利用したADSLサービスが実現できないかと考え,1997年9月〜10月にフィールド実験を行った.実験には,通信機器メーカーのほか,個人・市役所・学校・一般企業等を含む利用者有志が参加した.この実験は成功裏に完了し,その結果を見た県内のいくつかの有線放送電話事業者も同様の実験を実施した.

    4.有線放送電話事業者によるADSLサービスの拡大 1999年,長野県の川中島有線放送電話農業協同組合が日本初の商用ADSLサービスを開始して以降,有線放送電話事業者によるADSLサービスは全国に拡がった.それまで,ADSL技術の導入に消極的であったNTTも2001年に商用サービスに参入し,ADSLサービスは急速に全国に普及した. しかし,2000年代半ばになると,NTTによる光ファイバー網サービスが本格的に普及してきたため,ADSLサービス利用者は減少に転じ,2010年には全国のADSL加入数は光ファイバー加入数を下回るようになった.

    5.有線放送電話事業者によるADSLサービスの現況 ADSLサービス全体が縮小している中でも,有線放送電話事業者のサービスは微々たるシェアを占めるに過ぎない.しかし現在でも,数千世帯の加入数を維持している有線放送電話事業者が見られる.発表では,そうした中でも有数の有線放送電話事業者である伊那市有線放送電話農業協同組合(いなあいネット)と上越市有線放送電話協会(JHK)を取り上げ,その現況を紹介する.

  • 高波 紳太郎
    セッションID: P007
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     遷急点(滝)の後退速度の推移は,気候変動に代表される環境変化の指標となりうる(高波,2019).しかしながら,単一の滝において異なる期間で複数の後退速度が推定された事例はナイアガラ滝(Philbrick,1970)に限られる.本研究では,歴史資料が豊富な沈堕滝において,過去約500年間にわたる遷急点の位置を復元し,その後退速度変化の有無を検討した.

    2.沈堕滝の概要

    沈堕滝は大分県の大野川中流部に所在し,大野川本流上の雄滝とそこから下流へ350 mの距離にある雌滝(支流の平井川の滝)とで構成される.沈堕滝の表面と上流側の河床は阿蘇4火砕流堆積物の溶結凝灰岩からなり,滝つぼよりも下流側の河床には白亜紀の堆積岩が露出する.雄滝のすぐ上流には水力発電の取水堰(1909年完成)があり,1952年以降は滝の後退を抑制する補強や修景工事(1998年完成)がなされた.吉田ほか(1998)は雄滝の平均後退速度を1〜2m/年(郷土史によれば150年で240 m)と見積もっているが,その推定根拠は詳しく述べられていない.

    3.歴史資料による15世紀末以降の滝の位置

     雪舟が沈堕滝を訪れた際の作品である『鎮田瀑図』には,雄滝と雌滝に相当する2つの滝が描かれている.これは1476(文明8)年当時,雄滝が平井川との合流点よりも上流側に存在し,過去約500年間における雄滝の総後退距離が350 m未満であることを強く示唆する.また江戸時代の地理書である『豊後国志』(巻之九,大野郡志)には,雄滝と雌滝との間の距離は1町(109 m)との記述がある.『豊後国志』編纂の経緯(佐藤,2018)から,これを唐橋君山らによる岡藩領内の現地踏査が行われた1799(寛政11)年の資料と認めた.さらに,宇都宮逵山『沈堕観瀑記』(1871年)や『大野川浚疎分間絵図』(1874年)には雄滝に現在と同様の滝つぼが描写されているため,明治初期には雄滝が現在位置より下流150 m以内まで後退していたと考える.20世紀には,大分合同新聞1957年8月27日朝刊によると,1909年に発電所堰堤が完成した時点の雄滝は現在よりも堰堤から60 mの位置(現在よりも40 m下流)にあり,1952年には左岸が堰堤まで5m,右岸は堰堤まで20 mであった.

    4.地形図および空中写真による20世紀以降の滝の位置

     当地域最古の地形図は,1903(明治36)年測図の5万分の1地形図「市場」である.同図上で平井川との合流点から雄滝までの距離を計測した結果、5万分の1地形図の水平方向の誤差35 m(地図上で0.7 mm)を含めても,当時の雄滝は現在よりも55(± 35)m下流にあった.

    また,空中写真によって1947年・1974年・2008年の沈堕滝の位置を推定した結果,1947年当時の沈堕滝は現在よりも15(±10)m下流に存在したものと推定され,1974年および2008年においては前記のとおり滝の後退が抑制されたためにほとんど位置を変えていないことを確認した.なお,1974年および2008年の写真は国土地理院の地理院タイル(オルソ画像)を使用し,1947年米軍撮影の空中写真(1200 dpi)は小林(2013)の手順を参考にTNTmips2014(Microimage社)で簡易オルソ化したうえで雄滝の位置を測定した.具体的には1974年測図の2.5万分の1地形図「三重町」から空中写真に20点のコントロールポイントを与え,基盤地図情報数値標高モデル(10 mメッシュ)と対応づけて正射変換した.沈堕滝周辺のコントロールポイントにおける水平誤差(RMSエラー)は10 m未満であった.

    5.沈堕滝の後退速度とその変化

     以上により復元された過去の沈堕(雄)滝の位置から,雄滝は1476年〜1952年の約500年間でみると0.7m/年程度かそれよりも小さい速度で後退してきた,という結果が得られた.この値は阿蘇1火砕流堆積物溶結部における遷急点の後退速度(Hayakawa et al.,2008)よりも1桁大きいものであり,雄滝の集水域面積(約600 km2)の大きさが反映されていると考えられる.そしてより詳細には,後半の時期すなわち1800年頃〜1952年にかけて後退速度が増大しており,1〜2m/年と求められた.

  • 湯澤 規子
    セッションID: S304
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    本報告では産業を支える「労働力」がそれを提供する人びとの「生活」によって再生産されることに着目し,在来・近代産業における「労働」と「生活」の関係と論理を明らかにすることを目的とする。予察として,産業勃興期における日本とアメリカの比較から,「労働」と「生活」の関係と論理の差異とその規定要因に言及する。

     主たる研究方法は,①統計などによる女性労働と家族労働の把握,②日本の織物業地域の史料分析,③アメリカ合衆国ボストンのWomen’s Educational and Industrial Union, Boston(以下WEIU)史料の分析とする。

    「労働」と「生活」が未分化の小規模家族経営における女性労働は,労働力配分と完全燃焼の一環に位置づけられていた。家族内分業が備える柔軟性と強靭性は在来産業を支える重要な基盤となっていた。労働力の再生産を支える「生活」は「家族」がそれを引き受けていた。

    近代日本の産業勃興期において「労働」と「生活」は分離し,女性労働者の衣食住,娯楽,衛生,教育などは主に工場がそれらを引き受けた。男性労働者は「家族」によって再生産された。一方「農村」は景気変動に対応するバッファーとしての役割を果たし,大局的に見れば,「生活」の再建は工場,家族,農村がそれを引き受けた。

    19世紀の産業勃興期のボストンでは、移民が増大し,1877年に設立された中間団体としてのWEIUが,働く女性たちの「労働」だけでなく,「生活」を積極的に調査し,把握したうえで支援することを目指した。このような動向は,全米組織the National Woman’s Trade Union Leagueにも見られた。

    「労働」と「生活」の視点から見て,「労働生活分離型」の日本,「生活労働一体型」のアメリカという特徴が見られた。その規定要因として①ジェンダー規範,②労働市場と社会構造,③産業勃興期の地域社会が孕む問題の違いが挙げられる。

  • 中村 元
    セッションID: S207
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    はじめに

     2004年10月23日に発生した中越地震では、新潟県の旧川口町や旧山古志村(どちらも現在は長岡市)などの中山間地域で震度7から震度6強などの大きな揺れが観測された。この地域は、日本有数の豪雪地帯としても知られる地域であり、地震発生時期が冬季であった場合には、地震と豪雪の複合災害となった可能性も想定される。以上の点をふまえ、新潟県の歴史地震を振り返ると、1961年2月2日未明に発生した長岡地震が注目される。長岡地震は、長岡市西部を震源とする地震で、最大震度6を記録し、死者5名、重軽傷者30名、全壊戸数220戸を含めた建物被害は1571戸を数えた(新潟県(1961))。歴史学における災害史研究では、この地震が豪雪との複合災害であったことが既に指摘されており(矢田(2016))、近年その地震発生時の行政の対応を示す歴史資料も見出され、分析に着手がなされつつある(中村(2019))。本報告では、以上の歴史学における災害史研究の動向をふまえ、1961年の長岡地震に関する歴史資料を検討し、そこから得られる知見を紹介した上で、この知見を今後の災害対応等で活用する方策を展望する。

     歴史公文書にみる1961年長岡地震

    近年、歴史学における災害史研究では、「防災史」という新領域を展望しつつ、①平時、②災害発生、③応急対応、④復興、⑤災害対策、⑥災害を経験した新たな平時、という時間的なサイクルに注目して検討を行なうべきとの提起がなされている(吉田(2018))。この提起をふまえた場合、上記の一連のサイクルを連続的に分析し得る歴史資料は、③、④、⑤の過程で大きな役割を果たす行政が作成する公文書ということになろう。長岡市では、保存期間を過ぎた公文書のうち歴史的価値を有するものを「歴史的資料」として選定し、長岡市立中央図書館文書資料室(以下、文書資料室)で歴史公文書として管理している。その中には、1960年代に長岡市周辺で発生した自然災害に関連する歴史資料も含まれている(矢田(2019))。このうちの写真帳『災害記録 長岡市』に収録された長岡地震の被災状況に関する写真からは、長岡地震が豪雪と地震による複合災害であったことが如実にうかがえる。また長岡地震時の長岡市の対応に関する文書を綴った『災害記録綴(長岡地震)』に含まれた、「長岡市地震災害救助実施要項 昭和36.2.2」という文書では、全壊世帯については応急仮設住宅の必要があるが、「現在の豪雪のため設置してもまた倒壊のおそれもあるので雪どけを待って着工しなければならない」との記述があり、応急対応も豪雪によって制約を受けたことがうかがえる。報告ではその他、この『災害記録綴(長岡地震)』から浮かび上がる長岡地震時の状況についても紹介したい。

     小学校文集にみる1961年長岡地震

     以上の歴史公文書から確認される長岡地震の被害状況や行政の対応は、この災害で被災した人々自身にはどのように捉えられていたのか。この点については、地震被害の大きかった地域に所在した長岡市立王寺川小学校の5年生の児童28名の作文を集めた文集が作成されており、中越地震をきっかけに文集を作成した当時の担任の谷芳夫氏が、2009年に文集を再刊している(長岡新聞(2009))。報告では、この文集を手がかりに、当時の児童の災害認識を検討し、先に見た歴史公文書から確認される長岡地震の状況と合わせ、歴史学の見地からの災害史研究、歴史資料の内容分析とその知見の今後の災害対応等での活用について考える。

    (新潟県『長岡地震の状況』1961年/『長岡新聞』4713号 2009年12月1日/矢田俊文「新潟県中越地域の歴史地震と災害」(矢田俊文・長岡市立中央図書館文書資料室編『新潟県中越地震・東日本大震災と災害史研究・史料保存』新潟大学災害・復興科学研究所被災者支援研究グループ、2016年)/「吉田律人「災害と歴史学―「防災史」研究の視座」(『史学雑誌』127編第6号、2018年)/中村元「現代災害史研究と公文書―長岡市の事例から考える」(矢田俊文・長岡市立中央図書館文書資料室編『現代災害史研究と史料保存』新潟大学人文学部附置地域文化連携センター、2019年)。

  • 坂井 宏子
    セッションID: S202
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに

     2004年新潟県中越地震で「新潟県中越地震復旧・復興 GIS プロジェクト」がスタートした。さらに2007年新潟県中越沖地震では、県対策本部地図作成班が(EMC:Emergency Mapping Center)設置された。

     にいがた GIS 協議会は、必要なハードウェア、ソフトウェア、データ、人材等を無償で提供し、京都大学防災研究所、新潟大学災害復興科学センターと連携し、被災状況をリアルタイムに地図化した。

    2.EMC におけるデータについての課題 (2007/11 時点)

    (1)防災施設情報等のデータの不整備

     地図化するための基礎データ(台帳データ)のデータベース化がされておらず、位置情報が整備されているデータもほとんどなかった。被災データ(Excel)を作成するための事前処理に時間がかかった。

    (2)被災情報のとりまとめブロック図の不整備(正式地名と通称の存在)

     被災情報が、一般に使用されている字・町丁目単位ではなく、市町村独自の行政区やコミュニティNo毎で、それらのブロック図の整備がなされていなかったため、文字情報と地図情報をリンクさせるために対応表を作成する等事前準備に時間がかかった。

    (3)地図等の電子データの著作権・ライセンスに対する理解不足

     提供物(地図データ、主題図)の著作権に関して、事前に正式な協定がなされていなかったため、活動終了後の活用において課題が残った。電子地図データの利用範囲(紙で大量印刷、庁内LAN利用、インターネット配信)が拡大される都度、無償提供者側とライセンスの使用許可範囲の交渉が必要となり時間を要した。

    3.EMC 活動を通しての提案 (2007/11 時点)

    (1)平常時における基礎データの整備

    1)基本的データの整備(市町村)

     最低限必要な基本的データ(共用空間データ等)は、行政で整備しておく必要がある。また、取り纏め単位に使用するブロック図(行政区、コミュニティ区、小中学校区等)も整備しておくべきである。

    2)基本的データの整備及び国、市町村データの集約(県)

     災害時には被災市町村との広域連携が必須となるため、あらかじめ統合型 GIS で整備された市町村の空間情報データ及びその他の機関が所有するデータを、県単位で集約することが望ましい。また民間地図も有効であるため事前に協定等結んでおくとよい。なお、広域で情報を集約するには、災害時必要な情報(水道、下水、道路等)の市町村の状況を事前に調査の上ルール化しておくことが望ましい。

    (2)利用者へのGISリテラシー教育

     データベースの概念、GIS の基礎知識等研修会を実施する。

    (3)地域のGISセンター構築の検討(データセンターの活用)

     平常時から基礎データを整備し、データの管理は、365日監視体制、セキュリティ、耐震性を備えた、リモートコントロールが可能で安全の保証確度が高いデータセンターの利用を考えるべきである。

    4.現在の取組と課題

    (1)新潟県との「災害時の応援業務に関する協定」 の締結 (2017/11)

     ①災害時における、応急対策のための電子地図の作成

     ②平時における、防災訓練、研修等における連携 等を目指すもの

     県内は約 6 割の市町村で「統合型 GIS」を整備しているが、まだ十分な状況ではない。新潟県では、災害時に必要となる基礎データの整備を行ったが、データの更新に課題が残っている。県内すべての自治体がデータを整備できているわけではないため、統一フォーマットでデータを集約更新するには限界があるようだ。現在、新潟県では統合型 GISの整備はなされていない。

    (2)N²EM(National Network for Emergency Mapping)の設立 (2019/5)

     防災科学技術研究所が設立した N²EM(当協議会も参加)が、西日本豪雨の際、鹿児島県等の避難所オープンデータ作成を支援した。

    5.今後

     GISは地域経営を支援する情報プラットフォームとして、災害時には「被害状況の見える化」、平常時には「地域の課題の見える化」を可能とする。産官学民で地域の GIS センターを構築し、データを共有・流通できる仕組みの確立を目指していきたいものである。

  • 須貝 幸子
    セッションID: S201
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
    会議録・要旨集 フリー

    1.中越大震災の特徴

     平成23年10月23日に発生した最大震度7の地震により、新幹線、高速道路等の高速交通網が寸断され、長期間不通となった。

     中山間地では、土砂崩れなどの地盤災害が多発したことにより、地域の道路網や河川の閉塞なども発生したため、そこでの生活が困難となった。中でも、旧山古志村では、一時は全村避難も行われ、過疎・高齢化等の課題が顕在化した。

    2.復興基金のアウトライン

     国の交付税措置を財源的な裏付けとした、県からの貸付金による金利を原資とする「指名債権譲渡方式」によって基金造成が行われ、公益財団法人が設立された。

     行政とは別に設けられた組織により、迅速な事業構築や機動的な運営が可能となった。また、意思決定に当たる役員に、復興に豊富な知見を有する有識者が加わることにより、様々な新しい発想も活用できた。

    3.復興基金が果たした役割

    (1)中山間地での災害復興メニュー

     中山間地域の被災地では、小規模な農業や養鯉業を生業とする住民が多かった。住宅だけでなく、農業基盤施設、作業場や農機具などにも被害が及んだことで、生業の基盤も失われた。被災した住宅の再建は、自力再建への支援として進められたが、住まいとともに生業の生産施設を同時に失った被災者の負担には限界があり、住まいと生業の双方を意識して復旧を支援する必要があり、対応したメニューが取り組まれた。

     また、コミュニティ再生のため、多岐にわたる住民のニーズをきめ細かく把握する必要があった。このため、自治体だけでなく、NPОなども活動を展開したが、やがて、復興基金の事業として設置された地域復興支援員が、行政と地域住民の間の橋渡し役を果たした。把握されたニーズの一つには地域の拠りどころとなる集会施設等の再建が求められ、基金による支援が行われた。こうした取組みの積み重ねにより、コミュニティの維持が図られた。

    (2)中越メモリアル回廊

     震災の復旧及び復興とともに、経験・教訓の発信も基金の大切な役割であり、長岡市と小千谷市では、「中越メモリアル回廊」の整備が行われた。

     被害のあらましや被災当時の避難所の様子がわかるようになっており、県内外から防災に関心のある多くの方が来場している。また、県内の小中学校からは防災教育の場として活用されている。

    4.基金の解散とこれからについて

     長引く低金利のため、公益財団法人での資金運用は困難となっている。東日本大震災や熊本地震などでは公益財団法人は設立されず、自治体の一般会計の中に「取り崩し型」の基金が作られている。

     中越大震災復興基金が復旧および復興のプロセスで機動的に事業を実施し、復興に寄与したことに対しては高い評価をいただいてきた。そして、その役割を果たし終えたことから令和2年秋を目途に解散することにしている。

     残された資金は、「中越メモリアル回廊」を活用した、県内の小中学校で取り組まれる防災教育プログラムを支援する事業のため、地元市に引き継がれることになっている。この取組が生かされ、震災の経験と教訓が将来の世代へ伝えられていくことに期待している。

  • 石原 肇
    セッションID: 504
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.研究の背景と目的:地域活性化のためにはバルイベントは単発ではなく継続開催することが重要と考えられる。東大阪市内においては比較的近接する3地域でバルイベントが継続的に実施されている。地域的特性に応じた運営方法と継続性の視点からの調査が必要と思われる。そこで、本研究では、東大阪市の3地域で行われているバルイベントについて運営方法を比較することを目的とする。

    2.研究対象地域と研究方法:東大阪市は、大阪府中河内地域に位置する市である。市域の面積は61.81㎢、人口は502,784人の中核市である。日本有数の中小企業の密集地であり、また、花園ラグビー場のある「ラグビーのまち」でもある。本研究では、同市内で継続開催されている「布施えびすバル」、「小阪・八戸ノ里なのはなバル」(以下、「なのはなバル」)、「長瀬酒バル」を対象とする。バルイベントの実施状況を把握するため、2018年5月26日に「なのはなバル」、2018年9月8日に「長瀬酒バル」、2018年10月20日に「布施えびすバル」の現地調査をそれぞれ行った。2019年6月に、それぞれの事務局にヒアリングを行った。また、バルマップ等の提供を受け、参加店舗数やバルイベント実施範囲を把握した。考察にあたっては、各バルイベント実施地域内の駅一日乗降客数や東大阪市小売商業の現状と主要商店街の規模・構造調査結果』を参考とした。これらより得た情報から地域的特性と運営方法について比較を行う。

    3.結果と考察

    (1)布施えびすバル:「布施えびすバル」は2013年10月に第1回が開催され、2018年10月に第6回が開催されている。チケット制度である。一日乗降客数の最も多い布施駅があり、商店街の規模も最も大きく飲食店割合が高い。布施えびすバル実行委員会の事務局は、バルイベントに参加している飲食店のオーナーであるA氏が担っている。ヒアリングによれば、最初は商店街の枠の中で動いていたが、制約が大きく飲食店だけのイベントとして出来ず、物販やサービスを入れるとぼやけてしまう傾向にあった。このため、飲食店のみに転換している。

    (2)なのはなバル:「なのはなバル」は2013年3月3日(日)に第1回が東大阪市で初めてのバルイベントとして開催されている。2018年5月に第6回が開催されている。河内小阪駅は布施駅に次いで一日乗降客数が多く、商店街の規模も同様に次ぐが、飲食店割合は低い。なのはなバル実行委員会の事務局は、週刊ひがしおおさかの代表であるB氏が担っている。ヒアリングによれば、7年前に店の人同士が小阪でもバルイベントをやりたいと話し、中学校区が同一の八戸ノ里にも話が及び、開催の機運が高まった。6回目の開催にあたり、従前のチケット制からリストバンド方式に移行した。

    (3)長瀬酒バル:「長瀬酒バル」は2014年7月4日(金)〜6日(日)の3日間で第1回が開催され、その後、2018年9月に第4回が開催されている。本報告で取り上げる3地域の中で3番目となる。長瀬駅の一日乗降客数や商店街の規模は3番目で、飲食店割合は高い。長瀬酒バル実行委員会の委員長は、バルイベントに参加している飲食店のオーナーであるC氏が担っている。ヒアリングによれば、お客様とコミュニケーションのとれるカウンターのあるお店に地元の住民の方々に足を運んでもらう機会を作ろうと開催した。チケット制や参加証方式ではなく、チラシを持っていけばよく、各参加店舗で1コイン(500円)を支払うという極めて簡素なシステムを導入している。

    4.まとめ:東大阪市の3地域で行われているバルイベントは、チケット方式、リストバンド参加証式、チラシ持参といった3地域でそれぞれが異なる運営方法で実施されていることが確認できた。実行委員会が目指すバルイベントの姿、バルイベントの実施範囲にある商店街の規模や飲食店の割合などを勘案して、それぞれが適切であると判断した方法がとられたからだと考えられる。これは、バルイベントが地域の実情に適った運営方法をとれる柔軟なイベントであることを示唆している。なお、2019年秋にはラグビーワールドカップ開催に伴うバルイベントが市域全域で企画されている。

  • 吉川 夏樹
    セッションID: S203
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1. はじめに

     中越地震の被災地の復旧にあたり,新潟県は「復興ビジョン」を示し,「創造的復旧」の名のもとに中山間地域の活性化を目指した.被災した中山間地域の経済基盤は農業であるが,平野部と比較して立地条件が不利という特徴をもつ.こうした地域における農地の放棄,荒廃化を抑制するためにも,農地復旧には,作業性・経済性を高める工夫が必要であり,農業の近代化(機械化)へ対応した区画設計が求められていた.それと同時に,美しい棚田の保全という景観への配慮も必要であった.そこで,新潟大学は震災で壊滅的被害を受け原形復旧が困難である地区を対象に農地の区画整理案を提

    案した.

    2.区画整理案の提案

     案作成にあたり,特に配慮したのは,①営農作業の負担軽減,②圃場管理作業の負担軽減及び作業安全性の確保,③移動土工量の削除,④将来への展望,⑤景観への配慮の5つの項目である.これらの実現のため「平行畦畔型等高線区画」を採用した.この区画整理手法の重要な特徴として,区画の幅が一定,長短辺比が大きい,農作業に支障のない屈折部角度などが挙げらる.この手法を用いると,少し曲がった細長い区画になるが,平場の区画と同等の作業効率を確保することができ,従来の棚田の弱点を克服することができる.また,地形に沿って設計されるため,区画間の法面面積や段差を縮小することができ,管理作業の負担軽減や作業の安全性確保にも繋がる.

     この案を提案するにあたって,GIS(地理情報システム)を用いた設計手法を開発した.本手法の開発によって,簡便に地形の複雑な中山間地域における設計が可能になっただけではなく,より効果的で説得力のある提案ができるようになった.

    3.中越地震被災地への手法の適用

     中越地震で深刻な被害があった山古志地区の農地への適用を目指し,設計案を作成した.2006年10⽉に対象⼯区の関係権利者を対象とした区画整理案の説明会を開催した。しかし、筆者らが提案した時点では、既に換地計画案が⽰されており,この段階での⼤幅な計画変更はできず,採⽤には⾄らなかった.

    4.長野県北部地震被災地における手法の適用

     この中越地震での経験は,2011年3 月12日に発生した長野県北部地震で生かされた.本地震によって新潟県十日町市(旧松代町)の「清水の棚田」で大規模な地すべりが生じ,災害関連緊急地すべり対策事業および農地の災害復旧事業が実施された.本地区の農地および周辺の地形が大きく破壊されていたことに加え,全国的な景勝地として知られた棚田であったことから,被災農地を個別に原型復旧するのではなく,区画形質の変更を伴う被災農地全体を単位とした災害復旧が計画された.また,十日町市等より観光資源保全の観点から,区画形状等,棚田景観に配慮した災害復旧計画が求められたため,新潟大学に平行畦畔型等高線区画に基づく復旧案作成の検討が要請された.

     設計案作成は迅速性が要求された.地すべりが発覚したのは雪解け後の 4 月に入ってからであった.復旧指針の協議に 2 ヶ月を費やしたことから,新潟大学に原案作成依頼があったのは6月中旬であった.原案作成に与えられたのはわずか2 週間ほどであった.しかし,中越地震で復旧案作成の手続きをマニュアル化していたことが,期限内での対応を可能にした.現地で開催された説明会で復旧案を受益農家を含めた関係者に提示し,そこで得られた意見に基づき微修正を施した後,正式に区画整理案として採用された.

    5. おわりに

     新潟大学が作成した原案に基づいて工事が進み,2013 年には復旧が完了した.耕作者からは,かつてと比べて格段に作業効率が向上したといった評価があった.平行畦畔型等高線区画はこれまでの伝統的な棚田景観とは異なるが,中山間地域の農地資源保全のための新たな形としての意義をもつと考える.本手法の更なる普及を期待する.

  • 小疇 尚, 佐々木 明彦, 長谷川 裕彦
    セッションID: 306
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
    会議録・要旨集 フリー

     はじめに 上高地から正面に仰ぐ奥穂高岳と岳沢圏谷の眺めは、日本で最もよく知られた山岳景観と言ってよいであろう。槍穂高連峰の氷河地形については多くの研究があるが、上高地から全貌が見える岳沢については、氷河地形分布図が発表されているもののモレーンに関する記述はない。そこで空中写真、Google earth 画像、細密地形図、陰影図などの判読と現地調査によって、岳沢圏谷内のモレーンを認定し、圏谷出口に端堆石を見出した。

     岳沢の地形構成 岳沢の地形は穂高連峰の山稜から岳沢谷出口にかけて、1)岩稜・岩壁、2)崖錐、3)谷底の礫堆、4)岳沢河床、5)岳沢谷出口の岩塊地に大きく区分できる。岩の露出する1)岩稜・岩壁は氷蝕によるアレートと圏谷壁で、その下方に分布する堆積地形は、氷河の作用および氷河後退時以降に岩壁からもたらされた岩屑がつくる地形である。

     岳沢圏谷内の堆積地形 2)崖錐は岩壁直下から下方に広がり、岳沢上流の海抜約2200 m以高ではガリーに刻まれている。灌木と草本におおわれていて、活発な形成期は過ぎたとみられる。3)谷底の礫堆は、海抜約2200~1700 mの谷底に伸びる幅最大300 mの細長い紡錘形の堆積地形である。登山道が通る左岸の段丘状地形の崖に、粘土質のマトリックスに充填された径1 m以下の角礫層が現れており、層相からモレーンと判断され、段丘状地形は側堆石と考えられる。岳沢河床右岸側の礫堆では露頭を見出せなかったが、疎らな灌木林中に数m大の岩塊が点在しており、右岸側の側堆石と判断される。左右の側堆石が合する海抜1800~1700 mの舌状部分が端堆石堤で、これと側堆石を合わせて高位堆石と呼ぶ。側堆石の間に伸びる幅数十mの新鮮な河成礫の堆積する部分が4)岳沢河床である。岳沢源頭域では遅くまで雪が残る狭い支谷とその出口の崖錐が下刻されて、岩屑が深さ10m前後、幅数十mの渓床に押し出し、数十㎝大の亜角礫・亜円礫からなる土石流堆群が河床を埋めて、その先端が海抜1800 m付近で端堆石をおおいつつある。

     低位堆石堤 上記の堆積地形は圏谷内に収まっているが、5)岳沢谷出口の岩塊地は岳沢圏谷出口の、海抜1800~1520m、長さ1 ㎞、幅300 mの狭い溝状の谷底を占めている。常緑針葉樹林におおわれて地形が分かりにくいが、図1の陰影図に示すように海抜1800 m付近から下流に伸びる、数本の低い畝を伴う舌状に伸びた岩塊集積地で、上流側の縦縞状起伏のある主部と、半月形の先端部(岳沢ロウブ)に区分できる。

     主部の縦縞状起伏は、左右両岸沿いの礫堆列にカモシカ沢合流部から下流で斜めに伸びる数列の同様礫堆列が重なったように見え、先端が岳沢ロウブに達している(図1)。岳沢ロウブは、谷の出口をふさぐ前縁部の盛り上がった溶岩ロウブ状の地形で、外縁に沿う治山運搬路から径数m大の花崗岩塊が累積しているのが観察できる。ロウブ上の最大の岩塊は長さ17 m、幅12.5 m、高さ12 m、推定重量約6000 tであった。岩塊地の平均傾斜は約12度、うち主部が約14度で上高地周縁の現成沖積錐のそれと大差なく、岳沢ロウブは約4度でそれより緩やかである。以上のような地形の特徴からこれは山体崩壊による単純な岩屑なだれ堆積地形ではなく、元の崩落堆積場所から粘性的流動によって現位置に移動・堆積したものと考えられる。

     この岩塊地の地形は、急速に後退しつつあるアルプスとニュージーランドの氷河末端部の現成氷河堆積地形との比較で次のように考えられる。岳沢ロウブは氷河上に崩落した岩屑が氷河の流動によって半月形に変形した端堆石堤、主部は右岸側のカモシカ沢の崩壊岩屑が氷河をおおって岩石氷河化したもので、両者を含めて低位堆石と呼ぶ。堆石の時代を決定できる資料は得ていないが、表面形態、分布位置、植生からみて圏谷内の高位堆石が涸沢氷期、低位堆石が横尾氷期に対比されると考えられる。

  • 飯沼 健悟
    セッションID: 423
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    はじめに

    旧岐阜町にある市街地においてそれを形成する土地区画は,岐阜城の城下町としての町並が今も多く残されている。その旧岐阜町において土地境界の検証は,作業に携わる各機関の共通の現代的課題とされている。

    土地境界の復原において,法務局備え付けの旧土地台帳附属地図と岐阜市役所保存の地租改正地引絵図を有用な資料として用いることが考えられるが,この地区において両資料は,作成目的や資料的性格が大きく異なっている。

    また,旧岐阜町において明治24年に発生した濃尾地震とその後の復興が,近代や現在の町並を考える上で重要になってくる。特に,旧岐阜町を縦断する幹線道路である米屋町通りにおける拡幅は,地元からの反対運動があった場所もあるなど,道路拡幅の計画や,拡幅された道路幅員に関して,未だ疑問点も多く残されている。

    本発表では明治期の地籍図や地域資料などを基に,旧岐阜町における道路拡幅の実施状況を検証することで,近代における地震災害とその後の復興が地籍資料にどう記録されていたかを確認する。そして道路境界の復原において,どういった影響が現代社会に残っているのか。近代から現代への連続性を紐解きながら検証してみたい。

    濃尾地震と旧岐阜町の幹線道路の拡幅

    旧岐阜町は岐阜城の城下町として発達し,路線の配置に関する整備が十分に考慮されていた。そのため,近代における土木事業としては,道路の改修を除いて特筆するようなものはなかった。

    明治24年旧本巣郡根尾村付近を震源とする濃尾地震が発生し,旧岐阜町は家屋の倒壊と火災よる焼失で大半が壊滅してしまった。既に土地区画が整備されていた旧岐阜町ではあったが,震災からの復興に際し幹線道路である米屋町通りを拡幅する計画が施工された。その拡幅の計画幅は米屋町南にある白木町までは5間であったが,一人の反対者により米屋町とその北にある靱屋町は4間半として整備が行われた。岐阜市における都市計画は大正13年の内閣府の認可により開始されたことから,復興事業に伴う幹線道路の先駆的な整備事業であったといえる。

    現在の米屋町通りは拡幅当時から位置の変更はなく,景観に歴史的変化はあるものの,「お鮨街道」として市の観光通りとされている。実際に現地を調査してみると,白木町までの通りは概ね5間,米屋町と靱屋町は概ね4間半の道路であった。これは米屋町史にある記述と一致するものであり,道路の拡幅位置が現在まで引き継がれていることが確認できる。

    地引絵図への記載

    旧岐阜町において,岐阜市役所保存の地引絵図は3種類が確認でき,これらから米屋町通りが拡幅された様子を辿ってみる。

    初めの地引絵図は明治21年作製の地籍図である。拡幅された位置に鉛筆で薄く線が引かれてあり,この線は計画位置を示すものと見受けられる。

    次の地引絵図は,同じく明治21年作製の地籍図であるが,拡幅された位置に明確にインク線が引かれ赤色で着色されている。明治8年「地所処分仮規則」第8条において「渾テ官有地ト定ムル地所ハ地引絵図中ヘ分明ニ色分ケスヘキコト」と規定され,道路として赤色で着色された民有地部分は国有地として公示されたといえ,道路拡幅は国有地として実施されている。なお,拡幅部分には地番は付してない。

    最後の地引絵図には,拡幅線のみが描画され,拡幅前の道路境界線は描画されていない。土地利用の変更等により,地引絵図への記載が煩雑となったために再製がされた絵図と考えられるが,道路着色部分の中にある境界は,何らかの事由で転写されず描かれている。

    法務局には,この最後の地引絵図と合致するものだけが備え付けられている。これは旧土地台帳附属地図として一般に公示されているが,現在の道路現状とは概ね一致するがこれのみでは拡幅前の米屋町通りがどのように形成されたのか知ることはできない。

    まとめにかえて

    本検証において,一般に公開される法務局の旧土地台帳附属地図だけではなく,岐阜市役所の内部資料としての地租改正地引絵図を併せて確認することが古来の町並で形成される旧岐阜町における土地境界の検証において重要であることが確認できた。

    特に,米屋町通りの道路境界の復原においては,濃尾地震からの復興により,民有地の一部が国有地として道路拡幅されたという歴史的背景を紐解くことが,重要な作業のひとつであると考える。

    濃尾地震は,近代社会が経験したはじめての大震災として注目されている。しかし,当時の被災経験が都市計画に与えた影響はよく分かっていない部分が多い。災害史や現代の町並を考える上でも従来以上の検証が求められると思われる。濃尾地震は,近代社会が経験したはじめての大震災として注目されている。しかし,当時の被災経験が都市計画に与えた影響はよく分かっていない部分が多い。災害史や現代の町並を考える上でも従来以上の検証が求められると思われる。

  • 岡田 将誌, 肱岡 靖明
    セッションID: P033
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    わが国では様々な果樹が栽培されており、その立地の様相は地域固有の気候条件や地形、地質、社会状況を反映している。果樹種ごとの園地分布の地域差異について、アンケートや実地踏査等による定性的な解析事例は多くあるが、複数要因から総合的に定量的解析を実施した研究は少ない。今後気候・社会経済変化による影響が懸念される中、それを見通すための基礎情報が十分とはいえない。そこで本研究では現在の果樹園分布の要因を明らかにするために、種々の統計データを用い、果樹園分布の地域的差異が明瞭な徳島県を対象に、果樹園分布と自然および社会環境要素との関係について統計分析を行った。その結果、県北部域の主要果樹であるナシやブドウ、モモは降水量との間に負の相関関係にあることがわかった。県南部は年間降水量3000mm以上の地点を有し、日本有数の多雨地域である。日本の気候環境下においてこれらの作物は湿潤条件に非常に脆弱にあることがわかっており、したがって主要栽培地は北部域に分布したと考えられる。また、ナシやブドウ、モモの栽培経営体数は主業農家数との間に高い正の相関にある一方、クリやウメは負の相関にあることがわかった。さらにナシやブドウ、モモは農業従事者の平均年齢との間に高い負の相関がある一方、クリやウメは正の相関がある。ナシやブドウ、モモの栽培は他の果樹に比べ労働負荷が高いため、より労働粗放的で高齢化が進んだ農家労働環境ではクリやウメを選択すると推察された。

  • 佐藤 善輝, 小野 映介
    セッションID: P008
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     伊場遺跡群は浜松平野西部に位置し,弥生時代から平安時代にかけて展開した複数の考古遺跡から構成される(鈴木, 2018).本遺跡群は「伊場大溝」と呼ばれる幅約20 m,深さ約2.5 mの溝が分布することで特徴づけられる.浜松平野西部には計6列の浜堤(陸側から浜堤Ⅰ~Ⅵ)が分布する.伊場遺跡群はこれらのうち浜堤ⅡおよびⅢ上に分布し,大溝は浜堤Ⅰ~Ⅳ間の堤間湿地を流下する.

     これまでの発掘調査から,伊場大溝の形成時期は遅くとも5世紀後葉までさかのぼり,その後若干の流路移動を伴いながら13世紀頃にかけて埋積されたと推定されている.ただし,大溝の形成や埋積の要因については不明な点も多い.

     著者らは伊場遺跡群の梶子遺跡において,環境考古学的調査を行う機会を得た.その結果,伊場大溝遺構を取り巻く地形環境変遷と大溝の起源に関して新たな知見を得たので報告する.

    2.梶子遺跡における環境変遷

     伊場大溝は,カワゴ平軽石(約3.1ka)を含む泥炭などから構成される泥質堆積物や中粒砂から成る海浜堆積物を下刻している.「伊場大溝充填堆積物」は有機物を含む泥質堆積物から成り,層相や包含される遺物の特徴から計7層(下位から順にⅧ~Ⅰ層,Ⅵ層は欠番)に細分される.

     Ⅷ層は主に砂質シルト~シルト質細粒砂から成り,基底から2,156-2,327 cal BPの14C年代測定値が得られた.淡水生浮遊性種のAulacoseira属が卓越し,Planothidium lanceolatumなどの河川指標種はほとんど産出しないことから,この地層は淡水池沼などの静穏な環境で堆積したことが示唆される.また,淡水~汽水生種のThalassiosiara lacustrisを少量伴うことから,海水がわずかに遡上していた可能性がある.また,上位に向けてAulacoseira属が減少することから水深低下が示唆される.

     Ⅶ層はⅧ層を下刻して堆積する砂質シルト~シルト質細粒砂で,基底から1,278-1,313 cal BPの14C年代測定値が得られた.Ⅶ層もAulacoseira属が卓越するが,Ⅷ層に比べるとT. lacustrisの産出頻度が低く,潮汐の影響の度合いが弱化したと推定される.Ⅲ~Ⅴ層はⅦ層を覆う有機質シルトを主体とする堆積物で,Ⅴ層では湖沼浮遊性指標種のAulacoseira granulataが卓越するが,上位に向けて減少し,代わって沼沢湿地付着生種のTabellaria fenestrataが増加する.これらの特徴から,徐々に水深が減少して,淡水湿地へと環境が変化していったことが示唆される.また,潮汐の影響は及んでいなかったと考えられる.

    3.伊場大溝の起源

     大溝充填堆積物には河川指標種がほとんど認められないことから,大溝は流水に乏しく,淡水池沼などの静穏な環境であったと考えられる.また,大溝は伊場遺跡群の広範から連続的に検出されている(鈴木, 2018).こうした事実から,伊場大溝は転流(アバルジョン)もしくは蛇行に伴う頸状部切断が生じ,放棄された自然河川を起源とする可能性が高いと考えられる.

     河川が流下していた時期は,大溝充填堆積物最下部より得られた年代測定値から2,200 cal BP頃以前と推定され,その後,放棄された河川には人為が加えられて「大溝」となったと考えられる.なお,大溝充填堆積物のⅧ層でわずかに潮汐の影響が示唆されることから,大溝成立初期には下流側で海域と接続していた可能性が推定される.その後,2,000 cal BP頃以降における浜堤Ⅳよりも海側の浜堤列の発達(佐藤ほか, 2016)に伴い,河口閉塞や流路長の伸展が生じて潮汐の影響が内陸側に及びにくくなった可能性がある.

    引用文献

    鈴木敏則 (2018) 古代地方木簡のパイオニア伊場遺跡. 新泉社. 東京. 93p.

    佐藤善輝・藤原 治・小野映介 (2016) 浜松平野西部における完新世後期の浜堤列の地形発達過程.第四紀研究, 55, 17-35.

  • 杉江 あい, 海津 正倫
    セッションID: P024
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    バングラデシュのテクナフ半島は,年間降水量が3500〜4000mmに及ぶにも関わらず,気候や地形・地質等の自然的条件により,季節的な水不足に見舞われてきた.さらに,この地域では1978年以降から間歇的にロヒンギャ難民(以下,難民)の流入が起こり,特に2017年8月の70万人を超える難民流入以降,水不足はいっそう深刻な問題となっている.本研究は,レダ一時キャンプ,ノヤパラ拡張キャンプとそれらの周辺地域に居住する難民及び住民を対象として,2019年2〜3月(乾季)に,質問紙を用いて水利用に関する対面式のインタビューを行った.インタビューを実施したのは,レダ一時キャンプの難民24世帯,周辺地域の住民24世帯,ノヤパラ拡張キャンプの難民25世帯,周辺地域の住民25世帯である.本発表では,この調査結果をもとに,水源の種類と利用,またその変化についてまとめ,今後の水資源開発と持続的な管理・利用に向けて,どのような対策や配慮が必要かを検討する.なお,2019年8月には上記のサンプル世帯に雨季の水利用についてインタビューを行い,現在利用されている水源の水質調査を行う予定である.本発表では,その成果についても触れたいと考えている.

  • 矢部 直人, 岡野 雄気
    セッションID: P043
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    2003年のビジットジャパンキャンペーン以降,訪日外国人は顕著に増加する傾向にあり,2003年の521万人から2018年には3,000万人を突破するに至った。この期間の増加率,特に2011年以降の伸びは世界的に見ても特筆されるものである。2002年における外国人旅行者受け入れ数の世界順位では日本は33位だったものの,2016年には16位まで上昇している。

    しかしながら,訪日外国人は全国にまんべんなく訪れるわけではなく,都市部に偏ることが指摘されてきた(国土交通省観光庁2018: 39-40,内閣府政策統括官 2018: 42-47)。具体的には,東京都や大阪府,千葉県,京都府などの都市部への集中が目立つのである。現状でも地方を訪れる訪日外国人は増えており,増加率では都市部以外の地方の方が大きいことも示されている(国土交通省観光庁 2018: 44-45)。しかしながら,同じ地方の中でも北海道や九州に比べて,東北や山陰では訪日外国人が少ないようである。つまり,都市部以外の地方の中でも,訪日外国人の訪問の多寡に差が見られるのである。訪日外国人による経済効果などを全国へ行き渡らせるためには,東京や大阪などの都市部から地方へ,そして地方の中でも相対的に出遅れているところへ,訪日外国人がより一層拡散することが重要であろう。

    訪日外国人の全国的な周遊ルートに関する既存の研究では,金(2009),日比野ほか(2011),松井ほか(2016),古屋・劉(2016),矢部(2016)などがある。しかし既存の研究では,居住地による周遊ルートの違いなどに重点が置かれており,時系列での周遊ルートの変遷については明らかにされていない。地方の周遊ルートが形成されてきた状況を捉えることができれば,訪日外国人の地方訪問に影響する要因について示唆を得ることができると思われる。

    そこで本報告では,訪日外国人の地方訪問の実態を明らかにするため,既存の統計資料を用いた周遊ルートの分析を行う。特に,訪日外国人が増加するにつれて周遊ルートがどのように変化したのか,その時系列での変遷を明らかにする。その上で,周遊ルートが変化した要因を訪日外国人の流動データから検討する。

    まず,訪日外国人の地方訪問の実態を捉えるため,2011〜2017年の周遊ルートを抽出してその変遷を明らかにすることを試みた。その結果,2013年頃を境として,地方の周遊ルートが細分化されて,主な目的地として訪問される場合が増えたことが示唆された。すなわち,2011年には六つの周遊ルート(北海道,東北,東京大都市圏,関西,九州,沖縄)が抽出されたが,2013年には関西の周遊ルートから中部と四国の周遊ルートが細分化されて独立したのである。

    地方の周遊ルートが形成された要因を訪日外国人の流動データから検討した結果,地方の周遊ルート内にある空港への外国からの直行便が影響していた。しかしながら,地方の周遊ルート外にあるゲートウェイとなる大都市からの流入も引き続き一定の役割を果たしており,地方への誘客を考える際には,この経路も決して無視することはできない。また,レンタカーの利用も増えており,このことが交通機関の利便性が比較的低い地方において,旅行者の流動を増やしている側面もうかがわれた。

  • 平井 純子
    セッションID: S103
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.エコツーリズムについて

     エコツーリズムとは、「自然環境の保全」「観光振興」「地域振興」「環境教育」をバランスよく進める観光の形である。日本での普及は、90年前後より小笠原(89〜)、西表島(91〜)、屋久島(93〜)など島嶼部から始まり、全国組織であるエコツーリズム推進協議会等で議論が深められた。2004年に環境省によりエコツーリズムモデル事業が開始、対象地域を自然豊かな地域(知床や屋久島等)とともに、多くの観光客が訪れる地域(裏磐梯や富士山北麓等)、さらには、里地里山の身近な自然地域(飯能や飯田等)とし、日本における展開を多様なものとした。2008年には議員立法によるエコツーリズム推進法が施行され、19年7月現在、法に基づく全体構想認定の自治体は15あり、埼玉県飯能市は認定第一号となっている。

    2.エコツーリズムと観光地理学

     エコツーリズムの性格上、その自然観光資源は地形地質のみならず自然環境や歴史文化含め地理的要素が根底にある。それゆえに、経済効果や人の交流、教育効果など観光地理学の視点から取り上げるべき課題は多く、特に里地里山の身近な自然地域の場合は、活動自体の持続性といった課題を含め、顕著である。その解決には多角的な視点、多面的な運用、異分野間の情報交換と協働が欠かせない。ジオツーリズムはエコツーリズムに内包される概念といえ、課題解決に向けた手法は同質のものになるといえよう。

    3.駿河台大学での取り組み

     飯能市に立地する駿河台大学では、アウトキャンパススタディの一環として、地域の人々と協働しながら、様々な活動に取り組む授業科目「まちづくり実践」を設置する。「まち」を学びの場に交流する中で、コミュニケーション能力を磨き、社会観や職業観、行動力を身につけることを目的としている。その一つに、入間漁業協同組合と協働し、環境調査や外来魚駆除、エコツアーを実施するが活動がある。またゼミ活動として、「駿大版ダッシュ村」と称し山間地区にある古民家再生をし、この家を使って子ども向けの自然体験のエコツアーなどを実施している。これら地域の教育力に基づく実学が、学生の社会人基礎力を育成する有効な手段であり、漁業振興や地域活性化、大学運営にとってもプラスの影響がみられ、多面的な効果が得られている。

    4.飯能市におけるエコツーリズムの現状と課題

     飯能市は、2004年のモデル地区選定の際、「首都圏に近いことで経済的に成り立つ」、「都市から山村までがあり日本の縮図のようなところで、全国の事例になる」と、エコツーリズムの推進による地域振興のモデルになることが期待されていた。しかしながら、飯能市では行政主導で収益性が考慮されていないこと、滞在型、消費型観光に結びついていないこと、エコツーリズムへの参画の仕方と意識に都市部と山間部で差異がみられ、経済的利益を求めない実施者によるエコツアーが多く行われている現状では利益が得られるエコツアーの実施が難くなっていることが指摘されている(中岡 2018)。飯能市は、エコツーリズムを通じて地域内外の交流が進んだという点では評価できるが、当初飯能市に期待されていた「経済的に成り立つエコツーリズム」が実現できておらず、持続可能な観光の形となっていないのが現状で、課題となっている。

    【文献】中岡裕章(2018)埼玉県飯能市におけるエコツーリズムの意義と問題点—エコツアー実施者の参画意識に注目して—、地理学評論vol.91,NO.2, 146-161

  • 中川 清隆, 渡来 靖, 平田 英隆
    セッションID: 106
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    成層圏と対流圏の境界である圏界面は熱帯と極域の間で不連続であり,それぞれ,熱帯圏界面,極域圏界面と呼ばれ,両者の間には寒帯ジェット気流が存在することが知られている.今春の地理学会において,筆者らは,我が国北方の高層気象官署の第1圏界面高度は,寒候季と暖候季で大きく異なるとともに,寒候季には層厚5000m程度の下層と層厚2000m程度の上層の二層構造を持つことを示した.この度, 我が国高層気象官署における第2圏界面の出現率とその高度の年変化について調査したのでその結果の概要を報告する.

     第1圏界面の上方に第2圏界面が出現することがある.図に●と実線で第1圏界面高度の年変化,と実線で対流圏気温減率の年変化とともに,と実線で第2圏界面高度の年変化を,と破線で第2圏界面出現率の年変化を示した.最南端の南鳥島では第2圏界面出現率は夏季に小さく冬季〜春季に大きい傾向が認められるものの通年で概ね0.2程度で推移するのに対して,北部の館野や稚内では冬季に第2圏界面の出現率が急増して0.8〜0.9に達し,二重圏界面構造が常態化する.

     寒候季の館野や稚内の第1圏界面は極域圏界面の南端部に相当し,その上方にほぼ常態的に出現する第2圏界面は熱帯圏界面の北端部に相当すると思料された.冬季の館野付近には下層に極域圏界面南端が達し,上層に熱帯圏界面北端が達して二重圏界面構造となり,その間に寒帯前線ジェット気流が形成されているものと思料された.夏季には寒帯前線ジェット気流を伴う二重圏界面構造は稚内北方領域まで北上し,日本全域が熱帯圏界面に覆われるものと推察された.

  • 佐藤 俊文
    セッションID: 308
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     房総半島の脊梁部に源を有し,東京湾に注ぐ主な河川のうち,湊川はその下流域において,最も西を流れ他の河川とは地質や隆起量など異なる特徴をもつ.この湊川下流域における,おもに最終氷期最大海面低下期以降の地形発達について,その発達要因を考察することを目的とした.

    2.研究対象地域をめぐる地域概要 房総半島の脊梁部を主な水源として,東京湾に注ぐ主な河川に,養老川,小櫃川,小糸川,湊川がある.南上がり傾動を示す半島中部域において,第四紀中期更新世以降の,東京湾北部などに沈降の中心がある関東造盆地運動が開始されると,それまで延長河川として伸びてきた上述の河川は,北西方向に流路を変えるようになったと考えられている.

     上述の流路の状況が典型的に見られるのが養老川,小櫃川,小糸川であり,氷河性海水準変動を主要因として形成を見た後期更新世の海成~河成の木下面(下末吉面相当)・姉崎面(小原台面相当)・市原面(三崎面相当)や完新世の河成の南総面などが,中・下流域を中心に見られ,河口域には三角州が発達する.

     ところが,現湊川は,他の河川のように第四紀中期更新世以降の地層の分布域まで流れを延長していない.中流域の第四紀初期更新世の地質域における,主要な3つの流れを合流するあたりから西流に転じ,第三紀層の基底層である黒滝不整合層などにほぼ沿うようにしながら東京湾に注ぐ.その最下流域では,川沿いに基盤岩が長く露出する崖が見られるところがあり,また海食地形が発達し,北側には,砂礫層を堆積させる標高約30mと約50mの更新世末の洪積世段丘が迫る.他の河川と同様に,完新世の低地(富津Ⅴ面)が下流域に発達するが,それらは標高約20mと高く,より低位の2~3段の段丘も発達し,河口域には三角州の発達を見ない.

    なお,湊川の河口付近は大正関東地震時,約1m隆起したとされる.

    3.方法

     湊川河口部から直線距離約4.5㎞の地形的な狭窄域よりも下流を湊川下流域とし,この範囲を主な対象地域とした.      ① 地形区分図および段丘面の投影縦断図を作成した. 

    ② ボーリング資料(千葉県地質環境インフォメーションバンク資料,富津市公共施設資料,NEXCO東日本提供資料)を収集,分析した.また,海食地形を含めた段丘段丘露頭を調査し,地質柱状図を作成した.

    ③ ①・②で得た資料をもとに,湊川下流域における最終氷期最大海面低下期,海進最盛期,小海退~現在の状況について考察した.また,小櫃川,小糸川における完新世地形に関する先行研究からわかるこれらの地域の地形発達の特徴と比較した.

    ④ ③で得られた湊川下流域の完新世を中心とした地形発達の特徴が生じた要因を,氷河性海水準変動や地殻変動から考察した.

    4.結果

    1)湊川河口から直線距離約1.9㎞地点では,基盤泥岩の深さが判り標高約-22m,この上位には基底礫層,縄文海進期の堆積と考えられるシルト~細砂層,さらにその後の海退期細砂層が堆積する.これよりも下流域では基盤岩層はより深く,その深さは不明. 

    2)縄文最大海進期の堆積層の標高は約20mで,その後~現在まで蛇行を伴いながら形成された2~3面の低位段丘が見られる.

    3)縄文最大海進にあっても基盤岩が高い位置にある地帯が存在し,現流路はそのような岩盤域地帯を侵食しながら流れている.

    文献 中嶋輝允・渡辺真人2005.富津地域の地質.独立行政法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター.

    貝塚爽平1987a.関東の第四紀地殻変動.地学雑誌 96-4 59

    貝塚爽平 1998. 『発達史地形学』東京大学出版会.

    小松原 琢・中澤 努・兼子尚知 2004. 木更津地域の地質.独立行政法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター.

  • 黄 璐
    セッションID: 211
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    2013年4月20日の最大震度7を記録した中国四川省で発生した芦山地震は,4月24日午前10時まで徐々に減衰しながらも余震4,405回以上にわたって続いた。芦山地震の人的被害は,死者196人を含め死傷合計12,317人であり,建物にも甚大な被災が及び,対象地域の住民に深刻な影響が及んだ。当地域には主に伝統木造構造,レンガ混用構造と鉄筋コンクリート構造という3種類の住宅構造が認められた。それらのうち,レンガ混用構造は農村地域で現存している最も多い構造類型であり,同時今回の地震で被害も一番多かった構造である。

     本研究では,芦山県の中心部芦陽鎮,震源地龍門卿と山奥に位置する太平鎮三つの地区を代表として農村地域の住宅構造に焦点を当て,地震被害の影響を確認すると共に,住宅構造類型と被害程度との関係と,復旧の過程で農村住宅構造におけるどのような変容が発生したかを示すことを目的とした。

     芦山地震において,対象地域における現地調査と聞き取り調査を行った。まず,地域内の各構造の被害状況と被害特徴を確認して,住宅構造類型と被害程度との関係も明らかにした。各構造の耐震機能について詳細な評価を行うために,対象地域内で選定した住宅計120棟を,各自の被害状況におじて類型化し,さらに住宅構造類型別の被害率と,被害程度別を全体に占める割合を求めた。また,レンガ混用構造住宅の耐震性が他の二種類の構造より弱いと指摘できる。

     農村地域の住宅構造と住宅被害の関係を分析した上で,農村住宅構造の耐震機能が低下した原因も聞き取り調査により確認できた。2018年6月に対象地域への追加調査結果により,芦山県農村地区において,かつ急傾斜地の川沿いに存在していた住宅は安全な土地で立て直されており,家を失った世帯もほとんど仮設住宅から引っ越していた。さらに,かつて被害が集中していたレンガ混用構造は復興が進み,減少していた。一部損壊を受けたレンガ混用構造では,補修が施されて引き続き居住されており,状況はかなり改善していた。

     地方行政は震災直後に応急住宅・仮設住宅を建て,住宅が全壊した世帯を優先的に入居させた。一方,一部損壊が受けた世帯は,ほぼ自分であるいは地元の経験者を頼んで住宅を修繕してそのまま現地で住み続けていた。応急住宅・仮設住宅に居住する期限もあるものの,新しい家を建てるのは全くできていない状況にある。これに応じて,地方行政は計画土地で集中的に公営住宅を建て,地域住民はほぼ半額で購入できるような政策を実施した。

     対象地域の住宅構造の形成に関しては,当地域の自然・経済環境と緊密な関係がある。雅安市は四川省の中西部の山地地区に位置しており,うち四川盆地からチベット高原への移行地帯にある芦山県は平均海抜2000mに近く,地震による二次災害が発生する可能性が高い。このような自然環境は,住宅の構造類型、規模または品質に大きな影響をもたらした。

     これらのことから,損傷を修繕した住宅は元の構造を維持したが,再建した住宅はほぼ鉄筋コンクリート構造に転換されていた。調査対象地域以外,雅安市において他の被災地にも同じ政策で復興活動を推進し,レンガ混用構造は全体に占める率もかなり低くなると推測している。

     また,芦山地震で被害を受けた建物の中でレンガ混用構造の被害が最も甚大となった要因として,震源地に近く地震断層帯を生じた強震と地域の自然環境、経済発展、住宅建てる習慣など地域の独特な客観的要素による相関が推定されてきた。今回の地震を契機として,復興活動による農村地域においてレンガ混用構造が徐々に鉄筋コンクリート構造に取って代わることが明確になった。これらの変化に従って,農村地域の住宅構造水準と住宅耐震機能も段階的に高まると考えられる。

  • 遠藤 伸彦, 西森 基貴
    セッションID: 105
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    全国にある多くの自治体が実施している大気常時監視局の気象観測データは,気象庁のAMeDASを補完する形で利用されることもある.関東地方南部(茨城県南部・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)の大気常時監視局のうち一般局の風計測環境の問題点を報告する.

     国立環境研究所の「環境数値データベース」に格納されている一般局の位置情報を基に,Google Mapにて各一般局を探し,一般局とその周辺の環境情報を確認した.また,Google Street Viewの画像を用いて,風向・風速計の設置高度と周囲の事物の高度差を確認した.Google Mapでは一般局が見つからない,もしくは Google Street Viewの画像で測器と周囲の事物の高度差がはっきりとしない局については,2019年6月末から7月にかけて,現地を訪問し,目視で風計測環境の確認を行った.

     風向・風速計の設置高度は,自治体ごとに異なっている.神奈川県・東京都では,建物密集地域で建物屋上に風向・風速計を設置している一般局が相対的に多い傾向にある.他方,その他の三県では地上に設置した局舎の屋上もしくは近傍の電柱上に風速計が設置されている地点が多い.特に埼玉県は風向・風速計設置高度が低い一般局が多い.

     風向・風速観測が周辺地物や地形によって影響を受けていると考えられる局数は5都県全体では263局中96局と見積もられた.樹木の影響が強い局が48地点,建物の影響が強い局が40地点である.特に埼玉県では約70パーセントの観測局が周辺環境の影響を受けていると見積もられた.

  • 須崎 成二
    セッションID: 404
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    レズビアンの地理学的研究は,レズビアンが空間的領域を求めないというCastellsの主張に対する批判をめぐって展開してきた.Browne(2017)は,レズビアンの地理学がセクシュアリティだけでなく権力の問題にも着目する必要性を指摘しており,Pritchard et al.(2002)はゲイ・ディストリクトにおけるレズビアンの排除を議論している.本報告では,ゲイバーが集積する新宿二丁目のゲイ・ディストリクトにおいてレズビアンがいかにゲイと共存しているのか,いかに彼女らが排除もしくは危険性にさらされているかを明らかにすることを目的とする.首都圏に居住するレズビアン24名にスノーボールサンプリングによる半構造化面接を行った結果、英語圏で報告されるゲイ・ディストリクトにおけるレズビアンおよびレズビアンバーの排除は,新宿二丁目で得た本研究の知見との間で共通点もあるが限定的であり,レズビアンバー同士もしくはゲイバーとのつながりは,レズビアンバーの集積を維持し共存していくうえで重要な要素であると考えられる.一方で,ゲイ・ディストリクトにおける異性愛男性の存在は,空間を異性愛化させ,レズビアンにとっての安心感,安全性を低下させている.

  • 岡田 登
    セッションID: 322
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.研究目的

     日本では1999年に食料・農業・農村基本法が制定されると,農業経営の法人化が施策に示され,2023年までに50,000法人に増加させることが目標にされた.2015年の農林業センサスによれば,農業法人数は27,101法人まで達しており,野菜生産で農業法人の販売金額が高く,大規模化が進行している.そこで,発表者は野菜生産を行なっている農業法人を野菜生産法人とし,野菜生産農家がどのように産地と関わりながら農業法人化しているのかを解明することを目的として研究を進めている(岡田2017;2018a;2018b).これらの研究は大都市圏の遠隔地である輸送園芸地域を対象としており,野菜の出荷先も比較的限定されている.しかし,野菜産地が大都市の消費地に近接している場合には,生産者は多様な出荷形態を取ることが可能であり,産地内には農協以外にも複数の出荷先が存在することがある.そこで,本研究では大都市近郊の野菜産地の事例として埼玉県深谷市を取り上げ,農家が産地と関わりながら,どのように農業法人化を進めているのかを明らかにする.

    2.各野菜集荷先の取引形態の差異

     2019年に深谷市では5つの産地市場と3つの農協,埼玉産直センター,および多数の産地仲買人が存在しており,各集荷先の主要取引品目は異なっている.産地市場と農協では出荷手数料は同程度であり,最終的に多くの野菜が京浜地域の卸売市場に出荷されている.しかし,産地市場では生産者は個々の野菜の品質に合わせて取引でき,仲卸業者が同質の野菜を多く確保することを可能にしている.一方,埼玉産直センターは卸売市場を通さずに直接野菜を生協や小売店に出荷している.生産者は野菜の規格に左右されずに,事前に決められた単価で取引できるため,年間の経営計画を立てやすい.また,埼玉産直センターでは出荷手数料に集出荷施設での野菜の選果手数料と箱詰手数料,および輸送費が含まれているため,生産者は野菜の流通経費を抑えることができる.さらには,生産者は野菜をコンテナ出荷できるため出荷労力を軽減できる.すなわち,深谷市で生産者が野菜の出荷先を選択する場合には,野菜の生産品目や品質,規格,流通経費,および出荷労力のどれを重視するかにより異なっている.

    3.野菜生産法人の設立と存立形態

     2018年に深谷市では野菜生産法人が14法人存在しており,このうち10法人が野菜生産を専門にしている.市内最大の経営規模の野菜生産法人は,就農時には各集荷先の主要取引品目に合わせて農協と上武生産市場に野菜を出荷していたが,埼玉産直センターへの出荷に移行すると,その利点を活かして農業法人化した.その後,同法人は野菜生産量の急増に伴い,品質向上と食の安全を進めて,仲卸業者や商社,および加工業者との契約取引を開始し,生産過剰分と不足分を調整して,規格外品の出荷先を確保している.すなわち,大都市近郊の野菜産地では野菜生産法人は多様な出荷先の特性を活用し,出荷先を変化させながら経営規模を拡大して,野菜の契約取引まで進めていた.大都市近郊の野菜産地で農家が経営規模を拡大させて農業法人化を進めるためには,多様な出荷先の特性を見極めて,それを段階的に活用することが必要であった.

    参考文献

    岡田 登2016:日本における野菜生産組織の分布特性.地球環境研究,18,105-114.

    岡田 登2017:鹿児島県指宿市における農業法人設立と野菜産地の変容.2017年度日本地理学会春季学術大会要旨集.

    岡田 登2018a:野菜生産法人の設立とその存立要因—鹿児島県大崎町を事例に—.2018年度人文地理学会大会要旨集.

    岡田 登2018b:鹿児島県沖永良部島における野菜生産法人の設立と取引先の変化.研究年報,49,23-36.

  • 栗山 知士
    セッションID: P002
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    米代川左岸,河戸川付近の沖積平野の水田地帯には,様々な形態の小丘が分布し,独特の景観を形成している。これらの小丘は,十和田火山由来の軽石礫で構成されている.この地域は,かつて春季の水田に水を張ると軽石が浮かんでくることがあり,そのため農耕の邪魔になるので軽石を古墳のように積んであるとしている.この付近に居住している古老の聞き取り調査から,この小丘は大正年間にすでに存在していた.したがって,小丘の形成時代は,大正時代以前にさかのぼる可能性がある.その当時は,ブルドーザーなどの土木機械がなかった時代であり,鍬や畚などの農具を使用し,長期間に渡って少しずつ盛られ,現在のような地形景観を形成したものと考えられる.なお,地元の人たちは「盛」,「田の盛」,「軽石盛」と呼んでいる.町田ほか(1986)は,「軽石塚」と称している.

  • 高山 侑, 鈴木 秀和
    セッションID: P041
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     風穴とは、一般的に山地または火山地の斜面において地中の空隙から外気温よりも低温の冷風が吹き出す場所とされている(清水・澤田、2015)。多くの人が思い浮かべる風穴は、その一部が観光用に整備され中に入ることができる、富士山麓に発達する溶岩トンネルである。しかし、このような構造の風穴は富士山麓にしか見られず、かつて蚕種貯蔵を目的に日本各地で天然冷蔵庫として活用されていた風穴の多くは、地すべり地などにおいて岩塊が集積して堆積してできた崖錐斜面の基部にみられる。

     近年、クリーンエネルギーが注目される中で、かつて蚕種貯蔵に使用されていた風穴を整備し、天然の冷蔵貯蔵庫として再活用する試みが各地で進められつつある。長野県小諸市にある氷風穴では、日本酒や蕎麦の実を風穴小屋に貯蔵し熟成させた「風穴貯蔵品」の開発が行われ、すでに販売もされているほか、地元の有志による「氷風穴の里保存会」が中心となり、見学会や観光客へのガイドなども実施されている。2014年6月には、同じ群馬県の下仁田町にある荒船風穴が、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つとして世界遺産にも登録されている。

     今回調査対象とした浅間山北斜面を覆う鬼押出し溶岩流の各所にも、崖錐型の風穴が数多く確認されている(鈴木、2015)。これらの風穴は、集落から離れていたこともあり、戦前における利用実績は確認されていない。しかし、プリンスホテルが運営する「鬼押出し園」では、開園間もない時期に風穴小屋を建て、売店で販売する飲料水を冷蔵するために活用されていた。

     鬼押出し園では、数年前からイベントにあわせてこの風穴小屋の見学ツアーも実施されている。山間地にある他の多くの風穴とは違い、アクセスが良く多くの観光客が集まる鬼押出し園では、より手軽に風穴の魅力を感じてもらうことができるはずである。そこで本研究では、鬼押出し園内の風穴小屋を案内するモニターツアーを実施し、その参加者にアンケート調査を行うことで、観光面における今後の風穴利用の可能性について検討を試みた。

    2.鬼押出し園内の風穴小屋について

     かつて冷蔵庫として使われていた風穴は2箇所あるが、今回はアクセスが容易な有料道路脇の風穴小屋を調査対象とした。この風穴小屋は、前室(幅2.6m、奥行2.7m)と一段下がった奥の貯蔵庫からできており、間に間仕切りがある。貯蔵庫は深さ1.6 m 幅2.6 m奥行5.4 m の半地下で、石垣に囲われており、かつてこの貯蔵庫の床下に溜まった冷水を登山客に販売していたこともあった(清水、2019)。また前室には、天然冷蔵倉庫として使われていた頃の名残としてペプシコーラの木箱が置かれていた。風穴小屋の内部は、今回調査を行った8月中旬でも5℃未満と低温環境を維持していた。現在、一般公開に向け照明の設置など内部の整備を進めている。

    3.調査方法

     2017年8月11日〜13日に、当時は一般公開されていなかった風穴小屋を見学するモニターツアー(約30分)を行い、その参加者に対してアンケート調査を実施した。ツアーの参加者は3日間で300名以上いたものの、家族連れが多数であったこともあり、実際に得られた有効回答数は107であった。

    4.結果および考察

     今回のアンケート調査の結果は、以下のようにまとめられる。

    1)参加者の98%はツアー内容に満足していた。これは、ガイドによる解説に加え、自然が生み出す冷気を直接体感できる体験型ツアーであったことが大きな要因であった。

    2)溶岩やそれが織りなす自然景観に興味を抱き訪れた来園者のみならず、休憩目的などで立ち寄ったツアー参加者の満足度も高いことから、この風穴小屋が観光資源としての価値を十分に有していることが明らかとなった。

    3)風穴を利用した商品には、約9割のツアー参加者が興味をもっていた。風穴貯蔵品や関連商品などの企画開発を行うことで、新たな名産品を生み出すことも期待できる。園内にはそのような商品を販売できる売店もあり、ツアー参加者を中心にある程度の需要は見込めるであろう。

    4)アクセスが容易である鬼押出し園は、多くの観光客に手軽に風穴現象を感じてもらうことができることから、風穴の存在やその魅力を一般の人々に広める役割を担うことできる。

     鬼押出し園は、2016年9月より浅間山北麓ジオパークの拠点施設にもなっている。自然が生み出す天然クーラーである風穴は、その独特な植生景観なども含め、ジオパーク活動に積極的に取り入れ活用すべき対象であることが、今回の調査により裏付けられた。また、風穴貯蔵酒やそばなど風穴関連商品の開発を行うことにより、新たな名産品を作り出すことができるだけでなく、クリーンエネルギーの利用という面から、環境教育のツールとしても活用できるに違いない。

  • 小林 護
    セッションID: P045
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)とは、1975年の文化財保護法改正によって生まれた町並み保存を目的とした制度である。翌1976年に指定が始まり、2018年4月1日現在43道府県97市町村117地区が指定された。伝建地区制度とそれまでの町並み保存の取り組みとの違いは、建造物の群体である町並みを丸ごと一体として保存するべき文化財して定義した点と国からの指定ではなく市町村からの選定であるという点にある。伝建地区を扱ったこれまでの多くの研究は、対象地域を一つに絞った個別分析であり、さらにいずれの研究においても、伝統的町並みの保存活動が行われるようになった1970年代以後の事象を扱っている。このことは、対象となる地域の歴史や伝建地区が保存の必要が語られるようにになる以前の状況から現在までの経年変化や、周辺の関係性についても考察されていない。そこで発表者は、伝建地区を見る上では、その地区がなぜ残存したのかについて地区がもつ地理的要素から伝建地区を理解する必要があるのではないかと考えた。つまり、伝建地区は単独で存在するのではなく、地域の歴史や都市化の影響を受けながら残存してきたと考える。よって特に市街地内伝建地区と、その周囲地域も含めたフィールド調査と文献調査から、近代化した市街地の中にあって古い町並みを残すこととなった要因を考察することが重要であると考える。本研究は市街地内に立地する伝建地区(以下、市街地内伝建地区)の成立とその残存要因(市街地内において伝統的な街並みが残存するに至った要因)を地域の地理的特性を複合的に分析することで明らかにすることを目的とした。

    調査・解析の結果。以下のことが明らかになった。市街地内伝建地区の成立と残存の主要件として3つが考えられる。それは文献資料調査による(1)対象地域の経済力、(2)非戦災・非災害、GIS解析によって明らかになった(3)対象地域を含む周辺地域の中心市街地の移動。

    (1)経済力:市街地内伝建地区の多くは、「小江戸」と呼ばれ栄えた川越市川越地区などの商業物流の中心地として経済的に発展した町であったことがあげられ、他の武家町や寺町もまた特権的な立場の町として経済的に富が集積した地域であったと言える。

    (2)非災害・非戦災:残存要因としては震災や大火といった偶発的な自然災害を免れたことや戦災による被害を被らなかったことがあげられる。現在残存する市街地内伝建地区とはこういった諸要因が重なった場所であると考えられる。

    (3)中心地の移動:伝建地区が鉄道の敷設と駅の建設に伴い都市の中心地が移動し、結果として遺存的に残った町が含まれることを指摘できる。この例として、かつては港湾都市として栄えた倉敷市倉敷川畔地区があげられる。明治期以降、交通の主役は街道から鉄道へ短期間に交代した。それに伴い中心市街地がこれまでの街道沿いから鉄道駅前に移動たことにより、旧街道沿いの伝建地区を含む中心市街地は衰退し、鉄道駅周辺の新たな中心市街地が都市の中心となり発達した。結果として古い町並みを残す旧中心市街地が新しい中心市街地に隣接または内包される形で残されたといえる。

  • 中埜 貴元, 遠藤 涼, 大野 裕幸, 岩橋 純子
    セッションID: 207
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
    会議録・要旨集 フリー

    河川氾濫による浸水域を夜間に把握するためのセンサの調査と河川水域を対象とした性能試験を実施した.夜間観測に有効なセンサとして超高感度カメラと熱赤外線カメラを選定し,冬季夜間に試験を実施した.その結果,超高感度カメラで水域が判別できるとともに,最適ISO感度は51200〜102400程度であること,熱赤外線カメラではある程度水域が識別できるものの,温度閾値などでの抽出は困難であることなどが分かった.

  • 小池 司朗, 清水 昌人
    セッションID: 507
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    本研究では,国立社会保障・人口問題研究所「第8回人口移動調査」から得られる出生地分布の変化から,東京圏一極集中の継続の可能性について検証した。総務省統計局「住民基本台帳人口移動報告」による東京圏の1980〜2015年の移動数の変化を人口構造要因とモビリティ要因に分解すると,転入数はもっぱら人口構造要因によって減少しているのに対して,転出数は主にモビリティ要因によって減少していた。本研究ではとくに後者の転出モビリティの低下に着目し,その要因について「人口移動調査」から得られる出生地分布の変化の観点から解明を試みた。

    世帯主の子ども(別居子を含む)のなかから東京圏出生者を対象とし,その親に相当する世帯主と配偶者の出生地分布をみると,25〜29歳以下のコーホートにおいて両親とも東京圏出生の割合が高まっており,調査対象者の出生地分布の変化にやや遅れて親世代の出生地分布も変化していることが明らかとなった。続いて,同じく東京圏出生者を対象として,親の出生地別,年齢別に現住地が非大都市圏である人の割合をみると,両親とも非東京圏出生の場合,25〜29歳以上において本人が非東京圏に居住する割合が概ね1/4を超えているのに対して,両親とも東京圏出生の場合はどの年齢層でも概ね1〜2%にとどまっていた。

    すなわち東京圏出生者に加え,親世代も東京圏出生者である人の割合が増加しており,そのような属性を持つ人々は非東京圏への転出モビリティが低いことを示唆している。したがって,今後も転出モビリティの低下を通じて,東京圏一極集中が継続する可能性は高いと考えられる。

  • 栗栖 悠貴
    セッションID: 127
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    近年激甚化・頻発化する自然災害に備え,主体的に災害時の行動を判断するためには,防災の基本である地図や地理空間情報を用いて地域を理解することが不可欠である.そのような社会情勢を背景に,学校教育においては2022年から高等学校における「地理総合」が必修科目となることで,小中高一貫とした地理を学習する環境が整う.学校教育においては,学習指導要領解説に地理院地図をはじめとする国土地理院のコンテンツの有用性が示されるなど,国土地理院のコンテンツの重要性は認識されている.

    国土地理院では,今まで様々な防災地理情報を数多く発信してきた.しかし,これら情報を授業で活用するための手段や情報の存在が教育関係者にあまり知られていないという課題があった.これらの課題を解決するため,学校教育の学習単元を考慮し学習段階に合わせた情報や活用例を整理し,地理教育支援を目的とした国土地理院のウェブページである「地理教育の道具箱」(http://www.gsi.go.jp/CHIRIKYOUIKU/index.html)を2019年4月に全面的に改良した.

    本報告では,「地理教育の道具箱」の改良のポイントについて紹介する.

  • 松尾 朱夏
    セッションID: 124
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    2021年より全面実施される次期中学校学習指導要領社会編では,地域学習に関わる内容構成が見直された。本研究では,現行の学習指導要領下の中で,中学校社会科(地理・歴史・公民的分野)における地域学習の実践の有無や,地域学習の実践に際して教員が抱えている悩み(課題)を抽出することを目的として,大分県公立中学校の社会科教員を対象としたアンケート調査を実施した。本発表では,アンケートの集計結果から明らかとなった中学校社会科教員の地域学習に関する意識と,地域学習の実践に関する現状および課題を報告する。

  • 矢澤 優理子, 古谷 勝則
    セッションID: P036
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     持続可能な社会の実現に向けて自然共生の手法が模索される中,里山・里海における空間利用のシステムが着目されてきた。このような,地域の人と自然が共に築いてきた生活環境かつ二次的自然環境において,人と自然の相互作用を明らかにすることは,持続可能な社会の構築を目指す上で大きな意義をもつ。一方で,山と海をつなぐ河川空間については,これまで「人と自然の共生空間」としては着目されてこなかった。

     近年,想定規模を超える豪雨の発生やそれに伴う水害の危険性が高まっており,河川との共存にむけた地域のレジリエンスを高めることが不可欠である。そのためには,河川空間が人と自然の共生空間であるとの観点に立ち,河川と共存してきた人々の生活のあり方を明らかにすることが必要であると考える。本研究では,その基礎資料の一つを提供することを目指し,河川空間に存在した集落(堤外地集落)の空間構成と,その住民の生業との関連を明らかにすることを目的とする。

    2.対象地域の概要

     本研究では,埼玉県下の荒川堤外地における集落を対象とする。埼玉県及び東京都を貫流する荒川には,現在も広大な堤外地が存在している。関東一円に大規模な被害をもたらした明治43年の洪水以降,荒川では下流域から順次大規模改修工事が進められたが,この時埼玉県下では,首都東京を水害から守るという名目で大規模な遊水空間となる堤外地が維持された。このような歴史的背景の中で堤外地に多くの集落が残され,以降,平成期に至るまで維持されてきた。以上から,研究対象となる集落が多く集落の空間構成と人々の生業との関係を考察する上で最適であると考え,上記を対象地域として選定した。

    3.研究方法

     『荒川堤外地調査平面図』において堤外地集落を特定,土地利用をトレースし,このトレース図をもとに集落の空間構成を類型化した。また,明治末期の地域の状況を示した『武蔵国郡村誌』を用いて集落ごとの生業を調査した。以上を踏まえ,集落の空間構成と生業の関係を考察した。

    4.結果と考察

     対象地域である荒川堤外地において,選定された集落は51か所であった(右図)。また,土地利用のトレースによる調査の結果,集落の空間構成は①「集村型」,②「散村型」,③「列村型」の3種類に区分され,その内訳は①「集村型」が10集落,②「散村型」が7集落,③「列村型」が34集落となった。なお,③「列村型」には,a)道路に沿うタイプ,b)堤防に沿うタイプ,c)川に沿うタイプの3種類に区分できた。

     集落ごとの生業を上述の文献により調査した結果,全集落の基幹産業は農業であり,農業のみを生業としている集落が44集落であった。そのほかの7集落では,工業,商業,雑業,紡織などが営まれており,うち2集落では漁猟も行われていた。また,明治期まで河岸場であった(もしくは根拠図の作成年度においてまだ河岸場の機能があった)集落が18,渡船場となっている集落が17,橋のある集落が8あった。これらの集落では,いずれもその大半が「列村型」であり,特に河岸場と渡船場では顕著であった。また,上述した漁猟の実績がある2集落も共に「列村型」であることから,船への荷物の積み下ろしや渡船,漁猟という川と関連する生業が,集落の空間構成に影響を与えていることが示唆された。

  • 川村 壮, 橋本 雄一, 戸松 誠, 竹内 慎一
    セッションID: 208
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.研究の背景と目的

     港湾および港湾都市の内部構造を取り扱った研究として,酒井(2002)は釧路港における港湾機能の郊外移転と周辺の再開発の状況を明らかにし,その要因として埠頭の専門化等の港湾側の要因の他,背後圏の産業構造や輸送手段の変化を挙げている.

     このような港湾都市の変化と災害の関係について,川村・橋本(2017)は積雪寒冷地の港湾都市である苫小牧市を対象に建築物の立地状況と津波浸水想定の分析を行い,港湾周辺の工場立地や住宅の郊外化が特に冬季の津波災害リスクの増大に影響を与えている事を明らかにした.

     そこで本研究は,北海道東部の中心都市であり津波災害の発生が想定される釧路市のうち,阿寒町・音別町と合併する前の旧釧路市域を対象に,港湾や背後地の都市で想定される津波被害の解明に向け,津波浸水想定地域内の都市や港湾の開発過程を明らかにする.

    2.使用データと研究方法

     施設立地の変化をみるため,建築物は「都市計画基礎調査」,港湾設備は「港湾計画図」を使用する.建築物や港湾設備の都市の中心部や海岸からの近接性,建築・設置年代ごとの立地状況等から,釧路市・釧路港の開発過程を概観する.次に,これらの結果と「津波遡上データ」との重ね合わせにより,津波浸水想定地域内の建築物や港湾設備の立地状況とその変化を明らかにする.

    3.分析結果と結論

     歴史的に釧路市街は市域の東部から次第に西部に拡大し,また港湾も東港・西港の順に整備された.併せて西港周辺で工場や倉庫の集積がみられ,津波浸水想定地域内で建築物や港湾設備の立地が進展した.他方,釧路駅周辺の中心市街地においては津波からの避難に活用できる高層・堅牢な建物の立地が進んでいる.

     釧路川以西の地域は大部分が津波浸水想定地域となっているが,以上のような開発の結果,中心市街地周辺は津波避難に活用できる建築物が多く立地する一方で,西港周辺等の郊外ではそのような建築物が少ない状況にあることが明らかとなった.

    参考文献

    酒井多加志 2002.釧路港における港湾空間の発達過程.地学雑誌,111(1), 100-117

    川村 壮,橋本雄一 2017.津波浸水の時間経過を考慮した建物ごとの避難可能性の時空間分析−北海道苫小牧市を事例として−.地理情報システム学会講演論文集,26,CD-ROM

  • 町田 知未
    セッションID: 526
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     日本の多くの自治体は人口減少や高齢化といった課題を抱えている。特に,地方の小規模自治体では,過疎化が進み,その解決策が模索されてきた。国主導の大型施設の整備やリゾート開発が全国各地で行われたが,必ずしも地域の状況に合ったものではなく,集客への関心や産業振興を優先させたことが居住環境の悪化や生活の質の低下を招き,地域住民のアイデンティティを喪失させた側面もあった。こうした課題に直面した地域では,それまでの地域振興策を見直し,地域独自の自然・人文環境などの地域資源を保全し,地域の魅力を高めこれを活用することによって,地域外から人を呼び込み,地域内外の交流を促進して,地域経済を活性化させる地域づくりが目指されている。しかしながら,自然・人文環境や産業構造といった地域特性は地域それぞれで異なるため,地域づくりのあり方も地域によって違いが生じるはずである。それゆえに,さらなる事例研究の蓄積が必要である。また,先行研究の多くは,地域住民の実態,もしくは来訪者の実態のどちらかに偏った研究となっている。そのため,両者の意向を把握し総合的に研究する必要がある。

     本研究では,北海道中川町における化石と地域博物館を活用した地域づくりの現状と課題を,住民と来訪者の意識に着目することによって明らかにすることを目的とする。

    2.データと方法

     2017〜2018年度に中川町の地域博物館である中川町エコミュージアムセンター(以下センター)の来館者と地層観察教室の参加者へのアンケート調査,2019年度にセンターや観光協会などといった町の主要施設においてアンケート調査を行った。これらを中川町の産業や人口の推移や歴史的背景と併せて分析する。地層観察教室とは化石発掘体験を行うセンター主催の日帰りの催しである。

    3.結果

     中川町における化石を活かした取り組みは,クビナガリュウ化石の発見を契機に行われるようになった。「住民一人ひとりが学芸員」と「地域の魅力の新再発見」を基本理念とした「エコミュージアム構想」が提唱され,構想の中核施設となるセンターが設立された。

     アンケート結果から見た来訪者の実態によると,センター来館者にとって中川町は通過点であるのに対して,地層観察教室の参加者は町内に宿泊する者の割合が高かった。また,センター来館者,地層観察教室参加者ともに,中川町への来訪が初めての者が多かった。これらのことから,地層観察教室のような体験型のイベントは,町の宿泊者数を増やし,滞在時間を延ばす方法として有効であるといえる。また,センターやイベントが中川町を初めて訪れるきっかけとなっていた。しかし,来館者はセンターや化石以外の町内の地域資源に魅力を感じていないことから,中川町を訪れていても,センターを来訪するのみにとどまっていると考えられる。来館者の目的をセンター来訪のみにとどまらせないためには,センターや化石とそれ以外の町の地域資源をつながなければならない。そのためには,センターを中川町の情報発信の拠点とし,化石以外の地域資源を発信する必要がある。センターを来町の契機とし,町内の他の施設の来訪や特産品の購買を促す流れを創出することが可能になると考えられる。

     センターは中川町の教育委員会の管轄下にある。中川町では,エコモビリティや地場産品のブランド化など,化石以外の地域資源を活かした様々な取り組みが行われている。しかし,それらはそれぞれ異なる運営主体によって管轄され,独立している。今回の調査では,少なくとも化石と他のそれらの地域資源との関連性はみられなかった。このことから,運営主体同士の協力体制が不十分である可能性があると考えられる。

     化石以外の地域資源を活用した取り組みや,それらの取り組みを行う主体間の関係は把握しきれなかったため,今後の研究課題とする。

  • 志村 喬
    セッションID: 121
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    Ⅰ 目的:学校教育において地理科・歴史科という分化型の社会系教科構造を一貫して採用している英国(イングランド)ではあるが,1950年前後と1970年前後には統合型教科である社会科の創設を目指す運動があった。この社会科創設運動は1980年代に衰退する一方,地理教育界ではこの運動に連動して教科地理の問い直しが起こった(志村 2019a)。本発表では,その象徴であるカリキュラム「非進学者のための地理(Geography for the Young School Leaver: GYSL)」を取り上げ,その後の中等地理教育への影響の一端を報告する。

    Ⅱ 開発当初のGYSL:イングランドでは1965年からの総合制中等学校政策,1973年からの義務教育年限の15歳から16歳への引き上げといった教育政策の下,政府系教育組織スクールズ・カウンシル支援で多くのカリキュラム開発プロジェクトが1970年前後に遂行され,社会系教科も例外ではなかった(志村 2019a)。中等地理のプロジェクトとしては最初の事業であるGYSLは,1970年から当初は3年計画で始まったが最終的には1980年代まで継続されるとともに,開発教材は全中等学校の少なくとも1/3以上で採用され,スクールズ・カウンシル支援プロジェクトでは最も成功を収めた。  GYSLについては岡山(1988)が,目標では当時のアカデミズム地理学で主流となった「新しい地理学」を基盤に生徒の現代社会理解を目指し,内容構成では生徒と関連した問題を取り上げた主題型カリキュラムであり,授業構成では事例学習を通して概念・技能等の育成を図っていると指摘した。しかし,後の展開・影響に関する論考は管見では見当たらない。

    Ⅲ.GYSLの展開・影響:バーミンガム大学でGYSLに携わったBoardman(1988)を主資料に,GYSLのその後の展開及び中等地理カリキュラムへの影響をまとめると表1のようになる。概要を述べるならば,1970年代に広く普及する一方,教材に内包されている価値・態度的問題性が批判され,1980年代初頭には第三世界理解や多文化・人種の共生を図ることを目標とした開発教育プロジェクトへ展開する。1980年代半ばからは,16歳修了資格試験改革に連動し,GYSLを資格試験基準に適合させるプロジェクトへ進み,現行のGCSE(中等教育修了一般資格)試験シラバスの原型を形づくった。これは,伝統的地誌教育と決別し,「新しい地理学」の中核内容である概念的知識・技能の習得と,教科教育目標において重視される価値・態度育成とを併せ持つ「新しい地理教育」カリキュラム開発の具体であり,成果であるGYSLは英国のその後の中等地理教育へ決定的な影響を与えたといえる。

  • 吉田 一希
    セッションID: P010
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    はじめに

     沖積低地における面的な地盤情報の推定には,定性的な地形分類を用いた概略的な手法が使われることが多い(松岡ほか,2011;小荒井ほか,2018など).しかし,個々の地形種の定義は,地形学の進展や調査者の地形観,調査の目的,地形分類図の図幅などの違いによって異なりうるため,災害脆弱性との対応関係を評価する際にしばしば障害となってきた(赤桐・籾倉,1985;若松ほか,2004).

     これらの問題を軽減するため,地形分類に縦断勾配の基準を加え,災害脆弱性の評価を簡易にする試みがなされてきた(赤桐・籾倉,1985;松岡ほか,2005;中埜ほか,2015など).これは,縦断勾配の違いが堆積物の粒径の大小に影響することを考慮している.一方で,羽田野(1982)は集水域面積と縦断勾配の関係から,地形種の分布域が異なることを示しており,集水域の空間的スケールを含めて考慮する重要性を示唆している.そこで本研究では,沖積低地(扇状地,蛇行原,三角州,谷底低地の総称)の集水域面積と縦断勾配の関係から,表層地盤のN値にどのような違いがあるか調査した.

    調査手法

     地層構成とN値は,一般公開のボーリングデータ(国土交通省等『KuniJiban』,東京都建設局『東京の地盤(GIS版)』,岡山県建設技術センター『岡山県地盤情報』,高知地盤情報利用連絡会『こうち地盤情報公開サイト』,地盤工学会九州支部『九州地盤情報共有データベース2012』)から,本州・四国・九州の沖積低地に位置する1575本分を抽出した.沖積低地は地形判読により判別した. 

     地層構成は,地表から深さ10mまでの「礫質層」,「砂質層」,「泥質層」の層厚の割合を算出した.ただし,盛土,埋土,表土の部分は除外した.また,深さ10mまでに基盤岩が含まれるものや,火山性の地層を含むものは対象外とした.

     N値は,換算N値(上限値300)とし,地表から深さ10mまでの各層内で計測されたN値を抽出し,各層のN値の平均値を算出した.次に,このN値の平均値について,対応する各層の層厚(m)で乗じたものを足し合わせ,最後に10(m)で除したものとした.

     集水域面積(A)は国土数値情報の『流域界データ』を基に,QGIS上でボーリング地点ごとの集水界となるように編集し,QGISの計算機能を用いて算出した.

     縦断勾配(S)は沖積低地の一般面(自然堤防等の微地形を除いた地形面)の平均縦断勾配とした. Sの計測は国土地理院の基盤地図情報DEMを使用し,QGIS上で2 m 間隔の等高線データを作成して,ボーリング地点を挟む等高線間の距離を計測することで算出した.

    分析結果

     AとSの回帰式から,Sが同一であっても,Aが大きいほどN値が大きく,Aが小さいほどN値が小さいことがわかった.

     河川の土砂輸送能力に関係するspecific stream power index(ω)を,Flores et al.(2006)の次式 ω=SA0.4  から算出し,ωとN値の関係を図1に示す.ωとN値(N)には正の相関(r= 0.57)があり,以下の回帰式が得られた.

     N=340ω0.76

     ωが同一のとき,N値の四分位範囲はおよそ3倍の分布幅を示した.このバラツキの要因の1つとして,微地形の影響が考えられる.そこで,国土地理院の『治水地形分類図(更新版)』における「微高地(自然堤防等)」,「旧河道」に該当する352本について,ωとN値の関係を分析した.その結果,ωが大きいほど,N値は「旧河道」>「微高地(自然堤防等)」の傾向を示した.

  • 生沼 洋祐, 下河 敏彦, 藤平 秀一郎, 小林 浩
    セッションID: 227
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    平成 30 年 7 月に発生した西日本豪雨災害では、明治時代に水害碑が設置された地域で人的被害が発生したことが注目された。また、国土地理院は、新たな地図記号として「自然災害伝承碑」を制定するなど、近年自然災害の実態を後世に伝える重要性が注目されている。

    小山他(2017)は、津波災害や火山災害については石碑の存在や研究事例は多いが、水害・土砂災害に関する石碑に着目した研究は限られているとして、広島県内の土石流及び石碑の詳細な調査と地域防災・防災教育上の意義を見出している。

    しかし、これらの先行研究の対象地域は、周辺地域で十数年に 1 回の頻度で豪雨が発生する地域である。一方、羽越災害は新潟県内で 134 名もの犠牲者を出す大災害であったが、羽越災害以前の大規模災害の記録は、1757 年(宝歴 7 年)まで遡る。

    このように、豪雨の発生頻度の低い地域で石碑・神社や災害痕跡の調査事例は少ない。そこで、本研究では羽越災害の土砂移動実態を明らかにするため、5mメッシュデータから作成した2m等高線図を基図として、災害直後の空中写真(1967年9月林野庁撮影)判読、堆積物調査、ヒアリングにより、土石流や洪水氾濫域範囲を記載した。石碑や神社については、現地調査及び市町村史(誌)を中心に起源を調査し、地形的位置を考察した。調査地域は、阿賀野川市石間川、都辺田観音、湯沢温泉、下荒沢である。

    羽越災害の土砂移動実態と石碑との位置関係を調査した結果、いずれも風化し目立たない状況にある。看板も設置されておらず、現時点で国土地理院の自然災害伝承碑としての登録もない。石碑は自然災害を伝承する効果はあるが、点情報であるため、過去の土砂災害の実態を面的に示すためにもGISデータとして整備し、Google Earthといった実際の画像と重ねあわせるなど、分かりやすい情報として整備する必要もある。

  • 森 康平, 山縣 耕太郎
    セッションID: 223
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

     災害時に適切な避難行動をとるためには、児童が地域の充分な知覚環境を形成している必要があると考えられる。しかしながら、 田村・田部(2017)は、児童の身近な地域の範囲内にも関わらず児童がメンタルマップに避難場所を書けないことがあることを指摘している。また、寺本(2006)は、メンタルマップが単線的なままでは、危険を回避する能力が欠けると指摘している。したがって、災害から身を守るためには、必要最低限の地域における道路・避難場所・危険な場所をサーベイマップで書ける能力を養う必要があるだろう。

     そこで本研究は、小学校第3学年及び第5学年の児童を対象にフィールドワーク及び地図上で避難シミュレーションを実施し、児童のメンタルマップがどのように変化するのかを検討することによって、児童の知覚環境の発達を促す防災教育の内容について考察することを目的とする。

    2.研究方法

     ⅰ)はじめに、児童が通学する範囲内のメンタルマップを確認するため、白紙に児童が考える学校周辺の地図を手描きで書いてもらいメンタルマップを確認する(1回目)。

     ⅱ)ⅰ)の内容を踏まえ、児童の地域に関する認識が低い場所を中心にフィールドワークを行なう。その中で、児童が避難する際に危険な場所を確認させる。その後、フィールドワークを実施した範囲内で児童に手描き地図を白紙に書かせる。1回目に実施した児童のメンタルマップと比較し、地域の空間認識が養われたかを確認する。

     ⅲ)ⅱ)のフィールドワークを実施した範囲内で逃げ地図を活用した、津波シミュレーションを実施する。児童が地図上で道路閉塞を考慮した場合と、道路閉塞を考慮しない場合でシミュレーションを行い、避難時間にどのような差があるか検討させる。最後に逃げ地図を実施した範囲内でメンタルマップを描かせ、ⅱで実施したメンタルマップと比較して地域の空間認識がどのように変化するのかを検討する。

    3.実践授業の内容

     1コマ目の授業は、2018年12月14日に実施した。授業の詳細は、対象地域の危険個所(あわえなど)について簡単に説明した。その後、子どもたちが、地図を見ながら地域を歩き、危険個所を調べさせ、その内容を地図に記入させるようにした。また、各班には、危険な場所については写真を撮るように指示した。学校に戻ったあと、危険だと考えた内容について全員で共有させた。児童における授業時の様子を見ていた際に気付いたことは、以下の点である。研究対象地域は、過去に何度も津波の被害を受けているため、電信柱に過去の津波の浸水深を表示している。児童の身長と過去の津波浸水高を比較させた時には、津波浸水高が児童の背よりも高いことに驚いている児童もいた。また、この学習後の質問紙調査での結果では、危険を見つけるのが難しかったとの意見があった。

     2コマ目の授業は、2019年2月7日に実施した。授業の内容は、1コマ目の復習を行った上で、逃げ地図を取り入れ、児童が何分で避難完了することができるのかシミュレーションさせた。逃げ地図の学習では地域の課題を2つ取り入れた。1つは、1コマ目の授業において子どもたちが危険場所を見つけた中から避難の妨げとなるものについては、避難時に通行禁止とした。2つは、「あわえ」は建物の倒壊により道路閉塞が発生する可能性がある道をさけるように設定した。授業時の子どもの様子を見ていて気付いた点は、次のことである。逃げ地図で避難をシミュレーションしている際に、「この道を通ると早く避難できるけど、細い道が多いから危険」などといった意見があった。なお、道路閉塞が発生する地点については、徳島大学の塚本研究室が作成した建物データ(塚本,2018)にバッファをかけて判断した。

    4.手描き地図に関する分析

    ⅰ)指定津波避難場所が描かれているか

     第3学年のメンタルマップを見ると、指定津波避難場所をメンタルマップに記入することができた児童は40%であった。指定津波避難場所以外の津波避難場所を描いていた児童は40%であり、指定津波避難場所を描くことができなかった児童は60%であった。

     第5学年のメンタルマップを見ると、指定津波避難場所をメンタルマップに記入できたのは83.3%の児童であった。8割以上の児童が指定津波避難場所を描けているものの、16.7%の児童は指定津波避難場所を描けない結果となった。

    ⅱ)小学校から指定津波避難場所の道がつながっているか

     第3学年のメンタルマップを見ると、約7割の児童は小学校から指定津波避難場所までの道のりがメンタルマップに描かれていた。しかしながら、28.6%の児童はメンタルマップ上に津波避難場所を示しているだけで、道のりは描かれていなかった。第5学年のメンタルマップでは、90%の児童が小学校から指定津波避難場所までの道のりをメンタルマップに描画していた。

  • 研川 英征, 栗栖 悠貴, 榎本 壮平
    セッションID: 212
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/09/24
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    1.はじめに

    情報通信技術(以下,「ICT」と呼ぶ)の進歩に伴いSNSによる情報が災害直後の迅速な状況把握に活用されつつある.その中でSNSに投稿された画像は点情報であるが速報性が期待出来るだけでなく,平成30年7月豪雨における浸水推定段彩図によって面情報へ置換出来ることも示された(国土地理院 2018).

    しかし,SNSの情報は不特定対象による情報であり,必ずしもこちらの意図を汲んでいないことも想定され,適切な情報収集と利活用を目指す上で問題となる可能性がある.

    そこで,平成30年7月豪雨における倉敷市真備町,平成29年7月22日からの梅雨前線に伴う大雨における雄物川を対象として,SNS画像の時系列及び平面分布を調査した。また,倉敷市真備町においては現地調査をおこない,最大浸水による浸水痕の高さを計測した.

    2.作業内容

    ウェブ上からSNS画像を収集,浸水による水面位置と撮影場所を特定出来る画像を抽出し座標を付与した.

    倉敷市真備町における現地計測は11月28日〜29日におこない,SNS画像上の水面位置の高さのほか,最高水位時点と推測される浸水痕の水位を計測して教師データとした.現地での浸水痕の計測にはTruPulse200を使用した.

    3.結果

    SNS画像は,倉敷市真備町では市街地に集中しており,小田川右岸は最大浸水深が4mを越えているにも関わらず分布していない.雄物川においても同様の傾向である.とくに秋田市の市街地近傍にSNS画像が分布している.時系列で見ると,災害発生直後は投稿が少ないものの,浸水開始から6時間を過ぎた頃から情報量が増えてくる.

    倉敷市真備町においては,浸水が深夜・未明からはじまったことも,投稿時刻に影響していると考えられる.

    倉敷市真備町における最大浸水深とSNS画像による浸水深についてはおおむね傾向は一致するが,SNS画像には低水位時の情報が抜けている.情報の偏りの要因として,投稿者のネガティビティ・バイアスがかかっていることも考えられる.

    4.まとめ

    収集したSNS画像の分布は,市街地に集中していた.後背湿地や旧河道に近いエリアや,低水位時,夜間の情報は不足していた.SNS画像は分布等に偏りが見られるものの,災害情報が不足する災害初動時においては,速報性のある補完情報としての役割が期待できる.

    また,平野部の浸水には破堤後12時間以上を要する場合もあり,速報性が結果として,過大評価にも過小評価にもなる可能性が考えられる.一方で,スマホ等のICT機器には防水機能の実装が進んでおり,災害時における利用のハードルも下がってきていると考えられるが,あくまでも不特定からの情報のため,撮影場所・時間,構図等をこちらが選べない.

    災害時においては,ICTの普及や利活用の動向を注視して,速報性と誤差要因を鑑みながら適切なデータ収集と活用を試みることが重要となる.

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