日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 202
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発表要旨
1960年代以降の桜島の土地利用変化から見る火山との共生
*小嶋 和
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抄録

火山と人間の共生という観点から、継続的な噴火が見られる桜島の人々の営みを明らかにすることは、火山との共生の在り方の1つの例を示すこととなる。本論では桜島の土地利用変化から、火山活動が地域社会にどれほどの影響を与えどのような変化をもたらしたのか、自然と社会条件の両側面から考察する。さらに、地域社会の変化とともに桜島の火山活動が人々に与える影響がどのように変化したのかに注目し、火山との共生の在り方について考察を行った。

桜島は、北岳と南岳からなる複合火山である。1946年に溶岩を流出した昭和火口は2006年から活動を再開した。現在は南岳か昭和火口から噴火が継続している。北岳の北~西部山麓には主に火山麓扇状地の地形が見られ、南岳の北東~南部には古期南岳噴出物と新期南岳噴出物とが複雑に入り組みながら分布する(小林ほか2013)。山麓には火山を囲むように17の集落が存在し、北西部が旧桜島町、南東部が旧東桜島村である。両地域ともに農業や漁業が中心産業だが、近年観光業にも注力している。

噴火回数と降灰量の変化(鹿児島地方気象台による)は以下の通りである。①1955~1971年:南岳の活動が開始した。②1972~2001年:南岳の活動が活発化し、多量の降灰が問題となった。③2002~2007年:南岳の活動が停滞した。④2008~2017年:昭和火口からの噴火が始まり、ふたたび多量の降灰をもたらした。
土地利用の変化(3時期のGISによる分析)は、旧桜島町域においては、火山麓扇状地全体に露地の果樹園や畑が広がっていた。しかし、1975年から1995年にかけて、標高150m以上の上場地帯を中心として耕作放棄地が増加した。また、降灰営農対策事業の後押しにより、施設園芸も増加した。1995年から2015年にかけては、耕作放棄地や施設園芸がやや減少し、北西部に露地の畑が増加している。旧東桜島村域においては、多くが溶岩台地であり、耕地として利用できる地域が限られているが、標高の高いところには同様に耕作放棄地が見られた。
社会の変化(統計資料・文献・聞き取りによる)は、旧桜島町域においては、1970年代初頭までは農業従業者が多かった。しかし、1970~1975年にかけて、専業農家が著しく減少し、全年代で農業従事者が減少した。専業農家の減少とともに、町内の公共土木事業を担う建設業や、島外の会社や商店で働く人が増加した。

以上より、旧桜島町域と旧東桜島村域は、行政区域上の違いだけではなく地形地質が異なっており、それが土地利用や産業、人口の違いを生んでいる。
また、旧桜島町域における年代による土地利用変化の要因は、①1970年~1990年代後半:南岳活動活発化以降、急速に耕地や収穫量が減少し、耕作放棄地と施設園芸の面積が急増した(石村1981・1985)ことから、火山活動が土地利用変化の大きな要因だったと考えられる。②1990年代後半以降:火山活動と関係なく耕地面積が変化していることから、火山活動は土地利用変化の大きな要因ではなく、1970年代以降若年層を中心に離農が進んだことによる農家の高齢化の進行や後継ぎ不足などの影響が強い。また、施設園芸の普及により降灰被害が抑制できるようになった。
最後に、旧桜島町域における土地利用の地域差の要因は、標高と降灰堆積量が大きな要因であると思われる。高齢で人手が少ない農家を中心に、上場地帯から漸次放棄されていくが、特に北部は温州みかんの育成園が多かったことや、火口に比較的近く降灰堆積量が多かったために農作物への被害が大きく、耕作放棄が進んだと考えられる。

桜島では現在農業は主たる産業ではなくなり、かつて生活に大きな影響を与えた降灰被害以上に、島内の雇用の少なさ、フェリーによる移動などが生活の支障となっており、全国的に見られる農村と同様の課題を抱えていると言っていい。近年は、NPO法人やUターン者を中心として桜島全体を観光資源として活用しようという動きがある。新たな火山との共生の形が桜島で生まれつつある。

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