抄録
Ⅰ 研究目的
1980年代以降に活性化した都市住民を中心とした環境保全活動は,ローカルなスケールを超えて同種や異種の団体間のネットワークが形成されることがある.この場合,行政や企業への顕著な告発や対抗こそみられないが,特定の価値観を共有させながら市民社会の自律性を守り問題解決を図るという点で,一種の社会運動といえる.そこで,ネットワークが形成されたコンテクストと,そのネットワークが個々の活動に与えた影響を分析することで,社会運動の一つである環境運動の実態を多角的に理解することが可能になる.そこで本研究は,玄界灘沿岸,とくに福岡地方の海岸林保全をめぐる運動を事例に,同種の団体間のネットワーク化の過程を明らかにし,個々の団体や地域全体への影響を考察する.
防砂・防風機能を果たす役割として造成された海岸林は,マツ枯れと植生遷移という戦後以降の変化と,審美的景観やレクリエーション,環境教育など防災以外の役割の再評価によって,近年,多様な主体が関与する場になっている.
Ⅱ 海岸林保全のネットワーク形成
研究対象地域では,1980年代末以降,主に3つのネットワークが形成された.
①ローカルな環境運動から拡大したネットワーク
団体Aは,特定の海浜公園でヤシを植樹しようとする福岡市の計画に対して,市民によるマツ植樹の代案を提示・実現するために1987年に発足した.団体Aは目的達成後も行政や研究者の協力を得ながら,玄界灘沿岸全体での「白砂青松」の審美的景観の復元を新たな目標として,1999年以降毎年「沿岸松原サミット」を各地で開催し,ローカルな団体同士のネットワークを形成していった.しかし,団体Aの関心は海岸林のみならず,広く一般の環境保全のネットワーク形成にも拡大した.そのため2013年以降,団体Aの海岸林に特化した活動は,再びローカルな活動へと縮小した.このネットワークは,2005年頃に活動を始めた地域内の複数のローカルな団体に対して,保全活動の知識や取り組み内容という点で影響を与えた.
②他分野の団体が参入して形成されたネットワーク
団体Bは,造園学出身の環境専門家を中心として構成され,都市圏での自然体験や研修を担う事業型NPO法人である.2011年に福岡市東区で発生した甚大なマツ枯れを機に海岸林保全に参入し,様々な事業を企画・実施してきた.その目的は,マツ枯れの問題意識を共有し,①住民のみで可能な対策の普及,②マツ枯れに強い海岸林整備に向けた住民の合意形成である.だが,甚大なマツ枯れ被害が局所的だったため,玄界灘沿岸地域全体でマツ枯れの危機感を十分に共有できず,団体Bが想定した住民の合意形成に向けた議論は進まなかった.団体Bは2017年に海岸林に関する事業から撤退した.このネットワークが地域内のローカルな団体に与えた影響は,団体Bが直接活動を支援したマツ枯れ被害地の団体を除き,限定的であった.
③他分野の成果を活用してローカルな団体が形成したネットワーク
福岡県福津市・古賀市・新宮町の8保全団体等の交流と研修を図るC会は,2012年に発足した.これは,2007年に古賀市長が表明した2市1町の合併構想に対して,賛成の立場から結成された市民団体を端緒とする.福津市在住の住民P氏によって,海岸林の地理的な連続性が合併推進の論拠の一つとして位置づけられた.この市民団体もこれを採用し,海岸林の管理・保全が古賀市や新宮町よりも後発であった福津市の海岸林政策に影響を与えた.合併構想とこの市民団体が頓挫した後は,P氏らが海岸林保全に特化した形でC会を発足させた.これには,古賀市や新宮町の先行事例に学んで福津市内の活動に活かすことや,将来的な2市1町合併を実現させることというP氏の希望もあった.C会は保全活動における新たな手法が提案される場になり,これを採用する近隣のローカルな団体もみられた.しかし,C会の企画・実施は P氏個人の力量に依存する面が強く,2017年にいったん幕を閉じた.
Ⅲ 結論
ローカルな団体間で広域なネットワークが形成される環境運動の性質とその影響は,ネットワークを形成する団体の運動のスケールと関心分野によって異なる.
ローカルな団体を起源とする場合は,それまでの自らのローカルな運動の経験をふまえて,運動のスケールを拡大させながら価値観の共有が図られる.逆に,ローカルを超えた他分野の団体がネットワーク形成に参入する場合では,その団体にとっての問題関心に適合するローカルな事例が運動の象徴となって価値観の共有が図られる.だが,個々の団体や海岸林の事情が多様なマクロスケールで価値観を共有することには困難も伴う.そこで,他分野の成果を活かしてローカルな団体がネットワークを形成する場合は,マクロスケールでの価値観の共有と地域的な自律性の双方が実現する可能性がある.