日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 420
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発表要旨
パキスタン北部ゴジャール地区における生活の変容
*落合 康浩
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抄録

パキスタンのゴジャール地区に居住するワヒの人々は,元来,灌漑農業と移牧により自給的な暮らしをしていたが,その生活様式も,カラコラムハイウェイ(KKH)の開通と,NGOなどによる地域開発の進展によって,1980年代半ば以降大きく変化してきた。近年,インフラのさらなる拡充などもあって,地域住民の暮らしにみられる変化は一段と加速している。本報告では,2019年と以前の調査結果とを比較することで変化の過程を整理し,その要因・問題点等について分析・考察を行う。

 ゴジャール地区では,1978年のKKH開通による物流の改善と,1982年にはじまる農村支援事業の進展により,商品作物としてのジャガイモが村々に導入され急速に拡大した。例えば地区内のパス—村では,1990年代に,本村にある耕作地の大半がジャガイモの栽培にあてられるようになっていた。また,手間がかかるものの金銭収入に結び付きにくい牧畜は,縮小する傾向がみられた。

 2010年にゴジャール地区南側のアタバード付近で大規模な斜面崩壊が発生,堰止湖が生じると,KKHの一部が水没しトラックによる物流が途絶えたため,ジャガイモの出荷が事実上不可能になった。KKHが再開通するまでは,パス—村でも耕作地の大半は,麦・豆類といった元来の自給的作物の栽培地となり,ジャガイモも自給用に一部の耕地で栽培されるのみになっていた。

 新たなKKHの開通から3年以上を経た2019年においても,パス—村のジャガイモ栽培は再び拡大する兆しはなく,耕作地では食用の作物に代わって牧草の栽培が拡大している。これは,牧畜において,高地の放牧地経営を取りやめ,家畜の飼養を本村周辺に集約してしまったためだと考えられる。

 ゴジャール地区は,カラコラムの高峰群や数々の氷河が集中する世界的にも著名な山岳観光地であり,1986年にKKHが外国人に開放されて以降,外国人の旅行者がこの地を訪れるようになった。そうした外国人観光客を対象に,宿泊施設や店舗,運輸業を経営する地元住民も増加し,2000年代初めには,観光関連産業はゴジャール地区における重要な産業の一つとなった。ただし,外国人に依存するこの地区の観光は,国際情勢やパキスタンの国際的評判の変化による影響を受け易いという不安定要素を抱えていた。

 KKH不通期間中も,この地の観光業は不振であったが,2016年のKKH再開通以降は,各村々に観光施設が増加し,堰止湖の周辺にも多数の施設が立地している。そして,それらの施設を訪れる観光客の大半がパキスタン国内からの旅行者で占められている。これには,KKHの再整備によるアクセスの向上,パキスタン国内経済の成長,観光地ゴジャール地区の情報の流布などの影響が大きい。

 ゴジャール地区における観光の拡大と好調は,一方で,この地の特色ある伝統的な農牧業の縮小を引き起こしている。しかしながら地域固有の農牧業のあり様や,それと結びつく食を含めた生活様式は,ワヒを特徴づける貴重な文化的資源でもある。観光業を地域の重要な産業として位置付け持続的な発展をはかる上でも,この文化的資源を維持・存続させていくことは,この地区において重要な課題である。

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