日本地理学会発表要旨集
2020年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P192
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発表要旨
山梨県身延町栃代における更新世後期の大規模斜面崩壊
*木村 恵樹苅谷 愛彦
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抄録

はじめに  南部フォッサマグナに含まれる富士川沿いの地域では,斜面崩壊(以下,崩壊とする)の研究が多数行われている.しかし崩壊地形の発達史が明らかにされた事例はまだ少ない.天守山地北部の身延町栃代(北緯35.45度,東経138.53度)にも顕著な崩壊地形が存在するが,詳細は未詳であった.本研究は地形判読や踏査に基づき,この崩壊地形の特性と発達史を解明したものである.

地域概要 天守山地はユーラシア,フィリピン海および北米の各プレート三重境界付近にあり地殻変動が活発で,多雨地帯である.栃代周辺には毛無山(標高1945 m)や雨ヶ岳(1772 m)など,天守山地でも大起伏な山系が連なる.毛無山北面を源流とする栃代川が調査地域を北西に流下する.一帯は主に新第三紀の泥岩層と玄武岩層から成り,泥岩の一部が向斜構造を示す.

方 法  傾斜量分布図や陰影起伏図,等高線図を判読して地形分類を行った.また,それに基づき踏査を行った.

地形・地質の特徴  栃代川左岸に最大幅0.5 km,長さ1.5 kmの明瞭な緩斜面(面積6.0✕105 m2)があり,栃代集落が立地する.緩斜面の上面には長径2 m超の玄武岩の巨礫が散在し,半閉塞凹地も存在する.緩斜面の後方には標高800〜1200 m付近に長さ約1 kmの馬蹄形急崖が2つ,1400〜1600 m付近に同約2 kmの急崖が1つ存在する.緩斜面東縁には玄武岩の巨礫から成る不淘汰礫層が露出する(図の▲など).また緩斜面北部にも玄武岩と著しく破砕した泥岩から成る不淘汰礫層が分布する(同■).緩斜面西側では泥岩上に不淘汰角礫層を認める(同●).以上の特徴から,急崖は崩壊の滑落崖,緩斜面は崩壊物質(移動体)と判断される.また崩壊物質の体積は,観察に基づき平均層厚を10 mとすれば6.0✕106 m3となり大規模級に分類される.

栃代川右岸の支流には,栃代付近の崩壊物質に対比される不淘汰角礫層が遡上して残存する.それらは玄武岩礫を主とするが,栃代付近よりも細粒である.右岸支流の3カ所で崩壊物質を覆うガラス質細粒テフラ層を発見した(同★).本テフラ層の直下は崩壊物質であるが,直上は近傍の斜面に由来する崖錐物質である.本テフラは無色透明な泡壁型平板状〜X・Y字状ガラス片を主とする.主成分化学組成分析により本テフラは姶良Tn(AT;30.8 cal ka)に同定される.ATとの層位から,栃代付近に発達する崩壊物質は31 cal ka頃かそれ以前にもたらされたと推定される.

段丘状地形 栃代より移動体下流の栃代川両岸には,上面の高度が滑らかに連続する段丘状地形が複数の地点に存在する.上面と現河床との比高は5〜6 mで,不淘汰な亜円礫〜亜角礫の玄武岩と泥岩から成る.インブリケーションも確認できる.これらの段丘は崩壊発生と同時,または後成的に形成された土石流段丘か河成段丘の可能性がある.

崩壊地形の発達史  以上に基づき崩壊地形の発達史を検討した.1)31 cal ka頃かそれ以前に栃代南方の山腹で大規模な崩壊が発生し,滑落崖を残した.玄武岩や泥岩の巨礫を含む大量の岩屑が移動した.2)岩屑は栃代付近に定置して緩斜面を形成する一方,栃代川の右岸谷壁へも乗り上げた.3)その後,栃代川の下刻により緩斜面は段丘化した.また下流にも段丘が形成された.

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