1.はじめに
沖縄本島の南西部に位置する那覇低地は,国場(こくば)川と安里(あさと)川によって挟まれた海岸平野で,那覇市街地の主要部が立地する.現在の海岸線から約1.2 kmよりも南東側には島尻層群が広く分布し,その開析谷に谷底低地が分布する(氏家・兼子2006).また,海岸付近には琉球石灰岩や完新世サンゴ礁が分布し,波上宮(なみのうえぐう)や那覇市久米周辺などに残丘状あるいは島状の高まりが認められる.
那覇低地は中世以降,琉球王朝の港湾都市として発展してきたことが知られる一方,その地形発達過程はこれまで十分に明らかにされていない.特に,堆積環境・年代に関する知見が不足しており,都市の成立背景を探る上でも課題となっている.
2.絵図資料に示された地形環境
14世紀以降における那覇低地周辺の様子は,多くの絵図資料に記録されている.例えば,18世紀に描かれた『琉球図』や 『首里那覇鳥瞰図』では,港周辺が陸側と隔たれた浮島として描かれている.西暦1451年には那覇と首里との間に長虹堤(ちょうこうてい)が建設され,その様子は『首里那覇鳥瞰図』に描写されている.また,安里川下流部(那覇市前島・泊周辺)には干潟が広がり,塩田として利用されていたことが『琉球国惣絵図』(1770年頃)や1853年のペリー来航時に作成された絵画・海図に描写されている(目崎1985).
3.調査方法
那覇市前島(標高2.2 m)において掘削長約7.5 mのコア試料を採取し,堆積物の記載のほか,X線コアスキャナによる元素濃度分析,貝化石の同定,計7試料の14C年代測定を行った.また,既存ボーリング資料に基づき,掘削地点周辺の沖積層の分布について解析を行った.
4.結果と考察
コア試料では深度6.8m以浅に沖積層が認められ,明瞭な地層境界を介して琉球石灰岩を覆う.沖積層は,最上部の盛土層(深度1.05 m以浅)を除き,深度2.6 mを境として大きく二分される.沖積層下部は暗オリーブ灰色のシルト〜粘土から構成され,植物片や細かい貝化石片を多く含む.イボウミニナBatillaria zonalisなどを産出することから,干潟やその周辺の内湾環境で堆積したことが示唆される.得られた年代測定値から,約7.8〜4.0 ka頃にかけて堆積したと推定される.一方,沖積層上部は下位に比べて粗粒で,サンゴ礫や中粒砂を含む.ヤエヤマスダレKatelysia hiantinaやホソウミニナB. cumingiiなどの貝化石を豊富に含むことから,干潟堆積物の可能性が高い.深度1.1 m付近と深度1.65 m付近は黒色を呈する有機質シルトから成り,硫黄や塩素の含有量が顕著に低下することから,淡水環境で堆積した可能性がある.得られた年代測定値から,4.0 ka頃以降に堆積したと推定される.
新規コア試料や既存資料に基づくと,掘削地点周辺の沖積層の層厚は約3〜17 mで,凹凸に富んでいる.沖積層下部の堆積開始時期からは,那覇低地沖のサンゴ礁が海進期にある程度発達していた可能性が高いことが示唆される.これは沖縄本島南部,具志頭海岸の事例(河名・菅2002)と調和的である.他方,4.0 ka以降は堆積速度が低下し,河口域の干潟で堆積・侵食を繰り返す状態が継続したと推定される.深度1.65 m以浅は,硫黄や塩素をわずかに含むシルト層が淡水成の有機質シルトを覆うことから,塩田土壌に対比される可能性がある.
謝辞
那覇市教育委員会と同市立那覇小学校には掘削調査についてご配慮頂いた.また,中島 礼氏,清家弘治氏,天野敦子氏にはコア解析についてご教示頂いた.記して感謝申し上げる.本研究には科学研究費補助金(18H00764)を使用した.
引用文献
河名俊男・菅 浩伸(2002)琉球大教育学部紀要 60, 235-244.
目崎茂和(1985)第二節 古地理. 那覇企画部文化振興課編「那覇市史通史篇第1巻前近代史」, 15-27.
氏家 宏・兼子尚知(2006)5万分の1地質図那覇及び沖縄市南部. 産総研地質調査総合センター,48 p.