主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2022年度日本地理学会春季学術大会
開催日: 2022/03/26 - 2022/03/28
1 はじめに
伊能図にあけられている無数の針穴(針孔)は,作製過程や地図要素を作図する上で,重要な役割を果たしている。しかし,1図幅を構成する測点(針穴)数や測点間の線分長(連続する2点の針穴の間隔)などの,針穴を分析する際の基礎的情報さえも明らかになっていないのが現状である。
他方で,史料の物質性とそのコンテクストを組み込んで絵図・古地図を分析する「地図史料学」のアプローチによる,地図仕立てや紙継ぎ・角筆・針穴を手掛かりとして地図の作製過程を解明する研究成果が蓄積されてきている。
こうした研究の進展には,近年の情報技術・機器の飛躍的向上が背景にある。例えば,800ppiの解像度で地図をデジタルアーカイブする撮影技術が確立されるとともに,作成された大容量画像データの編集・解析・保存も比較的容易に行われることで,原物よりも詳細に対象を観察することができるようになっている。さらに,GIS(地理情報システム:Geographic Information Systems)を古地図研究に援用する方法論や成果も連動するように蓄積されてきている。
2 研究目的
こうした動向を踏まえて,本研究では以下の目的を設定する。まず①地図史料学の観点から「伊能図の針穴」を分析するための基礎的情報として,GISの画像解析・空間分析機能を用い,針穴(測点)数や針穴間隔(測点間の線分長)を計測し,その集計結果を整理する,②針穴に関する計測結果をもとに,描画地域,作製年代,縮尺の違いによる比較分析を行う,③伊能図における作図の緻密さを検討するための指標として「針穴密度」を設定し,作製過程における測量・製図に関する技術水準の一端を明らかにする。
3 分析対象地図
分析対象とした地図は表の通りである。まずは徳島大学附属図書館が所蔵(蜂須賀家旧蔵)する3組10点の伊能図である。文化元年(1804)8月に幕府に上呈された日本東半部「沿海地図」と同系統の中図3点(表:No.1~3),文化2~8年の第5~7次測量の成果にもとづいて西日本を描く中図4点(表:No.4~7),第7次測量の成果による豊前国の大図3点(表:No.8~10)の計10点である。また,伊能忠敬記念館所蔵で,第2次(1801年)と第9次(1815年)の経年比較が可能な伊豆半島を描いた地図3点を取り上げる(表:No.11・13は第9次,No.12は第2次測量)。そして,文化2~3年(1805~06)の第5次測量成果にもとづいて,1里1寸2分の縮尺で作製された「特別地域図」と呼ばれる琵琶湖を描いた地図3点を比較する(表:No.14・15は伊能忠敬記念館所蔵,No.16は神戸市立博物館所蔵)。
4 針穴密度と針穴間隔
分析対象とした16 点の伊能図の測線上に確認された針穴点数と測線全長距離および「針穴密度(pts/cm)」を,表に示した。針穴密度は,針穴点数を測線全長距離で除して算出した作図の緻密さを表す数値である。これらの計測数値を比較しながら,各地図の描画地域・作製(測量)年代・縮尺などにみられる差異について検討した。
その結果,中図においては,前期測量図(表:No.1~3)の針穴密度が2~3pts/cmであったのに対し,後期測量図(表:No.4~7)は6pts/cm前後とより緻密に描画されていた。大図においても,第2次測量(表:No.12)と第7次測量(表:No.8~10)は2~3pts/cmであったが,第9次測量(表:No.11・13)では5 pts/cmを示し,中図と同様に年代が下がるにつれて針穴密度が高くなっている。また,特別地域図(表:No.14~16)については,大図と中図の中間にあたる3.7 pts/cm 前後となっている。
伊能図の作製において,組地図や地域ごとに針穴密度の一定のまとまりが認められ,作図の水準が定められている可能性と,それを常に向上させてきた努力が推察された。