日本地理学会発表要旨集
2022年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 344
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郊外住宅団地という場所性の生成
―日本初の公団住宅における住民運動を例に―
*市道 寛也
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抄録

はじめに

 日本では1950年代以降、日本住宅公団(現・都市再生機構、以下、公団とする)などの手により、郊外住宅団地が次々と開発された。公団住宅は1956年4月に金岡団地(大阪府堺市)で入居が始まった。これを皮切りに、多摩平団地(東京都日野市)や香里団地(大阪府枚方市)などの公団住宅が郊外に完成した。公団住宅では、ダイニングキッチンや、スターハウスなどの画期的な建築、植栽環境や自然環境を考慮した住環境設計を通じて、人々の憧れの住まいが生み出された。これは公団住宅の場所性であると言える。

 一方で、高度経済成長期には、住宅や道路などの社会資本の整備が遅れ、郊外住宅団地では、通勤通学難や保育所不足などの「初期不良」問題が発生した(住宅金融公庫20年史編さん委員会 1970: 204; 金子 2017: 137)。このような問題を郊外住宅団地の住民が克服する過程は、原(2012)、和田(2015)、金子(2017)、市道(2020)などで明らかにされてきた。特に公団住宅は、ホワイトカラー層の住民が多く、住民運動が活発に行われる場所であった。

研究目的

 本研究では、高度成長期における住民運動の拠点という郊外住宅団地の場所性が生まれたプロセスを検討する。公団住宅では、自治会が住民運動の主体となった。日本住宅公団大阪支所D.C研究会(1966: 60)によれば、固定資産税騒動を契機に、金岡団地の住民が公団住宅で初めて自治会を作った。本研究では、『朝日新聞』堺泉州版と、地方紙である『日刊泉州日報』の記事から、金岡団地の住民運動を明らかにする。

考察

 金岡団地では、入居初期の固定資産税騒動を巡り、住民運動が始まった。金岡団地は住民運動を展開する中で、他の団地と共同で反対運動を実施するという共闘戦術を行った。これは、その後の郊外住宅団地の「初期不良」問題に対する住民運動や、全国公団住宅自治会協議会の結成に大きな影響を与えているであろう。このように、金岡団地における住民運動は、住民運動の拠点という郊外住宅団地の場所性を生み出す切っ掛けになったと考えられる。

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