1.はじめに
近年,花卉産地は不況や輸入増大の影響を受けており,そのような状況下や近年のグローバル化への対抗策として注目されているのが,農産物のブランド化である。これまで地理学では全国各地の農産物を事例に,産地形成論や農業市場論を中心としたブランド化の研究がなされてきた。しかし,花卉のブランド化に関する研究は少ないため,花卉の産地形成の地理学的研究にもブランド化の視点を加えていく必要があると考えた。
本研究では,愛媛県が主体となって品種改良や育成を行い,愛媛県の地域ブランド『「愛」あるブランド産品』の一つとなっているシネンシス系デルフィニウムの新品種「さくらひめ」に着目する。さくらひめの産地形成と地域ブランド化に向けた取り組みについて,生産・出荷体系とブランド戦略に注目しながら明らかにすることで,その効果と課題を探究し,花卉のブランド化の有用性を見出すことを研究目的とする。研究手法は,さくらひめの生花や関連商品に関与する行政機関,生産及び流通関係者,愛媛県酒造組合への聞き取り調査を中心とした。
2.愛媛県によるさくらひめの開発
愛媛県は瀬戸内式気候に属し,農業では果樹・畜産・米を基幹作物として多彩な生産活動が展開されている。また,売れる商品をどのように作るかという「マーケット・イン」の戦略に基づき,様々な農林水産物及び加工食品を「愛」あるブランド産品に認定している。しかし,愛媛県の花卉の産出額は全体の1.4%(2020年)と減少傾向にあり,特に切花の消費量は全国下位となっている。
さくらひめは,愛媛県のデルフィニウム生産を盛り上げたいという思いから愛媛県農林水産研究所によって開発され,2013年に県によってブランド産品に認定された。さくらひめは青色が主要であるデルフィニウムのうちシネンシス系統のものを淡いピンク色へと品種改良した花であり,既存の品種と比較してピンク色の発色が非常に鮮明で,草丈が長く,花序が長く,花の香りを有すること等で区別性が認められる。海外のコンテストで金賞を受賞するなど,国内外での受賞歴や高評価を得ている。
3.さくらひめの産地形成と地域ブランド化に向けた取り組み
さくらひめは促成栽培や半促成栽培で生産されており,切花では出荷規格に合わせた生産や農産物共同販売による出荷が,鉢物では各生産者の幅広い戦略による生産や流通がなされていることが特徴的である。このような違いや立地の影響により,生産者によって経営状態が左右されやすくなっている。
地域ブランド化に向けた取り組みは,大きく分けて3点ある。まず,さくらひめの生産や出荷では,行政による担い手確保や生産指導,補助金の支給等が行われており,ブランド産品としての一定の生産量の確保,継続的な出荷,品質の保持が図られている。次に,「さくらひめブランディングプロジェクト」では,県内企業によるさくらひめの名前やデザインを活用した雑貨品等の開発・販売が行われており,さくらひめ関連商品の販路開拓・販売促進とさくらひめの認知拡大が図られている。そして,「えひめ香る地酒プロジェクト」では,愛媛県酒造組合,東京農業大学,愛媛県食品産業技術センターによる産学官の共同研究によって4種類の清酒用花酵母「愛媛さくらひめ酵母」の分離培養に成功し,さくらひめの花酵母を使用した愛媛の地酒が,県内の22の蔵元によって2023年3月より一般販売されている。
4.花卉の地域ブランド化の有用性
愛媛県におけるさくらひめの地域ブランド化は,さくらひめ生産者への経済的効果,さくらひめを活用する県内企業の商品の販路拡大と販売促進,愛媛県の酒類製造業の経済回復と発展をもたらし,さくらひめの認知度向上につながっている。また,愛媛県がさくらひめを生花,デザイン,花酵母といった多方面で使用していることから,花卉が様々な形で広く活用できることも明らかである。さくらひめが,愛媛県の地域性を活かした様々な取り組みによって,「さくらひめ」=愛媛県という認識を広げながら地域活性化への一翼を担っていることから,さくらひめの地域ブランド化は愛媛県にとって有用であると考えられる。
一方,さくらひめによる地域活性化に向けた現時点の課題として,安定的に高単価の切花を供給するための支援や,生花,ブランドのさらなる認知度向上に向けた情報発信や活用が挙げられる。さくらひめの地域ブランド化は現在初期段階であることから,今後のさらなる発展が期待される。
参考文献
両角政彦 2013.新潟県魚沼市におけるユリ切花のブランド化.地理学評論 86A: 354-376.