1.はじめに
2022年10月の水際対策の緩和以降,訪日観光客数はCOVID-19以前に回復しつつある.国内外の人や物の流れの活発化,気候変動の影響によって新興・再興感染症流行への警戒度が高まっており,蚊媒介性感染症も流行が懸念される疾病の一つに挙げられる.感染症を媒介する蚊と人間との闘いは古来より絶えず続いており, DDTをはじめとする薬剤散布や遺伝子組み換えによる不妊化した蚊の放逐などの蚊の防除が行われている.しかし,これらの防除方法は環境負荷の大きさに対する不安や永続的な防除方法としての不十分さが指摘されている.他方,ネコがマタタビを体にこすりつけるのは,葉に含まれるネペタラクトールを蚊よけのために身につける行動だと報じられており(Uenoyama et al.2021),自生する土着の植物の中には,蚊の忌避作用を有しているものがある.これまで蚊の生息分布については緑被率との関係性が明らかにされており,蚊の生態上においても植生は重要な役割を担っていることが論じられている.しかしながらどのような植物や植生が蚊にとって嗜好性が高いのか,あるいは忌避性が高いのかを詳細に調べた研究は管見した限り見当たらない.
本研究では蚊の生息に重要な役割をもつ“植生”に着目して,蚊の発生や吸血飛来を助長ないし抑制できる有用な在来種の植物や植生を抽出し,それらを活用したゾーニングによる蚊の防除の可能性を検討している.本発表では熊本市水前寺江津湖公園の出水地区を対象に,デング熱を媒介するヒトスジシマカの生息環境を明らかにし,ヒトスジシマカの生息環境からリスク評価を試みたい.
2.対象地域と研究方法
水前寺江津湖公園は熊本市街地に位置し,周囲6㎞の江津湖周辺に立地している.この公園は,貴重な野鳥や水生生物,植物を見られる自然豊かな場所であり,ジョギングやウォーキング,野鳥の撮影,水遊びの場など多様な目的での利用者が多く見られ,市民の憩いの場や子どもたちの自然学習の場として活用されている.本研究は,水前寺江津湖公園のうち出水地区を対象とした.
蚊の捕集調査は,出水地区内に8か所の定点を設け,世界スタンダードの方法であるCDCミニチュアライトトラップにドライアイス1㎏を併設させた方法と,8分間採集法(スウィーピング)を用い,2022年10月8日~26日に計12回(8分間採集法は9回)実施した.環境調査では,蚊の調査期間には気温,湿度,照度,土壌水分,定点周囲の状況について記録し,2022年10月13,14日にUAV/Droneによる航空撮影を行い水前寺江津湖公園の出水地区の植生状況を把握した.また10月から12月にかけて実地調査によって水前寺江津湖公園(出水地区)に生育する植物を詳細に把握し,マッピング作業を行った.現地調査の結果をもとに,蚊の捕集個体数と定点周辺の環境や植物の分布・植生構造について分析した.
3.結果と考察
秋の短期間での調査ではあったものの,蚊の捕集調査ではCDCトラップと8分間採集法の両者とも,定点間においてヒトスジシマカの捕集個体数に差異があった.ヒトスジシマカの捕集個体数を規定する環境条件として,周囲の植生,水域との近接性,湿度,日当たりを説明変数に統計解析を行った.その結果,1%有意水準で特定の植物の有無,水域との近接性,湿度によって説明できることがわかった.また,ヒトスジシマカの捕集個体数が多い場所の植生構造に着目すると,草木層には常緑多年草,低木層~高木層には落葉広葉樹/夏緑樹,照葉樹が分布している傾向がみられる.津田(2013:139-145)では,常緑広葉樹林の林冠で覆われる林床に多年草が生育する環境で,秋期に日本脳炎媒介蚊のコガタアカイエカの集団飛来が確認されており,ヒトスジシマカも同環境で捕集されたことが報告されている.既往の知見とも照らし合わせると,常緑広葉樹林の林冠で覆われる林床に多年草が生育する環境は蚊にとって好適な生息環境だと考えられる.すなわち公園内のこうした環境下では,蚊の生息密度が高く,人と蚊との接触機会リスクが高い場所となりうる.水前寺江津湖公園出水地区の植物調査では100種類以上の植物の分布を把握し,その中から蚊の誘引効果が予想される植物や蚊の忌避効果が期待できる植物を抽出した.これらの植物が生育する植生構造と蚊の生息密度との関係性の分析を今後さらに深めていく予定である.