日本地理学会発表要旨集
2023年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 642
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ネパール,サガルマータ国立公園クムジュン村の牧畜のいま
*佐々木 美紀子
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抄録

はじめに ネパールのサガルマータ国立公園では、登山・

トレッキングの中心地として観光開発が急速に進んでいる。

観光開発は自然環境や現地の住民である,いわゆるシェル

パの社会に大きな変化を生じさせてきた。シェルパが長年

行ってきた牧畜業も観光の影響を大きく受けた(Brower

1991)。ナク(メスヤク)を中心としたかつての放牧パター

ンが縮小し、オスヤクが集落周辺に長期的に配置される「新

しい放牧形態」が誕生したと言われている (Brower 1991)。

しかし Stevens (1993)がナク中心の伝統的移牧の詳細を記

録して以来、この地域の最新の牧畜形態は明らかにされて

いない。本研究では、観光開発の外圧によるシェルパを中

心とした牧畜業の変容をみるべく、現在行われている放牧

パターンを明らかにすることを目的として社会調査を行っ

た。古くから牧畜業が盛んであった村の一つであるクムジ

ュンを対象とし、2022 年 11 月にこの村の家畜飼育者 28 人

に対してインタビュー調査を実施した。

家畜の頭数 自治体に登録された家畜数データによると、

2019〜2020 年のクムジュンの家畜頭数は、ヤク 156 頭、

ナク 115 頭、ゾプキョ 53 頭、ゾム 27 頭、メスウシ 82 頭、

オスウシ 23 頭、合計 456 頭(ウマとミュールは除く)で

あった。

家畜の所有 クムジュンには、家畜の所有規模と家畜の種

類によって3つの家畜所有パターンにわけることができた。

ウシのみを飼う世帯、荷役獣のみを飼う世帯,そして家畜を

数種類飼う世帯のパターンである。

家畜の放牧方法 家畜の放牧は数世帯が集まるグループ単

位か、各世帯が自分の家畜のみを放牧する世帯単位で行わ

れている。ただし、グループ単位で行われるのはウシのみ

を飼う世帯間に限られており、ほかは世帯単位で家畜を放

牧している。ウシのみを飼う世帯は、ゴタロと呼ばれるグ

ループ内のリーダーに自分たちのウシを夏の期間預ける。

ゴタロは預かったウシを引き連れ、高所にある私有地で放

牧している。

放牧経路のパターン 現在クムジュンで行われている家畜

の放牧経路は3つのパターンに区分できる。1つ目は、家

畜を一年の大半クムジュンで放牧し、ナワ制度(家畜が村

に滞在できる期間を規制する制度)が適用される夏のモン

スーン期にゴーキョ谷で放牧するパターンである。クムジ

ュンの滞在期間は8〜10 か月と長く、ゴーキョ谷の滞在期

間は 2〜4 か月と短い。2 つ目は、家畜をクムジュンと高所

にある私有地一か所で放牧するパターンである。家畜をそ

れぞれの場所に配置する時期と期間は世帯によって異なっ

ている。多くの世帯は1つ目のパターンと同様にナワ制度

が適用される夏の期間のみ家畜を高所の私有地に移動させ

ていたが、1 年の大半を高所にある私有地で放牧する世帯

も数件ある。3 つ目は、家畜を 1 年の中でクムジュンを含

めた 3 か所以上の私有地で放牧するパターンである。家畜

がクムジュンに戻ってくる時期は9〜11 月の間であり、滞

在期間は長くても 4 か月である。

グンサの使用状況 ナクを中心としたかつての典型的な放

牧パターンは、カルカ(夏の放牧地)と母村よりも低い標

高に位置するグンサ(冬の放牧地)の間を季節的に移動す

る放牧形態であった。しかし本調査では、グンサを実際に

放牧地として利用しているクムジュンの村人はわずか 4 人

しかいないことがわかった。Stevens (1993)によると、ク

ムジュンの住民のグンサは 6 か所あったとされているが、

本調査では、現在は 4 人が 2 か所のグンサを利用している

にすぎないことがわかった。かつてのグンサが、現在は低

地からの移住者に母村として利用されている例もあり、グ

ンサが冬の放牧地という本来の役割を失いつつあることも

明らかになった。

終わりに 現在この地域で行われている牧畜は、1990 年代

半ば頃とは大きく異なっている。観光開発によって異なる

家畜種の需要の変化や牧畜従事者の減少(高齢化)などの

要因が「現在」の放牧を形づくっている。同時に今回の調

査では、ウシをつい最近飼い始めた人や荷役獣を数年前に

手放した人、オスの家畜のビジネス利用をやめた回答者も

いた。このような人びとの存在によって、近い将来「現在」

の牧畜形態がさらに変容していく可能性があると考えられ

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