1. はじめに近世,殊に近世中後期には多くの名所案内記が出版された。しばしば挿絵を多用しながら各地の名所を説明する案内記は,社会における旅文化を支え,広範な読者の場所認識にも影響したと考えられる。暁鐘成(1793-1860)は,近世後期から末期にかけて,名所案内記も含め数多くの著作を手がけた戯作者である。鐘成についての研究はこれまで,人物来歴や作品・作家論が主であり,鐘成による案内記の文章が表す内容を検討した研究はない。本発表では,近世末期に出版された大坂に関する名所案内記の文章を考察し,編著者である暁鐘成が抱いた,名所とその風景に対する認識を明らかにすることを目的とする。人気作品を生み出した鐘成の名所観や風景への見方を明らかにすることは,流通した出版物の根底に存在した意図や,描出対象となった当時の大坂を理解する上でも意義がある。2. 分析対象と方法本発表では,以下の2つの名所案内記を検討対象とする。一つ目は安政2(1855)年に刊行された『浪華の賑ひ』全三篇174項目であり,2つ目は,鐘成の生前の稿によって文久元(1861)年に刊行された『淀川両岸一覧』全四冊276項目である。両者とも暁鐘成が文章を記したと考えられる作品であり,挿絵は松川半山(1818-1882)が描いている。これら二作品における文章を,描写地が重なる他の名所案内記(前者は『摂津名所図会』,後者は『摂津名所図会』・『河内名所図会』・『都名所図会』・『拾遺都名所図会』)と比較検討し,鐘成の叙述における特徴を明らかにする。文章を検討する際には,当時を生きた鐘成が,実際に目にすることのできた事物に対してどのような叙述を行ったか,ということを重要視するため,特に名所の由緒由来以外の表現に着目する。3.結果と考察『浪華の賑ひ』および『淀川両岸一覧』における名所の説明,および風景描写を検討すると,まず以下のような描出対象への着眼点が挙げられる。①種々の店が連なり繁華である ②市・寺社参詣・季節の花々の賞美のため人々が集う ③眺望が良い ③名物・特有の事物がある ④人・物の往来の起点である ⑤①や④の様子そのものが美しいまた鐘成著述の二作品と,描写地が重なる他の名所案内記を,同じ場所の叙述に関して比較検討し,また他の案内記にはなく上記二作品のみにある項目の文章を検討した。その結果,船客や舟運について,日常の中で見られる具体的な様子の描写や,賑わい・繁華に関する具体・強調表現,新名所への賞美,大坂という都市でこそ持つ機能への特筆等が鐘成の文章には特徴的に認められた。さらに本発表で検討対象とした名所案内記は幕末に出版されたが,その中に当時の世情やそれに関係することが,直接的に表現されるということはない。しかし,検討対象文の中には「太平」であることを「尊ぶべし」という表現が認められるものも存在する。ここから,当時の不安定な世情を肌で感じていた鐘成が,作品の中で平和の恵みを強調した可能性も示唆される。4.おわりに本発表では,暁鐘成が手がけた大坂に関する名所案内記の文章記述から,名所および風景を叙述する際の着眼点と特徴を示した。また幕末の世情を反映した記述が存在する可能性にも言及した。