日本地理学会発表要旨集
2023年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: S507
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山地におけるジオ多様性と生物多様性
山地の池沼を事例に
*高岡 貞夫井上 恵輔東城 幸治齋藤 めぐみ苅谷 愛彦
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抄録

1.はじめに

 ジオ多様性と生物多様性の関係は理論的には確立されているものの、この関係を実証的に示す研究が十分に行われているとは言えない。両者の関係を探る研究はしばしば大スケール(大陸規模,国土規模)におけるグリッドセルデータを用いたGISベースの研究として行われるが、両多様性の関係の背景にある生態学的なプロセスを直接的に理解するには、グリッドセルにデータ化できない環境の特質も含めて、両者の間の複雑な関係を小スケールの地域研究として行うことが必要であろう。本講演では山地の池沼を例に検討した結果を示す。

2.山地池沼のジオ多様性

 中部山岳地域の標高2000m以上の地域にある、面積約50m2以上の池沼304 個について、その成因を地形と対応づけて整理した結果、池沼は線状凹地、地すべり移動体、圏谷底、火山地形(火口、溶岩台地など)などがつくる凹地に形成されていた。しかし凹地さえあれば池沼が形成されるということではなく、決定木を用いた分析によれば、気候(特に積雪深)や地質など地域的な条件を背景に池沼が成立していることが明らかになった。池沼の規模や標高分布は池沼の成因別に特徴があり、池沼の古さも成因と関係があると推察される。

 上高地周辺の池沼に関する現地での観測や観察によれば、水質や水温、水位の季節変化、消雪時期、周囲の植生の特質は、地形と結びついて形成されている池沼の成因ごとに特徴がある。したがって、池沼に生息する生物の多様性には、池沼の成因と関連づけて理解できる部分があるものと考えられる。

3.山地池沼の生物多様性

(1) 水生昆虫

 上高地周辺の高山帯・亜高山帯に存在する23池沼の止水性昆虫相を調べたところ、7目15科19種が確認された。これらの池沼は群集構造に基づいて4つのグループに分類され、それらは圏谷底に位置するもの、主に線状凹地に位置するもの、焼岳火口を含む前二者以外の主稜線付近に位置するもの、梓川氾濫原に位置するものであった。圏谷底の池沼では幼虫期に砂粒を巣材に用いる種群が優占し、線状凹地の池沼では水際の植物を利用して倒垂型の羽化を行う種や葉片・樹木片を幼虫期の巣材に用いる種が優占していた。梓川氾濫原では、流水環境にも適応した種群が優占していた。マメゲンゴロウについて遺伝子マーカーを用いた集団遺伝解析を行った結果、近接する池沼では遺伝構造が類似する一方で、特定の山域に集中するハプロタイプも検出された。以上のことから、種レベルの多様性は池沼の成因に結び付いた環境条件の違いによって生み出され、遺伝子レベルの多様性には、分散の障壁となる尾根や谷といった小地形・中地形スケールの地形がかかわっていると考えられる。

(2) 珪藻群集

 同地域の45池沼において、池底の表層堆積物に含まれる珪藻を殻の形態にもとづいて分類したところ、75分類群以上が確認された。これらの池沼は群集構造に基づいて4つのグループに分類され、それらは圏谷底に位置するもの、線状凹地に位置するもの、梓川氾濫原に位置するもの、氾濫原上の流れ山群内に位置するものであった。各池沼に出現する分類群はECやpHといった水質の他に、池沼の面積や周囲の植生に影響を受けていると考えられる。また、線状凹地に位置するグループには、梓川の左岸側稜線に集中して分布するグループと流域内に広く分布するグループが含まれる。これらのことから、珪藻群集の構造は、池沼の環境(植生発達や水質)と分散の歴史の双方の影響を受けて成立していることが示唆される。池沼の環境は地形と関連した池沼の成因と結びついて形成され、一方で、小地形・中地形スケールの地形がつくりだす距離や標高差が分散に対する障壁として働いている可能性がある。止水性の珪藻は水生昆虫よりも相対的に分散が難しいと考えられるが、このことが種相当のレベルの多様性においても分散の影響が表れる原因になっていることが示唆される。

4.今後の課題

 これまで、ジオ多様性や生物多様性という用語が使われなかった場合も含めて、植生(植物)についてはジオ多様性との関係についての研究が地理学分野においてなされてきた。山地地形の研究の進展によって地形の形成過程や年代に関する理解が一層深まる中で、今後取り組むべき研究課題は少なくない。氷期の遺存種的な性格を持つ植物の、分布の成因の解明などはその一つであろう。

 他方、地理学において山地の野生動物に関する研究は進んでいない。移動性の高い動物は、その分布の特徴を地形に関連づけて理解することは必ずしもできないであろう。しかし、潜在的な分布頻度が、地形を軸とするジオ多様性と関連付けて理解できれば、動物と生息環境の関係を空間的にとらえる視点が得られる。このことは、生物多様性の保全を考えるうえで重要である。

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