日本地理学会発表要旨集
2023年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 350
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保育労働者のオンラインコミュニティと多様な働き方
*畔蒜 和希
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抄録

待機児童問題の解消策として保育所が増備されてきたように,保育サービスはその需要の多寡によって供給体制が構築される.特に大都市圏における保育サービス供給の不足は地理学における主要な論点となっており,近年はこれまで捨象される傾向にあった,保育労働市場の構造や労働力移動の実態からサービスの供給体制へと議論を展開する研究も蓄積されている(甲斐 2020, 2021).他方,保育労働者は端的にサービス需要の変動に応じて労働力を提供する受動的な存在ではなく,自らの働き方やキャリアを選択することでライフコースを編成していく主体でもあり,こうした保育労働者の主体性と労働市場の構造との関係を検討していく視点が求められる.

 報告者はこれまでに,都市部で波及しつつあるマッチング型ベビーシッターサービスに保育士の有資格者が参入している実態を明らかにし,「保育所で働く保育士」とは異なる働き方の一端を示した(畔蒜 2020).本報告ではこうした働き方を提案する保育労働者のオンラインコミュニティの存在に着目し,その参加者のライフコースを読み解くことで,保育労働における多様な働き方の内実を明らかにしていく.

 本報告で取り上げるオンラインコミュニティ「#HUG(ハグ)」は2018年に設立され,20〜30代を中心とした保育士,幼稚園教諭,ベビーシッター,潜在保育士といった,保育に関わる仕事に経験や関心がある「保育者」によって構成される.オンラインという特性上,参加者は全国から集まっており,自身の仕事の状況についてチャットツールやWeb会議ツールを用いて情報交換を行うほか,オフラインでの勉強会や交流会も開催される.報告者は2020年10月から11月にかけて実際に「#HUG」のコミュニティに参加し,主にチャットツールを用いて,協力を得られた11人を対象にオンラインによるインタビュー調査を実施した.

 インタビュー対象者11人の職歴及び勤務地歴を比較すると,出身地の周辺において転職を繰り返すという傾向はおおむね共通していた.他方で,相対的に若年の対象者には,転職を機に保育所等の正規雇用を離れるケースが多くみられた.その就業先や仕事内容は多種多様であるが,パートや派遣,個人事業主による請負といった①雇用形態の柔軟性と,副業・兼業によって,保育を専門とするWebライターや講師活動,マッチング型ベビーシッターなどに従事する②労働形態の多様性という特徴にまとめられる.

 このような働き方を志向する対象者の多くは,複雑化するシフトや担任業務の重圧などを理由に,保育所で働くことへの抵抗感を抱えており,収入よりも自身のライフスタイルを優先するほか,転職の合間に留学などの自己実現に身を投じる者もいた.こうした働き方によって得られる収入が生計に占める位置付けは,対象者の家族状況に応じて変化するものの,一部の対象者の状況からは,多様な働き方の柔軟性が併せ持つ不安定性の側面も示唆された.

 資格職である保育士にとって,保育所等において正規・フルタイムで勤務することは,一般的に望ましいキャリアや働き方と理解される.しかし本報告で取り上げた対象者からは,正規雇用やフルタイムでの勤務,あるいは勤続を志向するという積極的な意志は汲み取れず,むしろそうしたキャリアや働き方からは意識的に距離が置かれていた.

 なお,本報告で取り上げたような多様な働き方を実践する者は,保育労働者全体からみれば極めて限定的である.そうした中で,地理的な制約を伴わずに情報共有やつながりの構築が可能であるオンラインコミュニティは,多様な働き方を志向する保育労働者を後押しするための空間としても機能しているといえよう.

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