日本地理学会発表要旨集
2024年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 504
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本州中部地域における多粒型落花生の産地分布と利用の特徴
*小川 滋之
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抄録

研究の背景と目的 落花生が日本で本格的に栽培されるようになったのは、明治時代に米国カリフォルニア産の品種が導入されてからのことである。しかし、落花生が日本に初めて伝来した時代というと、それは江戸時代まで遡る。「南京豆」という名前で、油料作物としてわずかに流通する程度であったためか、現在の品種とは異なるということ以外の情報はほとんど伝わっていない。一方、落花生の豆果をみると、日本国内では莢に2粒の豆が入る品種が多いが、中には多粒型といわれる莢に3、4粒の豆が入る品種がある(図1)。これらは、各地で古くから作られている在来作物などと呼ばれることがあるが、その起源や来歴は不確かなものが多い。産地の中には、断片的ながら江戸時代に伝来した「南京豆」につながりそうな情報もある。本報告では、多粒型落花生の産地分布と各産地の来歴や利用についての情報をまとめ、その特徴と「南京豆」との関係を考察する。

多粒型落花生の分布 既存文献などの産地情報をもとに現地調査を行った。静岡市葵区井川、長野県南牧村、立科町、群馬県沼田市、片品村、川場村、昭和村、長野原町、福島県いわき市、新潟県小千谷市、長岡市山古志で栽培を確認した。産地は、標高が高い山間部(標高50-1064 m)に多く、種まき時期(5・6月)と収穫時期(10月)の気温が、一般的な落花生の生育温度(15℃以上)に満たない地域もみられた。

品種ごとの収量の違い 千葉県の圃場で品種ごとの栽培実験を行った。オオマサリ2.1L、多粒型(井川産)1.3L、千葉半立1.2L/1苗であった。多粒型は、平地で栽培すると生育不良が起こるとの情報もあったが、他品種と比較しても十分な収量があった。

来歴と利用 各産地の生産者に聞き取りを行った。栽培開始年は、すべての産地で昭和時代以前であり、静岡県葵区井川や群馬県長野原町では明治時代以前の可能性があった。すべての産地で乾燥豆、煎り豆として食用にされていたが、群馬県長野原町や昭和村では「油豆」という名前があり、古くは油料作物として作られていた。

考察 多粒型落花生の産地は、標高が高い山間部に多かったが、これらの地域で栽培される植物としての必然性は認められなかった。冬場の保存食や油料として用いられてきたことが、山間部に多い要因であると考えられた。また、複数の地域で明治時代以前からの栽培歴があることや、油料作物として利用されてきたことの共通点からは、この多粒型が日本に初めて伝わった「南京豆」である可能性を高める結果となった。

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