はじめに
気候変動にともなう生物分布変化により、生態系サービスが変化すると考えられる。これらの変化は広範囲で起こるため、従来の生態系の維持を目指した適応策を行うとともに、変化する生態系の利活用を行う社会的な適応の両方が必要となる。また、生態系サービスは社会との関係において発生するもので、社会的な適応における生態系の利活用においては、そこに新たな生物が分布し生態系を構成していることを認識することが必要である。認識されていなければ、社会からの需要も発生せず、新たに成立した生態系は未利用資源となる。そのため、実際の分布と認識のギャップを埋め、保全と利活用を促進することが必要である。特に、海中の変化は人の目に触れにくいため、生態系変化に関する科学的な証拠を地域社会に提示して保全や利活用の検討を行うことが必要とされる。 日本は南北に長いため、水温上昇による生物の分布シフトを観察するのに適しており、気候変動により変化する生態系への社会的な適応を世界に先駆けて検討することができる。本発表においては、過去100年から現在、将来にかけての温暖化にともなう日本沿岸の海の生物の変化に関して、過去からのデータの収集とモニタリングによる変化の実証、そしてその変化に対する人間社会の対応をつかむ試みについて紹介する。
生物分布変化の検出
日本においては1930年代から全国規模でサンゴの分布調査が行われており、博物館に所蔵された標本や報告書、図鑑などの記録から、過去80年にわたるサンゴの分布の変遷を追うことができる。集積した情報を精査すると、南に生息している4種のサンゴが九州や本州へと分布を拡大しており、その速度は最大で年平均14kmであることが明らかとなった(Yamano et al., 2011)。さらに、サンゴに加えて大型藻類とそれを食害する魚類のデータを集積して解析したところ、温帯域では、水温上昇にともなって魚類によって大型藻類が食害されて衰退し、その空き地にサンゴが定着して藻場からサンゴ群集へのシフトが起こっていると推測された(Kumagai et al., 2018)。
生物分布変化に対する社会の適応に向けて
こうした生物分布変化に対する社会の適応を検討するためには、まず、実際の生物分布とその変化を社会が認識しているかを明らかにする必要がある。四国西岸の足摺宇和海海域において自治体や漁協関係者にヒアリングを行ったところ、サンゴが分布しているにもかかわらず北の方の自治体ではサンゴの存在が認識されておらず(Abe et al., 2021)、したがって観光などの文化的サービスも発生していないと考えられた。このような認識のギャップは業種や年代などによって異なる可能性があり、全国アンケート調査を展開している。また、ギャップは供給サービスにおいてもあらわれると考えられ、多面的な生態系サービスの変化の解析を行っている。 地域での生物分布の認識と、それに基づく保全や利活用の状況は、行政文書にもあらわれる。サンゴに関して行政文書のテキストマイニングを行ったところ、生物分布と認識にギャップのある地方自治体が検出された(Abe et al., 2022)。こうした解析を他の生物についても進めている。当日はこれらに関して得られた成果を報告したい。
引用文献
Abe, H., Kitano, Y.F., Fujita, T., and Yamano, H. (2022) Marine Policy, 141, 105090.Abe, H., Suzuki, H., Kitano, Y.F., Kumagai, N.H., Mitsui, S., and Yamano, H. (2021) Ocean & Coastal Management, 210, 105744.Kumagai, N.H., García Molinos, J., Yamano, H., Takao, S., Fujii, M., and Yamanaka, Y. (2018) Proceedings of the National Academy of Sciences, USA, 115, 8990-8995.Yamano, H., Sugihara, K., and Nomura, K. (2011) Geophysical Research Letters, 38, L04601.