1.はじめに〜「そこにリズムがあったから」
私たちは,2025年5月に南アフリカ共和国リンポポ州北部にあるハマクヤ地区を訪ねて調査を行った.
フィールドワークでは,いかにして現地およびそこに暮らす人たちと良好な関係を築くかは,常に課題となってきた.私たちは,演奏をきっかけに,村人たちと打ち解け,それが呼び水となって,暮らしのさまざまな様相を発展的に聞いていき,経験することができた.本研究は,2021年以降の望月・野中の演奏経験と2025年5月の上記の南アフリカで湯澤も加わった村落調査での経験をもとに,フィールドワークにおける音楽の活用と,そこからみえてくる課題を検討する.
2.地理学からアプローチ〜くらしと音楽をつなげる
ここでいう「くらし唄」は,日常生活・生業活動にちなんで歌われている楽曲をいう.地理学における音楽研究の嚆矢である江波戸昭は,世界と人間の理解を目指して地理学の立場から民族音楽学を提唱し各地を探訪した.人びとが生活の中で作り,歌い演奏を継いできた音楽を「くらしのうた」と称した(江波戸 1981).そして「アフリカの音楽は…いわば文化そのものである.」とも記し,メッセージ,伝達,生業に結びつくリズムなど,近代ヨーロッパがその合理性のなかで生み出してきたような芸能や芸術とは別の観念での民衆の音楽を論じた(江波戸 1992).音楽を,行為,状況,環境なども含めたミュージッキングとして,音楽が実践される場の「活動」や「出来事」と捉えることや音楽と身体のあいだの深い関係などに関心が向けられ,日本の地理学でも音楽の研究が蓄積されてきた(山口 2002,山田 2003,森 2008,成瀬 2012,神谷ほか 2017,坂本 2022など).演奏と文化史を結びつけた授業実践例もある(野中・江成・中川 2002).地理学的アプローチによるくらしと音楽を結びつけて理解を深めることができよう.
3.他者との距離感、緊張の緩和〜恥ずかしいを越えて
望月(アイリッシュフルート,ホイッスル)と野中(バンジョー)のアイリッシュ・アメリカンデュオ「月ノ中」は,外で奏でる音楽の可能性を考えるべく、2021年8月から各所を訪ね,そこの景観や歴史,文化に想起される曲を演奏してきた.私たちはこれを「はいかい演奏<wander musicking>」と称し, 演奏により景色や土地に入り込み、地理学的理解を深めること,地理学的発想で音楽を楽しむことを探究・実践してきた(Nonaka & Mochizuki 2024). 2024年8月にアイルランドで,ストリート,景勝地,公園,民家,宿,店,博物館,バス停,タクシー内,IGC巡検,パブセッションなどで演奏した.いずれも好意的に受け入れられ,友好的な交流が生まれた.2025年5月に南アフリカ・リンポポ州の調査村では,湯澤が演奏に参加し、周りの人たちも歌やダンスで加わり,ライブならではの楽しさを共有する場が生みだされた.演奏が呼び水となって人を巻き込み,緊張をほぐし,記憶を呼び覚まし,鍬ふるい,機織り,洗濯,イモムシ採集,バッタ採集の曲などから話が広がった.歌詞からは,行動の内容や状況を,身振りやリズムからは,それぞれの行動の感情的意味がわかり,さらに聞き取りを深めていくことができた.
4.今後の課題〜スプーンから世界の理解へ
奏でる・奏であうことは,音楽に収斂するのではなく,交流を促進し,話題を広げ,その共感からさらに深い話を引き出して場面の展開を促す.スプーンも能動的なコミュニケーションツールとして,さらに歌詞に込められた生活・歴史・文化やその背後の価値観を引き出すことができるものとなろう.音楽のリズム・テンポや歌詞は,その場面の見方を彩り,土地とそこに暮らす人のリズムを汲み取り,立体的に捉えることに寄与する.そして奏であって共感,共鳴することにより,場や暮らしの価値観をうかがい,暮らしの論理が多面的にみえてくる.地理学の大切な課題である「人間理解」を具体的かつ現地に寄り添って追究する一方法となろう.これが普遍的にできるかどうか、追究を深めたい。