日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 618
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漁場利用慣習の行方:和歌山県串本町のイセエビ刺網をめぐる10年間の変化
*崎田 誠志郎
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抄録

国内の漁業従事者数は減少の一途をたどっており,特に沿岸漁業を中心とする小規模漁村では,漁業者の高齢化・後継者不足が深刻化している.漁場利用圧の低下に伴い,漁場紛争や乱獲の抑止といった慣習的な漁場利用制度の役割は後退し,一方で参入障壁の高さ,権利の囲い込み,世代・性別による格差(島田 2019)のような弊害が表面化してきた.地域漁業を維持し,後継者や新規参入を確保していくためにも,これまで漁場利用慣習の基盤となってきた共同性を再構築していくことが求められている(濱田 2018).このような状況下において,伝統的な漁場利用慣習はその姿をいかに変えていくのだろうか.筆者は2013年~2014年にかけて,和歌山県串本町の地先漁場管理に関する現地調査をおこない,特にイセエビ刺網をめぐる共同体基盤型管理の実態と多様性を崎田(2017)として発表した.その中で,既存の漁場利用制度は漁業者の減少・高齢化や漁獲の変動によって今後大きく変容しうることや,一方で形骸化しつつも慣習として強固に継続されうることを考察した.その後10年が経過し,実際に漁場利用制度や共同体がどのような推移をたどったかを検証することが本発表の目的である.現地調査は2023年12月から2025年3月にかけて断続的に実施し,崎田(2017)で扱った11地区から1地区を除いた10地区において聞取り調査をおこなった.串本町に本所を置く和歌山東漁協では,2013年以降,イセエビ刺網従事者・イセエビ漁獲量のどちらもほぼ一貫して減少しており,2022年のイセエビ漁獲量は2013年の約4分の1にまで低迷していた.漁場利用の現状と変化の動向は10地区それぞれで異なっていたが,本発表では,対照的な特徴を有する串本町西部の和深と東部の下田原に着目して報告する.串本町の最西端に位置する和深では,イセエビ刺網従事者数が2013年当時の6名から2名(いずれも80代)にまで減少しており,あわせて操業の簡素化や脱機械化が進行していた.2名となった時点で番手(漁場の分割・割り当て)は廃止され,イセエビ漁師がいなくなった漁場では,これまで共同体の構成員でなかった住民がイセエビ刺網を営む例もみられた.これとは別に,既存漁業者が不在となったことでイセエビ刺網の権利を取得した人物(50代)がいたが,既存漁業者の不在ゆえに,操業の補助や指導が受けられないという問題が生じていた.東部の下田原では,イセエビ刺網従事者数が2013年の34名から19名にまで減少していた.従来の漁場利用制度自体は継続されていたものの,番手の数は10年前から大きく減少するなど,制度の縮小がみられた.イセエビの不漁を受けて,高齢漁家を中心に操業頻度の低下が顕著にみられ,中堅漁家との間で制度の運用をめぐって意識のずれが生じていることもうかがわれた.一方で,和深と同様に,既存漁業者の減少は新規参入の余地を生じさせ,女性や他業種からの転職といった多様な人物がイセエビ刺網に従事するようになっていた.こうした従来とは異なる形での新規参入者の発生は,既存コミュニティによる参入条件の新規追加といった制度変化をもたらしていた.

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