1. 問題の所在 千葉(1956)は人為的林地荒廃(はげ山)を形成した歴史的な地域構造を探究し,その後,千葉(1973)は土砂の流出や堆積が引き起こす問題への地域側の対応について,史資料や地域調査をもとにいくつかの具体例を紹介した.それら事例は,近世以降,生業や土地所有関係に規定された過度な植生利用とその帰結としての土砂の移動が構造化された状況で,築造された土木施設や浚渫などの労働が水害・土砂災害への対応の一種として,村落景観の形成に寄与していたことを示唆している.近代土木工学導入以前の土砂留め(砂防)については,土木史分野などで『土木工要録』『水理真宝』といった書物をもとに,堰堤や山腹工に相当する工法が用いられたと紹介されている.しかし,それらは明治中期に工法の回顧と改善を目指して編んだ工法書の例であり,在来の手法による村々の土砂移動対応については,同時代,あるいは地域に残された史資料による検証が必要である.近世の村々による土砂留めについては普請明細帳や一部の古地図を用いた分析(水本 2022)があるものの,17世紀末以降の沈砂池を利用して水路の土砂堆積を防ぐ例が確認されている(島本 2023,渡部・島本 2024)ように,施設・工法の種類や分布については,なお未解明な点を残している.2. 分析方法 本報告では,はげ山や土砂流出の問題が顕著であった近江国を事例地に,明治初期に統一的な記載指示に基づき作製された村絵図から土木施設の表現を検討し,上記の課題について基礎的考察をおこなう.対象資料は,滋賀県立公文書館に収蔵されている村絵図群(普請所調査絵図)である.同資料は計1,174点からなり,普請の費用補助の有無や土木施設の種類・規模について詳しく記した図である.そのなかには,普請所の一種として「砂留」やそれに類する呼称の施設を描いた図が見出せる.それらの表現を分析するとともに,関連する「滋賀県歴史的文書」や自治体史所収の史資料も援用し,「砂留」などの形態や機能を推定した.3. 結果 「砂留」「砂溜」などと呼ばれた施設には,明らかに護岸と推定される土留石垣を除くと,谷筋に直交して築かれた堰堤,沈砂池,土砂を河岸側に堆積させる意図で設けられた水制が見出せた.これら「砂留」などの記載がみられる図の数を郡別に整理し,各郡の総図数に占める比率を示すと,坂田郡33点(21.0%),高島郡7点(12.5%),犬上郡10点(11.2%),蒲生郡13点(10.1%)の順となった.堰堤には,谷筋にあって用水との関係が明記されたものとそうでないものがある.また,沈砂池には,水路に接続しているものと,谷筋に築かれた溜池(谷池)の上流側に付設されたものがある.用水との関わりが明記されていない堰堤には崩れた土砂を止める機能が,それ以外の施設は,用水の中に含まれる土砂を取り除く機能があったと考えられる. 先行研究において存在が指摘されていた近世の土砂留めの工法には,植栽工事を除くと,先述の土木工法書に示されていたものと同様の,谷筋の堰堤,山腹に施すしがらみ工のようなものであった(水本 2022).しかし,当時の村々が「砂留」と称していた施設には,水路・溜池への土砂堆積を防ぐ目的と推定されるものが一定数確認でき,山地から流出する土砂への工学的対応については,より多様な手段・施設の存在があったと考えられる.今後は,地質・地形的条件の違いに留意した地域間比較,普請目論見(出来方)帳など,土木施設の構造を知ることができる史資料と合わせて詳細を検討すること,それらを通じて当時の「土砂留め」「砂留」の語の範疇などを明らかにすることなどが課題である. 本報告はJSPS科研費21K13163の助成を受けた成果です.文献島本多敬 2023. 絵図・地図からさぐる比良山麓の村々の土砂移動対応. 島内梨佐ほか編『地域の歴史から学ぶ災害対応―日本各地につたわる伝統知・地域知―』96-107. 総合地球環境学研究所.千葉徳爾 1956. 『はげ山の研究』農林協会.千葉徳爾 1973. 『はげ山の文化』学生社.水本邦彦 2022. 『土砂留め奉行―河川災害から地域を守る―』吉川弘文館.渡部圭一・島本多敬 2024. 山の荒廃と土砂対応. 吉田丈人ほか編『災害対応の伝統知―比良山麓の里山から―』57-78. 昭和堂.