主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2025年日本地理学会春季学術大会
開催日: 2025/03/19 - 2025/03/21
1.はじめに
現代社会では,地域の歴史を再発見・再評価し,次世代へ継承することが重要視される。その中で,戦争や災害など一般的に負の側面をもつとみなされる歴史についても,教育や文化財などの文脈で再評価が行われる例も存在する。本稿で扱う公害も「困難な過去」の一つであり,公害経験の継承をめぐる議論の中では,体験者の受けた痛みを「自分ごと」として捉える努力や,多様な視点からの解釈を許容する「多視点性」の重要性が指摘されている(除本,2024)。他方でアートに関する議論は,サイト・スペシフィックワークや芸術祭など美術館の外側での表現活動に注目が集まっており,題材に地域の歴史や文化が織り込まれることも多い。その中で,宮本(2018)は負の歴史的遺産をめぐるアートプロジェクト(以下AP)を事例に,捨象された語りをアートによって伝える可能性を示唆した。
本稿では,公害の歴史を扱ったAPへの参与観察を通じ,負の側面を持つ地域の歴史を扱う実践の中での各主体のせめぎ合いと,その中で再構築された地域の歴史や場所への価値づけについて考察を行う。
2.対象地域と研究手法
本稿が対象とする大阪市西淀川区は大気汚染をはじめとする公害が深刻化した事例の一つであり,1972年の西淀川患者会結成を契機とした公害反対運動を経て,現在では「環境再生のまちづくり」の先駆的事例とされる(入江,2013)。一方で,近年はファミリー層などの流入により新住民が増加し,加えて公害を経験した世代の高齢化も進み,公害記憶の継承が地域の課題とされる。
このような背景の中で,大阪公立大学が主催となるアートコーディネーター育成講座の一環として,西淀川区でのAPが実施されている。本研究では,当該事業において2025年7~11月に実施されたAPへの参与観察を行った。
3.考察
西淀川区における実践の中で,プロジェクトの参加者は公害の患者,公害から距離を置く地域住民,まちづくりの主体など,様々な立場の住民の視点を獲得しながら,直接的・間接的な表現を組み合わせ,APが実施された。これはプロジェクト内外との折衝の中で多く用いられた「塩梅」という表現に現れている。
西淀川区におけるこれまでの公害記憶の継承は,反対運動をはじめとする闘争や公害から現代に至るまでの環境に重点がおかれていた。APはこれまで等閑視されてきた小さな物語へ焦点を当てつつ,新住民や地域の子ども,これまで行われてきた環境再生のまちづくりとの関わりが薄かった住民などに対し,公害の歴史の認知を促す一助となった。
入江智恵子2013.大気汚染公害反対運動と消費者運動の合流 ―「環境再生のまちづくり」を支える運動ネットワークの形成―.除本理史・林美帆編『西淀川公害の40年 ―持続可能な環境都市をめざして―』131-161.ミネルヴァ書房.
宮本結佳2018『アートと地域づくりの社会学 直島・大島・越後妻有にみる記憶と想像』.昭和堂.
除本理史2024.公害経験/公害研究の継承をめぐって.経営研究75-3:59-70.